3月24日

 朝から羅臼の原稿を書く。16時過ぎに家を出て、有楽町の交通会館へ。まずは書店をのぞき、新刊が並んでいないかと探してみたけれど、取り扱いはないようだった。先週は日経の書評欄にも載ったのになと思いつつ、交通会館に移転した沖縄の物産品を扱う「Wショップ」へ。新刊ではここに商品が並んでいるお店にも取材しているから、もしよかったらポスターを貼ってもらえないかと相談しようと思ったものの、夕方で買い物客で賑わう時間帯にさしかかっていて店内は大盛況で、ポスターの相談をするどころではなかった。いきなり尋ねていくよりは、先方のよきタイミングで確認してもらえるように、しっかり書いた手紙を添えてお送りするのがよいかもしれないなと、そっとお店を後にする。

 丸の内線と中央線を乗り継ぎ、高円寺に出る。駅近くにある老舗の沖縄料理店「K」を訪ね、オリオンビールアンダンスーを注文する。店内にはいくつかポスターが貼られている。お店の方と少しだけ話をすることができて、とても図々しい話だなとは思いながらも、自分の本を渡した上で、もしよかったら、隅っこにでもポスターを貼っていただけませんかと切り出すと、いいですよ、何枚かもらっていいですか、と言ってくださる。沖縄の人たちにも読んでもらいたいけど、沖縄に関心がある方や、今は沖縄を離れて暮らしている方にも読んでもらいたい(沖縄に関心がある方だけではなく、まちというものに関心があるすべての人に読んでもらいたいと思っているけれど、まずは沖縄に関心を寄せている人たちに届かないことには、その層には届かないという気がする)。

 せっかく高円寺にきたのだからと、「c書房」へ。並びの建物も含めて「長屋」化計画が進行中で、僕がカウンターの端に座ると、その計画で工事を手掛けているのであろう方達が入ってきて、「モヒート」と注文している。「c書房」のメニューにモヒートってあったんだと思いながら、ビールを飲んでいると、店主のKさんが「ポスター、今お持ちですか」と声をかけてくれる。少し前に「ポスターを貼ってくれるお店があれば」とSNSに投稿していたのを見てくださったようで、A3のものを2枚託す。

 中央線で新宿まで引き返す。一瞬改札を出て、思い出横丁を覗いたが「T」は満席だ。すぐに駅に引き返し、山手線で目白に出て、「古書往来座」へ。もう閉店している時間だけど、中にお邪魔させてもらって、ビールを飲んだ。行く先々でWBCの中継を眺めながら、東京に戻ったらセトさんに話を聞いてみたいと思っていた。セトさん的なMVPは誰ですかと尋ねると、それ、面白い質問だねといいながらセトさんは頭を悩ませ、キャッチャーの中村悠平の名前を挙げていた。決勝戦、一癖も二癖もある投手が次々とマウンドに上がったときに、その球をちゃんととり続けられるのはすごいことだとセトさんが言う。もうひとり名前を挙げていたのは山田哲人で、アメリカのキャッチャーは相当な盗塁阻止率を誇る選手で、そこで盗塁を決めることがチームに与える影響は大きいのだと、セトさんが教えてくれた。お店を閉めたあとに法明寺まで歩き、桜を眺めた。

3月22日

 6時に起きて、チェットアウトに向けて荷造りをする。6泊したので、それなりに散らかっていて、少しずつ片付けていく。シャワーを浴びて、8時過ぎに市場界隈を散策する。WBCの決勝戦が始まったところで、今日は平日ではあるけれど、この時間でも営業している酒場もある。いつもお年寄りを集めてセミナーめいた商売をしている店が新天地市場本通りにあって、いつも開店待ちの行列もできているのだが、そこに並んでいるお年寄りたちも、スマートフォンで中継に見入っていた。
 いちどホテルに戻り、10時にチェックアウトし、市場を覗く。取材させてもらった漬物屋さんに寄り、こないだ訪れた羅臼でお世話になったお店宛に、漬物セットを送る。「北海道だと端と端だから、こんなに送料かかるんだって、びっくりしました」と、お店の方が申し訳なさそうに言う。旅行支援のクーポンが6千円以上余っていたから、ここで使うつもりでいたけれど、「市場の引越しで住所が変わって、今申請し直しているところなんです」と店員さん。そういう問題も出てくるのか。美栄橋まで歩き、ゆいレールで空港に向かった。
 空港に到着してみると、空港の建物の外に佇んでいる人たちがそれなりにいる。どうしてこんな場所に佇んでいるのかと不審に思いながら扉を抜けると、長蛇の列ができていた。これまでにも繁忙期にチェックインの行列ができていたことはあった。列ができるのは、いろんな行き先の便があるJALANAである場合が多いので、LCCを利用する自分には関係ないことだと思いながら、3階のチェックインカウンターに向かうと、PEACHのカウンターにも長蛇の列ができていた。旅行客が戻ったとはいえ、この列は一体どうしたことかと思って検索してみると、保安検査場より先のエリアでカッターナイフが見つかったことで、空港の機能が一時的に麻痺しているようだった。
 荷物を預けるための行列に並んで、1時間経ってようやく荷物を預ける。WBCを観ている人が多いせいか、ネット回線はほとんど機能せず、空港のWi-Fiにも繋がらなかった。空港スタッフも「もう9回だって」「大谷が登板したらしいよ」「もう泣きそうなんだけど」と、すれ違うタイミングで囁きあっている。おそらく日本が勝利を収めたのであろう瞬間に、空港のあちこちから拍手が起こっていた。中継を観ていない側からすると、その一体感に少し居心地の悪さをおぼえた。
 普通の航空会社は、手続きが一時的にストップしたことで、新しい出発時刻をアナウンスしている。ただ、LCCは新しい出発時刻をまったく発表しないままだ。荷物を預け終えた時点で、僕が乗るはずだった飛行機の出発時刻から15分が経過している。ただ、他の航空会社は当初の時刻から1時間半ほど遅れた時刻をアナウンスしているから、それくらいは遅れることになるのだろう。今のうちにと、人で溢れかえっている空港を移動し、土産物店へ。残っているクーポンを使い切るべく、ちんすこう、沖縄そば、ジャーキーをごそっと買う。保安検査場を抜け、搭乗口に向かうと、当然ながらまだ搭乗は始まっていなかった。
 お昼ごはんを買いそびれていたので、搭乗口近くの売店に立ち寄る。そこは小さな売店だから、食べ物はあまり売っていなくて、大東寿司とラフテー弁当しか並んでいなかった。大東寿司はボリュームが少ないので、最後の一個だったラフテー弁当を買う。僕の前には東北訛りのお年寄りが数名並んでいて、なんとなくそんな予感はしていたのだが、「電子マネーかクレジット決済しかできないんです」と店員に言われ、商品を棚に戻していた。
 買い物を終えると、ぞろぞろ人が移動している。「MM50便は、搭乗ゲートを96番に変更します」とアナウンスが流れている。階段を降りて、バスで飛行機まで移動する出発カウンターへ。人でごった返しているが、はじっこに空席を見つけ、弁当を食う。1250円もしたが、温めなければまるでうまくない弁当でびっくりする(「温めますか?」とも聞かれなかったし、あの売店にはレンジなんてない気がする)。搭乗ゲートはひとつ隣の95番に再度変更となり、搭乗が始まったのは13時45分ごろだった。最初から時刻をアナウンスしてくれたら、こんなまずい弁当を食べなくて済んだのにと腹立たしくなるが、LCCなのだから仕方がない(とも思うけど、ここ数ヶ月はLCCといっても以前ほど格安でもなくなってきた)。
 成田に到着したのは17時過ぎだ。宿を出て7時間以上経っている。移動だけで一日が終わってしまった。缶ビールを買って、スカイライナーに乗り込んで、パソコンを広げて作業をしていると、「すいません」と、チケットを手にした男性に声をかけられる。僕の席はたしかに確認したから、間違っているはずもなく、相手が勘違いしているのだろうと思いながらも「ここですか?」と自分が座っている席を指さすと、「いや、ここです」と、男性は隣の席を指さす。スカイライナーで通路側の席にまで乗客が入るということは、ここ3年で一度もなかったが、今日はほとんど埋まっていた。日暮里まで引き返すと、桜が満開だ。やなか銀座の「E本店」に立ち寄り、ちんすこうをお土産に渡し、生ビールを1杯飲んだ。

