10月3日

 7時過ぎに目を覚ます。ツアーが始まる頃から毎晩酒を飲んできて、ここ数日は夜市でお土産に買ったワインをかぱかぱ飲んで酒量がさらに増えているせいか、体がずーんと重く感じる。これは……さすがに休肝日が必要だ。ソファに寝転がりながら、インタビューのことを考える。ちょっと慎重に質問を考える。ツアーの最終地で、N.Aさんにインタビューしたときのことが頭をよぎる。「この土地に滞在しているあいだに話を聞かせてもらいたい」とお願いしてあったものの、なかなかタイミングが見つからず、滞在数日目の24時頃に「このあとでもよければ」と連絡をもらって、宿舎の談話室で話を聞かせてもらった。これまでNさんには何度となく話を聞かせてもらってきたけれど、その日のインタビューは「ああ、これはよくないインタビューだ」と、話を聞いている段階から反省させられるものだった。それは、ひとつには深夜だったので僕が酒を飲んでいたせいもあるけれど、これまでだって飲んだあとに話を聞かせてもらったことはあるから、それだけが理由ではないだろう。ツアー最終地でのインタビューとあって、観客であり聞き手である自分も、舞台上で巻き起こっていることをしっかり見抜いた上で話を聞かなければと気負ってしまっていたせいで、僕の見立てをもとに話を聞く、という展開になってしまっていた。インタビューの途中で、「すいません、今日のインタビューはあんまり良いインタビューとはいえないので、もしも時間があれば改めて後日」とお願いして、翌日に改めてインタビューを収録することになった。なるべく相手の内側にある言葉を引き出せるように、引き出せるようにと注意を払いながら話を聞かせてもらったので、二度目のインタビューはとても良い内容になった。収録後、Nさんも、「昨日、橋本さんが『今日のインタビューは聞き方がよくない』ってずっと言ってて、そんなことないよって思ってたけど、たしかに今日のほうがちゃんと話せた気がします」と言っていた。そのことをうっすら思い返しながら、質問リストを作る。

 今日は焼きそばの気分だったが、12時近くになって近所の八百屋に行ってみると、まだ全然商品が並んでいなかった。踵を返し、セブンイレブン新福菜館のラーメンを買ってきて平らげる。金延幸子『み空』を聴きながら電車に乗り、13時57分、千駄ヶ谷にあるYさんのアトリエに行ってみると、もう写真家のKさんは到着していてアイスコーヒーを飲んでいる。アトリエの扉は開け放たれている。僕がiPadだけ手に持っている姿を見て、「あれ、橋本さん、お住まいはこの近所なんですか?」とKさんが言う。ふたりとも舞台『c』をご覧になっていたので、その話を少ししたあと、制作日記に向けてお話を伺う。こうしてYさんに話を伺うの久しぶりだという感じがする。取材が終わったあと、レイアウトの話になって過去の記事を開いたYさんが、ああ、制作日記でKとAちゃんと一緒に都内を巡ったのは3年前の10月でしたね、と言う。もうそんなに経つのかと、不思議な感じがする。不思議な感じばかりする。

 アトリエをあとにして、明治通りを歩いて新宿に出る。花園神社あたりで分岐する明治通りの、東側のルートにバイパス(?)を通すようで、大規模な工事をやっているところだ。甲州街道との交差点まで出てみると、すっかり風景が変わっていることに気づく。このルートを北上してきて見える風景といえば、光麺、マンボー、そばやという並びとして記憶に残っているけれど、目の前にあるのは山下本気うどん、テナント募集中、回転寿司という並びだ。あとでGoogleストリートビューを確認すると、そばやは2020年2月の時点で閉まっていて、光麺とマンボーも去年5月には姿を消している。コロナ禍になって、いかに自分が街に出ていないかを痛感させられる。新宿の光麺にはいちども入ったことがなかったけれど、それでも妙に寂しさを感じるのは、池袋や高田馬場の店舗をたまに利用していたからだろう。僕が上京した2002年ごろはラーメンブームで、いろんな雑誌やムックでラーメン特集が組まれていて、そこで名前を知っていたラーメン屋が、自分が暮らすことになった高田馬場に店舗があって、ちょっと夢を見ているような心地で最初に入店した日のことが記憶に焼き付いているからだろう。田舎町に生まれ育ったせいもあって、メディアで紹介されているお店に散歩がてら出掛けられるということに、まだ現実感がなかったのだと思う。

