9月1日か15日

9月1日(日)

 朝8時に起きて、昨晩の日記を書き始める。11時過ぎ、部屋の清掃が入るので外へ出た。台風は熱帯低気圧に変わったはずだが、依然として激しい雨が降っている。地元の喫茶店でパソコンを広げるのは忍びなく、駅前のスーパー「サンリブ」の1階(のオープンエアーなスペースにある)出店に腰を落ち着ける。

 ウーロン茶と今川焼きを注文。今川焼きつぶあんにしようかクリームにしようか迷っていると、店員のおばさんが「おすすめはオランダ焼きです」というのでそれを選んだ。オランダ焼き、今川焼きにキャベツとベーコンとマヨネーズが入っている。ほとんどお好み焼きのような味だ。いちおう屋根はあるのだが、今日は雨も風も強いので、ノートパソコンのディスプレイに時々雨粒がつく。

 13時過ぎまでかかって原稿を書いたのち、昨晩行きそびれた日田まぶしの店「千屋」へ。日田まぶしと瓶ビール(サッポロ)を注文する。日田まぶし、要はひつまぶしである。薬味として用意されているのが唯一違うところで、この店では青ネギとわさび、それに柚子胡椒と大根おろしのセットが用意されている。注文するとすぐに運ばれてくる日田まぶし、うまいのはうまいが、タレと薬味がうまいとも言える。やはり鰻はひつまぶしより鰻丼なり鰻重なりで食べたいところだ。日田は水郷として有名で、川魚がうまい街だ。

 食後、パトリア日田へ。喫茶スペースで仕事したのち、17時、快快「6畳間ソーキュート社会」観る。今日は最前列正面の席で、昨日と違ってメモも取らず、その代わりたまに写真を撮りながら自由に観た(撮影可の公演だったのだ)。

 夜は打ち上げがあるらしかった。もちろん自分から訊ねれば済む話ではあるのだが、誘われてもいないのに「何時から?」と聞くのは悲しい。それを悲しいと思うのが僕の了見の狭いところだとは思うが、ひとりで飲みに出かけることにする。


9月2日(月)

 朝7時に起きる。心を落ち着かせて、8時、「あまちゃん」。地震が、やってきた。静かに見守る。9時過ぎにホテルをチェックアウトし、実家のある広島を目指した。広島駅に到着すると、例によって駅ビルにある「麗ちゃん」でお好み焼きを食べる。この駅ビル「ASSE」には「麗ちゃん」が2つ入っている。改札に近いほうの「麗ちゃん」にはいつも行列ができているが、一回り小さい「第2麗ちゃん」なら、大抵の場合すぐに入れる。どうして皆あちらに並ぶのか、謎である。10メートルくらいしか離れてないのに。

 食べ終えるとすぐに山陽本線に乗り、地元の駅へ。母親に電話しても繋がらないので、小雨の中歩いて帰ることにする。途中にあるセブンイレブンでビールでも帰っていくか――そう思って顔を上げると、そこにあるはずの看板が見当たらない。近づいてみると、建物こそ残っているものの電飾は外され、すっかり廃墟になっていた。

 このセブンイレブンが出来たのは僕が小学生の頃だ。それまでは酒屋で、僕の同級生の親がやっている店だった。だからセブンイレブンになってからも「その家の店」という印象が残っていて、雨で遠足が中止になって授業になった日、給食がないということを思い出して祖母がセブンイレブンで弁当を買ってきてくれたのだが、その茶色いビニル袋は、なんだか他人の家のごはんを恵んでもらっているようで気まずかったのを覚えている。

 店頭にはいつもその家のお母さんの姿があった。大人になって地元を離れてからも、帰省して店に立ち寄るたび、おばさんは「あら、休みが取れたん?」「先生(僕の祖母は地元の小学校の先生をやっていたり、短歌の会の講師のようなことをやっていたりしたので「先生」と呼ばれることがある)は元気?」と声を掛けられることが多かった。そうした風景が、突然消えてしまった。

 僕はこういうことに寂しさを覚えるのだなと改めて思う。あとで親に聞いた話だと、先週の金曜日までは普通に営業していたという。お店は比較的賑わっていたから、経営が急に傾いたとは思えない。何にせよ引っ掛かるのは、金曜まで営業していたという店が、その2日後に電飾や看板まで撤去されているということだ。

 ショックを引きずりつつ実家に戻り、祖母のところにも顔を出しにいく。母が冗談まじりに「誰かわかる?」と口にすると、祖母は不審そうにこちらを見て、「……誰?」と言った。これもショックだった。「誰?」という言葉より、祖母から向けられた目と数秒の間が、何よりショックだった。祖母はたしか、今年で86歳になる。

 部屋で落ち込んでいると、メールが届く。昨日18時頃に『もっと!』編集部のKさんに送っていたインタビュー原稿、オーケーの返事。たくさん話を聞かせてもらったインタビューだっただけに、「構成し直してほしい」と言われるかもしれないと思っていたので、オーケーをもらえてホッとした。

 今これを書いていて思ったが、こうして一喜一憂しながら死んでいくのだろうな。

 18時、夕食。ごはん、カレーコロッケ、肉じゃが、焼きそば。炭水化物と芋による献立である。焼きそばにはシイタケとしめじが入っていた。焼きそばにきのこを入れるだろうか? きのこぐらいしか特産品のない町がB級グルメで町おこしを考えればそんなメニューが生まれるかもしれないが……。僕がきのこを好きじゃないとわかっていて、なぜあえて入れるのか、謎だ。ひょい、ひょいっと丁寧に選り分けて食べた。


9月3日(火)

 昨晩は酒も飲まず8時頃眠ってしまった。そのせいで2時半には目が覚める。寝たり、原稿を考えたり、本棚に揃っている『稲中』を読み返したり、パズドラやったり、原稿考えたり。書いては消しを繰り返していた原稿、5時過ぎにとりあえず最後まで書ききることができた。まだ書きたいことはあるけれど、ちょうど『TV Bros.』編集部のMさんからメールが届いたこともあり、メールで送信してみる。

 1時間ほどで返信があり、「率直に言ってすごくいいです」とメールをもらえたので、それで完成とする。ホッとひと安心。Mさんはツイッターで「届いたテキストがすごくよかったのだが、こういうの読むと俺はまだまだ文章へたくそなんだなと痛感する」ともつぶやいていた。もしこれが僕のことだとすれば嬉しくもあるが、僕は原稿用紙で3枚ほどのそのテキストに2日くらい費やしている。いや、『cocoon』を観ていた時間などを含めるともっと長い時間が掛かっていることになる。それではダメだという気持ちと、それでいいじゃないかという気持ち、両方あるが、今はまだ後者のほうが大きい。

 窓の外を見ると朝焼け。気分が良いので散歩に出て、ちょっと高台になった場所から町を見渡す。部屋に戻り、ウトウトしながらパズドラをやったのち、8時、朝食とともに「あまちゃん」。冒頭、暗闇の中線路を歩くユイちゃんの姿に涙が出そうになる。アキは「(ライブは)『中止』じゃなくて『延期』だから、また来てけろ」と朗らかに言うが、ユイちゃんは「『中止』だよ。延期じゃなくて中止だよ」と口にする。「道がね、なくなってたんだよ」と。あれだけ東京に出たいと願っていたユイちゃんの道が塞がれるのは、これで一体何度目だろう。大丈夫だよユイちゃん、君の前にはちゃんと道はあるんだよ。そんな言葉が頭に浮かぶと、本当に涙がこぼれてしまいそうになったので、ごはんを食べることに集中した。

 さて、今日は何をしようか。締め切りのある原稿も終わったことだしどこかに出かけたいけれど、雨だからドライブに出かけても楽しくないだろう。野球でも観に行ってみようかと新聞を広げてみると、今日はマツダスタジアムで試合があるようだ。先発はマエケンだ。これは観に行くしかあるまいと、ぴあでチケットを購入した。これまで何度かマツダスタジアムに試合を観に出かけたが、いつもチケット完売で入れなかったので、今日はその反省を活かしてぴあでチケットを取ったのである。取った瞬間に、今日が雨であることを思い出す。

 18時、夕食。かぼちゃの煮物。チキンソテー。ハヤシライス。肉々しい夕食である。

 ローカル局のニュースでは、在宅医療が取り上げられていた。患者は膵臓がんで余命2週間を宣告された87歳の女性だ。明るく話しかけるドクターが、「広島カープの試合、観に行きましょうか」と提案する。彼女はカープファンなのだという。女性自身には余命宣告をされていないのか、余命を知った上で言っているのか、女性は「いいです、いいです」と遠慮する。周囲に迷惑をかけたくないのだろう、「元気になったら娘と生きますから」と言う。これ以上元気になることは、おそらくない。

 数日後、再びドクターが訪ねると、「やっぱり行きたいです」と女性はお願いをした。そして実際にマツダスタジアムカープの試合を観戦した。試合はカープが快勝し、女性の嬉しそうな姿がカメラに映し出される。彼女はその1週間後、静かに息を引き取った。最後に野球観戦をして愉しかった記憶を胸に亡くなったのだろう。僕は最後にどんな記憶を胸に死にたいだろう。


9月4日(水)

 9時過ぎに起きた。朝食、ハヤシライス(小)、トマト、ウィンナー、玉子焼き。今日は倉敷の「蟲文庫」を覗いてから東京に戻るつもりでいたけれど、この時間だとバタバタしてしまいそうだ。その予定は取りやめにして、少しノンビリしてから実家を出た。今思えば、これがまずかった。

 まずは広島に出てお土産を購入する。夜の打ち合わせ先に渡すもみじ饅頭と、もう1つ別のお土産と、あとは自宅用にアレコレ。前回帰省したときには(少なくとも目立つ形では)ディスプレイされていなかった、レモンを使ったお土産たちが目につく。気になるので、尾道檸檬ラーメン、広島レモンラスク、ウキウキレモン酒を購入。他にも何種類かレモン物が並んでいた。

