3月26日

 9時半にアパートを出て、与野本町に出る。駅前の広場で黄色い帽子の園児たちが遊んでいる。縁に腰掛ハンバーガーを頬張る女性を、ひとりの園児が後ろから覗き込んでいた。劇場の近くにある中学校からは、生徒たちがはき出されてくる。終業式だったのだろうか。ほとんどの生徒はマスクをつけている。10時45分に劇場にたどり着き、オーディションを見学する。今日もファミリーマートの冷やしたぬきうどんを食べた。審査が終わったあと、2時間以上にわたって話し合う――僕はもちろん一言も発することなく、その様子を見つめる。

 19時20分に劇場を出て、駅前のスーパーに立ち寄る。ビールだけ買うつもりが、パスタを1袋、そばを1袋買ってしまう。20時20分に池袋のスタジオにたどり着き、ボエーズのリハーサルを見届ける。2点だけ意見を言う。21時にリハーサルが終わり、わめぞの飲み会でおなじみ「サン浜名」で乾杯。貸切状態だ。皆が「東京の古本屋」を褒めてくれる。書いた原稿のことをあれこれ言ってもらえる機会は滅多になく、嬉しくなる。

 注文はムトーさんにお任せする。何品か注文したあと、セトさんが「あと、ハムエッグ」と言う。「え、納豆オムレツも頼んだから、卵がかぶるよ?」とムトーさん。いや、ハムエッグも頼もう――セトさんはそう言って注文したのだが、今日はハムを切らしているらしかった。「でも、ベーコンエッグならできるけど」とマスターが言ってくれたので、そちらを注文した。納豆オムレツも、ハムエッグも、相変わらず見事なボリュームだ。5人で会計は1万円だったのだが、皆が計算を間違えて、ひとり2500円ずつ出してしまう。集めたお金をマスターに差し出したところで、計算間違いにようやく気づく。帰り際、マスターが「今日は卵を20個使った」と教えてくれる。ひとりあたり4個。これくらいの割り算なら酔っ払っていても計算できる。

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3月25日

 8時半に起きて、いそいそと炊飯し、洗濯機をまわす。たまごかけごはんに納豆を入れて平らげて、9時半過ぎに慌ただしくアパートを出る。千代田線で西日暮里に出て、京浜東北線埼京線を乗り継いで与野本町に出る。電車はどれもがらがらだ。駅の売店に並ぶ新聞には「東京五輪延期」の見出しが並んでいる。今朝はめずらしくテレビを見なかったから、延期が正式に決まったことを知らなかった。ここ数日のあいだに、はりぼてがバリバリと解体されていくようで、そのめまぐるしさに追いつけずにいる。スポーツ新聞の見出しには「志村」の文字が並ぶ。

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 駅前のファミリーマートで冷やしたぬきうどんとおにぎり二個セットを買い求めて、RIP SLYMEの「Dandelion」を聴きながら劇場まで歩く。上京した日はRIP SLYMEの「FUNKASTIC」というシングルがリリースされる前日で、上京してすぐにどこかのレコードショップに立ち寄ったことをおぼえている。そこにはまだ陳列されていなくて、もどかしく感じたことを思い出す。ということはつまり、僕が上京した日は2002年3月26日だ。劇場にたどり着き、入り口に設置された消毒用アルコールで手をこすり、稽古場でオーディションを見学する。

 最終組のオーディションにはI.Kさんがいた。Iさんは廊下にたたずむ僕に挨拶をして、稽古場に入ろうとする。そこから僕のほうに引き返してきて、「橋本さん、元気かな」と言う。「いろいろ延期になっちゃって、演劇とかライブとか、元気じゃなくなっちゃう人もいるけど、橋本さんは元気かなと思って」。そう言われた言葉が妙に残る。橋本さん元気ですかとは言わず、橋本さん元気かなとIさんは言っていた。

