8月23日(金)

 夜、「芳林堂書店」で買った本を持ち、広島風お好み焼き屋「れもん屋」へ。「あまちゃん」ムックをぱらぱらやりつつ、瓶ビールといかげそ焼き。それを食べ終わったところで瓶ビールとお好み焼きを追加し、さらに食べる。部屋に戻って某ルポの旅程を考えるつもりでいたのに、休肝日あけだからだろうか、ビール2本ですっかり眠くなってしまい、知人が帰ってくる時間まで寝ていた。

 知人と一緒にスーパーに行ってみると、今日の夕方、NHKの番組で旬の味として紹介されていたワラサの刺身が2割引になっている。秋の到来を告げる味だと言っていたなあ。それと袋麺タイプのつけ麺、魚肉ソーセージを持ってレジに向かうと、レジ前におさつスナックが並んでいるのでそれも買った。一番好きなスナック菓子はと問われたら、このおさつスナックか、サッポロポテトを挙げる(懐かしい味はまた別)。その隣りには麒麟の「秋味」も並んでいた。秋がもうそこまで近づいている。


8月24日(土)

 昼近くに起きて「あまちゃん」観る。来週の予告、あまりそそられず。昼食につけ麺を食べて入浴。バタバタと支度をして出かけようとしたところで「30分遅れる」と連絡が入る。少しボンヤリしたのち、渋谷へ。14時半、ツタヤの前でY田さんと待ち合わせて駅近くの「トップ」。Y田さんとは、2011年のこれぐらいの時期、ワゴンで一緒に東北に出かけたことがある。僕のめあてはドライブインめぐりで、Y田さんの目的は被災地を見てまわる(そしてボランティアをする)ことだった。

 Y田さんとはたしか八戸で別れた。彼はそのあと、久慈にいる友人に会いに行くのだと言っていた。そのことをふいに思い出したのである。それで当時の話を少し聞かせてもらった(本当に少しだけになったけれど)。Y田さんは、「わりい、『cocoon』観に行けなかったわ」と言っていた。そんなことは知っている、僕が彼に熱烈に勧めた翌日――楽日の公演は僕も観ていたのだから。その日は「あれだけ勧めたのに観てくれなかったんだな」と思ってガッカリもしたけれど、1週間経ってみるともう何とも思わない。ただ「もったいない」と思うばかりである。

 お茶だけして別れる感じになるかと思ったが、まだY田さんは時間に余裕があるらしい。せっかくだからビアガーデンでも行こうかという話になったが、さすがにまだ開いていない。ので、僕の買い物に少し付き合ってもらう。目当ての品は名刺入れ。最近、名刺入れが(おそらく部屋の中で)姿を消してしまい、それ以来名刺入れを持ち歩いていない。僕は仕事として名刺を交換するタイミングが少なく、交換するにしてもちゃちゃっと終わることが多いので、あまり不便を感じることはなかった。あるいは酒場なんかで名刺を出されることもあるが、僕はそんなつもりで酒場に出かけているわけじゃないし、「名刺切らしてまして」と言うか、あるいは財布の中から取り出していた。ところが、先日、予想以上にかちっとした挨拶をする流れになり、そのときに名刺入れを持っていないことですごく気まずい思いをしたのである。

 東急本店に入ると、Y田さんが「名刺入れがまとめて売ってるとこ、どこっすか」と店員さんに聞いてくれる。心強い。2階の財布・名刺入れ売り場に案内してもらい、10分ほど物色。あんまり柔らかい皮は好みではないし、かといってあんまり硬そうなのも安っぽく見えそうだ。あれこれ物色した結果、ゴールド・ファイルというドイツのメーカーのものが気に入る。いちおう「他にも色はあるんですか」と訊ねると3色あり、その3色の中から「こちらがこのブランドカラーの商品になります」と言われた赤色のものを選んだ。9800円也。

 そのまま6階(だっけ?)に上がり、「丸善ジュンク」にて15分ほど別行動。僕は基本的に文房具を見ていた。昔から、お金に余裕が出たら買おうと思っているものがある。モンブランの万年筆だ。ここなら売っているだろうと探してみると、何本も取り扱いがある。パッと見て「あれがいいなあ」と思うものの値段を確認すると10万円を超えている。多少の余裕はあるけれど、さすがに筆記具に10万円使うほどの余裕なんてない。第一、モノをなくしやすい僕が10万円の筆記具を持つのは危な過ぎるし、インクの補充やらが面倒になって結局ボールペンを使うことになるんだから。そう自分に言い聞かせながら万年筆売り場を離れ、せめてもの贅沢にとモレスキンの手帖とボールペンを買った。

 それでもまだ時間があるので、同じフロアにある喫茶スペースでお茶。僕は400円のブレンドコーヒー。Y田さんは180円のチーズケーキだけ注文していた。30を過ぎてもY田さんはY田さんらしくてホッとする。学生の頃、何人かで朝まで酒を飲んで過ごしてもまだ話し足りず、ファミレスに出かけてさらに話をしていたとき、皆が数百円のドリンクバーを注文するなか、ひとりだけ百数十円のパンを注文していたのがY田さんだった。

 17時、屋上にあるビアガーデンへ。ここのビアガーデンは飲み放題ではなく、1杯ずつ注文する。Y田さんは中ジョッキ、僕は大ジョッキを選んだ。それからたこ焼きと枝豆も注文。空を見上げると今にも雨が降り出しそうだ。実際、たまに小粒の雨が顔に当たる。Y田さんは最近転職をして編集の仕事をするようになった。そのY田さんと、編集やら、ライターやらの話について2時間ほど話し込んだ。Y田さんは「橋本はたぶん全然興味ないだろうけど、コピーライティングの勉強とかしても面白いんじゃないの」と言っていた。

 19時半、スクランブル交差点でY田さんと別れる。ひとりでどこかに飲みに出ようか。あるいは誰か誘って飲みに行こうかとも考えたけれど、少し肝臓をいたわらなければ(『cocoon』上演期間中は毎晩のように大酒を飲んだのだから)と思い直し、アパートに戻って「24時間テレビ」を観た。そして9月の予定をあれこれ立ててみる。仕事のスケジュールはおおむね判明したので、それ以外の時間に観たいライブや演劇を探し、チケットを予約するなど。


8月25日(日)

 9時過ぎ、冷たい風に目が覚める。しまった、エアコンつけっぱなしで寝てしまったのかと思ってエアコンを見上げてみたが、電源はオフになっている。その風は開けっぱなしの窓から吹き込んでいた。もう秋が来てしまった。

 ここ数日、ある取材で聞いた話を反芻している。とある監督は、月曜から土曜まで、同じスケジュールで動いている。どんなに「もっと仕事できる』という日でも、「もっと仕事しなきゃ」という日でも、決まった時間を崩さない――そんな話。僕はそれはすごいことだと思う。フリーの人間がよりよい仕事を、より多くの仕事をするために必要なことだと思う。ただ、そうすると誰かに「今日は朝まで飲もうぜ」と誘われても断ることになるので、僕のような人間からするとそれを「最善である」とも言えないが、何にせよリズムと体力というのは大事だ。だからせめて、僕の生活も何かリズムで支えるために、今日から毎日、午前中のうちに前の日の日記をつけることにする。他に書きたい日の日記があっても、まずは昨日のことを書く。