3月23日

 朝から羅臼の原稿を書く。今回は調べ物の部分が入り組んでいないせいもあるけれど、するする書き進められる。途中で休憩がてら、来月上旬の沖縄行きに向けて、宿やレンタカーの手配をしておく。朝のうちに洗濯機を回し、エアコンをつけて部屋干ししていたものの、雨が降っているせいかなかなか乾かなかった。

3月21日

 7時過ぎに目を覚ます。8時過ぎ、「洗濯間に合わんかった」と知人がSNSに投稿して、何が間に合わなかったんだろう、東京では今日雨なのだろうか(しかし、この時間に雨が降り出してしまったのだとしたら、最初から選択に向いてない日なのだから、「間に合わなかった」はおかしいよな)とLINEを送ってみると、どうやらWBCの中継が始まるらしかった。知人はほとんど野球のことを知らないはずだが、こういう層に支えられているものは世の中にたくさんあるのだろうなと思う。

 11時過ぎに宿を出て、のうれんプラザのポートでシェアサイクルを借り、県庁前に出る。リウボウの中の書店を覗くと、僕の新刊は並んでいなかった。マジか、、と思いつつ、タイミングを見計らってお店の方に声をかけ、新刊の案内をさせてもらう。シェアサイクルで58号線を走り、「アクセア」という印刷屋さんに立ち寄って、ウェブから注文しておいたB2サイズのポスターを受け取る。先日ジュンク堂書店にお渡ししたポスター、B2サイズに拡大コピーして貼り出してくださってあったので、そのサイズのものを出力し、届けておく。

 いちど宿に引き返すと、平和通りとサンライズなは商店街の交差点あたりで、タオル屋さんと雑貨屋さんが立ち話をしている。「大谷、大谷って言われてるけど、やっぱりあの四番よ」と、新刊で本を聞かせてもらった雑貨屋さんが力説している。ホテルを出るタイミングでは3対5になり、ちょっともうシビアだなあと思っていたけれど、もしかしたら追いついたのだろうか。シェアサイクルを同じ場所に返却し、今日も「上原パーラー」でネパール風カレーを購入し、ウララに急ぐ。

 「明日も店番やりますか」と、昨日の帰り際にUさんから尋ねられていた。今日は火曜日だから、ウララは定休日だ。ただ、今日は祝日だし、市場ではラジオの公開生放送がおこなわれることになっていたから、市場を目指してやってくる買い物客は一定数いる予感がある。せっかくなら、開いていて欲しい。そう思って、今日も昨日と同じ時間帯で店番させてほしいとお願いしていた。そして、昨日は半分だけ(展示をしている側だけ)あけてもらったけど、昨日「御嶽に関する本ってないですか」と尋ねられ、全部あけておけば売れたかもしれないのにと悔しい(?)気持ちになったのと、雑貨だといくらかわからずアタフタする可能性があったとしても、(昨日はクローズしていた部屋に並んでいる)古本なら値段がわからないという心配もないので、今日はフル営業の形で店番をさせてもらうことになった。

 斜向かいにある建物――かつて琉球銀行が入っていた建物の3階にあるスポーツバーから、野球の日本代表のユニフォームを着た若者たちが、晴れやかな顔で降りてくる。「野球、日本が勝ったんですかね」とUさんに尋ねてみると、「そうみたいです、さっき市場のほうからすごい歓声が聴こえてきて」と教えてくれる。「何かあったら連絡ください」と、Uさんは帰ってゆく。

「『ただのデブ』とか、悪口書いてあるようなTシャツないかな」。小学校高学年ぐらいの男の子が言う。特に太っている子でもなかったが、「そういうTシャツ好きなんだよ」と男の子は言っていた。「9回まで何が起こるかわかんないな」「ほんと野球って面白い」。土産物を下げた若者たちが、しみじみ話しながら通り過ぎてゆく。彼らにとって、沖縄のことを思い出すと、今日の試合が頭をよぎることになるのだろうか。いつだか友人と一緒にRIJING SUN ROCK FESTIVALに出かけたとき、札幌の街角に置かれていたテレビで高校野球の決勝が放送されていて、田中将大斎藤佑樹が投げ合っていた。そのときの光景を、今もたまに思い出す。

 

 スポーツバーから若者たちが降りてくる。戸締りをしているから、店員とその友人たちなのだろう。ひとりは日本代表のユニフォームを、ひとりはおそらくスワローズの緑色のユニフォームを着ている。知人からの情報だと村上がサヨナラ打を放ったということだから、さぞ嬉しかっただろう。5人組は空を見上げながら、「こんな真っ昼間だけど、もう夜明けぐらいの気分だね」と話している。近くのお店の店主が、若者たちに「勝ったねえ」と声をかけている。そうして声をかけている店主は、70代くらいだろうか。なんとなく、若者が切り盛りする酒場(しかもスポーツバーという業態)と、雑貨店の店主とのあいだには、同じ通りに店を構えていても微妙な溝があるのかと勝手に思い込んでいたけれど、勝手な想像だったようだ。

 13時過ぎ、ようやく1冊売れた。接客というものにあまりにも不慣れなせいもあって、昨日はそんなことを考える余裕もなかったが、なるほどこれが「みーぐち」(口開けのお客さん)かと納得する。最初のお客さんが入ると、自分のお店でもないのに「よしよし」という感じがあるから不思議だ。消防局の人たちが連れ立って市場の中に入り、しばらく経って外に出てくる。なにか点検業務があったのだろうか。市場の中から、車椅子に乗ったお年寄りが、後ろから押してもらいながら出てくる。お年寄りはチョコレートのアイスクリームをカップで食べている。今日は車椅子に乗ったお年寄りをよく見かける。市場がリニューアルオープンしたから、久しぶりに行ってみたいというお客さんだろうか。あるいは、普段から結構車椅子のお客さんも多いのだろうか。ぐるぐる歩いているときには目に留まらなかったなと思う。

 平和通りが分岐するあたりの洋服屋さんが、ふたりで通りかかり、「あれ、こっち?」と声をかけられる。今日はここ定休日なんですけど、僕の本も扱ってもらってるから、せっかくだからと代わりに店番してるんですと伝えると、「頑張って売ってね」と励まされる。あとからやってきた親子連れに、「野球の本ありますか」と尋ねられる。そうか、今日はそういう日か。ちょうど店頭に平積みされていた本が1冊売れて空きが出たので、少しでも野球に絡んだ本がないか探してみる。『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』と目が合ったが、さすがにこれではない気がする。沖縄の高校野球を特集した雑誌はあるけど、これは空いたスペースよりひとまわり大きくて並べるのは難しそうだ。結局野球の本はあきらめて、公設市場にきた買い物客が反応するかもと、島豆腐に関する本を置いておく。「橋本君、今日も頑張ってるね」。出前帰りのジャンさんが颯爽と通り過ぎていく。

 こうして座っていると、取材させてもらった古本屋さんたちが棚をしきりに触っていた気持ちが、ほんの少しだけわかったような気がしてくる。ただ、ここだとまず立ち止らずに通り過ぎていく人が多いから、何か足を止めさせるような仕掛けがあったらなと妄想する。「江島商店」の息子さんが、不思議なフレーズが書かれた短冊(?)を掲げていた気持ちも、少しだけ理解できたような気がした。おそらく「山城こんぶ屋」で買い物した帰りだろう、スンシーのかおりがする袋を下げたお客さんがやってきて、これ、ちょっと置いていいですかと床に置こうとするので、椅子を出して置いてもらう。他人に対するやさしさというものが自分の中に存在していたのかとびっくりする。誰かのお店で店番をしていると、角が取れていいかもしれない。