 21時に劇場をあとにして、3人で「かさぎや」に入る。店は賑わっていた。「かさぎや」に向かう道すがら、都知事が外出自粛要請を出したのだと知る。今週末は取材を兼ねたイベントをするつもりだったけれど、「イベントを開催します」と宣言できる状況ではなくなりそうだ。あとからA.IさんとK.Mさんも合流して、ふたりはごはんセットを注文し、チキン南蛮をおかずにごはんを食べている。23時に店を出る。電車に乗るまえに改札近くのスーパーに駆け込んで、缶ビールを3本買い込んだ。Fさんは前に比べると控えめに酒を飲むようになった気がする。自分だけ取り残されて、酔いどれているような気持ちになる。

3月24日

 昨晩は終電に飛び乗ったものの、電車で眠ってしまって綾瀬まで行ってしまった。仕方なくタクシーに揺られながら、今度から危ないときは最寄り駅にたどり着けそうな時間にアラームをセットしてから電車に乗ろうと心に誓う。しかし、そんなふうにアラームをセットできる状態であれば、そもそも寝過ごさないだろう。

 8時過ぎに目を覚ます。知人は立ったままたまごかけごはんを食べている。半年以上にわたって続けてきたF.Yさんの取材、最後の回の原稿をまとめてゆく。11時半に納豆オクラ豆腐そばを平らげて、構成を続ける。昨晩の眠りが浅かったせいか、眠くなり、14時過ぎから少し昼寝する。16時過ぎにようやく完成して、すぐにF.YさんにFacebookメッセンジャーで送信する。

 17時、都営三田線で神保町に出て、「浅野屋」に入り、ビアサワー。今日はツマミにビーフコロッケを注文する。コロッケが2個と、プチトマトが5個もついてくる。甘みのあるコロッケに懐かしさをおぼえる(甘いコロッケを食べて育ったというのではなく、「浅野屋」で昔コロッケを食べたことが思い出される)。原稿、読ませてもらいましたとお店のお姉さんが言う。直すところはないとのことでホッとする。ああそうだとお姉さんは二階に上がると、本を手に戻ってくる。前にね、この本をいただいてたんです。そう言って差し出されたのは『総理大臣になりたい』で、この本は僕が構成したんですとお姉さんに伝える。

 ビアサワーとチューハイを1杯ずつ飲んで店を出た。再び都営三田線に乗り、日比谷に出て、「コテージ」で『掃除婦のための手引き書』を買い求める。もちろん自分では持っているけれど、Yさんにプレゼントするために。いつだか、Yさんもここでトークイベントを聴き、そのトークイベントで『掃除婦のための手引き書』の話題になったので、他の店ではなくこの店のカバーと袋に包んだものを渡したかったのだ。19時に丸の内線に乗り込むと、かなりの混雑だ。この時間帯の丸の内線はいつだって混んでいるけれど、あまり乗っていたくないなと感じる。

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 「ラーメン中本」に入り、今日は最初からキープボトルを飲んだ。「さっそく原稿読ませてもらいました」と、マスターは嬉しそうに話してくれる。ひとつだけ表記を直してくれたら、あとは問題ないですとのこと。餃子をツマミに、二階堂のボトルを飲み干す。新宿5丁目「N」に流れると、僕が口開けの客だ。今日は早めに切り上げようと思っていたのに、今日も気づけば北千住駅にいる。あらかじめ最寄り駅に到着する時間を調べてアラームをセットして、知人に電話をかけてもらうようにLINEを送っておいたのに、また乗り過ごしてしまった。

