10月8日

 6時過ぎに目を覚ますと、吸い込む息がずいぶん冷たく感じられた。その冷たさを懐かしく感じながらも、布団から出る気が起きず、1時間近くぐずぐずしてしまう。おい、そんなにぐずぐずしていたら第1レースのパドックを見逃してしまうぞと自分を奮い立たせて、シャワーを浴びて、8時過ぎに家を出た。

 地下鉄で神保町に出て、そこから都営新宿線に乗り換える。日曜朝の地下鉄には乗客の姿は少なく、ゆったり座って過ごせる。終点の笹塚で電車を降り、京王線がやってくるのをホームで待っていると、紀伊國屋書店の入っているビルが目に留まった。まだ大学生だった頃に、笹塚でアルバイトしている友人と一緒にこのあたりを散策した日のことを思い出され、妙にセンチメンタルな心地になっていると、乗客がぎっしり乗った特急電車がやってきて、急に現実に引き戻されたような心地になりつつ、少しでも空いている車両を探して電車に乗り込んだ。

 調布を過ぎると、次は東府中臨時、東府中臨時です、とアナウンスが流れる。京王の特急は、普段は東府中にはとまらず、競馬開催日だけ停車するらしかった。私鉄沿線に暮らしたことがないせいか、この特急、準急、快速などの仕組みがいつまで経っても把握できない。京王線で言うと、京王線と京王新線の違いもよくわかっていなくて、利用するたびまごまごする。

 東府中で競馬場線に乗り換えると、府中競馬正門前駅に辿り着く。東京の東側に住んでいるせいか、中山競馬場に比べると、ずいぶん遠くまで移動してきたという感じがする。改札を出て、正門へと続く陸橋を進んでいくと、左手に広々とした駐車場が見えてくる。すでにびっしり車で埋まっている。その光景を眺めていると、先週の凱旋門賞の中継を思い出す。ロンシャン競馬場の馬場の内側は、駐車場になっているのか、びっしり車が並んでいた。テレビで目にした風景を思い出しながら、陸橋から駐車場を見下ろしていると、軽トラが停まっているのが見えた。パリにも軽トラはあるんだろうか。

 陸橋を進んでいくと、右手にパドックが見えてくる。もうすでに第1レースの馬たちが周回しているのが見えた。少し歩くスピードを速めて、パドックを観にいく。陸橋の上から見たときにも感じたことだが、中山競馬場と比べて、東京競馬場は格段に広大である。パドックの周囲に収容できる人の数も、中山の3倍ぐらいあるのではないか。これまでにも東京競馬場と中山競馬場とに足を運んだことはあったけれど、あいだに何ヶ月も空白期間があったから、東京競馬場に行ったあとで中山競馬場に足を運んでも、競馬場という場所自体の広大さや開放感に気を取られて、その規模の違いというものをあまり意識できていなかった。でも、3週続けて中山に通って、そのサイズに体が馴染んでいたせいか、その広大さに圧倒されたのだった。
 その広大さは、パドックを眺めていても感じられる。中山競馬場のパドックを観ていると、10数頭だてのレースの場合は特に、馬が絶え間なくまわってくる。1枠1番の馬から順に観察し、2番、3番と次々馬がやってきて、最後の馬まで見終えたかと思うと、すぐにまた1番の馬がまわってくる。だからずっと、ぐるぐるまわってくる馬を見続けてしまう。それに比べると、東京競馬場はパドック自体も広いせいか、自分の前を通り過ぎて行った馬は、しばらくの間戻ってこないし、最後の馬が通り過ぎると、しばらく目の前にはどの馬もいない空白の時間がある。その空白の時間があることで、パドックで目にした馬の状態と、競馬新聞とを照らし合わせて、どういうふうに馬券を買おうか考えを巡らす余裕がある。ただ、中山競馬場の、目の前をずっと馬が周回し続け、考えをまとめる余裕もなく頭からぷすぷすと煙が出そうになってくる感じが、どこか懐かしく感じられる。あんまり広大で、熱気が大気に拡散されていく感じがする。

