11月3日

 6時50 分に布団から這い出し、知人の弁当を作る。焼き鮭、ブロッコリー、ごぼうの煮しめ、それから夕焼けだんだん上で買ったあさりの佃煮。ちょっと渋すぎる弁当だ。ブロッコリー以外は米をかき込むためのおかずばかりで、「ごはんが足らんくなる」と知人がこぼす。前橋で観たリーディングライブのこと、ようやくまとめ終わって、noteに載せる。『cocoon』にまつわる諸々を観てきた人間として、自分が感じ取れたことは書き残して誰かに開かなければという気持ちと、自分の感想というのもやがて薄れてしまうから、それを書き留めておかなければという気持ちと、その両方がある。

 午後は原稿を練る。今取り掛かっている原稿はあるけれど、その先に仕事の予定が入っておらず、頭の中が不安で埋まり、暗い気持ちになる。多少はSNSなどで発信したほうがよいのかと、いくつかツイートしてみたけれど、それで仕事が入る時代でもないのだろう。このままだとくさくさした気持ちが続いてしまうので、19時過ぎに知人が帰ってきたあと、鳥やさいみそ鍋をつつきながら、今日はビールを飲んだ。Netflixのドラマ『俺のこと、なんか言ってた?』、6話以降を観る。誰もが知る俳優だった主人公が、ほぼ全国民から忘れ去られ、路上生活から再出発する。そんなスタートから、細い糸を辿って再び仕事を得て、ついにまた、多くの人に顔を知られた俳優になる。そんなシーンに、よかったねえ、と思わず手を叩いてしまう。

 しかし、宮藤官九郎は何を思いながらこの脚本を書いたのだろう。ワクチン接種によって、主人公はほとんど全国民から忘れ去られてしまった。ふたりの元妻も、自分のことを不審者としてしか扱ってくれなかった。でも、俳優としてブレイクした瞬間に、自宅に招き入れられて一緒にすき焼きをつつき、授業参観にも招かれる。もうひとりの元妻(主人公が看板俳優として所属していた芸能事務所の社長)も、主人公のことをすっかり忘れ去っていたのに、俳優としてブレイクした瞬間に、「うちに所属しないか」と声をかける。『IWGP』や『木更津キャッツアイ』の頃に描かれていた、「地元」のつながりに比べると、この作品における人のつながりはとてもドライだ。そこには宮藤官九郎が現在の世界を見つめるまなざしが反映されているのだろうか。

 ただ、同じ世界に生きる人たちの――演劇やドラマに携わる人たちの――つながりには、希望が見出されている、とも言える。それも、世間的に成功と見做されるか否かではなく、自分たちの物語を、演劇を紡ぎ出せるかどうかに、最終的には価値を見出していく。その展開は、わからないではない。ただ、最終話――実際に下北沢のスズナリを押さえて、実際に演劇公演として上演し、それをもとに描かれる第8話――は、あまりにも退屈だった。第7話までの展開を芝居におきかえて上演する様ををダイジェストで映し出す、そんなシーンが大半を占めていた。演劇はこんなにつまらないものなのだろうかと、白々しい気持ちになった。鳥やさいみそ鍋、今日は最後に雑炊にして〆た。

11月2日

 知人の仕事が休みなので、こちらも8時近くまで眠ってしまう。朝は晴れていたのでうっかり洗濯機を回してしまったが、すぐに曇り、昼近くには雨が降り出してしまった。久しぶりに泊まりで外出したので、ぽやぽやしている。先週買ったクララ・ハスキルのレコードをかけ、日記を書く。「ピアノソナタ」ではなく「協奏曲」と書かれているので、当たり前ではあるけれど、いかにもクラシックだ。

 ケータイばかり眺めて過ごしている知人に、『幽☆遊☆白書』でも読んだらと伝えると、夢中になって読み始める。しばらく前に、みなみかわのYouTube(NANSE channel)で「【ガチアドバイス】ネコニスズ爆売れ確定!3つの方法」という動画が公開されていた。そこでみなみかわが提案していた「爆売れ」の方法が、目から鱗の提案ばかりで、「この人、すごいな」と思っていた。その一つ目の提案が『幽☆遊☆白書』にちなんだものだった。ぼくはすっかり漫画の内容を忘れてしまっていたから、ちょっと全巻セットを買って読み返そうかなと思っていたら、知人が「私も読みたい」と言ったので、少し前にネットで購入してあったのだ。知人は内容をしっかりおぼえているはずなのに、夢中になって読んでいる。

 雨はやみそうにもないので、16時半に傘をさして買い物に出る。まずは「往来堂書店」に行き、そういえば朝吹真理子の新刊が出ているのではと棚を探してみたけれど、まだ入荷前だった。発売されたばかりの『東京人』が目に留まる。今号は日本酒特集。ぱらぱらページを繰ると、スズキナオさんが寄稿されている。しかもそこには「塩屋のSさん」が出てきて、いつだかSさんと一緒に大相撲中継を見たことを懐かしく思い出す。しかし、お酒の特集でお声がかからないのは、なかなかシビアだ。どうすればもっとお声がかかる物書きになれるのかを、もっと真剣に考える必要がある。

 巻末のページを開き、編集者のコメントに目を通そうとしたところで、はたと気づく。「(ま)」としてコメントしている編集者は友人のMさんだとばかり思っていたけれど、ふと「編集」として奥付にクレジットされている名前に目をやると、そこに友人のMさんの名前はなかった。それとは別に、ま業の編集者がいて、「(ま)」としてコメントを寄せているのはその人だろう。そういえば、先月までは「(ま)」の他に、「(前)」のコメントが載っていたはずだ。Mさんはどうしたのだろうかと心配になる。