 昼食にマルちゃん正麺(醤油)を食べて、地下鉄を乗り継ぎ月島へ。2番出口を上がると、「はっちゃん」と声を掛けられる。佐久間さんだ。「ツボちゃん、さっき水道橋博士とばったり会って立ち話を始めちゃって。でも、そろそろ博士のトークが始まる時間だから、迎えにいこうと思って」と佐久間さん。一体、何をそんなに話し込んでいるのだろう。向こうのほうを見ると、たしかに路上で二人が話し込んでいる姿が見える。駆け出したくなるのを抑える。あともう少し、というところで二人は別れ、坪内さんは回れ右してこちらに歩いてきた。「ああ、はっちゃん。頑張ってね」と言われて、僕は「相生の里」へと向かった。

 この週末、佃にある老人福祉施設「相生の里」では「あいおい古本まつり」が行われている。今回で五度目の開催で、たぶん僕は毎回来ていると思う。この古本市を仕切っているのは「わめぞ」だ。それから、古本市に併せてトークイベントもいくつか行われている。これを仕切っているのはナンダロウさん。坪内さんたちはおそらく、13時からの坂崎重盛さん、小沢信男さん、大村彦次郎さんのトークを聴きにきたのだろう。僕は、水道橋博士と木村俊介さんのトークを聞きにきたのだ。こんな記述を見つける。

 7月8日、あえて扶桑社の「en-taxi」で西村賢太と対談。その途中で対談構成者が「SPA!」の福田和也×坪内祐三「これでいいのだ」をまとめている橋本青年だということに気付き、思わず仕掛ける。

 わーい自分の名前も載ってると喜んでいるうち(我ながら呑気だな)、トークがスタート。対談というより、木村俊介さんが博士にインタビューしていくような形で進んでいく。木村さん、あいかわらず頭の回転が速くてすごいなあ。そして、相手の言葉を引き出すために、たくさん言葉を尽くしている。

 博士は、これは西村さんとの対談の中でも言っていたことではあるが、「自分の日記やつぶやきを世界に発信してる人間なんて、自意識が崩壊している」と言っていた。多くの人がツイッターをしているのは「無意識過剰」だろうが、水道橋博士の場合は「自意識過剰」なのだろう(それも強烈な)、つい最近まで、漫才を考えるときはアドリブのところまで台本に書いていたのだと話していた。

 博士は何度か「文脈」という言葉を使っていた。最近ツイッターでよく博士がつぶやいている「星座が繋がる」という表現もそれと近い表現だろう。話を聞いていると、博士の場合、単に偶然「星座」や「文脈」が繋がるのではなく、本人がその「星座」や「文脈」を意識することで、それが繋がるように行動しているようにも感じられる。

 と、そんなことを考えていると、木村さんが「博士にとっては、書く事が出口ではなくて、書く事で広がっていく、書く事でさらに面白いことが起っていくということなんですね」と言う。「そうですね。言葉でだけ韻を踏むんじゃなくて、行動で韻を踏まなきゃいけないと思ってるんですよ」と博士は口にしていた。行動で韻を踏む、か。なるほど。

 それから、ラストのほうで『タモリ論』の話にもなっていた。それは広くノンフィクションについての話になった。一種の「妄想」として何かを語るのもいいけど、でも、本人に当てればわかることはある。だったら当てればいいじゃないかと話していたのが印象に残った。

 トーク終了後、古本市をのぞく。北大路魯山人魯山人味道』、檀一雄『わが百味神髄』、茂手木心護『洋食や』など食関連の中公文庫を数冊購入した。門前仲町まで歩き、東西線高田馬場に戻ってくる。しばらく原稿を書いていた。

 21時過ぎ、「古書往来座」へ。三宅艶子『ハイカラ食いしんぼう記』購入。これも中公文庫。仕事終わりのUさんを誘って、池袋駅北口にある「D」へ。地下にあるお店で、さほど広い店ではない。今日は日曜日の夜だが、かなり賑わっている。賑わってはいるのだが、どこかくたびれた雰囲気が漂っている。ノートパソコンを広げているビジュアル系な男性もいれば、カップルもいる、くたびれたお父さんもいる。くたびれたお父さんと少し賑やかな若者が同居していて不思議な空間だ。

 この店は居酒屋でありながら食券制である。生ビール4杯のチケット(千円)を二人で購入し、ツマミにパリパリキャベツを注文して乾杯。先日の『cocoon』を、そして今年の夏を振り返るようにビールを飲んだ。今年の夏はとにかく暑かったという記憶がある。「猛烈な暑さ」という言葉がテレビで何度も繰り返されていたし、四万十市では40度超えを記録するなど、観測上の数値としても「暑い夏」として記録されるだろう。だが、Uさんは「今年はそんなに暑かったという印象がない」と言っていた。

 たしかに、僕が実感として「暑い」と感じたのは、沖縄で海まで走ったときや、甲子園で野球を観ているときなど、東京を離れているときばかりだ。暑かったぶん、急な豪雨も多かったので、体感としてはそんなに暑くもなかったのかもしれない(とはいえ、熱中症で次々と人が亡くなっているが)。そして、Uさんは「今年は『夏だ!』って浮かれてる人をあんまり見なかった気がする」とも言っていた。「静かな夏だった」と。


8月26日(月)

 11時頃になって起きる。一昨日あたりから感じていたことではあるが、喉の調子が悪い。風邪を引き始めているのかもしれない。午前中は日記を書きながら「あまちゃん」を観た。今週はあまり展開がないかもしれない。

 午後、自転車で新宿へ。16時から新宿ピカデリーにて「風立ちぬ」観る。印象に残ったシーンのメモ書き。震災のあと、図書館の本を避難させているシーン。その本の前で「火が迫ってくる」と話す本庄と二郎。その直後に「火、あるか」とタバコを吸おうとする本庄。同じく本庄の台詞、「本腰を入れて仕事をするために所帯を持つ。これも矛盾だ」。ヴァレリーの詩を援用した、二郎の夢の中に登場するイタリア人飛行機設計士・カプローニの言葉。「まだ風は吹いているかね? よろしい、では生きなさい」(後半は違うかも)。「風」というのがキイになってくる。それにしてもヴァレリーの詩は美しい。同じくカプローニの台詞。「芸術家も設計家も、寿命は十年だ。君の十年を力を尽くして生きなさい」。
 二郎が菜穂子との交際を申し込んだあと、話が書き割り的に進んでいく。菜穂子の描き方も、今日さんも憤っていた通り、書き割り的ではある。でも、ここまで書き割り的になってくると「あえて」ではないか。「意味という病」に対するアンチテーゼのようにも思える。本庄にしても二郎にしても、彼ら戦前のインテリの行動は、あっけらかんとして見える。震災が起きてもケロリとしていて、燃えないようにと移してきた本の前でタバコに火をつける。二郎の言動を見ていても、内面のようなものについての描写が特に見当たらない。何か諦念のようなものを感じる。何か、受け入れているという感じ。それを描くために戦前のインテリを描いたのではないか。「風が吹いている、生きねばならない」というのも、それに近いものがある。

 この映画は「cocoon」と真逆の評価を下されていることが多いけれど(「cocoon」を褒める人は「風立ちぬ」を貶め、「風立ちぬ」を褒める人は「cocoon」を貶める)、その死生観や人生観は、真逆というほど“は”離れてないようにも思えた。

 帰り道、ビックカメラに立ち寄る。キッチン家電売り場で、「ソーダストリーム」を物色。先日、テレビで紹介されていた、自宅で炭酸水を作れるマシンだ。最近、知人はよく炭酸を飲んでいる。多いときは1日3本くらい飲んでいる。1日3本も買っていたら、結構な金額になる。それに、1日3本も飲まれると、あっという間にゴミ箱は一杯になってしまう。主に後者の理由から、炭酸マシンを物色にきたのだ。