 1レースは2点だけ馬券を買って、パドックの近く、屋外にある「梅屋」で天ぷらそばを買い求め、朝ごはんにする。腹を満たしたところで、今日予約しておいたスタンド3階の指定席にあがる。まだ第1レースとあって、空席のままになっている座席も目立つが、ぼくが予約した席へと階段を降りていくと、隣の席にはもう人が座っているのが見えた。どんな人だろうかと、少し緊張する。この3階指定席は、ひとつのテーブルに対して椅子がふたつ付いているから、ひとりで予約すると、見知らぬ誰かとひとつのテーブルを共有しながら過ごすことになる。それも、第1レースから最終レースまでとなると、6時間以上は一緒に過ごすことになるのだ。席についてみると、隣に座っているのは60歳くらいの男性で、熱心に競馬新聞を読み込みながら印を書き込んでいた。なんとなく安心しながら椅子に腰を下ろし、第1レースが始まるのを待った。隣の男性は、ファンファーレがなっても次のレースの予想に集中していて、ゴール直前にちらりと顔をあげたきりだった。

 第1レースはダートコースで行われたのに対し、第2・第3レースは芝コースだった。ダートだとスタンドからちょっと遠いけど、芝コースはダートよりもスタンド側にあるから、馬が目の前を駆け抜けていく。午前中はまだまだ場内も空いているので、せっかくだから1階のスタンドに降りて観戦した。

 次の第4レースはダートだったこともあり、パドックで馬券を買ったあとで3階の指定席に移動した。すると、空席になっていた右隣のテーブルに、若い二人組がやってきた。席につくなり、ビニール袋から缶チューハイとじゃがりこを取り出して、乾杯している。ほどなくしてレースが始まり、4コーナーをまわって直線に向くと、その若者は「××!」と騎手の名前を叫び始めた。東京コースは左回りだから、馬は左のほうからやってくる。だから、右隣の若者も、左のほうに――つまりぼくのほうに向かって叫ぶ格好になる。若者が何度か甲高い声で叫ぶうちに、耳が痺れてくる。そんなに叫ぶということは、上位争いをした馬に乗っていた騎手だったんだろうかとレース後に出馬表を確かめると、その騎手が乗る馬は上位に食い込んではいなかった。少し嫌な予感がしたけれど、この第4レースは自分の馬券が当たっていたので、あまり深く考えることもなく、馬券を払い戻しに行った。

 第4レースは11時35分発走で、次の第5レースは12時25分発走である。それ以外は大体30分間隔でレースがあるので、ここでお昼ごはんを――と誰しも考える。だから飲食店にはどこも長蛇の列ができている。特にラーメン屋あたりには、第4レースが始まる前からすでに列がのび始めていた。ラーメン、焼きそば、カレー、パスタと、いろんな飲食店があるけれど、個人的に気になっていたのは長崎チャンポンの「みまつ」だ。他の飲食店に比べて、看板やメニュー表がゴテゴテしていなくて、昔ながらの佇まいという感じがする。多少並んだとしても、あそこのチャンポンにしようと店に向かうと、並びの飲食店はどこも行列ができているなか、すぐに買い求めることができた。

 スタンド内のテーブルはどこも塞がっていたので、外に出て、花壇のへりに腰掛けてチャンポンを啜る。魚介の出汁が濃厚なスープが「ミルキー」と形容されることがあるが、ここのスープはミルクスープのあじを彷彿とさせるミルキーである。実際に牛乳を使用しているかどうか、それを判別するだけの舌なんて持ち合わせていないけれど、遠い昔に友人からプレゼントされたスープのレシピブックに載っていた、白菜とベーコンのミルクスープの味が思い出された。

 食器を返却し、第5レースのパドックを観て馬券を買い、3階の指定席に戻る。この第5レースでも、右隣の若者は騎手の名前を連呼していた。あまりにやかましいので、いちど視線を向けると、少し静かになっていたが、次のレースのパドックを観ているあいだもずっと、耳鳴りが続いていた。

 ここぞというレース、大きく賭けたレースで思わず叫びたくなる気持ちは、わからないでもない。でも、わざわざ3階のスタンド席を予約しておいて、毎レース大声で叫ばれると、これは困る。遠く離れた座席で叫んでいるならともかく、すぐ隣である。そんなに毎レース叫びたいのであれば、1階でやってくれよと言いたくなる。1階のスタンドで騎手の名前を叫べば、本人に届くこともあるだろうが、3階のスタンドから届くこともないだろう。

