水納島再訪

 ひっそりと宣伝を。

 7月7日発売の『群像』から、短期集中連載が始まります。タイトルは迷いに迷いましたが、ふと編集部から「再訪記」という言葉を提案いただき、「再訪」ということはここ7年ぐらい自分の中でテーマになっていることでもあり、タイトルは「水納島再訪」となりました。沖縄県北部、本部半島沖に浮かぶ水納島をめぐるルポルタージュです。2015年の春に、マームとジプシーに同行する形で初めて訪れ、それから年に1度は水納島に足を運んできました。水納島には多い年には年間7万人もの観光客が訪れ、「クロワッサンアイランド」とも呼ばれています。観光客のほとんどが海を目当てに島を訪れるのに、ぼくはたまに足を海につけるくらいで、泳ぐこともないのに、なぜか毎年再訪を重ねてきました。それは別に、いつか取材しようと思っていたわけでもありませんが、今年の4月に島に滞在したとき、ふと耳にした一言をきっかけに、「これは本にしなければ」と思い、そこから図書館でひたすら調べ物をしたり、取り寄せた資料を読んだり、再取材に出かけたりとしていたこともあって、日記は書けなくなりました。4月に滞在していたときから「原稿を載せてもらうとしたらどこがいいだろう?」と考え始めて、最初に浮かんだのが『群像』でした。『群像』とは、同誌がリニューアルされてから何度か原稿依頼をいただいていて、その窓口になってくれていた編集者の方は、僕が構成を担当した、坪内さんの『総理大臣になりたい』の担当編集の方でした。先日、「旅」という小特集が組まれて原稿のやりとりをしたときに、「新しくなった『群像』という場で何か書いていただきたいと思っております」と書き添えてくださっていたことを思い出し、たぶん難しいだろうなと思いつつも相談してみたところ、すぐに引き受けてくださって、原稿を練り始めて、今に至ります。そこで書いていることは、水納島という小さな島の話であり、沖縄の話ではありますが、いろんな場所に通じる話でもあると思っています。

5月27日

 6時過ぎに目を覚ます。トイレに行こうかと思ったものの、一階から父と母の声が聴こえてきて、今2階のトイレに行って流すと「もう起きとるで」とふたりが話すんだろうなと思うと、しばらく我慢する(結局10数分後に行くのだけれど)。8時過ぎに一階に降りて、たまごかけごはんだけ平らげる。昼、母の作る生姜焼きを平らげたのち、山陽本線に乗って出かける。電車にはそこそこの乗客。広島で壁線に乗り換えて、緑井駅に出る。駅からすぐ目の前に、「フジグラン緑井」というショッピングモールが建っていた。

 14時25分、映画『ファーザー』観る。104キャパの劇場に、観客は7人だけだった。映画館でもビールの販売は中止になっていて、ダイエットコークを飲みながら観た。友人のF.Tさんがいわきでこの映画の話をしていて、それは観ておかなければと思い、平日の広島だと空いているだろうと思って観にきたのだが、実家でひさびさに両親と対面したあとに――しかも加齢が進んだ感じを目の当たりにしたあとに――観るにはシビアな映画だったかもなと思いつつも、やっぱり「自分なら、目の前に老いた親がいたとして、どんなことを書き残しうるか?」という思考回路しか持てないことに気づかされる。そして、そのことをFさんは言っていたのだった。

 せっかく郊外のショッピングモールにいるのだからと、しゃかしゃかした素材のハーフパンツを探す。部屋着として着るぶんにはしゃかしゃかした素材のほうが(特に夏場はドライな感じがするので)好みなのだけれども、上京したころから履いてきたハーフパンツは擦り切れてしまった上、都会だとあまりその素材のハーフパンツを見かけないので、ここぞとばかりに探す。が、ノーマスクでソフトクリームを舐めながら物色する若者たちの姿が目に留まり、ここに長居はできないなと早々に退散する。広島駅まで引き返し、改札を抜けると、駅前ビルのASSEが跡形もなく消失していて唖然とする。その中に入っていた「みっちゃん」という店で何度となくお好み焼きを食べてきたし、そこに入っているフタバ図書で高校生のころは本を買っていた。

