5月2日

 7時過ぎに目が覚める。自宅で晩酌していただけなのに、昨晩は飲み過ぎてしまった。8時過ぎに布団から這い出して、ゴミ出しを済ませる。今日は休日だからか、知人が早く起きてきて、「コーヒーは淹れんのん?」とせがんでくる。先にコーヒーを淹れて、セブンイレブンに出かけ、新商品のもっちり塩パン(チーズ)を買ってくる。コーヒーを飲みながら、久しぶりに新聞を熟読する。「私たちはこれまで、天皇に何でも期待しすぎだったのではないか」という皇室史研究者の言葉が目に留まる。そして、皇統を担えるのは「53歳の秋篠宮さま、83歳の常陸宮さま」、それに「12歳の悠仁さまを加えた3人しかいない」という記述に改めて驚く。一体どうしていくのだろう。

 昼、納豆オクラ豆腐そばを食す。午後は本棚の整理をして過ごす。15時過ぎにクロネコヤマトが宅急便の集荷に来てくれる。16時45分頃に再びチャイムが鳴り、おうらいざでーす、とインターホン越しに声がする。「古書信天翁」が閉店してしまって、「古書ほうろう」も移転して開店準備中である今、本を売りに行く先がなくなってしまっているので、セトさんに「別の用事で通りかかる時にでも」と出張買取をお願いしていたのだが、ムトーさんとふたりでさっそくやってきてくれる。二人は引越しも手伝ってくれて、引っ越したばかりの様子しか見たことがないせいか、中に入るなり「うわー、部屋だ」と口にする。段ボール2箱ぶんくらいだから、あっという間に運び出してくれて、車で走り去ってゆく。僕は鍵を忘れて出てしまって、しばらく待って大家さんに鍵をあけてもらう。

 17時過ぎ、散歩に出る。西日が強く射していたので、買ったばかりのサングラスをかけてみる。色が薄めのものにしたせいか、太陽が正面にあると眩しく、これで効果があるのだろうかと不安になる。よみせ通りも、谷中ぎんざも、すごい人出。「越後屋本店」でアサヒスーパードライを購入し、なんとか場所を見つけて腰を落ち着ける。お酒を買わずに座る人が後を絶たず、お父さんが「休憩所じゃないんで」と何度も断っている。観光客ばかりでなく、常連のお客さんも多くいる。あら、今日も仕事だったの。仕事だよ、なんだか知んねえけど祝日ってことになってるけど、今日は普通の日だよ。仕事帰りのお父さんが答えている。

 角の惣菜屋さんと焼鳥屋さんでツマミを買って帰り、19時から晩酌を始める。まずは4月30日に放送されたNHKスペシャル『日本人と天皇』観る。気合の入ったドキュメンタリーだ。ここ数日、テレビをつければ「こういうときって、こういう言葉遣いをしておけばいいんでしょう?」という意識が透けて見える言葉が溢れ返っているなかで、ナレーションの一言一言にまで意識が巡らされている。具体的に書き始めると大変だから省くけれど、「終戦」ではなく「敗戦」という言葉を使っていた。驚いたのは、ここ400年の天皇の中で、側室の子ではないのは明正天皇昭和天皇、それに(放送時点での)天皇陛下の3人だけだと語られていたこと。側室という文化が昔は普通のもので、「家を繋いでいく」ということが何より重要なことだった時代には「男系」というものを保つことができていたかもしれないけれど、それはもう、いくらなんでも無理だろう。印象的だったのは、女系天皇を認める議論が巻き起こったとき、強烈に反対した保守派が日本武道館で反対集会を行っていて、その中心人物だった平沼赳夫が出演していたこと。すっかり年老いた平沼に当時の映像を見せて、今でも考えは変わりませんかとスタッフが問いかける。「やっぱり、悠仁親王に男の子がたくさん将来お生まれになることが望ましい」と平沼が答える。一般のわれわれにしたって、女の子がずっと生まれるというのはありますし、天皇家だけ例外があるかと言いますと、とスタッフが返す。「誰にも結論は出ないでしょうけど、じっと待つしかないな。それを信じながら」。そう語り終えて、すこし目を逸らす平沼赳夫の姿が、妙に印象に残った。

 知人はコンサートに出かけているので、続けて『プロフェッショナル 仕事の流儀』観る。4月23日に放送されていた、カレーSP。荻窪で38年間変わらぬ作り方を続ける欧風カレーの店と、それとは対照的に、これまで手がけたレシピは1000種類を超え、「同じカレーは作らない」と語るスパイスカレーの店が取り上げられている。一見すると対置されているようでいて、二軒とも、ただ「今」を生き続けているという点では共通している。時折、少しずけっとした質問が挟まれる。そのたびに「ちょっとずけっとしてるなあ」と思うけれど、でも、だからこそ引き出されている答えがある。ドキュメントは、どういう言葉を切り取って届けられるかがすべてだ。多少ずけっとしていたとしても、言葉が引き出せるのであれば、質問は投げかけられるべきだ。そう考えると、僕は現場で「丁寧に接しよう」としているのではなく、「ずけっとしてるなあ」と思われないように予防線を張っているだけではないか。そんなことを自問自答する。