 売り場に行ってみると、一番安いものなら1万円以下で売っている。炭酸を補充するためのガスがなくなったら替えのものを購入しなければならないが、替えのボンベは2千円ほどで購入できるという。そのボンベは60リットルぶん補充できるらしいから、500ミリのペットボトルに換算すれば120本ぶんになる。1本あたり20円程度だ。これならすぐに元が取れるだろうから、購入することにした(知人も「半額出してもいい」と言っていたのも大きい)。

 20時過ぎにアパートに戻り、キュウリに味噌をつけて齧っているうち、知人が帰ってくる。麒麟の「秋味」で乾杯。麻婆豆腐(丸美屋のやつ)、スーパーで割引になっていた刺身、ひじきをアテに飲みつつ、昨晩録画しておいた「半沢直樹」(第6話)観る。ラスト、堺雅人香川照之が静かにやりあうシーンの緊張感が溜まらない。こんな場所には、立っていることすらできないかもしれない。僕なんて、ちょっとした取材でもアワアワしているのだから(とはいえ、その動揺は周りの人にバレていないようだが。落ち着いて見えるというのは、得だ)。

 いくつかドラマを観たあと、深夜になってスイカを食べた。おそらく今年の食べおさめだろう。知人は「こういう、瓜っぽいの大好き」と、とても嬉しそうだ。

 隣りでぷっと種を吐き出す知人に訊ねる。

「スイカにさ、塩とか掛けて食べたことある?」
「あるよ。小さい頃」
「スイカに塩って、何で知った?」僕はたしか、『かりあげクン』か何か、ああいう四コマ漫画で知ったように思う。うちの父は月に一度は遠くに取材に出かけていて、そういうときによく『かりあげクン』なんかの漫画を買って帰ってきた。
「シムケンが『だいじょうぶだぁ』でやってたから」
「結構好きな味だった?」
「いや、『甘味、引き立たねえじゃん』と思ったけど、私と弟は塩が大好きだったから。食べるもんないときは塩ばっか食べてたから」

 話を聞いていると、一体いつの人だろうと思えてくるけれど、知人は僕と同じ1982年生まれだ。


8月27日(火)

 11時過ぎまで寝ていた。起きるともう知人の姿はなかった。今日から知人は大分県の日田に出かけている、この週末にあるひた演劇祭に向けて現地入りしたのだ。僕も週末に追いかける予定。

 昼、マルちゃん正麺(醤油)を食べつつ「あまちゃん」。前髪クネ男に笑いつつも、やはり今週は展開がなさそうだなと思っていると、最後の最後にしれっと、さらっとキスシーンがあって驚く。

 15時半、東小金井。駅前でA書店のKさんと待ち合わせ。編集長も一緒。ここで初めて見せてもらった資料を読みつつ、とあるスタジオへ。受付で待つあいだ、わずかな時間で打ち合わせ。質問リストを見たKさんが言ったことを軸に、頭の中で話の聞き方を再編成して、16時、取材開始。取材相手のNさんはぼ同世代で、快活な方だった。今日は楽しく話を聞けたと思う。帰り道、Kさんは「さっきから私、ずっと絶賛してますね」なんて言っていた。

 この日取材させてもたった方は、あるクリエイターとすごく濃密な時間を過ごしていた。その関係について、Kさんは「橋本さんと藤田君の関係に近いものがありますよね」と言っていた。さすがにNさんほど濃密な時間を過ごしているわけではないが、ほとんど仕事を抜きにして長い時間付き合っているという点では共通するかもしれない。

「どうしたらそんなことってできるんですかね?」とKさん。

「うーん、仕事だと思わないからじゃないですか」と僕は答えたが、やはりそれは、僕がこんなふうにぽやぽや過ごせているからそんなことが言えるのだろう。話を聞いていた編集長は、「僕らの仕事は雑誌で、どうしても期限のあるものだから、どうしても期限を区切ってしか考えられないからね」と話していた。そんな話を聞いているうち、僕は『グレート・ギャツビー』のことを思い出していた。

 僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。

「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」


 別に僕は傷を負ったわけでも、誰かを批判したくなったわけでもないけれど、藤田さんや向井さんや坪内さんと長い時間を過ごせているというのは、とても幸せなことなのだろうな。

 新宿駅で二人と別れ、アパートで普段着に着替えたのち、18時、近くのデニーズ。キーマカレーを食べたのち、テープ起こし。1時間弱のテープなので、19時半には終わった。飲みに出かける前に少しは構成しておくか――そう思って取りかかっているうち、「もう今日のうちに完成させてしまおう」という気になり、22時には完成させてしまった。取材して5時間しか経っていない。こんなふうに原稿を送れるととても気分が良い。

 ホクホクした気持ちで自転車をこぎ、新宿五丁目「N」。今日は賑わっていて、カウンターは1席しか空いていない。それは角の席で、右隣りの席のお客さんのジャケットが半分ぐらいこちらにはみ出して置かれていたけれど、その席しかないので僕はそこに座った。隣りのお客さんたちは3人組。若い女性が「二人は嫌いだと思うけど、昔、高田渡さんが……」なんて話している。僕の隣りに座っていた男性が「オレがあの人を許せないと思ったのは、人のライブに乱入してくるんだよ。あれは品がないと思ったね」と言っているのを、僕はうつむきながら聴いていた。その男性はニール・ヤングのように大柄だった。

 しばらくすると、消えるようにその男性は帰っていった。そのあたりで、お店のKさんはそれぞれを紹介してくれた。一番奥に座っていた男性は大先輩の編集者だった。僕の左隣に座っていた若い男性も編集者だったようで、お店のKさんは「ほら、大先輩に話を聞くチャンスよ」と言ってくれたけれど、自分は編集者なのか何なのかよくわからないでいる僕は、話は隣りの若い編集者に任せてまごまごしていた。

 この日は珍しく、僕が最後の客になった。その直前までいた講談社のTさんは「もう店閉めちゃって、皆で『K』に行こうよ」と言っていたけれど、お店のKさんは「まだ1時だから閉められないわよ」と笑っていた。僕は最後に1杯、ゆっくりとソーダ割りを飲んでから店を出た。


8月28日(水)

 朝6時、二日酔いで目が覚める。飲み過ぎてしまった。こういうときに横になっていても鬱々とするだけだから、からだを起こして日記を書く。そして9時には昨晩の構成の直しを送信した。

 11時半、東銀座へ。デニーズで『T・B』編集部のMさんと打ち合わせ。打ち合わせというのが何をするものか、いまだに僕にはよくわからないけれど、今日は半分くらい雑談をしていた。「cocoon」の話。森翔太さんの話。あとはマクドナルドについての話。僕は4年ほど前、都内のマクドナルドの深夜の風景を見てまわろうと原付で写真を撮ってまわったことがある。「都内すべてのマックを!」とまわり始めたのだが、30店ほどまわったところで挫折してしまったことがある。Mさんも、忙しいときなど24時間近くマクドナルドに滞在して仕事をしていることがあり、そのことをツイッターでつぶやいていることがあるのだ。

 Mさんは、「24時間になっちゃうと自分の中の何かが崩壊しそうだから、23時間でチェックアウトするようにしている」と言っていた。Mさんも僕も気になるのは、そういう深夜のマクドナルドで、仕事や勉強をしているわけでもなく、終電を逃して時間を潰しているわけでも家がないわけでもなく、うたた寝をするわけでもなくケータイをいじるわけでもなく、何をするわけでもなくただそこにいる人について。そういう人が世の中にはいるのだと「発見」したときの衝撃。そうして学生から老人まで、いろんな人の溜まり場になっているマクドナルドについて、Mさんは「メルティング・ポット」という言葉を当てていた。