 呆然としたまま市電に乗り、中電前へ。ライブの前にお好み焼きを食べるつもりだったけれど、Googleマップで出てくる場所は軒並み休業中だ。そういえば広島にも緊急事態宣言は出ているのだった。何軒か巡ってようやく営業中の店を見つけたものの、やはり酒類の提供は中止している。行政はどういう見地でこんなことをやっているのだろう。この店の店内では、マスクを外したまま、ノンアルコールビールを飲みながら談笑する客の姿があった。問題は――少なくとも問題の核心は――アルコールを提供するか否かではないのだと、この状況を目の当たりにしただけでもわかるのだけれども。いずれにしてもマスクを外して大声で談笑する客がいる空間で過ごす気にはなれないのと、酒が欲しいのとで、テイクアウトで注文。近くのセブンイレブンでビールを2本買って、元安川の川べりで平らげる。

 18時50分、アステールプラザ大ホールへ。今日はカネコアヤノのツアー初日だ。去年の初めごろ、ずっと彼女のツアーを追っていた。そしてそのツアーは2月で中断され、そのままになっていた(だから、ぼくのノートパソコンには、そのときのスタッフパスを貼り付けたままになっている)。あれから1年以上の歳月が流れ、久方ぶりに企画されたツアーが、ようやく実現できるはこびとなった。その初日が広島だと知り、里帰りもかねて、観にくることにした――それが今回の帰省の主な理由である。終演後は物販の販売はないというので、開演ギリギリまで列に並んで、『よすが/ひとりでに』という弾き語りアルバムを買う。

 19時過ぎ、ライブが始まる。最初は『よすが』というアルバムの1曲目から始まった。舞台上には黄色い電球が配置され、バントメンバーを囲んでいる。なんだか夢みたいだ。こんなふうに、ライブで演奏する姿を、旅先で観ることができるなんて――最初の何曲かはそう感じていたけれど、そのうち、「いや、これは夢じゃないんだ」と思い直す。そう、これは夢ではなく、現実だ。こんなふうにホールに集って、舞台上にバンドがいて、歌をうたっていて、それに合わせて体を揺らして過ごすことなんて、もう夢みたいになってしまった今ではある。でも、それを「夢」だと思ってしまわないこと、それが地続きの現実として成立しうるのだと信じることが、とても大切なこと(だと、今舞台に立っている人たちも思っているはず)だと、思い直した。

 実家からこの場所に足を運んでいるせいか、「夜に、こんなふうに街に出ることができたんだな」と、きらきらした心地がする。この日演奏された「かみつきたい」の歌詞なんて、「夜街へ出る」という歌詞がダイレクトに出てくるし、「カウボーイ」も私を連れ出してくれる歌だし、「さよーならあなた」にある「誰かに迷惑かけたくてしかたない」という一行や、この曲につまっている「今」に対するこだわりも、すべてが今で、この瞬間で、大切なことはすべてここで歌われた歌詞に詰まっているという感じがして、圧倒された。終演後は呆然とした気持ちのまま、近くのコンビニで缶ビールを買い、原爆ドームまで歩き、そこから市電に乗った。

 広島駅に到着してみると、カープのユニフォーム姿の乗客が大勢いて、あれ、緊急事態宣言が出てても野球の試合は有観客で開催されているのかと思う(もちろん、自分はたった今、有観客の音楽ライブを観てきたばかりではあるのだけれど)。帰りの山陽本線にも、ユニフォーム姿の乗客はいた。服にウイルスが付着している可能性は捨てきれないので、駅から歩いて帰っていると、22時半に母から電話がかかってくる。まだ帰らんのかと父が気にしていたという。こういうところが実家に帰ると面倒なんだよなあと思いつつ、静かに扉を開けて、帰宅。本当はシャワーを浴びてハンドソープで顔や頭を洗いたかったところだけれど、そんな音を立てるのも億劫になり、顔と頭に消毒液を塗りたくって布団に潜る。

