9月20日

 9時過ぎに起きる。知人は「昨日飲み過ぎた」と言っているが珍しく朝から元気だ。まだ酔っ払っているのかもしれない。10時過ぎ、佐川急便来る。ネットでの予約受付開始20秒後に予約手続きを終えたiPhone6届く。デザインはダサくなっているが、それでも嬉しい。前のiPhone5は画面が割れていた。

 設定やら何やらをやっているうちに13時で、知人とふたりで高田馬場「カオタイ」へ。タイ料理の店で、昼はバイキングをやっている。気分が良いのでビールも注文した。コの字型のカウンターには老夫婦が座っていた。もう食べ終わっているのだが帰る気配はなく、じろじろとこちらを見てくる。食べているところを見られるのは快くないので、途中でじっと見返し、何見てんだよ、と口の動きだけで呟く。知人から「文句ばっか言っている」と後で窘められた。

 食事を終えて、新宿に出た。ここ数日、夕方のニュースで繰り返しタータンチェックが取り沙汰されていたので、タータンチェックのシャツが欲しくなったのだ。ルミネに入っている店で物色し、試着してみる。シャツが試着できるということを最近まで知らなかった(なぜだろう?)。2パターン試着してみて、店員さんは色々説明してくれたけれどちっとも頭に入らず、地味なトーンのほうを選んだ。すぐにトイレに入って、買ったばかりのシャツに着替えた。

 続けてABCマートに入り、スニーカーを購入する。1ヶ月以上海外に渡航することを考えて、もう1足スニーカーが欲しかったのだ。2分で買う靴を決めて、試着し、購入する。箱はお店で処分してもらった。店を出て歩いていると、知人は何やら考え事をしているようだった。一昨日、僕は急に思い立って大掃除をした。部屋にある3割の本は実家に送り、3割の本は売り払ってしまった。そうしてすっきりした部屋の中にいると、知人の棚がゴテゴテしているのが気になった。ジャニーズのDVDやうちわが並んでいるのは仕方がないとしても、電子機器や雑貨の箱が積み上がっているのが気になったのだ。そのことを問い質すと、「売りたくなったとき、箱があったほうが高く売れるから」なんて答えていたけれど、今になってほんとうの答えが思い浮かんだのか、「私はたぶん、箱が好きなんだと思う」と知人は急に言った。

 ビックロに移動して、iPhone6のケースと保護シールを物色する――つもりでいたのだけれど、地下2階はiPhone6を買い求める人で溢れ返っていた。関連グッズ売り場も大混乱だ。もともと人がやっとすれ違えるくらいのスペースしかないものだから、大変なことになっている。もう物色するのはあきらめて、適当なものを何とか手に取って購入する。すっかりくたびれてしまったので「らんぶる」でひと休みと思ったけれど満席だ。日曜ともなると200席が満席になるのか。その後も何軒かまわったけれどどこも満席で、仕方なく「銀座ライオン」に入ってグラスビールを注文した。

 16時半、知人と別れて神保町に出る。東京堂書店をひやかしたあと、喫茶店でアイスコーヒーを飲んで酔いをさます。このあとの収録で何を聞こうか考えたり、今頃稽古場では通し稽古が始まっているのだろうと思いを馳せたり。17時45分、「新世界菜館」へ向かう。18時から『S!』誌収録。20時半に終わり、店を出る。Tさんに「はっちゃんの服、それは学生服を着ているの?」と言われてしまった。

 高田馬場まで引き返す東西線の中で、LINEで知人に「ビアパブに行こう」と誘うも、「明日早いから」と帰ってくる。早いと言っても9時に家を出る程度で、23時過ぎには閉まる店に誘っているのに、「明日早いから」って何だよ――そう拗ねつつ家に戻り、わざとらしく身支度をして「じゃあ行く」と言ってくれるのを待ってみたが知人はテレビに見入っているので、余計に拗ねてアパートを出る。「古書往来座」をのぞくと、野田秀樹『当り屋ケンちゃん』があったので購入し、並びにあるビアパブへ。結局、30分ほどで知人もやってきてくれる。

