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朝、楽しみに過ごしてきたドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(最終話)観る。月曜日にオンエアされていたが、旅先だったこともあり、ようやく観たわけだが、素晴らしいドラマだった。坂元裕二作品は毎回観ているが、前作の『問題のあるレストラン』は、悪役を作り出してしまっている気がして違和感が残った。もちろん、女性が置かれている立場はいまだに酷いのだと言われれば「そうなのだろう」と思うが、そうした状況を引き出すためにわかりやすく嫌な男たちが登場するのが残念だった。わざわざ嫌なキャラクターを生み出しているように感じられた。
今回のドラマも、最初のうちは「またそういうキャラクターを出してきたのかな」と思っていた。主人公・練のバイト先(高良健吾)の先輩である佐引さん(高橋一生)や社長(だったかどうかは不確かだが松田美由紀)はすごく嫌な奴等だ。あるいは、もう一人の主人公・音(有村架純)が働く介護施設もギスギスしていて、こちらの社長(小日向文世)も、人のクビを切って利益を上げる嫌な奴として描かれる(それにしても、昔は善人としてドラマに出ていた小日向文世、最近はすっかり悪役になってしまっている)。
だが、今作に登場する嫌な奴等は、嫌な奴等のままでは終わらなかった。ドラマの第1話は2010年から始まるのだが、第5話で第一部は終わりを迎える。そのタイトルには「訪れた運命の日」という言葉が含まれている。具体的に震災の描写は登場しないが、それはすべてを変えてしまう。それは登場人物に傷を与えるが、それと同時に世界は違って見えてくる。かつてブラックだった練のバイト先は和やかな雰囲気になる。それはバイト先の皆が変わったのか、練の目が変わったのかはわからない。あるいは、嫌な奴として描かれていた介護施設の社長も、音の経歴を知っても「あれは大したタマだ」なんて言ったりして、一面的に描かれる悪人が不在だったのが印象的だ。
さて、肝心の物語だ。練と音は恋に落ちている。が、音には2年前から付き合っている恋人がいる。友人に「まだ練のこと好きなんでしょう」と、今からでも練と付き合うよう勧められても、「2年って長いよ」と心に蓋をする。最終話では、蓋をさせていることに気づいた音の恋人(西島隆弘)が「もう君とは付き合えない」と、あえて身を引く。その優しさにも気づいている音は「そんなこと言わせてごめん」と涙を流す。
普通のラブストーリーであれば、ここで音と練が結ばれてハッピーエンドを迎える。だが、ここでも二人は引き裂かれる。音は、実家のある北海道に帰ってしまうのだ。かつて音を育ててくれていた養父が亡くなり、一人残された養母は介護が必要な身なので、練に連絡することもなくアパートを引き払って東京を去ってしまう。
このドラマで――いや、坂元作品の多くで――重要な要素となるのが「地方」だ。練は会津出身で、音は北海道出身である。第1話は、若くして亡くなった音の母親が音に向けて書いた手紙を練が偶然発見するところから始まる。練は「この手紙は持ち主に届けなければ」と思い立って、会社のトラックを勝手に運転して北海道まで届けに行く。そこで練と音は初めて出会って、音は恋に落ちる。積荷の一つを開けてプレゼントされた桃の缶詰をお守りのようにして日々を生きていた。
音の母は若くして亡くなったと書いた。保護者のいなくなった音は、養子として引き取られるのだが、その人物というのは性格に難のある老人で、音の縁談を強引に進めたり、遺骨をトイレに流すなんてことまでやってしまう(悪人が登場しないと書いたが、この老人と、泣き止まない子供に舌打ちした乗客は悪人だった)。雪国の一軒家で、音は閉じ込められるようにして生きていた。自分の感情に蓋をして生きていくしかないのだと諦めていた。
