6時半に起きる。ケータイをぽちぽちやっていると、「若者たちの『反政府運動』参加を理由に企業が『採用拒否』するのは許される?」という記事が出ている。ひどい社会だ。今日は朝からずっとテープ起こしを進める。昼、テレビの影響で鯛のアクアパッツァを作って食べる。アクアパッツァの素が売っているので、それで魚を煮るだけ。テレビでは「MUSIC DAY」という音楽特番をやっていて、知人はそれにかじりついている。しかし、ここ数年はこの時期の音楽特番が増えた。フジの歌謡祭は楽しめるけれど、ううむという番組も多く、中でもこの「MUSIC DAY」はひどい番組だ。この番組は、櫻井翔のこんな言葉で始まった。

「7月4日、太陽の季節。ここ、千葉県幕張は、昨日までの雨があがりました。さあ、今年も、音楽の力につつまれる一日がやってきました。今、私たちがともに歩む、時代という道。そこには、いつの時代も、力や希望をくれる、太陽のような音楽がありました。そして今日、人々を照らした音楽が、総勢67組のアーティストの歌声とともに、一つの大きな光となり、また、新たな時代の扉を開きます」

 この言葉を聞いて、僕はのっけから白々しい気持ちになった。「私たちがともに歩む」時代というときに、一体何を想定しているのだろう。今、「私たちがともに歩む」と言えるほどの時代なんてあるのだろうか。そして、時代とともにあると言える歌が、今、どれだけあるのだろう。そのことを、どこまで信じているのだろう。その白々しさは、いかにも日テレの特番だという感じがする。

 さらに酷かったのは、具志堅用高、BEGIN、夏川りみかりゆし58の4組を「チーム沖縄」として迎えた時間だ。まず、櫻井君はこう切り出す。「さあ、というわけで1970年代のカラオケトップ10でしたけれども」――この直前のコーナーは、それを紹介するコーナーだったのだ――「具志堅さん、具志堅さんがチャンピオンになったのが……」

「76年ですから」と具志堅が答える。

「ちょうど河島(英五)さんの歌ぐらい?」

「いやいや、あの、『津軽海峡・冬景色』とか、松山千春さんとか、あと、イルカさんのですね、よく聞いてましたね」

「まさにじゃあ、あのランキングの(歌)ということなんですね」

 櫻井君がそこまで語ったところで、羽鳥慎一が口を開く。

「さあでは、続いては櫻井さんです」

「はい」と受けると、少し間をおいて、真剣な表情になる。映像が切り替わり、「櫻井翔池上彰の教科書で学べない戦争」という番組の宣伝VTRが流れ出す。「今年は戦後70年。戦争という悲劇を二度と繰り返さないため、私はこれまで、戦争の傷跡が残る地を訪れ、人に会い、日本人が忘れてはいけない記憶を追いかけてきました。向かったのは、およそ18万人以上の日本人の命が失われた激戦地の一つ、パプアニューギニア。当時、旧日本軍の航空基地があり、そこはパイロットの墓場と呼ばれるほど過酷な戦地でした。ここから、多くの若者たちが飛び立ち、尊い命は失われ、その傷跡は今もこの地に残っていました」

「日本からかなり、遠く離れたところですもんね?」と羽鳥が相槌を打つ。櫻井君は続ける。

「そして、日本で唯一地上戦が繰り広げられたのが、沖縄です。死者、およそ20万人。沖縄の人は、希望を、失いました。そんな沖縄の人の心に、戦後、太陽のような光を与えたのが、こちらにいらっしゃる、具志堅用高さんです」。今度は具志堅が現役当時の映像が流れる。「具志堅さんはですね、沖縄出身で初の、ボクシング世界チャンピオンということで、こちら、映像、どうですか具志堅さん、改めてご覧になって」

「いや、これですね、私も、リングに上がる前はですね、沖縄のために頑張るんだと」

「まさに」

「はい。チャンピオンになって沖縄に帰るんだと、いう気持ちでね、やっぱり、戦いましたね」

「13回連続の防衛ということですから、実際沖縄の方々も、どうでしょう、勇気もらったなんてこえも、たくさんいただいたんじゃないですか?」

「そうですね、もう、帰ってから、すっごい、もう、みなさんに、歓迎されましてね。特に、東京にる方々が、パスポート時代に東京に出てきてますから、私も、あの、東京へ出てきたときは、パスポートがちょうど切れた、年にですね、初めて試合を、高校二年生でしたけども、そのときに初めてきたんですよね、はい」

 その話を受けて、櫻井君は「みなさん、具志堅さんのすごさっていうのは」と、他のメンバーに話を振った。その展開に愕然とした。具志堅用高は、いつになくまじめなトーンで語り、「パスポート」という言葉、「東京」という言葉をかなり強調して語った。そのことを、彼はまったくスルーして、「ボクシングで希望を与えた」という話を――おそらく台本通りの話を粛々と展開した。もちろん、こうした生放送の特番がかなりギチギチのスケジュールであろうことは想像できる。しかし、「戦後70年」だ「沖縄」だと言っておいて、具志堅用高のその言葉に微塵もリアクションしないというのは、結局、「戦後70年」と語る言葉に実はないのと同じではないかと思った。

 夕方、浅草橋に出かける。今日は、悪魔のしるしの「CARRY-IN-PROJECT」のドキュメントブックの完成を祝したイベントが開催されると聞いて、本を買うべくやってきたのだ。まずは受付で本とチケットを購入して、カウンターでビールとカレーライスを注文する(今日のイベントのタイトルは「CURRY-IN-PROJECT」だ)。カウンターに腰掛けてカレーを食べていると、近くで「これ、飲み物は何があるの?」と訊ねる声がする。聞き覚えのある声にそっと振り返ると、僕にとってオジキと呼ぶべき人の姿がそこにあった。声を掛けようかと思ったのだが、ドリンクチケットをカルピスに交換しているのを見て、おそらく仕事があるからソフトドリンクにしたのだろうけれど、ここは声をかけないほうがいい気がすると思って、顔を伏せたままカレーライスを食べた。22時過ぎ、池袋に出て、「磯丸水産」で行われていた打ち上げに混ざる。今日はMさんの隣に座って、彼女が飼っている犬の写真を見せてもらっていた。