 21時になっても知人は返ってこないので、さらに遡り、録画したNHKスペシャルイチローの回を観る。まだヤンキースに在籍していた頃のイチローが、野球選手を引退するということは、死を迎えるのと同じだ、最後は笑って死にたいと語っている。そのVTRも含めて、涙をこらえるように語っている姿が随所にあり、印象が変わる(というほど、僕はイチローのことを知ろうとしてこなかったけれど)。自宅の中でも、滞在先のホテルでも、素振りを繰り返している。バッターボックスの中でしかわからないことがあるんですよ、とイチローは語る。それは、俳優が舞台に立つ、ということとも近いように感じる。「打率」や「ヒットの数」がどうという世界ではなく、打席に立ち、ひとスウィングひとスウィングが勝負なのだろう。途中で一緒に自主トレをする「仲間」――野球経験者ではない人も多く混じっている――と食事をする姿が映し出されるのだが、その「仲間」に入れる条件について、「後ろ向きな人たちは入れない」とイチローが語る。前を向いて生きていくしかない、と。過去にどんな偉大な功績を残していたとしても、評価されるのは今この瞬間の打席だけだ。野球選手に限らず、私たちはそのように生きているはずなのだけれども、日々を平準化してそれを直視せずに済ませている。でも、打席に立ち続けてきたイチローは、「今」という瞬間に直面せざるを得ない日々を生きてきたのだろう。番組の最後に、もう引退したイチローがジョギングをする姿を目に焼きつける。

5月1日

 6時過ぎに目が覚める。つけっぱなしのテレビから、昨晩の各地の様子が映し出されている。のう、令和になっとるで。知人に話しかけると、「昨晩、カウントダウンして起こしたのに、全然起きんかったやん」と面倒くさそうに言って、知人は再び眠りにつく。コーヒーを淹れたいけれど、豆が切れている。朝のテレビ番組をぼんやり眺める。「上皇さま」という言葉が語られ、テロップでも表示されている。さま、という言葉のありようがしっくりこない気がする。各テレビ局が、赤坂御所から皇居まで移動する車を中継で追っている。日本テレビはまるで駅伝のような中継ぶりだ。それにしても、今日は雨の予報だったのに、嘘みたいに晴れている。

 「やなか珈琲」に電話をかけ、豆の焙煎を注文し、20分後に取りに行く。雨が降らないうちにと、晩酌用の食材も買っておく。テレビで銀座の百貨店が元号入りのあんぱんや振る舞い酒を出していると説明されていたのを見たせいか、普段買わないあんぱんも買って帰り、コーヒーを淹れて朝ごはん。午前中は久しぶりに日記を書いているうちに終わってしまった。昼、オクラと納豆と豆腐をかき混ぜ、そばにのっけて食す。普段は料理コーナーなんて真面目に見ないのに、「腸内環境を整える」と言っていたせいか、5年前に『PON!』で紹介されたレシピをいまだに作り続けている。

 午後、クロネコヤマトの配達員が段ボールを届けてくれる。今の本棚は、去年の年始あたりに、『みえるわ』ツアーのドキュメントを書くにあたり、考えておきたいテーマを軸に本を並べて、秋に『書を捨てよ町へ出よう』のドキュメントのために一部を並び替えて、同じ頃から沖縄に関する書籍を加えた状態になっている。次の企画に動き出すために、まずは本棚を変えなければと、大掃除に取り掛かる。実家に送る本と、売ってしまう本を仕分けしていく。いい加減に積み上げていた書類も、これを機に整理する。『みえるわ』ツアーをドキュメントした37通の「手紙」、多めに印刷したぶんを保存し続けていたけれど、ツアーが終わって1年以上が経ち、この先たくさん注文が入ることもないだろうと、8セットだけ残してあとは処分することに決める。

 19時過ぎになって、ようやく一段落。もやし炒めを作り、チューハイで晩酌を始めているところに、知人が帰ってくる。知人の仕事が片付くのを待ちながら、録画してあった『霜降りバラエティ』観る。知人も僕も、霜降り明星がテレビに出るたびに首を傾げてきて、ドヤ顔を浮かべる姿が映るたびに溜め息をもらしてきたけれど、#3として放送された、粗品の特技を披露する回を観ているうちに、少し考えがかわってくる。肉を10gに切り分けられる、電卓を早打ちできるという特技は、実家が焼肉店で、その仕事を手伝ってきたからの特技だ。そのあとに披露したスーパーマリオの難易度の高いステージをクリアできるというのも含めて、彼がどんなふうに育ってきたのかが二重写しに見えるようなオンエアだった。誰かのことを、「ドヤ顔が鼻につく」という理由で拒絶するというのは、なんと器の狭い考えだろうと反省する。

4月30日

 朝8時に起きる。郵便受けから新聞を取ってきて、コーヒーを淹れる。一面に掲載されたNetflixの広告が印象的だ。Netflixをほとんど見ず、テレビばかり観ている僕は取り残されていくのだろうか。テレビの「過ぎ去っていく」という質感が、どうもぴったりきている。そして、それをレコーダーに記録し、ブルーレイに焼いて保存できるということも大きい気がする。午前中は『市場界隈』のまえがき、付記、それにキャプションを書く。12時半にようやく書き終えて、プリントアウトしてアパートを出る。