 ディスクユニオンに入り、ええとワールドミュージックのフロアはとエレベーターの表示を確かめて、4階に上がる。ペレス・プラードハリー・ベラフォンテを1枚ずつ聴いただけだけれども、なにかそのあたり、もっと昔に遡って聴いてみたくなった。ただ、右も左もわからず、どれから買えばよいのかわからない。とりあえず「ソノ」の棚を眺めて、戦前の録音のものを探してみる。いくつか目に留まったものがあるけれど、「これはサブスクで聴けるやつなんだろうか……?」と、棚の影でこそこそ検索してしまうのが我ながら情けない。そんなこと気にせず買えばよいのだけれども、サブスクでは聴けないものも膨大にあるのだろうから、買うならそっちにしたいと、そんなことを思ってしまう。

 スーパーで買い物を済ませて、17時過ぎに千駄木まで帰ってくる。団子坂から空を見上げると、うろこ雲が広がっているのが見えた。帰宅後はCDをパソコンに取り込んで、さっそく『Septeto Nacional De Ignacio Piñeiro』から聴き始める。アルバムの説明書きには「現代キューバ音楽及びサルサのルーツになったソンの全盛期を代表するグループ」「1927年に結成され、現在までキューバを代表するグループとして活躍する」とある。楽器の名前を何にも知らないから何の音と書けないけれど、ちゃかぽこした音が響く。こここここと、しばしば小刻みに連打される。どういうタイミングが連打のしどころなんだろう。そして、歌詞カードはまったくついていなかったけれど、歌詞として歌われているのはどんな内容なのだろう。音を純粋に聴けばいいじゃないかと言われればその通りなのだけれども、文化的なというのか、背景にあるものに触れたくなる。そういえば中南米マガジンってその後どうなったのだろうと検索してみると、今年の夏には30号発刊記念ライブが開催された情報が出てきて、その継続的な取組に頭が下がる思いがする。

 久しぶりの休肝日で、夜が物足りなく感じてしまうかと少し不安だったけれど、聴いている音楽のせいかそんな気にもならず。かぼちゃの煮物と、カブと油揚げの炒め物を作っておいて、20時ごろに帰ってきた知人と晩ごはん。「よくそんな普通に日常に戻れるね」と知人が不思議そうにしている。知人もこの秋本番があったけれど、それ以降はうまく日常生活に戻れなくて、惣菜を買ってきて食べる気にしかなれないらしく、ツアーから帰ってきて1週間経った段階で料理をしている僕のことを不思議そうな目で見ている。

 知人は発泡酒、僕はソーダストリームで作った炭酸水にポッカレモンを垂らして飲みながら、録画したテレビ番組を観る。酒を飲んでいないのだから当たり前だけど、1時間、2時間たっても意識がはっきりしたままだ。録画してあったドキュメントJ『還らざる日の丸~復帰50年 沖縄と祖国~』を観る。おそらく5月に沖縄で放送されたドキュメンタリーなのだろう。1987年の海邦国体の際に、読谷村ソフトボール会場で日の丸を燃やした男性をめぐるドキュメント。日の丸のもとに集団自決が起きた戦前の記憶と、戦後のアメリカ統治下の時代に平和で民主的な国家に生まれ変わった祖国への復帰を願って日の丸を振った時代と、その期待が裏切られた復帰後と。その男性は楚辺通信所の軍用地の地主でもあり、土地の使用期限延長を拒否したものの、土地は強制的に使用が継続され、その2年後には国会で改正駐留米軍用地特措法が成立し、地主の同意がなくとも使用ができることになってしまう。ドキュメントの終盤に、その法案が施立した日の国会の様子が映し出される。傍聴席で憤りを示す男性や反対者の様子を、遠巻きに、ぼんやり眺める国会議員の姿が忘れられない。僕もその時代に生きていたはずだけど、その国会議員と同じような感覚しか抱いていなかった。自分がそんなふうに傍観してしまっている土地や人は、膨大にあるのだろう。