 13時半、デニーズを出てMさんと別れ、銀座散策。さすがに美人が多いなあ。露出の多いお姉さんが通り過ぎたあと、よぼよぼのおじいさんが振り返ってまじまじ眺めていた。良い風景だ。ただ、おしゃれをしたお姉さんと同じぐらい、ハーフパンツに適当なサンダルを履いた人も多い。一年の半分以上をビーサン履きで過ごしている僕が言うのも何だけど、その人たちはなぜ銀座に来ようなんて思うんだろう。

 歩いていると和菓子屋があった。店頭のガラスケースには大福や団子が並んでいた。そこを通り過ぎて歩いていると、大福の残像が浮かんでくる。まめだいふく。まめだいふく。声に出してこそないが、その言葉をずっと口の中でつぶやいている。これはもうダメだと引き返し、豆大福を購入する。店員さんは「お戻りいただきありがとうございます」と二度口にした。照れた。

 コリドー街にあるスタバに入り、1時間ほどA書店の原稿を書く。昨晩の取材とは別の原稿(雑誌は同じ)。そして、昨晩の原稿と違って、取材から10日経ってようやく送信できた。すぐに編集のKさんから返信が届く。やっぱりそうですよね、とか、あれこれ考えながら街をふらつく。今日はずっと具合が悪い。最初は昨晩の酒のせいかと思っていたが、そうでもないようだ。これは、もしかしたら、炭酸のせいではないか。一昨日購入したソーダマシン、嬉しくてずっと使っている。昨日なんて飲む水すべてを炭酸水にしてしまった。先日、いい加減に眺めていた「ためしてガッテン」で「炭酸水は健康にいい」的なことを放送していたから安心してガブガブ飲んでいたが、ケータイで検索してみると「一日の適量は150ミリ」という情報も出てきた。

 昨日まで涼しかったのに今日は日射しも強く、歩く速度がいつもの半分くらいだ。そんなスピードで歩いていると、いつもより景色をじっくり眺めることになる。銀座から日比谷に出て、お堀沿いを歩く。ここのお堀はいいなあ。水位が高くて、道路とお堀が地続きな感じがいい。丸の内が近づいてくると、ゆったりとした風景の中に路面店が現れ始める。少し気分が高揚しかけたところで、あのプラモデルのような風合いの東京駅が現れた。何度見ても、新しくなった東京駅は美しく見えない。それ以上にプラモデル感を出しているのはバス停だ。もう少し何とかならないのか。

 30分ほど、丸ビル5階の喫茶店で仕事。さきほどの原稿に手を加えて再送したのち、16時50分、KITTEへ。着いているともう皆入り口のところに揃っていた。外観はどこの地方都市かと思うようなしょーもないビルだが、中に入ってみると意外に落ち着くビルだ。6階にあるKITTEガーデンから駅前の風景を少し眺めたのち、「ドンピエールハート」というビストロで『S!』誌収録。注文を済ませると、各人の皿にパンが配られる。次に、注文したアラカルトの4種セットが運ばれてくる。こういうのはどうやって食べるものなのだろうと観察していると、オリーブはまあそのまま食べているけれど、あとのは皆、パンに載せて食べたりしている。僕もそれを真似てみようかと思ったけれど、僕は不器用なので食器をがちゃがちゃ言わせてしまいそうだし、そうならないように気にし始めると話より食事に夢中になってしまいそうだから、プレーンのパンをもぐもぐ食べた。僕としては珍しくグラスビールを2杯しか飲まなかった。

 19時より少し前に終了。ここでようやくズワイ蟹とアボカドのタルタルにフォークを伸ばしてみると、これがとても美味しい。隣りに座る編集部のYさんは、それを口に運んだ瞬間に小さく微笑んでいたらしかった。らしかった、というのは、僕が観察したからではなく、Oさんが指摘していたから。よく見ているなあ。良い眼をしている人のことが羨ましい。KITTEのデパ(?)地下を冷やかしたのち、解散して東西線で帰宅。今日の対談は明日中に構成しなければならない。編集部からテープ起こしが届き次第すぐに取りかかれるよう、早く寝なくちゃ、早く寝なくちゃと思っていたのに、結局1時過ぎまで眠れなかった。


8月29日(木)

 やはり早起きはできなかった。午前中は日記を書き、「あまちゃん」、「woman」、「ショムニ」など観る。「ショムニ」には、「あまちゃん」でGMTのメンバー(彼氏がいるのがバレて脱退した徳島の子)を演じ、「リミット」では恐怖で皆を支配しようとする元いじめられっ子を演じている人がゲスト出演していた。今回は就活生としてショムニインターンをする役どころ。良い女優さんだ、毎回まったく別人に見える。しかし、僕は何を期待してこの「ショムニ」を観続けているのか、自分でもわからない。そういうドラマが今期は4つくらいある。

 13時半、近所の「デニーズ」。一昨日の夜も、昨日の昼も、そして今日の昼も「デニーズ」にいる。キーマカレーを食べつつ、『S!』誌の構成に取りかかる。15時過ぎに9割がた完成し(快調だ)、アパートに戻る。取材に向けて、諸々連絡。電話をかけてアポを取るということがどうしても苦手だ。電話をかける、それを考えただけで目の前が真っ暗だ。

 夜、横浜へ。20時45分に待ち合わせのはずが、21時に集合となる。そのことを正して上げるべきかとも思ったが、相手を落ち込ませるような指摘をするのは忍びなく思われる。いや、それは半分嘘だ。そういう指摘をすることで“僕が”ピリつきたくないし、また関係をピリつかせてでもその人のために怒ったり注意をしてあげるほど優しい人間でもないということなのかもしれない。そんなふうに思いたくはないが。

 20時半、待ち合わせ場所として指定された横浜ベイシェラトンへ。入り口には「サンダル履きのお客様はお断りさせていただいております」というような札が出ている、高級ホテルだ。入ってみるとハープを弾いている女性がいる。緊張を隠しつつ3階に上がり、バーへ。廊下のようなスペースにもソファがあり、そこでも飲めるようだったので、エスカレーターを上がってすぐのソファを選んで座った。

 ここで取材していたら高くなってしまいそうなので、1杯飲んだら別の店に移動するつもりでいたけれど、Kさんは「大丈夫です」と言う。それならばと僕も適度におかわりしつつ、藤田さんに話を聞いた。Kさんはピザやらレーズンやら、ツマミを注文してくれた。注文を取りにくる人も、まだ若く、少しぎこちなさが残っていて、こちらとしてもあまり気兼ねなく過ごすことができた。2時間半ほどたっぷり話を聞いた。その半分以上は、直近で書くことになっている短い「cocoon」評と、じっくり書きたい「cocoon」にまつわる批評に向けた取材でもあった。話が聞けてよかった。

 そうこしているうちに23時半、閉店時間になった。伝票を受け取ったKさんは、「ちょっと、高くてびっくりしてるんですけど」と、まだ店員さんが側に立っているうちから動揺しているように見えた。実際にいくらだったのかは知らない。でも、ビールもカクテルもおおむね1杯1000円〜1200円程度だろう。僕も藤田さんもそれぞれ6杯ずつは飲んでいる。そこに料理も加われば、それなりの金額になっているのだろう(でも、ホテルのバーで2時間以上過ごせばそうなるだろうとも思う)。Kさんがあまりに動揺していたので、「僕、出しますよ」と言おうかとも思ったが、そう言い出せば確実に藤田さんにも「払いますよ」と言わせてしまうだろう。少し申し訳ない気持ちになりつつご馳走になり、電車に乗って帰った。


8月30日(金)