そこで象徴的に使われるのが方言だ。音は兵庫県生まれなのだが、養子として引き取られてからは「関西弁は使わないように」と強制されている。だが、手紙を返しにきてくれた練と話しているうちに、ときどき関西弁が顔をのぞかせる。方言を話すときは本音で、標準語を話すときは建前である――音の台詞は主にそう振り分けられている(この方言および地方の扱い方はさすがにあざといのではないかという気がする)。
地方といえば、象徴的な舞台として登場するのが夜のファミリーレストランだ(過去の坂元裕二作品でも何度かファミリーレストランが登場したはずだ)。田舎のファミリーレストランなので、夜も遅い時間になると客もまばらなのだが、そこで音と練は楽しく会話を交わす。このファミリーレストランが、最終話でも再び登場し、大きなリフレインとして機能する。
音が北海道に戻ったのは、養父が亡くなってしまったからだった。養父が亡くなったことで、養母は一人で暮らさなければならなくなったが、養母は寝たきり生活なので誰かの介護が必要だ。それで音は、練への思いに蓋をして、北海道に戻ることに決めたのである。
この展開というのは、極めて坂元裕二的だと思った。ドラマが放送を重ねるたびに、今回のドラマでも二人は結ばれないのではないかという気になった。恋愛に限らず、「Mother」でも、「それでも、生きてゆく」でも、「最高の離婚」でも、主な登場人物が最終的にはなればなれになる。そうしてそれぞれの思いを手紙に書き綴って終わりを迎える(その手紙は相手に届けられない場合もある――すでに書いた通り、今回も手紙は重要なアイテムとして登場する)。
今回のドラマはそれで終わって欲しくないとずっと思っていた。練と音が結ばれて欲しいと思っていた。なぜか。それは、音がずっと心に蓋をして生きてきた人だからだ。音は練と出会って恋を知り、希望を抱いて東京に出てくることができた。その彼女が、再び心に蓋をして終わりを迎える――それはあんまりだと思ったのかもしれない。
音への思いを断ち切ることができない練は、音に電話をかける。が、すでに音は北海道に帰ってしまったあとだ。いいんですかと問いかける練に、音は「振りも出しに戻っただけや」と答える。「またこの街で暮らすだけ。なにも変わってへん。道も、駅も、ファミレスも」と。このあたりから、僕はずっと指でぐるりと円を描きながら画面を見つめていた。
わかりやすいボケとして、「物の見方が360度変わった」というのがある。「いや、180度でしょ、360度だと同じだよ」と。360度回転すると、向いている方向はたしかに同じだ。でも、360度回転しているあいだに、ぐるりと360度分の風景を目にしているはずだ。
練と音は、第1話で訪れたファミリーレストランで会う約束をして、練はまた会社のトラックで北海道を訪れる。音はぶっきらぼうに「どうも」とだけ挨拶をして席につき、二人の会話が始まる。練は、空っぽになった部屋を目にしたときに寂しくなったと語る。「あの部屋、気に入ってるって言ってたから」と。
「最悪の部屋でしたよ。結露ひどいし、毎日換気しないとカビ生えるし、駅から遠いし、エレベーターないから」と音。
「お仕事も辞められたんですね」
「やっと」
「ずっと頑張って――」
「頑張ったんですけどね。5年も働いて1回も給料上がんなかったんですよ。最悪の職場でした」
「送別会――」
「東京の話はもういいです。別に、特に嫌なことしかなかったから思い出したくないんです。もう忘れました」
「少しくらいいいこと――」
「なかったです。東京でいいこと、一個もなかったです。もういいですか?」
たしかに、音が話していることは事実だ。彼女は働いていた職場は過酷だし、部屋も良いとは言い難い部屋だ。でも、それでも彼女には素晴らしいものだったはずだ――いや、「だった」と過去形ではなく、いまだに素晴らしいものであるはずだ。だからこそ、彼女は心に蓋をしようとする。
心を閉じる音を前にしても、練はくじけることなく話し続ける。「なんか、食べませんか」と練。「ひとりで食べればいいじゃないですか」と音。「前にきたときは、なにハンバーグ食べたんでしたっけ?」という練の言葉に、ハッと表情が変わる音。そうして練が大根おろしの和風ハンバーグとデミグラスソースのハンバーグを注文すると、「トマトのや。前頼んだんはトマトソースのと大根おろしのや」と音が語る(ここでようやく方言が登場する)。