10月2日

 知人は朝から仕事に出かけていく。コーヒーを淹れて、「S・I」の原稿を練ったり、競馬の予想をしたり。お昼にサッポロ一番塩らーめん(近所の八百屋は日曜定休なので、余り物の豚肉だけ焼いてのっけた)を平らげたのち、整理しないまま放置していたブルーレイディスクたちを一枚ずつ確認し、なんの番組を焼いたものか確かめて、中身をラベルに書き、放送時期順に並べた上でファイリングする。これがなかなか時間のかかる作業で、今度からはすぐに整理するように心がけたい。整理しているうちに15時になり、競馬中継をつける。パドック本馬場入場の映像を確かめて、馬が興奮している様子もないから、1着と2着はどう考えてもメイケイエールとナムラクレアだろうと確信し、三連単を8点購入する。レースが始まってみるとナムラクレアは5着、メイケイエールはまさかの14着。故障したのかと心配になるほどの失速ぶり。夜はカブと油揚げの炒め物をつくり、『オールスター後夜祭』の録画を観ながら晩酌をする。

10月1日

 8時過ぎに目を覚ます。朝から知人が「お散歩行く?」と何度か言うので、なにか展覧会でもやっていないかと調べてみる。ああそうだ、東京ステーションギャラリーでやっていた東北へのまなざし展が気になっていたんだったと調べてみると、25日で終了していた……。東京に戻ってきた日が最終日だったらしく、ちょっとそれは、観に行けなかっただろうなと諦める。昼、知人の作るトマト缶とサバ缶のパスタを平らげる。ビールも飲んだ。間違って録画されていた『報道ステーション』に三遊亭円楽のことが取り上げているようだったので、消す前に再生する。「死神」の下げの部分だけ放送されたので、気になり、YouTubeで検索して晩年の談志による「死神」を視聴する。もどかしそう。ビールを飲んだせいか、知人は眠ってしまって、散歩に行こうって言い出したのにと腹が立ち、置いたまま家を出る。有楽町をぶらりと散策し、Bluetoothスピーカーを物色する。音の感じを確かめてみたいと思ったものの、いろんな音が鳴っている家電量販店では確かめようがなかった。15時、根津のバー「H」へ。以前、ここで「露口」の話をしたことがある。この秋から始めるつもりの取材で、松山に何日か滞在し、もし受けてもらえるなら取材をしてみたい、と。その「露口」が閉店すると、数日前にSNSで情報が流れてきた。「仕方ないことですけど、昭和の店がなくなっていきますね」とHさんが言う。ほどなくして知人もやってくる。Hさんの言葉を反芻する。継ぐ人がいなければ、店は消える。どうにか存続させることだってできるけれど、それは「昭和の店」ではなくなるのだろう。仕方のないことだとは思う。どこかの老舗が、SNSで「レトロだ!」とバズって繁盛したとしても、それがお店の存続なのかどうか。同世代の誰かのSNSで、大人数で老舗に押しかけ、写真をパシャパシャ撮って載せているのを目にするたび、違和感をおぼえてしまう。