「アイスクリーム食べるの、今年初めてだな」。あざやかなピンク色のアイスクリーム。紅芋でもなさそうだし、何の味だろう。公設市場から出てきた旅行客が、「いいなあ、夏だなあ。夏をもらったなあ」と独り言のようにつぶやく。今日はよく晴れている。角のTシャツ屋さんは、ファミリーマート冷やし中華を買っている。今日は冷やし中華がうまいだろうなあ。Mさんが通りかかり、「あれ、今日あけてるんだ?」と言う。今日は祝日でお客さんも通りかかりそうだから、店番させてもらってるんですと伝える。Mさんは棚の様子を見てまわり、あちこち補充していた。「いろいろ、ありがとうございました」。Mさんが言う。「ありがとうございましたっていうのも変だけど、市場の取材はこれで一区切りだっておっしゃってたから、やっぱり、いろいろありがとうございました」と。僕が市場の取材をすることになったのは、Mさんのふとした一言だった。

「日曜日は通常通り営業をおこないます」。粟国さんの声でアナウンスが流れる。第四日曜日は定休日だが、オープンしたばかりのタイミングだから営業するのだろう。「こうやって本屋に入ると、いくら時間あっても足んなくなるんだ」。高齢の女性の言葉に、東北の訛りがにじむ。何冊か本を買ってくださって、「あれだね、『舞いあがれ』のまんまだね」と、高齢の女性が言う。朝ドラは全然観ていないけど、たしか又吉さんが古本屋で出ていたはずだ。風貌はまるで違うけど、「一見すると物静かなのに、中身は激情型」というところはおんなじかもしれないなと思う。

 「今日、いっぱい売れてる?」向かいのアクセサリー屋さんが、市場の中から出てきた店員さんに声をかけている。「今日はラジオの中継もやってたから、お客さんいっぱいしてました。これが続くといいんですけど」と、店員さんが返すと、「だいじょうぶよ、あなたたちなら」とアクセサリー屋さんが言う。

 「もうあったかいね」
 「むわっとするよ」
 「中が寒過ぎるのよ」
 「うちはクーラーが真上にあるからね」
 「だからよ」

 市場から出てきた鮮魚店の店員さんと生鮮食品の店員さんが、そんなふうに話しながらファミリーマートに入っていく。水滴がついたカップを手にしたお客さんが入ってくる。展示された写真を眺めて、「これ、なんの写真なんですか」と声をかけられる。市場がリニューアルオープンしたばかりなんですけど、4年間も建て替え工事期間があって、その日々を記録した写真です、と説明する。自分が撮影者という言い方ではなく、あくまで店番をしている人という感じで説明したものの、「へえ、それで1月に1回通ってたんですか? 普段は東京なんですか?」と尋ねられ、名乗ってないのになと不思議な感じがする。普段のライフサイクルとしては何をしているのかと聞かれたので、そこに並んでいるような本を書いてます、と伝えると、妙に驚かれる。こちらを知った上で話しかけられているのか、そういうわけでもないのかはかりかねて、ちょっと警戒心が高まる。「このあたりで店をやっている人たちの声って、高齢の方だと、失礼な話、そのうち聞けなくなってしまうから、記録しておくべきだと思うんですよね」。さらに警戒心が高まりつつも、そういう言葉もこの本で書き留めてるんですと伝える。「動画で記録したほうがよい」という旨の話をされ、ちょっと今度、仕事で連絡してもいいですかと、相手が言う。「動画に関しては、僕がやるんじゃなくて、それが得意な人がやればいいと思うんですよね、僕は文章で記録するというのが向いているので」と伝えたのに、名刺を差し出される。店番中でなければ、自分の名刺は返さなかったかもしれないが、名刺を渡してしまう。水滴のついたカップを手に入ってきた段階でどうかと思っていたが、僕の本を買うこともなく、フリーペーパー版を持っていくこともなく、その相手は去っていった。

 17時過ぎ、通りかかった買い物客が「あれ、雨?」というのが聴こえてハッとする。気づけばどんより曇り空だ。アメミルというアプリを確認すると、雨雲が迫ってきている。このまま雨が降り出すと、国際通り側に設置されている棚はびしょ濡れになりそうだ。閉店時刻も近いし、ビニールカーテンの設置の仕方はよくわからないので、はじっこの棚を仕舞い込むことにする。この棚、どうやれば動かせるんだろうなと、いろんな角度から眺めてみる。向かいのアクセサリー屋さんがやってきて、「下のストッパーが下がってるんじゃない?」と教えてくれる。他のお店の方もやってきて、「もう少しオーニングを出したほうがいいんじゃない?」「いや、そんなには降らないはずよ」「オーニングを出すなら、もう少し角度を斜めにしないと、こっちに水滴が落ちてくる」と、あれこれ教えてくれる。旅行客として行き交うだけではわからない感覚に触れたような心地がした。

 17時半ごろにUさんがやってきて、「大丈夫でしたか」と声をかけられる。店番をしながら考えたことをいくつか話す。それと、さっきの名刺のやりとりに関連して、「やっぱり店番してると、拒否しづらいところがありますね」と言うと、「拒否してもらってもよかったですよ」とUさん。昨晩『水納島再訪』に関して言われたことのショックを誰かと話しておきたくて、Uさんに伝える。全然話は別なんですけど、と前置きした上で、ある記者が「『市場界隈』を読んで、あなたの人となりは大体わかりました」と言った上で、あれこれ話しかけてきたので、相手に何かを言われても無言でいたら、そのうち帰っていったそうだ。誰かの人となりがわかることなんてあるのだろうか。

 机の下にお弁当ガラを置いていたのが見つかり、「ここでお弁当食べたんですか」とUさんが言う。Uさんがお店を始めたとき、他の店主たちがそうしているのを真似して、店番しながらお弁当を食べていたら、他の店主から「ふてぶてしい」と言われたんです、と(Uさんが言っていたのは「ふてぶてしい」ではなく、もっと別の言葉だった気がする。そしてこのエピソードはエッセイにも書かれていた気がするけれど、今は仮に「ふてぶてしい」としておく)。ここで食べるのに抵抗なかったですかとUさんに尋ねられて、キッザニアみたいな感覚だったので、と素直に答える。この界隈を歩いていると、お昼時を少しずらした時間帯に、店主たちが店番をしながらお昼を食べている姿を見かけることが多々ある。せっかく代打で店番をさせてもらうのだから、そんなふうにお昼を食べてみたいと思っていたのだ(昨日のお弁当ガラはトートバッグにしまい込んでいたから、ここでお昼を食べたことはバレていなかった)。

 また4月にきますと言って、お店をあとにする。一度宿に引き返し、1冊だけ残っていた新刊とポスターを持って、取材させてもらった洋服屋さんへ。お店の方から、「よかったらうちにポスター貼りますよ」と連絡をいただいていたのだ。それとは別に、数日前になって編集者のMさんから、そのお店宛の献本が戻ってきてしまったと連絡が入っていた。そのあたりのお店は看板を出していない上に、郵便受けもなく、しかもそのお店は最近夕方から夜の営業に切り替わったから、郵便配達員が行き交う時間帯には営業していない。しかも、そこは水上店舗の中にあるお店だから、何百メートルかずうっと「牧志3-3-1」という住所なのだ。

 そのお店に本を届けたのち、「パーラー小やじ」に行き、ビールを飲んだ。勝手に店番をしていただけなので、仕事をしたわけでもなんでもないのに、一仕事終えたような心地がする。ビールを2杯と、日本酒(墨廼江)を2杯。どこか2軒目に流れようと思っていたのだが、定休日だったり混み合ったりしていてどこにも入れないまま、街を彷徨う。テレビではWBCの再放送をやっているようだった。結局どこにも入らないまま、ホテルに引き返し、野球を眺めながら赤ワインを飲んだ。

3月20日

 6時過ぎに目を覚ます。昨日のオープニングセレモニーがどんなふうに記事になっているのかと、地元紙のサイトをのぞいてみたけれど、組合長の挨拶はほとんど掲載されていなかった。あれは誰かが書き起こしてウェブにあげ、誰でも全文読めるようにしておくべき言葉だろうと、スマートフォンで録音していた音声を聞き返し、文字に起こしてツイートしておく。7時55分、公設市場に行ってみる。『そして市場は続く』なんて本を出版したからには、続いていく姿を見ておかなければと、リニューアルオープンの次の日の姿を眺めておく。市場の前には観光とおぼしきグループ客がいて、市場のオープンを待っていた。8時になり、どこかのお店が流しているラジオから時報の音が聴こえても、市場の自動ドアは開くようにならず、グループ客はあっちこっちの扉を確かめている。市場は8時開場となっているけれど、昨日の大盛況でくたびれてしまったお店が多いのか、まだ営業しているお店はかなり少ないようだ。