 夫婦あなご弁当を購入し、11時37分発ののぞみ22号に乗車した。自由席はほどほどの乗車率だ。僕は1号車のE席に座る。これで電源は確保した。お弁当を食べたのち、パソコンを広げて日記を書き、『S!』誌の構成に取りかかった。ぼちぼち混雑してきたけれど、大阪、京都に至っても僕の隣りは空席のままだ。名古屋を過ぎてもこのままだといいんだけど――そんなことを考えていた13時半頃、新幹線が停車した。

 車内アナウンスが流れる。「ただいま、米原-岐阜羽島間で激しい雨が降っています。そのため、この電車は運転を一時見合わせます」。まあすぐに動くだろうと思っていたが、30分近く経っても運転は再開しない。特にアナウンスもないので、パソコンで雨雲レーダーを確認してみると、おお、大垣のあたりが真っ赤になっている。レーダーの予測を見てみると、激しい雨を降らせる雲は南北に細長く広がっていて、それがゆっくりと北に移動するようだ。これは長期戦になるかもなあ。ちょうど車内販売がやってきたので、ホットコーヒー(2杯目)、それから念のためにじゃがりこを買っておいた。

 まあ、僕としては電源さえあればゲームもできるし音楽も聴けるし、パソコンで仕事もできる、Wi-Fiも繋がるから特に困る環境にもない。時計を確認すると、止まってから既に1時間45分ほど経過しているが、他の乗客も特に慌てる様子はない。こうして「新幹線に乗客が閉じ込められた」というニュースを見るたび、車内はさぞ殺伐とした空気になっているのだろうなと思っていたけれど、僕の乗った車両にはまったりとした時間が流れていた。日本人はすっかり災害慣れしたのかもしれない。あるいは、ここ数日は各地で豪雨が続いていたから、新幹線が止まることを皆見越していたのかもしれない。ときどきデッキに電話をかけに立つ人はいるが、それも、普段の新幹線でデッキに立つ頻度と同程度だった。

 新幹線は17時過ぎになってようやく動き始めた。米原駅を通過し、皆がホッとしたところで再び新幹線は止まった。米原-岐阜羽島の雨は収まったが、今度は三河安城までの区間が集中豪雨に見舞われているらしかった。2度目の停車に、さすがに車内もざわつき始める。皆デッキに立って電話をかけたり、車掌さんに話しかけたり。車掌さんは走っていた。ツイッターで情報を検索すると、名古屋が水没しつつあるらしく、名古屋市全域が避難準備区域に指定されたという。これはひょっとしたら夜の打ち合わせに間に合わないかもしれないと、僕も席を立って連絡を入れた。

 今度は40分ほどで運転は再開された。僕の恐怖は、電車が再び止まることより、次の名古屋駅で大量の乗客が入ってくることに変わりつつあった。東海道新幹線が運転を見合わせているあいだに、その間の新幹線に乗車するつもりでいた人たちが一挙にこの電車に乗ってくるだろう。そうすると、車内の空気は重くなるだろうなあ。18時12分、名古屋駅に入線すると、ホームには人が溢れ返っているのが見えた。「名古屋駅、4時間23分遅れでの到着となります」との車内アナウンスに少し笑ってしまう。新幹線はあっという間にぎゅうぎゅうになった。ホームでは「後続の電車をご利用ください!」と何度も何度もアナウンスされていた。

 4分ほど停車し、東京へと出発する。名古屋を出てからは、さっきまでのことが嘘のように快調に走り、品川に到着する頃には遅れたぶんを3分ほど取り戻していた。品川駅の改札内には座り込んでいる乗客がたくさんいて、改札の前も掲示板を眺める人や駅員に絡んでいる人がたくさんいた。振り返って掲示板を見ると、そこにはまだ「15:47」という時刻が表示されていた。この日僕は8時間10分ほど新幹線に乗車していたことになる。

 高田馬場に戻り、打ち合わせ。連絡していたとはいえ、20分も遅れてしまって申し訳ない。1時間ほど打ち合わせをしたのち、スーパーで割引されたパック寿司とソーセージ、それにビール(麒麟「秋味」)を2本を買ってアパートに帰った。ドラマ「Woman」をオンタイムで観つつ晩酌。知人は体調を崩しているらしく横になっていた。ディスコミュニケーションという形のコミュニケーション。

 
9月5日(木)
 
 朝9時に起きる。朝食にバナナを食べつつ「あまちゃん」観る。懸命に玉子焼きを作る種市先輩を見て、初めて「格好良い」と思った。

 昼、もやし入りのマルちゃん正麺(醤油味)。『S!』誌の構成をじっくり完成させたのち、アパートを出る。さきほど、支度をしていて気づかなかったが、坪内さんから電話がかかってきていた。留守電が入っているようだったので、歩きながら聞くと、明日か明後日に出る『文學界』で、高橋源一郎さんが僕の『沖縄観劇日記』について触れているから、読んでみて、と録音されていた。とても嬉しいことだ。

 『沖縄観劇日記』、劇場で300冊近く売れたけれど、皆買うだけ買って読まないのではないかと思っていた。読んだとしても、その感想に触れることはほとんどない。ひょっとしたら誰も読んでないのではないかという気持ちにも時々なる。だから、読んで、それについて書いてくれる人がいるというのは嬉しいことだ。『沖縄観劇日記』は、もちろんマームとジプシー「cocoon」のサブテキストでもあるのだが、ちょっと、まだ観ぬ舞台と勝負するくらいの気持ちで書いた部分もある。

 坪内さんからの電話は『文學界』の件についての電話だったので、留守電を聞いてしまったからには電話を返さなくても済むといえば済む。もちろん、「留守電、聞きました」と電話を返したほうが丁寧ではあるけれど、ちょっと大げさかもしれない。少し迷ったけれど、今日は電話をかけたいという気持ちになってリダイヤルした。坪内さんはその件についてだけ話し、「またね」と言って電話を切った。

 坂を上がり、明治通りをぷらぷら歩いていると、Uさんの姿があった。これから「古書往来座」の店番らしい。お店に行って広島のおみやげを渡し、中沢新一細野晴臣『観光 日本霊地巡礼』(ちくま文庫)、『細野晴臣インタビュー』(平凡社ライブラリー)、大竹伸朗『ネオンと絵具箱』(ちくま文庫)、それに、あ、と思って坪内さんの『古くさいぞ私は』(晶文社)を買った。

 池袋に出て、「ジュンク堂書店」。東京に戻ったら買おうと思っていた松尾スズキ『人生に座右の銘はいらない』、それに内堀さんの『古本の時間』が目当て。他にも又吉さんの『東京百景』、宮藤官九郎みうらじゅんの対談本『どうして人はキスをしたくなるんだろう?』、それに大竹伸朗『ビ』を買った。

 近くの「みつぼ」に入り、モツ焼きとポテトサラダ、それにビールを注文。今日は蒸し暑くて腕に汗が滲む。こんな日はやはりビールがうまい。買ったばかりの『古本の時間』を開き、ぱらぱらめくってみる。7月26日に東京堂書店で開催された坪内さんの「辻説法」の打ち上げ、近くの「揚子江菜館」で行われた。2つのテーブルに分かれてお酒を飲んだのだが、僕の隣りに座ったのが中川六平さんだった。

 六平さんは僕のほうに向くと、開口一番、「今度内堀の本が出るんだけどよ、橋本さん、君の名前が4回くらい出てくるんだよ」と言った。六平さんと会うのはたぶん4度目くらいで、少なくともこの3年くらいはお会いしていなかったが、僕のことを覚えてくれているとは思わなかったので驚いた。『古本の時間』、をめくっていると、たしかに4度くらい出てくるけど、『HB』創刊号について内堀さんが書いてくれた原稿(初出で読んで喜んだのを覚えている)の中に僕の名前が4度くらい出てくるのだった。

 運ばれてきたポテトサラダには、ポテトの他にキュウリとニンジン、それにタマネギが入っていた。ゆるめのポテサラで、タマネギの辛さが際立つ味だ。ビールよりチューハイのほうが合いそう。六平さんがゆるゆると酒を飲んでいた姿を思い出す。7月、中川さんは「最近よぉ、肩が痛いんだよな」と言っていた。周りの人は酒を飲まないようにと止めていたが、こっそりお酒を飲んでいた。僕が自分のグラスに焼酎を注ぐと、「俺にも入れてくれ」とそっと頼まれたので、薄めに焼酎を入れた。六平さんは、くるくる回るテーブルから自分の小皿に料理を取り分けるとき、がさっと僕の小皿にも放り込んでくれた。放り込んだあとになって「食べてる?」と言った。

 六平さんには昔、「コクテイル」でばったりお会いしたことがあった。あれは『HB』を出して間もない頃だったと思う。そのときは「橋本さん」などと呼ばれなかった。「お前もよぉ、ちゃんと作品出さなきゃダメだよ」と六平さんは言った。いや、いま一応『HB』って雑誌を作っていて――そう言い返すと、「そういうじゃなくて、自分のだよ」と六平さんは言った。「そうだな、200枚ぐらい、評論でも何でもいいから、一回書いちゃえばいいんだよ。それぐらいの量があれば本にできるんだから。書いて、坪内んところでも、俺んところでもいいから、送ればいいんだから。坪内も喜ぶと思うよ」。六平さんはそう言っていた。そのことを、今日になって思い出した。そのとき、『HB』を出したばかりの僕は正直ムッとしていたけれど、今では六平さんが言っていたことが、少しくらいはわかる。