 23時が近づき、そろそろ帰ろうかというところで電話が鳴った。T屈さんからだ。今池袋で飲んでいるから来ないかとの誘い。知人と別れ、ハシゴ酒。衝撃的に安いハイボールを飲みつつ、話す。この席にはM田さんもいた。久しぶりにお会いしたけれど、すごくギョーカイの人という感じになっている。いや、僕よりキャリアの長い人なのだから当たり前の話だし、別にこれは悪いこととして書いているつもりもないのだけれども、話の拾い方と広げ方に「ギョーカイの人だ」と思う。ギョーカイの人と書くから、妙な感じになるのかもしれない。M田さんは、昔から熱量のある人だった。その熱が空回りするのではなく、ちゃんとギアを噛んでいるという感じ――そういう意味でギョーカイの人だと思ったのだ。その姿を見ていると、M田さんほど何かが身に付いているわけでもないし、興味に幅があるわけでもない自分の姿もまた再認識させられて、僕は静かにハイボールを飲んだ。


9月21日

 8時過ぎに起きて、日記を書く。お昼におくらと納豆入りのうどんを食べて、細々した用事を片づけているうちに16時を過ぎていた。みちくさ市に行きそびれてしまった……。日が暮れる頃になって「ルノアール」に出かけて、パソコンを広げて仕事をする。店内には僕より先に入店していた若いカップルがいた。女の子はショートパンツを履いていて、最初のうちはその白い足に目がいっていた。でも次第に、二人は何をするわけでもないのにずっとそこにいて、女の子が向かいに座る男の子にずっと笑顔を向けていることに目がいくようになる。その笑顔を、しみじみ眺める。

 ダメだ、僕は仕事をしにきたのであって、女の子の笑顔を眺めにきたのではない。何とかしてリズムを取り戻さなくては――そう思っていたところに、カウンターで売っているタバコが目に留まった。一番軽そうなタバコを購入して、吸ってみる。普段から吸っているわけではないから、どうしてもぎこちない吸い方になってしまう。もっともらしく吸わなければということばかりに気を取られて、結局仕事ははかどらなかった。

 21時過ぎになって、飲みに出かけることにした。「鳥やす」で飲むつもりでいたけれど混雑している、かといって向かいにある「コットンクラブ」という気分でもない。しばらく考えて、久しぶりで「※」に入った。秋刀魚の塩焼きをツマミにホッピーを飲みつつ、川本三郎『同時代を生きる「気分」』や『都市のキーワード』、坪内さんの『アメリカ 村上春樹江藤淳の帰還』をパラパラ読んだ。


9月22日

 8時過ぎに起きる。朝食にヨーグルトを食べる。昨日読んでいた本は、野田秀樹『当り屋ケンちゃん』の最初の10数ページを読んだときに思い浮かんだことがあって、それを確かめるように読んだものだ。それをコピーして「こんな話もありますよ」とF田さんに渡すつもりでいたけれど、いきなりコピーを渡されても困るだろうし、読んでいる横で「こういう箇所が……」と説明するわけにもいかない。どうしよう――あ、そうだ。伝えたい箇所を引用して、そのあいだに何か説明を加えて書けばいいんだと思い立ち、書き始める。

 11時過ぎ、江戸川橋へ。「新雅」の前で待っていると、向こうのほうからAOYGさんが駈けてくる。ほどなくして道に迷っていたFJTさんもやってくる。今日は久しぶりで「新雅」に行くというので、僕も誘ってもらったのだ。FJTさんと僕はニラそばを、AOYGさんはチャーハンを注文する。ここのおいしいラーメンを食べていると、ビールが飲みたくなってくる。でも、これから稽古に出かけるふたりの横でビールを注文するわけにもいかない――そう考えていたところで、「橋本さんはビール飲めば?」と言ってもらえたので、飲むことにする。