 打ち合わせ前にまずは「砺波」へ。いつもは500円のラーメンだけど、せっかくだからと700円のチャーシューメンを注文する。何が「せっかくだから」なのだろう。ビールもつける。テレビでは朝ドラが再放送されている。まだ今期の朝ドラを観始められていないどころか、前期の朝ドラも観終えていなくて、まだチキンラーメンを開発する前の段階で止まっている。後からやってきた老年の男女が隣に座り、ああ、私、これを毎朝観てるのよ、これと『やすらぎの刻』を観るのが毎日楽しみなのよ、だから朝8時から15分間は電話してきちゃ駄目よと話している。ふたりはビールを注文し、ビニール袋から何か取り出しツマんでいる。

 

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 急いでチャーシューメンを平らげ、「往来堂書店」。『市場界隈』の打ち合わせのとき、ここを待ち合わせ場所に使わせてもらっているだけでなく、ゲラを預かってもらっていることもある。めあての喫茶店が営業していなかったので、サンマルクカフェに入り、まえがきと付記とキャプションを手渡す。いくつか確認したのち、再校を連休明けに戻す約束をして店を出る。向かいにあるうどん屋にはまだ行列が続いている。編集者のTさんが「お蕎麦屋さんが増えましたね」と言っていたけれど、たしかに、この半年のあいだだけでも二、三軒は増えている。“谷根千散歩”に、とやってきた観光客の欲求を満たすのは、和を感じさせてくれる蕎麦屋さんなのだろう。

 一度アパートに戻り、少しだけテープ起こしを進める。夕方になり、ニュース番組が始まると、新宿からの中継が映し出される。駅前広場では天皇制反対のデモが行われており、新宿通りを挟んだ向かい側には右翼が陣取っている。50年前には一つの中心地であったとはいえ、2019年の今、なぜ新宿なのだろう。16時過ぎにアパートを出て、谷中ぎんざまで歩き、「越後屋本店」でアサヒスーパードライを飲んだ。今日みたいな日は暇疲れしちゃうと、三人は口を揃える。雨が降ったり止んだりで、そのたびに椅子をしまったり出したりしていてくたびれたという。そんな話をしているうちに、また雨が降り始める。

 一杯だけで切り上げて、根津まで歩く。なんとなく真心ブラザーズがカバーした「マイ・バック・ページ」を聴き、続けて1966年にロイヤル・アルバート・ホールで演奏された「Like A Rolling Stone」を聴く。洋楽なんてほとんど触れずに育った僕がボブ・ディランを聴くようになったのは坪内さんと出会ったことで、ちょうどその頃に『No Direction Home』が公開されて、その時期熱心に聴いていたことがふいに思い出される。あの頃の記憶も少し混濁しつつある。しばらく歩いて、バー「H」。口開けの客であればサンドウィッチを頼みやすいはずだと開店時刻を目指してやってきたのだが、既に先客がおり、諦める。Hさんはハイボールをすっと出してくれる。

 

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 あとからもう一人お客さんがやってきて、カウンターには一人客が三人並んだ格好になる。店内にはピアノの音が響いている。ふと、前にHさんが「営業中はオールディーズを流すことが多いですね」と言っていたことを思い出す。ジャズだとこだわりが強いお客さんも多いから、オールディーズだとちょうど良いのだと。でも、今日と今日の天気に合わせて、今日はジャズを流しているのだろうなと考える。いったい誰の演奏だろう。アプリで調べたい気持ちに駆られるも、ぐっと堪える。カウンターに並んだお客さんは皆ケータイを手にしている。せっかくバーにいるのだから、ただ空白を引き受けるようにして時間を過ごしたいと思い、古いニッカウィスキーを抱える木彫りの熊を眺めたり、文壇酒徒番付を眺めたり。自分も端っこくらいに名前が載れるようになるだろうかと少し考えてみたけれど、そもそも文壇なんてものが存在しないのだった。

  しんみりした気持ちになっていると、「三人なんだけど!」と声の大きい客がやってくる。あとからもう一人やってきて、子供が家を走りまわる話、最近買った車の話、25マンのキャンプセットの話を大声でしている。「最近引っ越したんだけどさ、ランチ難民になっちゃって」と男が言う。「サラリーマンが多いから、どこも一杯なんだよ。弁当屋もあるんだけどさ、売ってるのが500円の弁当でさ。そんな値段の弁当なんて、何入ってるかわかんなくて、怖くて買えねえよ」。お通してして提供されていた塩豆を投げてやろうかと思う。でも、これが平成という時代なんだよなあと感じる。どこにも大人がいなくなってしまった。その三人組に、あとから女性が一人合流する。何飲んでるの。カクテルだけど、ジュースみたいなもんだよ。「私も同じものくださーい」と注文すると、Hさんは丁寧に時間をかけてカクテルを作る。差し出されたカクテルを一口飲んだ女性は「お酒濃いじゃないの、これ」と言い、先に飲んでいた男性にグラスを渡す。男性は自分のグラスにそれを移し替える。その様子を、Hさんが一瞬だけちらりと見やる。あとからやってきた女性は、先に来ていたもう一人の女性—―彼女は酒ではなくジュースを飲んでいた―—に声をかけ、「ちょっと、今のうちにツツジを見ておきましょう」と席を立ち、男性二人を残して店を出ていく。Hさんは「ありがとうございました」と声をかけつつ、お通しの小皿を下げる。そこに男性客が声をかけ、ああ、それ、手をつけてませんからね、と告げる。Hさんはほんの一瞬止まり、何も言わずに皿を下げる。これが平成という時代なのだろう。