3月23日

 8時過ぎに起きる。天気が悪いこともあり、なかなか起きられなかった。昨晩フジテレビの番組を観ていたのか、つけっぱなしのテレビには『とくダネ!』が流れている。コロナの影響で世界的に自粛ムードが広がるなかで、マイアミでは若者たちが大規模なパーティーを開催し、「ブーマーリムーバー」という言葉もトレンド入りしているという。若い世代は重症化するリスクが低く、また、ベビーブーム世代である高齢者を感染させれば、その世代を取り除くことができる――と。VTRがあけると、そんなくだらないことを思うのは間違っているし身勝手だとコメンテーターが語る。しかし、「自分たちにのしかかっている高齢者たちをいなくさせろ」と思ってしまう構造が生まれてしまっているのはきっと事実なのだろう。

 冷凍してあるごはんをチンして、たまごかけごはんにして食す。CKM書房の担当編集者の方から連絡があり、ドラマの映像を送ってほしいとのこと。すぐにDVDに焼く。DVDに焼く場合は、焼いている番組が画面に等倍速で再生される。その映像を眺めながら、まあ、いくらでも言い逃れができるだろうなという気持ちになる。昼、納豆オクラ豆腐そば。14時に原宿の喫茶店で待ち合わせて、4月から始める企画のミーティング。誰かの話を聞いていると、いろいろアイディアが浮かんでくる。

 15時半に皆と別れ、副都心線新宿三丁目に出る。晴れ着姿の人を何人か見かけた。「らんぶる」に入り、原稿を書く。今まで座ったことのない、一番奥まった席で、不思議な感じがする。隣に若い女性の3人組がやってくる。ちょうど店内に流れていた曲が切り替わるタイミングで、いきなりドーンと始まるクラシックの曲に、3人は手を叩いて笑う。何これ、超ウケる、何かの合図なのかなと爆笑している。そのうちふたりはクリームソーダを頼んだのだが、「この上に乗ってる白いやつ何だろう?」なんて話している。異世界に迷い込んでしまったのだろうか。

 3人組のうち、ひとりがずっと咳き込んでいることに神経を向けてしまう。すると、その女性がこう口を開く。「いや、うちの家族、コロナかもしれないんだよね」。「え、マジ?」「いや、わかんないけど、ずっと微熱が続いてるみたいで」「そうなんだ。まあでも、うちらはそんなに酷くなんないんでしょ?」。その言葉に心底驚く。朝の情報番組が報じていたことは、どこか絵に描いた餅だと思っていたところがある。「ブーマーリムーバー」という言葉がトレンド入りしたのは事実なのだろうけど、ほんとうにそんなふうに思っている人がいるとは、想像していなかった。でも、まさに隣に、重症化するのは自分たちの世代ではない(からさほど心配することもない)と口にしている人がいる。そしてきっと、これは僕の隣に座る女性が特殊な思想を持っているわけではなく、ごく普通の感覚なのだろう。

 僕はずっと、ゴールデンウィーク前くらいまでに状況が改善することに期待し続けてきた。4月24日に、中野サンプラザで開催されるライブが無事に観られますようにと願ってきた。でも、それはきっと叶わないだろう。

 18時過ぎ、新宿二丁目の「中本」に入り、生ビールと中華やっこ。「今日はだいぶ寒い感じがするねえ」。そう語るマスターは、Tシャツの上に袖なしのウルトラライトダウンをまとっている。中華やっこにはレンゲがついてくるけれど、どう使っていいかわからず、箸で食べる。僕は箸の使い方がヘタだけど、レンゲの使い方もヘタだ。もっと言えば口の使い方もヘタな気がする――そこでまたしても、「栄食堂」で肉吸いを食べた日の記憶がよみがえってくる。肉吸いにもレンゲがついてきたが、まずレンゲでうまく豆腐やねぎや肉を掬えず、それを口に入れるときも少しこぼれてしまいそうで、箸でちびちびつまんだのだった。あの日、「近いうちにスマスイに行こう」と心に誓ったのだが、それも叶わなくなってしまうのだろうか。