 神楽坂まで歩いて喫茶店に入り、少し話を聞く。稽古場に向かうふたりとは一旦別れて、神保町の喫茶店で続きを書き、16時頃に書き終えた。ほんとうは書いたものをプリントアウトして渡すつもりで――つまり一人にだけ読んでもらうつもりで書き始めたものだったけれど、よく考えればそれは僕が勝手に思いついたものでしかないし、どんな顔をして渡せばいいかもわからないので、少し形式を整えて日記に載せておいた。

 17時、稽古場へ。準備が進められる稽古場で、K.Yさんがスケボーを走らせている。2ヶ月前は人に背中を押してもらって台車のように移動することしかできなかったのに、今ではもう細いスペースも難なく通り抜けている。17時15分、通し稽古が始まる。2時間ほどで終了。僕はすぐに外に出てコンビニに走り、缶ビールを飲んで気持ちを落ち着けた。鞄の中に入っていたタバコをぎこちなく吸って、頭の中を整理しようとしたけれど、うまく整理することはできなかった。せっかく見せてもらったのだからと、素直な感想を伝える。アホみたいな感想でも、伝えた。しかし、本番の1週間前に通し稽古が出来ているというのは相当に順調であるはずだけれども、ここからが大変だろう。完成させる作業よりも、一度完成したものに手を加える作業の方が難しいだろうし、ここから1週間、頭を悩ませ続けることになるのだろう。


9月23日

 朝9時に起きる。お昼におくらと納豆入りうどんを食べたのち、自転車こいで水天宮前へ。14時、今日も通し稽古が始まる。その直前、AMYさんが「FJT君、『××××××』ってほんとに3回言う?」と訊ねていた。「言ってみようよ」とFJTさんが答えると、「言ってみようか。言えるかな」とAMYさん。どうも昨日より変更が加えられているようだ。そのせいなのか、あるいは2度目だからかはわからないが、物語の輪郭が際立っている。虚と実、そして何より、母と子の物語だ。もちろん母と子の物語であることは戯曲を読んでわかっていたのだけれど、今日観ていて、そのことをしみじみと感じた。でも、もっと行けるという感じがする。

 この稽古場を使用するのは今日までで、明日は小屋入りだ。通し稽古が終わると、ほどなくしてバラシの作業が始まる。僕はすぐに稽古場をあとにして、高田馬場まで戻る。軽く夕食を済ませて、石神井公園に出かけた。石神井公園には、最近オープンした「クラクラ」というお店がある。ここは火曜日が定休日なのだけれど、定休日のお店を使って、今日から「火曜コンサート」と題したイベントが行われる。その第1回目となる今夜は、「前野健太 石神井の夜」だ。19時半スタートだと思って18時45分頃に店に着いてみると、既に前野さんの歌声が響いている。勘違いしていたkれど、コンサートは18時半からだったのだ。

 厨房伝いに一番後ろの席――小上がりになっている――に通してもらう。ドリンクチケットをビールに引き換えてもらったけれど、すぐに飲み干してしまう。曲の合間のタイミングで、今度はグラスワインを注文したものの、これもすぐに飲み干してしまった。何度も往復するのが億劫なので、「すみません、赤ワインをダブルでもらえますか」とオーダーをした。前野さんの歌は何より酒の肴になる。また、前野さんは石神井に縁があるそうで、そのせいか今日はとても素直な歌声をしていた。去年の前野さんは、いかにそのときの感情を込めて歌うかに腐心しているように見えた。そして今年のある時期からは、熱っぽく歌うということではなく、もっとムーディーでしっぽりとした歌を目指しているように感じた。でも、今日の前野さんは、もっと素直に、素朴な歌声をしていた。それがまた僕の胸に響いた。そして、前野さんは寂しそうな声をしていた。新宿に暮らしている孤独が、歌に響き始めているように感じた。孤独なアーバンライフを楽しんでいるわけではなく、都会の孤独を噛み締めているような歌だった。それは前野健太というひとりの人間にとって幸せなことかどうかはわからないけれど、シンガーソングライターとしては幸せなことだろう。ここからどんな歌が生まれてくるのか、楽しみだ。

