9月20日

 7時半、知人が身支度をする音で目が覚める。公演が終わったばかりだが、知人は今日からアルバイトに出るという。午前中は、支払期限を過ぎてしまった高速バスを予約し直して、兄夫婦あてに出産祝いのカタログギフトを手配する。スーパーマーケットで食材を、「やなか珈琲」で豆を買ってきて、昼、納豆オクラ豆腐そばを平らげてコーヒーを淹れる。午後、那覇ジュンク堂書店で開催したトークイベントの構成を進めて、確認してもらうべくメールで送信。

 夕方、洗濯機の掃除をする。バケツに40℃の湯を注ぎながら、お湯取り機能で洗濯槽に湯を移していく。いっぱいになったところでシャボンの洗濯槽クリーナーを入れて、「洗い」のみ回転させる。浮いてきた洗濯槽の汚れを掬い取り、また「洗い」で回転させて、浮いてきた汚れを掬い取る。それを無心で繰り返してしまう。気づけば18時、すっかり日が暮れている。昨日まで西日本にいたせいもあり、こんなに日が暮れるのは早かったっけかと寂しい気持ちになる。

 もやしのピバーチ炒めとこんにゃくのめんつゆ煮を作り、チューハイで晩酌を始める。メールを返したり、日記を書いたり、録画を観たりしながら酒を飲んだ。知人が帰ってくる時間に合わせて、豆腐ハンバーグと、エリンギとししとう花椒炒めを作り、『アメトーク!ゴールデン3時間SP』のうち、最初のキャンプ芸人だけ観る。ソロキャンプ派と「グランピング」派に分かれている(キャンプに詳しい後輩に準備をさせてキャンプを楽しむというのは、ほぼグランピングだろう)。

 その、皆でひとつの時間を共有して過ごす雰囲気には馴染めないなと思う。それは部活や会社の飲み会のようでもあり、苦手だなと感じる(就職して生きていくという生活を選ばなかった芸人という職業の人たちがそんなふうに過ごしていることを、どこか不思議に感じる)。その一方で、ソロキャンプの人たちも、皆でキャンプに出かけてはいるものの、それぞれが好き勝手に過ごしていて、初めてキャンプを「楽しそうだ」と感じる。

9月19日

 7時過ぎに目を覚ます。シャワーを浴びて荷物の整理をして、8時に朝食会場に行ってみる。入場待ちをしているお客さんがおり、待っていたら待ち合わせの時間に遅れてしまいそうなので、朝食はあきらめる。自分がいつも地方都市で宿泊するホテルよりも少し良いホテルだったので、朝食を食べられず残念だ。8時半に放送局の前に行き、ロケに出る。途中で、ロケとは別に、山口の「長沢ガーデン」に立ち寄る。知人の実家にほど近い場所にあるドライブインだ。入り口には「板さんの店」と看板が出ており、釜飯や刺身定食などサンプルが並んでいる。一階はお土産物が並び、二階が大食堂になっているようである。

 それとは別に、軒先に売店があり、フライドポテトやたこ焼きを売っている。知人は小さい頃から家族で出かけるときによく「長沢ガーデン」の前を通りかかり、フライドポテトを食べていたという。せっかくだから注文してみると、売店のおばちゃんがポテトをフライヤーに入れる。わざわざ揚げたてを作ってくれるのかと驚く。出来上がったフライドポテトは、懐かしい味がする。僕が隣町にあるショッピングセンターのフードコートで食べていたのも、こんな味のするフライドポテトだった。一体何が違っているのだろう。車内にポテトの匂いが充満しないように、急いで食べる。ドライブインを出発すると、再び湖が見えてきて、その向こうに打ちっぱなしがあった。平日の昼間だというのに、たくさんの人がゴルフに興じている。

 12時過ぎからロケ。店主が落ち着いたところでインタビューを始めたのだが、いくつか質問して、ギアが入ったところで一度中断される。それはセッティングの問題だから仕方がないけれど、インタビューを再開していると、少し質問したところで再び中断され、ディレクターがインタビュアーになり、僕はそれを後ろから聞く時間になる。しばらくして、再び僕が聞き手になるも、またすぐに中断され、再び後ろから聞くことになる。僕が聞いた質問を繰り返してもいて、これは一体、何を見せられているのだろう。インタビューを僕がやらないとなると、僕の仕事は店の外観や内観を解説し、食べ物を食べる――タレントやアナウンサーの仕事である。本の宣伝になるのであればとあれこれ引き受けてきたけれど、今後は自分が取材する案件以外は断ろうと心に決める。そして、やはり、欲しいコメントを促す質問に違和感をおぼえる。

