7時半に起きてジョギングに出る。ゆで玉子(2個)食べたのち、『S!』誌の構成に取り掛かる。昼過ぎに完成させて送信。15時、日吉駅へ。Kさんが癌を患っていて、治療に専念するために倉敷に帰る。そう連絡があったのは昨日の夕方のことだ。明日にはもう帰ってしまうというから、引っ越し作業をしている今日のうちに皆で会いに行くことになったのだ。改札の前で待ち合わせをしているあいだにアサヒスーパードライを2本購入し、それを鞄に忍ばせてタクシーに乗り込んだ。道路は混んでいた。車道にまではみ出して高校生が下校している。

 Kさんの家は一度訪れたことがある。たしか荷物を運ぶのを手伝って、すき家で牛丼をご馳走になったはずだ。あのとき食べたねぎ玉牛丼が大変うまく、あれ以降すき家で食事をするとついねぎ玉牛丼を頼んでしまう。「こっそり帰るつもりだったんですかね?」一緒にタクシーに乗っていた人が口を開く。こっちでKさんに会えるのは今日が最後だと言うので駆けつけたけれど、僕は直接連絡をもらったわけではなく、連絡を受けた知人にくっついてやってきた立場だ。僕も来てよかったのだろうか、迷惑ではないだろうかと少し緊張する。

 アパートの前にはクロネコヤマトのトラックが停まっていた。荷物が次々と運び出されている。Kさんはソファに腰掛けていた。朝からいるのだというSさんとGさんも一緒にソファに座っている。明治屋で買ってきた差し入れを知人がテーブルに並べると、キッチンにいた女性が「あらまあ」と喜んでくれる。Kさんの叔母さんだ。知人が買ってきたのはおいなりさんと玉子焼き、それに豆腐だ。お茶っぱを探す叔母さんに、「賞味期限は切れとるけど、構やせん」とKさんが声をかける。声の細さに驚く。

 キッチンにあった茶葉はプーアル茶だったようだ。叔母さんが缶ごと運んできて、「色が出ればいいけど、香りがないとね」と差し出す。Sさんは蓋を開けて匂いを嗅ぎ、「プーアル茶でこんなに香りがないのはね」と差し出すと、Kさんは一つ摘んで齧った。お茶は結局飲まなかった。ほどなくしてもう1台のタクシーも到着した。部屋に入るなり、Fさんは「お正月みたい」と口にした。

 「何でお正月っぽいんだろう?」
 「机にみかんがあるから?」
 「いや、皆が集まってるからじゃない?」

 部屋には10人以上集まっていた。他にも引越しを手伝いにきている人たちがいて、次々と荷物が運び出されている。Kさんはルームシェアをしているらしく、一人暮らしだと全部空にしないといけなくて大変だけど、その必要がないのがありがたいとKさんは言う。顔を上げて部屋を眺めてみる。時計がかかっていたのであろう場所には痕が残っている。そこだけが真っ白で、その周りは黄色くなっている。煙草を吸っているとこんなに黄色くなるのかと妙に感心してしまった。

 「もふさん、先日メールを送った通り、私には時間が限られておるので」。部屋に入ってほどなくして、Kさんはそう切り出した。その唐突さが、時間が限られているということを強く感じさせる。しばらく前に、Kさんからメールが届いていた。正確には僕宛てではなく、僕はCCとして追加されていたメールだ。それは今年の夏に開催された、Kさんも登壇したトークイベントに関するメールだった。僕はそのトークの文字起こしと構成を買って出て、夏のうちに構成を終えていたのだけれども、そのテキストはまだ公開されていなかったのだ。

 Kさんから送られてきたメールには、「なるべく早めに、せめて年内には公開すべきじゃないか」と書かれていた。たしかに早く公開されるに越したことはないけれど、「なぜこのタイミングなのだろう?」と少し不思議に思っていた。昨日、知人からKさんが癌だという知らせが入ったときになってようやく、そういうことだったのかと腑に落ちた。「あのトークイベントで語られていたことも有限性の問題でしたよね」と僕が話を向けると、「そう、何でも有限だからさ」とKさんは言う。

