3月19日

 6時過ぎに目を覚ます。7時過ぎに宿を出て、市場の様子を眺めにいく。10時から始まるオープニングセレモニーに向けて、うっすら準備が始まっているけれど、まだ一日が始まったばかりという感じだ。市場の中にお店を構える方たちも、オープンに向けてぽつぽつ出勤してくる。鍵がかかったままになっている扉が多いようで、「どっちから入れるかね?」と右往左往されていた。ある漬物屋さんがやってきて、杖をつきながら進んでゆく。その店員さんに話を聞いたことはないのだけれど、市場が建て替えになる前からその姿はもちろん目にしてきた。4年前に比べてあゆみがゆっくりになっているのを見て、建て替え工事のあいだにたしかに時間が流れたのだと感じる。

 いちど宿に引き返し、シャワーを浴び、8時過ぎにふたたび出かける。「プレタポルテ」でクロワッサンを買い、セブンイレブンでホットコーヒーを買って、市場の前に戻る。さっきよりセレモニーの準備をしているスタッフの数は増えていて、取材者の姿もちらほら見かける。市場の中でも、店主にインタビューしている報道陣を見かけた。取材をするならもっと早くがよかったんじゃないかと、ついそんなことを考えてしまう。

 市場の向かいにある乾物屋さんの前に佇んで、クロワッサンとホットコーヒーで朝食をとる。市場の前には椅子が並べられ、そこに座ることになる人の名前が貼られてある。雛壇を眺めていた組合長の粟国さんが、錚々たるメンツだと、少し緊張した様子で言う。今日の出席者には、市長や元市長、市議会議員の他に、県知事に国会議員に前総理の名前まである。前総理はここでセレモニーに出席したほかに、もうすぐ供用が始まるキャンプ・ハンセンの車両用メインゲート(沖縄自動車道への入り口)を視察したり、もうすぐ三両化が実現するゆいレールを視察したりするのだそうだ。市場の建て替え工事の予算が予定より高額になったときに官房長官だったのか、総理大臣だったかで、足りない額を国から出すという判断をした人物ということなのだろう。

 8時25分、外小間の「てるや」さんが、お店の前で膝をつき、御願をしている。その姿を遠巻きに目にしていると、今日は門出の日なのだと実感する。僕の近くには、今日のセレモニーに駆り出されたのであろう人たちが立ち話をしている。「今日終わったら、刺身買って帰ろ」「昔、きたことあった?」「あった。小さい頃、旧正(月)のとき、親に連れてこられてた。こんな寒い時期になんで外に連れてかれるのと思ってたけど、大人になって、よさがわかる。酒飲むようになったからかな」。聴こえてきた言葉を書き留める。

 しばらくすると乾物屋さんの店員さんがやってきたものの、「あれ、まだシャッター閉じてるな」と店を見上げる。店の上に住んでいる店主がシャッターを開けてくれないと、中に入れないようで、しばらく店の前で一緒に立ち話をした。背広姿の男性たちが数名、颯爽と歩いてくる。イヤホンとマイクで、「現在、仮設から新庁舎――じゃない、新市場に移動中です」と、マイクに向かって話している。「あんなに背筋まっすぐで歩くんだね。あんな人、このあたりじゃ見かけないから、ものすごく目立つね」と店員さんが笑う。

 少しずつ報道陣の姿が増えて、市場の外観を撮影している。そのあたりを、ヒジャブをまとった女性たちが通りかかり、申し訳なさそうにそそくさと通り過ぎてゆく。あなたたちが申し訳なさそうに気を遣う必要なんて何もないんですよと伝えに行きたくなる。警察がカラーコーンとポールを運んできて、なにやら通路を作り始める。9時近くには乾物屋さんのシャッターもあがった。角のTシャツ屋さんがやってきて、いつものように脚立を使って、高いところにまでTシャツを並べている。脚立からあたりの騒々しさを見下ろし、ふん、という表情を浮かべている。