 5時半に起きる。のそのそと身支度を整え、7時にアパートを出た。この時間だと山手線も空いている。8時過ぎに羽田空港に到着し、すぐに搭乗手続きを済ませて保安検査場を通過してみると、ロビーのテレビの前からゾロゾロと人が移動し始めたところだ。見るとチャンネルはNHKに合わせられていて「あさイチ」が始まったばかり。皆「あまちゃん」を観ていたのだな。

 この日の飛行機は揺れた。台風が近づいていることは知っていたが、その台風に刺激された秋雨前線が活発化し、北陸、中国地方、福岡にかけて広範囲で激しい雨が降っているらしかった。それでも無事福岡空港に到着し、福岡市内渋滞のため遅れてやってきたバスに乗り込む(ひょっとしたら大雨でダイヤが乱れたのかもしれない)。1時間半ほどで日田に到着する。

 日田、という場所をどう説明すればいいのだろう。大分県で一番西にある場所で、福岡県にも熊本県にも面している。僕が最初に通ったのは原付でザゼンの九州ツアーを追いかけたとき、大分から久留米を移動したときにその中間あたりにあったのが日田市だった。それから、2011年にドライブインめぐりをしたときにも日田に立ち寄り、日田のドライブインで話を聞いたこともある。

 駅の近くにあるタイムズレンタカーでクルマ(日産のマーチ)を借り、ドライブに出発。南に向かう国道212号線はクネクネと曲っている上に道幅が狭く、制限速度は40キロの区間が続く。一部30キロの箇所もあった。日田は林業が盛んな土地なので、そんな道路を、木材を積んだ大型トラックがバンバン行き交うのだ。しかもこの雨である。最初は音楽を聴きながら走っていたが、途中から音楽を消して運転に集中した。川沿いに温泉街を見かけた。

 1時間と少し走ると、今回の目的地である「やまなみハイウェイ」に入った。1964年に開通した、まさにハイウェイ時代を代表する道だ。昔は有料道路だったが現在では無料で通行できる、九州随一のドライブコースだ。おそらくこのあたりの土地は建物が建てられないように規制されているのだろう、道沿いはずっと牧場で、ただただ雄大な草原が広がっている。これで天気がよければ完璧なはずなのに、僕がやまなみハイウェイを通るのは3度目だが、3度とも雨だ。今日は霧まで出ている。

 やまなみハイウェイ沿いにある商業施設は、たしか2ヵ所だけだ。その一つは道の駅のように大きな「三愛レストハウス」で、もう一つがドライブインだ。もちろん僕のめあてはドライブインのほう。2年前に訪れたときにも思ったことだが、「営業してないんじゃないか」と思ってしまう佇まい。このやまなみハイウェイ沿いはクルマを停められる場所がほとんどないし、展望台もあるのでクルマを停めて景色を眺める人はちょこちょこいるが、店内に入る客はいない。

 店内に入り、「今日、お店やってますか」と声をかけてみる。扉は開けっ放してあるのだが、入り口にはノボリやらゴミ箱がしまい込んであって、営業しているのかどうか、判断しづらいのだ。「どうぞ、どうぞ。今日は台風が来るっていうから、さっき人を雇って全部中にしまっちゃったけど」とお店のお母さんは言う。ソフトクリームやだんご汁も食べられるが、店内に入るとそんな気は薄まるだろう。何匹もハエが飛び回っているのだ(これは2年前と変わらない)。ボンタンアメやお菓子、フルーツも売っているが、デコポンなんてもう「デコ」の部分がへっこんでしまっている。注文したコーヒーを、ハエを払い続けながら、おそるおそる飲む。下を見ると芋虫がひょこひょこ移動していた。今回は「取材として話を聞かせてください」とお願いするつもりだがったが、お店のお母さんは「ミヤネ屋」に夢中だ。映し出されているのは各地の大雨の被害の様子だ。今日は話が聞ける感じではなさそうなので、少しだけ話をして帰った。

 16時過ぎには日田に戻った。日田駅前のホテル「ソシア」にチェックイン。お昼はおにぎりしか食べてないからすっかりお腹が減っている。夜までは昨晩のテープ起こしをするつもりでいたが、あんまりお腹が減るので、17時半に街に繰り出す。ツマミと缶ビールだけ買ってホテルに戻るつもりでいたけれど、ホテルのすぐ近くに「天領バル 音家」という看板が見えた。近づいてみると、外にある看板に「炙り明太子ポテトサラダ」と書かれている。あれ、数日前に知人がそんなポテトサラダがあったとメールを送ってきた気がする。

 店内に入り、カウンター席に座ってビールと炙り明太子ポテトサラダを注文した。
「お客さん、今日はどちらから?」とマスター。
「東京から来たんです」
「東京から! いや、この時間から飲んでる地元のお客さんは大体顔見知りなので、そうじゃないお客さんは旅行や仕事でいらした方が多いんですよ。つい最近も東京からいらしたお客さんが……」
「それ、女性の二人組で、一人がショートカット、もう一人がパーマじゃありませんでした?」
「そうです! あれ、何でご存知なんですか」
「知り合いなんです。僕、ポテトサラダ好きなんですけど、『明太子ののったおいしいポテトサラダがあった』と聞かされてて。それで、表の看板をみて『もしかして』と思って入ったんですよ」
「そうなんですか。そのお二人がいらした日に新メニューとして加えたんですよ、このポテサラ。だから、そのお二人が最初に食べたお客さんなんです」

 この炙り明太子ポテトサラダ、値段は600円だ。ビールの中ジョッキが390円であることを考えると割高な気がしていたけれど、出てきてみるとかなりボリュームがある。野菜はポテトのみだというこのポテトサラダ、マスターがコロッケを作っているときに思いついたというだけあって、挽き肉が入っている。それにパルメザンチーズも聴いていて、これがもう、ビールの進む味だ。あっという間に3杯も飲んでしまった。

 それでもまだポテトサラダは残っている。ハイボールに切り替えてようやくポテサラを食べ終えて、スライストマトを注文した。マスターの奥さんが手伝っている知り合い夫婦の農園のトマトだという。これも甘くて美味しい。あの、トマトの鼻水みたいなところの嫌な味がなくて、本当にフルーツみたいな味だ。これが美味しいのでトマトチーズリゾットも注文し、ワインを1杯飲んで日田のおすすめスポットを聞いてからホテルに戻った。さあ仕事するぞと思っていたはずなのに、すぐに眠ってしまう。


8月31日(土)

 朝6時に目が覚めた。日記を書き、昨日観れなかった「あまちゃん」観る。春子さんと鈴鹿さんの関係を主眼に置くと最終回のような回。いや素晴らしかった。どうりで空港であれだけの人が見入っていたわけだ。先週の土曜日に「来週は展開がないかも」なんて書いた自分を恥じる。そして8時から今日の「あまちゃん」。イベントの日付が出たときから、胸の鼓動が速くなる。来週が怖い。

 ドラマが終わると、急にお腹が減ってきた。僕は素泊まりプランを選んでいるけれど、部屋にあるホテルの案内によれば、素泊まりの客でも千円で朝食が食べられるらしい。和と洋が選べる。ホテルの朝食というのはどうしてこんなに美味しそうなのだろう。千円払って朝食を食べるつもりでエレベーターに乗ったのだが、そこに「ランチ 800円」とあるのを見て我に返った。いやいや、朝食に千円も払うのはおかしい。結局、その足でコンビニに出かけてサンドイッチを食べた。