 役目を終えて、店内を眺めて過ごす。トラック運転手のお父さんがやってきて、まずは小鉢を選んで席につき、二階堂のボトルを運んできてもらって晩酌を始めている。その後ろ姿を眺めながら、僕も二階堂の水割りを注文する。グラス、焼酎の入ったガラス製の徳利、氷入れ、水の入った小さなやかんが運ばれてくる。お父さんは野菜が3倍、麺が1.5倍の「ましましチャンポン」を頼んで、タオルを鉢巻のように巻き、コショウをたっぷり振って食べ始める。左利きだ。食レポの影響でわりとお腹は満ちているけれど、僕もましましちゃんぽんを注文し、スープまで飲み干した。窓の外には綺麗な夕焼けが見えた。こんなに綺麗な夕焼けが見えたのだからいい一日だったと思うことにする。

 手配してくださっていたタクシーに乗り、空港に向かう。運転手さんが、今見えているのは宇部興産の工場です、ここが宇部興産の本社です、となぜか案内してくれる。山口県には工業地帯が続いており、小野田であれば小野田セメントの城下町であるように、ここは宇部興産の城下町であるらしかった。その風景を眺めながら、「企業城下町をあるく」的な企画をやってみてはどうだろうと思い浮かべる。かつて存在した古き良き時代と、移り変わりつつある今と、それでも残る面影と――そこまで妄想したところで、こういうことばかり考えているから「コメントの中で昭和というキーワードを出していただければ」と言われるのだなと思う。そして、そんな企画を思い浮かべたのは、Kさんから太田とスバルについて触れていた記憶が残っているからでもある。

 飛行機で羽田空港にたどり着き、22時45分、知人と根津駅で待ち合わせる。バー「H」に入り、ハイボールを1杯だけ飲んで、気持ちを落ち着かせてからアパートに帰った。

9月18日

 7時に起きて、シャワーを浴び、実家を発つ。駅のホームで電車を待ちながら、20年前は毎日このホームで電車を待っていたのだなと不思議に思う。高校生の頃は、座って通学したいのと、早く登校して勉強しようと、始発に近い電車に乗っていた時期がある。今で言う朝活の走りだ。あの頃の自分が日々何を思っていたのか、まったく思い出すことはできないけれど、ただこのホームで同じ風景を眺めていたことは間違いないわけで、それがとても不思議なことに思える。

 9時に放送局の前で待ち合わせて、ロケに出る。12時にお店に到着して、取材できそうになるまで待機して、取材する。僕の本業はもちろん文章を書くことだけれども、媒体によってスタイルが違っているのだなと改めて思う。文章であれば、取材したい相手がとりとめのない言葉を話していたとしても、そのとりとめもなさを言葉にすることもできる。でも、映像、それもゴールデンと呼ばれる時間帯となると、もっと着地をはっきりさせなければならないのだろう。ぼんやり眺めている人にも何かの印象を抱かせるには、そうする必要があるのだろう。でも、書いていて思ったけれど、それは媒体の違いに限らず、活字の世界でもそういったことは起こりうる。たとえば政治家の不祥事が起きたときに、「こんなことが発覚したわけですけど、市民としてどう思いますか?」と、「許せません」という言葉を引き出すために質問を投げかけるということは、活字の世界にだってよく起きていることなのだろう。それはつまるところ、マスをターゲットにしているか、読み取ってくれる人をターゲットにしているかの違いなのだと思いつつ、その壁を崩す方法がどこかにあるはずだと僕は思っている。

 20時半に広島市内に引き返してきて、手配してくださっていたホテルにチェックイン。部屋に入ってみるとツインルームで恐縮する。すぐに着替えて部屋を出て、お酒を少しご馳走になったのち、23時、缶ビールを手に元安川沿いを歩く。ずっと楽しみにしていたカネコアヤノのアルバムがApple Musicで聴けるようになっている。これを聴く日をずっと楽しみにしていた。原爆ドームを眺めながら、聴く。先日のライブで聴いた演奏が素晴らしく、音源を聴いていても、その時間を思い返してしまう。

