4月21日
5時過ぎに目を覚ます。枕元に飲みかけのハイボール缶があり、酒の匂いが漂っている。昨晩見かけた、「福田和也の新著は『ちょっと上等な食べログ』ぐらいのものでしかなかった」というツイートが、小骨のように引っかかっている。あの本を読んで「ちょっと上等な食べログ」という言葉が出てくる物書きがいるのか。食べログの食べログたる所以は、評論家ではない人でも店を「評価」する立場になれること、それも「星」で評価することにあるのではなかったのか。それに、食べログであれば評価に「取材」は不要だ(足を運んで料理を食べるのも取材とはいえるけど、お店の方に自分はどういう人間かを明かした上でインタビューをする「取材」をふまえて書かれた食べログのレビューはほとんどないはずだ)。その点だけでも、「ちょっと上等な食べログ」というたとえはまったく当てはまっていない。
そんなことは、わざわざ取り上げる必要もないささいなことだと言われてしまうかもしれない。そのツイートをした人は、
チェーン店が国道沿いを埋め尽くすような郊外には「旧来の意味で保守すべき『文化』自体がそもそもなくて、でもチェーン店でも繰り返し通っているとある種の愛着や関係性が生まれ」たりする時代状況において、「相変わらず伝統的な『老舗』のようなものにしか文化を見ない」のは「まったく硬直した態度」だ、とも指摘していた。この点については、何年も通う店しか取り上げていないという点で、「まったく硬直した態度」というのはその通りだろう。ただ、京極「スタンド」(昭和2年創業)や神保町「ランチョン」(明治42年創業)は「伝統的な『老舗』のようなもの」だろうけれど、「キッチン南海」(昭和35年創業)も「伝統的な『老舗』のようなもの」に混ぜてしまうと、「伝統」や「老舗」という言葉の扱い方が雑なのではないかと言わざるを得ない(「キッチン南海」も十分老舗ではあるけれど、老舗の中にももっと細かい区分があるだろう。それは、創業からの年数という意味だけではなく)。そして、本の中には銀座「ロックフィッシュ」や浅草の「468」など「新しい」店もある。
繰り返しになるが、「まったく硬直した態度」、これについては適切な言葉だとは思う。ただ、福田さんが「サイゼのワインが」云々というものを書いたところで面白いとも思えないし、その「硬直」とは何か、「硬直」を貫くことができたのはなぜか(できなくなったとすれば、それはなぜなのか)、ということをのちの世代は考える必要がある。その「硬直」は、店と付き合うというのはどういうことなのか、人生を賭けて提示されたものなのだと思う。
7時過ぎにシャワーを浴びて、8時近くになって、カメラを手にコンビニに行く。横手は今、駅前再開発が進んでいるところだ。昨日の朝、コンビニに出かけたとき、ヘルメットをかぶった作業員がぞろぞろと出勤する姿を見かけて、なんだかそれが印象深かった。次に横手を訪れることがあれば、再開発はすっかり終わっている可能性もある。今の記録にと、コンビニの駐車場から写真を撮っておく。コーヒーと地元紙を買って引き返し、9時過ぎにチェックアウト。荷物を預かってもらって、バスに乗って浅舞という地区に魔で足を伸ばす。乗客は僕とおじいさんひとりだけで、途中から貸切になった。8キロくらいの距離で、530円支払ってバスを降りる。20分くらいしか乗っていなかったから、ちょっと割高のようにも思えるけれど、どうやってこのバスが存続できているのかと考えると、十分すぎるほど安く感じられる。
浅舞に足を運んだのも、やきそばがめあてだ。ただ、開店時刻の10時まで30分近くあるので、集落を散策する。しばらく歩くと池があり、琵琶沼、と看板が立っていた。そこにはなにか希少な生物が生息しているらしいけれど、しばらく眺めても何も見つけられなかった。楽器の琵琶のような形をしている沼だから琵琶沼なのだと説明が気にあった。沼の近くにこいのぼりが泳いでいる。さらに歩くと、次々と車が出入りする場所があり、一体何かと思って近づいてみると、市が立っていた。江戸時代に巨大な石が出現し、見物客がやってくるようになり、そこに市が立ったのだというような説明書きがあり(記憶をもとに書いているので不正確かもしれない)、へえ、面白いなそれ、と市を眺めていく。種や苗を売る店もあれば、魚屋もある。そこを冷やかしたあと、10時きっかりにやきそばを出す店に向かう。自動ドアには電源が入っているものの、人の気配はなかった。どうしたものかと、店の前で佇んでいると、軽自動車がやってくる。その軽自動車を運転しているのが店主らしく、ああ、ごめんなさいね、今開けますからどうぞと、店内に促される。「さっき市場にいましたよね」と言われて気がついたが、その女性はさっき魚屋で魚を売っていた人だ。「忙しそうだったから、ちょっと手伝ってた」のだと、店主は笑っていた。