 バー「H」では、いつもハイボールばかり飲んでいる。Hさんがもともと働いていた銀座の「R」でもハイボールばかり飲んでいた。それは、坪内さんから「ハイボールが美味しい店」として教えてもらって、坪内さんもハイボールばかり飲んでいたから、それに倣って基本的にはハイボールばかり飲んでいた(坪内さんは「この店ではこのお酒を飲む」というのが決まっていた印象がある)。ただ、棚にはずらりと国内外のウィスキーが並んでいることだし、ハイボールをカパカパ飲むと19時過ぎには眠ってしまうので、2杯目はジントニックを、3杯目は「なにか『これ!』というウィスキーがあれば、それをストレートで」と無茶な注文をして、グレンモーレンジィの18年を出してもらう。わかりやすい派手さはないけれど、たしかにおいしい。店を出て、「ベーカリーミウラ」でパンを買って帰途につく。出前館で「老酒舗」の出前を注文して、アントニオ猪木の動画を探して眺めながら晩酌をする。偉大なレスラーだということはわかった上での話ではあるけれど、自分がプロレスに興味を持ったのはG-EGGSやTEAM2000の頃だったせいか、なんだか引っ掻き回す人という印象がどうしても残っている。ワインをかぱかぱ飲みながら頬張っていたせいで、結局のところ20時には眠ってしまう。

9月30日

 7時過ぎ、ヘリコプターの音で目が覚める。こんな朝からヘリが飛んでいるなんて、なにか大きな事件か事故でもあったのかとニュースをつけてみても、特にそんな情報は見当たらない。フライトレーダーのアプリを起動してみると、東京上空に数機のヘリが飛んでいる。中にはずっと都心の上空を旋回し続けている機体もある。しばらくすると、それぞれ別の航路を飛んでいたヘリがひとつの方向に収束し、西に向かって飛んでいく。ああ、国葬に関連して来日していた要人が、次の目的地に向かうところだったのかと、しばらくして気づく。

 8時、テレビでは朝ドラの最終回が始まる。与那国島で第一話を観てから、もう半年経ったのかとびっくりする。最終話もすごい展開だ。

 正午近くになって、Amazonから荷物が届く。注文していたPerez Pradoの『Mambo Mania』と、中島みゆきのデビュー作から5枚目までのアルバム。ツアーに同行している途中で、デビューアルバムを聴く機会があって、ちょっとこれはじっくり、ひとりで、歌詞を見ながら聴きたいと思っていた。ただ、中島みゆきの曲はまったく配信されていないようだったので、まとめて買おうと、とりあえず5枚目まで注文したのだった(自分はあれだけCDを買ってきた世代だというのに、しかも、そういうものにお金を払わなければと思っているほうだというのに、「配信されてないから買う」という感覚を抱いたことに、自分で驚いた)。

 昼はサッポロ一番塩らーめんを平らげて、CDをパソコンに取り込む。夕方までに「S・I」の原稿を完成してメールで送信して、17時半には中島みゆきを聴きながら晩酌を始める。『私の声が聞こえますか』。すごいタイトルだ。

9月28日

 おととい、紀伊國屋書店で問い合わせた本というのは、湯浅学さんが編集した『洋楽ロック&ポップス・アルバム名鑑』という全3刊の本だった。昨日のうちには届いていたものを、さっそくぺらぺらめくってみる。最初の1冊は1955年から1970年のアルバムが網羅的に取り上げられている。全然音楽に詳しくないこともあって、ほとんどが知らないアルバムだ。名前は知っているけど、全然聴いたことがない人もいる。1950年代のアルバムの中で、気になったのがPerez Pradoという人のアルバムだった。解説によればマンボを世界的に広めた功績者らしいのだけれども、そのアルバムはApple Musicに入っていなかった。ただ、誰かが勝手にアルバムごとYouTubeにアップロードしたものがあったので、とりあえずそれを再生してみる。ああ、これがマンボか、と腑に落ちる。腑に落ちるのはどういうことだろうと思ったら、ヴァラエティ番組でよく耳にしたことがあるからだ。