 この日はワインを7杯、ビールを2杯飲んだ。完全に飲み過ぎている(でも、それだけ楽しかったのだから仕方がない)。打ち上げにも混ぜてもらったけれど完全に泥酔してしまい、お金を残してそっと席を抜けた。「お客さん、危ないですよ!」と注意されて意識を取り戻すと、僕は西武池袋線のホームに立っていた。立ったまま眠ってしまっていたのか――ホームの電光掲示板を確認すると、下りの電車はまだ運行しているようだけれど、上りの電車は終電が出たあとらしかった。石神井公園の駅までたどり着いたものの、そのまま眠ってしまったのだろう。仕方がない、タクシーで帰るかと思って、改札口で「入場だけしたんですけど」と駅員に伝えると、「あ、石神井公園からですね」と言われる。え、じゃあここは一体と駅の看板を見ると、そこは小手指だった。どうやら反対方向に乗って力尽きたようだ。

 ここから何キロあるかわからないけれど、タクシーで帰るしかない。「高田馬場までお願いします」と伝えてタクシーを走らせてもらう。ポケットからiPhoneを取り出すと画面が割れている。届いて3日で割れてしまった……。知人に「おまえのせいでわれた」と意味不明なメッセージを送ると、また眠ってしまっていた。高田馬場の近くまで来たところで目を覚まし、アパートの前につけてもらう。さて会計をというところで気がついた。ポケットの中にも、鞄の中にも、どこにも財布がないのだ。

 まあいい、アパートの中には知人がいるはずだから、お金を貸してもらおう。「ちょっとお金を受け取りに行ってもいいですか」と伝えると、少し間があって「免許証を置いて行ってもらえますか」と運転手が言う。いや、財布を失くしたので、同居人にお金を受け取りにいくんです。そういう旨のことを何度か伝えて部屋に入ったものの、知人の姿はなかった。電話をかけてみると、仕事が片付かないので今晩は徹夜で仕事をするつもりだったという。タクシーに戻り、後日というわけには行きませんかねと相談してみたがダメだというので、仕方なく知人の職場のある原宿まで行ってもらい、知人をピックアップして再び高田馬場まで戻る。会計はおよそ1万5千円だったが、僕は「小手指の思い出」だなんだとくだらないことを言ってへらへらしていたという。


9月24日

 昨日はあれだけ酔っ払っていたのに、朝8時に目をさます。「クラクラ」で扱っている自然派ワインは酸化防止剤を使用しておらず、「二日酔いになりづらい」とは聞いていた。でも、どこか半信半疑でいたけれど、たしかに二日酔いにはならなかった。テレビをつけると、神戸で行方不明になっていた女の子が遺体で発見されたというニュースをやっている。昨日の夕方には発見されていたそうだけど、昨日はニュースを全然チェックしていなかった。この事件は前から報じられていたけれど、最近は行方不明になっていた子どもが無事保護されるケースが多かったから、ひょっこり現れるものだとばかり思っていたから、ショックを受ける。

 これまで報じられていた経緯も、改めてまじまじと読み返す。女の子は「誰にでもついて行く子だった」というコメントもあるし、失踪した日の行動範囲が小学1年生にしては広過ぎるという話もある。女の子は知り合いの家を渡り歩き、ときには知らない人の家にあがってお金を借りようとしたこともあったという。親は共働きだったのだろうかとも思ったが、母親は再婚し出産したばかりだったという。女の子は、学童保育に通うでもなく、日傘を差して街を歩き回っていたのか――そのことを想像すると、何とも言えない気持ちになる。