 ようやく、市場の中に入ってみる。昨日は結局、17時過ぎになってもお客さんが途絶えず、中に入らずじまいになっていた(昼からビールを飲み続けていたのと、ずっと周辺を歩き続けていたのと、人の多さにくたびれたのとで、17時過ぎには宿に戻り、横になっていた)。「長嶺鮮魚」は開店準備をしているところだ。次江さんに「昨日はすごかったですね」と挨拶をすると、「もう、こんなふうに立ち話もする余裕がなかった」と笑っていた。「美里食肉」の方も、「あんなにお客さんがくるのは久しぶりでしたね」と話していた。「これが続くといいんですけどね」と。あちこちに開場祝いの花がある。ある魚屋さんには食事を終えた食器が置かれたままになっていた。昨日の閉店後に、ここで夕飯を食べたのだろうかと、昨晩流れていた時間を想像する。

 市場をぐるりと歩き、外に出ると、「てる屋天ぷら」の由人さんが歩いているのを見かけた。昨日は旗頭もやって、市場の中に新店舗も出店して、大忙しだったに違いない。仮設市場の向かいにある店舗から、市場の中の店舗まで、追加であげたサーターアンダギーを運んでいる姿を何度も見かけた。さすがに顔に疲れがにじんでいて、「昨日は途中で妥協しそうになりましたけど、どうにか最後まで頑張りました」と話していた。路地を抜け、ある洋服屋さんの前を通りかかると、開店準備をしているところだ。その店主の姿を、昨日のオープニングセレモニーの途中で、その姿を遠くから一瞬だけ見かけていた。「昨日見に行かれました?」と尋ねてみると、「ちょっと見に行こうと思ったんだけど、人がいっぱいしていたから、エイサーだけちょっと見て、そのまま抜けて戻ってきた」と話していた。「まだ中は見てないから、今日商品を並べ終えたら、なじみの店に挨拶にいこうと思っている」と。

 「上原パーラー」を通りかかると、「橋本さん、天ぷら持って行って」と、天ぷらをいただいてしまう。「朝だから、さっぱりしたのにしましょうね。おすすめがあるから」と、いも、ゴーヤー、それに田芋のコロッケを包んでくれる。いちど宿に戻り、天ぷらを食べていると、外から雨の音が聴こえてくる。SNSを眺めていると、「市場の古本屋ウララ」は今日、臨時休業だと書かれてある。明日は火曜日で定休日だ。リーフレットを追加で預けておきたかったのだけれども、渡すタイミングはなくなってしまうのかもしれない。臨時休業ということは、急遽都合が悪くなってしまったのだろうけれど、今日という日にウララが開いていてほしいなと、勝手なことを思う。Uさんにメッセージを送り、開店作業をさせてしまうので大変かもしれませんが、展示をやっているスペースだけ開けて営業するとかだったら、店番してましょうか、と伝える。すぐに返事があり、宿の近くで直接会って話をする。雨だからあんまりお客さんはこない気がするんですけど、という話ではあったけど、店番をさせてもらうことになる。

 約束の12時、「上原パーラー」のカレー弁当と、「カフェパラソル」のアイスコーヒーを手に、ウララに向かう。準備を整えてもらって、椅子に座る。今日は雨だけど、結構人通りがある。市場本通りを歩いてきた観光客は、これまでだと工事中の市場の前まできたところで、右に曲がって仮設市場の方向に流れていく人が多かったような気がする。でも、市場が戻ってきたからか、そのまままっすぐ市場中央通りに進んでくるお客さんも結構見かける。雨でも結構人通りがありますねと言うと、「どっちに行っても、今はアーケードがないから」とUさんが話していた。

 割り箸を刺したパイナップルを食べながら、若者が歩いてくる。「ああ、ここだ、公設市場」。エイサーの衣装みたいな服を身に纏ったどこかの店員さんが市場から出てきて、ウララの正面にある路地にしゃがみこんで、お昼を食べている。僕もネパール風カレーを食べ始めたのだが、すぐに均一台を見始めたお客さんがいて、慌ててかきこんだ。均一の本が2冊売れた。勝手に100円だと思い込んで売り、ありがとうございましたーと見送ったあと、あれ、100円でいいんだっけと思って立ち上がり、棚を確認すると、「100円」と「200円」の札が混在していて青くなる。

 「カフェパラソル」のジャンさんが通りかかる。さっきコーヒーを買うとき、今日は「U」で店番するんですと伝えていたからか、パンを差し入れてくれた。「これ、外間製菓で売ってる、おじいさんの代から作ってる昔ながらのパン。明日、朝ごはんにでも食べて」と言い、「頑張ってよ」と、颯爽と去ってゆく。地元とおぼしきお年寄りが、「アーケード、2024年にできるって」と看板の文字を読みながら通り過ぎてゆく。このフレームだけ眺めていると、『がんばれゴエモン』というゲームや、ストⅡの春麗のステージを思い出す。無限に人が行き交っているように思えてくる。どこかからやってきて、どこかに向かっていく。その途中の姿だけがここから見えるのが不思議だ。

 しかし、今日は雨だから長袖を選んできたのだが、こうして座っているとなかなか肌寒く感じる。浮島通り側からやってきた観光の若い二人組が、ウララの前あたりで立ち止まり、市場を見上げて写真を撮る。同じ方向からまた別の二人組がやってきて、同じように「東口3」を写真に収めている。浮島通り側から観光客がやってくるんだなと、少し不思議な感じがする。もう少し進んだところにはビジョンもあって、そっちのほうが「正面」って感じがしますよと、余計なことを言いそうになる(どこにも「正面」なんてないのに)。

 「あのさ」
 「はいはい」
 「パイナップル買いたいんだけどさ」
 「うん」
「帰りがいいかな」
「うん、帰りがいいと思うよ」

 ここに座っていると、いろんな声が聴こえてくる。いつもここに座っているUさんの姿を思い返す。原稿を書いているにせよ、本を読んでいるにせよ、なにか作業をしているにせよ、作業に集中しているような姿ばかりが思い出される。僕はといえば、ここで羅臼旅行記を書くつもりでいたのだけれども、聴こえてくる会話にばかり気を取られて、なにも書き進められなかった。Uさんだってここで聴こえる声を原稿に書いているのだから、馴れ、なのだろう。「てる屋天ぷら」の方が、こどもを抱えながら通り過ぎてゆく。「はま食品」の方が、ファミリーマートに入っていく。暮らしてもいない街なのに、知った顔が増えてゆく。自分が住んでいる街の人の顔なんて、ほとんど見分けがつかないのになと思う。

「あはは、お留守番してるの?」向かいにあるアクセサリー屋さんが僕に気づき、声をかけてくれる。雨は上がったあとも、また小雨が降っていないか、どこかから水滴が落ちてきて商品にあたっていないか、店頭の棚の具合をこまめに確認されている。さんぴん茶のペットボトルを手にした男女が、市場を見上げながら歩いている。旅行客のように見えるけど、“沖縄通”なのだろう、「ここにもアーケードがあったんだけど、もう一回つけるのに誰が金出すかって話になって、結局なくなったんだよ」と言いながら、通り過ぎてゆく。追いかけて行って、「すぐそこに大きな文字の看板が出てますけど、来年再整備される方向で皆さん頑張ってますよ」と伝えたくなってくる。

 ベビーカーを押したカップルが歩いてくる。「3時半に出れば間に合うくらいやけど、ちょっと軽く食べといたほうがええなあ」「コンビニでなんか買う?」「うーん、もうちょっと歩いてみて考えよか」。旅先でコンビニで食事を済ませるという発想ができる人は強いなと思う。せっかく旅先なのだからと考えてしまう自分は貧乏性だという気がする。