 書店を出て、スーパーへ。値段も見ずに1/4カットの白菜を購入してレジに並んだところで、「そういえば『白菜が値上がりしている』というニュースを見た気がするけれど、これは一体いくらだろう」と不安になる。野菜売り場に目を向けると、白菜が並んでいるあたりに「398」という値段が見えて、まさか、と不安になったが、198円だったのでホッとする。

 近所の肉屋で豚バラ肉と豚ロースを250グラムずつ購入して、豚バラ肉のほうだけ使って、鳥野菜みそ鍋を作る。冬が始まったという感じがする。食道の調子は良くなってきた気がするけれど、平日自宅ではあまり飲まないことにしようと、今日もノンアルで過ごす。先週観始めたNetflixのドラマ『俺のこと、なんか言ってた?』を5話まで観た。ほんとうにキャストが豪華だ。

11月1日

 6時半に目を覚ます。昨晩は25時近くまで起きていたのでまだ眠く、しばらくベッドの中でぐずぐずする。7時半にベッドから抜け出し、シャワーを浴びる。チェックアウトの準備をしていると、朝食券が出てくる。ああ、朝食付きだったのか、と今更気づく(チェックインの際に、「以前ご宿泊いただいたことはありますか」と尋ねられ、説明を聞くのが億劫だったので「はい」と答えていた)。朝はエベレーターが混み合うだろうからと、荷物を持って部屋を出て、朝食会場に行き、カレーライスを少なめによそって平らげる。具のないカレーライスだった。

 ホテルをチェックアウトして、予約した9時ちょうどにオリックスレンタカーへ。昨日の夜、迷いに迷って、レンタカーを予約していた。昨日観たリーディングライブでも、北軽井沢の話があった。大伯母は戦前に満州に移民として渡り、戦後は北軽井沢に暮らしていた――と、そんな話は、以前から聞かせてもらっていたし、今年上演された作品にも、その話は描かれていた。東京から北軽井沢に行くのは、ちょっと遠い。前橋からだと、距離にして70キロ、Googleマップだと車で1時間半と出てくる。行くとしたら、今回しかないのではないか。

 しかし、前橋までくるのも新幹線ではなく鈍行を選んでいるのに、電車代とは別にレンタカー代まで払うのか――。懐に余裕があれば悩まなくてすむことで、ぐずぐず思い悩んでしまう。よく出かけている沖縄であれば、格安レンタカーもあって、6時間であれば2500円で貸してくれる会社もある。ただ、ここ前橋では、安いところでも5000円はかかる。それに、ガソリン代も多少は追加でかかる。しかし、それを理由に、行かない理由があるだろうか。ぐるぐる考えたけど、いや、ここで「行かない」を選ぶ人間ではないだろう自分はと、迷いに迷ってレンタカーを予約してあったのだ(それで寝るのが遅くなってしまった)。

 ナビに目的地を入力して、出発する。しばらく走ると、国道17号線に出る。国道17号線か。うちの近所、白山上の交差点を通っているのも国道17号線で、この道をずうっと(現在進んでいるのとは反対方向に)進めば、うちの近所にたどり着くのだなと思うと、不思議だ。渋川市で17号線から外れて、県道35号線に入り、西に進んでいく。道路は吾妻川に沿うように走っている。国道ではないせいか、道幅はさほど広くないが、道沿いにはずっと農村地帯が続く。北関東と聞くと、だだっ広い平野という印象があるけれど、このあたりは山間の集落だから、そんなに広い農地はない。そこに点々と住宅がある。ここで農業を営んで暮らしていくのは、決して楽ではないだろうなと思う。うちの実家のあたりも、まさにこういった山間の農村地帯だったから、余計にそう感じる。今日は休日だけれども、車を走らせているとあちこちの田んぼや畑で農作業をしている人の姿を見かけた。あちこちの家に、柿の木が植えられていて、ちょうどびっしり鈴なりに実をつけている。

 

 

 群馬原という駅のあたりで、県道58号線に入る(今、あらためて地図を確認すると、どうしてナビが国道145号線沿いではなく、このルートを提案したのか謎だ)。このあたりから、ますます山間の地域になってくる。冬に備えて、軒先にびっしりと薪を積み上げている家があちこちにある。大柏木河原湯トンネルという、新しくて長いトンネルを抜け、再び吾妻川沿いを走る道路に合流すると、八ッ場ダムが見えてくる。民主党政権時代に名前をよく耳にしたダム、ここにあったのか。ダムの近くには道の駅もあって、観光客で賑わっているようだった。ちょっと変わった形のバスともすれ違ったが、後から調べると観光客向けの水陸両用バスらしかった。

 しばらく国道145号線沿いを走り、羽根尾駅のあたりから国道146号線に折れ、南に進路を切り替える。「うまいたまご直売所」と書かれた、浅間とり牧場。「別荘地販売」の看板に、「ヘルスリゾートホテル」の看板。ちょっと高原の雰囲気が出てくる。この道沿いを進んでいくと、前方に見たことのない形状をしたトラックがゆっくり走っている。トラックというのか、トラクターのようなフォルムで、後ろに荷台がついている。そこにはカゴがぎっしり積まれている。あれは一体何だろう――と思っていると、そのトラクターはぼくのレンタカーに搭載されたナビが指し示す方向に曲がってゆく。林の中にある細い道を抜けると、だだっ広い風景が広がっていた。そこが今日の目的地、北軽井沢なのだった。