 二階堂のボトルを3分の1ほど飲んで、レバニラ炒めを平らげたところで店を出た。20時に新宿3丁目「F」に入り、焼酎の水割りを飲む。ちょうどトイレに立ったところでケータイが鳴り、画面に表示された文字を見て背筋が伸びる(こんなふうに背筋が伸びる人はふたりいたのだが、いまやひとりだけになってしまった)。よりによって今日かと思う。「中本」でそこそこ飲んでしまっていて、大丈夫だろうかと不安になりながらも電話に出る。

「はしもっちゃん、何しとる?」

「いま、新宿で飲んでました」

「そうか。いや、今から下北沢で飲もうと思ってよ」

「じゃあ、新宿から向かいます。どこに向かえばいいですか?」

「いや、下北沢で見つけて?」

「わかりました。見つけます」

「ふはは。いや、俺が見つけるから。アイ・ウィル・ファインド・ユー!」

 無事に下北沢で合流すると、赤霧島のボトルが入っている。最終的には6人でテーブルを囲んだ。話しているうち、坪内さんの話題になる。他の人たちに、Mさんが坪内さんのことを説明する。いつだったか、九段会館で弾き語りのライブをやったときに観にきてくれて、褒めてくれた。あんまり簡単に褒める人じゃないと思うから、あれは嬉しかったね。そう語るMさんの横顔と、「オレたちひょうきん族!」と言って、僕は聴きなじみのない番組のエンディングテーマを歌う姿が記憶に残っている。

3月22日

 7時過ぎに起きる。冷静になって、『絶メシロード』のことを考える。なめくさった態度のまま、謝罪めいたことで幕引きしようとされるのが目に見えているので、昨晩つぶやいた強めのツイートは消しておく。昨晩のうちに担当編集者にはメールをしておいたので、正式に抗議することを考える。コーヒーを淹れて、テープ起こしに取り掛かる。途中で気分転換にと、布団を干す。12時過ぎに取り込んで、花粉も、布団についていたホコリも吸い尽くせるように、念入りに掃除機をかける。

 午前中には来週末に掲載される書評のことを考える。文字数が少ない欄に掲載されることもあり、ボンヤリ考えているうちに原稿が固まり、完成する。もうウェブサイトに予告が出ているが、次は『90歳セツの新聞ちぎり絵』について書く。この本を編集したKさんは、僕が「ライター」と書かれた名刺を印刷したばかりの頃から仕事をしている(ただし、「そのよしみで書評する」ということではない、Kさんとは10年前に大揉めして以来、仕事をしていないのだから)。この本は、ドキュメンタリー映画がきっかけで編集者を志したKさんならではの構成になっていると思う。SNSやテレビで話題になった「新聞ちぎり絵」を書籍化するのであれば、普通はもっと、ほっこりした雰囲気を際立たせて本にするだろう。でも、そうではない部分が仄見えるように――「強調する」ではなく、あくまで「仄見える」ように――編集されている。奥付を確認すると、デザインは名久井さんが担当されていると知り、なるほど……と深く納得する。

 昼、知人は豚丼を、僕は納豆豆腐そばを作り、昼食をとる。15時過ぎにアパートを出て、三軒茶屋「AJTM」へ。月曜から入院するかもとおっしゃっていたので、その前におかみさんに原稿の相談をと、やってきたのだ。「あなたの文章、よかったよ」。僕に気づくなり、おかみさんが言ってくれてホッとする。「だけどあなた、あの××さんにだいぶいじめられてるんじゃない?」と、前回は少し遠慮がちに話してくれた件について、おかみさんが話してくれた。

「坪内さんの秘蔵っ子だ教え子だってやってるけど、あんなの全然たいしたことないのにって、なんだかずいぶんボロクソに言うもんだから、あなたのことがかわいそうになっちゃってね。私はね、人を見くだりする人は嫌いなの。それに悪く言われてる人の方が好きなんですよ」。おかみさんはそう続ける。「まああなたも、人になんと言われようと、自分は自分で生きていかなきゃ駄目。まず飾らないこと。人に惑わされないこと。自分の信念を貫いていかないと」。こんなふうにおかみさんが心配してくれるくらいにぼろかすに言われていたのだろうなと思う。原稿に関して直すところはまったくないとのことで、本が完成したら持ってきますねと告げて店をあとにする。