 19時、渋谷「WWW」。今日は豊田道倫&HEADZ presents「umtv」というイベントがある。

 この調子で書いていくと長くなりそうなのでざっくり書く。1組目のOptrum、初めて観た。あれはどういう仕組みになっているのか、蛍光灯が楽器になっていて、それを操作すると爆音でノイズが流れる。その音とドラムのサウンドが絡んでいく。まず画としての格好良さに惚れ惚れする。圧倒される。何だこの人たちは、何で蛍光灯で音を出してるんだ! と。外国人か、あるいは田舎から上京したばかりの人のような気持ちで、「東京にはすげえ人がいるもんだな」なんてことを思う。

 Optrumの演奏が終わり、転換のあいだに2杯目のビールを購入する。フロアに戻ると、快快の衣装担当・きょんちゃんに声を掛けられた。少し話していると、九龍ジョーさんの姿があった。「橋本君、細かいところまで見てるね」と九龍さんは言った。僕がツイッターで、『モーニング』の後ろのほうに掲載されていた活字ページで九龍さんが構成をしていた仕事についてつぶやいていたからだ。その話をひとしきりしたあと、「中川六平さん、亡くなったね」と九龍さんは言った。

 次のバンドは空間現代だった。僕はもう、空間現代を観るたびどんどん好きになっている。バキバキしたサウンドも、声の入り方も、好みだ。ザゼンを聴いているときの快感に近いものある。一見、地下室にこもっているようなサウンドだが、ずーっとリフを聴いているうち、ふとした瞬間に開放感が広がり、楽しくてついニヤけてしまう。彼らの演奏を朝まで聴けるバーがあったら通ってしまうだろう。

 30分ほど演奏したところで音がストップし、すたすたと古川日出男と蓮沼さんがステージに現れる。ううむ。それが終わると、豊田道倫&『MTV』バンド。最初は豊田さんが一人で現れて歌い始める。豊田さんの歌う姿を観るのは初めてで、ひょっとしたら聴くのも初めてかもしれない。聴いているうちに少しずつその歌声に引き込まれていく。ノレるとか、刺さるとか、そういうのとはちょっと違うけれど、妙に何か心に引っ掛かる。


9月6日(金)

 朝9時に起きて、日記を書く。書きながら、知人とOptrumの話もした。あの蛍光灯の人は伊東篤宏さんと言うらしい。伊東さんはもともと美術家としてインスタレーション作品を作っていて、その中で蛍光灯から音の出るものを作り、ライブ活動をするようになったのだという。美術や音楽界隈では、「伊東さん」と言えばどこに行っても「ああ蛍光灯の」と話が通じるらしい。知らないことばかりで、まったく、恥ずかしくなる。

 僕が「ああいう人って不思議だよね。もう蛍光灯以外なかったんだろうね。そういうところに目がいく人って何なんだろう?――毛利悠子さんとかも、地下鉄の水漏れフィールドワークをしてるじゃん。そういう、あえてそれを取り上げるとかじゃなくて、そこにしか目がいかないという人たちについて、誰か一冊にまとめてくれたらいいのに」なんて僕が話すと、「そういえば毛利さんも伊東さんも、あとコア・オブ・ベルズのメンバーも皆藤沢出身だよ」と知人は言った。藤沢って東京が普通に行けるくらいの距離にあって、でも別に藤沢の中で完結できるから、何かあるのかもしれないね、と。

「でも、何で今になって(空間現代とかOptrumとか、HEADZまわりの)あの辺に興味持ち出したの」と知人は言っていた。たしかに、今更かもしれない。でも、「今更」と言われる人たちのことがどれだけ記録されているのかはまた別の話だ。

 僕が日記を書いているうちに知人は二度寝してしまった。僕は自転車を漕いで「芳林堂書店」に急ぎ、『文學界』(10月号)を買い求める。店員さんに「同じ号を2冊でお間違いないですか」と訊ねられてしまった。帰りに「すき家」でねぎ玉牛丼(大盛り)とわさび山かけ牛丼(並盛り)を購入し、アパートに戻って『文學界』に掲載された高橋源一郎「ニッポンの小説 第三部」を読む。第18回となる今回のタイトルは「一九八五年に生まれて」で、マームとジプシー「cocoon」と古市憲寿『誰も戦争を教えてくれなかった』が論じられている(マームの藤田さん、そして古市さんは1985年生まれ)。

 その中で、昨日も書いた通り、僕の『沖縄観劇日記』も引用されている。「藤田貴大と『cocoon』の出演者たちの、沖縄取材旅行に同行した橋本倫史は、その取材ノートにこんなことを書きつけている」と。「取材ノート」、と思いつつ引用箇所を読んでみると、「話を聞きながら、僕はまた同じ泡盛を注文した」という、別段引用する必要のない箇所まで引用されていてちょっと嬉しい。その一文は、僕にとっては必要な一文でもあるから。

 14時過ぎ、知人と一緒にアパートを出た。原宿駅で知人と別れ、「VACANT」ヘ。今日からここでユリイカ×マームとジプシー×川上未映子「初秋のサプライズ」というリーディング公演があるのだ。制作のはやしさんから急遽撮影を頼まれたのである。僕はこの人たちに頼まれたことは(出来うる限り)何でも応えようと決めているので、すぐに「撮ります!」と返信をしていた。

 マームとジプシーは、去年の夏にもリーディング公演を行っていた。そのときは本当に「リーディング」だった。だから、そんなには撮りようがないかもしれないと思っていた。だが、「VACANT」の2階に上がってみて驚く。そこにはしっかりと舞台美術が用意されていて、zAkも、チリやイタリアで音響を担当していた角田さんもいる。照明もかなり作り込んである。

 呆気にとられていると、青柳さんが近づいてきて「急なお願いですいません。よろしくお願いします」とお辞儀をした。これは気合いを入れて撮らなければと心を新たにする。今日は標準レンズしか用意してこなかったけれど、この景色は広角レンズで収めたいと思い立ち、「(通し稽古の始まる)16時までには戻ります」と言い残してタクシーを拾い、渋谷のビックカメラで4万円の広角レンズをクレジット払いで購入し、再びタクシーで「VACANT」に戻った(この間15分ほど)。

 16時、通し稽古が始まった。客席が結構縦長に用意されていて、藤田さんやzAkさん、角田さんはその後ろにいるので、ステージの近くには僕しかおらず、一人で青柳さんに対峙させられているような気持ちになってくる。圧倒されつつ、踏ん張って写真を撮った。

 通し稽古の途中で、『ユリイカ』編集長のYさんと、それに川上未映子さんがやってきていた。僕がカメラを片付けつつ、藤田さんと少し話をしていると、川上さんが近づいてきて藤田さんに「ご挨拶させていただいてもよろしいですか?」と言っている。そこは音響卓のすぐ近くだったから、ああ、音響の角田さんに挨拶するのかなと思い、その場所から離れようとした。藤田さんが「ああ、もちろんもちろん」と言うと、川上さんは僕のほうに向き直り、「初めまして、私、今回のテキストを書かせていただいております川上未映子と申します」と言った。

 僕は動揺して、アワアワしながら「も、ぞ、もちろん存じ上げてます」と答え、「ライターの橋本と申します」と挨拶した。「私、いつも日記読んでました。イタリアとチリで、皆さんが素敵な時間を過ごされているのを真夜中に、読んでたんです」。こうして文字にすると慇懃無礼に見えてしまうかもしれないが、まったくそんな感じはなく、とても柔らかな人だと思った。そしてとてもまっすぐな人だとも思った。

 開演を待つあいだ、どこかで酒でも飲もうと通りに出る。明治通りに出て店を探すか。そう思っていたが、「VACANT」があるのとは一本違う筋に赤提灯があるのが見えた。近づいてみると「ふくや」というおでん屋で、晩酌セット(ビールとおでん3品盛り)が580円だ。店に入ってそれを注文し、ビールを飲み始めていると、外国人のカップルがやってくる。店員は店長ひとりだけで、英語は得意ではないようだ。僕も説明してあげたいが、「おでん」を何と説明すればいのかわからない。店長は現物を見せて説明していた。僕は「あなたが食べているミートボールは何なのか」と訊ねられた。魚のミンチで……と説明すると、日本語で何と言うのかと男性が言う。TSUMIRE、と教えてあげる。

 お店にはポテトサラダもあったので注文する。いくらだったか、メモしなかったので忘れた。ハムが添えてある。ポテト、ニンジン、それに瓜のような野菜が入っている。ポテトサラダというより、乱切りした野菜にマヨネーズベースのソースを絡めたサラダといった趣き。甘めの味付けだ。このポテサラは何が合うだろうか、やっぱり焼酎の水割りかな。追加で里芋の煮物を注文しつつ、カメラで撮ったばかりの写真を確認する。青柳さん、改めて、すごい役者だなと思う。「cocoon」が終わって3週間だが、しっかりとそれを更新している。

 大将に話を聞くと、このおでん屋、7月22日にオープンしたばかりだという。「普段はこのあたりのお店の店員さんなんかが、お店(の従業員)ごと来てくれることが多いですね。原宿でおでん屋なんてっていうんで、面白がって冷やかしにくるお客さんも多いですけど。まあ、私としても半分ギャグを込めてこんな場所でおでん屋始めたんですけどね」と大将は笑っていた。


9月7日(土)

 朝9時に起きて「あまちゃん」。次週予告を見ると、いよいよ物語を閉じにかかっているなと感じる。もう今月で終わってしまうのだなあ。ニュースを見ていると、2020年のオリンピック開催地がもうすぐ決まると伝えている。ふうん。猪瀬知事がブエノスアイレスで記者会見している、右隣にはフェンシングの太田雄貴、左隣には滝川クリステルが座っている。滝川クリステル……?