 BのSさんが通りかかり、「あれ、今日は閉まってるって聞いたけど」と言う。隣にはごつめのICレコーダーとマイクを手にした人が立っている。今日は歩きながら、新刊に絡めた話を収録しているのだという。マイクのメタリックさというのは、路上で見かけるとハッとする(別にマイクを向けられたわけでもないのに)。普段自分はマイクを向ける側だから、このハッとする感覚を忘れないようにしなければと思う。ごろごろごろと大きな音。スーツケースを引いた若者が11人、浮島通りのほうに歩いていく。行き先をしめす「OKA」と印字された荷物タグがついたままだ。国際通りからずっと歩いてきたのだろうか。市場本通りはなかなか歩き肉かっただろう。ここを進んでいるということは、太平通りやサンライズなはのホテルに宿泊するのか、あるいは路地裏の民泊を選んだのだろうか。

 ジンベイザメのぬいぐるみを抱いた男の子が、通り過ぎる。パイナップルの甘い匂いが漂ってきて顔を上げたが、あたりでパイナップルを食べている人はいなかった。そういえば昨日、乾物屋さんでセレモニーを見ているあいだはずっと、鰹節のいい香りに包まれていたなと思い出す。僕よりひとまわり年上ぐらいだろうか、スーツ姿の女性が紙袋をさげてやってきて、「これ、使ってくださーい」と差し出される。中身は文庫本だ。読み終わって捨てるだけだから、同じようにして本を差し出されたUさんが「使わせてもらいます」と受け取っていたことを思い出し、受け取る。

 ぷしゅ、と心地よい音が響く。公設市場の「東口3」の扉の近くに、スーツケースを手にした若い母親とこどもが佇んでいる。市場の中で刺身を買って、ここで立ち食いするようだ。前の市場には1階に「刺身コーナー」というか、1階の鮮魚店で買った魚を(2階に「持ち上げ」て調子してもらうのではなく、すでにパックに入れて売られている刺身を食べるための)テーブルが置かれてあった。仮設市場にも同じようにテーブルが置かれていたが、コロナ禍で封鎖されてしまっていた。ただ、仮設市場の外にはテーブルと椅子がいくつか並んでいて、そこで買い食いすることができた。新しい市場にはそういう場所がないのか、扉近くでパイナップルやジーマーミ豆腐を立ち食いする人はちらほら見かけた。ただ、刺身を選ぶのはなかなかの猛者だ。スーツケースをミニテーブルのようにして、そこに缶ビールを置き、醤油のミニボトルを容器の上から注いでいる。もしかしたら刺身じゃないのかと感気てしまうほど、どぼどぼ醤油をかけていた。

 14時2分、マチグヮーを歩いているとよく耳にする音楽が聴こえてくる。たしかその曲は、マチグヮーを盛り上げようと制作された曲のはずだ。「よく耳にする」という印象しかなかったけれど、こうして定点に佇んでいると、1時間に1回の頻度で時報のように流れているのだと気付かされる。研究やリサーチを仕事にされているのだという方が、『そして市場は続く』を買ってくれる。自分から名乗り出るのも図々しい気がしますけど、著者です、と挨拶をする。たまたま市場がオープンするタイミングだと知ったんですけど、市場は節目なんですね、と声をかけられる。

 「私さ、ナダルの出待ちしてたときあったの」
 「え、やば」
 「そのとき、雨降っててさ」
 「うん。で?」

 「それで――」と、そのあとの会話はもう、ふたりが遠くに行ってしまって聴こえなくなった。それで、一体何があったんだろう。どこかから工事の音が聴こえてくる。市場はもうオープンしているのだから、どこかで新しいお店の内装工事でもやっているんだろうか。「へえ、写真売ってる店もあるんだ」。ウララの奥に写真が陳列された様子を見て、そうつぶやきながら通り過ぎていく。売り物じゃなくて展示だから、見ていきませんか。ここに座っていると、誰かと話したくなってくる。街を歩いているだけだと、そんな気持ちには全然ならないから、不思議だ。Uさんに限らず、この界隈の店主はあまり接客をしない(お客さんに声をかけない)方のほうが多いけど、黙って座っていることが才能のように思えてくる。

 15時過ぎ、Uさんが様子を伺いにきてくれる。ここに座っていると、いろんな言葉が流れていきますねと話すと、「そう、流れていくから、一日の終わりになると全部忘れてるんです」とUさんが言う。「この1週間のことも、日記に書いておきたいことがたくさんあったはずなんですけど、書く時間がなくてもう忘れてしまったんです」。Uさんからは「絡まれたりしてませんか」と尋ねられて、絡まれそうに見えるのだろうかと聞き返すと、「前に橋本さんが、『ここにずっと座っていられるのはすごい、ライターだと話しかけたいなと思う人を選んで声をかけられるけど、ここで店をやっていると誰に声をかけられても拒めない』と言ったじゃないですか」と、Uさんが言う。今日こうして店番をさせてもらい始めたタイミングで、「ここに座ってると、『占いですか』と言われることがあるんですけど、そういうことを言う人の気持ちが初めてわかりました」とUさんに言われたことを思い出す。

 一瞬だけ店番を変わってもらって、公設市場に入り、用を足す。ウララからだと、入ってすぐがトイレで便利だ。「東口3」の近くには取材させてもらった「はま食品」があって、今日も大いに賑わっていた。トイレから戻ると、「市場(のトイレ)に行ったんですか」とUさんに尋ねられる。まだ市場に入っていなかったというUさんも、ようやく市場の様子を見に行っていた。ファミマの前にジャージ姿の若者が佇んでいて、お湯を注いだ金ちゃんヌードルを地面に起き、3分経つのを待っていた。「サーターアンダギーを買いに行ったらもう売り切れって」。市場の中から出てきた人が言葉を交わしている。昨日は30分で売り切れたと、記事に出ていた。

 15時を過ぎて、棚を眺めるお客さんが途切れたあたりで、ウララの「金庫」を抱えて路地に入り、「カフェパラソル」までコーヒーを買いに行く。ただ、ジャンさんは不在で、隣のお店の方が「さっき出かけて、すぐ帰ってくると思うよ」と教えてくれる。「金庫」は持ってきているとはいえ、人の店を預かっている途中に長時間離れるのは不安だ。この界隈には個人で切り盛りされているお店が多いので、尋ねていくと誰もいないという状態にもよく出くわす。あれってやっぱりすごいハラのすわりかたのように思えてくる(もちろん、個人で切り盛りしている上に、店舗にトイレがないところがほとんどなのだから、どこかで出かけるほかないのはあるにせよ)。

「そこの古本屋さんで店番してる者なんですけど、メール送っておきますってジャンさんに伝えてもらえますか」と、隣の方に伝言をお願いした上で、「お手隙のタイミングでホットコーヒーの出前をお願いしてもよいでしょうか・・」とLINEで送っておく。しばらくすると、ジャンさんから「今から持っていってもいいかな?」と連絡があり、5分ほどでホットコーヒーを運んできてくれる。どうして出前なのかと、ジャンさんはちょっと不思議そうにしているので、「普段はどこにでも行けるから、出前を頼む機会なんてないから、今日はせっかくだから市場で出前をとってみたかったんです」。そう話すを、「なるほど」とジャンさんは笑っていた。ちょうどジャンさんの知り合いのお年寄りが通りかかったらしく、「こちらは行事のことから沖縄料理のことから、沖縄に関する本が取り揃ってますよ、よかったら」と声をかけている。

 しばらく経って、また別のお客さんが二人連れでやってくる。地元の方のようで、「戦前戦後の市場のことがわかるような本がないかしら」と尋ねられる。戦前はほとんど入ってないですけど、戦後のことなら、最近こんな本が出たんですよと、ここぞとばかりに自分の本を差し出してみると、「いや、こんなのじゃなくて」と、本を返される。もうおひとりが、なんとなしにSさんの本を手に取ったので、「このあたりにはSさんの本が何冊か並んでるんですけど、那覇生まれでずっと那覇に暮らしている方で、戦後間もない頃の話はさすがに出てこないんですけど、懐かしい話もたくさん出てくると思いますよ。ずっとBという出版社をされていて、ご自身でもコラムも書かれていて――」。自分の中に、自分以外の誰かが書いた本を誰かに薦める気持ちがあるのかと、かなり意外な感じがした。