 ウィキペディアを参照すると、日本での演奏は「1940年代後半の占領期に進駐米軍への慰問興行を行ったサヴィア・クガート楽団が最初とされる」とのことで、「米軍キャンプ内ではラテン系の音楽が人気を博し、当時同じくキャンプ回りをしていたハナ肇とクレージーキャッツは当初はキューバン・キャッツと名乗っていた」という記述が目に留まる。なるほど、そういう系譜があって、日本のヴァラエティ番組でよく使われていたのか。勝手に「ヴァラエティ的なBGM」という色眼鏡をかけてしまっていたけれど、こうしてアルバムを聴いてみると、こんな音楽を聴きながら酒を飲んだらさぞ楽しいだろうなという感じがする。ウィキには「マンボは1930年代後半にキューバで流行していたルンバにジャズの要素を加える形で作られ」たとの記述もあり、ではルンバとはと検索すると、こちらは近年では「アフロ・キューバンダンス」として理解されつつある、と書かれてある。そのキーワードでYouTubeを検索すると、もうちょっと民族的なというか、大地の胎動を感じさせる、路上の音楽がヒットする。音楽として面白いというのはわかるけど、自分にはそういった音楽の胎動にシンクロできる感受性がないなと思う。このアフロ・キューバンダンスが路上の音楽だとすれば、マンボはカフェやクラブで演奏されている音楽だという感じがする――と、そうだとすると、田舎者の自分はそんな場所にも根っからは馴染めないのではないかという気もしてくる。ひとしきり聴いたあと、こちらも本に収録されていたハリー・ベラフォンテのアルバムを再生すると、知人がその曲を口ずさみ始めてびっくりする。その曲がとても有名な曲だと、あとになって知った。

 昼はニラとねぎと豚肉を炒めて、サッポロ一番塩らーめんにのっけて平らげる。これからドキュメントを書き上げる上で、生活のリズムを作っていかなければならない。自宅で仕事をしていた知人は、ジャニーズのコンサートを観に出かけてゆく。ひとりなら飲みに出ようかとも思ったけれど、今日は電車に乗る気力が湧きそうにないので、自宅でひとり晩酌をする。照明を暗くして、窓の外を眺めながら、音楽を聴く。こうやって夜を過ごすのも悪くないけれど、それならいっそ、レコードプレーヤーでも買って、毎晩最初の1杯はレコードを聴きながら飲む――なんてふうに過ごせたら楽しいだろうなあ。そんなことを夢想して、今日の昼間、知人に何度か「レコードプレーヤー買ってこようかのう」と言ってみたけれど、「どこに置くんよ」と一蹴されてしまった。たしかに、レコードプレーヤーはともかく、レコードを置けるスペースはあんまりなさそうだ。

 何枚目かのアルバムとして、エルヴィス・プレスリーと、ファッツ・ドミノを聴いた。その2枚に、どこかうっすらと通底する甘さを感じる。その甘さ、スウィートさは、酔っ払いの頭で連想するに、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』にもどこか通じているような気がするから、50年代的な要素もあるのだろうかと、ぼんやり考える。と、そこまで考えたあたりで知人が帰ってきたので、YouTubeであれこれ再生しながら晩酌を続ける。その「甘さ」から思い出されたのは、亀和田さんの『1963年のルイジアナ・ママ』で、原曲の「ルイジアナ・ママ」と、飯田久彦がカバーした「ルイジアナ・ママ」を聴く。飯田久彦の右に立つ、黒っぽいスーツを着こなす男性の、最小限の動きで踊る姿に、知人が「おしゃれ」と感動している。

9月27日

 8時前に目は覚めたのだが、体を起こす気になれず。珍しく知人のほうが先にばっちり目を覚ましていたので、資源ゴミを出してもらう。「ワインのボトル、どうすん」と聞かれ、ああそうだった写真に撮っておこうと布団から這い出し、写真を撮る。コーヒーを淹れて、パンを焼き、朝食。N.Aさんから届いていたLINEに返事を送り、「S・I」ドキュメントの構想を練る。ああそうだと思い出し、国葬関連の番組を録画予約しておく。