運ばれてきたハンバーグを切り分けながら、練が唐突に語りだす。その台詞が素晴らしかった。
「振り出しじゃないですよ。杉原さん、振り出しじゃないですよ。前にここで会ったときの杉原さんと、今の杉原さんは全然違います。苦しいこともあったけど、全然違います。変わってないように見えるかもしれないけど、全然違います。人が頑張ったのって、頑張って生きたのって、目に見えないかもしれないけど、心に、心に残るんだと思います。杉原さんの心にも、出会ってきた人たちの心にも、僕の心にも。北海道遠くないです。何回でも来ます。道、ありますから。そこ走ってきます。車でも、電車でも」
最終的に二人は結ばれて、ドラマは終わりを迎える。久しぶりに良いドラマを観たという気持ちになる。人は、変わることができる。このドラマに対して、週刊新潮はどこぞの学者のコメントを取りながら、「介護の現場の過酷さを描く社会派ドラマかとも思ったが、社会派なテーマを正面から描くつもりはないようだ」と腐していたが、本当にクソみたいな週刊誌だなと思った。一体このドラマのどこを観ていればそんな結論に至るのか。介護の現場を描くから社会派なのか。何より、このドラマは、私たちが生きているこの社会を映しているドラマだ。
ドラマを観たあと、知人と一緒に「コットンクラブ」に出かけ、ビールを飲みつつランチプレートを食す。お互いにドラマの感想を話しているうちに、僕が「あのシーンはどういうことだったんだろう?」と口にすると、知人は怪訝な顔をする。「こいつはクマじゃけ、人間の心がわからんのじゃ」と知人は言う。最近、知人と僕は千鳥のように会話をする。
知人と別れて、僕は大宮から新幹線に乗って福島に出かけた。ホテルにチェックインしたのち、タクシーで福島文化センターへと向かう。施設が近づいてくると、前の車が2台ともタクシーであることに気づく。3台が並んで文化センターの玄関前に到着したのだが、1台目に乗っている人も2台目に乗っている人も知り合いだった。今日はここで、『タイムライン』というミュージカルが上演される。13時からと17時から、福島市での上演はこの2公演だけだ(来週の日曜日にはいわきでもう2公演行われる)。
受付で名前を伝えると、当日パンフレットを渡される。おや、と思う。おや、と思ったのは、紙が画用紙みたいな普通の紙だったからだ。そう思った直後に、「今回はマームとジプシーの公演じゃないんだから、当たり前か」と思い直す(マームの当日パンフレットはいつも凝りに凝っている)。パンフレットは全4ページで、最後のページには「主催 福島県」とある。パンフレットの最初のページには、「―ふくしまの中高生によるミュージカル創作プロジェクト―タイムライン」と作品タイトルが書かれていて、スタッフの名前と出演する「ふくしまの中学生・高校生」の名前が記されている。ただ、音響をのぞき、衣装はsuzuki takayukiであり、照明や映像補佐やアシスタントに名を連ねているのもマームのチームだ。
劇場に通されると、舞台を挟むように客席が組まれている。舞台上にはテープが貼られている。おそらく福島県の地図だろう。マームとジプシーのワークショップを、僕は何度か見学させてもらったことがある。そこでよく行われることの一つは、「家を出て、ワークショップの会場を訪れるまでの風景を再現する」というものだ。まず、部屋の中心に劇場の印をつくる。それに対して、自分の家はどこにあって、どういう道を歩いてきたかをテープで貼る。その道を歩きながら、参加者はそれぞれの朝を再現する。
今回のミュージカルに出演するのは福島県のこどもたちだ。「福島市の高校生」でも「いわき市の中学生」でも「会津の高校生」でもなく、福島のいろんな場所に住んでいる中高生だ。必然的にその地図も少し規模が大きなものになっており、いくつかのルートに分かれている。僕は全体が見渡せそうな最上段の列に座り、開演の時を待った。