9月17日

 8時には起きるつもりでいたのに、9時半頃まで眠ってしまっていた。電車に乗って広島市内に出かけ、12時に放送局前で待ち合わせて、コメダ珈琲で打ち合わせ。1時間半ほどで終わり、近くのお好み焼き屋「はぜや」に駆け込む。14時までの営業と書かれていたので、もしかしたら13時半がラストオーダーかもしれないと思ったのだが、14時までは入店できるらしかった。瓶ビールと肉玉そばを注文。お好み焼きは焼きあがるまでにどうしても時間がかかるけれど、今日は朝ごはんを食べておらず、しばらく空腹に耐えなければなと思っていると、あっという間に焼き上がる。これまで訪れたお好み焼き屋さんで一番早いと感じるほどで、驚く。しかも細かく切ってくれていて、飲みながら食べるのにちょうどいいサイズだ。おいしく食べ終える。

 食後は平和祈念資料館を訪れる。展示をリニューアルしてから初めて訪れるが、何度も訪れたことがあり、風景というよりも感情や気分として記憶されているので、前がどうだったのかはさほど覚えていない。エスカレーターを上がると、原爆が投下される前の広島の街並みを撮影した写真が大きく貼られてある。中心部もこんなに木造家屋ばかりだったのだなと思う。元安川のほとりにも木造家屋が並んでおり、家の裏側から川べりまで、それぞれの家から階段がある。そこで洗濯をしていたのだろう。そうした生活が元安川のほとりに――広島の中心に――あったとは、今まで想像したこともなかった。路面電車の軌道があり、路面電車のすぐ後ろを、自動車が走っていることに驚く。馬車もその軌道を走っている。

 そんな写真をまじまじと眺めて、最初の部屋に移動すると、三方の壁にわたって原爆投下後の広島を撮影した写真が大きく展示されている。さっき目にした風景が、一瞬にして灰塵に帰したのだとよくわかる。写真のところどころに人の姿が見える。終盤には、8月7日に掲げられた「復興」と書かれた旗も展示されているけれど、この風景から復興を考えることができたのはすごいことだ。

 1時間かけて展示を観終えて外に出る。展示室を抜けた先に見えてくる、平和公園の緑がとても鮮やかに感じられる。今回はサンダル履きで帰省してしまったけれど、明日からのロケは靴でお願いしたいと依頼され、安いものであれば経費でお支払いしますのでと言っていただいていたので、まずは靴屋を探す。本通りを少し歩いたが見当たらず、市内電車で駅前まで引き返す。もうすぐ取り壊されてしまうという駅ビル――僕が高校生の頃はまだ真新しかった――に「ABCマート」が入っているとGoogleマップが言うので行ってみると、とても小さな店舗である上に、女性ものを中心とした品揃えだ。駅前すぐの百貨店も覗いてみたがスニーカーはあまり売っておらず、諦めて実家の最寄り駅まで引き返し、車で隣町に出かけることになる。ショッピングモールの「ABCマート」でアディダスのスニーカーを物色して、これなら経費として認めてもらえるだろうと、7千円のスニーカーを買い求める。

 靴を買い終えて実家に戻ると、ちょうど夕暮れ時だ。せっかくだから田んぼを眺めて歩いておく。休耕田となり、74歳になった父が草刈りするだけになって何十年が経過した田んぼだ。先日観た『ルイ・ルイ』でこーじさんが「米は作ってみたかったな」と言っていたことが頭をよぎり、この田んぼでどれくらいのコメができるのだろうかと考える。18時半、夕食。シチューとサラダのようなスパゲティである。ビールを2本飲んで部屋に上がり、白牡丹を飲みながらひたすらテープ起こしを続ける。

9月16日

 8時過ぎに起きる。午前中は10月のスケジュールを考えて過ごす。前回沖縄を訪れたのは8月中旬で、今月のうちに出かけるつもりでいたけれど、金銭的に難しそうである。今月末にはRKSPで連載が始まることだし、行っていけないことはないけれど、連載の第2回までは取材済みで、今足を運んだとしてもやれることは少ないだろう。沖縄にはアーケードの撤去が始まる頃に出かけることにして、10月上旬にはやはり京都エクスペリメントに行かなければと思い直す。演劇作品は足を運ばなければ観ることができず、観なければ何も書くことができないままになってしまう。