 午前中は29日のテープ起こしをしていた。11時頃、掃除のおばさんにガチャッと扉を開けられてしまったので部屋を出る。駅から線路と平行に伸びる道には、商店街というほどではないが店がぽつぽつ続いている。レディースファッションの店が多い気がする。ここはまだシャッター街といった雰囲気にはなっていない。ホテルの部屋から見渡すと、どのビルも年季が入っていて外壁が汚れていたけれど、この道を歩いて行くとピカピカの新しいマンションを3棟ほど見かけた。「こんな田舎に大きなマンションを建てたって」と思ったけれど、駅前の店がまだ生きているのなら、このほうがいいのかもしれない。駅から離れたところに住んでいる高齢者の人は、クルマで買い物に出かけるのはキツいだろう。それよりは駅前のマンションに入ったほうが生活はしやすいはずだ。マンションに住んでいるのかどうかはわからないが、老人と何度かすれ違った。老人としかすれ違わなかったというほうが正しいけれど。

 そんなことを考えながら歩いていると、急に立派な建物が現れる。もしやと思って近づいてみると、ここが今日から「ひた演劇祭」が行われるパトリア日田だった。駅前の風景を思うと、なぜこんな立派なホールがあるのか、正直謎である。今調べたら、日田というのは人口7万人を割り込んだ自治体だ。もしかしたら、坪内さんが時々言っている「ふるさと創成事業」――竹下内閣によって実施された、各市区町村に対し地域振興に使える資金1億円を交付した政策が関係しているのかとも考えた。この政策によってあちこちに妙に立派なホールができたのだと坪内さんは言っていた。でも、このパトリア日田が完成したのは5年ほど前だという。一体なぜ、こんな立派なホールが作られたのだろう。

 ホールに近づいてみると、ガラス越しに快快の衣装担当・きょんちゃんの姿が見えた。パフォーマーの絹代さんの娘・みつき(3歳)を遊ばせているところだ。二人はこちらに気づいた。中に入ってみると、「もふ、お疲れー」ときょんちゃん。隣りにいるみつきは、知らないひげづらの男を見て驚いたのか、モジモジしている。それを見たきょんちゃん、「みつき、どうしたの。さっき『あ、もふだ! もふ!』って言ってたのに」と。そうか、みつきは名前を覚えてくれていたのかと嬉しくなる。

 快快はちょうどゲネプロをやっているところだった。僕は施設内にある喫茶スペースでテープ起こしをしていた。この喫茶スペース、結構広々していて店員も3人くらいいるわりに、このあともほとんど利用客を見なかった。そして金髪のウェイターの男の子は、嫌々仕事を手伝わされてでもいるのか、水を持ってくるときも、コーヒーを運んでくるときも、「いらっしゃいませ」も「お待たせしました」も言わず無言だった。

 昼、パトリア日田から徒歩数分の場所にある「三久ラーメン」。昨日入った酒場のマスターに「日田のおいしいものは何ですか」と訊ねたとき、日田が押し出しているB級グルメ日田焼きそばであること、そして日田焼きそばを出す店の中でも、地元客に愛されているのがこの「三久ラーメン」だと教えてもらっていた。店はしなしなとした住宅街の中にあった。店の前に経つと、トンコツの匂いなのか、独特の匂いが漂っている。そういえば向井さんに教えてもらった久留米のラーメン屋にもこういう独特の匂いがあった。九州で地元民に愛されるラーメン屋にはこの匂いがつきものなのだろうか。

 店内は6、7人が座れる赤いカウンターと、テーブルが2つ置かれた小上がりがあるだけの小さなお店。僕は焼きそばの大盛りと瓶ビール(サッポロ)。日田にはサッポロのビール工場があるらしい。カウンターの中では40代から50代くらいのお父さんが2人とお母さんが2人働いている、狭いスペースを、避け合いながら動き回っている。なんだか蟻の巣を思い出してしまった。運ばれてきた焼きそばは、あんまり辛くないソースがしっとり絡んでいる。普通の味だ。普通と言っても、「孤独のグルメ」ふうに言えば「こういうのでいいんだよ」と言ったところ。酒場のマスターは「麺がぱりぱりしてるのが日田焼きそば」と言っていたが、見たところ普通の麺だ。ひと口食べてみても普通の焼きそばである。が、何口か食べてようやく意味がわかった。おこげのような部分を作っていて、そこがちょっとパリッとしているのだ。

 パトリア日田に戻り、13時半、快快「6畳間ソーキュート社会」開場。みつきが入り口で「どうぞー」と手を差し出しながらおじぎをしていて可愛らしい。お客さんが落ち着くと、扉の隙間から顔を出して「閉じ込められちゃったぁ」なんて言っている。それを聞いているリーダーのよんちゃんが「何言ってるのみつき、自分で出れるでしょ」と冷静に言っているのもおかしい。

 14時の開演時刻が近づくと、制作・あにーがファービーを小脇に抱えてステージ脇のマイクスタンドに立つ。注意事項などアナウンスしているあいだ、ファービーは何か言い続けている。説明が終わると、あにーはステージにファービーを置いてハケていく。残されたファービーは、何語なのかわからない言語をしばらく語り続けていたけれど、じきにうたた寝をし始めた。客席がその姿にほころぶ。ケータイのカメラを向ける人もたくさんいた。このステージは写真撮影が自由なのである。

 僕はその間、当日パンフレットを読んでいた。そこに書かれた作・演出を務める北川陽子さんのテキストが、妙に良かった。そのテキストに「東京には内緒です」とあったので、内緒。

 これはしっかり観なければと気持ちを新たにしていると、ファービーは完全に眠りに落ちて動かなくなって、ステージが暗転し、音楽もフェードアウトする。明転すると、舞台に山崎こーじが立っている。ステージは木材で組んである、夏祭りなんかを思わせるステージで、つまり客席より高くなっている。そこにタッパのあるこーじさんが立つと、「でけぇな」とつぶやいてしまう。こーじさんが「こんにちは」と笑顔を向けると、観客も「こ、こんにちは」とまばらに答える。

「東京からきた、ファイファイの山崎こーじと申します。はじめまして。僕は静岡出身で、九州は初めてなので、当然日田も初めてなんですけど……いいですね。今日、ここにくるまで誰ともすれ違わなくて、ほんと人少ないなーと思って。僕の地元もそんな感じなので、落ち着くなーと思って」

 東京にいると「何かしなくちゃ」という焦燥感に駆られる、とこーじさんは語る。だから自分はいつも部屋で考え事をして、思いついたことを稽古場で皆に、あるいは彼女に急に見せたりするのだ、と。

「僕が住んでいるのは6畳一間のワンルームで、家賃は7万円。結構それでも狭いから、必要なものしか置いてなくって」と、部屋にあるものを説明していく。聞いているこちらはこーじさんの部屋を想像させられる。「そんな部屋で、僕はいつも無言でネタを考えて、思いついたことをiPhoneにメモったりしていて、今日はそんなネタを皆さんにいくつか観てもらえたらと思っています」

 最初に披露されたのは、大きな黒い布を頭からかぶり、iPhoneの「ちーん」「まーん」という音の出るアプリ(本当にあるのかどうかはわからない)を、お客さんを指し示しながら鳴らすというもの。隣りの女性は「ひ、酷い」と思わず声を漏らしているが、それは別に批判しているというわけではなく、この女性が結果的には一番大笑いしていたように思う。客席もおおむねウケていた。

「今出してた音もiPhoneのアプリなんですけど、まあ電話もメールもネットもゲームもできちゃうし、あとは写真も取れるし本も読めちゃう、あと、Siriに相談もできたりしますよね。……なんか、iPhoneがあればほんと大丈夫みたいな感じで、僕の右手にはとりあえずいつもiPhoneがくっついてるみたいな状態で、最近はFacebookとか見てます」