 12時過ぎに家を出る。千代田線で新御茶ノ水駅に出ると、九段下駅は帰省中だとアナウンスが流れている。外に出るとヘリコプターの音。古書会館の前に出ると、いつも一回の受付にいるOさんが表に出てきて、街の様子を眺めている。会釈して通り過ぎ、角を曲がると、駿河台下の交差点が見える。国葬反対のデモが通り過ぎるところで、最後尾を警察車両と警察官が慌ただしく取り仕切っている。ちょうどお昼時とあって、路上を行く人たちは喧騒をぼんやり眺めている。すずらん通りの入り口にできていたプリン屋の店員さんはガラス玉のような目になっていた。向こうに解体工事を待つ三省堂書店が建っている。久しぶりの東京堂書店で『散文の基本』、『私の文学史』、『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』、『勝負の店』、それに『釧路湿原文学史』(これは、次の次ぐらいに北海道をテーマに取材したいと思い始めているので、それに向けた準備として)、ナタリーア・ギンズブルグ『不在 物語と記憶とクロニクル』を買う。

 ナタリーア・ギンズブルグという名前はまるで知らなかった。普段は海外文学をほとんど読まないけれど、帯の文言――「夫は獄死、家は空っぽ。かつてことばが『魔法』だった少女は作家になり、悲痛と希望を生きる物語を書き続けた。20世紀イタリアの『最も美しい声』、精選37篇。」が気になったのと、副題の「物語と記憶とクロニクル」は自分にうってつけだと思ったのと、ここ数日でイタリアに巻き起こっていることが――それに対してイタリアの友人たちがSNSで態度を表明していることが思い出され、買うことにした。今こうして日記に書くために、あらためて本を手に取ってみると、5600円+税と書かれていて、だからあんなに会計が高かったのかと今更気づかされる。本を買うときは値段を見ないようにしている。

 13時過ぎ、そろそろお昼のお客さんも引き始めている頃かと「ランチョン」に上がってみると、窓際の席は埋まっている。またあとで来ますと伝えて階段を降りて、靖国通り沿いの古本屋を冷やかす。「わ、ほんとに本屋ばっかり!」と言いながら通り過ぎていく若者がいた。九段下が近づくにつれ、「靖国通りはこの先、通行止め」とアナウンスが聞こえてくる。通行止めとなる九段下の交差点には相当な数の警察官が動員されていて、交差点の向こう側、一階にセブンイレブンのあるビルのあたりではデモの参加者が集まっているのが見えたけれど、8月15日に比べると静かに感じる。

 13時45分、「ランチョン」に戻ってみると、ちょうど窓際の席が空いたところだ。ビールとメンチカツを注文。メンチカツが揚がってきたところでビールを追加して、半分食べたところでもういちどおかわりする。ドレッシングがよく売れていた。道ゆく人を眺めながら、どんな文章ならあの人に読んでもらえるだろうかと空想する。新御茶ノ水から丸ノ内線で池袋に出る。途中、赤坂見附四ツ谷のあいだだけ猛烈に混んだ。三省堂書店ジュンク堂書店をはしごしてみたけれど、Twitterで見かけて気になっていた『Sessionの本 国葬とは何か/宗教と政治』は見当たらなかった。戌井昭人『厄介な男たち』のサイン本だけ買って、古書往来座を覗き、帰途につく。

 19時半、知人の帰りを待って晩酌。まずは『もう中学生のおグッズ』の録画を再生する。この1年、毎回楽しく観ていた番組。テレビ朝日の深夜枠に放送されていて、その放送枠では定期的に総選挙がおこなわれている。その結果がよければ放送枠が繰り上げられるとあって、ぼくも、知人も、めずらしくその手の企画で1票を投じていた。投票フォームには投票理由を記入する欄もあったので、「バラエティの新しい形を感じるから」と、率直に書いて送信した。でも、その『おグッズ』は人気で下位になってしまったらしく、今日未明の放送会で最終回を迎えてしまった。かなしい。いつか第二部が始まると信じたい。