  ハイボールを2杯飲んだところで会計をお願いする。なんか、大晦日みたいな気持ちですと伝えると、「たしかに、年越し感はありますね」とHさんは笑う。さすがにやり過ぎだと思って口には出さなかったけれど、良いお年を、という言葉を思い浮かべながら頭を下げて、扉を閉める。まだ外は明るかった。セブンイレブンに立ち寄り、星印に惹かれて黒ラベルのロング缶と、しおむすびを一個買って、千代田線に乗る。やはり空いている。二重橋前で降りて、皇居前広場を目指す。いたるところに警察官が立っている。雨で大変そうだ。でも、もうピークは過ぎたのか、警察官と報道陣の数の割に人はおらず、こんなものかと思う。僕が言えた立場ではないけれど、その場にいる人たちも「どうしてもここに来ずにはいられなかった」といった雰囲気ではなく、ただなんとなくそこにいたり、動画の配信をしていたりする。缶ビールを開け、しおむすびを頬張る。しおむすびがぴったりだったなと思う。しばらく眺めて立ち去り、日比谷公園を目指す。

 

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 松本楼でテーブルクロスを広げている姿が見える。出かける前に磨いたばかりのスニーカーが少し泥で汚れる。買ったときは気づかなかったけれど、黒ラベルの間には熨斗のような印刷が施されている。音が聴こえるほうへと歩き、日比谷野音にたどり着く。まったく知らないバンドが演奏している。その音は皇居前広場にまで響いていた。知らないバンドだけど、悪くないなと思う。雨の中、10人くらいの人が漏れてくる音に耳を傾け、体を揺らしている。しばらく聴いていようかとも思ったけれど、いつもの焼きそばの屋台は出ておらず、ビールもなくなりそうなので移動する。方向感覚を失っていて、コリドー街を目指すつもりが、第一ホテルの前に出てしまう。さびれた地方都市のようにひっそりしている。ガード下の店も、コリドー街の店も、ことごとく閑古鳥が鳴いている。そんななかで「俺のイタリアン」と「俺のフレンチ」は満杯で、「美登利寿司」には行列ができている。それを横目に眺めつつ、階段を上がると、「ロックフィッシュ」がなくなっていて驚く。バー「H」の近くに引っ越したこともあり、ずいぶん足が遠のいてしまっていて、移転していたことを知らなかった。調べてみると、去年の夏に移転している。ずいぶん不義理をしてしまっているなあと思いつつ、数寄屋橋の交差点に出ると、明るい雰囲気がわっと戻ってくる。

 

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 小さな入り口から地下街に降りると、すれ違う人が「俺、号外もらうの初めてだわ」と言っているのが聞こえた。丸ノ内線から四谷で総武線に乗り継ぐ。普段ならこの時間帯に乗りたくない路線だが、今日は余裕で座れて快適だ。若いサラリーマンだろう、男性二人と女性一人が向かいに座っている。くしゃみをするたび、「ブレスユー」なんて言っている。高円寺で降りて、19時半に「C書房」にたどり着く。カウンターに座ると、店員さんが紙を差し出し、これにね、注文を書いてくださいねと言う。少し戸惑っていると、ああ、メニューがなかったですねと笑って、メニューを手渡してくれる。今日はたくさんが注文が入っているようで、店主のKさんも忙しそうだけれど、ハートランドと大正コロッケをお願いする。テーブル席を囲んでいる三人組の女性が、「このあとどうする?」と話しているのが聴こえる。「せっかくだから渋谷でも行ってみる?」「分かれるよね。ここで渋谷に行く人と、そこを避ける人とに」。ほどなくしてハートランドが運ばれてくる。すぐ近くに日めくりカレンダーがかけられている。何気なく目をやると、「退位の日」と書かれてある。

 

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 「中原中也

 「え?」

 「中原中也

 「え?」

 「中原中也

 

 カウンターの中でKさんと店員さんが何度もやりとりしている。一体何だろうと思っていると、季節のサワーに「中原中也サワー」というのがあるらしかった。ほどなくして運ばれてきた大正コロッケを平らげて、今日は早めに切り上げる。バタバタしててすみませんとKさんに謝られてしまったけれど、1杯しか注文しておらず、会計も850円と割安だったので、申し訳ない気持ち。小上がりにいたグループ客のひとりが「さようなら〜」と声をかけてくる。振り返ってみたけれどまったく見知らぬ人だったので、何も言わずに店を出てしまう。駅まで歩く。マクドナルドも日高屋もそれなりに混んでいる。自分はこういう節目の日に反応してしまうせいか、そんな日だからといって動じることなく、普段通りに過ごしている人を見ると動揺してしまう。

 

