朝7時に起きる。直しが反映されているかをもう一度チェックをして、校正を反映させる。テレビでは国会中継をやっていないが、今日び中継はネットで観ることができる。こんな答弁があった。「先の戦争は間違いであったと認識しているのか」との質問に、「従来の政権の認識を引き継いでいる」と首相は答える。「総司自身の言葉で聞きたいんです」と再び質問が飛んだ。「従来の政権の認識を引き継いでいる」と答える――そんなやりとりに愕然とする。そうまでして語りたくないのはなぜだろう。なぜこうもディスコミュニケーションなのだろう。あの戦争を間違っていたとするかどうかは措く。ただ、間違っていたと思うなら間違っていたと語ればいい。間違っていたとは思うが、そこには留保があるというのならそれを語ればいい。間違っていないと思うのなら、なぜ間違っていないと思うのかを語ればいい。なぜ一国の総理ともある人間が、それぐらいのことができないのか。なぜ説得力のある言葉で語りかけてくれないのか。

 それにしても、今回の法案はほんとうに不思議だ。僕は集団的自衛権というものが絶対的な悪だとは思わない。だが、そのことを語るためには、憲法のことを真正面から考えるしかないだろう。それを考えると、そもそもなぜ自衛隊が存在するのかということも含めて考えざるを得ない。素直に考えればあれは違憲だろう。単に「集団的自衛権はダメ」ということではなく、私たちはどう生きていくのかを、根本的に捉え直すしかない。集団的自衛権を含めて、自衛隊がしっかり活動できるようにするのか、平和憲法を維持することをよしとするのか――どちらの道に進むにしても、現状をどう認識し、どの道へと進むのかを、説得力のある言葉で語るのが政治家の役割だろう。だが、総理の口から出てくるのはホルムズ海峡のことばかりで、具体的に何を想定しているのかを語らない。もちろん念頭にあるのは、国防白書でも海洋進出を掲げる中国のことがあるのだろう。ただ、なぜそこをぼかしたまま進めようとするのか。「そんなことを明言すれば緊張を煽るだけだ」というのはわからなくもないけれど、それはつまるところ、政府に交渉力がないことからくる問題ではないか。インドと中国なんかを見ていると、握手しながらもお互いに足を踏みつけているようなしたたかな外交をしている。海洋進出を目論む中国に対して、なんらしたたかな対応が見られない政府が、題目のように同じ答弁を繰り返して安保法制を進めているというその状態が、何よりおそろしく感じる。

 やるせない気持ちで中継を眺めていると、最後に民主党がプラカードを掲げ出した。不味い飯を食べたような気持ちになる。お前らはお前らで一体何をやっているんだ。国会議員でありながら、与党となんの交渉もコミュニケーションも取れず、この状況を招いておいて、外でデモをする人たちと同じプラカードを掲げることで目配せをし、連対した気持ちになる――それが政治家のやることなのか。行き場のない気持ちのまま、なんとかあとがきを書き終えて、印刷所に入稿をした。

 スーパーに出かけて、チキンカツ丼とボンカレーを購入する。チキンカツ丼の上にカレーをかけて食す。ビールも2本飲んだ。飲んでいるうちにふと思い立って、散歩に出かけることにする。九段下で降りて、坂を上がってゆく。お堀では何かの水が放水されていた。歩いていると、そうか、今日は靖国でみたままつりの日だったのかと思い出す。そんな日にあんなことになったのか――最悪のセンスだ。千鳥ヶ淵を抜けてゆくと、喪服姿の人とすれ違った。霊園では今日、戦没者を供養する法要をやっているようだった。ふつふつと怒りがわいてくる。しかし、義憤ほどやっかいなものはないことはわかっている。

 うだるような暑さだ。陽射しが強烈でくらくらする。こんな日は銀杏BOYZが聴きたくなり、イヤホンで耳を塞ぐ。それにしても、総理はなぜあんなにもすっきりした顔をしていたのだろう。いや、今日に限らず、5月はもう少しくたびれた顔をしていたのに、ある時期をさかいすっきりした表情になった。最近、『昭和天皇』を読んでいるのだが、明治天皇は日本をなんとか近代化するために必死で気を張っていたことが伝わってくるし、また、昭和天皇が幼少期から置かれていた状況の厳しさも伝わってくる。そうしたものは風貌にもあらわれている。では、安倍首相のすっきりした表情から、私たちは何を思えばいいのだろう。

 歩いているうちに国立劇場が見えてきた。このあたりまでくると風景の抜けがよくて心地よい。通りを行き交う護送車の数が増えてくる。国会議事堂が近づいてくる。僕は群衆の中の1人に数えられるのは嫌だと思ってきた。自分が埋没することが嫌なのではなく、誰かと同調することが嫌だった。でも、今日は群衆の中の1人に数えられてもいい――そう思って歩いてきたのだけれども、いざ足を運んでみるとそうした気持ちはしぼんでしまって、国会議事堂の前をそのまま通過して歩き続けた。ビーチサンダル履きできてしまったものだから足の裏が痛かった。歩いていくと、ホテルオークラの近くであることがわかってきた。せっかくだからとホテルまで歩いて、メニューを見ずにモヒートを注文した。

 隣に座る老夫婦は食事にきたようで、開店まで時間をつぶそうとバーを訪れたようだ。どうも常連らしく、バーテンダーと慣れた様子で話している。ふと「そういえば、ご予約はされたんですか」と訊ねる。いや、してないけどと客が答えると、取り壊しが近づいて満席のことが多くなっているから、ちょっと確認してみますねと電話をかけ始めた。鉄板焼きの店で、オープン直後であれば1席だけ空きがございます。バーテンダーの言葉に、「鉄板焼きの店なんて、いつでもがらがらだったのに」と、老夫婦は心底驚いた様子だった。

 また国会前を通過して、神保町に出た。久しぶりにY田さんに電話をして、19時から飲む約束をする。ヴェローチェでしばらく休息して、「魚百」で休息する。飲んでいるうちに、今日は何してたのかと訊ねられて、僕の1日をひとしきり話すと、「俺もホテルオークラに行ってみたい」とY田さんが言う。じゃあ1杯だけ、とホテルオークラに引き返し、バーに入ろうとしたところで、店員がふいに足元を見た。「すみません、靴をお履きでないお客様は」と断られてしまう。昼に入れたのは例外だったのだろう。Y田さんと別れて、すごすご帰宅する。