8時に起きる。トーストを食べて、『e』誌の構成(2本目)に取りかかる。今日の公演はどうなるのだろうと心配で、ときどきタイムラインを伺っていたけれど、今日の夜から公演が再開されると発表されてホッとする。昼、納豆オクラ豆腐うどんを作って食す。午後も構成仕事を進める。今日が締め切りだ。終わらなかったらどうしよう、終わらなかったらどうしよう。焦りながら進めていたけれど、17時には終わってしまった。

 急遽制作のHさんに連絡して、池袋へ。今日もまた雨だ。テレビでやっている夕方のニュースでは「10日連続の雨だ」と言っている。明日からは晴れるそうだ。18時、劇場に到着する。「今日の夜から再開します」「観てほしい、、」とメッセージをもらっていて、仕事もなんとか終わったので駆けつけることにしたのだ。ただ、チケットを取っていなかったので、2階にある“ギャラリー”と呼ばれるスペース――映像と照明はここからオペレーションしている――に紛れ込ませてもらって観劇させてもらうことにする。開演15分前、ギャラリーにあがる。ほどなくして映像を担当しているJさん、照明を担当しているTさんもあがってくる。「(ギャラリーで観るなんて)めずらしいじゃないですか」とJさんは言っていた。

 19時、開演。固唾を飲んで見守る。休演してしまったことがテンションに――特に前半の学校のシーンに影響しなければいいけれどと心配していたけれど、まったくの杞憂だった。学校のシーン、皆楽しそうで何よりだ。この日は“はせぴ”“ひよ”に目が行く。二人とも、迷いを抱えている。もちろん他の登場人物だって迷いを抱えているだろうけれど、この二人からは迷いを強く感じる。“ひよ”は、先生に悩みを打ち明けてもいる。「わからないことがわからないままなんです」と。ガマに入って看護活動が始まってからも、彼女は他の皆より戸惑っているように見える。皆が「慣れていかなきゃ」と言っているときでも、彼女は一瞬立ち止まって考えてしまう。その一瞬の迷いが、ひょっとしたら、ガマを出たあと彼女の命を奪ったのかもしれないと思う。

 “はせぴ”は、学校のシーンを見ていると、優等生タイプの学生だ。あるシーンで、“先生”は宿題の話をする。無理してやらなくてもいいんだ、ひよちゃん、こないだね――“先生”がそう話を向けると、双子たちは「あれだ」「血尿だ」とニヤつきながらひそひそ話す。“ひよ”がキッと振り返る。はせぴも双子が注意する。“先生”が、ひよちゃん、こないだ血尿を――と具体的な話をしてしまうと、”はせぴ”は「先生まで!」と注意する。だが、そう言いつつも、“はせぴ”はつい笑ってしまう。そんなふうにクラスメイトのことを笑っちゃダメだという正しさと、笑ってしまう俗っぽさのあいだを、彼女はうろうろしている。

 ガマを出て海へと逃げるシーンでも、彼女は迷っている。ただし、迷いながらも走り続けている。だから彼女は、生きて海までたどり着く。皆とはぐれてしまって、一人でズルズルと歩きながら、彼女は「どこで死のう」と繰り返しつぶやく。「海はもう、私たちの海じゃないみたいだ」――この台詞を、彼女が、いわき出身の彼女が言っていることにも、どうしても思いを馳せてしまう。それに、彼女の名前が「洋子」という字であることにも思いを馳せる。彼女は、藤田さんがいわき総合高校で作品を作ったときに出演していた(と書いているけれど、僕はその公演を観ることができなかったのだが)。それは2012年のことだ。

 今年の春、沖縄を訪れたとき、あるタイミングで、藤田さんはいわきの話をしてくれた。原発に反対か賛成かって二者択一をせまられるようになったときに、多くの大人たちは「原発反対」って言うけど、たとえば親がそこで働いてる子たちは何も言えなくなる――と。それは“はせぴ”を演じる彼女の話ではないけれど、海岸に向かってずるずる歩く姿を観ていたときに、その話を思い出した。“はせぴ”は、「絶対に生き残る」とも、「お国のために自決しよう!」とも言い切れず、「どこで死のう」とうめくように言って、いつまでもずるずる歩いている。彼女が登場する最後のシーンは、観客に異様な感触を残す。それは、今年更新された大きなポイントの一つであると僕は思う。

 “はせぴ”を演じる彼女は、2年前には“えっちゃん”を演じていた。主人公である“サン”の幼なじみの役だ。つまり、今年はその役を外れたことになる。ある日の帰り道、彼女と話していると、そのことを気に病んでいるようだった。なぜ彼女が“えっちゃん”役に選ばれなかったのか、その理由は僕にはわからないけれど、でもそれはきっと、「この俳優から違うイマジネーションが湧いてきた」ってことだから――もちろん同じ役を演じる人だって、2年前とは違うイマジネーションを元に演出されるんだろうとは思うけど――むしろそれは喜ばしいことでもあると思うよ、と僕は彼女に話した。僕は、どんな作品になるのかまったく知らずに話していたけれど、あのとき話したことは決して間違っていなかったと思う。

 もう一つ印象的だったのは、主人公の“サン”のこと。彼女は、ここまでの公演以上に、一人で立っているように見えた。あるシーンで流れる「ララバイ サラバイ」の歌詞が――「ひとりでいかなきゃだめなんだ」「ひとりにならなきゃだめなんだ」という台詞が、今日は特に印象的に響いてくる。ふと、沖縄の読谷村で訪れた二つのガマのことを思い出す。近くにある二つのガマなのに、一つのガマではぼぼ全員が自決し、もう一つのガマでは千人もの人が助かったのだ。千人が助かったほうのガマにはハワイ帰りの人がいて、彼らが皆を投降へと導いたのだ。彼らは、集団の中にあっても、集団としてではなく、ひとりとしてそこにいたのだろう。だからこそ、自決ムードに包まれていたガマにいても、風穴を見つけることができたのだ。

 21時に終演する。カーテンコールに拍手していたのだが、ふと、一人足りないことに気づいて心がざわつく。何かあったのだろうかと心配になって、終演後しばらくロビーに佇んでいた(いつもは「ロビーに佇む」という行為になじめなくてすぐに劇場を出てビールを飲んでしまう)。しばらくして出てきた出演者のひとりに「だいじょうぶですか」と訊ねると、「ちょっと酸欠みたいになっちゃって出れなかったですけど、大丈夫そうです」と返ってくる。ほっとして劇場を出て、高田馬場に引き返し、知人とバルでワインを飲んだ。この店を訪れるといつも注文するのはアンチョビキャベツとトムヤム水餃子で、今日はメニューも見ずにそれをオーダーしたのだが、「すみません、トムヤム水餃子がなくなっちゃったんです」と言われてしまう。えっ、とメニューを開いてみると、トムヤム水餃子の文字は消えてしまっていた。