 林を抜けてすぐの場所には広大な畑があって、さきほどトラクターの後ろに積み上げられていたのと同じカゴがあちこちに置かれていた。スピードを落としてみると、その畑にはびっしりとキャベツが植えられていて、5人ぐらいで収穫を行なっているのが見えた。あたりは一面、キャベツ畑だ。車を走らせていくと牧場が点々とあって、ホルスタイン牛の姿が見える。北海道を彷彿とさせるような風景だ。北海道が明治以降に開拓されたのと同じように、ここ北軽井沢も戦後に開拓された土地だ。

 この風景をじっくり眺めて過ごしたいところだけど、畑と牧場と、ところどころに家屋があるだけで、車を止められそうな場所は見当たらなかった。キャベツ畑の前で車を止めて、景色を眺めて佇んでいたら、地域の人からすると不審者にしか見えないだろう。

 目的地に設定していた、「群馬満蒙開拓の塔」に向かう。その石碑は、平野の中に少し樹木が植えられてある一角に佇んでいた。現地についてみると、石碑には「群馬満蒙拓魂之塔」と書かれている。その裏には、石碑の「建立の由来」が刻印されている。

 国策として満州への移民送出が始まると、「本県からも開拓団義勇隊員併せ八千七百八十余名の入植を見た」が、「祖国日本の無条件降伏満洲国の崩壊と倶に已んだ」。そして入植者たちは「痛ましや引揚げ難民」となり、「本県人も千六百八十余名」が命を落とし、「実に世界開拓史上最悪の事態に陥り惨憺たる終末を迎えた」。

 時は流れ、日本と中国の国交が正常化されると、「両国親善友好の証」として、「不幸異国の地に啾々した同胞の遺骨八百九十九柱」が帰国を遂げた。その中には群馬から満州に渡った「同志十四柱」の遺骨が含まれえていたが、「その氏名はさだかでなく為に葬る方途も無い」。そこで「元開拓関係者」たちで話し合いを重ね、「本県送出の物故者を奉祠する拓魂之塔を建立」することに決めたのだ――と。

 日中国交正常化は、昭和47(1972)年。それは沖縄が復帰したのと同じ年のことだ。その年に、1680名もの死者のうち、14名の遺骨が帰国した。至るところに戦争の記憶があって、それは昭和20(1945)年で終わったわけではなく、戦後という時代にまで続いていったことがある。石碑の説明文の最後に刻まれた、「戦争なき真の平和えの希いをこめて」という文字を反芻しながら、しばらくキャベツ畑を眺めた。

 ところで、そこに建てられているのは「拓魂之塔」だけではなく、「満洲国吉林省駅馬開拓団物故者名碑」や、「開拓地蔵尊」など、いくつか石碑があった。そのひとつには、「駅馬開拓団」の営みは、「祖国日本の敗戦に因り一瞬にて「崩壊」し、「六年に亘る苦闘は夢消と化しあまつさえ暴虐なる土民の襲撃により、多数の尊い人命を失う」と書かれていた。その「暴虐なる土民」という言葉に、立ち尽くす。満州で「匪賊」と呼ばれたひとびとの多くは、日本によって土地を奪われたひとびとだったはずだ。

 キャベツの収穫時期だからか、軽トラが何台も走っていくのが見える。あまり長居していると、キャベツ泥棒にしか思えない気がするので、しばらく眺めたところで再びレンタカーを走らせ、前橋方面に引き返すことにする。細い道を抜け、もう少しで国道145号線というあたりに、「どさん子ラーメン」の看板があった。ちょうど正午になろうとするところだったので、ここでお昼を食べていくことにする。味噌ラーメン750円、めんまやネギ、ワカメやコーンといったトッピングはのせ放題だった。

 13時40分にレンタカーを返却し、時間がないのでタクシーを呼んで、今日も旧安田銀行担保倉庫へ。予約していたのは昨日の公演だけだったが、北軽井沢に出かけた上でもういちど観ておきたくなり、制作チームに「もちろん立ち見で構いませんので、拝見できないでしょうか」と、お昼に味噌ラーメンを啜りながら連絡してあった。昨日は関係者ふうの人に心の中で悪態をついていたくせに、今日は自分が関係者として入り、音響ブースから公演を観ている。

 昨日の公演と違って、今日は客席に見知った顔がちらほらあった。ただ、公演後に誰かと歓談するのはどうしても苦手だ。公演を観にきたのであって、社交をしにきたわけではないと、年齢を重ねた今でも思ってしまう。ただ、Fさんのお父さんの姿を見かけ、なかなかお会いする機会もないので、近づいて挨拶する。少しだけ言葉を交わしたあと、会場をあとにして、近くのサイクルポートでシェアサイクルを借り、前橋駅に向かった。

 16時31分発の電車で前橋を出て、高崎駅でいちど改札を出て、だるま弁当を2個購入し、小田原行きの湘南新宿ラインに乗り込んだ。これは前橋に出かけるたび思うのだけど、帰りの電車のほうがくたびれる。たぶんきっと、下りのの湘南新宿ラインは少しずつ空いていくのに、上りだと少しずつ混んでいくせいもあるのだろう。それと、帰りはいつも日が暮れていることも影響しているのかもしれない。日暮里駅で電車を降りて、酒屋に立ち寄る。だるま弁当に合わせるお酒に、「佐久乃花」という純米大吟醸を選んだ。軽井沢から浅間山を越えた向こう側が佐久市で、ラベルには「ダム熟成」とある。この日本酒を買って帰り、知人と一緒にだるま弁当を平らげた。