 しかし、京都は遠い。青春18きっぷの時期であれば「気軽に行ける」と思えるのに、それ以外の時期だと遠く感じる。しかし、夜行バスに乗る気力は湧いてこず、交通手段を調べてみると、昼行便があると知る。京都くらい遠くなると昼行便はないものだとばかり思っていた。しかも、夜行より割安だ。夜行であれば移動を睡眠に充てられるのに、昼行だと一日移動で潰れてしまうからなのだろう。でも、コンセントもついているようだし、車内でパソコンを広げて仕事をしていればいいので、行きは高速バスに乗り、観劇し、終電の新幹線で帰るプランを立てる。

 昼、昨日のすき焼きの残りと、おでんが食卓に並んだ。僕が帰省した日から冷蔵庫にセブンイレブンの容器が入っていた。そちらは食べず、すき焼きの残りをおかずにごはんを二膳。午後は那覇で開催したトークイベントを、今更ながらテープ起こしする。作業を進めながら、10月末に中国まで公演に帯同する日々のことを思い浮かべる。そのうちに、そこに出演するN.Aさんのことを思い出し、それと同時にバターケーキのことが思い浮かんでくる。Nさんが死ぬ前に食べたいと言っていたバターケーキは、彼女のひいおばあちゃんの家がある岡山に本社があるケーキ屋さんのバターケーキで、そのお店は僕の郷里にもあるのだ。そこまで思い出したところで、今日は敬老の日だったと気づく。いそいそと車で出かけ、バターケーキを買ってくる。

 18時半に夕食。カレイの煮付け。食後、隣の祖母宅に行き、バターケーキを食べる。父が写真を撮ろうとするのを頑なに断る。祖母は記憶がおぼろげになっていて、ケーキを切り分けているあいだ、やっぱりお友達はいいねえ、と言っている。母が切り分けたケーキを一口食べると、「これとおんなじではないんじゃろうけど、こんとなのを食べよったような気がするよ」と祖母が言う。何度かバターケーキを買ってきて一緒に食べたことがあるから、それが記憶のどこかに残っているのだろう。あっという間に平らげると、「また来年もきてください。私が生きとったらね」とあっけらかんと口にする。それを聞いた母が、何を言いよんね、そんとに早くは行かれやしません、と返す。

9月15日

 7時過ぎに目を覚ます。すぐにシャワーを浴びて身支度をして、実家の車を走らせ出発する。志和インターから山陽自動車道に入り、東に向けてひた走る。三連休とあって車がたくさん走っている。飛ばしたところで、到着時間はそんなに変わらないだろう。気長に走ろうと思っていると、後方からジグザグに走る車が近づいてきて、時に路側帯まで使いながら追い抜いて去ってゆく。そうやってスーパーボウルのように跳ねながら走行する車を、1時間のあいだに3台も見かけた。何をどうすればあんな運転になるのだろう。「自分が事故に遭うことなんてありえない」と思っているのだろうけれど、そんなに過信できるのはすごいなと思う。

 倉敷ジャンクションから瀬戸中央自動車道に入る。思えば自分の運転で瀬戸大橋を渡るのは初めてだ。児島インターのあたりで、ラ・レインボータワーが見えた。瀬戸大橋を渡るには高速道路を通るしかなく、岡山からドライブにきたのであればともかく、広島や兵庫からドライブにやってきた客が「何か見えるから、ちょっと寄ってみようか」と思うことはないだろうなと思う。それよりも早く瀬戸大橋を渡りたいと思うだろう。考えてみれば当たり前のことで、どうしてそこに巨額の資金を投じてドライブインをオープンさせようと思ったのか、ほんとうに不思議だ。

 双眼鏡のような短いトンネルがあり、その向こうに瀬戸大橋が見えてくる。開通から30年以上が経過し、錆も目に付くけれど、それでも壮観だ。陸地から眺めるのとはまったく違った風景がそこにあり、こんな橋だったのだなあとほとんど感動する。海には小さな漁船がいくつも見える。穏やかな風景だが、完全なる工業地帯になっている島もあり、そのコントラストも印象的である。途中の与島パーキングエリアに立ち寄る。入り口で旗を振っている人たちがおり、周りで佇む人たちが瀬戸大橋を見上げ、スマートフォンを構えている。何だろう、皆既日食でもあるのかと思っていると、瀬戸大橋線の車両が通りかかる。朝ごはんを食べていなかったので、売店をぐるりと眺めて、下津井はたこが名物であるので、地元のものを使っているかは不明だがたこ焼きを買って食べる。