 話が前後するが、店番を終えたあとにこの話をUさんに伝えると、「書評をするときは、本を薦めるという気持ちじゃないんですか」と尋ねられ、書評は『本を薦める』というより、本に対してただしく言葉を与えるという感覚なのだと答えた。「でも、『GRGR、K』の書評を書かれる前に話を伺ってたときは、かなり『薦める』という気持ちが伝わってきたような気がします」とUさんに返される。Uさんのことばはいつも的確だ。結局その二人連れのお客さんは、文庫本を1冊買って帰られた。帳場近くのチラシに目を止めているのに気づき、ああそうだと、そのチラシを取り出す。それは県立図書館で開催中の「那覇港物語」という展示のチラシで、まさに「戦前戦後」の風景だ。そのお客さん、チラシに印刷された昔の那覇港の写真を食い入るように見つめながら、「こんな写真をみると、ついこないだのような気がするよ」と言った。そうして写真に見入ったまま、「ついこないだのような気がする」と、何度も繰り返した。

 17時で店番を終えて、Uさんにお礼を言って市場に向かう。今日は17時から市場の中でYouTubeの撮影をする約束があった。市場の3階に上がり、組合長の粟国さんと、J書店のMさんと3人で話をする。市場は今日もなかなかの賑わいで、がやがやとした音が吹き抜けに反響している。1本目の動画は粟国さんと、2本目は僕とMさんのふたりで収録することになっていたので、1本目を収録したところで粟国さんは別の取材を受けにいく。今日もいくつもメディアが取材に入っていて、とても忙しそうだ。場内で撮影をしていると、喧騒で会話が聞き取りづらいかもという話になり、話の内容的にも「1本目は何十年と続いた老舗があるという話にして、2本目は新しい流れが生まれつつあるという方向性でどうでしょうか?」と提案していたこともあって、2本目はサワースタンドの軒先をお借りして10分ほど撮影させてもらうことにした。

 収録が終わったあと、ご迷惑をおかけしましたとお詫びして、そのまま飲んでいくことにする。J堂のおふたりはこのあとまだお仕事があるということで、ジュースを注文していた。今回の本も面白かったです、とMさんが感想を伝えてくれる。いつかお詫びしようと思っていたんですけど、最初に橋本さんが『市場界隈』のゲラを持ってきてくださったとき、かなり冷たい対応やったと思うんです、とMさん。というのも、結構自分の本を売り込みにこられる方はたくさんいらっしゃって、中には「トークをするからギャラを出してくれ」と言う方もいて、特に内地の書き手で沖縄をテーマにした本を書かれている方に対しては、ちょっと構えてしまうところがあるんです、と。それはもっともな話だと思うし、もともとリトルプレスを作って自分で営業にまわっていた身としては、Mさんからドライな対応をされたという記憶はまったくなかった。むしろ『市場界隈』のときから大きく扱ってくださって、感謝しかない。

 トークイベントの相談をして、ふたりを見送り、ひとりでビールを飲んだ。サワースタンドの店主の方に、昨日はあのあとどんな感じですかと尋ねると、人はたくさん集まってるけど、正直なところ、そんなにお金が動いている感じはしなかったですねとの返事だった。「せっかくだから一品買っていこう」くらいの感じで、たくさん買い物をしていく人がいた感じでもないですし、明日以降もそのお客さんたちがきてくれるかは未知数な感じですよね、と。それに、「10時オープン」としか宣伝されてなくて、実際にお客さんが市場に入れるようになったのは11時だったり、どんなイベントがあるのかも告知されていなかったし、骨汁を無料で振る舞いますってしっかり宣伝してたらもっとお客さんがきてたんじゃないかって、重箱の隅をつつようなことばっか考えちゃうんですよね、と。

 19時過ぎ、出演させてもらっているラジオ番組の方と市場の前で待ち合わせ。番組に出てくださったお礼に、ぜひ橋本さんと市場のあたりをまわって、行きつけのお店で軽く飲みたいと連絡をもらっていた。とりあえず市場の中をぐるっとまわる。なんとなく「これが本の中に出てきた誰々さんです」と紹介することを期待されているような気配も感じるけど、そんなこともできないので、つーっと一周して外に出て、「パーラーK」へ。通路にはみ出したテーブル席なら空いていたので、そこに座らせてもらう。こんな路上みたいなところで飲むのか、という気配をここでもうっすら感じてしまう。風が強いせいかふたりとも肌寒そうに上着を羽織り、冷たくなった指先を温めている。

 21時にはいちどお店を出て、アナウンサーの方とは別れ、ディレクターの方から「もう一軒行きましょう」と誘われ、路地を歩く。ノンフィクションライターのFさんたちが寿司屋で飲んでいて、ちょうど橋本くんの噂をしてたんだよ、と声をかけられ、まあ飲んできなよと座ることになる。そこでしばらく話していると、「橋本くんは孤独のグルメみたいな文章だもんね」「だって、水納島の本とか、あれ全部君の妄想だよね」と言われ、ここを通りかかったことを後悔する。ようは「パッと5泊6日で訪ねていって、あんなに相手から言葉を引き出せるわけがないから、あれは君の頭の中で考えられた言葉だよね?」ということが言いたいようだった。あれは最初に尋ねたときに聞かせてもらった印象深い言葉がいくつもあって、それを書き留めておいたことや、あとで思い返したことを軸にしながら、その後何度も水納島に通って、何度も同じようなことを質問して話を聞かせてもらって、その言葉をまとめた本なんです、だから全然、僕が頭の中で考えたことではないんです、と説明しておく。

3月19日

 6時過ぎに目を覚ます。7時過ぎに宿を出て、市場の様子を眺めにいく。10時から始まるオープニングセレモニーに向けて、うっすら準備が始まっているけれど、まだ一日が始まったばかりという感じだ。市場の中にお店を構える方たちも、オープンに向けてぽつぽつ出勤してくる。鍵がかかったままになっている扉が多いようで、「どっちから入れるかね?」と右往左往されていた。ある漬物屋さんがやってきて、杖をつきながら進んでゆく。その店員さんに話を聞いたことはないのだけれど、市場が建て替えになる前からその姿はもちろん目にしてきた。4年前に比べてあゆみがゆっくりになっているのを見て、建て替え工事のあいだにたしかに時間が流れたのだと感じる。

 いちど宿に引き返し、シャワーを浴び、8時過ぎにふたたび出かける。「プレタポルテ」でクロワッサンを買い、セブンイレブンでホットコーヒーを買って、市場の前に戻る。さっきよりセレモニーの準備をしているスタッフの数は増えていて、取材者の姿もちらほら見かける。市場の中でも、店主にインタビューしている報道陣を見かけた。取材をするならもっと早くがよかったんじゃないかと、ついそんなことを考えてしまう。

 市場の向かいにある乾物屋さんの前に佇んで、クロワッサンとホットコーヒーで朝食をとる。市場の前には椅子が並べられ、そこに座ることになる人の名前が貼られてある。雛壇を眺めていた組合長の粟国さんが、錚々たるメンツだと、少し緊張した様子で言う。今日の出席者には、市長や元市長、市議会議員の他に、県知事に国会議員に前総理の名前まである。前総理はここでセレモニーに出席したほかに、もうすぐ供用が始まるキャンプ・ハンセンの車両用メインゲート(沖縄自動車道への入り口)を視察したり、もうすぐ三両化が実現するゆいレールを視察したりするのだそうだ。市場の建て替え工事の予算が予定より高額になったときに官房長官だったのか、総理大臣だったかで、足りない額を国から出すという判断をした人物ということなのだろう。

 8時25分、外小間の「てるや」さんが、お店の前で膝をつき、御願をしている。その姿を遠巻きに目にしていると、今日は門出の日なのだと実感する。僕の近くには、今日のセレモニーに駆り出されたのであろう人たちが立ち話をしている。「今日終わったら、刺身買って帰ろ」「昔、きたことあった?」「あった。小さい頃、旧正(月)のとき、親に連れてこられてた。こんな寒い時期になんで外に連れてかれるのと思ってたけど、大人になって、よさがわかる。酒飲むようになったからかな」。聴こえてきた言葉を書き留める。

