『S!』誌の締め切りは今日の夜だが、これから島に出かける予定だ。Wi-Fiに繋がらないと大変なことになるので、朝のうちに原稿を送信しなければ。9時過ぎにようやく送信して、急いでレンタカーを借りて高速道路をかっ飛ばしたが、ターミナルに到着したのは出港した数分後だ。今は閑散期で、フェリーは1日2往復しか運行しておらず、次の便は6時間後だ。何とかならないものかと宿泊する予定の民宿に電話をかけてみると、知り合いにチャーター船を出せないか確認してみますとの返事。調べてもらうと、1万円で船を出せるとのことだった。かなりの出費だが、6時間ボンヤリ過ごすよりはいいだろう。

 「お願いします」と返事をすると、しばらくしてまた電話がかかってくる。明日は海が荒れそうだからフェリーが出ない可能性が高いというのだ。明日の夜に帰京予定だから、明日フェリーが出なければ面倒なことになる。船をチャーターすることになってしまったり、島に泊まりたくて長めに滞在することに決めたのに島に泊まれなくなってしまったり、踏んだり蹴ったりだ。

 12時過ぎにチャーター船――雨除けのない小型船――は水納島に到着した。前回はビーチが人で溢れていたが、海開き前の今は数人のグループ客が見えるだけだ。ゆうに一周できる小さな島を歩いてゆく。まずは宿泊するつもりだった宿に挨拶に行く。庭にはテーブルやベンチが置かれているのだが、酒の空き瓶や弁当ガラが並んでいる。最初は昨日この島にやってくるはずだったのだが、「学校の行事があって満室なんです」と断られていた。

 昨日の夕方、テレビをつけたままベッドに横たわっていると、地元のローカルニュースで「水納島」という言葉が流れてくる。体を起こすと、「たった1人の卒業式 15歳 島を出る春」という題が見えた。画面の中では、去年の春に皆で発表会をやった体育館で卒業式が執り行われていて、学ラン姿のRK君が気をつけの姿勢で立っている。後ろにはまだ小学生のMRNとRT君が並んでいる。

 水納島小中学校は全校生徒が3人だ。今年RK君が卒業したことで、中学校は一旦休校になる。昨日は離任式が行われて、先生の送別会が開かれていたのだという。宿の方に「お食事だけいただくことはできませんか」と相談していると(閑散期の今、食事を出す店は営業していないのだ。コンビニや売店は元々存在していない)、MRNが姿をあらわす。彼女はこの宿の娘なのだ。

 僕と目が合うなり、「会ったことありますか」と彼女は言う。「会ったこと、ありますね」と答える。「やっぱり。カメラマンの人ですよね?」とMRN。皆と一緒にこの島を訪れたとき、僕はひたすらシャッターを切り続けていたから、彼女は僕のことをカメラマンだと思っている。MRNと少し話していると、お母さんに「それで、今回は何か用事があったんですか?」と尋ねられ、答えに窮する。

 14時、最終便のフェリーを見送る。工事で島を訪れている人がチャーター船に乗るため、料金は3500円で構わないというので、帰りもチャーター船に乗ることにしたのだ。誰もいなくなったビーチを歩く。以前MRNに教えてもらった“プライベートビーチ”にも出かけた。最初にこのビーチへと続く道を歩いたときは、皆に遅れて缶ビールを飲みながら歩いていた。あのときは海が近づくと皆がはしゃぐ声が聴こえてきたけれど、今日はただ波の音が聴こえてくるだけだ。

これは2015年春の写真。

 宿に荷物を置かせてもらって、MRNとRT君のふたりの案内で探検に出かける。まずはヤギ小屋に連れて行ってもらって、ヤギを見せてもらう。この島にヤギがいたなんて知らなかった。ヤギは一生懸命葉っぱを食べている。ヤギ小屋の近くにいた人が、僕の――最終便が出たはずなのにまだ島に残っている僕の――顔を見つけるなり「ああ、フェリーに乗り遅れた人ですか」と言う。人口44人のこの島ではすべての出来事が筒抜けだ。

 それにしても、わずか一年で二人とも成長している。MRNは少しお姉さんになっているし、RT君はわんぱくさを増している。探検しているとちょっとしたケンカが頻発するが、ただ旅で訪れているだけの僕が口を挟んでいいのだろうかと戸惑って、ただ見守ることしかできなかった。1時間半ほど探検したところで宿に戻る。RT君はすぐ隣にある自宅に戻ったが、MRNはアセロラソーダを作って出してくれる。しばらく二人で話をした。