 10時40分に善通寺にたどり着く。車を駐車場に止めて、四国学院大学に行き、藤田貴大作・演出による『mizugiwa/madogiwa』という作品を観る。『mizugiwa』は去年の夏に新潟で、『madogiwa』は今年の7月に京都で、それぞれワークショップに参加した人たちと一緒にクリエイションした作品である。それを、ここ四国学院大学で演劇を学ぶ学生たちとリクリエイションしたものだ。こういった企画の場合、参加者にインタビューしながらクリエイションが進められることもあり、作品の中には善通寺界隈の固有名詞も登場するが、もとは新潟や京都で作られた作品でもあるので、その固有名詞も残っている。僕は『mizugiwa』に関しては現地で観ているせいもあるかもしれないけれど、さまざまな土地の名前が登場することが違和感となるというよりも、むしろ作品を多層的にしていて、「この町に滞在しながら、この町のことを演劇にしました」というスケールを突き抜けているように感じる。

 観ていてハッとさせられたのは、自転車をひっくり返して修理する場面が登場したところ。そのシーンを最初に観たのは、たしか『ヒダリメノヒダ』という作品だった気がする。その作品には、エルトン・ジョンの「Goodbye Yellow Brick Road」が印象的に使われている(そして、それを劇中で歌うのは、『mizugiwa/madogiwa』にマームの俳優として唯一参加している川崎ゆり子だ)。今日、高速道路を走りながらラジオを聴いていると、エルトン・ジョンの「Rocket Man」が流れたこともあり、パーキングエリアに立ち寄ったあとは『Goodbye Yellow Brick Road』を聴きながら走っていたのだ。

 記憶が混線する。今の風景に記憶が重なる。学校の窓について語られる場面で、スクリーンには古ぼけた学校の裏庭が映し出される。そこにはブランコがある。この裏庭を、ぼくは知っている。それは京都の立誠小学校の裏庭であり、今ではもう立ち入ることができなくなってしまった。その映像がどこのものであるかを観客が知っている必要なんてもちろんないのだけれど、どうしてもそこで観た作品のことを思い出してしまう。学校の窓と聞いても、思い浮かぶのは自分の学生時代のことではなく、いつだか目にしたはずの作品の風景ばかりだ。

 終演後、アフタートークを聞いて劇場をあとにする。ロビーに出ると藤田さんの姿があり、中国、よろしくお願いしますと言葉を交わす。気づけばもう一ヶ月後だ。駐車場まで引き返して車に乗り、讃岐うどん屋を目指す。先週の日曜、結婚式で十数年ぶりに再会した人から、善通寺に美味しいお店があると教えてもらっていたので、今日はそこに行こうと決めていた。「香の香」という店の近くにたどり着くと、駐車場に入るために並んでいる車が数台目に留まる。ああ、行列ができる人気店なのか。これは少し待つかもなと思いながら、ほどなくして車を駐車場に止めて、行列の最後尾まで行ってみて驚く。店をぐるりと囲むように列が伸びていたのである。しかし、他に調べていた店もなく、並ぶことにする。1時間ほど待ってようやく入店し、釜揚げうどん(大)とバラ寿司をいただく。うどんはたしかにうまかった。

 食べ終えるとすぐに引き返す。再び瀬戸大橋を渡っていると、正面に鷲羽山ハイランドとせとうち児島ホテル、それにラ・レインボーが見えてくる。こんなふうに正面に見えるとはまったく知らなかった。ドライブインの取材をしているあいだ、何度この土地を訪れたことだろう。あんなに何度も足を運べたのは、『S!』誌の対談連載があったおかげだ。僕が取材で東京を離れていて収録に同席できないときは、音源だけ送ってもらって構成したことも何度もある。その定収入があったおかげで、あんなにあちこち移動し続けることができたのだと、今になって実感する。対談連載が終わったのが2018年の春で、ちょうど『月刊ドライブイン』の最後の号を取材していた時期だ。今でもあちこち出かけたいのに、交通費という壁が大きく立ちはだかる。今日の公演も、先週末まであきらめかけていた。