10月31日

 今日は6時半くらいに起きたいと思っていたのだが、昨晩は家にたどり着くのが24時近くになってしまったので、そんなに早起きはできなかった。7時半くらいに布団から這い出して、コーヒーを淹れ、洗濯機をまわす。洗濯物を干したところで、9時50分に家を出る。5分ほど歩いたところで、AirPodsを忘れたことに気づいたけれど、時間がないので諦めた。

 10時11分に日暮里駅を出る京浜東北線に乗り、赤羽で湘南新宿ラインに乗り換え、高崎で両毛線に乗り換えて、12時28分に前橋駅にたどり着く。乗り換えを調べているときは、「こういうとき、迷わず新幹線を選べるような大人になれる日はくるのだろうか」と思っていたけれど、いざ電車に乗ってしまえば、鈍行でも案外あっという間だ。

 前橋では今、第1回前橋国際芸術祭が開催中だ。せっかくだから早起きして、午前中から展示を眺めてまわろうかと思っていたのに、出遅れてしまった。ホテルに荷物を預けたのち、とりあえずお腹を満たせる場所を探そうと、街をぶらつく。歩道橋にタバコの吸い殻が2本落ちている。2本とも妙に長く、こんなちょっとだけ吸ってポイ捨てする人もいるのかと、意外な感じがする。

 中心市街地に出ると、芸術祭が配っているのであろう地図を広げて歩く人たちが相当な数いる。何度となくすれ違うたびに、げんなりしている自分がいる。もちろん、そこには前橋に暮らしている人もいるのだろうけれど、地図を広げ、会場を探して歩く人の姿は、テーマパークを歩いているように見えて、いやだ。街というのは人が暮らしている場所であって、展示会場でもなければ探検する場所でもないのだ。自分もまた、食事処を求めてこの街を探索しているひとりなのに、そんな気持ちがむくむくと頭をもたげてくる。

 街をぶらついていると、古い中華料理屋があった。6人掛けのカウンターと、4人掛けのテーブルがふたつあるだけの、小さな店。奥のテーブル席では、常連客なのだろう、おじさんがボトルでお酒を飲んでいる。切り盛りしているのは老夫婦だ。ぼくがカウンター席に座り、タンメンと瓶ビールを注文すると、「はい、ちょっと待っててね」と、ビールと、小皿に盛った切り干し大根を運んできてくれる。

 もうひとつのテーブル席には、赤ん坊を連れた若い夫婦が座っていた。料理が運ばれてきたところで、赤ん坊が泣き出してしまい、若い父親が抱き抱えて外に出ようとする。と、奥の常連客が「あったかいうちに食べたほうがいいよ!」と声をかけた。「いいよ、いい、外に出なくたって。賑やかでいいや」。おじさんがそう語ると、カウンターに座っていたおばあさんが、「ほんと、赤ちゃんは泣くのも仕事だからねえ」と、合いの手を入れるように言う。

 しばらく経って、ぼくが注文したタンメンが運ばれてくる。もう営業時間は終わりが近いのか、店主は暖簾を仕舞い込んで、そのまま椅子に座った。「だけど――テルサだって、どうすんのかねえ」。常連客が店主に語りかける。テルサというのはきっと、この街にある商業施設なのだろう。「テルサも駄目、県民会館もない」「ねえ。何にもなくなっちゃう」「それでスズランまでなくなっちゃうんだから」。

 そんなやりとりを聞きながらタンメンを啜っていると、芸術祭の展示を見ようという気持ちが、どんどん消え失せていく。芸術祭はきっと、この街を再開発しようとする流れと、そう遠いところにはないのではないか。そういう場所で持ち出される「アート」という存在に、ずっと違和感を抱いている。それより、この中華料理屋で、そんな会話を聞きながら過ごせただけでもう十分だという感じがする。

 ひとしきり街をぶらつくだけぶらついて、15時過ぎにはホテルにチェックインして、3時間ほど往復書簡を書く。18時になったところでホテルを出て、「旧安田銀行担保倉庫」とGoogleマップに入力し、すっかり日が暮れた街を歩く。繁華街から外れたあたり、静かな住宅街の一角に、古い自転車屋さんがあった。ガラスの向こうに、ずらりと自転車が並んでいる。その並びに置かれたテーブルで、老夫婦が夕飯を食べていた。その光景にはっと目が留まる。ただ、こちらが立ち止まれば向こうからぼくの姿が目に止まり、不審がられてしまうのでそのまま通り過ぎたが、写真に収めたいほど印象的な光景だった。

 その自転車さんの角を曲がり、1分ほど歩けば、目的地の「旧安田銀行担保倉庫」が見えてくる。きちんと会場のことを調べておらず、「銀行の、倉庫?」くらいにしか考えていなかったが、たどり着いてみると煉瓦造りの立派な建物だ。生糸の産地として名を馳せた群馬では、生糸や繭を担保にお金を借りる人も多く、それを保管しておく倉庫として建てられたのだという。

 今日はこの会場で、藤田貴大・青柳いづみ・原田郁子によるリーディングライブ「koe oto note」が開催される。それを見届けようと、前橋までやってきたのだ。感想は後日別途書く。作品の内容とは別の話として、芸術祭の関係者であろう人がやってきて、同じく関係者であろう人たちと、客席で何度も挨拶を交わしていた。そしてその人は、会場の出入り口に一番近い椅子に座ろうとして、「こちらのお席は、開演後に遅れていらっしゃるお客様のために空けておきたくて、他のお席に座っていただけたら……」と、場内がかりのスタッフに声をかけられたいた。だが、その人は「いや、ちょっと体調が悪いから、途中で抜けるかもしれないんで」と、その席から動かなかった。一体どういう理屈だろう。体調が悪いのなら、観劇を控えたほうがよい。結局その人は、敬遠直後から眠り、1時間ほど経ったところで目を覚まし、帰って行った。こういう人間を見るたび、「こんな人間が取り仕切っている芸術祭なのか」と思わずにはいられない。

