1月2日

 朝9時に起きる。初夢は覚えていない。昼、おせちと年越しそばを食す。うちでは年が明けてからも年越しそばを食べる。そのせいかお雑煮というものをほとんど食べたことがない(だから「広島のお雑煮はどういうヤツ?」と聞かれても答えることができない)。最近、「い」という文字が嫌いになってきている。文中にあるのはともかく、語尾に「い」がくると、どうも決まりが悪いように感じてしまう。だから「答えることができない」で済むところも、つい「答えることができないでいる」と書いてしまいそうになる)。

 午後は自由にクルマを使っていいと言われたので、隣町にあるショッピングモールに出かけた。いくつもある駐車場はどこも一杯だが、中に入ってみるとぼちぼちの人出という感じだ。正月からお金をジャブジャブ使えと言われているような気持ちになる。昨日の『生活笑百科』でも相続税が改正されて、生前贈与を行ったほうが得だとしきりに訴えていた。年寄りが溜め込むのではなく、若い世代にカネをまわしてじゃんじゃか使わせようということだろう。こう書いているからといって、別に批判的な気持ちでいるわけではない。僕だってもうそういう生活しかできないのだ。

 スポーツショップ「ヒマラヤ」でジョギングシューズを物色していると、母から電話。兄が予定より早めに帰るので、迎えに行ってやって欲しいとの電話。兄自身は31日から実家にいるのだが、この春に結婚する相手を広島駅まで迎えに行っていたのだ。クルマを自由に使っていいと言うから隣町までやってきたのに――そう思いつつも、少しホッとした気持ちにもなる。家にいて出迎えるよりも、買い物帰りにクルマで迎えに行って初対面するほうが自然に振る舞える気がしたのだ。

 駅前にクルマを停めて待っているあいだ、僕はとても緊張していた。少し時間があるので自動販売機で缶コーヒーを買って、それを飲みつつ、帰省前に手に入れた曽我部恵一『My Friend Keiichi』を聴いていた。

 僕は兄の結婚相手に会うのが怖かった。昨年の盆にも僕の実家を訪れていたらしいけれど、そのとき僕は実家にいなかった。そこで「お義母さんの作るハンバーグが美味しいというから、食べてみたかったんです」と言っていたと聞いて、僕は妙におそろしくなってしまった。まだ若いのに、パッと相手の実家を訪れてそんな気の利いたことを言うなんて、一体どんな策士なのだろう、と。しかし、実際に会ってみると策士なんていう雰囲気ではなく、「一体どんな策士なのだろう」なんて考えていたことが恥ずかしくなった。夕方になると、母とその女性は一緒にハンバーグを作り始めた。今まで母に「どっちが先にお嫁さんをもらうかね?」と言われてもまったく意に介さずにいたけれど、自分がまだ独り身であることに妙な居心地の悪さをおぼえた。

 夜はハンバーグとぶりの刺身を食べた。いつもは食卓で飲まないようにしているけれど、こっちが緊張してしまうのでビールを飲んで過ごす方法はないかと考えを巡らせる。明日は父の誕生日なので、父は禁酒しているが「69歳最後の夜なんじゃけ、一杯ぐらい飲んだらええんじゃないん」と声を掛け、自分もビールを飲んだ。父は「覚えとったんね」と嬉しそうにしていて、少し心苦しくなる。「そりゃ覚えとるじゃろ。今年で何歳になるんか、父さんほど覚えやすい人も珍しいよ」と僕。父は終戦の年に生まれた。新聞に毎年「戦後××年」と記事が出るので、今年で何歳になったのかわかりやすいのだ。が、スポーツ関係の記者でもある父は「ほうよ。国体の数と同じじゃけえね」と言っていた。