5月26日

 6時過ぎに目を覚ます。コーヒーを淹れて、たまごかけごはんを平らげる。9時過ぎに知人を見送ったのち、洗濯を干し、11時にアパートを出る。千駄木から大手町、三田と乗り継ぎ、羽田空港にたどり着く。大手町には「ワクチン接種会場」と書かれたボードを抱えた人が何人か立っていて、ワクチン接種なんてほんとに始まってるんだと不思議な気持ちになる。三田から羽田空港までの電車はわりかし空いていた。ANAのチェックインカウンターで手続きを済ませ、レストランフロアを歩くと、ラーメン屋さんが目に留まる。カウンターはがらがらだったのと、醤油ラーメンがうまそうだったのとで、入店。「上品」と形容したくなる味だがうまかった。ビールは飲めなかった。

 羽田空港は閑散としている。ゆったりと保安検査場を通過し、飛行機に登場する。よく乗っているジェットスターの成田―那覇便は旅行客が目立つが、ANAの羽田―広島便はほとんどがサラリーマンで、雰囲気がまるで違っている。3人がけのシートの真ん中は空席で、つまりそこそこの混み具合なのに、座席上の荷物を入れる棚は埋まっている。着陸後すぐ移動できるように、荷物を預けずに持ち込もうとする傾向は、LCCとさほど変わらないようだ。機内では原稿を考えたり、資料を読んだり。今日は向かい風が強かったらしく、到着が少し遅れ、荷物が出てくるころにはリムジンバスが出発してしまっていた。仕方なくタクシーを拾い、最寄り駅まで車を走らせてもらう。僕はあまり飛行機で帰省したことがないけれど、兄はわりと飛行機で帰省していたので、僕の運転で兄を空港まで送り届けたこともあった。それぐらいの距離にある場所でタクシーに乗るというのは、なんだか不思議な心地がするものだ。僕が大学生のころなら、ここまで母に迎えにきてもらうこともできただろうけれど、今年で喜寿を迎えた母にそれを頼むのは難しくなっている。

 3000円近い料金を払って、白市駅でタクシーを降りる。「3000円近い料金」とかけばかなり遠い感じがするけれど、田舎道なのでほとんど停車することもなく、あっという間だった。がら空きの山陽本線に揺られ、八本松で下車。母が駅まで迎えに来てくれていた。ただ、車に乗り込んでしまうと、衣服にウイルスが付着している可能性を否定できないので、トランクに荷物だけ載せてもらって、ぼくは実家まで歩くことにする。途中にある古い屋敷が壊され更地になっていて衝撃を受ける。よくよく見ると、駅近くのバイク屋さんも中身が空になっていた。帰宅後、すぐにハンドソープで全身を洗って、車を走らせ隣町の「啓文社」へ。佐久間さんの『ツボちゃんの話』が欲しかったのだけれども――これは朝の羽田空港でも探したのだけれども――僕の生まれ育った田舎町では見つけることはできなかった。

 帰宅後、ほどなくして夕飯の時刻になる。母の作るカレイの煮付けをツマミつつ、自分で買ってきたキリン・ラガーを3本飲んだ。母が祖母(母方の祖母)に夕食を食べさせに行っているあいだ、父がぽつりぽつりと話す。父さんもじゃけど、母さんも最近はぼけてきよる。庭の剪定には毎年××万かかりよる。これが払えよるのは、正直なところ、ばあちゃん(母方の祖母)の年金があるから。父さんも、毎日草刈りやら草むしりやらしよるけど、あと何年続けられるか、まだ元気じゃけどね――そういう話を聞きながら、自分はひとでなしだなあと思う。そういう話を聞いても、なんといえばいいのか、家族愛のような感情から自分の未来を思い描くことができずにいる。大学に入り直したり、院まで行ったり、しかも兄と違って就職していないことを考えると、実家に帰って両親の面倒を見やすいのは自分なのだろう。でも、僕はそのことをあまり現実的に考えていないし、現実的に考えていないことに気まずさをおぼえているわけでもない。