 今日も「すき家」でねぎ玉牛丼(中盛り)を食らい、上野へ。3ヵ所ほど回りつつ仕事。16時45分にすべて終了し、急いでアパートに戻る。昨日の写真をCD-Rに焼き、今日も原宿へ出かけた。休日はさすがに混み合っている。ラフォーレでは誰かがDJをやっているのが見える、「VOGUE girl × Laforet HARAJUKU」と書いてあるのが見える。明治通りを挟んだ向かい側でも、新しい店のオープニングだろうか、人だかりが出来ている。少し離れたところには法被を着た人たち、地元のお祭りもやっているのか。カオスだ。

 開場時間まで入り口にあるチラシを物色し、「こちらから2列で並んでください」と店員さんが言った瞬間にスッと先頭で並んだ。今日も川上未映子×マームとジプシー「初秋のサプライズ」を観にきた。本当は昨日のぶんしか予約してなかったが、知人にも見せよう(そして自分ももう一度観よう)と制作・はやしさんに無理言ってお願いしたのである。

 舞台の下手側にあるベンチを選んで座った。ドリンクチケットをビールに交換し、ぼんやり過ごす。蝉の音が流れている。あそこにあの人がいる、あそこにはあの人がいる。他愛もない話をするフリをしながら、知人にこっそりしゃべっていた。ミーハーだし嫌な客だなと自分でも思う。

 トイレに立ったついでに、受付でビールを4本追加購入する。受付の人は(今「4本」って聴こえたけど、私の耳、おかしくなっちゃったのかな?)と、しばらくキョトンとしていた。1本が知人のぶん、残りの3本は僕のぶんである。

 19時過ぎ、開演。今日も「冬の扉」からリーディング公演は始まった。タイトルにある「冬」を思わせる、シンとした始まり。だが、次第にリーディングはグルーヴを帯びてくる。2本目の「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」でそのグルーヴは爆発する。同作は関西弁で綴られた作品だが、青柳いづみの関西弁が意外としっくりくる。これはこの日のアフタートークで語られていたことだが、川上未映子さんも「イントネーションにはこだわらなくてもいい」と了承し、藤田さんも「青柳弁でいいよ」と言っていたらしいのだが、しっかりしている。もちろん細かいことを言えばいくらでも言えるだろうが、捲し立てられる言葉によって表される衝動がそこにある。まさに「青柳弁」と言うほかない。

 終演後にはアフタートークがあった。その間に僕は赤ワインを追加で買い求めた。トーク、あれこれメモしたことはあるが、一番印象に残っているのは、「エモい」と言われることについてどう思うかという山本さんの質問だった。藤田さんは「エモーショナルであることを隠すことはすごくダサいと思っている」と答えていた。トークが終わったあとで、2冊買っていた『文學界』のうち1冊を藤田さんに渡し、CD-Rをはやしさんに渡し、知人とふたり「VACANT」を出た。竹下通りでクレープを(僕だけ)食べたのち、高田馬場に戻って酒を飲んだ。


9月8日(日)

 昨晩は「VACANT」の時点で結構なお酒を飲んでいたので、アパートに帰る頃にはすっかり酔っ払っていた。テレビをつけると、どのチャンネルもオリンピックがどうたらと言っている。どうやら最初の投票でマドリードが落選したらしかった。どの局も特番をやるほど盛り上がってたっけ、と少し不思議な気持ちになった。テレビをつけたまま眠ってしまい、明け方に何やら騒がしく、目を開けると「東京開催決定」という文字を見てテレビを消したような気もするが、きっと気のせいだろう――。朝8時に目を覚まし、テレビを付けてみると、本当に2020年のオリンピック開催地は東京に決まったらしかった。

 ツイッターを開くと、やはりネガティブなことを言っている人を多く見かけた。反対する理由は様々あるだろう。何にせよ、僕としては、「オリンピックがくるのって、僕が住んでる、この東京ですよね?」というくらいの感覚だった。「東京オリンピック」と言われてもどこか他人事に感じてしまうくらい、「東京」という規模に対して何か思うことは難しくなっているのではないか。

 何にせよ、最近引っ越し先を考えていた僕としては、一つの指針が出来たようにも思う。僕がその規模にリアリティを持とうが持つまいが、「東京」という場所は変わっていくだろう。ぼんやりしていたら何が変わったのかもわからないくらいぬるりと変わっていくだろう。だから僕は、この7年の変化に目を光らせて、この都市に居続けたいと思う。大きな変化は誰かが書いてくれるから、小さな変化に目を光らせたい。そのためには、どこに住んだらいいだろうか。そして、東京オリンピックの期間中の風景を記録するためには、どこに住んだら面白いだろうか。

 何にせよ、もっともっと目を養いたい。

 午後、知人と一緒に出かけて「ザ・ハンバーグ」で昼食。僕は250グラムのハンバーグ、知人は200グラムのヘルシーハンバーグ。知人は「ちょっとちょうだい」と言ったが、僕は何かを混ぜたハンバーグ(に模した食べ物)なんて食べたくないから断った。が、おそらく無意識なのだろうが、知人がチラチラと僕のハンバーグを見てくるので、ふた口ぶんだけ交換した。ヘルシーハンバーグ、意外とうまい。次からはあれを注文しよう。

 新宿のLUMINEを冷やかしたのち、知人と別れて吉祥寺へ。バサラブックスを覗き、最近創刊された双子のカルチャー誌『ニニフニ』、それに勝新太郎若山富三郎の文庫本を購入する。少し歩いて「MANDA-RA2」の場所を確認し、すぐ隣りの酒場に入った。ビールを飲みつつ松尾スズキ『人生に座右の銘はいらない』を読んで、背筋をしゃんとさせる。

 今日は「MANDA-RA2」にて前野健太さんのライブ「夏が洗い流したらまた」がある。前野さんは、ときどきこうして季節を見送るようなタイトルのライブを行う。このライブハウスは初めてだが、椅子がたくさん用意してある、もっと早く列に並べばよかったかもしれない。

 僕は最後方にまわり、何杯もお代わりをしながらノリノリでライブを聞いた。前野さんはときどき、びりびりと感電したように強く歌う。そのびりびりが、鋭く刺さる。最近始まったドラマ「夫婦善哉」にも登場する「俺と共鳴せえへんか」というフレーズを思い出した。昨日や一昨日にも思ったことだけど、こうしてエモーショナルなパフォーマンスに共鳴し酒を飲む時間が、僕は大好きだ。

 終演後、今日のライブに誘ってくれた『なんとなく、クリティック』のMさんと2人、ハモニカ横丁へ。「ハモニカキッチン」(2階)に入り、Mさんはビール、僕はホッピーを注文して乾杯。何年も前に友人のAさん、N村さんと3人で来たのをこの店に来たときのことを、今でもはっきり覚えている。あの日はほぼ貸切状態だったが、今日は4人組の男女のお客さんが2セットいて、2組とも大いに盛り上がっている。僕も、そしてMさんも声が小さいので会話に少し手こずった。

 ライブの感想などを話しているうち、ケーキを持った店員さんが上がってきた。片方のグループの中に、誕生日の女性がいるらしかった。26歳になるのだという。お愛想程度に手拍子をしていたのだが、お裾分けにと僕たちのテーブルにもケーキを切り分けてくれた。既に注文していたタクアンの玉子焼き、それにポテトサラダと一緒に並ぶ、桃のケーキ。ポテトサラダは、マッシュポテトっぽさの強い味だったような気がするが、そのあとに食べた桃の甘さばかりが印象に残っている。


9月9日(月)

 17時過ぎ、或る街に飲みに出かけた。ガード下にて、どの店に入るか考える。17時半の時点で看板が灯っているのは3軒ほど。その中でも一番敷居の低そうな店(つまり明るくて一番綺麗な店)に狙いを定める。勇気を出して、引き戸を開く。L字型のカウンターにはお客さんが3人ほど座っている。そのうち1人はさっきすれ違った40歳くらいの女性。それに50代くらいの亀和田武さんに似た男性と、60代くらいの男性がそれぞれ座っている。

「1人なんですけど、いいですか」と店主の女性に声を掛けると「どうぞどうぞ。何かをご覧になっていらしたんですか」と声をかけられた。「いえ、この辺りを散歩していて――」と、咄嗟に嘘をついてしまう。まずはビールを注文する。カウンターはぎりぎり6人座れるくらいの狭さだ。シュウマイ、小松菜のおひたし、鶏肉と里芋の煮物、枝豆などが大皿に盛られている。僕の左隣にいる男性が「今日は3杯くらいで帰ろうかな」と言うと、右隣の女性が「ええ? 具合が悪くなっちゃいますよ」なんて笑っている。

 僕がビールを飲み干すと、女性のお客さんが「勝手にお勧めしちゃいますけど」と声をかけてくれる。常連さんがよく飲むのは抹茶割り。お湯割りと水割りとがあるんですけどね。ママのお手前があるんですよ」。

 亀和田さんに似た男性が「抹茶割りはね、たしかに皆飲むし、一見すると見大人しいけど」と言葉を添えようとすると、ママが「お強いほうですか?」と僕に訊ねた。

「はい」と僕。

「『はい』って言っちゃうと――ああ、そんなにじゃぶじゃぶいっちゃう!?」と亀和田さんはカウンターを覗き込んでいる。僕も一緒になって腰を上げてみると、チューハイグラスには半分以上が焼酎で満たされている。氷は入れていない段階で、だ。隣りの女性客は「もう気に入られてますよ」なんて言っている。

 お客さん同士は皆知り合いらしかった。亀和田さんはママの息子の歴代の彼女を2人も知っているらしい。当時はギリギリ10代だったその息子さんも、今や30代だという。亀和田さんはママさんの娘のことも知っているらしかった。「まだ独身の頃に来られてて、僕が娘さんに『お酒継いでくれ』って言ったの。そしたら渡し、頭をバチーンと叩かれました。『私は従業員じゃない』って」

 亀和田さんはほどなくして帰って行った。外で飲むのは1日2合までと決めているらしい。他のお客さんも1日の酒量をキチンと決めていて、毎日の日課をこなすようにしてここで飲んでいるようだった。それをもう10年以上続けているのだろう。