 「カメラマンって、どんな写真を撮るの?」
 「本当はね、カメラマンじゃなくて、文章を書く仕事をしてるんだよね」
 「文章? 週刊誌とか?」
 「週刊誌に書くこともあるかな」
 「そうなんだ。ドラマを見てると、ときどき『ハエ』って言われてるよ」
 「そうだねえ。そういうこともあるだろうねえ。でも、僕はそういう文章は書いてないんだけど」
 「仕事、楽しい?」
 「うーん、楽しいかな」
 「私は絶対無理だ。文章書くの苦手だから」
 「そうなの?」
 「うん。文章を書くより、情報を集める方が好き」
 「じゃあ情報屋だ。ドラマなんかだと、よく警察に情報を渡してお金をもらってる人が出てくるよね」
 「そんな仕事あるんだ。じゃあ私、情報屋になる。お兄さんのこのiPhoneを隠しておいて、『さっきこどもが持って行ったのを見ましたよ』って話してお金をもらう」
 「この島だと、こどもってだけでだいぶ犯人が絞れるね」
 「『髪はちょっと長かったかもしれないです』とか」
 「そこまで言ったら間違いなくMRNだね」
 「でも、私、髪を短くしてるときもあるから」
 「うん、知ってる。去年の夏、僕が二度目にこの島にきたときは短かったよね」
 「そう。でも、本当はもうちょっと違う髪型にしたいんだけど」
 「理想の髪型があるんだ?」
 「ある。『いつ恋』のお兄さんみたいな感じ」
 「『いつ恋』、観てるんだ。お姉さんじゃなくて? 結構アヴァンギャルドな感じだね」
 「アヴァンギャルドって何?」
 「何だろう。前衛的――って言ってもわかんないよね。一言で言うなら『すごい!』って感じなんだけど」
 「お兄さんのこの髭はアヴァンギャルド?」と引っ張るMRN。
 「痛たた。これはどうだろう。僕みたいにふらふらしてる若い奴が髭がボサボサにしてても普通だけど、スーツ姿の若者がこんな伸びてたらアヴァンギャルドかな?」
 「じゃあ、大阪のおばちゃんが着てるトラ柄の服は?」
 「ああ、あれはアバンギャルドだ。ただ、アヴァンギャルドっていうのは普通は褒め言葉なんだけど、たとえば『ずいぶんアヴァンギャルドな格好ですね』って冷ややかに言われたら、それは悪い意味になるんだよね」
 「難しいね。京都でお茶漬け出されたら『帰れ』って意味だって、テレビで観た」
 「結構テレビ観てるね。そうだ、ここに来る前は京都に行ってたんだよ。お土産があるから、あとで渡すね」
 「京都に行ってたんだ? 沖田総司の街だ」
 「沖田総司、知ってるの?」
 「私は沖田総司が好き。その前は信長と秀吉が好きだったけど、今は沖田総司
 「新撰組が好きなんだね」
 「うん。暴れてる人が好き」

 別にテープを回していたわけでもないけれど、話したことをいくらでも思い出すことができる。MRNは今日もまた「お兄さん、イギリス人みたい」だと言っていた。船が出る時間が近づくと、見送りしてくれるとMRNは言う。お母さんが「海まで行かないんだよ」と注意している。探検しているときも、海に出そうになると「引き返そう」と言っていたのは、海に行かないように注意されていたからだろう。

 港へと続く道を歩きながら、「早く結婚したい」と彼女は言っていた。「お兄さんも28歳くらいまでには結婚したほうがいいよ」とMRN。「そっか。でも、28歳にはもう間に合わないかな」と僕。「でも、30歳までには絶対したほうがいいと思うよ」。彼女には一体、何歳に見えているのだろう。海に出る直前でMRNと別れた。「またね」と手を振って別れた。

 港の近くで待っていた。船長と並んで、船まで歩く。船長は本島のほうに一瞥をくれて、「本部のあたりはわからないけど、名護のあたりはもう雨ですね」と言った。僕が見ても、本部と名護の風景に違いは見つけられなかった。船長さんと僕とでは、見える風景が違っている。

 「でも、ゆっくりできなくて残念でしたね」と船長。
 「そうですね。明日も雨が降るんですか」と僕。
 「いや、雨は今日だけなんですけどね、雨が上がったあとに海が荒れるんですよ」
 「それは一年中そうなんですか? それとも春だけ?」
 「日本だと『春一番』って言うでしょう。こっちは『カジマーイ』っていうのがあって、この時期は急に風向きや潮の流れが変わるんですよ。それが危ないから、春は気をつけないとね」

 以前、沖縄の漁にまつわる本を読んだときに、その話を読んだ気がする。大雨や台風でもないのにフェリーが欠航になるのも、MRNのお母さんが「海に行かないように」と注意していたのも、海の恐ろしさを知っているからだろう。僕は海の豊かさも恐ろしさも知らずにいる。知らないことが山のようにある。

 本島に戻ってからは美ら海水族館に出かけた。ジンベイザメを眺めながらノンアルコールビールを飲んで、高速道路を那覇方面へとかっ飛ばす。朝から気になっていたのだが、ハート型のマークをつけている車をよく見かける。よく観察してみると「外国の方が運転しています」と書かれている。そんなマークが存在するとは知らなかった。相当な数見かけたが、外国人観光客でレンタカーを借りる人がそんなにいるとは。自分は外国に出かけたときに「レンタカーを借りる」という発想がなかったから、驚く。

 那覇を通り過ぎて南部に出る。もうすっかり日が暮れている。今日は満月だというので、海に浮かぶ満月を眺めようと思っていた。本当は水納島で眺めるつもりだったが帰らなければならなくなったので、どこがいいかと少し考える。南部で印象的だった海といえば、喜屋武岬と荒崎海岸、あとは百名ビーチだ。百名ビーチには「ヤハラヅカサ」という聖地がある。琉球開闢の神・アマミキヨニライカナイから上陸したとされる場所だ。満月を眺めるにはふさわしい場所であるような気がして、そこを目指すことに決める。

 20時過ぎ、百名ビーチが近づいてくる。角を曲がって細い道に入った途端に、周囲が真っ暗になる。ヘッドライトで照らされている範囲はともかく、窓の外を眺めると本当に真っ暗だ。今日は曇っているので、満月はどこにも見えず、ただ暗闇が広がっている。建物などもなく、急に恐ろしくなる。と同時に、以前この海を訪れたときのことを思い出す。あの日はたしか新月に近く、「これは怖いですね」と怯えながらクルマを降りたのだった。一人では到底降りる勇気が出ず、海に出ないまま那覇に引き返す。

これは2014年の6月。