昼、桜木町へ。昨年11月は定期券を購入し、毎日のように移動していたルートだ。山手線で新宿に出て、東南口のほうから湘南新宿ラインに乗り換える。東南口は薄暗くていつもドンヨリした気持ちになっていたが、明るい照明に変わっている。案内表示には「ミライナタワー」という微妙なセンスの名前も見える。どうやらここに新しい駅ビルができたようだ。マームがこけら落としを行う劇場もここにあるのだろう。

 今日は桜木町「のげシャーレ」で三月企画『GIFTED』を観る。快快の野上絹代さんによるソロプロジェクトの旗揚げ公演だ。エレベーターに乗り込むと、ちょうどKGCさんがいる。「いろんな場所で会うから、不思議な感じですね」とKGCさんが言う。「僕はもう、自分が今どこにいるのか、よくわからなくなってます」と答える。受付にたどり着くと、スタッフの方が「ご返金がございます」と封筒を取り出す。絹代さんもすぐ近くにいて、「あなたはお金払っちゃ駄目でしょう」と言う。この企画が動き出したときにインタビューをさせてもらったからだろう。そんな気をつかってくれなくてもいいのにと申し訳ない気持ちになる。

 さて、公演自体はといえば、SFっぽさもあり、すべてを吹き飛ばすバカバカしさを見せてくれる瞬間もあり、生命そのものを感じさせてくれる瞬間もあり、絹代さんらしさが凝縮された70分だった。絹代さんが踊る姿を見ているといつも躍動感という言葉が頭に浮かぶ。躍動感というほかないあのダンス。


 おや、と感じたのは時間の話。インタビューをしたとき、絹代さんはこんな話をしていた。

――スカラシップを受けて、来年の3月に公演をやることが決まってるわけですよね。具体的な制作に入るのはまだこれからだと思いますけど、今の段階ではどんなことを考えてますか?

野上 何だろう、音楽でも絵画でも、手法がいっぱいあるじゃないですか。音楽だと作曲法もあるだろうし、絵画だとキュビズムだとか何だとか、色々あるじゃないですか。もちろん演劇にも手法はあるんだけど、その手法は使わずに、別のところからポンと手法を持ってきて、それを演劇やダンスとして発表するってことに興味があって。あと、表現したいことの一つには時間っていうことがあるんだよね。

――時間?

野上 うん。大学生のときに、たぶん映画の授業だったと思うんだけど、「時間を表現するのは映像のほうがいい」って言ってる先生がいて。そのときに「え、本当かな」って思ったんだよね。別に否定も肯定もないんだけど、「演劇で時間を表現するほうが楽じゃない?」って私は思って。だって、急に「30年後!」とか言ったっていいわけだから(笑)。

――ああ、たしかに(笑)。

野上 そうそう。だから演劇のほうがもうちょっと自由じゃないかと思っちゃうんだけど、その先生に言われたことが引っかかっていて。ただまあ、時間っていうのはまだ扱えないものじゃないですか。

――そうですね。タイムマシンも一向に完成しないですしね。

野上 だから、うん、扱うと面白いかなっていうふうには思ってる。娘を産んだとき、「私はこの子を産むために生まれてきたんだ」と思った瞬間に「あれ?」と思って。この子を産むために生まれてきたんだとしたら、原因が未来にあって結果が過去にあることになっちゃうんじゃないか、って。私を産んだときに母がそう思ってたら、そして母を産んだときに祖母がそう思ってたら――そうやって考えるとぶわーって時間が逆に進んじゃって、私はそのとき電車に乗ってたんだけど、席から立てなくなっちゃって(笑)。「私は今どこにいるんだ?」と思って、怖くなっちゃったんだよね。それぐらい自分に揺さぶりをかけてきた観念的なものを、どうやったら演劇で表現できるのかってことは考えてるかな。なんかこう、自分の思い一つで未来は変えられるっていうのはわかるじゃん。先のことだからそれはそうだろうなと思うけど、自分の思い一つで過去の歴史が変わる」ってことのほうが、「なんてことだ!」と思うじゃん。自分が取る行動一つで歴史が変わるかもしれないってことのほうがすごい力を手に入れた感があるし、今ある歴史が確かなものかどうか、わからなくなる。そういうことに興味があるんだと思います

 ここで話されていた「時間」をめぐる話は、「怖さ」も含めて、一つにはビッグバンの話として今作でも展開されている(あのシーン、親子観劇おすすめ回はどんな反応になったんだろう)。もう一つは、ある親子と介護されているおばあさんが偶然出くわすシーンにも繋がっている。そのおばあさんは、どうやら記憶が少しずつ薄れているようだ。

 自分自身の記憶が本棚に並べられた本だとすれば、昔は年代順に並べられていたのに、いまは本棚がすかすかになってしまった、私の本はどこに行ってしまったのだろう――と、そのおばあさんは語る。が、別のシーンをはさんだあとで彼女は、「記憶は消えたのではなく、漂っているんじゃないかって思う」と語る。その話がとても印象的だった。

 あるいは、母と娘の関係について語られた内容も印象に残る。あるシーンで、母親によるモノローグが挟み込まれる。そこで母が語るのは、娘という存在の不思議さだ。それはとても愛おしい存在であり、私の中から産まれてきた存在であるのに、へその緒が切り離されて別の存在になる――そんなことがふいに語られる。舞台のラスト、卒園式を終えた娘が抱っこを拒否する。それまでのシーンでは散々「抱っこ!」と母にねだっていた娘がだ。そのシーンを見たときに、へその緒の話がフラッシュバックする。

 抱っこを拒否された母は、「抱っこしようよ」と娘に言い寄る。これまでとは関係性が逆転している。そこにまたおばあさんが通りかかり、「私が抱っこしてあげよう」と言い出し、最終的には皆が駄々っ子のように「抱っこ!」と泣き叫んで舞台は終わってゆく。今回の『GIFTED』では、「時間」の話は主にビッグバンのほうに向かって流れて行って、すごく壮大なスケール(というか「生命そのもの!」みたいなもの)を感じさせる舞台になっていたけれど、もっと小さな世界で「時間」の話が展開したらどうなったんだろうなと思う。そこまで欲するのは贅沢かもしれないが、「絹代さんらしさ」とは違うテイストの作品はどんなふうになるのだろうかと考える。とにかく次の公演も楽しみだ。