 午前中にM山さんから電話があり、財布を預かってくれているとの由。お昼、納豆入りのオクラうどんを食し、新宿某社へ。某社を訪れるのは何年振りだろう。お礼を言って財布を受け取り、「らんぶる」に入って仕事を。アイスコーヒーを2杯飲んで店を出ると、すっかり日が暮れていた。小腹が空いたので「ベルク」に移動し、ベルクドッグと生ビールを1杯。そこから池袋に出て、西口にある某カフェで生ビールを飲みつつ仕事をする。僕が座っている席の正面にカウンターがある。そのカウンターは客席でもあるのだけれど、飲み物はそのカウンター越しにサーブされて、店員がそれをテーブル席に運んで行きもする。

 何か違和感を感じてそちらに目を向けると、運び口の脇に座った中年男性が、男性店員がやってくるたびお尻を触っているのだ。次第にエスカレートしてゆき、手を取って指を絡ませたり、前の方にも手を伸ばしている。店員たちもあまり強く言えない様子で、よほど金払いの良い客なのかと思って見ていたが、その男はアイスコーヒーを1杯頼んだだけであった。どんな客なのか知らないが、店長なりオーナーなり、権限を持っている人が「お客さん、困ります」と言ってあげないと可哀想だ。何より周りの客も不愉快である。

 22時半、東口にある「鳥定」で友人のU田さんと待ち合わせ。U田さんは瓶ビールを、僕はホッピーセットを頼んで乾杯。ツマミは肉じゃがとさんまの塩焼きを選んだ。今シーズン4匹目。先日、知人と一緒にさんまを食べた際、僕が「小さい頃はこの目玉を食べるのが楽しみだった」というと、知人は白い目を僕に向けていた。U田さんにもその話をしたのだが、え、この目玉を、とギョッとさせてしまう。今後は他言しないようにしよう。

 ところで、U田さんはおしゃれだ。知人と一緒に買い物に出かけたとき、僕がシャツを選んでいると「そういうのはU田ぐらいしゅっとしてないと似合わないよ」とよく注意される。そのエピソードを伝えると、「今度、橋本さんと一緒に新宿あたりに買い物に行って、そのあとで飲んだら楽しそう」とU田さんは言ってくれた。たしかに、それは楽しそうだ。0時半に閉店時間を迎えると、コンビニで缶ビールを購入し、歩きながらビールを飲んだ。


9月25日

 朝10時に起きる。昼はセブンイレブンの麻婆豆腐丼を食す。午後、『S!』誌の構成を。昨日から取り組んでいて、いつもなら1日で終わるのだけれど、今回は僕の知らない専門的な話が多々あり、文脈を含めて調べ物をしていたら時間がかかってしまった。19時になってようやく終わり、メールで送信してアパートを出た。池袋にあるビックカメラに入り、電動歯ブラシを購入していると、Aさんから連絡があった。今晩一緒に飲もうと約束をしていたのだ。

 「古書往来座」のほうに向かって歩いてくださいと伝えて僕も移動し、クラフトビールの店「PUMP」で待ち合わせる。まずはブルックリンラガーで乾杯。うまい。ここのビールは本当においしくて、「僕は今までビールをおいしいと思ってなかったんじゃないか」という気にすらなる。いつもは飲み過ぎないようにと閉店が近づいてから出かけているのだが、今日は早い時間からなので、何杯も飲んでしまう(Aさんに申し訳ない気持ち)。

 そろそろビール以外のものが飲みたくなったところで、店を出る。二人で明治通りを南下し、「コットンクラブ」に入る。途中で仕事帰りの知人も合流した。僕は買ったばかりの電動歯ブラシのことを思い出して、取り出して自慢する。「今使ってるヤツがあるじゃん」と知人は言う。いや、コンセントを見ると、海外の電圧に対応してなかったんだよ。でも、最新型のヤツなら対応してるし、性能も上がってるんじゃないかと思って――そう返事をすると、「バカなんじゃないの?」と知人は言った。

 Aさんは話が呑み込めないといった様子で、「え、海外に持って行く意味がわからないんですけども」と言う。いや、電動歯ブラシのほうが磨けてる気がするから持っていくんです、ちなみに歯間や歯周ポケットを水圧で掃除するジェットウォッシャーも持っていきますよと答えると、「知人さんの言う通り、バカなんじゃないですか」と笑われてしまった。でも、ほら、歯科医も薦めてるしと反論するも、「そんなの、正しいブラッシングを身につければいいだけの話でしょう」と一蹴されてしまった。すっかりしょぼくれた気持ちになり、アパートへと戻った。


