4月9日

 6時半に目を覚ます。つけっぱなしのテレビの中に、玉城デニー沖縄県知事が紫のマスク姿で映し出されている。今朝の琉球新報の一面トップにも大きな文字で「来県自粛 全国に要請」と書かれている。この1週間のあいだで、しばらく沖縄に足を運ぶのは無理だろうとあきらめていたけれど、こうして大々的に報じられると、ほんとうに行けなくなったのだなと感じる。紙面――といっても電子版で読んでいるのだけれども――をめくっていくと、「先生また来てね 教え子ら見送る/本部・水納小中『離岸式』」の見出しを見つけた。生徒の減少で休校となり、島を離れることになった先生たちを「児童や島民、観光客ら」を見送ったのだという。それは3月30日の出来事。ゴールデンウィークを前に、その小中学校でワークショップを行ってからもう5年が経つのか。

 新聞を読み終えると、念入りに掃除機をかける。少し前からトイレに赤カビが生え始めていたけれど、トイレはなんとなく知人が掃除する場所だという振り分けに(僕の中では)なっていて、しばらく放置していた。でも、トイレにも掃除機をかけたついでに、洗い落とす。あとになって起きてきた知人を「カビが生えてきよるの、気づいとったやろ」と問い詰めると、「気づいとったけど、まだ粘れるなと思って」という。

 シャワーを浴びて、4月に入ってから伸びっぱなしになっていた髭を剃る。取材の予定も消えたことだから、その証に伸ばしておこうかと思っていたのだが、ふと気になって「髭 衛生」で検索してみると、やはり「髭は雑菌だらけ」という記事がいくつも出てくる。なんとなくホコリやら花粉やらウィルスやらを付着させてしまいそうだなと思っていたけれど、「髭が生えていると触ってしまうので、雑菌の温床となる」とある。なるほど、言われてみればやたらと触っている! 納得したので、すべて剃り落とす。

 コーヒーを淹れて、たまごかけごはん。昼、近くの八百屋に出かけるもオクラがなく、納豆豆腐そばを食す。オクラが抜けると、途端にまめまめしくなる。今は天気がよいけれど、夕方から下り坂となり、夜には雨が降るという。それを考えると憂鬱になる。仕事が溜まっているらしく、知人は帰りが遅くなるという。夜の過ごし方といえば、酒場に繰り出すか、知人とテレビを眺めながら晩酌するか、だ。酒場がやっていなくとも、天気がよければ缶ビール片手に徘徊することだってできるけれど、今日は雨だ。こんな日がずっと続くのか。気分が塞ぐのでカーテンを全開にする。シャボン玉がひとつだけ飛んでゆく。昨日もひとつだけ飛んでゆくのを見た。

 仕事はあまり捗らなかったけれど、テープ起こしだけはなんとかやり終える。夕方、ソファに転がって家風の随筆を拾い読んだ。そうこうするうちに18時だ。どうしよう。雨が降り始めているけれど、散歩にでも出ようか。でも、雨の日に散歩に出るのもなあ。やっぱり外出はあきらめて、今更ながら確定申告の準備にとりかかる。去年稼いだ額を知り、経費を計算して、所得を割り出す。取材しなければ仕事にならないぶん、交通費と宿泊費がどうしても大きくなる。だから経費を差し引くと、残るのは少ない額になる。そうすると税額は安くなって助かるけれど、それはつまり、「稼げていない」ということでもある。

 『new every.』では、今日の東京都の感染者が180人を超えたと報じられている。緊急事態宣言を受け、閑散とした渋谷の街が何度か映し出される。コロナに関するニュースを報じるたび、藤井キャスターが「今日の感染者というのは、およそ2週間前の行動によるものだと言われています、2週間後にこの数字を変えられるように、今は行動しましょう」といったニュアンスのコメントを述べる。言い換えればそれは、未来はわたしたちの手の中にあるのだということになる。ニュースキャスターとしては異質にも感じられるその言葉の手触りが、妙に印象に残る。

 気づけば19時過ぎだ。セブンイレブンに出かけ、封筒とビールを買い求める。セブンイレブンの向かいにあるマンションのベランダに、小さなこどもの姿がある。この街に暮らすようになって2年半が経つけれど、そこに誰かが立っているのを初めて目にした。こどもはシャボン玉を飛ばしていた。君やったんやな。セブンイレブンまでは歩いて60秒くらいの距離だ。この距離を飛んできたというのは、しかもそれを偶然目にするというのは、なかなかの確率だ。アパートに戻ると、仕分けた領収書を封筒に分けて仕舞い込んで、保管しておく。餃子を焼き、原田郁子『銀河』を聴きながら、『cocoon』を読み返す。