 少しずつ見物客も増えてくる。乾物屋さんはいつもお店の前にベンチを設置しているのだけど、「よかったらここ、座ってってください」と進めてもらって、特等席を得たような心地がする。この5年で(つまり『市場界隈』も含めて)取材させてもらった方がちらほら通りかかる。9時半を過ぎたあたりで、エイサーや旗頭が少しテストをする。気づけば人だかりの渦ができている。那覇市の職員とおぼしき人たちが、ビブスをつけてあちこちに配置されているけれど、設置されたカラーコーンとポールはほとんど意味をなさず、渋滞が起きている。僕の目の前にも、ビブスをつけたスタッフが立っている。立ち止まって写真を撮ろうとする人がいるたびに、「そこで立ち止まらないでください」と注意したいのだけど、どう声をかければいいのかと躊躇し、あたふたしている。勝手にシンパシーを感じてしまうが、どんどん混雑は酷くなっていく。

 その頃にはもう、ベンチには座らず、一段高くなっている乾物屋さんの店内のすみっこに佇ませてもらっていた。サワースタンドの店主が、いつものように自転車で出勤してきたようで、自転車を押しながら窮屈そうにお店に向かって歩いていく。10時が近づくと、那覇市長や県知事といった来賓もやってくる。中学生ぐらいの子たちが、しきりに「菅さんは何時にくるんですか」と、ビブスをつけた職員に尋ねているが、職員もそんなことまで把握していないようだった。

 結局、前総理の席は空席のまま10時となり、オープニングセレモニーが始まる。まずは旗頭が披露され、続いてエイサーの演舞がある。エイサーの音が街に響くのを聴いただけで胸が一杯になってしまう。2019年6月16日、一時閉場セレモニーのときも、大勢の人が集まって最後はカチャーシーになったところを見て、涙が出てしまった。エイサーは念仏踊りが起源にあるという。お盆の時期には道ジュネーがおこなわれ、エイサーを舞いながら集落を練り歩く。お盆は死者を迎え、また送り出す行事だ。道ジュネーで太鼓や三線の音を集落に響かせるのは、いろんなものを洗い流していくように思える。なくなってしまったものに対してどんなに悲しみを抱えていても、その悲しみに暮れ続けていたら、日常生活を生きていくことが難しくなる。だから人は節目を設けようとする。こうやって太鼓と三線の音で、いろんなものを洗い流して、また日常に戻っていく――これは単に僕が勝手に妄想したことだけれども、エイサーの音を耳にするとそうした妄想が広がってしまう。

 エイサーの演舞がおこなわれていたところに、SPがざざざっと4人ほど姿をあらわす。それに先導されるように、前総理がやってきて着席する。目の前でおこなわれている演舞を、にこりと笑顔を浮かべるでもなく、「なんだこの土着の行事は」といった感じで、無表情のまま眺めている。政治家なんだから、もう少しにこやかにしてはどうか。それにしても、粟国さんが言っていた通り、錚々たるメンツだ。一時閉場のときは那覇市長だけだった(と思う)。「建物が閉まる」という後ろ向きの「節目」と、50億以上が投じられた新施設のオープニングという「節目」の違いを感じる。エイサーが終わると、来賓の挨拶となる。賑わいの創出や、観光拠点といった言葉が続き、耳を言葉が通り過ぎていく感じがする。その中で「お」と思ったのは、意外にも前総理の挨拶だった。「なんといっても市場の魅力は人」と話していて、誰か「こういう文言を入れるのがよいかと」とアドバイスをしている人がいるのかなとも思うけど、つまらなそうな顔で参列していたのに、挨拶で語られたのはしっくりくる言葉だ。