開演時刻を少し過ぎて、子どもたちが舞台に登場する。“地図”上のあちこちに散らばり、そこに寝そべったところでミュージカルの幕が開く。タイトルにもあるように、この作品で描かれるのは或る一日の「タイムライン」だ。なんでもない、わたしたちの、タイムライン。舞台上の一人ずつが目を覚まし、朝の風景を演じ始める。おそらく、或る一日の朝を演じているのだろう。母親との何でもない会話や、登校中に交わした友人との会話が断片的に示されるのだが、早くも最上段に座ったことを後悔する。彼女たちの声がよく聞き取れないのだ。
すべての言葉を聞き取る必要はないのかもしれない。というのも、舞台上で出演者たちは目まぐるしく移動する。上手にいる子が話していたかと思うと、パッと別の子が語り始めているようだ。だから、その一つ一つを正確に聞き取ることを目指してはいないのかもしれない。が、それにしても聞き取れず、「おはよう」という全員お揃いの挨拶だけがはっきり聴こえてくる。今回はミュージカルであり(演奏するのも高校生たちだ)、どうしても台詞が聴こえづらくなる。
全員が登校し終えると、授業が始まる。授業の風景を描くために用いられるのは「シアターゲーム」だ。シアターゲームというのは、演劇のワークショップでよく行われるちょっとした遊び(でありながら演劇に必要な何かを浮き彫りにもするもの)である。一つのシアターゲームを、一コマの授業に見立てて舞台は進行する。マームのワークショップでよく採用されている「名前鬼」や「椅子取りゲーム」もある。あるいは、昨年の滞在制作でイタリアの皆に教えてもらったゲームも採用されている。
学校の時間は、90分の上演時間のうち半分くらいは占めていたと思う。僕にはどうしても、この時間が「かけがえのないものだ」と思えなかった。観劇中、何度も知人に言われた「人の気持ちがわからんのじゃ」という言葉を思い出していた。
何ともない、日々の、あの子たちの、タイムライン――そのことを描きたいというのはよくわかる。藤田貴大という演出家が福島の子たちと作品を作るのはこれが二度目だ。前回は2012年1月、いわき総合高校の子たちと一緒に上演された作品だ(いわき総合高校ではその後、飴屋法水、危口統之といった作家たちが子どもたちと作品を発表してもいる)。二度目の今、2016年の今、どんなふうに福島の子たちと関わり、何を舞台上で語らせるのか――そこにはかなり繊細な手つきが感じられる。
子どもたちがシアターゲームに興じる姿。失敗して「あー」と声を漏らし、「はいはい、もう一回」とやり直す姿。もしこの場に、ワークショップの見学として訪れていたら、多少なりともかけがえのなさを感じていたかもしれない。しかし、いかに無料とはいえ、いかに当日パンフレットには「ふくしまの中高生によるミュージカル創作プロジェクト」と書かれているだけで「作品」とは書かれていないとはいえ、これは「作品」であるはずだ。その上演に足を運んで居合わせる。その意味がどれだけあるのだろうと思ってしまったのだ。
もちろん、子どもたちがそこにいる姿は、それだけでかけがえがないものだろう。ただ、それだけでは作品と言えないだろう。
先ほども記したように、彼らがワークショップでよく行うのは「朝起きて会場にたどり着くまでの道のり」を再現するというものだ。それは、その場にいる「私たち」の共通点というのは、朝起きて劇場までやってきて、今生きているということだけだという考えに支えられている。これは、出演者だけでなく、観客にも共通することだ。観客も皆、朝起きて、電車や車や徒歩で移動して、この福島文化センターまでやってきた。その道中にも、たくさんのかけがえのないはずの風景が広がっている。そのかけがえのなさと、作品を観て感じるかけがえのなさは、やはり違うものなのではないか。もちろん、今回の上演に対しても様々な手が加えられているのだろうが、それでも僕にはかけがえのなさを感じることができなかった。
この日僕は、観劇前に高橋源一郎によるツイートを目にしていた。そこでは、今回の作品に「『震災』も『原発』も『津波』も出てこ」ず、「ただ彼らの日常がこれ以上はないほど繊細に、愛おしく描かれてい」て、「涙が溢れて止まらず」という感想が記されていた。このツイートは観劇前に目にしていたが、それらが描かれていないということに触れる必要があるのは一体何故だろう。もちろん、子どもたちがそうした話と結びつけられて語られすぎたということはあるだろう。でも、そこで感動するというのは、僕は欺瞞でしかないと思っている。それらが「出てこない」ということをことさら取り上げて語る必要がどこにあるのだろう。