 終演後、川沿いのレストランに飲みにいく。ビールで乾杯したあと、チビチビじっくりビールを飲んでいると、「橋本さん、それ、ビールの味してます?」とFさんが言う。Fさんにはここ最近禁酒していたことを伝えてあったのだが、あきらかにいつもとペースが違うことを察知されてしまった。そして、そう指摘されると、あんまりビールの味を感じ取れてしないかもしれないなと、不安になってくる。店を出て、広瀬川沿いを歩く。Iさんと並んで、ぽつぽつ話をしていると、「ここが、きぬのはし」と教えてくれる。「ここの端は、女工さんしか通れなかったんだって。それで――この橋の向こうが、製糸工場」。Iさんがさし示したその方角を、しばらくぼんやり眺めた。

10月30日

 8時近くに目を覚ます。朝から往復書簡の返事を考える。明日から1泊だけ前橋に出かけるので、荷造りもしておく。15時頃に部屋を出て、まずは御茶ノ水へ。「ディスクユニオン」のクラシック館に初めて立ち寄る。これまでクラシックはほとんど聞いてこなかった。中学生の頃に背伸びをして、ディアゴスティーニ的なアレで『週刊 世界のクラシック』的なものを親にねだり、毎週届くそれをぼんやり聞いていた程度だ。

 ただ、最近原稿を書く際にレコードをかけるようになって、ピアノの音を聞いていたいと感じる日が出てきた。そこで思い出されたのが、マームとジプシーが川上未映子さんの「ウィステリアと三人の女たち」を舞台化した際に使用されていた、クララ・ハスキルが演奏したベートーヴェンのピアノソナタ32番だった。あれを聞きたい、とネットで検索してみたものの、在庫がある店舗は見つからなかった。そのレコードはいつか見つけて買うとして、クララ・ハスキルの別のレコードを買ってみようと思ったのだ。

 クラシックの場合、演奏者ごとに棚が分かれているのではなく、作曲家ごとに分かれているのか。なんとなくモーツァルトのコーナーを見てみると、クララ・ハスキルのLPが2枚あったので(700円と800円)、とりあえず購入してみる。

 坂を下り、駿河台下交差点へと歩く。再開発の報せがSNSで流れてきた、「エチオピア」や「文庫川村」のあたりに目が向く。その風景が消えることに何か言葉をつぶやけるほど、自分はこの風景に馴染んできただろうか。使ってきただろうかと自問自答する。ずっと通い続けていた坪内さんなら、なにか言葉にできただろう。

 神保町では神田古本まつりが開催中だ(そういえば坪内さんは「古本まつりの期間は神保町に近づかない」と言っていた)。靖国通り沿いのワゴンを冷やかし、白山通りを超えると、ビルの隙間の路地にもワゴンが続いている。「青いカバ」、「古書みすみ」、そして「古本トロワ」と、『東京の古本屋』で取材させてもらった3軒もここに出店している。

 『BRUTUS』のバックナンバーが並んだワゴンから、6冊ほどピックアップ。特集タイトルを抜き出すと以下の通り。「82年はこうなる!」(1982年1月1日・15日号)、「ブルータスの大食贅食快食宣言」(1982年11月15日号)、「いま、トーキョーは世界のスーパースターだ 完全保存版東京案内」(1984年3月10日号)、「ブルータスのシティ・ガイド 東京を知ったかぶる。 異邦人の目で探検すればTOKYOこそ面白天国だ。」(1984年4月1日号)、「日本のピッツァはこれでいいのか!?」(1996年9月15日号)、「日本のパスタは本物なのか!?」(1997年9月15日号)。単に昔に触れるだけでなく、なにか今を見つめるヒントがあるのでは、と。

 帳場に青いカバさん、みすみさん、トロワさんがいらしたので、ご無沙汰してますとご挨拶。そこでUターンして、すずらん通りを歩いて「東京堂書店」を除き、半蔵門線で渋谷に出る。ハロウィン対策で、スクランブル交差点には何箇所かフェンスが設置され、通れなくなっている。こんな日の渋谷に、自分の居場所があるだろうかと不安になりながらセンター街を進み、「兆楽」へ。生ビールとレバニラ炒め(単品)を注文する。6日ぶりのビールを、ちびちび飲む。うまいかどうかはわからない。

 ぼくが座った席の向かいには炊飯器(?)があり、定食の注文が入るたび、カウンターの中にいる料理人がごはんをよそう。立て続けに6つ注文が入ると、「ええ?」と、料理人は怪訝そうな顔をする。ホールの店員が「朝ごはん、朝ごはん」と言うと、料理人がふっと笑う。「朝ごはん」の意味はこちらにはわからないけれど、良い職場だなと思う。

 ホールの店員は、客から注文を受けるたび、一品ずつ、大きな声でカウンター内の料理人にオーダーを伝える。「はい、レバニラ!」「ルースー!」といった具合に。ぼくの後ろのテーブル席に座った連中が、その発声を真似ながら注文すると、途端にその店員さんが不機嫌そうになる。当たり前だろうが、と振り返り、じっと睨んでおく。単品のレバニラでも結構満腹になり、年齢を感じる。