このお店は「喫茶とやきそば」という不思議な看板が掲げられているのだが、化粧品の販売店でもあるようだった。朝から近所の方たちがちらほら立ち寄り、短く立ち話をしていく。こないだ沖縄を舞台にしたWOWOWのドラマ『フェンス』を知人と見ていたとき、知人がまったく台詞を聞き取れなかった場面があった。それは、特にうちなーぐちが使われた場面でもないのだが、イントネーションが沖縄独特のものだった。聞き書きを仕事にしているから、多少は耳がよくなったのかななんて思っていたけれど、今回の旅では言葉が聞き取れない場面に何度か出くわした。お店の方が話しかけてくれるぶんには聞き取れるけど、地元の方同士の会話だと、聞き取れなくなる。その言葉を耳が拾えるようになるまで通いたくなってくる。
バス停は店から100メートルと離れていない居場所にある。ただ、3時間後にはもう一皿やきそばを食べるつもりでいるから、腹ごなしにひとつ先のバス停まで歩くことにした。田舎出身の人間として、「バスが時刻通りにくることなんて滅多にないだろう」と思っていたのだが、バス停にたどり着くずっと手前のところで、おそらく定刻通り走っているのであろうバスが僕を追い抜いて行った。次のバスは2、3時間後だろう。もう、タクシーしかないかと思っていたら、ちょうどその町のタクシー会社の前に出たので、「すみません、横手駅までお願いします」とタクシーに乗る。運転手さんは70代ぐらいだろうか。「昔はこのあたりでもやきそばやさんが何軒かあったんですか」と尋ねると、「そうだねえ、1、2……3軒はあったね」と教えてくれた。「でも、継ぐ人がいなくって。何をやるにしても、人がいないとダメですよねえ」と運転手さんは言っていた。ふと、羅臼にはハイヤーはあってもタクシー会社は存在しなかったこと、銀行がなかったことを思い出す。僕がさっき訪ねていたのは横手郊外の小さな集落だけど、銀行もあったし、タクシー会社もあった。ただ、人口が減りつつある日本で、このインフラをいつまで維持できるのだろう。インフラが維持できなくなれば、取材に出かけるのも大変になってくる。
横手駅でレンタサイクルを借りる。ヘルメットも渡され、「今、ヘルメットも品薄になってるみたいで、カゴに入れておくと持っていかれることもあるので、駐輪されたあとはお手数ですが持ち歩いてもらえますか」とお願いされる。ヘルメットをリュックにくくりつけて、まずは図書館へ。昨日のうちに市史の複写をお願いしていたので(ページ数が多いので「明日の昼に受け取りに来ますので」と伝えてあった)、それを受け取る。横手やきそばに関する資料を探していることを伝えてあったおかげで、「昨日はお見せできなかったんですけど、こんな資料がありました」と、ファイルを見せてくれる。そのファイルには、2000年代にやきそばに関して紹介された新聞記事や雑誌記事のコピーがファイルされていた。それも複写をお願いしたあと、最後にもう1軒、やきそばを食べにいく。辿り着いてみると、お店の脇には「ドライブイン」の文字があり、妙に感動する。
駅前のスーパーに立ち寄り、ちょっとだけお土産を買う。「爛漫」という名前の地酒があり、そのラベルが好ましく感じられたので、5合瓶と、300ミリぐらいの瓶も買う。いぶりがっこも2袋だけ買った。在来線で北上に出て、そこで笹かまとうにほたてめしを買い、東北新幹線に乗り込んだ。最後列だとちょっと安心できるから、早めにきっぷを手配しておいたのだが、同じく北上から乗り込んだサラリーマンが、なぜか通路を挟んだB席とC席に座っている(東北新幹線はA席・B席、通路があってC席・D席)。A・Bで手配すると、ちょっと近くて窮屈に感じるから、B・Cで手配したのだろうか。でも、だとすれば、それぞれ別個の列を手配してくれればいいのに、と思ってしまう。
ちなみに、同じく北上から乗車したものの、そのサラリーマンたちは僕より先に新幹線に乗り込んでいた。その新幹線は北上に3分ほど停車するとアナウンスが流れていたから、僕はそのふたりより少し遅れて電車に乗り込んだのだが、僕が席についてみると、そのサラリーマンたちは車内で快適に過ごせるようにあれこれセッティングをしているところだった。僕のきっぷはD席だったのだが、最初ぼくの隣のC席に荷物を広げていたのは上司とおぼしき女性だった。ただ、D席に僕がやってきたことで、部下らしき男性と席を代わり、B席に移動した。その時点で「なんやこいつ」と思っていたのだが、窓側座席であるA席にも、当然ながらあとから乗客がやってきた。そこで上司は、通りかかった車掌に「並びで空いている席はあるか」と尋ね、別の席に移動して行った。ただ、僕の隣のサラリーマンは「ごゆっくり」と上司を見送り、僕の隣に座ったままだった。