 途中に福山サービスエリアに立ち寄り、レモンとバニラのミックスソフトを食べる。旅行客で溢れ返っている。ツーリングチームが休憩している。高速道路を走っていると、キャンプ道具を積んだ大型バイクを何台も見かけた。そんなふうに旅に出ている人や、バックパッカーとして海外を旅している人のことを、昔の僕はどこかでバカにしていたんだと思う。たぶん、「若いうちに」と旅に出るのが嫌だったんだと思う。大学生活を謳歌するように駅前でたむろする若者たちも、自分が彼らと同世代だった頃から嫌いだった。でも、今日、キャンプ道具を積んで走る人の姿を見かけるたびに、心の底から「いいね」という気持ちが湧いてきた。普段は職場で仕事をこなし、休みの日を見つけては旅に出る。なんて素晴らしいのだろう。それに比べて、自分の生活はなんと地に足のついていないことか。高速道路を走っていると、「車やバイクを購入して、それを維持できる人がこんなにいるのか!」と、そんな次元で驚いてしまう。

 どういうわけだかお金のことばかり考えている。

 16時半に実家まで帰ってくる。18時過ぎ、夕食。今日はすき焼きである。ビールを2缶飲んで、部屋に上がり、構成仕事をしながら白牡丹を飲んだ。東京のアパートで飲むときはもっぱらチューハイやハイボールだが、実家にいると、一階と往復するのが億劫なのと、酒を飲むことを咎められても億劫なので、常温で飲めるものを飲むことが多い。今回は白牡丹の紙パックを買ってきて、それを飲んでいる。23時に集中力が途切れてしまって、実家の書棚になった志賀直哉の「城の崎にて」を読んだ。

9月14日

 7時半に起きる。最近のビジネスホテルはインスタントではなく簡易ドリップ式のコーヒーが置いてあることが多く、知人から「コーヒー屋さん」とコーヒーをねだられる。湯を沸かして、コーヒーを淹れる。テレビでは『サタデープラス』が放送されていて、ウド鈴木周防大島を旅している。「山口のおばちゃんって、ほんと、山口って感じよね」と山口出身の知人が言う。9時半にチェックアウトして、知人と別れ、ブルーラインで新横浜に出る。 JR東日本のウェブサイトから切符を予約しておいたのだが、窓口はJR東海で、発見できなかった。駅員に尋ねると、この改札口にある機会だと発見できないので、入場券を発行するから反対側の改札口まで行くようにと指示される。ああ、もう!

 なんとか発見し終えて、新幹線の改札をくぐる。新横浜から新幹線に乗るのは初めてだが、あちこちに崎陽軒があって落ち着く。売っている場所を探して歩く必要がここではまったくないのだ。今日は10時10分東京発のぞみ23号を予約していて、それが新横浜にやってきたところで乗るつもりでいた。その新幹線は10時29分に新横浜を出るはずだから、ホームで待っていたのだが、電光掲示板を見ると「23号」とは違う数字が書かれている。もしかしたら新横浜には停車しないのぞみだったのか――いや、のぞみはすべて新横浜に停まるはず――と混乱し、一本見送り、次にやってきたのぞみの自由席に座る。3連休の初日とあってかなり混んでいたけれど、無事に通路側に座れてホッとする。ほどなくして車掌さんが改札にやってきて、「こちらの指定は取り消してもよろしいですか?」と言われる。きっと名古屋か京都あたりで誰か別の人が座るのだろう。それにしても、僕が乗るはずだったのぞみはどこに消えたのだろう?