 しばらくすると乾物屋さんの店員さんがやってきたものの、「あれ、まだシャッター閉じてるな」と店を見上げる。店の上に住んでいる店主がシャッターを開けてくれないと、中に入れないようで、しばらく店の前で一緒に立ち話をした。背広姿の男性たちが数名、颯爽と歩いてくる。イヤホンとマイクで、「現在、仮設から新庁舎――じゃない、新市場に移動中です」と、マイクに向かって話している。「あんなに背筋まっすぐで歩くんだね。あんな人、このあたりじゃ見かけないから、ものすごく目立つね」と店員さんが笑う。

 少しずつ報道陣の姿が増えて、市場の外観を撮影している。そのあたりを、ヒジャブをまとった女性たちが通りかかり、申し訳なさそうにそそくさと通り過ぎてゆく。あなたたちが申し訳なさそうに気を遣う必要なんて何もないんですよと伝えに行きたくなる。警察がカラーコーンとポールを運んできて、なにやら通路を作り始める。9時近くには乾物屋さんのシャッターもあがった。角のTシャツ屋さんがやってきて、いつものように脚立を使って、高いところにまでTシャツを並べている。脚立からあたりの騒々しさを見下ろし、ふん、という表情を浮かべている。

 少しずつ見物客も増えてくる。乾物屋さんはいつもお店の前にベンチを設置しているのだけど、「よかったらここ、座ってってください」と進めてもらって、特等席を得たような心地がする。この5年で(つまり『市場界隈』も含めて)取材させてもらった方がちらほら通りかかる。9時半を過ぎたあたりで、エイサーや旗頭が少しテストをする。気づけば人だかりの渦ができている。那覇市の職員とおぼしき人たちが、ビブスをつけてあちこちに配置されているけれど、設置されたカラーコーンとポールはほとんど意味をなさず、渋滞が起きている。僕の目の前にも、ビブスをつけたスタッフが立っている。立ち止まって写真を撮ろうとする人がいるたびに、「そこで立ち止まらないでください」と注意したいのだけど、どう声をかければいいのかと躊躇し、あたふたしている。勝手にシンパシーを感じてしまうが、どんどん混雑は酷くなっていく。

 その頃にはもう、ベンチには座らず、一段高くなっている乾物屋さんの店内のすみっこに佇ませてもらっていた。サワースタンドの店主が、いつものように自転車で出勤してきたようで、自転車を押しながら窮屈そうにお店に向かって歩いていく。10時が近づくと、那覇市長や県知事といった来賓もやってくる。中学生ぐらいの子たちが、しきりに「菅さんは何時にくるんですか」と、ビブスをつけた職員に尋ねているが、職員もそんなことまで把握していないようだった。

 結局、前総理の席は空席のまま10時となり、オープニングセレモニーが始まる。まずは旗頭が披露され、続いてエイサーの演舞がある。エイサーの音が街に響くのを聴いただけで胸が一杯になってしまう。2019年6月16日、一時閉場セレモニーのときも、大勢の人が集まって最後はカチャーシーになったところを見て、涙が出てしまった。エイサーは念仏踊りが起源にあるという。お盆の時期には道ジュネーがおこなわれ、エイサーを舞いながら集落を練り歩く。お盆は死者を迎え、また送り出す行事だ。道ジュネーで太鼓や三線の音を集落に響かせるのは、いろんなものを洗い流していくように思える。なくなってしまったものに対してどんなに悲しみを抱えていても、その悲しみに暮れ続けていたら、日常生活を生きていくことが難しくなる。だから人は節目を設けようとする。こうやって太鼓と三線の音で、いろんなものを洗い流して、また日常に戻っていく――これは単に僕が勝手に妄想したことだけれども、エイサーの音を耳にするとそうした妄想が広がってしまう。

 エイサーの演舞がおこなわれていたところに、SPがざざざっと4人ほど姿をあらわす。それに先導されるように、前総理がやってきて着席する。目の前でおこなわれている演舞を、にこりと笑顔を浮かべるでもなく、「なんだこの土着の行事は」といった感じで、無表情のまま眺めている。政治家なんだから、もう少しにこやかにしてはどうか。それにしても、粟国さんが言っていた通り、錚々たるメンツだ。一時閉場のときは那覇市長だけだった(と思う)。「建物が閉まる」という後ろ向きの「節目」と、50億以上が投じられた新施設のオープニングという「節目」の違いを感じる。エイサーが終わると、来賓の挨拶となる。賑わいの創出や、観光拠点といった言葉が続き、耳を言葉が通り過ぎていく感じがする。その中で「お」と思ったのは、意外にも前総理の挨拶だった。「なんといっても市場の魅力は人」と話していて、誰か「こういう文言を入れるのがよいかと」とアドバイスをしている人がいるのかなとも思うけど、つまらなそうな顔で参列していたのに、挨拶で語られたのはしっくりくる言葉だ。

 ただ、心待ちにしていたのは、なんといっても組合長の粟国さんの言葉だ。2019年の一時閉場セレモニーのとき、「公設市場と周辺事業者は運命共同体」だと話していたことばを、この数年間何度となく思い返していた。ここには市場だけがぽんと存在しているのではなく、戦後間もない時期に自然発生的に市場が立ち、その一部が「公設市場」として整備されたものの、市場も「マチグヮー」の一部分だ。そして、公設市場は行政によって建て替えがかなったものの、その建て替え工事によってアーケードが撤去されてしまったり、工事の影響を被ったりして大変だったのも、どちらかといえば周辺事業者だろう。そこへの視線が含まれているスピーチは、粟国さんのスピーチだけだったように感じる。その言葉を、完全に正確ではない部分もあるけれど、ここに書き起こしておく。

本日、2023年3月19日に、このように多数の皆様方のご来場をもちましてオープンしたことは、本当に喜びにたえません。2019年6月16日の旧・第一牧志公設市場閉場セレモニーの場所もこの場所でした。当時、最後のコメントで「2022年この場所でまたお会いしましょう」というお約束から、移転は一年遅れましたけど、無事に3年9ヶ月ぶりにこの第一牧志公設市場に戻ったということは、ほんとに喜びに絶えません。この市場は「食の魅力拠点」というだけでなく、沖縄の“ちむぐくる”の原点の場所、沖縄の商売人の原点の場所、特にこのエリアは沖縄の女性の方が――“アンマー”たちが、沖縄の戦後の盛り返しのために、このエリアで一生懸命頑張ったという、ほんとに価値のある場所なんです。この場所で、このように、3年9か月ぶりに戻ったということは、同じことを言うんですけど、よかったなあと思います。特にこの第一牧志公設市場は、旧・市場と同様、かなり何工事・難事業と予想されていました。今から14年前に、当時の那覇市の経済観光部長の大嶺さんから、公設市場再生プランというのを見せられました。そのときに、この事業は、ほんとに大変な事業になる。長い事業になる。だけど、今取り組むべきじゃないかと、大嶺部長の話がありました。そこで当時の那覇市長の翁長雄志さんと「跳びだせ!市長室」を設けて、公設市場の関係者・周辺商店街の皆さんと一緒に議論しながら、「大変だけども、第一公設市場の建て替えを進めていこうじゃないか」というきっかけが生まれて、14年が経ちました。ほんとにこの市場が戻ってよかったと思います。今、86事業者が入居いたします。この市場の価値を今後高めるためにも、やはりまず、市民・県民の方が利用できるような、このマチグヮーって“あっちゃーあっちゃー”で楽しいんだ、楽しむ街。また、多くの観光客に沖縄の良さ、生活・文化・相対売りを楽しんでいただくまち。また、世界の各国のひとびとが楽しんでいく街――(…)それぐらい価値がある市場になると思います。ぜひ今後とも、ひとを繋ぐ――“つなぐ”市場として、いろんな方と交流して、多くの方々にご利用いただければ幸いだなと思っています。最後に、この第一公設市場にご尽力いただきました関係者、特に周辺事業者・地域住民の方も、ほんとにこの3年9か月、大変だったと思うんですけど、この第一公設市場はマチグヮーエリアと運命共同体です。今後ともこのエリアを一緒に盛り上げて(…)、このオープンしたあと、ご来場して楽しんでいただければありがたいなと思います。誠に本日はありがとうございました。