 駅に戻ると、花屋の前の黒板が目に留まる。5月1日はスズランの日で、「この日フランスでは数百メートルに1つ屋台が出るほどスズランが販売されます」と書かれている。どれがスズランですか、と間抜けな質問をしながらスズランを買って、改札を抜ける。ホームでは「ありがとう平成」というメッセージ入りの都区内パスを販売しているとの情報が繰り返しアナウンスされている。今日までは「ありがとう平成」で、明日からは「ようこそ令和」だそうだ。「皆様それぞれの平成を振り返りながら、電車で東京を巡られるのはいかがでしょうか」。そう提案する女性の声が繰り返される。電車はほとんど人が乗っていなかった。向かいに座るよれよれの老人が東スポを読んでいて、「王会長の真実」と一面の見出しが躍る。新宿駅で降りて、オンデーズでサングラスを受け取る。一週間前にここでサングラスを購入して、度入りのレンズで作ってもらっていたのだ。コンタクトを使う気になれないこともあり、サングラスと無縁に生きてきたけれど、今度の6月にはしばらく沖縄に滞在することもあり、思い切って購入していたのである。

 

 大ガードの近くで知人と待ち合わせ、思い出横丁を歩く。観光客でごった返していて、いつも以上に歩くのに苦労する。よく行く「T」は満席だったので、新宿三丁目まで歩き、「日本再生酒場」へ。ここも賑わっていたけれど、ちょうどお客さんが帰るところだったので入ることができた。片付けが済むのを待って入店すると、おしぼりとチューハイが置かれている。煮込みと五本盛り、それにハツ刺しを注文。お腹を満たしたところで新宿三丁目「F」の階段を降りると、他にひと組しかお客さんはいなかった。店内にはGO!GO!7188が流れている。店員のBさんは僕と同い年で、今日は懐かしい曲ばかり流しているのだという。いつもはお酒しか飲まないけれど、せっかくだからと玉子焼きも注文して―—楽しく過ごしているうちに酔っ払ってしまって、令和を迎える瞬間の新宿駅を見届けるつもりでいたのに、日付が変わる前には眠ってしまった。

 

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2月17日

 7時に起きる。あっという間に出発の日だ。身体がずっしり重い。同じタイミングで目を覚ました知人が「昨晩、9時半に寝てたけど」と教えてくれる。まずは昨晩買っておいた焼きそばパンを食べたのち、2月6日のテープ起こしを進める。それをプリントアウトして、風呂に湯を張り、つかりながら原稿の構成を考える。しばらく海外なので、このタイミングで久しぶりに垢すりもする。蕁麻疹なのか、描いた場所が虫刺されのように膨らむことが続いているので、まずはそっと擦ってみて支障がないか確認し、擦る。久しぶりなのでぽろぽろ出てくる。これが“虫刺され”の原因だったのではと疑う。

 風呂上がりに入念にストレッチをして、知人と一緒にアパートを出て、「砺波」。満席だが、今日はここで食べるほかないと思って待つ。5分ほどで席が空き、まずは餃子とビール。知人はずっと『プロフェッショナル仕事の流儀』を眺めているが、僕の席からはテレビが見えず。チャーハンとチャーシューメンとビールを追加し、一ヶ月留守にすることを伝える。アパートに戻り、酔いを冷ましながら荷造りをする。知人は15時過ぎに出かけてゆく。昨日届いていた『P』誌の原稿――僕が海外に行く関係で素早くあげてもらって申し訳ない――に目を通し、少し修正を加える。

 それを送信したところでケータイが鳴る。出てみると「市場界隈」の原稿を送っておいた「大和屋パン」のお母さんだ。あんた、封筒にゴム印で押してある電話番号が間違ってたよと言われ、驚く。間違っていることに気づかないまま一年以上使っている。仕方がないから原稿に赤字を加えて郵便で送ろうとしていたところで、添え状にも携帯番号が書かれているのを見つけ、電話してくれたのだという。昨日のお昼過ぎにお店あてに電話をかけたところ、「まだ時間がなくて読めてないのよ」とおっしゃっていて、僕は海外に出かけてしまうので担当編集の方に電話で確認してもらう必要あルカもと心配していたので、今日連絡をいただけてホッとする。「あのゴム印、早く作り直したほうがいいよ」とお母さんは笑っていた。

 あっという間に日が暮れてしまった。バタバタと荷物をまとめて、パスポートさえ忘れてなければともう一度確認してアパートを出る。千代田線で大手町に出て、鋼鉄ビルディングを小走りで目指す。羽田空港行きのバスにギリギリで乗車すると、ほとんどお客さんは乗っていなかった。19時半に羽田空港国際線ターミナルに到着。まずはポストカードを探す。「伊東屋」で便箋とポストカードを購入したところで、友人のA.Iさんがいるカフェに向かう。フリースを着て、そんな荷物抱えて、旅に出るって感じで羨ましい、とAさんが言う。Aさんは旅に出るわけではなく、皆を見送りにきたのだ。一昨日飲んだとき、皆で出発前に寿司を食べられたらという話になったのだが、よくよく考えれば今日旅に出るのは8人で、その人数で寿司屋に入れるのか、そもそも皆が寿司を食べたいと思うのか自信がなくて、とりあえずAさんと寿司を食べることにする。