 しかし、今年で76歳になった父も、70歳になった母も、歳をとったなと思う。父も食卓につく姿勢が悪くなったし、母も食べ方が少しこどもっぽくなったような気がする。5年後、10年後はどうなるのだろう。もしも自分がここに数年間帰らざるを得ないとしても、それは介護という必然性よりも、その時間をもとにどういう原稿を書けるかということにしか思考が進まないことに、ふと気づく。知人も近しい問題を抱えており、ふたりとも数年間実家に帰ったとしたらどんな生活が可能なのか、お互いの実家はどれくらい離れているのかを調べながら、Zoomで回線を繋ぎ、画面を共有しながらバラエティ番組を観る。離れていても、こんなふうに同じ映像を見ながら笑って酒が飲めるのは素晴らしいことですねと、1年遅れで思う。

4月25日

 昼、知人の作るトマト缶とサバ缶のパスタを食べながらビールを飲む。赤ワインもグラスで1杯だけ飲んだ。午後は書評を練る。17時過ぎにアパートを出て、森下を目指す。公演は中止が決まったが、稽古場での作業も続いている。今日は途中までの流れをやってみるつもりだから、よかったら稽古場にきませんかと誘われていた。台詞はまだほとんど発語されていなかったけれど、途中までの動きを見せてもらった。こうして稽古場に足を運んでみると、集団の大変さをひしひしと感じる。ぼくは基本的にひとりで行動しているから、誰かと会話することもないし、気を遣う範囲は限られている。でも、集団だと大変だ。皆も相当神経を使って過ごしているのだと思う。稽古場の片隅にはPCR検査キットがたくさん用意されてある。

 20時に退館し、皆で地下鉄の改札をくぐる。電車を待っているあいだ、「やっぱり橋本さんも、公演が中止になって残念だと思う?」とA.Iさんに尋ねられる。3月にAさんとFさんの対談を収録したときに、去年の初夏に公演が中止になったときの気分を語ってもらっていたのだ。少し考えてから、「5月に観れなかったことはもちろん残念ではあるけれど、それで作品が立ち消えになったわけではないのだし、扱っているテーマがテーマだけにまだ考えるところは山のようにあるだろうし、また別の作品との兼ね合いで続いていくこともあるだろうから、そういう意味では全然残念だとは思ってないです」と率直に答える。そこからあれこれ話したいことはあったのだけれども、森下から小川町まであっという間に着いてしまって、皆と別れて地下鉄を降りる。乗り換えを待っているあいだに、さっきAさんに話したことはFさんにも伝えるべき言葉だなと思い、LINEで送る。こんな日にその言葉を聞けてよかったです、と返信が届く。

4月24日

 目を覚ますと、グループLINEで企画「R」の戯曲が届いている。これまではぼくが先に「ドキュメント」を書いて渡し、その上でFさんが戯曲を書くという流れだったけれど、「最後はぼくが先に戯曲を渡して、そこからドキュメントを書いてもらって、それを呼んだ上で最終的な上演のことを考えたい」とFさんが言うので、戯曲を先に書いてもらった。それを読んだあと、書評検討本を読んでいるうちにお昼になる。昨日ライブの現場についていた知人を労うべく、サッポロ一番味噌ラーメンを作る。もやしと長ネギとひき肉をピリ辛に炒めてトッピングし、さあ食べようというところでFさんから電話。麺が伸びてしまうけれど、この電話はなんとなく折り返す電話ではない気がしたので、出る。上演するはずだった劇場が、緊急事態宣言を受け閉鎖されることに決まって、物理的にも上演ができなくなったとの報せだった。まだ役者の皆にも言ってなくて、これから話すところなんですけど、先に橋本さんに伝えておこうと思って、とFさんが言う。