 それを観終えたところで、『ワイド!スクランブル』の録画を観る。元総理大臣の自宅から、遺骨が運び出されるところが中継されている。そんなに骨に価値を見出すのかと、不思議な心地がする。国葬に遺骨は必要だろうか。国家儀礼でそんなふうに扱われる遺骨がある一方で、ないがしろにされている遺骨が存在していることを、どう考えればよいのだろう。スタジオにいるジャーナリストの後藤謙次が、出迎えにきた車を見て、この車を手配したというのは岸田さんの配慮だろうと言っていて、何を言っているんだこいつはと白々しい気持ちになる。政治の世界において必要な「配慮」というのは、そんなことなのか。何より、遺骨が出発するところを中継し、そこから先はヘリで追っている番組に対しても違和感を抱く。もちろん報道し記録する必要があるのは間違いないけれど、スタジオの温度が、この儀式に対してべったりしている。

 驚いたのは、遺骨を乗せた車が防衛省を経由したこと。車が私邸を出発するときに儀仗隊――そんな部隊が存在することすら知らなかったけれど――が見送ったことにも強い違和感をおぼえたけれど、それにも増して違和感をおぼえる。遺骨を、ひとつの省庁にだけ経由させるということが儀礼として持つ意味を考えたときに、それが防衛省だということに気味の悪さを感じざるを得ない。テレビでは解説員が「国論を二分するなかではありましたけれども、戦後の日本の安全保障を、賛成派から見ても反対派から見ても大きな節目となる転換点ということになりましたので、そういった経緯も踏まえて、こうした見送られ方が調整された」と説明していたけれど、「国論を二分」するような問題だったにもかかわらず、遺骨を防衛省を経由させるという行為が、特に問題視されることもなくまかり通っていることに愕然とする。もし20年前であれば相当な問題になっていたのではないか。その、感覚の変化におそろしさをおぼえる。

 センスということで言えば、菅義偉が「友人代表」として挨拶していたことにも愕然とした。なんだそれは。官房長官として支え、後任として総理大臣を務めた人間が、国葬において「友人代表」として挨拶する。メロドラマの世界だ――と雑に書くとメロドラマに失礼になるけれど、この10年、政治の世界が人格や友情みたいな感覚で語られることに気色の悪さを感じている。その最たるものが「友人代表」という肩書きだ。政治の世界は、あくまで政策とその功罪で語られるべきだろう。もちろん田中角栄のように、その人格と政治家としてのありようが深く結びついている人もいるだろうけれど、そんなタイプの政治家はもう出てこないのではないかという気もする。国葬がこれだけ問題視されているなかで、「友人代表」なんて肩書きでのうのうとスピーチができるのは、一体どういう神経をしているのだろう(ただ、世間の反応を見ると、そこに対して違和感を感じている人はいないようだから、余計におそろしくなる)。友人代表としてなにかを語るのであれば、自分の金で銀座の焼き鳥屋でも貸し切って追悼するべきではないのか。友人という言葉も、追悼という言葉も、ずいぶん軽いものに思えてならない。

9月26日

 3時過ぎに目が覚める。オレンジジュースが飲みたくなって、夜のコンビニまで買いに出る。こんなふうに好き勝手に過ごせるのは久しぶりだなという気がする。旅が終わってしまったんだなと感じて、少し寂しくもある。オレンジジュースと一緒に、雑誌の棚に並んでいた『BRUTUS特別編集 音楽と酒。』というムックも買ってくる。すぐに二度寝して、8時過ぎに目を覚まし、そのムックを読む。音楽を聞かせるバーがいくつも紹介されていたり、そのお店の方の話が掲載されたりしているのだけれども、なんだろう、どこか壁を感じてしまう。いろんな音楽に触れたいという気持ちは、今、自分の中にわりとあるのだけれども、たとえば「最初は『音楽を聴いている人がいるんで、よろしくお願いします』って柔らかいんですが、度重なるとふざけるなって感じになるわけです」「今ではお客さんが連れに『しーっ!』ってやってくれます」という言葉を読むにつけ、自分がそこで過ごすことを想像できない。どんなお店の形態であれ、やかましい客がいると腹立たしくなるというのに、なぜだろう。