 案内されたのは去年の2月、FさんとAさんと一緒に食べた席だ。あのときは国内線で札幌に出かけるのに、わざわざ国際線ターミナルに移動して、時間ぎりぎりまでここで寿司を食べたのだった。Fさんがサーモンばかり食べていたことを思い出して、普段食べないサーモンを食べる。かんぱち、ボタンエビ、あとは何を食べただろう。ビールを1杯、それに熱燗を一本飲んで、最後にまぐろを食べて店を出る。ちょうど集合時刻の21時で、エールフランスのカウンターに向かおうとしたところで、やっぱり私が皆を見送りに行っても、皆「何で?」ってなる気がするとAさんは言って、集合場所の少し手前で別れる。皆と合流して、600ユーロぶん両替して、出国手続きに向かう。今日から三週間は日記を休む。そのあいだのことは、日記ではないけれど、手紙形式のドキュメントに書き残す。

2月16日

 7時半に起きて、トークイベントの構成を進める。9時過ぎ、セブンイレブンに出かけて焼きそばパンを買ったのち、羽織っていたコートを当日仕上げでクリーニングに出す。明日から3週間ほどイタリアに旅立つので、その前にコートの匂いをフレッシュにしておく。知人はいくつか打ち合わせがあるらしく、午前中には出かけていった。昼、近くのお蕎麦やさんへ。ちょっとご無沙汰してしまったが、大将が厨房で敬礼してくれる。鴨南蛮とビール。いつもは知人と話しながら過ごすので、2人で2本を平気で飲むけれど、ひとりだと大瓶を飲みきるのがちょっと大変だ。帰り際、図々しいかなと思いながらも、新聞の著者インタビューを渡す。そして一ヶ月近く留守にするので、しばらく来れないけれど、帰ってきたらすぐ食べにきますと約束する。

 午後は2月6日に取材したときのテープ起こしに取りかかる。まだトークイベントの構成は終わってないけれど、優先順位を考えると、こちらを出国前に片づけておかなければと思ったのだ。17時40分、打ち合わせ帰りの知人と「越後屋本店」で待ち合わせ、アサヒスーパードライで乾杯。コートをまだ受け取っていないので、2月にしては薄着ではあるのだが、今日は暖かいので苦にならなかった。ここでも一ヶ月留守にすることを伝えて、飲み屋を探す。千駄木にある酒場は二軒とも「カウンターなら空いてます」と言われ、根津まで歩き、こないだ気に入った「海上海」に入る。本格的な中華料理店だから水餃子にしようかと思ったけれど、焼き餃子のほうが名物であるように書かれてあるので、焼き餃子とよだれどり、それに紹興酒のボトルを注文。ボトルを飲み干し、すっかり満足したところでバー「H」に流れ、ハイボール紹興酒で酔っ払っていたのか、「こないだ『海上海』の窓際の席でごはんを食べてたら、Hさんが自転車で通り過ぎるのを見ましたよ」なんてどうでもいい話を本人に伝えてしまう。今日はハイボール1杯で切り上げて、セブンイレブンでツマミと一番安い赤ワインを買って帰途につく。

2月15日

 7時に起きる。ストレッチをしてシャワーを浴びて、自転車で上野へ。「ルノアール」(京成上野駅前店)で某紙の取材を受ける。ベテランの記者の方で、そんなに新聞記者の世界を知っているわけでもないのに、なるほどベテランの記者の方だという感じがする。質問に導かれつつ、その道を踏んでいくような不思議な感覚だ。質問されて気づいたのは、僕は取材に出かけることを大変だと感じていないということだ。「何度も取材に行かれるのは大変だったでしょう」と聞いていただき、そこは苦労話をしておけばよかったのかもしれないけれど、ドライブインに限らず、マームを取材しているときだって、取材のために移動すること自体をしんどいと感じたことは一度もなかった。現実的にお金が減っていくことはシビアではあるけれど。

 この「ルノアール」は二階にあり、広場のようになった歩道が見渡せる。質問に答えながら窓の外を眺めていると、清掃員が見えた。そう、清掃員だと最初は思ったのだ。ゴミを拾って清掃しているように見えたのだが、清掃員といった風貌ではなかった。男性はゴミを全て拾っているわけではなく、たばこの吸い殻だけを小さな袋に集めているようだ。シケモクを拾っている人というのを、漫画の描写で目にしたことはあったけれど、実際にその瞬間を目にしたのは初めてであるような気がする。1時間強で取材が終わり、不忍池のほとりで写真撮影。写真も一緒に掲載してもらえるなら、先日は谷中ぎんざにある「越後屋本店」で撮影してもらったので、今回はいつもジョギングしている不忍池で撮影してもらうことにしたのである。せっかく写真入りで取り上げてもらえるのだから、そういうところにまで気を配りたい。写真を撮影してもらっているあいだ、笑顔で撮られているつもりだったのに、「じゃあ、最後に笑顔でお願いします」と言われてしまう。

