3月18日

 8時過ぎに家を出て、市場界隈を散策する。到着してすぐに界隈を散策したときに、浮島通り沿いに空き地ができていることには気づいていた。そこは何度も歩いたはずなのに、なにがあった場所だったのか、思い出せずにいた。同じ空き地を、えびす通り側から目にしたときに、「ああ、ここは洋服屋さんがあったところだ、たしか『ニコニコ』という看板が出ていた」と、記憶がよみがえってくる。隣のお店の方がいらしたので、「ここのお店、やめられたんですね」と尋ねてみると、「ここもビアガーデンにするみたい」と教えてくれる。

 宿に戻ったあとは11時頃まで部屋で日記を書いていた。「U」に行ってみるともう開店準備は整っていて、今日はマチグヮーで行商するSさんが売り子の準備をしているところだ。ポスターを持って界隈を巡り、取材させてもらったお店にポスターを貼ってもらえないかと相談してまわる。市場の近くで、「てる屋天ぷら」の由人さんとすれ違う。いよいよ明日ですねと声をかけると、「今日は皆、朝から一生懸命働いてると思います」と返事がかえってくる。「いや、今日は夕方からオキショウの試合があるから、夕方までに終わらせたい人が多いんじゃないですかね」と(沖縄に暮らしていないから、「オキショウ」と聞いた瞬間に「沖縄商業」だろうか、でも商業高校だと「那覇商」だよなあと頭の中でぼんやり考えて、しばらく経って「沖縄尚学」だと気づいた)。

 お肉屋さんに立ち寄ると、「ラジオ聴いてますよ」と言ってもらえて、嬉しいような、この街に暮らしていない自分が「マチグヮー」をテーマにした特集で出演していることが申し訳ないような心地がする。「末廣さんも、すぐ近くで商売やってましたけど、ああ、あんな歴史があったんだってことは初めて知りました」とお店の方が言っていた。今日のお昼ごはんはどうしようかとしばらく迷い、久しぶりで「喫茶S」へ。テーブル席は満席だ。「ああ橋本さんお久しぶり、ちょっと時間かけるけど平気?」と言われ、カウンターに座る。「これ、こないだ送られてきたんだけど、うちの店も載ってるの」と、一冊の本を見せてもらう。それは「昭和喫茶」がタイトルに含まれている本だった。お店の方は「沖縄でうちだけ載ってるの」と嬉しそうに話していたけれど、話を聞く限り「取材」があったという感じではなく、撮影して行って事後的に本にしたのだろう。なんとも言えない気持ちになる。お店との関係性があるなら、事前にことわりなく原稿に書いたりすることもありえるだろう(それは、お店を訪れた回数とは関係なしに)。でも、ちょっと、どうなんだろうと思ってしまう。本の末尾に添えられた文章を読んでも、「昭和喫茶」に入ると、目の前の風景とは関係なしにノスタルジーが、的な内容が書かれていて、書き手や編集者がちゃんと目の前に広がる風景を見なくてどうする、という気持ちになる。

 行商していたSさんから買ったSさんの新刊を読みながら、カウンターに佇む。「足立屋」が2016年にオープンしてからというもの、マチグヮーにはせんべろが、という一文を見かけ、「足立屋」は2014年ですよという言葉が頭に浮かぶと同時に、そんなねちっこいことを反射的に思うような人間になってしまったのかと、自分にがっかりする。もし自分が取材を始めたばかりのころに、誰かからそんな重箱の隅を突くようなことを言われたら、相当げんなりしたことだろう。

 しばらく経ったところで、先に入店していた若者たち(ひとりが飲み物だけ、もうひろりが食べ物だけ頼んでシェアしていた)が、「追加で注文したいんですけど」とお店のママに声をかけている。「申し訳ないけど今は無理」とママが言う。後から入店した客がまだオーダーも取られていない状態なのだから、それはそうなるだろう。のんびり40分ほど読書をして、カツカレーを注文した。『市場界隈』のポスターをずっと貼り続けてくださっていることもあり、お礼に新刊をプレゼントして、新しい本のポスターも手渡す。「前の本は、自分が載ってて照れくさいから家に置いてるんだけど、こっちは置いときます」とママが笑う。

 閉場を迎えた仮設市場を眺めて、「節子鮮魚店」に行き、ビールと刺身の酢味噌あえを注文する。「本、毎日少しずつ読んでます」とお店の方が言ってくれてホッとする。向かいにある仮設市場を眺めながら、ぼんやりビールを飲んだ。ここに仮設の建物があったときも、そんなに人通りがあったわけではないけれど、仮設市場に品物を届けにきたトラックが行き交うことがなくなったから、以前より通りが落ち着いたような感じがする。仮設の跡地が何になるのかは、現時点でもまだ決まってはいないそうだが、「前みたいに広場になるといいんだけど」とMさんは言う。「でも、何になるにしても、今の建物は一旦取り壊すはずだから、この敷地の向こう側の風景がまた見えるようになるのが楽しみです」と。

 

 公設市場では開店準備が進められているけれど、まだまだ時間がかかりそうに見えるところも目立つ。「明日オープンなんですよね?」と、「U」のUさんに声をかけると、「私も、1週間後ぐらいにオープンなんじゃないかって気がしてきました」とUさんが言う。夕方には公設市場の向かいにある「魚友」にひとりで入り、生ビールを飲んだ。ひっきりなしに荷物を運ぶ台車が行き交う。市場の中から、「お食事処 信」の粟国さんが出てきて、出入り口の段差に腰掛ける。おそらく野球中継が観たいのだろう、スマートフォンを手すりに立てかけようとしたものの、うまく固定できずにスマートフォンが地面に落ちてしまう。通りを挟んだ向かい側にいる僕と目が合い、落としちゃったといった感じで粟国さんがジェスチャーをする。そこに固定するのは諦めたようで、粟国さんは一度市場の中に戻り、木製の丸椅子を手に戻ってくる。そうして外小間の「wazoku」というお店の前に椅子を置き、そこのお店の中に設置されたテレビで高校野球を見始める。組合長の粟国さんも、ときおり外にやってきて、市場を見上げている。勝手に誰かの心のうちを想像するのは物書きの悪い癖だとは思うけれど、その背中にはやはり感慨が滲んでいるように思う。

 しばらくするとテレビ画面から歓声が響き、粟国さんが親子揃って拍手をする。沖縄尚学がホームランを打ったようだった。市場の中から出てきたちびっこたちが、あたりを駆け回っている。この界隈で取材をしていると、何代目かの店主たちからは「市場が遊び場だった」という話をよく耳にする。この子たちは市場の4代目ぐらいの世代だろう。この子たちがもしも将来店を継ぎ、僕のような人間に取材を受けることがあれば、「小さい頃から市場が遊び場で、ちょうど×歳のときに新しい市場がオープンしたんです」と答えるときがやってくるかもしれない。そのときに彼の隣に行き、「こんなふうに遊んでましたよね」と、そっと画像を差し出したいような気持ちになり、その姿をカメラに収めておく。