 右隣のやかましさとは対照的に、同じテーブルを共有している男性はずっと、黙々と競馬新聞を読み込んで、レースが終わると(おそらく)パドックに出かけ、馬券を買ったあとに喫煙所に寄り、タバコの香りとともに席に戻ってくる。そしてまた、黙々と次のレースの予想に入る。馬券が当たったのか、それとも景気づけなのか、途中で1杯だけ生ビールを飲んでいた。

 やがてメインレースの時刻が近づいてくる。あれだけ広々としていたパドックも、人で埋まる。というよりも、通路が広めにとってあるせいか、あるいはパドックを見る観衆向けに階段状になっているエリアが限られているせいか、中山競馬場に比べると「立錐の余地もない」というわけでもないのに、人混みでパドックが見えなかった。1階から見るのは諦めて、2階に上がると、どうにか隙間を見つけることができたので、そこからパドックを見ることにした。

 今日のメインは、毎日王冠である。厳しいローテーションにも関わらず、春にヴィクトリアマイルと安田記念を連勝したソングラインが一番人気で、その馬体は光り輝いて見えた。競馬仲間の友人から、毎週パドック診断を求められているので、「ソングラインが圧倒的にかっこよく見えます」と送ると、「画面上でもそう思うぐらい光ってた!」と返信があった。もう一頭よく見えたのは、去年のマイルチャンピオンシップでも馬券に入れていたジャスティンカフェで、筋骨隆々とした馬体に圧倒された。開幕週の綺麗な馬場だけに、この日の芝コースは先行馬が粘るレースが目立っていたけれど、ソングラインを1着、ジャスティンカフェを2着に固定して、3連単を6点(600円)買うことに決めた。今日になって今更気づいたのだが、パドックを眺めていると、とにかく大柄な馬に惹かれてしまう。

 生ビールを買って、3階の指定席に戻り、ゆったりした気持ちで発走時刻を迎える。毎日王冠と聞くと、1998年のサイレンススズカと、その翌年のグラスワンダーが思い出される。その2頭の印象からか、それとも「王冠」という名前の響きなのか、毎日王冠と聞くとどこか気高い感じがする。その毎日王冠を現地で観戦しているというのは、不思議な感じがする。

 ゲートが開く。ポーンと飛び出したのは、3連単で3着に入れておいたウインカーネリアンだった。おお、よしよしと思うと、2着に予想したジャスティンカフェが一頭出遅れている。まあ差し馬だし、横山典弘なら最後方からでもどうにかしてくれるだろう――そう思っていると、右隣の若者たちが「出たよ、ノリ、またポツンだよ」と笑っているのが聴こえてくる。最初に競馬中継を観た記憶があるのは、1996年の天皇賞・春で、サクラローレルに乗っていたのは横山典弘だった。若者たちがどこか小馬鹿にするように話すのに少し苛立ちながらも、レースに集中する。

 4コーナーをまわって、直線に向く。まだ先頭はウインカーネリアンだ。そして、ジャスティンカフェはまだ一番後ろにいた。そこから大外に持ち出し、横山典弘が手綱を動かして追い始めると、じわりじわりと上がってくる。まだ鞭は飛んでいなかった。府中の直線は長く、もしかしたら届くんじゃないかと、ぼくの視線はジャスティンカフェにが釘付けになった。残り250メートルあたりで、ようやく横山典弘の鞭が飛んだ。その瞬間、ずっと黙々と予想を立て続けていた隣の男性が、「ノリ、来い!」と画面に向かって叫んだ。同じテーブルを共有するその男性は、眼下に広がるターフではなく、テーブルに設置されたモニターを食い入るように見つめながら、そう叫んだ。その瞬間に、どういうわけだか胸が一杯になった。

 残り200メートルを切ると、内を突いて先頭に立った馬や、その外側から並びかける馬、大外から駆け上がってくる馬、進路を探してぶんまわしてくる馬と、横いっぱいに広がった。競馬場で観戦していると、こうして馬たちがドーッと突っ込んでくる姿に圧倒されて、どこから伸びてくるのがどの馬か、判別できなくなってしまう。ただ、大外に持ち出したジャスティンカフェは、隣の男性客の叫びも届かず、鞭が入ったあたりで足が上がってしまい、7着に沈んだ。

 レースが終わると、隣の男性客は荷物をまとめて去っていった。さっきまで男性が食い入るように見つめていたモニター画面には、毎日王冠のリプレイ画面が映し出されていた。ビールを飲みながら、ぼくはひとり、その映像をじっと見つめていた。