 田園都市線副都心線を乗り継ぎ、池袋に出る。宮城ふるさとプラザに立ち寄り、墨廼江――は在庫がないので、萩の鶴を買い求めてM&Gの事務所へと向かった。今日は宮城で公演があるはずだったが、延期となってしまったので、ささやかに飲み会を開催しようという話になったのだ(だから宮城の酒を買ってきた)。到着してみると、F.TさんやA.Iさんがキッチンに立っている。Fさんはキーマカレーを、Aさんはゴーヤチャンプルーを作っているところだ。その後ろには背の低い台があって、先日沖縄で買ってきた沖縄戦をめぐる本が並んでいる。

3月21日

 朝、「月刊ドライブイン」というキーワードでツイートが何件かあったと通知が届いている。投稿には「#絶メシ」とハッシュタグがついている。録画だけしてまだ観ていなかった『絶メシロード』で、『月刊ドライブイン』で話を伺った石川県志賀町の「ロードパーク女の浦」が登場したらしかった。さっそく再生してみる。登場人物が「ロードパーク女の浦」に到着するシーンですでに、店主が海辺のベンチに佇んでいる。そこからも、店主はやたらと海ばかり見つめており、嫌なことがあっても、こうして海を眺めているうちに心が落ち着いてくるのだと語る。それはまさに、『月刊ドライブイン』で聞かせてもらった話だった。

 ここ以外の話に関しては、「お店を取材すれば誰もが辿り着ける話」かもしれない。たとえば、夫が独断で「ドライブインをやる!」と言い出して、料理の経験もないのに、ある日突然ドライブインの調理を引き受けることになってしまったこと。最初はうまく作れなかったラーメンが、今や看板メニューになっていること。夫に先立たれて、ひとりで店を切り盛りしていること――それは丁寧に話を聞けば辿り着けるだろう(しかし、「絶メシ」=「絶滅しそうなメシ」=「絶やしたくない絶品グルメ」という観点から、そこに辿り着けるだろうかという疑問は残る。「絶やしたくない」と口にするとき、「絶えてしまっても構わない」ものが生まれてしまうのに、その境界線を引くことに無意識である人が、そこに辿り着けるだろうか。それに、夫がある日突然「ドライブインをやる!」と言い出して、妻がそれに振り回され、夫に先立たれたあとも店に立ち続けている――そんなケースが多いというのは、ドライブインを取材し続けて見えてきたポイントでもある。そこに至ったとき、ドライブインのことを「レトロ」で「昭和」が残る貴重な場所、みたいに称揚することはできないなと、あらためて思った。何度かテレビの出演依頼を受けたとき、ロケ先で「レトロ」や「昭和」というキーワードを立てるようにコメントして欲しいと求められたけれど、それは一切口にしなかった。でも、この番組では、それらのフレーズがごく自然に登場している)。

 しかし、そういったお店の来歴は誰でも聞き出しうる。でも、澄子さんから海の話を伺うまでには、いくつかの前段階があった。『月刊ドライブイン』もしくは『ドライブイン探訪』を読んでもらえばわかることだが、「ロードパーク女の浦」の回では、観光バスの時代のことに触れている。戦後の混乱期を脱し、生活が安定してきた時代に、観光バスによる旅行がブームとなる。その時代に脚光を浴びた場所のひとつが、松本清張の小説の舞台にもなった能登金剛だ。能登金剛を訪れたとき、僕はその風景にさほど感動できなかった。世界の絶景を、テレビやインターネットでたくさん目にしてしまっている。そんな僕の目と、カラーテレビやインターネットが普及していなかった時代の目では、風景を見る目がずいぶん違っているだろう。いや、それ以前に、旅行者が見る風景と、そこに暮らす人が見る風景とでは違っているはずだ。