 ただ、心待ちにしていたのは、なんといっても組合長の粟国さんの言葉だ。2019年の一時閉場セレモニーのとき、「公設市場と周辺事業者は運命共同体」だと話していたことばを、この数年間何度となく思い返していた。ここには市場だけがぽんと存在しているのではなく、戦後間もない時期に自然発生的に市場が立ち、その一部が「公設市場」として整備されたものの、市場も「マチグヮー」の一部分だ。そして、公設市場は行政によって建て替えがかなったものの、その建て替え工事によってアーケードが撤去されてしまったり、工事の影響を被ったりして大変だったのも、どちらかといえば周辺事業者だろう。そこへの視線が含まれているスピーチは、粟国さんのスピーチだけだったように感じる。その言葉を、完全に正確ではない部分もあるけれど、ここに書き起こしておく。

本日、2023年3月19日に、このように多数の皆様方のご来場をもちましてオープンしたことは、本当に喜びにたえません。2019年6月16日の旧・第一牧志公設市場閉場セレモニーの場所もこの場所でした。当時、最後のコメントで「2022年この場所でまたお会いしましょう」というお約束から、移転は一年遅れましたけど、無事に3年9ヶ月ぶりにこの第一牧志公設市場に戻ったということは、ほんとに喜びに絶えません。この市場は「食の魅力拠点」というだけでなく、沖縄の“ちむぐくる”の原点の場所、沖縄の商売人の原点の場所、特にこのエリアは沖縄の女性の方が――“アンマー”たちが、沖縄の戦後の盛り返しのために、このエリアで一生懸命頑張ったという、ほんとに価値のある場所なんです。この場所で、このように、3年9か月ぶりに戻ったということは、同じことを言うんですけど、よかったなあと思います。特にこの第一牧志公設市場は、旧・市場と同様、かなり何工事・難事業と予想されていました。今から14年前に、当時の那覇市の経済観光部長の大嶺さんから、公設市場再生プランというのを見せられました。そのときに、この事業は、ほんとに大変な事業になる。長い事業になる。だけど、今取り組むべきじゃないかと、大嶺部長の話がありました。そこで当時の那覇市長の翁長雄志さんと「跳びだせ!市長室」を設けて、公設市場の関係者・周辺商店街の皆さんと一緒に議論しながら、「大変だけども、第一公設市場の建て替えを進めていこうじゃないか」というきっかけが生まれて、14年が経ちました。ほんとにこの市場が戻ってよかったと思います。今、86事業者が入居いたします。この市場の価値を今後高めるためにも、やはりまず、市民・県民の方が利用できるような、このマチグヮーって“あっちゃーあっちゃー”で楽しいんだ、楽しむ街。また、多くの観光客に沖縄の良さ、生活・文化・相対売りを楽しんでいただくまち。また、世界の各国のひとびとが楽しんでいく街――(…)それぐらい価値がある市場になると思います。ぜひ今後とも、ひとを繋ぐ――“つなぐ”市場として、いろんな方と交流して、多くの方々にご利用いただければ幸いだなと思っています。最後に、この第一公設市場にご尽力いただきました関係者、特に周辺事業者・地域住民の方も、ほんとにこの3年9か月、大変だったと思うんですけど、この第一公設市場はマチグヮーエリアと運命共同体です。今後ともこのエリアを一緒に盛り上げて(…)、このオープンしたあと、ご来場して楽しんでいただければありがたいなと思います。誠に本日はありがとうございました。

 セレモニーの最後にテープカットがおこなわれた。テープカットが終わっても、すぐに開場とはならず、入口には長蛇の列ができていた。扉の向こうを、来賓が歩いていく姿が見える。10分近くあいだをあけて、一般客の来場が始まる。中はすごい混雑ぶりだ。もう少し落ち着いた時間帯に入ればいいかと、僕はサワースタンドに立ち寄りビールを注文した。ビールを1杯飲んだあとは「魚友」と「イチバノマエ」をはしごしながら、ビールを飲み続けた。粟国さんのお父さんが、三線屋さんの前に椅子を置き、「島唄」を弾かせている。通りを大勢の人たちが行き交う。「ここって駐車場ないのかな」という声が聴こえてくる。今日集まった人たちは、どこからやってきたのだろう。これまでどこにいたのだろう。何がきっかけで、今日ここに足を運んだのだろう。