 電話を切り、ラーメンを啜る。15時ちょうどに根津のバー「H」に入ると、すでに先客が2組いた。ふたりで入店すると、チャームとして塩豆と柿の種をそれぞれ小皿に盛って出してくれていたけれど、今は塩豆をそれぞれに出してくれる。2杯飲んだところで店をあとにし、知人と別れて地下鉄で国会議事堂前に出る。国会図書館で調べ物をするつもりだったのだけれども、土曜日は閉館時間が早い上に、事前に予約した人しか入館できないようだ(平日の場合、16時以降は予約なしで入館できる)。無駄足だったなとすごすご引き返し、書評検討本を読んだ。

4月23日

 昼はひたすらテープ起こしと構成を進める。M&Gの公演を振り返る対談企画、作業が滞ってしまっている。16時に仕事を切り上げアパートを出る。いよいよ緊急事態宣言が出ることになりそうなので、その前に行っておかなければと、久しぶりに高円寺「C」へ。開店と同時に入り、ハートランドを注文してごくごく飲む。客席のあいだにアクリルパネルが設置されていた。ここ2、3日はめっきりお客さんが減りましたとKさんが言う。ビールをあっという間に飲み干して、冷や酒(白牡丹)を飲んでいると、ひとり、またひとりとお客さんがやってくる。最近は20時以降になると駅前で飲んでいる若者が大勢いる、という会話が聴こえてくる。「テレビなんかつけると、出歩いてる若者が『我慢しろって言われても、私たちの時間は今この瞬間しかないから』とかって言ってるけど――最近の若い連中は辛抱が足らんな」。そんなことを言っている男性は、マスクも外して大声で話している。日本酒をぐびぐび2杯飲んで、またきますとKさんに伝えてお店をあとにする。

 中央線で移動し、新宿3丁目「F」へと階段を下る。ここはマスクをしているお客さんが大半だ。ある記事について、Hさんから話を聞く。ある書き手が知り合いに連れられこのお店を訪れ、自身が取材しているテーマについて話を聞けないかと思っていたものの、その日は年の瀬ということもあってお店は混雑しており、話を聞けなかった――と書いていたのだという。我が身を振り返り、自分はそういう非礼をやってしまっていないだろうかとそわそわする。20時にお店を出て、新宿3丁目を歩く。20時以降も営業を続けると決めているお店もちらほらあって、驚いたことにそんな店の前に行列ができている。飲食店ならわからなくもないが、酒場に行列を作るということに驚く。よほど開店のいい立ち飲み屋ならともかく、何時間後に空くかもわからない席を待って、スーツ姿の人たちが並んでいる。中の様子を伺うと、何事もなかったかのように楽しげな時間が流れていた。

 今日は中野サンプラザでカネコアヤノのワンマンショーが開催されている日だった。本当なら去年の4月に開催されるはずだったものが、延期に延期を重ねて、1日2公演に振り分けることでようやく実現に漕ぎ着けたものだ。ぼくの記憶の中では、去年の公演のチケットを押さえていたつもりで、この日のライブを観るつもりでいたのだけれども、今月に入って過去の申し込み履歴を確認したところ、チケットをとった形跡はどこにも見当たらなかった。「どうにか見せてもらえませんか」と連絡するのはさすがに図々しく、今年の初夏のツアーがあるんだからいいじゃないかと自分に言い聞かせてきた。今日はどんなライブだったんだろう。昨日のライブのことを思い出す。途中で演奏された「自問自答」で、「脳内映像をビデオにダビングして 夜中に一人で酒飲みながら見よう」という箇所を、「脳内映像をブルーレイにダビングして 夜中に一人で赤ワインを飲みながら見よう」と歌っていたことを思い出し、コンビニで赤ワインのボトルとプラカップを買って、それを飲みながら歩いて帰途につく。