 「兆楽」を出たところで時計を見ると、17時31分。今夜のライブは18時開場だから、まだ早い。しかし喫茶店に入るほど時間が余っているわけでもなく、パルコを冷やかす。椅子という椅子に、海外からの観光客とおぼしき人たちが座っている。たしかに渋谷には、無料で腰をかけて休める場所がほとんどない。結局するりとパルコを出て、開場であるWWW Xの近くに佇んで、道ゆく人を眺めていた。着飾って渋谷を歩く若者を見ると、なんというか、はっとする。古着屋で買った適当なジャージを羽織って出かけてきてしまった。

 ドリンクチケットはハイボールに引き換えて、フロアへ。ライブが始まってからも、やっぱり10月30日の渋谷に自分の居場所はなかったのではないかという気持ちになり、途中で会場を出て今日という日の渋谷を眺めて過ごしていようかとも思っていたけれど、2組目のmaya ongakuがとにかく素晴らしかった。入り口の物販を眺めた際に、maya ongakuのスタッフの方から「レコード、1枚だけ持ってきてるんで、よかったら」と言われていたことを思い出し、ちょっとこれは、レコードを買ってしまおうか、しかしこの調子で散財していて生活が立ちゆくのだろうかと考えながら、演奏を楽しんでいた。終演後に急いで物販に向かうと、レコードは売れてしまっていた。

 街に出ると、夕方は見かけなかった仮装をちらほら見かける。ジョーカーのメイクをした二十歳くらいの若者二人組が、「どうする? もう、写真だけ撮って帰る?」と心細そうに話しているのが聞こえてきて、初々しい。酒の販売を取りやめるとニュースで聞いた気もするが、コンビニの前で観光客が普通に酒を飲んでいた。

 千代田線で根津まで引き返し、「バー長谷川」へ。久しぶりに酒を飲む日なのだから、最後は長谷川さんのハイボールにしようと決めていた。ぼくは22時15分ごろに店に入り、30分ほど遅れて知人がやってきた。そこから30分の間に、知人はハイボールを2杯飲んでいた。ぼくは1時間かけてハイボールを1杯だけ飲んだ。普段ぼくと知人はほとんど同じペースで飲んでいるから、いつもの4倍の時間をかけて、1杯のハイボールを飲んだ計算になる。なんだか長谷川さんに申し訳ないような気がして、「ちょっと、逆流性食道炎で禁酒してて、久しぶりの酒なんです」と言い訳する。「じゃあ、今日はリハビリですね」と長谷川さんは笑っていた。

10月29日

 6時50分に布団から這い出して、知人の弁当を作る。冷凍してあった鮭を焼き、冷凍ブロッコリーを炒めて、小松菜を適当に炒めて詰める。適当な弁当になってしまった。窓を開けて換気扇をまわしても、しばらく焼き鮭の香りがキッチンに残る。うまそうだなと思うが、今日は朝ごはんを食べられない。極力腹を空かせず済むようにと、ふたたび布団に潜り込み、往復書簡の原稿を練っていた。

 今朝も少し、食道に違和感がある。検査で大きな病気が見つかったらどうしようと、不安になる。しかし、その不安は、自分の内側にしかないものだということが、つくづく不思議なことに思える。そして、もしも自分が大きな病気だったとしても、それは世の中にとって何の意味も持たない、というのが不思議だ。診察する医者にとっても、それは症例のひとつに過ぎず、それが大問題になるのは自分だけだ。

 11時に家を出て、地下鉄で西日暮里に出る。ちょっと最後の審判が下されるような気持ちになりかけたが、radikoで聞いていた『#むかいの喋り方』から、PUFFYがカバーした「日曜日よりの使者」が流れてきて、ちょっと心が軽くなる。11時20分にクリニックに到着すると、すぐに受付スタッフに促され、ロッカーに荷物を預け、診察台に横になる。鎮静剤を入れるための針が刺され、喉に麻酔を吹きかけられ、看護師さんが何秒間かカウントするのを待ってから飲み込む。「唾も飲み込めなくなると思うんですけど、枕の下にタオルを引いてありますので」と告げられる。またまた、そんなこと――と思って唾を飲み込んでみようとしても、もう飲み込めなかった。医療っておそろしいなと、こういうときいつも感じる。

 胃カメラ+鎮静剤で思い出すのは、藤井健太郎が手がけた『KILLAH KUTS』の「麻酔ダイイングメッセージ」という企画だ。ぼくは過去にいちどだけ胃カメラで検査を受けたことがあるけれど、そのときは救急車で搬送されたせいか鎮静剤などは使われず、おえっとなり続けながら検査を受けた記憶がある。だから、「麻酔ダイイングメッセージ」という企画を見ながら、「こんなにすぐ意識がなくなって、その状態で検査を受けれるのか」と思っていた。あれなら楽だろうな、と。

 鎮静剤を投与する前に、マウスピースをつけられる。その瞬間に、ちょっと嫌な感触があったけれど、鼻で深呼吸をしてやり過ごそうとする。が、30秒くらい経ったところで、おえっと嘔吐反射が出てしまう。ちょうどそのタイミングで医者が部屋に入ってきて、「あれ、まだ(鎮静剤)入れてないの?」と尋ねる。おえっ、と反射が出たタイミングでマウスピースがちょっと外れて、前歯で咥えるような格好になった。これなら楽だけど、この状態で鎮静剤を入れられて大丈夫なのだろうかと思っているうちに、「じゃあ、鎮静剤入れていきますね」と看護師が言う。