 セレモニーの最後にテープカットがおこなわれた。テープカットが終わっても、すぐに開場とはならず、入口には長蛇の列ができていた。扉の向こうを、来賓が歩いていく姿が見える。10分近くあいだをあけて、一般客の来場が始まる。中はすごい混雑ぶりだ。もう少し落ち着いた時間帯に入ればいいかと、僕はサワースタンドに立ち寄りビールを注文した。ビールを1杯飲んだあとは「魚友」と「イチバノマエ」をはしごしながら、ビールを飲み続けた。粟国さんのお父さんが、三線屋さんの前に椅子を置き、「島唄」を弾かせている。通りを大勢の人たちが行き交う。「ここって駐車場ないのかな」という声が聴こえてくる。今日集まった人たちは、どこからやってきたのだろう。これまでどこにいたのだろう。何がきっかけで、今日ここに足を運んだのだろう。

 

3月18日

 8時過ぎに家を出て、市場界隈を散策する。到着してすぐに界隈を散策したときに、浮島通り沿いに空き地ができていることには気づいていた。そこは何度も歩いたはずなのに、なにがあった場所だったのか、思い出せずにいた。同じ空き地を、えびす通り側から目にしたときに、「ああ、ここは洋服屋さんがあったところだ、たしか『ニコニコ』という看板が出ていた」と、記憶がよみがえってくる。隣のお店の方がいらしたので、「ここのお店、やめられたんですね」と尋ねてみると、「ここもビアガーデンにするみたい」と教えてくれる。

 宿に戻ったあとは11時頃まで部屋で日記を書いていた。「U」に行ってみるともう開店準備は整っていて、今日はマチグヮーで行商するSさんが売り子の準備をしているところだ。ポスターを持って界隈を巡り、取材させてもらったお店にポスターを貼ってもらえないかと相談してまわる。市場の近くで、「てる屋天ぷら」の由人さんとすれ違う。いよいよ明日ですねと声をかけると、「今日は皆、朝から一生懸命働いてると思います」と返事がかえってくる。「いや、今日は夕方からオキショウの試合があるから、夕方までに終わらせたい人が多いんじゃないですかね」と(沖縄に暮らしていないから、「オキショウ」と聞いた瞬間に「沖縄商業」だろうか、でも商業高校だと「那覇商」だよなあと頭の中でぼんやり考えて、しばらく経って「沖縄尚学」だと気づいた)。

 お肉屋さんに立ち寄ると、「ラジオ聴いてますよ」と言ってもらえて、嬉しいような、この街に暮らしていない自分が「マチグヮー」をテーマにした特集で出演していることが申し訳ないような心地がする。「末廣さんも、すぐ近くで商売やってましたけど、ああ、あんな歴史があったんだってことは初めて知りました」とお店の方が言っていた。今日のお昼ごはんはどうしようかとしばらく迷い、久しぶりで「喫茶S」へ。テーブル席は満席だ。「ああ橋本さんお久しぶり、ちょっと時間かけるけど平気?」と言われ、カウンターに座る。「これ、こないだ送られてきたんだけど、うちの店も載ってるの」と、一冊の本を見せてもらう。それは「昭和喫茶」がタイトルに含まれている本だった。お店の方は「沖縄でうちだけ載ってるの」と嬉しそうに話していたけれど、話を聞く限り「取材」があったという感じではなく、撮影して行って事後的に本にしたのだろう。なんとも言えない気持ちになる。お店との関係性があるなら、事前にことわりなく原稿に書いたりすることもありえるだろう(それは、お店を訪れた回数とは関係なしに)。でも、ちょっと、どうなんだろうと思ってしまう。本の末尾に添えられた文章を読んでも、「昭和喫茶」に入ると、目の前の風景とは関係なしにノスタルジーが、的な内容が書かれていて、書き手や編集者がちゃんと目の前に広がる風景を見なくてどうする、という気持ちになる。

 行商していたSさんから買ったSさんの新刊を読みながら、カウンターに佇む。「足立屋」が2016年にオープンしてからというもの、マチグヮーにはせんべろが、という一文を見かけ、「足立屋」は2014年ですよという言葉が頭に浮かぶと同時に、そんなねちっこいことを反射的に思うような人間になってしまったのかと、自分にがっかりする。もし自分が取材を始めたばかりのころに、誰かからそんな重箱の隅を突くようなことを言われたら、相当げんなりしたことだろう。

 しばらく経ったところで、先に入店していた若者たち(ひとりが飲み物だけ、もうひろりが食べ物だけ頼んでシェアしていた)が、「追加で注文したいんですけど」とお店のママに声をかけている。「申し訳ないけど今は無理」とママが言う。後から入店した客がまだオーダーも取られていない状態なのだから、それはそうなるだろう。のんびり40分ほど読書をして、カツカレーを注文した。『市場界隈』のポスターをずっと貼り続けてくださっていることもあり、お礼に新刊をプレゼントして、新しい本のポスターも手渡す。「前の本は、自分が載ってて照れくさいから家に置いてるんだけど、こっちは置いときます」とママが笑う。

 閉場を迎えた仮設市場を眺めて、「節子鮮魚店」に行き、ビールと刺身の酢味噌あえを注文する。「本、毎日少しずつ読んでます」とお店の方が言ってくれてホッとする。向かいにある仮設市場を眺めながら、ぼんやりビールを飲んだ。ここに仮設の建物があったときも、そんなに人通りがあったわけではないけれど、仮設市場に品物を届けにきたトラックが行き交うことがなくなったから、以前より通りが落ち着いたような感じがする。仮設の跡地が何になるのかは、現時点でもまだ決まってはいないそうだが、「前みたいに広場になるといいんだけど」とMさんは言う。「でも、何になるにしても、今の建物は一旦取り壊すはずだから、この敷地の向こう側の風景がまた見えるようになるのが楽しみです」と。

 

 公設市場では開店準備が進められているけれど、まだまだ時間がかかりそうに見えるところも目立つ。「明日オープンなんですよね?」と、「U」のUさんに声をかけると、「私も、1週間後ぐらいにオープンなんじゃないかって気がしてきました」とUさんが言う。夕方には公設市場の向かいにある「魚友」にひとりで入り、生ビールを飲んだ。ひっきりなしに荷物を運ぶ台車が行き交う。市場の中から、「お食事処 信」の粟国さんが出てきて、出入り口の段差に腰掛ける。おそらく野球中継が観たいのだろう、スマートフォンを手すりに立てかけようとしたものの、うまく固定できずにスマートフォンが地面に落ちてしまう。通りを挟んだ向かい側にいる僕と目が合い、落としちゃったといった感じで粟国さんがジェスチャーをする。そこに固定するのは諦めたようで、粟国さんは一度市場の中に戻り、木製の丸椅子を手に戻ってくる。そうして外小間の「wazoku」というお店の前に椅子を置き、そこのお店の中に設置されたテレビで高校野球を見始める。組合長の粟国さんも、ときおり外にやってきて、市場を見上げている。勝手に誰かの心のうちを想像するのは物書きの悪い癖だとは思うけれど、その背中にはやはり感慨が滲んでいるように思う。

 しばらくするとテレビ画面から歓声が響き、粟国さんが親子揃って拍手をする。沖縄尚学がホームランを打ったようだった。市場の中から出てきたちびっこたちが、あたりを駆け回っている。この界隈で取材をしていると、何代目かの店主たちからは「市場が遊び場だった」という話をよく耳にする。この子たちは市場の4代目ぐらいの世代だろう。この子たちがもしも将来店を継ぎ、僕のような人間に取材を受けることがあれば、「小さい頃から市場が遊び場で、ちょうど×歳のときに新しい市場がオープンしたんです」と答えるときがやってくるかもしれない。そのときに彼の隣に行き、「こんなふうに遊んでましたよね」と、そっと画像を差し出したいような気持ちになり、その姿をカメラに収めておく。