4月22日

 9時過ぎにアパートを出て、千代田線に乗る。他の乗客と肘が触れるほどの混雑で、どうしてこんな時間の電車に乗らされているんだろうかと少し腹立たしくなる。車内は湿度が高いのかゴーグルが曇る。乗り換えた都営新宿線はガラ空きだった。9時50分ごろに森下駅に到着し、稽古場に向かう。そこにはもうAさんがいて、稽古場の扉を開け放ち、空気を入れ替えている。ほどなくしてFさんもやってきて、FさんとKさんの対談を収録。1時間きっちりで収録を終えて、Kさんを見送ったあと、FさんとAさん、そして制作のふたりと小部屋に移動する。Aさんが窓という窓を開けている。緊急事態宣言が出るであろうなか、5月に予定している公演がどうなるのか、説明を受ける。まだ決定しているわけではないけれど、これまでのときと同じように、政府が決めたから公演中止というふうには考えたくなくて、上演するにしても中止するにしても自分の中で納得のいく形にしたい、とFさんが言う。中止になるかもという不透明な状況の中で作り続けるのはほんとうにしんどい、と。橋本さんはどう思うかと尋ねられたので、個人的には緊急事態宣言が出ようが出まいが、感染症対策をどこまで施せるかでしかないと思っていると答える(それは公演をおこなう側の観点としての話ではなく、公演を観に行ったり、どこかに出かけたりする側の観点として)。今日の朝まで、絶対公演なんてできないんじゃないかと思ってたけど、橋本さんの話を聞いてたらできるんじゃないかって気がしてきた、とAさんが言う。

 アパートに戻り、テープ起こしに取りかかる。昨日のうちに終えるつもりだったテープ起こし、腹を下していた影響でまったく手をつけられなかったので、仕事が滞っている。16時半に仕事を切り上げて、本駒込から南北線に乗り、市ヶ谷で都営新宿線に乗り換える。人身事故の影響でダイヤが乱れているようだ。数分待ってやってきた電車は、駅に到着するたび、運転間隔調整のためにとしばらく停車したままでいる。「なんで笹塚なんて人が多いとこで飛び込むんだろ」。高校生の女子が言う。「最後に人気者になりたかったんじゃないの」と隣の男子が言う。思わず振り返り、じっと見る。頭の中をいくつか言葉が駆け巡るも、ふたりの姿をただ見ていた。新宿三丁目で電車を降りて、無印良品ビックカメラで買い物をして、新宿駅に急ぐ。

 改札をくぐり、山手線のホームに向かうと、ここも人身事故の影響で止まっている。これはいかんとすぐに改札を抜け、タクシーを拾って「渋谷まで」と伝える。Googleマップで検索すると、o-eastに到着できるのは17時58分と開演ギリギリだ。明治通りは渋滞しているようで、赤く表示されている。明治通りをまっすぐ進むより、北参道から参宮橋方面に向かったほうが渋滞を回避できるとGoogleマップが言う。運転手さんが「明治通りをまっすぐでよろしいですか」と聞いてくれたので、あの、参宮橋のほうを経由してもらえますかと伝えておく。パソコンを広げて仕事をしていると、「あ、参宮橋だと、今の交差点で右でしたね」と運転手さんが言う。引き返すわけにもいかないので、再度Googleマップを確認する。それでも明治通りを直進するより、原宿駅から代々木公園のあいだの道を抜けたほうが早いと常時されている。「最終的にBunkamuraのあたりに行きたいんですけど、明治通りから渋谷駅前を経由すると混みそうなので、NHKのほうから向かってもらえますか」と伝える。しばらく進み、原宿駅を過ぎたあたりで、「えっと、ファイアー通りからでいいですか」と尋ねられる。さきほど伝えたのはそのルートではないけれど、運転手さんが知っている道を進んでもらったほうが間違いないだろうと、そのルートでいいですと答える。またしばらくパソコンで仕事をしていると、「すみません、ここ右折できませんでしたね」と言う。顔を上げるとスクランブル交差点で、ここは24時間右折禁止だ。交差点を通り過ぎて、バスターミナルのあたりでタクシーは停まり、運転手がメーターを止める。なにやらナビを操作している。「もう、こちらのミスですから、お代はここまでのぶんで構いませんので、ちょっとUターンする道を探しますね」と運転手が言う。時刻は17時56分、開演は4分後だ。今の状況を鑑みると、定刻通りにライブは始まるだろう。いやもうここでいいんでおろしてくださいと伝えて、渋谷の街を走る。ほんまに何してくれとんねん、となぜだか関西弁が浮かんでくる。ほんまに、何してくれとんねん!