 11時にアパートに帰ってきて、サッポロ一番(味噌味)を作り、お昼ごはん。ふとYahoo!リアルタイム検索のトレンドを確認すると、「ナンバーガール」が一位だ。まさかと思って詳細を確認する。一昨日のトークイベントのとき、開演前に「福や」で飲んでいたとき、「明後日大きな情報が出る」と言っていたのはこれだったのか。夏の楽しみは夏にとっておくとして、僕が今楽しみにしているのは、ひょっとしたら5月のツアーのタイミングで発表されるかもしれないZAZEN BOYSの新譜だ。午後、先週土曜日のトークイベントの構成を進める。あっという間に夕方になり、バスで池袋に出、「古書往来座」に立ち寄る。最初に仕入れてくれた『ドライブイン探訪』が売り切れ、追加で注文したぶんが届いたというので、二度目のサイン入れ。今回も識語をと頼まれて、前回は「再訪を重ねた旅の記録です」と書いたけれど、数分考えて、「ドライブインをめぐる10年間の記録です。」と書く。お礼を言って店を出て、渋谷行きのバスで高田馬場二丁目に出て、駆け足で移動していると「丸三文庫」のよーぞーさんに声をかけられ、マスクをしているのにどうして気づいてくれたのだろうと驚きつつ地下鉄に乗り、荻窪に移動し、徒歩で「Title」に入ると、ちょうど編集者のM.Hさんも到着されたところだ。

 今日はMさんをゲストに迎え、「”モテる“雑誌を作るために」と題したトークイベントを開催する。僕が初めて作ったリトルマガジンは2007年に創刊した『HB』で、この雑誌でインタビューしたのが『QJ』の編集長を退任されたばかりのMさんだった。誰かにインタビューするというのはそれが初めての経験だったし、僕にインタビュー仕事の依頼を最初にしてくれた編集者もMさんだった。『ドライブイン探訪』は店主たちにインタビューした記録でもあるので、Mさんとトークがしたいと思ったのだった。「M君、Mさんときて、俺で大丈夫?」と苦笑しながらも、Mさんは出演を引き受けてくれた(今書いていて気づいたけれど、全員イニシャルがMだ)。Mさんは話したいことメモをプリントアウトして持参されている。「取材するときでも何でも、やっぱりメモがないと」とMさんは言う。僕も話したいことリストを毎回用意している。電車の中でタイプしていたデータを、隣のセブンイレブンで出力する。「Title」に戻ると、お世話になった――僕にライター仕事を初めて依頼してくれた――編集者であるI.Sさんがもう会場にいらしている。そのままIさんも楽屋スペースにいらっしゃって、開演を待つ。19時34分、僕はビールを2本買って、トークを始める。

 21時10分、トークは終了し、そのままサイン会になる。思いのほかたくさんの方がサインを希望してくださる。嬉しい限り。見知った顔も客席にたくさんあったけれど、サインをしているうちに皆帰ってしまっている。どうしようかなとカウンターのほうに視線を向けると、友人のA.Iさんが置き物のように座っている。トークイベントを3つとも聞いてくれたのはAさんだけではないかと思うけれど、客席にいるということに慣れな過ぎるのか、ずっとぎこちない感じで佇んでいる。Aさんとは沖縄でトークイベントをするつもりでいて、出国前に話しておくとすれば今日しかなく、打ち合わせを兼ねて飲むことにする。駅まで歩きながら、明後日にはイタリアに旅立つということに現実感がないという話をする。イタリア滞在中はドキュメントに集中したいから、他のことは一切イタリアに持って行きたくない――そんな話をしていると、「接骨院とかにもいかないの?」と、まだぎこちない調子でAさんが言う。Aさんが関わっている作品のツアーに同行したとき、僕は肩と腰の具合が悪くなって、皆と別れて接骨院に駆け込んだことがある。最近は毎日30分近くストレッチをするようにしてるから、大丈夫だと思いますと答える。すごいじゃん、もう俳優じゃん、私なんて今こんなだよと前屈してみせると、まったく足に手が届かないところで手が止まり、驚く。

 「鳥もと」に入り、酎ハイとハイボールで乾杯。「ナンバーガール、再結成するんですね」とAさんが言う。Aさんが知っていたことを意外に思いつつ、昼からそのことでやるせない気持ちになっていることを伝える。今日の午後は、僕のツイッターのタイムラインはほとんど再結成の話で埋まっていた。普段から向井さんの動向をチェックしている人だけでなく、え、あなたもそんなに歓喜するのかと驚くことが多かった。歓喜することに難癖をつけるつもりはないけれど、その人にとって、自分が好きな人の現在はどういうことになっているのだろうと思ってしまう。一昨日のことが思い出される。1月下旬の時点で、ZAZEN BOYSが音源制作に取り掛かっていることと、5月にツアーが開催されることが発表されていた。その発表があった上で、2月13日に、改めて「ZAZEN BOYSはレコーディング中」とツイートがなされていた。「音源制作」というのは、実際にレコーディングにまで取り掛かっているのかと喜びつつも、おそらくリリース情報などはまだ決まっていないタイミングで、どうしてツイートしたのだろうと不思議に思っていた。そのことを尋ねたときに、「明後日、大きな情報が出る」と向井さんは言ったのだ。「それは、結構大きな情報やから。その前に、レコーディング中であるっちゅうことを言っておかんと、今やっているZAZEN BOYSというものがなかったことのように思われるかもしれんから」と。その言葉を思い出し、「レコーディング中」と「再結成」のツイートが並んでいる画面を眺め、リツイートやいいねの数の開きを思う。沸き立っている人たちは、ナンバーガールが青春だったのだろう。その思い出を否定するつもりはないし、すべての人がZAZEN BOYSも好きだというわけではないだろう。とはいえ、自分が好きだと思った対象のことを、過去の思い出に閉じ込めるというのは、一体どういうことなのか――自分もそのように接している対象があるかもしれないけれど、そんなことは棚に上げて、一気にまくしたてる。ひたすらしゃべり続けていると、Aさんに「どーどー」となだめられる。ほたるいかの酢味噌とメヒカリの唐揚げをツマミに、沖縄に向けた話をあれこれ。チューハイを5杯飲んだところで会計をして、コンビニで缶ビールを購入し、総武線に乗る。途中でAさんと別れ、水道橋から歩いて帰る。

