3月30日

 7時過ぎに目を覚まし、『病牀六尺』を少し読んだ。絵に関する話が出てくるたび、スマートフォンで画像検索して、なるほど、こういう絵をこう評しているのか、とぼんやり思う。『手競画譜』の文鳳の絵を高く評価していて、その絵を探してみると、ウェブですべて見ることができた(https://ehon.dh-jac.net/books/ebi/EbiM011)。紙の端に「右」とある絵が文鳳の絵で、どれもフレーミングが面白い。普通が35ミリが50ミリのレンズで撮影するところを、70ミリで撮っている感じがする。絵画や写真のこと、いつかじっくり考えたいと思っているうちに40歳になってしまったので、この10年こそしっかり勉強したいところだ。

 しかし、読んでいると自分の教養のなさと直面させられる。たとえば「もし実地を踏みたる人の目より見ば、実際に遠き句にあらずんば、必ず平凡なる句や多からん。ただそれ無難なるは主観的の句のみならんか。」という文と出会うと、その文意を噛み砕くのに時間がかかってしまう。「あらずんばってことは……?」とか、「のみならんかってことは……?」と。それに、「卯の花くだし」という言葉もわからず、ああ、そういう言葉が存在するのかと気づかされる。

 来月はじめに沖縄でお昼の番組に出演することになり、新刊に掲載した写真の一部を送ってほしいと、ページ数を記したメールが届いていた。「一部」と言っても26点あり、候補も含めてすべての写真がアップされているドロップボックスのフォルダを送って済ませようかとも思ったけれど、さすがにそれは不親切だし印象が悪いだろうなと思い直し、指定された写真をピックアップする。そして「取材道具の写真も撮影して送ってもらいたい」とお願いされていたので、ICレコーダーとカメラを並べて写真に撮る。テーブルの上に並んでいるものや、後ろに映り込んでいるものが気になり、あれこれどかして写真を撮った。

 昨日の午後に、Amazonでいくつか注文した商品があった。「明日8-12時にお届け」と表示されていても、最近はその時間に届いた試しがなく、今日も届く気配がなかった。わかっているのなら注文しなければよい話だし、ひとつの商品以外はさほど急いで必要なものでもないのだけれど、これなら実店舗に買いに出ればよかったなと思ってしまう。急ぎで欲しかったものというのは外付けキーボードだ。普段僕が使っているのはMacBook Airだが、それとは別のサブ機として、ASUSの小型ノートPCを使っていた。Windowsだけで使える「Okoshiyasu」というテープ起こし用のソフトがあり、これが抜群に使い勝手がよいので、テープ起こしはWindowsでやっていた。

 そのパソコンのキーボードに水をこぼしてしまい、キーボードのいくつかのキーが押しっぱなしのような状態になり、ほとんど使えなくなってしまった(立ち上げてパスワードを入力する画面の時点でどこかのキーが連打されてしまうので、ログインすらできなくなった)。そのパソコンの中に、舞台のドキュメントに向けてテープ起こしをしたテキストが入っている。ほとんどのデータはすでにMacに移してあったのだが、移していないデータもいくらか残っていた。同じ音源をテープ起こしすると徒労感がかなり増すので、どうにかパソコンから救い出しておきたい。あわよくば、外付けキーボードを使って、テープ起こし機として使い続けたい。

 宅急便が届いたのは17時ごろだった。すぐに箱を開け、キーボードを繋ぎ、使ってみる。テープ起こし、できなくはないけれど、やっぱりちょっと使い勝手は悪くなるなと思い、買い替えを決意する。ワードさえ使えれば他になんの機能も必要ないので、型落ちモデルの格安の品を探す。小型ノートパソコンだと、最近のモデルはキーボートを液晶から取り外し、タブレットのように使えるモデルが主流で、そんな機能いらないから格安のやつを作ってくれと思ってしまう(しかし、そんなモデル作っても売れないし、利益も少ないのだろう)。