 会場にたどり着いたのは18時4分だった。受付で連絡先などアンケートに記入し、消毒して検温を受け、ドリンク代を払う。中からはもうギターの音と歌声が聴こえてくる。今日は向井秀徳アコースティック&エレクトリックのライブだ。向井さんがステージに立つのは、1年以上ぶりのことだ。その久方ぶりのライブに無事当選し、チケットを発券してみると、なんと最前列の13番だった。ほぼ中央の席である。バーカウンターでチケットを缶ビールと交換し、いそいそと席に向かう。あれは何曲演奏したあとだったか、「会場で演奏するのはお久方ぶりぶりなんですけど」と、話を始めた。酔っ払って興が乗るのでもなしに(珍しくお酒を飲んでいなかった)、あんなに長く話す場面はパッと思い出せないので、とても印象的だった。

「2020年、わたくしは何をやっていたかと申しますと、何もやってないんですね」。ぽつりぽつりと語り出す。ステージ上での語り口と、普段の語り口の中間のような感じだった。助詞や語尾の揺れをいつも以上に感じる。「そういった期間の中に、ずーっと地下室にいるわけだ」と語りつつ、その期間にギターの練習とか曲作りをすればいいのに、まったくせず、軽くギターを拭いたくらいだった、と続ける。この一年、どんなふうに過ごしているのかまったくわからなかったけれど、そんな状態だったのかと、あらためて驚く。「構えた銃口の先に誰かターゲットがいないと、まったくやる気が出ない」「ひとりで地下室で、静かなる内部爆発を繰り返しながら、気づいたら腐乱死体となって発見されるみたいな、そういう状況」。向井秀徳的な語りといえば語りで、会場からは笑いも漏れていたけれど、その言葉の重さに固唾を飲む。

「山小屋にこもって、誰にも見せることなくカラスの絵を描き続ける、そういう芸術家を純粋芸術家と呼んでいるんですけども、私はそういうタイプじゃまったくないと、はっきり気づきました」。自分は評価をされたい、フィードバックが欲しい、コミュニケーションしたい、ひとりで完結できない、と。MATSURI STUDIOの地下室における時間が「静かなる内部爆発」だとすれば、昨日の時間は騒々しい外部爆発だったのか、いや、騒々しいという言葉も似つかわしくないのだけれども、観客を前に久方ぶりに演奏しながら、自分があがる瞬間をどこか確かめるように、歌っているように見えた。終演後はスタッフの指示に従って、後ろの列から順番に誘導される。渋谷の街に出ると、あちこちで酒を飲んでいる人たちの姿を見かけた。これが話題になっていた路上飲酒か。路上飲酒が批判されていると知ったときは、なんでそんなことを批判されなきゃならんのかと思っていたけれど、これはぼくが思い描く路上飲酒ではないなと思いながら、マスクを外した集団を遠ざけるように歩き、渋谷駅へと急ぐ。