 そんなことを考えていたこともあり、澄子さんに話を聞かせてもらったとき、「この風景を一目見ようと全国から旅行客がやってきたと思いますけど、澄子さんの目にこの海はどんなふうに映っていますか?」という質問をした。そうねえ、あんまり能登金剛のほうまでは観に行ってないんですよと澄子さんは笑っていた。インタビューを終えたあと、せっかくだから海を背景に写真をとお願いした。海が見渡せる場所にあるベンチまで行くと、澄子さんはこちらに背を向けたまま――つまり海を見渡すように――ベンチに腰掛けた。そちらに向かって座ってもらうと、写真が撮れないけれど、「こっちにむいてもらえますか」と言うのがなんだか躊躇われて、僕は澄子さんがこちらに向いてくれるまで待った。そんな流れで、叫びたくなるようなことがあっても、こうして海を見ていたら、だんだん心が落ち着いてくるのだという話を聞けたのだった。

 もちろん、そうして話を聞かせてくれたのは澄子さんであり、『月刊ドライブイン』は僕の創作ではない。ただ、とはいえ、これではノンフィクションはただテレビのネタ元にされて終わってしまう。別に「金をよこせ」といいたいわけではなく、あくまで仁義の問題である。こちらに事前に話がなくとも、エンドロールのクレジットに参考文献として名前が出ているだけでも十分だと思っていたが、そんなふうに名前が掲載されているはずもなかった。こうして日記を書いているのは3月22日の朝だが、版元から正式に抗議してもらおうと思っている。

 昼、知人はうどんを作り、僕は納豆オクラ豆腐そばを作って食す。午後は『AMKR手帖』の原稿に直しを入れてゆく。16時過ぎ、知人と一緒に散歩に出かける。不忍池に出てみると、ボートがたくさん浮かんでいるが、「去年より少ない」と知人が言う。缶ビール片手にぶらつく。去年までは見た記憶のない「桜に触らないでください」という看板が出ている。枝を引っ張って顔に近づけて写真を撮る人があまりにも多くて、僕も少し気になっていた。路面には宴席は禁止と貼り紙がある。ここにブルーシートを敷いて、ひとりでただ座り込んでいたらどうなるんだろうねと知人に言う。いや、邪魔だからどけって言われるだけでしょ。知人はつれない返事をする。いや、道路ならわかるよその理屈は、でも公園に佇んでいるだけの人間を移動させる理屈はないはずだとぶつくさ言い続けたが、知人はほとんど聞いていなかった。

 アメ横のガード下の飲み屋はどこも満席だった。なんだか何も起きていないように錯覚してしまう。しばらく歩き、「串カツ田中」(上野御徒町店)へ。飲み物半額パスの有効期限は3月29日までだから、これを使うのは今日が最後だろう。知人はすっぱいレモンサワーを、僕はハイボールを飲んだ。店員さんが、衛生面に考慮して、ソースは使い回さず廃棄していますという旨の貼り紙を貼っている。「串カツ田中」も苦戦しているのだろう。そこに小学校低学年くらいのこどもを連れた夫婦がやってきて、「予約した××です」と店員さんに告げている。「串カツ田中」を予約するということを考えたことがなかった。大人数ならともかく、入れなければ別の店でいいかというふうにしか考えてこなかった。こどもが嬉しそうにたこ焼きを焼いている姿を向こうに眺めながら、ハイボールを飲んだ。