 マウスピースがずれていることに気づいた看護師が、「ちょっと動かしますね」と、マウスピースを正しい位置に戻す。鎮静剤を入れられてそんなに経っていないのに、もうおえっとならない。おお、このまま意識が消えていくのかと思っていると、「はい、じゃあ、胃カメラ入れていきますね」と医者が言う。2013年に緊急搬送先で胃カメラ検査を受けたときは、自分からも見える位置にモニターが置かれていて、「へえー、自分の胃の内部はこんなふうになっているのか」と楽しかった記憶があるのだけど、今日は自分が背中を向けている側にモニターがあるので、つまらない。まあ、ここから意識がなくなるのだろうから、関係ないか。

 胃カメラが挿入される。口の感覚はあるけれど、喉を通り過ぎる感覚はほとんどない。ただ、食道を動いていくのは何となく感じ取れる。医者は看護師に時折何か小声で伝えている。「同じ日に大腸内視鏡検査も続けて受けられますけど、どうしますか」と尋ねられたとき、そのときは今の症状に対する不安が大きかったのと、大腸内視鏡検査だと前日から絶食になるのが億劫で、「とりあえず胃カメラだけで」とお願いしたけれど、やっぱり大腸も検査してもらっておくべきだったかもしれない。午前中は横になって過ごしていたせいか、あるいは不安が大きいせいか、あまり空腹を感じていない。

 「はい、検査終わりです」。医者はそう告げると、胃カメラを引き出す。何かが引き出されていく感触は感じ取れる。ちょっと心地がいい。しかし、鎮静剤って、眠りに落ちるものじゃなかったのだろうかと思いながら、別の部屋にベッドごと運び出されていく。そういえば、初診の日に採血されているとき、看護師に「鎮静剤って、完全に眠った状態で検査を受けるんですか。嘔吐反射が強いので、ちょっと不安で」と尋ねると、「そう、ですね、効果には個人差はどうしてもあるんですけど――ちょっと夢の中にいるみたいな感じで検査を受けていただく感じですかね」と看護師は言っていた。たしかに、あのとき、「眠りに落ちる」とは一言も言わなかったなと思い返す。

 1時間ほどベッドに寝かされる。暇なので、頭の中で原稿を練る。ポケットにペンと紙を忍ばせておけばよかったぼくの検査の予約枠は11時40分からで、おそらく20分がひとつの枠になっているのだろう。ぼくのあとにも、検査を受ける人が診察室に案内され、しばらくすると隣に運ばれてくる。それを何度か繰り返すと、看護師さんがやってきて、身体を起こせるようでしたら、診察室へと促される。

 「はーい、お疲れ様でした。じゃあ、一緒に見ていきましょうね」。モニターに画像が映し出される。「喉から入って――ここが胃と食道の繋ぎ目ですね。ちょっと出っ張ってるのが、軽い逆流性食道炎の初見かな」と医師。画像は胃に切り替わる。これ、胃の奥のほうに――こういう言い方すると、ちょっとびっくりしちゃうかもしれないけど、小さい腫瘍があって――粘膜下腫瘍っていう、ぼこっと出てる。筋肉がこういうふうに出てる場合もあるし、まあ5ミリくらいだから問題ないと思うけど、一部を切って病理検査にまわしますね。まあでも、ちょっと胃炎のあとかなって所見が見られる程度で、胃も食道も、概ね問題なさそうだね。

 医者というのは、どういう感覚で言葉を口にするのだろう。この医者は、どういう瞬間に語尾が「です・ます調」になって、どういう瞬間にタメ口になるのだろう。「タメ口を聞かれて腹立たしい」みたいな話ではなく、発語の感覚に興味を惹かれる。――と、そちらに気を取られかけていたけれど、特に問題がなさそうと言われて、大きく胸を撫で下ろす。それと同時に、疑問が膨らむ。特に食道に炎症は見られないのだとしたら、自分がここ半月感じていた違和感や痛みはどこからやってきているのだろう?

 ついで(?)にピロリ菌の検査を受けて、病院をあとにする。ホームページに書かれていた胃カメラの価格は、3割負担で4500円と表記されていたけれど、一部を切除して病理検査にまわしたからか、会計は1万円を超えていた。時計を見ると、13時過ぎ。今日も日暮里方面に歩き、「一由そば」へ。今日は少しだけ列が出来ていたが、5分くらいで中に入れた。ゲソ天よりは消化にいいだろうと、今日はかき揚げと舞茸天をトッピングに選ぶ。かき揚げにもゲソが入っていた。

 日暮里駅を通り抜け、夕焼けだんだんのほうに出ようとすると、ルノアールの前あたりに石焼き芋のトラックが停まっているのが見えた。少し前に、何日か続けて、森鴎外記念館の前で見かけた石焼き芋のトラックだ。最近見かけないなと思っていたら、場所を移動していたのか。焼き芋よりも、焼き芋を売っているおじさんに興味を惹かれて、「おいくらですか」と声をかける。うちのはどれでも1個700円だよ、2個買ってくれたら1000円にしとくよ、とおじさんは言う。

 高いなあと思いながら、1個買う。前は団子坂上で売ってましたよね、そのとき見かけて気になっていたんです。そう告げると、おじさんは苦笑いしながら、「あっちは結構お客さんがよく買ってくれたんだけど、誰かが警察にチクったのか、パトカーがきちゃってね」と言った。世知辛い世の中だ。その石焼き芋が印象に残ったのは、車の側面に工具がずらりと並んでいたからだった。聞けば、もともと板金修理の仕事を何十年と続けてきて、ある時期からはバイク修理を専門で引き受けるようになったのだという。最近はなかば趣味で、焼き釜を軽トラックの荷台に自分で拵えて、それで石焼き芋を売っているけれど、バイク修理の依頼が入れば、この軽トラックでそのまま修理にいくのだという。そこでも焼き芋を売ったりするんだろうか。