9月26日

 来月上旬に刊行する『Firenze,2013』の告知をするべく、HB編集部公式サイトのアップデートを試みる。が、ログインしてみると画面が真っ白だ。何をどうすればいいのかわからず、Googleで解決策を検索してみたけれど、どうにも専門的でわからない。あれこれ調べて手を加えてみたものの、夕方になってもどうにもすることができなかった。これはダメだとあきらめて、表の日記で告知することにした。

別の仕事――仕事というかチリの日記の構想を練っていると、知人から「案外早く帰れそう」と連絡がある。それならばと切り上げて、高田馬場駅前にある「みつぼ」に出かける。知人は刺し盛りが食べたいというけれど、僕は刺しが苦手だ。一人で食べるのなら頼んでもいいけどと言うと、「むしろ嬉しいけど」と知人は刺し盛りを注文し、一人でパクパク食べていた。


9月27日

 土曜日だが、知人は職場の引っ越しがあり出かけていった。お昼に納豆とオクラ入りのうどんを食べて、チリの日記のことを考える。ふとインスタグラムを見ると、今日は池袋西口公園でふくろ祭りが開催中だと知る。せっかくなので池袋に出かけ、屋台で生ビールを購入して祭りを冷やかす。僕は今日まで祭りの存在を知らなかったけれど、結構な人出だ。明日は神輿も出てもっと賑わうとのこと。15分ほどぶらいて駅近くのドトールに入り、1時間半ほど仕事をした。

 帰り道、駅前の「GAP」に入ってみると、全品40パーセントオフのセールをやっている。10日後から出かけるボスニアの気温を調べると、昼は20度近くあっても夜は5度以下だったりする。これはピーコートだけでは防寒できないかもと不安になり、この機会にセーターを購入する。ほくほくだ。ところで、店内には或るカップルがいた。ずいぶんファッションに差があるなと思っていたけれど、たまたま近くを通ったときにビジネスライクに会話しているのが耳に入った。ひょっとすると、少し前に話題になったレンタル彼女だったのかもしれない。

 家の近くにあるクリーニング店にも寄り、預けていたピーコートや知人のジャケットなどを引き取る。自宅で21時過ぎまで仕事をして、今日も「PUMP」でビールを飲んだ。結構な頻度で通っているけれど、常連ぶるのは店に迷惑だろうし何よりダサいので、ひとりで出かけても特に店員さんに話しかけることはなかったし、それを察してくれたのか店員さんもあまり話しかけないでおいてくれた。今日は初めて少しだけ会話をした。「ビール、お好きなんですか?」「はい」という、ほんの短い会話。


9月28日

 朝9時に起きると、1通のメールが届いていた。その人からそんなメールが届くのはとても珍しいことで、一体何が起きているのだろうとそわそわした気持ちになる。お昼ごはんにオクラと納豆入りのうどんを食し、チリの日記のことを考える。18時、少し早めの夕食としてカレーライス(中村屋のレトルトチキンカリー)を食べていると、知人から「疲れたからもう帰る」とメールが届く。新事務所のペンキ塗りをしたり荷造りをしたりして、クタクタになったようだ。

 何が食べたいのかと訊ねると、「馬場バル」のトムヤム水餃子だというので、一緒に出かける。僕はワインをデキャンタで1つ、知人は生ビールを2杯飲んだ。今日は早めに切り上げてアパートに戻り、「アメトーーク」の3時間SPを観る。僕はこれで3度目の鑑賞なので、コメンタリーつきで再生したのだけれど、知人はとても迷惑そうな顔をしていた。