2月14日

 7時過ぎに起きる。 布団にくるまったままアイフォーンを眺め、昨晩の感想ツイートを探して読む。タイムラインには、見汐麻衣さんがnoteで「寿司日乗」(https://note.mu/19790821/)というのを書き始めたと知る。こんなに面白い日記を書かれては困るけれど、誰かの日記が読めるのは嬉しいし、それが好きな人の日記であればなおさら嬉しくなる。入念にストレッチをして、ジョギングに出る。今日は身体が軽い気がすると思っていると、最初の1キロのラップが6分ジャストだ。ここ2週間はジョギングの頻度が落ちているけれど、走れる身体になりつつある。

 ジョギングの帰りに「ベーカリーミウラ」に立ち寄る。一緒に営業していた「平澤剛生花店」が日曜日で営業を終えて、パン屋さんだけでの営業は今日が初めてだ。扉を開けると、当たり前だが受ける印象が違っている。しみじみした気持ちで店内を見渡していると、僕の気持ちを見透かしたのか、店主のTさんが「雰囲気変わりますよね」と言う。サンドウィッチとコーヒーのセットが100円引きだというので、それを注文する。994円。これからもよろしくお願いしますと言っていただき、お辞儀をして店を出る。好きなお店にお金を払えるように、頑張って稼がないとなあ。コーヒーがこぼれないように歩いてアパートに帰った。

 パソコンを開くと、重版の報せが届いている。一気にドーンと増刷されるわけではないけれど、やはり嬉しいものだ。ただ、この本は最低でも1万部にはのせなければと思っているので、もっと押し上げていかなければ。これまでは「今の読者に届かなくても」なんて思っていたのに、『ドライブイン探訪』にはまったく別の感覚でいるのはなぜだろう。昼、スーパーマーケットに出かける。マルちゃん正麺が売っていなかったので、サッポロ一番(味噌)を購入し、お昼ごはん。午後はひたすらテープ起こしを進める。2月9日のトークイベントを販促用に掲載できないかとお願いしてあるので、そのトークを起こす。編集者のMさんにも褒めていただいたけれど、こうして文字にしてみると、なかなか面白い話だ。自分が興味ある話をしているのだから、当たり前かもしれないけれど。

 18時、カップヌードル(カレー味)を買ってきて食べていると、執筆依頼が届く。やっぱり、何か一つ仕事が形になれば、こうして依頼が入ってくるのだなあ。これまで知り合いの編集者は多かったけれど、頼むに頼めないと思っていた人もいるのだろう。自分で『月刊ドライブイン』を出すほかなかったこと、あれこれ思い返す。20時、白山駅から神保町に出る。「東京堂書店」を覗くと、週間ベストセラー(総合)の第5位に『ドライブイン探訪』が並んでいる。おお。20時半、『P』誌の取材を受ける。いつもは取材をする側なので、記事にする際に選択肢となるエピソードを少しでも増やせたらと思いつつ、いや待てよ、あんまりあれこれ話しても構成が大変だろうかとも考えてしまう。話しているカットも撮影していただき、「たぶんこの角度で話していると撮影しやすいだろう」と考えているうちに、今何を話していたのか危うく見失いそうになる。

 1時間15分ほど話を聞いていただいたのち、九段下に出る。アパートを出たときにはフル充電だったアイフォーンがなぜか残り1パーセントになっていて、仕方なしにセブンイレブンに立ち寄り、缶ビールとLightningケーブルを買い求める。パソコンに接続し、充電しながら都営新宿線に乗り、新宿に出る。地下街を歩いていると、作業服姿の人たちがあちこちで荷物を運んでいる。天井がところどころむき出しになっていて、その下に単管を組んでいる。補強工事だろうか。これから高速バスに乗るのだろう、スノーボードを背負ったりスーツケースを引いたりしてヨロヨロ歩く大学生たち。その隙間を抜けて思い出横丁に出て、「T」へ。「こないだ(編集者の)Iさんが来て、『はっちゃんの本が出たんだよ』って言うから、『もうもらったよ』って言っといた」とマスターが笑う。ホッピーセットとぼんじり2本、それにたたみいわしを注文。

 ホッピーセットを飲み干したところで店を出て、新宿3丁目まで歩き、「F」。お店のVさんが「重版おめでとうございます」と言ってくれる。いつものようにボトルの焼酎を水割りで飲むつもりでいたけれど、1杯ぶんしか残っていなかった。財布を確認すると千円札が2枚しか入っておらず、新しいボトルを入れる余裕はなさそうだ。生ビールを1杯だけ飲んで、また来ますと言って帰途につく。