 僕よりあとにやってきたお客さんが言う。「この路地はねえ、昔は15、6軒くらい店があったんだよ」

「そうそう。××の人がよく来てて。今はお店も少なくなっちゃったけど、JRとしてはもう店をやらせたくないんだろうねえ」

 NHKでは東京オリンピック関連のニュースを伝えていた。「オリンピックをやるんだったら、こういう路地もアピールしたらいいと思うんですけどね」。僕がそうボヤくと、「そうそう。まあ、あんまりたくさん来てもらっても困っちゃうけどね」と別の常連さんが言った。

「こんなところで言ってないでさあ、もっとちゃんと声挙げなきゃ」と、さっきとは別の女性の常連さんが言った。「さ、もう酔っ払ってきたことだし、じゃあ行きますか」――さっき来たばかりなのに、もう帰っちゃうのかなと思って様子を伺っていると、お店のママさんは女性にマイクを手渡した。そろそろ帰るということではなく、そろそろ歌をうたおうか、ということらしい。

 1曲目に入れられたのは五木ひろし「そんな夕子にほれました」だった。「知ってます?」と女性に尋ねられたが、僕は古い歌をちっとも知らない。その女性は「お兄さんも何か歌ってよ!」としきりに言っていたけれど、古い歌も知らないし、何よりその女性と、その連れの男性の歌があまりに上手く、畏れ多くて歌うことができなかった。2曲目も五木ひろしで「夜明けのブルース」だった。他のお客さんも「松山〜♪」と合いの手を入れている。やはり昔の歌はこうして皆が知っているんだななんて思っていたが、曲のラストに「2012年」と出ていた。「レーモンド松屋はやっぱりいいねえ」などと皆で言い合っている。

 しばらく歌うと、皆それぞれのタイミングで帰って行った。20時の段階で、お客さんは僕ひとりになってしまった。ここでようやく、なぜこの店を訪れたのか、ママにきちんと話をする。

 ママさんはこの路地が出来た頃からお店をやっているわけではなく、何代目かとしてこの場所で店を開いたのだという。でも、いまだに最初のママさんを知るお客さんが昔を懐かしんでやってくるらしい。最初のママさんは、2階でこどもを育てながら店をやっていた。お店が休みの日でも、下からお客さんに呼ばれたらお酒を飲ませていた。この狭い店でもこどもを育てて生きていけたのは、常連さんで賑わっていたからではないかと今のママさんは語る。

「その頃は一見さんお断りだったんでしょうね。私がここに来た頃にも、そう銘打ってる店がまだありましたよ。この広さで2人でやってるとこだってありましたからね。鍵が閉まってて、窓から顔をのぞかせてトントンって叩いたら、顔を見て入れる。そういう店もありましたよ」

 今のママさんが店を始めたのは1990年頃だという。つまり、昭和が終わる頃だ。その頃まではまだ、こうした路地は賑わいを見せていたのだろう。一見さんお断りのガード下の店でお酒を飲むサラリーマンがたくさんいて商売が成り立っていたのが、昭和という時代ということなのだろうか。


9月10日(火)

 9時に起きる。日記を書くなど。知人が「最近、思いのままに食べてるよね」と言う通り、すっかり体重が増えてしまった。夕方、チマチマと40分かけて5キロ走った。今日は何もしていないけれど、久しぶりに身体を動かしたので妙な達成感がある。19時、早稲田「あゆみブックス」でAさんと待ち合わせ。久田将義関東連合 六本木アウトローの正体』、『釜ヶ崎語彙集1972-1973』など買い求める。

 今日の目当ての酒場は「大勇」である。先日、Aさんから届いたメールを読んで、学生時代に「大勇」を訪れたことを思い出した。坪内さんの授業後のあと、いつものように「金城庵」で飲んで、坪内さんから1万円を渡されて学生で飲みに出かけたのである。僕は「お金を預かっている」ということばかりに気を取られていたのか記憶が薄いのだけれど、その席に中川六平さんもいたはずなのだ。「大勇」に行ってみれば当時のことを思い出すかもしれないと思ってAさんと約束をしたのだが、店には臨時休業の看板が出ていた。

 すっかりあてが外れてしまった。高田馬場まで戻り、Aさんのリクエストで「れもん屋」へ。僕が日記に書いているのを読んで以来、お好み焼きが食べたくて仕方がなかったという。瓶ビールで乾杯し、広島菜、イカのげそ焼きをつまむ。2杯目はホッピーセットを注文し、塩ホルモンを追加したのち、お好み焼き(エビ入り)を1枚だけ注文した。Aさんは紅ショウガをたっぷりのせて食べていた。それにマヨネーズもかけていた気がする(Aさんはマヨネーズが苦手だったような気がするのだけど……記憶違いだろうか)。

 Aさんとは東京オリンピックの話をした。日記にも書いたように、これから7年の変化に目をこらしたい――僕がそう言うと、「7年って言ったら、我々が(大学を)卒業した頃ですよね」と言った。そうか、今から7年遡ると2006年か。あっという間のようにも感じるし、つい最近のようにも感じる。いずれにしても、ボンヤリしていたらあっという間に過ぎてしまうだろうな。

 お好み焼きを食べ終わったところで店を出た。N村さんも合流し別の店にハシゴし、オープンエアーな席で飲み始める。まずはポテトサラダと水なすを注文。ここのポテトサラダは胡椒が効いていて酒に合う。楽しく飲んでいると、僕のすぐ右隣にあるノボリがはためいているのが視界に入った。端っこがほつれているのか、糸のようなものがひらりと翻ったのが見えて、ノボリを確認したのだが、どこもほつれてなどいない。まさか!と足を踏み鳴らすとカサカサと物音がした。ネズミだ。

 僕がビクビクしていると「さっき、店の手前の道端でも走ってましたヨ」とAさんは平気そうだ。僕はもう気が気じゃないので、Aさんがトイレに立った隙に席を交換した。Aさんは「ドブネズミならともかく、かわいいもんですよ」と言っていた。「ハムスターだってネズミでしょ」とも言っていたが、何が嫌って、あのカサカサコソコソとした動きが嫌なのだ。じっくり、のそのそと動いてくれたら気にならないものを。そうボヤくと、「しょうがないですよ、心拍数だって速いんだから」とAさん。

 席を移動したところで知人もやってきた。飲んでいるうち、再び東京オリンピックの話題になった。7年先のことを考えているうち、ふと、AさんとN村さんに聞きたいことが思い浮かんだ。それは、何歳まで生きたいと思うか、だ。Aさんは80くらい、N村さんは75歳だと答えた。僕は90くらいまで生きていたい。この話をするたび、「こんな生活してて長生きできるわけないじゃん」と知人に言われてしまう。でも、できることなら、今から100年後の風景も見てみたいと本気で思っている。


9月11日(水)

 10時過ぎまで寝ていた。起きて「あまちゃん」、録画しておいた「リミット」や「スターマン・この星の恋」観る。「スターマン」、久々の広末涼子主演ドラマ、脚本は岡田惠和、演出は堤幸彦と万全の布陣であるにもかかわらず、最後まで何が描きたかったのかちっともわからないドラマだった。最後まで観れば何かわかるかとも思ったが……。

 昼過ぎ、知人と「コットンクラブ」でランチセット(千円)。知人はボンゴレ・ビアンコ(100グラム)、僕はイカと明太子のパスタ(140グラム)。注文するとサラダが運ばれてくる。通路にジュースやコーヒー、スープやデザートが並んでいてお代わり自由だ。スープ、セロリが入っていておいしい。

 もろもろ業務連絡を終えたあたりで夕方のニュースが始まった。テレ朝はトップで「みのもんた次男 逮捕」と報じている。えっ、今日ってそんなことがトップニュースになる日なのかとチャンネルを回すと、日テレは「“汚染水”遠のく漁業復興」、TBSは「大震災から2年半」、フジは「現地の市民も『こめんなさい」』とトルコの事件を報じていた。テレ朝は、震災当日の報道にも感じたことだが、ちょっと下品だ。

 夜、知人は今日も遅くなりそうなので一人で飲みに出かける。こうして早い時間から飲みに出かける店がちっとも思い浮かばず、何となしに新宿に出て「しょんべん横丁」へ。カメラを持っている人をよく見かける。4、5人の老人グループが観光しているのも見かける。賑わっている店も多く、若い客もたくさん見かける。

 そこそこ空いている店を選んで入った。入口近くには外国人のカップルが座っていて、隣りにいる女性客が流暢な英語でメニューを説明したり、日本語の特異性について説明していた。7年後、東京オリンピックに向けて来日した人たちとコミュニケーションを取りたいとボンヤリ考えていたけれど、こうして英語ができないと話にならないよなあ。7年あれば少しは話せるようになるだろうかと考えつつ、ポテトサラダとビールを注文した。ほどなくして運ばれてきたツキダシを見るとマカロニサラダだ。サラダがかぶってしまった……。

 ほどなくしてポテトサラダも運ばれてくる。玉子が入っているのか、ほんのり黄色いポテトサラダ。厚めのベーコン、ニンジン、キュウリが入っている。玉子の黄身とベーコンの持つ甘みは、ビールの進む味だ。これにもう少し胡椒を振ってくれたら最高なのに。あるいは、キュウリを抜いてくれたら甘みに集中できるんだけど――そう思いつつポリ、ポリ、ポリといつまでもキュウリを噛んでいる僕は、何だかんだでこのポテサラを楽しんでいる。

 腹を満たしたところで、久々の新宿3丁目「F」。1時間ほど積もる話をしたのち、新宿5丁目「N」に移動すると、Oさんの姿があった。今週末、僕は弘前に出かける予定がある。Oさんは弘前出身なので、おすすめの店をいくつか教えてもらった。マエケンのライブを観に行くだけのつもりだったが、話を聞いているうち、楽しみが増えていく。


9月12日(木)