 19時、「FNS歌謡祭」が始まるのに間に合わせてアパートに帰ってくる。ハイボールを飲みながら、20時台を待つ。どのタイミングでナンバーガールが登場するかわからず、冷蔵庫から乾杯用の缶ビールを持ってきたり、冷やしに戻ったり、うろうろする。いよいよナンバーガールが登場したところで、部屋のあかりを消し、缶ビールを開け、聴く。涙が出る。「乾杯!」の声に、テレビに向かって缶ビールを掲げる。そのまま番組を眺めていると、上白石萌音が出てくる。いろんな番組で目にしたことはあるけれど、気に留めたことは一度もなかった。しかし、その歌唱に撃ち抜かれる。声優なのだから、それはそうなのだけど、声だけでこんなに表現ができるのかと驚く。その肚の据わった佇まいにも。

3月20日

 昨日の疲れが出たのか、久しぶりに9時頃まで眠ってしまう。知人が嬉しそうにしているのを、眠さのあまり、少し邪険に扱ってしまう。朝、たまごかけごはんを食べて、WEB連載の更新にむけてあれこれ準備を進める。近くのスーパーにオクラが並び始めたので、納豆オクラ豆腐そばを食す。16時過ぎにアパートを出て、まずは三軒茶屋の「AJTM」へ。取材させてもらった話をもとに執筆した原稿を、事前にチェックしていただこうとやってきたのだ。案内された席に座り、ホッピーセットとイワシなめろうを注文する。この時間でも大盛況で、そういえば今日は祝日だったのだと思い出す。

 おかみさんは隣のお客さんと話し込まれていたので、ホッピーセットを飲み干し、会計をお願いしたタイミングで「すみません、先日話を聞かせていただいた橋本です」とご挨拶。ああ、橋本さんだったの、私目が悪いから気づかなかった、ごめんね、こっちに座ればよかったのに、と笑ってくれる。そして、「ちょっと、時間ある?」と、僕を隣に座らせる。昨年末から体調を崩していて、来週にはもう一度検査に行き、そのまま手術になるかもしれないのだという。

 「だから、こないだ話しきれなかったこともあるから、それは紙に書いておいてあげるから、今度また取りにきて」とおかみさんが言う。そして、買ってきたばかりのセリを挟みで切りながら、そういえばこないだ、橋本さんのこと知ってる人がきてたよ、と教えてくれる。なんだかね、坪内さんの秘蔵っ子みたいな感じでどうとかって言ってたから、「あれ、ひょっとして橋本さんのこと」と私が言ったら、えっご存知なんですかと言われてね。いや――皆「鬼は外、福は内」なんて言うけど、私らみたいに商売してると、鬼だろうと福だろうとお客さんだからね。おかみさんはそう笑う。

 そこで僕のことを話していた人はきっと、僕のことをくさしていたのだろう。そのことを、僕がショックを受けないようにと、おかみさんは少し持ってまわった言い方をしてくれたのだろう。まあ、そういうことを言いだす人間がいるだろうとは思っていた。でも、そんなことに気を回して原稿依頼を断ることも、文章に「私なんて大した付き合いがあるわけでもありませんけど」と余計な目配せをいれることも、筆が汚れるような気がして避けてきた。まあ、だから、想定の範囲内ではある。僕のことを話してた人って、××さんって人ですかと尋ねると、おかみさんは「あら、お知り合いなの?」と驚いていた。

 他にも2軒、原稿確認をしてもらわなければ。地下鉄で神保町に出て、「ASN屋」に向かうと、シャッターが降りている。祝日は定休日だったのか。ひょっとしたらと、もう1軒の新宿「NKMT」に電話をかけてみると、電話は繋がらなかった。今日は「NKMT」で知人と合流して、レバニラとタンメンを平らげたのち、新宿3丁目「F」に流れるつもりでいたけれど、どうやら「F」も祝日は定休日であるようだ。急遽予定を変更して、交差点で知人と待ち合わせる。缶ビールを飲みながら歩き、「海上海」でお腹を満たしてから、「バー長谷川」でハイボールを3杯飲んだ。帰り際に、『本の雑誌』の追悼文読みましたと伝えると、僕も読みました、と長谷川さんが言う。