9月29日

 朝8時に起きる。午後、池袋へ。「小指の思い出」ゲネプロを観るべく、東京芸術劇場プレイハウスへと出かけた。劇場に入った瞬間に、その広さに圧倒される。こんなに広い場所でやるのか――。13時半、ゲネプロ開始。ここで上演するために作られていたのだから当然だけれども、稽古場で観たときよりも圧倒的に良い。小屋入りしてから演技や演出が熟成されたということももちろんあるのだろうけれど、ビジュアルとして、このサイズで映えるようにすべてが設計されていたのだなと感じる。終演後は劇場で時間をつぶし、19時、本番を観る。2階席の最前列のチケットを購入していたのだけれど、バンドの姿まで含めて全体が見渡せて良い席だった。そして、本番を観て、ようやくこの劇が描こうとしていることに触れられたような気がした。

 この作品の音と言葉について、何か書いておかなければならないと思う。

 『小指の思い出』は、僕にはミュージカルのように思えた。もちろん「ミュージカル」と評されることは本人にとってすごく嫌なことだということもわかっているのだけれど、この作品における音と言葉のあり方は、新しいミュージカルであるようにも思えたのだ。

 今回の舞台では青葉市子、Kan Sano、山本達久の3人が役者と同じ舞台に立ち、毎日生演奏をしている。普通に言えば「劇伴」ということになるのだろうけれど、そこで鳴らされている音は「劇伴」とはずいぶん違っている。「伴奏」という言葉を辞書で引くと、「楽曲の主要旋律・主要声部を補強する目的で付加された副次的声部。また、その声部を演奏すること」と出てくる。藤田作品においてはよく大きなボリュームで音楽が流されるが、それは台詞を「補強する目的」で使用される「副次的」なものではなく、ときには台詞が聴き取れないほどのボリュームで演奏されているのだ。

 この「台詞が聴き取れない」ということにも、いろんなケースがあり得ると思う。たとえば、横浜の赤レンガ倉庫でマームとジプシー「塩ふる世界。」を観たときのこと。その公演は会場が圧倒的に広く、その上で大きなボリュームで音楽が流されるために、台詞はほぼ聴き取ることができなかった。役者たちは何とか台詞を響かせようと声を張り上げるせいで、それまでのマームが育んでいた音が崩れてしまっているように僕は感じた。あれは2012年の2月のことだ。あの経験は、その後の作品づくりに大きな影響を与えたはずだ。

 小さな会場であればともかく、どうやって大きな会場に立ち向かうのか――その壁にぶつかったときに彼らが出会ったのが、『小指の思い出』で音を担当しているzAkだ。今回の舞台では、音のトータルのバランスが、マイクを通した役者の声も含めて、zAkの手によって微細に調整されている。つまり、そこでもし台詞が聴き取りづらい箇所があるとすれば、それは「役者の声量が会場の規模に負けている」わけでも「音楽に台詞がかき消されている」わけでもなく、そのシーンでは「音と言葉が溶け合っている」のだ。

 藤田貴大は、稽古中にこんな話をしていた。

「僕の世代っていうのは音楽に溢れた環境で育ってるし、広い会場でのライヴにも慣れてると思うんだよね。別にミュージカルをやるわけじゃないけど、普段音楽を聴いてる人たちが観に来たとき、『これは音楽としても成立してるね』っていうことをやりたいと思ってる」

 音楽を聴いているとき、私たちはどんな意識でいるだろう。僕の場合は、必ずしも歌詞の意味を追っているわけではなく、音を音として追っていることがほとんどだ。洋楽であればなおさらそうだ。そういえば、昨年のマームとジプシーによるイタリア公演の際に、藤田貴大はこんなことを役者に話していた。

「僕はJポップってあんまり聴けないんだけど、それはすごく意味がつきまとってくるからだと思うんだよね。だけど、Jポップでも『これは聴けるな』っていうものもあるし、洋楽でも『これは聴けないな』っていうものもある。これは技術的な問題ではたぶんなくて、言葉もわからないのに聴けちゃうっていうのは、何を言ってるのかわからないってことが楽しいんだと思う。そう考えると、なんかすげえわかんないことを、すげえわかんない言葉でやられてるんだけど、それでも観れちゃうってこともあると思うわけ」