 この「僕の右手にはとりあえずいつもiPhoneがくっついてる」という言葉は、とても響いてくる言葉だ。僕も、僕の6畳間での暮らしの中で、とりあえずiPhoneがくっついている生活を送っている。道行く人だとか電車の中の人がずっとケータイをいじっているという状況は今に始まったことではないけれど、部屋の中、という状況と組み合わさると妙に響いてくる。

 自分の「6畳間」に思いを馳せているうち、舞台上のこーじさんはもう次の話を始めている。彼がFacebookで最近見かけたのは、エジプト出身の女性タレントのツイッターの投稿がシェアされたものだった。そのエジプト出身の女性タレントによれば、最近のエジプト情勢について日本では内戦だと報じられているが、本当は非武装の平和的なデモをしていた民間人に対する大量虐殺だった、と。でも、そんな暫定政府に対してアメリカは支援を続けている。日本人はよくマックやスタバに行くけど、そのお金がどこに流れるのか考えてほしい――そう女性タレントはつぶやいていた。「僕もよくマックとかスタバに行くんだけど」とこーじさんは語る。「だから、世界の命運は自分が背負ってるんだぐらいの気持ちで、日々生きていきたいと思ってます」

 これを聞いて、おや、チェルフィッチュの「3月の五日間」みたいな方向にむかうのかなと感じる。つい2日前の取材で、90年代に平田オリザによる「東京ノート」、2000年代に岡田利規の「3月の五日間」と、戦争を描く作品があったという話を僕は聞いたばかりだった。それらの作品の中では、いずれにしても戦争は「今」起っているけれど、それは「どこか遠く」で起っているものだった、と。それはその時代のリアリティだったんだろうけど、今はそうじゃないと思っていると藤田さんは語っていた。戦争が今の日本人にとってどういうリアリティがあるのか、それについてすぐに語ることはできないけれど、「どこかで今起っている戦争」と「遠く離れた場所にいる僕」という描き方に今僕がリアリティを感じるかというとそうではない。

 この話は何のために持ち出されたのだろう――注意深く伺っていると、再びこーじさんはiPhoneを取り出す。右手でiPhoneを操作しながら、オンラインの戦争ゲームのキャラクターのような動きをしてみせる。会場からは笑いが漏れる。音が途切れると、素に戻ったこーじさんが「……はい、世界の命運を背負った男でした」と口にする。ここでエジプトの話や「世界の命運は自分が背負ってるんだぐらいの気持ちで」といった台詞はメタ化される。こーじさんは「皆さん、今、不安ですよね」と語るが、実際不安な気持ちである。それは単に「あれ、演劇観にきたはずなんだけど」という気持ちもあるかもしれないが、それ以上に、一体この作品はどの位置に立とうとしているのか、まだ掴めないからだろう。

 その後もこーじさんのネタは続く。お客さんの悩み相談(悩みを受けたこーじさんが、自分の脳内コンピューターで高速で計算しているような素振りを見せたのち、普通の回答をする)、これまでの役者人生でたどり着いた「自分が納得して尻が出せたら俺の勝ち」という結論を端的に示す役どころ(尻を出し、ケツをドラムのように思いっきり叩き続ける)、自分と世界がズレていく(真っ裸になって前に服[段ボールだか板だかに着せてあるので上下がセットになっている]を当てがい、服をずらして陰部が見えそうになると「ワーオ!」と音が出る)等々……。

 その途中で、絹代さんが舞台脇のマイクスタンドに登場する。「彼は男性で、男性は女性を喜ばせるために、自分を楽しませるために、空想をします」とマイクごしに語る。こーじさんは自分自身をまるごと舞台にのせている(それはファイファイがずっとやってきたことでもあるが)。だからこそ舞台がこんなにも舞台然としていて、中央に置かれた椅子も箱馬で代用されているし、こーじさんもネタの合間に舞台を上り下りするのだろう。しかし、笑いが起れば起るほど、その存在がメタ化されていくように思えてくる……。

 いつ物語は始まるのだろう。それとも、始まらないまま終わっていくのか。

 そんなふうに思い始めたところで、絹代さんが語り始める。「彼は東京の六畳間に住んでいます。母は田舎で一人暮らしをしているそうです。彼には彼女もいるそうですが、考え事をするために彼女と会うのをやめました。今から彼に電話をしてみようと思います」

 これまで“役者1”と“役者2”の関係だった二人が、彼氏と彼女に置き換わる。

 僕がこの日一番響いた言葉は、この関係性において冒頭の「悩み相談」のネタが披露されたときに発せられた言葉だった。絹代さんの「何をしてるときが一番幸せ?」という質問に、しばらく脳内コンピューターで計算をめぐらせたこーじさんが「菓子パン食ってるとき」と答える――この小さく、しょうもなくて、でも愛おしい言葉は、ごくさらりとしたものだし、別段意味を持ってくる言葉でもないのだが、とても大切な言葉だと僕は思った。それは単純に、こーじさんが菓子パン大好きだということを知っているからそう思ってしまうのかもしれないが……。

 こーじさんのネタの一つは、まったく別の動きに置き換えられる。絹代さんは語る。「男性はくだらない空想をします。けれども、この先、私が男の子を生むことになったら、そのめんどくさい、くだらないところを愛するだろう。守ってあげようとするだろう」。さきほどは単にくだらない動きとして演じられていた動作が、動きはそのまま、出産のシーンや、生まれたばかりの赤ん坊のシーンに置き換えられていく。

 こーじさんに母親から電話がかかってくるシーンもある。そこで母親の部屋も描写される。その部屋には孫が置いていったファービーがあり、そのファービーが話しかけてくる。「私もあと何十回春夏秋冬を迎えられるかしら。どの母親も、観んンあそれぞれの母親に教わってきたつもりでも、どんなに繰り返しても人って成長できないものなのかしらねえ。ねえ、変だよねえ。そうだよねえ、変だよねえ、馬鹿だよねえ……」

 母親は眠りにつく。それと同時にケータイの音楽が鳴り始め、また別のレイヤーに移動する。

「朝起きて、朝食を作る(「ちーん」と音が鳴る)好きなものをたくさん入れて食べさせよう、子供を起こして、食べているあいだに支度を整えて(爆撃音が鳴る)、食べ終わったら着替えをさせて送り出す。私は、サンドイッチなんかをつまんで仕事場につく。仕事場につく。仕事が終わって帰りの電車に揺られている……。」

 といった具合に、ある女性の一日が語られながら、そこに冒頭でこーじさんのネタに使用された音が当てられていく。音楽が流れ、リズムが生まれ、絹代さんは踊るようにある女性の一日を演じてみせる。一瞬、心が動いた。ただ、これを東京でやったら、おそらく「『ままごと』みたい」のひと言で終わらせられてしまう可能性がある。

 こう書いていると批判しているように思われるかもしれないが、そうではないのだ。予想していたよりずっと完成度は高かった。昨秋の「りんご」は、1ヵ月前にあったプレイベントでは、メンバーそれぞれが書いた理想の死についてのリーディングしかできなかったことを考えると、今回はもう器はできていると思った。ファイファイがやっていること(
の一つ)は、くだらないことを愛するということだ。人生なんてくだらないものかもしれないけど、人間はそのくだらないことを繰り返す生き物であり、そのくだらないことを愛する、ということである。そのために、「母になる」ということや、「子供の誕生」や、もう子供を育て終わった母が登場している。「未来」という言葉もダイレクトに語られる。

「俺は、こんなくだらないことをやってるけど、俺が今一番面白いと思うことを全力でやっていて。それを誰に見せたいって、すげえわかりやすく言っちゃえば、自分の子供っていうか、未来の大人たちに向けて、自分が今一番素晴らしいって思うことを見せたい。で、俺のもっと先、それを見せたやつらがほんとの大人になったとき、もっと素敵なことになると思うから」