 昼近くまで寝ていた。こんなことではダメだ。

 メールの返信や請求書の発行など、諸々作業をしているうちに夕方だ。新宿北郵便局に出かけたのち、「古書現世」で少し雑談。夜、池袋・東京芸術劇場にて「God save the Queen」。若い、5人の女性劇作家によるショーケースである。入口のところに今回のコーディネーターを務めている徳永京子さんが立っていた。「橋本さーん!」と、徳永さんはいつも笑顔で手を振ってくれる。徳永さんに会うたび、こういう大人になりたいと心のどこかで思っている。

 今回はうさぎストライプ、タカハ劇団、鳥公園、ワワフラミンゴ、Qの5団体が参加していて、僕にとって印象深かったのは鳥公園とQだ。

○鳥公園「蒸発」

 毎日、隣人「ひろき」の生活を覗き続ける女・森すみれ。ひろきと彼女は知り合いでも何でもなく、「ひろき」という名前も勝手につけたものである。ひろきがオナニーをしている描写。その描写や、カップヌードルをその道具にすると云々という話は書き割り感があるが、ひろきがコンビニで売られている冷やし中華を作っている工場でアルバイトをしている最中、思わず(流れ作業を続けたまま)冷やし中華でオナニーしてしまうという描写(もちろんこれも覗きをしている女の妄想だと思うが)は中々面白いと思った。そういう、粛々とした「作業」みたいなところはあるよね、と。

 森すみれには同居人の女性がいる。その二人の会話や、突然飼っているニワトリとセックスを始めるひろきの話などを聞いていると、隣人、というもののわけのわからなさについて思う。この「何言ってんだコイツ」感はすごいと思う。

 この作品を観ながら、僕は1年前の快快「りんご」のプレ公演を思い出していた。そこで読まれていたテキストの一つを。

 私はあと3時間で死ぬらしい。
 今日はよく晴れた冬の日曜日で、死ぬのには申し分ないお日和です。
 死神さまありがとう。
 一文字でいうと「凛」
 みたいな
 美しくて強い生き物のことが閃いた。むかしの、記憶なんだろか。
 44歳。
 同居人はいるが、子供は作らなかった。貧しい生活は人間の根性を腐らせる性質がある。家庭とは金持ちだけの持ち物なのだ。
 仕事は適当にしている。清掃バイトなど。そのときどきによって違うが、ほとんどその日暮らしだ。テレビと酒、あと昼寝が楽しみで生きている。だれにもいちゃもんつけられることのない毎日はとても居心地がいい。
 同居人は出会ってから15年、ずっと本の自炊をしてる。
 本をバラバラに切り離して、専用のスキャナーで読み込んでデータ化する。
 新刊をいち早く、狂いなく、安価で配布しているためファンが多い。どんな世界にもプロはいる。
 部屋はいつも、内蔵を取り出され、皮を引きはがされたように背表紙や細い紙くずが散らばっていて、屠殺場のように思うことがあった。
 私は着の身着のままでF市に向かう。
 嫌われないように歯磨きだけは済ませた。
 同居人には、「ありがとう。またね。」と短い書き置きをした。
 大観衆の中、レースは始まり私はビールを飲みながら結果を待つ。
 由緒正しい両親から生まれ、負け知らずのサラブレッドのウィニングラン
 その大きくて、しなやかで、つるつるで、さらさらで、強くやさしく美しい馬にふらふらと歩み寄った。
 サラブレッドはそこにいて、大きくて澄んだ目で私を一瞥した。
 後ろに回り込み「お願いします」と頭を下げると、彼は鼻息まじりに私の脳天をスコンと蹴り上げ、私はスコンと死んだ。
 こんなに理想的な死はなかった。
 あー今度生まれてくるときはなんでもいいからプロになりたいなー。

 ラスト。タイトルの「蒸発」の通り、舞台が暗転すると、そっと役者たちはハケていき、明転したときにはセットだけが残されていた。カーテンコール的に役者たちが出てくることもなかった。この掴みどころのない、モヤモヤとした手触りは何だろう。僕はたぶん、鳥公園の芝居を観るのは今回が初めてだが、もっと何度も観たくなる芝居だと思った。

○Q「しーすーQ」
 父親の経営する寿司屋「シスロー」を継いだ女・ヒトミ。ヒトミの幼馴染で、友達のよしみで「シスロー」でバイトしている遠藤エイコ。舞台に登場したときから彼女はスルメの足をかじっている。それからもう一人、お父さんがどこかから連れてきたというイカちゃんもまた、この店で働いている。エイコはエイと人間のハーフ(エイの性器が人間の女性器に似ている〔この話が本当かどうかはしらない〕ことから、昔の漁師がメスのエイが上がると云々という伝説をもとにした話だろう)。イカちゃんは、イカとのハーフ(だっけ? ぶっ飛び過ぎてあまり細かいところを覚えていない)で、ヒトミちゃんとはタネ違いの姉妹である。一見するとやぶれかぶれで、実際破綻している――というか、まとめる、というようなことは目指してもいないのだろう。この芝居でも笑いが起こるけれど、底知れぬ異様さがあって震える。

 こんな話だから、「海」というモチーフも登場する。話というか、発想のスケールがあまりに大きく、海に飲み込まれているかのような感覚に陥る。この「Q」を主宰する市原佐都子さんが面白いのは、扱う対象やモチーフに対して何一つ仮託していないように感じること。具体的に言うと、前回観た作品では、淡々とアルバイト生活を送る女が唯一の楽しみとしているのが関ジャニのひなちゃん(村上信五)の出たテレビ番組を観ることという設定になっていた。今、そうした設定でひなちゃんを持ってくるのは絶妙なテレビ的感受性だと僕は思っていたのだが、知人が市原さんに会ったとき、「ひなちゃんの話が出てくるらしいですね」と話しかけると、「はあ……(?)」と、何の話をしているんだろうという反応されたのだという。こういう、「私」の輪郭の見えない作家は、僕からするとつかみどころがない。このつかみどころのなさというのも、ある意味、今回「God save the Queen」で提示されようとした新しい感性でもあるのかもしれないな。

 それから、うさぎストライプの「メトロ」という作品も気になった。

 ステージには向きを互い違いにしたイスが並んでいる。そこに役者がひとり、またひとりと現れて座っていく。タイトルも「メトロ」だし電車かな、と思っていると、最後(4人目)に入ってきた役者が吊り革を掴むような仕草を見せる。「その人は、いつも、千代田線の一番前の車両に乗っていて」と李そじんが語り始めて芝居が始まったのだが、ここで「千代田線」という名前をなぜ出したのだろうなと、僕はずっと考えていた。

 しばらくすると、役者がポツポツとイスを並び替え始める。イスを円形に並び替え、その周りをぐるぐるまわる役者たち。この循環はあきらかに繰り返される日々の営みを意識させる(し台詞もそういった内容を語らせている)けれど、だとしたらなぜ千代田線にしたのだろう。タイトルを変えなければならないけれど、それなら別に山手線でいいではないか――と、思っていたが、後半、地下鉄なのになぜか窓の外ばかり見ている男の話が登場した。地下鉄だと窓の外には壁しかないのに何を見ているのか。そう訊ねられた男は、地下から地上に出る瞬間が好きなんだよね、と答える。なるほど。

 でも、だとしてももうちょっと輪に近い路線(たとえば丸の内線とか)にすればいいのに、なんてことも思い浮かべた。千代田線だと地上に出るタイミングは綾瀬か代々木上原あたりの2箇所だけだ。丸ノ内線なら後楽園、御茶ノ水、四谷と3箇所あるし、しかも茗荷谷御茶ノ水はわりと隣接している。

 ……と書いていてもう一つ疑問が浮かんだが、千代田線の場合、綾瀬にせよ、代々木上原にせよ、都心から郊外へと向かっているときにだけ地下→地上という車窓の変化が見られる。が、その登場人物は自動車教習所に通っているのだ。もちろん代々木上原より西や、綾瀬より東にも教習所はある。でも、今調べてみると西日暮里や代々木にも教習所はある。都心から教習所に通う人間が、わざわざ地下から地上に出る風景が見られるところまで出かけるだろうか? いや、もしかしたら「地下から地上」を見るのは、ひょっとしたら帰りなのかもしれないが……。

 こういうとき、誰かと「ああでもない、こうでもない」と話ができればいいのだろうけれど。

 何にせよ、こういうショーケースが観られるのは嬉しいことだ。コーディネーターの徳永さんは、今から2年前の6月に「20年安泰。」と題したショーケースを開催した。そこに出ていたのは、ジエン社バナナ学園純情乙女組、範宙遊泳、マームとジプシー、ロロの5組だった。徳永さんとしてはこうしたショーケースを定期的に開催するつもりはなく、今、偶然にもこうして紹介したいという劇作家が現れたので続編のようなショーケースを開催したのだという。徳永さん、仕事しているなあと、アホの子のような感想を思い浮かべてしまう。僕は何の仕事ができるだろう。

 ロビーには見知った顔がいくつもあった。だが、やはり終演後のロビーという場所がどうしても苦手で、会釈しただけで劇場を出てしまった。入口を出てすぐの場所には、北九州芸術劇場プロデュース作品「LAND→SCAPE」に出演していた仲島広隆さんが居心地悪そうに佇んでいた。居心地悪そうに僕には見えた。まだ上京したばかりの彼は、僕以上に居心地が悪いのかもしれない。でも、マームの何人かが暮らすサボテン荘に暮しているため、一人だけ先に帰るわけにもいかず、そこに佇んでいたのだろう。勝手にシンパシーを感じて少しだけ立ち話をした。

 ひとりで芸劇をあとにし、ある酒場に入った。2階席に上がり、カウンターに座る。店員さんの姿は見えない。ちょうど店内の時計の秒針が一回りしたタイミングで店員さんがやってくる。今日は違う店員さんでホッとした。接客はそんなに悪くもないのだが、ある程度ちゃっちゃと作業をすると、奥に引っ込んで姿が見えなくなってしまう。これでは注文したいときに困ってしまう。ずっと奥に隠れているので、注文したければ大声を出すしかない。