 Kさんが話を終えると、部屋は静かになる。そんなことが何度か繰り返されたあとで、Kさんはたまらず「俺が常にしゃべってないと場が持たない状態になるのは、心理的には負担にならないが、肉体的には負担だから、俺がしゃべってなくても平気な空気を作ることが……」と語る。その言い回しがいかにもKさんらしくて少し笑ってしまう。

 「ああごめん、私は全然静かでも平気なんだけどね」。Sさんはそう笑うと、鼻歌を歌い始める。それは『逃げるは恥だが役に立つ』のエンディングテーマだ。「星野源って、歌ってるときのほうが圧倒的にいい男なんだけど」とSさんが語ると、「でも、私は星野源には屈しない」と知人が反論する。「私はまだ星野源を認められない。あの癖のなさ。なんかA4のコピー用紙みたいじゃん。どのファイルにでも合うし、刷りやすくて安くて高品質、そのオールマイティーさに屈したくない」と。面白がって聞いていたKさんはオイディプス王の話をした。運命に裏切られて、父を殺し、母を犯す――男は皆、オイディプス王になるおそれを抱いている。でも、星野源にはその可能性が限りなくゼロで、男からするとうらやましいと同時に「生きていて楽しいのか」と思ってしまうし、女性からしても「生き物としてどうなんだ」と思ってしまう、と。最後に「今、口からでまかせ言ってるけど」とKさんは付け加える。

 知人はそれからしばらく星野源の話をあれこれ語っていた。今までそんなふうに考えてみたことはなかったけれど、知人のこういう性質は貴重だ。そうして話してくれているおかげで場が持つし、何となく皆が話題に加わっている。ふいにKさんが立ち上がる。用を足しに行ったのかと思っていると、「干すの忘れてた」と言いながら洗濯物を手に戻ってくる。声は細くなっているけれど、こうしているとKさんが病気であることを忘れそうになる。

 部屋からKさんがいなくなったところで、僕はこっそりビールを開けた。部屋に入ってみると、ビールを持ち出せる雰囲気でもなかったのだけれど、こうして話しながら酒を飲んでおきたかった。どうしても飲みたかった。ぷしゅっと音が鳴る。隣にいた知人が振り返り、「ぷしゅっじゃないよ」と注意する。Sさんは「飲めばいいよ。私は昨日の夜に散々飲んだから」と言っていた。

「民間療法みたいなやつで、癌が治りましたとか言ってる人いるじゃん。あんなふうにケロッと治んないかな」。誰かがつぶやくように言った。「2年前に姉を亡くしてるんだけど、そういうのでは医療大麻しかないと思う」とSさんが言う。「日本ではできないんだけど、効果があるってことでアメリカでは承認されてるんだよね。でも、K君は倉敷が大好きだから。そうじゃなかったらすぐにアメリカに行けって言うんだけどね」。そう言い終えると、Sさんは煙草を吸いに部屋を出た。「煙草はほどほどにね」と言う叔母さんの言葉が妙に印象に残る。

 イタリア在住のRさんとスカイプで中継を繋いだこと、ある人が骨折したときのエピソード、Sさんが生姜湯を作る姿、印象的なことを書き出せばきりがない。人数が多いとぎゅうぎゅうしてゆったり過ごせないだろうから、途中から僕はキッチンに立って遠くから眺めていた。するとKさんが唐突に「前も言ったことあるけど、やっぱりもふさんは野坂昭如に似てる」と言い出す。昭和の俳優に似てると言われることはあるけれど、野坂昭如に似ていると言うのはKさんだけだ。Kさんはパソコンを手に立ち上がり、検索した画像を知人に見せている。しばらくしてまたソファに戻ると、ノートとペンを取り出し、おもむろにスケッチを始めていた。