 しばらくテープ起こしをして、名古屋に到着したあたりで車内販売のビールを買い、シウマイ弁当を食べる。なにか違和感をおぼえ、一体何だろうと思ってみると、いつも東京駅で売っているものとは蓋が違っていて、東京で買えるものはビニールの包装で封がされているのに、横浜で買えるものは紐で封をしてあるのだった。思い返してみると、桜木町の急な坂スタジオに行くとき、あるいは先日羽田空港シウマイ弁当を買ったときも、横浜バージョンの弁当だったが、違いに気づいていなかった。こうして、いつものと同じように新幹線の車内で広げてみて、初めてその違いに気づく。

 13時半に岡山に到着して、倉敷に出る。人生で初めて「途中下車」する。これまで100回どころではなく新幹線に乗ってきたのに、「100キロ以上の区間の切符であれば、何度でも途中下車できる」というルールを知らなかった……。荷物をコインロッカーに預け、街を歩く。ずいぶん店が増えたなと思う。僕が帰省の途中に倉敷に立ち寄るようになって10年が経ち、そのあいだに少しずつ店は増えていたけれど、この半年のあいだにグンと増えた感じがする。それは、いかにも「新しい日本の伝統」といった感じのする、明るい店が増えたせいだろう。前よりもずっと先まで商店が続いていて、「ひょっとしたらもう通り過ぎてしまったのでは」と不安に思い始めたところに、「蟲文庫」の看板が見えてくる。

 表には骨折のため不定休の貼り紙があるけれど、今日は営業していてホッとする。「ほんとは1日ごとに休みたいんですけど、今週と来週は3連休だから、頑張ってあけてるんです」と蟲さんが言う。今年の初夏頃に骨折されて、お店を営業できるまでには回復されているけれど、毎日だとまだくたびれてしまうのだろう。そんなに大変な骨折だったのかと伺いたいけれど、怪我のことをそんなにあれこれ聞いてもよいものかわからず、聞かずに過ごす。お店が増えましたねと言うと、ここ最近ですごく増えましたと蟲さんも同意してくれる。昔は病院に入院していて、外出許可をもらった人が本を買いにきてくれることもあったけど、ずいぶん少なくなったのだ、と。昔から美観地区は観光地ではあったのだろうけれど、観光客が歩く範囲が広がり、にぎわいも増したことで、入院している人には明る過ぎるのだろう。

 今回の旅にはスーツケースを持ってきていないので、買うのは文庫本だけにするつもりで棚を眺める。中上健次の『熊野集』(講談社文芸文庫)と、吉田健一『東京の昔』(ちくま学芸文庫)を手に取る。倉敷にくるたび、危口さんは中上健次が好きだったなと思い出して、いつか読まなければと思いながらも、まだほとんど読んでいない。そして吉田健一も、これまで何度か読もうとしながらも、あの文体にうまく身を委ねられなかった。でも、2020年の東京を眺める前に、この本は読んでおくべきな気がすると思って、買い求める。書棚の中には、最初に「蟲文庫」を訪れた頃からずっとそこにある本もある。三田誠広『僕って何』や加藤典洋敗戦後論』を眺めながら、ここで最初に見かけたときにはまだ著者が生きていたのに、今はもう死んでしまっているということを、不思議に思う。

 日本文学の棚に池澤夏樹責任編集の日本文学全集がいくつか並んでおり、そこに吉田健一の巻があるのを見つけた。月報に書かれた柴崎友香の文章を眺めているうちに、荷物に入りからなくなるかもしれないけど、やっぱりこれは買っておこうと、一緒に買い求める。ジュースを1杯ご馳走になって、お礼を言って店を出る。ローソンでアサヒスーパードライを買って、お墓に行く。お墓へと続く道に、空き缶やペットボトルが散乱していて、いやなにおいがする。前来たときはこうではなかったのに、どうしたのだろう。お墓にたどり着き、手を合わせる。缶コーヒーが何本かお供えされている。墓を眺めながら、缶ビールを飲み干す。快快の『ルイ・ルイ』、危口さんが観ていたらどんな感想を言っていただろう。それを聞くことができないというのは、なんとも不思議な心地がする。

 倉敷駅から再び電車に乗って、18時43分、実家のある駅にたどり着く。母に駅まで迎えにきてもらうように頼んでいたのだが、改札を出て歩道橋を降りていくと、その裏に母親が立って上を見上げていてぎょっとする。ぼけてしまったのか。一瞬ほんとうにそう思ったけれど、そうではなく、今日はロータリーに停車できなかったから別の場所に車を停めており、エレベーターで降りてくるか階段で降りてくるかわからないので、そうして待っていたらしかった。とりあえずはホッとしたけれど、母親ももうすぐ70歳になる。実家に帰るまでの道すがら、ブレーキをかけるタイミングが少し遅くなっていて、反対にウィンカーはずいぶん前から上げていることに気づく。