 本当に、以前ここで働いていた店員さんの素晴らしさを思う。彼女ほど気分のいい接客をする人を僕は知らない。Rさんにとって、酒場で働くというのは天職だったのだろう。それに比べると、今の店員さんはただ作業をこなしているように思える。とはいえ、誰もが天職に付けるはずもなく、といって生きていくためにはとりあえず働かなければならないのだから、こんなことを書くのも酷いのかもしれないが……。

 気のせいか、店内の雰囲気も少し変わったように感じる。常連さんが盛り上がっている様子は以前からあったし、そのこと自体は決して悪いことでも何でもないのだが、今はケータイで野球中継を観たり、音楽を流したりしている。以前はイヤホンをつけて聴いていたような気がするのだが……。僕は早めに店を出て、スーパーで総菜を買ってアパートに戻った。昨日最終回を迎えたドラマ「Woman」、今日こそ観るつもりでいたのだが、いつまで経っても知人は帰ってこなかった。


9月13日(金)

 昨晩は4時過ぎまで眠れなかった。知人が帰ってきたのは2時半になってからだった。“打ち合わせ”で遅くなると聞いていたのだが、帰ってきた知人は酒くさかった。松尾スズキ『人生に座右の銘はいらない』を読み終えたばかりの僕は苛立っていた。まず、なぜそんな深夜に打ち合わせを入れられるのか。そんな時間に打ち合わせを入れられている時点で舐められているのではないか。そんなことが常態化していったら、どうやって生きていくのか。

 もちろん、本番が近づいたときに遅くなるのは仕方がない、徹夜するのも仕方がない、でも、本番数ヶ月前の打ち合わせで終電を逃すというのは、どうなのか。飲んで仲良くなることだって大事だ、大事だけど、知人がそうして「飲んで仲良くなる」以外の武器を身につけようとしない姿勢を見ていると、他人事とは思えず、大声で怒鳴ってしまった。

 10時過ぎに起きる。ぽやぽやしているうちに夕方だ。今日も40分かけてのんびり5キロ走った。スーパーで買い物をして帰り、キュウリを丸かじりしているうちに知人が帰ってくる。「Woman」(最終話)を観ながら夕食。丸美屋の麻婆豆腐(辛口)、もやしと舞茸の炒め物、かつおの刺身、それに昨日食べるつもりで買ってあった明太子など食べつつ、ビールを2人で3缶飲んだ。

 そうこうしているうち、パズドラ会が焼き肉屋で開催されると連絡が入り、21時過ぎに渋谷へと向かった。渋谷の「モクモク」というお店。僕を含め7人、主にパズドラの話をしつつレモンハイを飲んだ。Yさんがずっと肉を焼いてくれていて、「食べれますよー」と皆に教えてくれる。タンとハツ(だったかな)が特にうまかった。

 この日はパズドラ以外の話もたくさんした。話を聞いていて、とにかく僕は僕の仕事をしようと思った。


9月14日(土)

 11時頃になって起きる。知人はもう出かけていた。13時20分から、雑司ヶ谷地域文化創造館で夏葉社・島田さんと、ブログ「古本屋ツアー・イン・ジャパン」の小山力也さんによるトーク「本屋を旅する」聞く。夏葉社の新刊『本屋図鑑』で47都道府県の本屋さんに出かけた島田さんと、ブログで全国各所の古本屋をレポートしている小山さんの話を聞いていると、ぷらぷらしている人間として頷くことも多い。いくつかメモを取ったのだが、その一つは利尻島にウニやイクラやアワビが食べられる漁師の宿があるという情報だった。我ながら何をメモしてるんだか。

 島田さんが『本屋図鑑』を作ろうと思い立ったきっかけ(の一つ)は、東京と地方の書店が違うとよく言われることだったという。夏葉社の本も、「東京の書店だから売れる本」だと語られがちなのかもしれない。そんなに違いがあるのかどうか、現場を見てまわろうと思って、島田さんは全国津々浦々をまわった。飛び込みで「話を聞かせてもらえないか」と訪問することもあったそうだ。これまでに刊行した本を見せれば「布の本だ、懐かしい」と言われるかと思っていたが、そんな反応はなく、むしろ変な人間として見られたという。やたらと「布の本」という言葉を使う島田さんに、「よっぽど言われたんでしょうね」と小山さん。

 最後に、小山さんがある言葉を引用した。それは民族学者・宮本常一旅立ちの日に父から授けられた十か条のうち、最初の四か条だった。なるほどと思うところがあったので日記にも孫引きする。

1 汽車に乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよ く見ることだ。駅へ着いたら人の乗り降りに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置き場にどういう荷がおかれているのかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるのか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。
 
2 村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見下ろすような事があったら、お宮の森や目につく ものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目を引いたものがあったら、そこへは必ず行って見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。
 
3 金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。
 
4 時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。

 トークが終わるとアパートに戻った。そろそろイタリアとチリで見聞したことを書かなければ。そう思って、まあ思っただけで、ゴロリと横になって思いを巡らせていた。夜、会議を終えて帰宅した知人と池袋に出かけた。当初目当ての品は靴(ジョギングシューズとスニーカー)だったのだけど、何となしにマルイに入り、ユニクロを冷やかしているうち、あれこれ欲しくなってくる。七分丈のズボンとカーゴパンツを知人に強く勧められて、そんなに言うならと試着してみる。七分のはずなのに、僕が履くと九分になるのが悲しいところではあるが、知人がやたらと褒めるので買うことにする。他にも秋に着れそうなシャツを2枚買った。

 レジでバーコードが読み取られていくのを見ていると、シャツも七分丈も2千円以下であるのに、カーゴパンツだけ3990円と倍の値段だ。一度お金を支払い、通信機で裾直しの連絡をしてくれているのを待っていたのだが、その様子を眺めていると「あ、このズボン、そんな履かない気がする」と思った。安全ピンで仮留めしてあって穴が空いているので非常に申し訳ないけれど、もし可能なら、やっぱりそのズボンだけキャンセルできませんかとお願いして、料金を払い戻してもらった。

 それから、一つ上の階に上がってスニーカーを見る。ぐるりと見渡し、パッとニューバランスの靴が目に留まったので店員を呼び、「これください」と伝える。知人は「え、もう買うの」と驚いていた。なんだか「ニューバランスの靴を履いとけばオシャレ」みたいな風潮があることは僕でも風の噂に聞いていて、少し迷いはあったのだが、あまり「N」のマークも目立たないものがあったのでそれを選んだ。

 ホクホクした気持ちで、近くの「磯丸水産」に入った。そういえばここ、「cocoon」の楽日のあとに飲みにきた気がすると僕が言うと、知人は「うちらも芸劇でやったとき飲みにきたよ」と言う。まずはビールと刺身の四品盛り(タチウオ、えんざら、ブリ、まぐろで899円)、蟹味噌甲羅焼(499円)、それに「懐かしいポテトサラダ」(299円)を注文する。

 運ばれてきたポテトサラダを見て驚く。「懐かしい」という形容詞がメニューに入っていることや、「磯丸水産」という、漁師メシのような料理が味わえる店のコンセプトを考えるに、何だろう、もっとわざとらしいポテトサラダか、胡椒が振ってある荒々しいポテサラが出てくるかと思っていたが、入っているのはポテトとキュウリだけのポテトサラダだ。マヨネーズも過剰に入れたりしてないのだろう、白くてどこか上品なポテトサラダ。実際食べてみると、何とも控えめで上品な味である。これは山の手の味だねなんていい加減なことを言うと、すぐに知人に「そんなことないでしょ」と正される。

 刺身もたくさん運ばれてきて、知人は嬉しそうにビールをお代わりしている。いやにニコニコと僕を眺めているなと思ったら、「やっと私が『良い』って言う服買ってくれた」と知人は言った(ちなみに、僕はマルイのトイレで上から下まで着替えていた)。

 しばらく飲んでいると、店員さんがマイクを持って喋り始めた。「本日は磯丸水産、池袋・東京芸術劇場前店にお越しいただだき、誠にありがとございます」――そうか、この店舗は「芸劇前店」なのか。店員さんの説明によると金曜と土曜にはジャンケン大会があって、買った客は会計が半額になるのだという。20組近いお客さんがいるので、僕と知人は参加しなかった。店内には外国人のお客さんも2組くらいいて、彼らも不参加だった。旅行客らしく、まず日本語がそんなにわからないのだろうし、そもそも外国にジャンケンなどあるのか。「何、何?」ときょろきょろしていた。外国人観光客のことばかり気にしている。


9月15日(日)

 7時に起きるつもりだったのに、9時過ぎにしか起きられなかった……。しかも雨が降り始めている。昨日買った靴を履いて出かけるつもりだったけれど、いつもの靴を履くことにする。スーツケースに入れていた荷物をリュックに詰め替えたのち、大宮から東北新幹線で北上。今日は混雑しているらしく、昼過ぎの便まで満席だという。三連休とは言え、今日は連休の中日なのに、そんなに混んでいるものなのか。仙台までは立席券にして、そこから指定席ということで発券してもらった。実際、仙台以北、盛岡を過ぎてからは特に空いていた。

 それにしても、ここ数年、9月は東北にいる。一昨年の9月にはドライブインを探す旅で東北を巡り、昨年の9月にはZAZEN BOYSのツアーに同行して東北を巡り、そして今年の9月もまた東北を訪れている。ちなみに来週末にもまた東北を訊ねる予定だ。

 15時半に弘前に到着した。接続の悪い時間に出かけてしまったので、アパートを出てから5時間くらいかかった。弘前を訪れるのは初めてである。案外雨脚が強いので駅前でタクシーを拾い、ホテルへ。駅前にあるイトーヨーカドーにタクシーの列ができている。「空物件」の看板をいくつか見た。県庁所在地である青森市内を歩いていても寂しい感じなのだから、弘前はきっと――。