 おととい新千歳空港で買ったワインが届く予定になっているが、午前中は知人が自宅で仕事をするというので、風呂に湯を張り入浴する。北海道で滞在していた宿はいずれも部屋にシャワーがなく、大浴場に行くほかなくて、他に誰もいなければ湯にも使っていたのだけれども、垢すりをしてみるとぽろぽろ垢が落ちる。昼、大阪・千とせが監修した肉うどんが売っているというのでセブンイレブンに行ってみたけれど、もう売り切れてしまっていた。カップヌードル(シーフード)のビッグサイズを買って、湯を注いで帰ってくる。

 夕方になって新宿に出る。紀伊國屋書店がリニュアールオープンしたのは、調べてみると5月下旬のようだけど、その頃にはもう密着取材に入っていたこともあって、訪れるのは今日が初めてだ。一階の新刊と雑誌のフロア、以前はわりと通路が狭くて、人と行き違うのが少し億劫だった印象があったけれど、広々とした配置に生まれ変わっている(そうなると、「なんだかスカスカした感じがするなあ」なんて思ってしまうから、勝手なものだ)。Amazonでは在庫ありとなっていた本があるのだけれども、せっかくなら書店で買いたい(そして一刻も早く読みたい)と思っていたので、店頭で在庫があるか問い合わせてみる。残念ながら在庫はなく、Amazonで注文しておく。

 大ガードのほうに進んでいくと、かつて百果園だった場所に新しいお店がオープンしている。ネオ居酒屋系というのか、屋台風のお店(店名にも「屋台」という文字が入っている)で、あたらしくオープンするお店でこういうテイストのところが増えているなあと思う。そこを横目に通り過ぎて、ガードをくぐり、思い出横丁へ。17時ちょうどに「T」の前に出ると、まだ開店準備中で、「ちょっと待ってね」とマスターが言う。少し横丁をぶらついて「T」に戻り、サッポロとつくねを注文する。ここを訪れるのもずいぶん久しぶりだ。またどっか取材行ってたの?と尋ねられ、「あちこち行ってて、ここ半月は北海道に行ってました」と返すと、何、またなんか消えそうな場所があったの、とマスターが笑う。他の誰かに言われたら傷ついたかもしれないけれど、この場所で店を切り盛りしているマスターに言われると、たしかにそういう場所にばかり目が向いているなあと素直に思う。実際、この5ヶ月取材していた演劇というのも、終演時刻を迎えた瞬間に消え去ってしまうものだ。

 瓶ビールを2本飲んだあと、チューハイと韓国海苔チーズを追加する。こうして外で飲んでいると、東京に帰ってきたのだと実感する。ツアーに同行している期間は、基本的に外食を控えるというルールが課されていた。そんなルールが課されていなくたって、いつも外食には慎重になっていたけれど、こうして外で、ひとりで酒を飲むのはずいぶん久しぶりだという感じがする。たのしいなあと思うのと同時に、平民金子さんがときどき書いている、酒場という文化圏にまつわる話が頭をよぎる。仕事帰りに酒場に寄って金を遣うということは、ある意味で特権的なことかもしれないし、特にサラリーマンの文化として捉えた場合には、家を守ってくれている女性に強いているものが膨大にある上で成立してきた文化なのだろうなあ、と。結婚もしていなければ、こどももいない自分は、もうすぐ40になる今ものんきに暮らしている。

 一時期はまったく見かけなかった外国人観光客とおぼしき方達がたくさん行き交うようになった。その光景をぼんやり眺めながら、流れてくる音楽をぼんやり聴く。音楽に詳しくないぼくは、それが誰のなんという曲なのかわからないし、教えてもらおうとも思わないけれど、気分が良くなってくる。「音楽と酒」というと、自分の中で思い浮かぶお店のひとつがここだ。小一時間ほど経ったところで他のお客さんがやってきたので、少し経ったところで会計をお願いして、お店をあとにする。時刻は18時、ちょうど新宿3丁目「F」がオープンする時間なので、ハシゴ酒。ここもまた、「音楽と酒」で思い浮かべるバーだ。

 酔っ払った帰り道、地下通路に警察官がふたり立っていた。そんな場所に警察官が立っているのを初めて見た。何をそんなに、という言葉が浮かんでくる。