 悪い言葉ではないと思う。むしろ良い言葉だ。だが、これが響くためには、この台詞を語られる前に、単に山崎こーじという役者がくだらないことを全力でやってみせている、あるいは彼が売れない役者として10年間やってきているという話だけでは足りないと思う。多少ジーンとはくるけれど、もっとその器の中に、その言葉を響かせるために、誰かの何かの物語が必要だと思う。

 終演後、僕がロビーで仕事をしていると、「楽屋に電源あるから、中でやっていいよ」と舞台美術家のあやみさんが中に入れてくれた。皆あまり眠っていないのか、あくびをしながら座ったり、横になって眠ったりしていた。アンケートを見ていた絹代さんは、その年齢を見て「25か。まだ夢見れる年齢だな」とつぶやいた。横になっていたこーじさんは突然、「さっき、みつきに『将来、何になりたい?』って聞いたら『お姉さん』って言ってたのって、弟か妹が欲しいってことだと思う?」と言い出した。そうした会話の断片から、彼らのそれぞれの人生について膨らむイメージと、劇中に登場する抽象度の高い言葉が組み合わさったとき、この作品は力強いものになるのではないか。

 もっと言えば。さっきも書いたように、彼らは自分たちの姿をそのまま舞台にあげようとしてきたし(それは単に本人役として舞台に立つなどという意味ではない)、メンバーの脱退を経て、1年振りに上演される新作となる今作では「そこで勝負するしかない」という気持ちがあるのだろう。それは「6畳間ソーキュート社会」というタイトルからも感じられる。だとすれば、だ。こーじさんでも、絹代さんでも、あにーでも、きょんちゃんでも、あやみさんでも、のろさんでも、よんちゃんでもいい、その「存在」を丸ごと舞台にのせるというだけでなく、その人の「人生」を丸ごと舞台にのせてみてほしい。彼らの人生が今後どうなるかなんてまだわからない、わからないのだけれど、彼らは人生の過渡期に、節目にいる、それを感じているからこそ「親」と「私」と「子」というモチーフも出てきているはずだ、別に実際に結婚するしないという話があるにせよないにせよ、30代前半というのはそういう話を突きつけられる年代だ、そうした時期にある彼らのうちの誰かの「人生」を、「物語」を、見たいと僕は思う。できれば女性の側から見たい、もっと言えば、絹代さんか、あやみさんか、北川さんのそれを。

 楽屋ではそんな話はしなかった。

 16時半、皆で豆田町に出かけた。そこで、「ひた演劇祭」の一環としておばけ屋敷のような出し物をやっているらしかった。ここは古い白壁や木造の建物が残っている地区。楽しくなって僕はサッポロ黒ラベル(350ミリ)を買って、飲みながら歩いた。町並みを眺めていると商店が多くある。昔、日田は小京都として名を馳せたらしく、その名残は感じられる。ただ、さほど観光客は多くない。それから、あまり広くはない道路を、猛スピードでクルマが行き交うので、あんまりゆったりした気分で歩くことはできない。

 おばけ屋敷についてみると、2時間待ちだと言われた。皆は近くにあるアイスクリーム屋でアイスを買って食べていた、僕は新しい缶ビール(500ミリ)と鶏からあげを買い食いした。それに気づいた皆が「伸びてる!」と笑う。「あそこに豚足の店もあるよ」と言われる。見ると、小さな窓があって、そこに「豚足」と看板が出ている。何度か前を行き来して様子をうかがい、豚足を購入する。お店の人はビニールの手袋を渡してくれた。それを遠巻きに見ていた皆が「ウロウロしてるよ」「のぞいてる、のぞいてる」「何あの手袋!」と言ってくれているのを楽しみながら、豚足を食べた。「どう?」と皆に訊ねられて、「しょっぱくておいしい」と答える。声がまったく届かなかったのか、「ダメだ、『もふ散歩』、全然声が拾えない」と皆笑っていた。

 パトリア日田で皆と別れ、皆が演劇祭のスタッフに連れていってもらったという鶏料理屋へと向かった。こーじさんは「俺、鳥の刺身とか内臓とか全然好きじゃないけど、あそこのはおいしかった」とまで言っていた。が、着いてみるとお店には暖簾が出ておらず、看板のコンセントも電源から外されたままだ。おそるおそる戸を引き、「お店、何時からですか」と訊ねると、「……もうやってますけど」と言われる。カウンターに座り、「生ビールと、鳥刺身盛り合わせください」と言うと、注文を繰り返すことも返事をすることもなく、のそっと生ビールがサーブされた。日田では接客のときに愛想良くすると罰せられたりするのだろうか?

 もやもやしつつ、運ばれてきた鳥刺しを食べてみる。うん、たしかにうまい! まず醤油がうまい。九州らしい、あまい醤油がおいしく感じられる。だが、かなりボリュームがあるので、食べても食べてもなくならない。ようやく食べ終えて、麦焼酎と地鶏炭火焼を追加注文。相変わらずあまり反応はない。僕が食べているあいだも、宴会を予約したお客さんたちが次々にやってきて、賑わっている店なのだろう。でも、あまりおいしいものを食べているという気分になれなかった。僕にしてはめずらしくもうお腹いっぱいになってしまったので、炭火焼は少し残して店を出た。

 腹ごなしに風呂にでも入ろうと、ホテルに戻る。駅前の角にある書店がまだ開いていたので、中に入る。店員のおばさんはレジのところで寝ていて、僕が入っても起きることはなかった(万引きされ放題じゃないか)。僕は平台にあった『風立ちぬ』の文庫本を買ってホテルに戻った。その途中、昨晩飲んだ「音家」の前を通りかかると、こちらに気づいた店主と女性店員が手を振ってくれた。僕は嬉しくなって力強く手を振り返した。

 10階にある大浴場には誰もおらず、僕は湯につかりながら『風立ちぬ』を少しだけ読んだ。部屋に戻ると、知人から電話がかかってくる。「何してんの?」「ホテルだけど」「ああそう」「何なんだよ」「いや、9時から打ち上げがあるけど、それまで時間あるから、どっかで飲んでるなら行こうかなと思って」「今からうなぎ食べに行くけど」「ああそうですか」「なんなんだよ」――と、憤ったまま電話を切り、僕はうなぎ屋目指して歩き出した。皆で豆田町を歩いているとき、「日田まぶし」と看板の出ている店があって気になっていたのだ。日田は水郷として有名で、鮎が名物である。鮎がうまいなら、同じ川魚のうなぎもきっとうまいだろうと楽しみにしていたのだ。ホテルから30分近く歩いて豆田町にたどり着いたが、もう時刻は21時近く、どの店もすっかり灯りが消えていた。

 このままホテルに戻るのも悔しいので、そこからさらに15分ほど歩き、隈町という場所を目指した。ここは旅館街で、スナックや酒場が集中しているらしかった。すぐ近くには三隅川というのが流れているようなので、川べりに出てみると、思ったよりも広い川幅だ。しかも大雨の影響か、かなりの急流である。川と川べりの道のあいだには何のフェンスもない。後ろから急に突き飛ばされたら……と不安になる。川べりを歩く人の姿などなく、あたりは薄暗い。川向こうの茂みに見える鳥居も心をざわつかせる。僕はそそくさと川べりを離れた。

 隈町にはたしかにスナックがいくつかあったが、スナックに入っても楽しくはないだろう。知人に何度かメールをしたが、「今打ち上げ中だから」とつれない返事が返ってきた。ひとり寂しくホテルに戻る。