そこにある、何ともない日常こそがかけがえのないものだ――それは、作品を観なければ気づけないことなのだろうか? 気づけないはずはないだろうと僕は思う。あの作品に感動するのだとすれば、バスでたまたま隣に座った乗客や、駅のホームで笑いあう女の子、電車で氷結を飲んでいるおじさんにだってかけがえのなさを感じなければおかしいのではないか。それを、あの作品を観るまで気づかなかったというのであれば感動するのもわかるが、それはあまりにも鈍感なのではないか。
開演前にトイレに立った際、廊下の向こうに、出演前の子どもたちがそわそわした様子で立っているのがちらりと見えた。その姿はとても印象に残っている。そうしたかけがえのなさを人に伝えるのであれば、上演よりもドキュメントのほうが強いのではないかと思ってしまうところもある。この作品を作るにあたっては、10ヶ月もの時間が注がれている。そこでどんな話が交わされたのか、こどもたちとどんな朝を過ごしたのか、その一粒一粒のほうに、かけがえのなさを感じてしまう。
わからない。こんなことを書いたところで、結局のところ「自分には刺さらなかった」というだけの話であるのかもしれない。以前、危口さんがこんなことをつぶやいていたことがある。
しかし「ささる」という表現はなんなんだろうか。そのあと抜くのだろうか。化膿するまで放っておくのだろうか。俺の左手の手のひらには三歳の頃に有刺鉄線に刺した時の錆がそのまま残っているが。
「ささる」という言葉を頻繁に用いる僕は、それに対してリプライをした。すると、危口さんはこう返事をくれた。
@hstm1982 「ささる」に対して「受け止める」、また「沁みる」に対して「ひたる」などがあり、発信側と鑑賞側どちらに力点を置くかの違いをみることができますね
その意味で言えば、僕は永遠に鑑賞者であるのかもしれない。それは消費者と言い換えられてしまうのかもしれないが、今の僕はただ観て感じることしかできない。こんなことまで書いて、どうしようというのだろう。たとえ「ささらなかった」としても、黙っていればいいだけの話だ。どうして「ささった」というとき以上に書き連ねてしまうのだろう。でも、これだけの才能が結集して、10ヶ月の時間を注いだのだから、「これを観ているあいだに死んでもいい」と思えるほどのものが観たかった。
もう一つ、終盤に死ぬほど腹立たしいことがあったので、蛇足ではあるが書き記しておく。舞台には大抵、遅れ客を案内するための座席が用意されている。開演時刻に遅れてやってきた客を通すためのスペースだ。そうした席は入り口のすぐそばに用意されていて、会場中は布などで覆われていることが多い。今回の劇場でもそうだった。開演直前になってその布が外されたのだが、さっきまで受付に立っていたスタッフなど、ネームプレートを提げたスタッフが数人、その席にサッと座った。他にもまだ空いている席は残っていたのに、だ。
結果として、遅れ客は遅れ客用のスペースに入りきらず、最上段寄りの場所に案内されていた。作品も終盤に差し掛かったあたりで、しゃがみもせず、誘導灯を手にしたスタッフが階段を上がってくる。それをどうして「邪魔になるかも」と思わないのだろう。終演後のカーテンコールでは、その階段をカメラマンが駆け上がってきて写真を撮影していた。どうして「そこに立って撮ると観客の視界を遮るかもしれない」という発想に至らないのだろう。
終演後は歩いて駅前まで引き返した。今日の昼過ぎに、友人のUさんから「今、福島を歩いてませんでした?」とメールをもらっていた。Uさんは昼の回を観ていたのだという。連絡を取ってみると、まだ福島駅近くにいるというので、一緒に飲みに出かけることにする。糖質制限の身ではあるが、久しぶりにUさんと飲めるという日に糖質云々と考えるのも勿体ない気がして、途中からは榮川を飲んでいた。