 買い物を終えて家にたどり着く頃には14時を過ぎている。原稿を書かなければと頭では思うのだが、どうにも眠い。食べてすぐ横になるのは病状(今自分は何の病気なのだろう?)を悪化させるので、2時間はどうにか椅子に座って過ごしていたが、15時半には引きっぱなしだった布団に横になる。そういえば、鎮静剤ありで検査を受けるにあたって、「当日は車の運転をしない」という誓約書にサインをしたけれど、これも鎮静剤の効果なのだろうか。

 17時半に目を覚ますと、外がすっかり暗くなっている。慌てて夕食の支度に取り掛かる。今日は魚が食べたいなと思っていた。ただ、スーパーの鮮魚コーナーに売っているのは、鮭・鯖・アジの開き・ほっけくらいだ。鯖は数日前に食べたし、アジの開きは食いでがない。ほっけも数日前に食べたし、スーパーで売っているほっけは、あまり美味しいと思った記憶がない。

 どうしよう。ぼくが鮮魚コーナーで目を向けるのは、いつも焼いて食べれそうな魚ばかりだ。ここのサミットは、焼いて食べる魚と、煮たりなんだりして食べる魚とが、通路を挟んだ反対側に並んでいる。ごくたまに、イカを買って大根と煮ることはあるけれど、煮魚というのはやったことがない。そういうのは繊細な味付けができる人にしか手が出せない分野だと、ずっと思い込んできた。ただ、カレイの切り身が並んでいるのが目に留まり、うちの母親が作る料理で好きなのはカレイの煮付けなんだよなと、カレイの切り身を買ってみる。

 大学生のころ、一人暮らしを始めたばかりの頃に、鯖の味噌煮を作ってみた記憶はあるけれど、なんだか面倒だなという記憶だけが残り、この20年くらいは煮魚を調理した記憶がなかった。ただ、20年ぶりに調理してみると(カレイの煮付けだからかもしれないが)ほとんど手間らしい手間はかからず、拍子抜けする。

10月28日

 嵐のような風が吹いていて、そのうなるような音で明け方に目を覚ます。ただ、今日も知人に弁当を作る必要がないので、8時近くまでごろごろしていた。昨日まで3晩連続で酒を飲まなかった。こんなに酒を飲まなかったのは、コロナに罹ったときか、入院して手術を受けたとき以来だから、いずれにしても数年ぶりだ。洗濯機をまわして洗濯物を干し、昨日観た展示の図録をぱらぱらめくり、感想を書き始める。あっという間にお昼を過ぎてしまう。「せっかく東京にいるのだから、いろんなものを観に行こう」と思ったはいいが、そこで感じたことを書き留めておこうと考え出すと、それだけで時間がどんどん過ぎ去ってしまう。

 13時半に買い物に出る。雲ひとつない青空。ちょっと遠くのサミットに入ってみると、やっぱりここならラム肉が何種類か並んでいる。数日前に、しばらく前に放送された『マツコの知らない世界』の録画を観た。「麻婆豆腐の世界」の回。最近は晩ごはんによく麻婆豆腐を(丸美屋を使わずに)作っているのだけど、その『マツコの知らない世界』で、“ミンチにした挽肉ではなく、包丁でカットした豚肉を使った麻婆豆腐”や、“ラム肉を使った麻婆豆腐”が紹介されていて、ちょっとそれを作ってみたいと思ったのだった。

 マンションに戻ると、知人が仕事から帰ってきている。お昼をつくるのは億劫になったので、サミットで買ってきたマルちゃんの“ゴツ盛り”カップ麺(豚骨)にお湯を注ぐ。もしも自分が患っているのが逆流性食道炎だとすれば、消化の悪いものと高脂質の食事は避けるべきなのだが、「消化にも悪いし、ぶち脂質やん」と知人が言う。カップラーメンは食べてもすぐお腹が減るから、消化が悪いという印象を抱いていなかった。そうだったのか。15時過ぎに、ようやく展示の感想と日記とを書き終えて(一体何をやっているのだろう?)、ようやく原稿に取り掛かる。

 19時、干し豆腐とたまねぎを使った前菜と、ラム肉の麻婆豆腐で“晩酌”。酒を飲まなかった初日――先週の日曜日は、ノンアルを2本飲んだあと、炭酸水を2杯飲んで、そのあと煎茶を飲んでいた。普段はずっと、知人とテレビを観ながら酒を飲み続けているので、「なにかその代わりに」と、あれこれ飲んでいた。しかし、アルコールならともかく(?)、酒以外のものに置き換えると、「何をこんなに水分を摂り続けているんだ?」と我に返る。夜だけで2リットル近い水分を摂取している。飲みたいというよりも、グラスを口元に運ぶ動作を、惰性のように繰り返しているだけだ。

 酒を飲まずに過ごしていると、そこに意識が向く。こんなに水分を摂る必要はないよなと、日ごとに量が減り、今日はノンアルを1本飲んだあと、ポッカレモンを垂らした水をコップ1杯飲んで、ノンカフェインの紅茶を1杯飲んだ。初日に比べると、半分くらいの量だ(これは、20時から知人はオンライン会議があったので、ひとりで本を読んでいた影響もあるけれど)。健康のことを考えれば――そして、自分の症状が逆流性食道炎なのだとすれば、多くのサイトで「症状を改善する方法」として出てくるのは――「生活習慣」を改める、ということに尽きるのだろう。ただ、生活習慣を見直してしまったら、それまでの“わたし”はどこに行ってしまうのだろう、とも思う。惰性にこそ、“わたし”が詰まっているような気もする。