 夜になってからやってくる人もいるというので、僕は90分ほど経ったところでおいとますることにした。Kさんと会うのは今日が最後になる人もいるだろう。僕はきっとまた会うことができるから、場所を譲ろうと思った。僕は国内外を問わずあちこち出かけることが多く、その気になればどこにでも行けるし、誰とだって会える。昔であれば「今生の別れ」というものがあっただろうけれど、今はそんなことはないはずだ。そんなふうに心のどこかで思っていた。僕はこれまで、身近な存在だった誰かと会えなくなるということをまだ経験したことがない。でも、そういうことは起こりうるのだと、Kさんと、僕の祖母とが癌を患ったことで初めて実感したような気がする。

「じゃあまた、年末に帰省するときに遊びに行きます」と伝えて部屋を出る。外は真っ暗になっていた。セブンイレブンアサヒスーパードライを2本買って、それを飲みながら駅まで歩いた。Kさんはいつもこんな風景を眺めて過ごしていたのだな。インスタグラムを開いてみると、Kさんが描いた僕の絵がアップされている。誰かに描かれるのは人生で3度目だ。急ぎの用事もないのだから、各駅停車に揺られながらのんびり帰る。18時過ぎに渋谷に着いて、「トップ」でホットコーヒーを飲んだ。看板に書かれたEL SALVADORという文字を、店員が何度もなぞっていた。19時半から、渋谷のある場所でイベントに参加した。それなりに楽しみにしていたはずなのだけれども、日記を書いている今振り返ると、あまり印象に残っていない。

 22時半、新宿3丁目の「日本再生酒場」で知人と待ち合わせた。昨日と同じく、今日もどこかで酒を飲んでから帰りたかった。電車に乗ってるときとかに過去のK名場面集がフラッシュバックする――チューハイを飲みながら、知人はそんなことを言う。Kさんの部屋を訪れたときにも感じたことだけれども、僕より知人(が所属するカンパニーの人たち)のほうがKさんとの付き合いは長い。駅で待ち合わせたときも、Fさんが言っていたのは「昨日は全然仕事にならなかった」ということだ。あるいは、昨晩のうちに挨拶に行ったAさんが帰り道で号泣してしまい、白バイに捕まって「泣きながら運転するな!」と怒られたという話も聞いた。あるいは、Kさんが主宰していた団体の人たちが淡々と部屋を片づけていたことを思い出す。僕自身はKさんと特別親しかったと言える立場でもないけれど、あの場にいた人たちの――一緒に遊び、一緒に何かを作ってきた人たちの――心境に思いを巡らせてしまう。そんなことを話すと、知人は「そうなんよ。やっぱり、Kは友達なんよ」と言った。

 1時間ほど酒を飲んでいるあいだに、知人は3度涙を流した。「また名場面集が襲ってきた。Aにいいように呼ばれて、単管組んだりしよるKが」。そう言っておしぼりで目頭をおさえた。何でKなんだよ。そう言ってぼろぼろ泣いている知人を前にすると、誰だったらいいんだよと返すことしかできなかった。僕は涙が出なかった。それよりも、Kさんに聞いておきたいことがいくつか残っている。それをどうすれば聞けるだろうかということばかり考えてしまう。普段から写真を撮ってみたりしているけれど、名場面集を思い出して泣いている知人を前にしてみると、僕は像というものにあまり感心がないような気がしてくる。それはでも、相手がKさんだからかもしれない。Kさんが語る言葉は、話し言葉というより活字という質感がある(トークイベントを構成してみたときにも同じ印象を抱いた。語っている言葉が、印刷された文字みたいなのだ)。彼が残した言葉というものはずっと残り続ける。その言葉とどう付き合っていくのかということを考えてしまう。そのためにも、聞けるうちに聞いておかなければならないことがある。

 日付が変わる頃になってアパートに帰った。僕は何気なく「また逢う日まで」をかけた。最近借りてきた昭和歌謡のコンピレーション盤に入っていた曲なのだけれども、「何でよりによってそれを流すのか」と知人はまた泣き始める。「また逢う日まで」というのは、Kさんの演目の最後に流れる曲だった。その演目をつい1ヶ月半ほど前に観たばかりだというのに、すっかり失念していた。その曲を一度聴き、歌詞カードを観ながらもう一度聴いてから布団にもぐった。