 ただ、こういう言い方をすると、ある誤解をされるかもしれない。「じゃあ何、『言葉の響きとして美しい』みたいな話ってこと?」と。言葉の響きとしての美しさはもちろんあるだろうけれど、もちろん、それだけを見せようとしているわけではないだろう(『小指の思い出』を観ていればわかるように、音と言葉が溶け合っている場面もあれば、言葉が強くある場面もあるのだから)。

 最初に僕は、『小指の思い出』は「新しいミュージカル」だと書いた。「新しい」とつけたのは、こうした言葉のあり方とも関係している。もちろん僕はミュージカルに「古い」とか「新しい」とか言えるほど演劇に詳しいわけではないけれど、ミュージカルにおける台詞というものは、もっと確固たるものとして存在しているはずだ。台詞が聴き取れないボリュームで音楽が流れていれば、それは失敗と見なされるだろう。そこで台詞は、言葉は、もっと確かなものとしてある。でも、『小指の思い出』における言葉は、もっと不確かなものとしてある。それは野田秀樹の言葉が不確かだとか、役者の台詞回しが不確かだなんて意味では当然なくて、藤田貴大という演劇作家にとって不確かなものとしてあるのではないかということだ。僕は、今回の上演にむけて再編集された「小指の思い出」の台本を見せてもらったことがある。これは藤田貴大の文章に共通することだが、そこには句点が溢れていた。言葉は、、、、大量の句点で、、、、、区切られて、、、、いたのだ。「僕は昔から音読が苦手で、点で区切らないと言葉が頭に入ってこない」――そんな話を藤田はしていた。

 不確かだから言葉は不要だということではない。台詞が無意味なものとして扱われてるわけではないし、不確かな言葉は往々にしてリフレインが加えられもする(それは本を読んでいるときに、気がつくと同じ行を何度も繰り返し読んでいる状態に似ている)。ただ、藤田演出の舞台においては、音や照明などが言葉を支えるためにあるわけではなく、音と照明と言葉が等しくあるということだ。観客に物語の起承転結を伝えるために上演がおこなわれるわけではなく、(今回であれば野田秀樹という作家が描いた物語に触れたときに)藤田が感じた手触りや感情、あるいは美しさのようなものをゴロンとそのまま抽出して観客に体験させるために、上演が行われている。舞台を細かく観ていくと、そこにはたしかに物語が流れているのだが、観客に最初に飛び込んでくるのは、イメージそのものとでも呼ぶべきものだ。

 ただ、そうした舞台を楽しむためには、これまでとは違った観劇のあり方が必要ではないかという気がする。この日、開場を待っているとき、僕の隣にはご婦人達が立っていた。「今日はハンカチ持ってくるの忘れちゃった」「こないだ観たお芝居は涙なしに観られなかったけれど、今日のはどんなお話かしらね」と。あのご婦人たちは、終演後にどんな気持ちになったのだろう。もちろん藤田演出の「小指の思い出」だって、涙なしには観られない舞台だとも言えるが(決して泣かせる芝居ではないが)、プレイハウスという規模で上演することを考えると、やや分が悪いという気がする。

 最近、藤田貴大はしばしば「リフレインというのは別段自分の発明ということではなくて、演劇というものは毎日繰り返されてるわけだから、最初からリフレインしているようなものだ」といった意味のことを言っている(これは僕の印象なので、言っていなかったら申し訳ないけれど)。僕はこの日、『小指の思い出』を2度観たことになるけれど、藤田貴大の演出は何度観ても飽きず、観るたびに発見することがある。音楽のライブは基本的には既に知っている曲が演奏されるのに、それでも退屈に感じることがないということにも似ている。もちろん、すべての人が何度も劇場に足を運ぶということは難しいだろうけれど、そうして何度も味わってもらえる提示の仕方を編み出すことができれば、観劇という仕組み自体を更新できるのではないかと思う。