 看板を見ているうちにそんなことを考えていたが、ホテルにチェックインしたあとで街をぷらついてみると、思っていたよりずっと賑わっていた。街、という感じがする。青森よりもずっと街ではないか。こじんまりした若者向けの洋服屋が軒を連ねている。しかもこの日は「カルチュアロード」と名付けて歩行者天国を実施していた(ズドンとした道だし、何より雨だから歩いている人はあまり見かけなかったが)。大きなショッピングセンターもあって、ジュンク堂書店も入っているらしかった。少し歩けば横丁が現れる。大半の店はまだ営業していないが、少し歩いたところにある寿司屋には「営業中」の札が出ていた。ここはOさんに教えてもらった店の一つ。

 店内はまだお客さんがいなかった。カウンターに腰掛け、とりあえずビールを注文すると、一緒にツブ貝が出てきた。もう喜寿のお祝いは済ませたであろう大将が何か僕に声を掛けてくれる。何度か聞き返して、ようやく「握りの前に何かツマミを出しましょうか」という話をされているのだとわかった。訛りがキツいというより、僕の耳がうまく音を捉えられない。「お願いします」と伝えると、サンマの刺身がポンとカウンターに置かれる。回らない寿司屋にはさほどなじみがないから、「直に置くの?」と動揺してしまう。

 サンマに続けて、大将はイカのげそ、鯛、マグロの中落ちと、ポン、ポン、ポンと刺身を置いていく。どれもおいしそうで、握りにたどり着く前にお腹が一杯になってしまいそうだ。醤油の味が少し違う気がする。これは気がするだけかもしれないが、塩気を感じる。

 ビールは1杯だけにして、あとは日本酒を飲んでいた。「お酒を冷やでもらえますか」と、特に銘柄や味など指定せずに注文したのだが、大将は店員さんに「はい、ポンハイ!」と伝えている。このポンハイ、飲んでみるととても好みの味。お代わりをするときにラベルを確認すると「豊盃」と書いてあった。僕が飲んだくれている1時間のうちに2組ほどお客さんがやってきた。それとは別に、次々出前の注文が入り、大将やもう一人の店員さんはせっせと寿司を握り続けていた。

 食事はツマミだけにしておくという手もあったけど(他にも行っておきたい酒場があるし、1時間飲んでもまだ17時前である)、つい「握りもいただけますか。ちょっと少なめで」と口にしてしまう。最近気づいたけど、好きな食べ物は寿司かもしれない(嫌いな人もいないだろうが)。マグロ、ほたて、赤貝、鯛、エビ、しめ鯖がカウンターに並べられる。しめ鯖が特にウマイ。酢がよくきいている。思えば、これまでしめ鯖をウマイと思ったことがなかったかもしれない。

 握りの中にウニがなかったのが残念で、「ウニと、それともう一貫握ってください」とお願いする。「もう一貫」はイカだった。それを食べ終えたところでオアイソしてもらうと、「7140円です」と言われて固まる。ツマミ4品と、握り8貫とお酒4杯で、7140円……? ホームページを見ると上にぎり(ウニも入っている10貫セット)の価格は2100円だ。だとすれば、豊盃がよほど高級な酒だったのかもしれない。たしかにうまい酒だった。

 しかし、ここで7千円も使ってしまったとなると、今晩のライブのチケット代、それにライブ中に飲むであろう酒代を考えると、Oさんに教えてもらっていたもう1軒は諦めるしかないな。来週は取材で或る街に出かけて散々お酒を飲むつもりだから、もう少し始末して生活しなければ。

 18時過ぎ、「ASYLUM」へ。当日券を買い求めるべく店の前で待っていたが、誰もやってこず不安になり、「今日で合ってるよね?」と何度も入口にあるチラシを確認する。やはり合っている。開場時刻の5分前になってようやく他のお客さんがやってきてホッとした。やはりこれくらいの過ごしやすい規模の街でライブを観にくるお客さんとなると顔見知りが多いようで、皆声を掛け合っていた。

 19時過ぎ、前野健太のライブ「弘前の健太 珈琲の町で」開演。ここは普段ロックバーとして営業しているらしく、L字型のカウンターがある。カウンターは10人も入れば一杯になる程度の広さ。通路にもイスを並べて、トータルで30席ほど客席が用意されている。僕はお代わりを注文しやすいようにカウンター席を選んだ。何も遮るものがなく、目の前が前野さんという席。ちょっと照れそうになるくらいよく見える。

「今日は雨の中お集りいただき、ありがとうございます。前野健太です。よろしくお願いします」

 そう短く挨拶をしてライブは始まった。1曲目は「雨のふる街」だった。今日の天気を映すように、「ダンス」、「伊豆の踊り子」としっぽりした曲が続いていく。「今日は大体5時間ぐらいやろうと思ってるんで、他のことでも考えててください。株とか、アベノミクスとか」と前野さんが言うと、客席は少しほころぶ。それから、前野さんが「今日のライブのタイトル、『弘前の健太』、『ひろさきのけんた』、『ひろまえのけんた』……」と説明すると、客席から「あぁ〜」と声が漏れた。僕も声を漏らした。ご本人が言うまでちっとも気づかなかった。前野さんは「タイトルって、大事じゃないですか」と言っていた。

 印象的だったことをいくつかメモしておく。「こうして自分の住んでる街以外の街に出かけると歌いたくなる不思議な歌があって――」と前野さんは話し始めた。「今年まだやってない――いや、そんなことはないか。でも、最近歌ってなかった歌です」と前置きして歌い始めた曲は「看護婦たちは」だった。最初に音源を聴いたときから好きな曲だったが、僕の故郷である広島「横川シネマ」でライブを観たとき、その曲が「トーキョードリフター」公開時の舞台挨拶でその「横川シネマ」を訪れたときに作った曲だと知り、より一層好きになった歌だ。

 この日のライブでは、広島における「看護婦たちは」と同じような種類の歌も歌われていた。今から3年半ほど前、「ライブテープ」の公開にあわせた舞台挨拶で前野さんは弘前を訪れたという。そのとき、ある喫茶店に前野さんは入り、その店のことを歌にした。歌にしたものの、それをレコーディングすることも、ライブで披露することもないまま今日まで来てしまった。その曲――喫茶店の名前をタイトルに戴いた「ルビアン」を、この日のライブで初披露していた。ローカルな曲ではあるけれど、良い歌だなと思った。

 前野さんは他にも数曲、新曲を披露していた。「ジャングルはともだち」や「カフェオレ」、それに「夏が洗い流したらまた」など、先日の吉祥寺のライブでも披露されていた“新曲”ではなく、本当にできたてほやほやの新曲を2曲歌っていた。その曲を、前野さんは青森に来てから作ったのだという。ミュージシャンとって旅とは何だろう、と思う。松尾芭蕉が旅に出るのとはまた違ったものなのだろうか(と書けるほど松尾芭蕉のことを知っているわけではないが)。また、旅に出たくなるときというのは、どういうときなのだろう。

 ところで、この日のライブでも前野さんは「リクエストがあれば、今日は何でもやりますよ」と言っていた。僕はどうしてももう一度聴きたい曲があった。8日の吉祥寺でのライブで、前野さんは藤圭子の歌を歌っていた。僕は藤圭子のことは名前くらいしか知らなかったけれど、前野さんの歌う「新宿の女」がとてもよかった。ちょうど同じ時期にガード下の店に行き、「お兄さんも何かカラオケ歌いなよ」と言われたものの、その場に合った歌を何一つ歌えないことに困ったこともあって、最近はちょくちょくYouTubeで「新宿の女」を聴いていたのだ。

 1時間ほどで休憩時間が挟まれたタイミングで、お客さんは聴きたい曲を紙に書いてスタッフに渡しリクエストしていた。弘前でリクエストする曲ではないかもしれない――そう思って少し躊躇したけれど、僕はじゃんじゃかビールをお代わりして酔っ払っていたので、えいやっと「藤圭子 新宿の女」と書いてスタッフに手渡した。

 ライブを再開し、リクエストの紙を一枚一枚確認していた前野さんはその紙を見つけた。「こないだライブでやったんですけど、何で知ってるんだろう。これ、怪しいな。新宿から来たのかな」と前野さんは言った。たしかに、1週間前に東京のライブでやった曲をリクエストするというのは、ちょっと怪しいリクエストだったかもしれない。いつかまた聴ける日があるといいな。いや、もちろん前野さんの作った曲が聴きたくてライブを聴きに来ているというのは大前提だけれども。

 終盤、ギターのプラグを抜き、さらには会場の灯りも消した状態で前野さんは「ファックミー」を歌った。僕はただただその歌声に耳を澄ませていた。最後の1曲は「東京の空」だった。暗闇の中で、東京の空に思いを馳せたが、思い浮かんだのは少し前に地元で眺めた空だった。

 終演後、物販&サイン会になった。僕は『トーキョードリフター』のDVDを買ってサインをしてもらった。待っているあいだ、僕の前に並んでいる人が前野さんと話しているのを聴いていると、その言葉に強烈に聞き覚えがあった。ハッと顔を上げてみると、能町みね子さんらしき人がそこにいた。いつもラジオで声を聴いている人がそこに立っている。「いつもラジオ聴いてます」と話しかけようかと思ったが、そんなことを言われても困るかもしれないと妙に遠慮して、そそくさと会場をあとにした。

 缶ビールを6本くらい飲んでいたので、もうすっかりへろへろだ。酔っ払うと甘いジュースが飲みたくなる。どこかにコンビニはないかと歩き回っていると、「ルビアン」と看板の出ている店があった。とても雰囲気のいい店だが、今の具合ではコーヒーを楽しめそうにはない。15分ほど街をさまよってようやく喫茶店を見つけて、飲むヨーグルトとミックスジュースを買ってホテルに戻った。

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