7月5日

 5時過ぎに目を覚ます。長屋に泊まっているという緊張感と、今日のお昼に向けて楽しみと緊張とが入り混じっているせいか、夜中に何度も目を覚ました。自分のいびきが周りの迷惑になっているという夢と、今日のお昼に山を歩きながらしょうもない話をしてしまうのではないかという不安とが、そのまま夢に反映されていた。いびきについては、多少は実際に迷惑となっていた可能性はある。7時過ぎ、散策に出る。踏み切り前にしゃがみこんでいる人の姿がある。しばらく散策して帰ってきても、まだその人の姿があり、電車を写真に収めようとしているのだと気づく。海辺の道にもカメラを構える人をふたり見かけた。

 シャワーを浴びて、さて、今日はどんな格好で出かけよう。ビーチサンダルで出かけると、山を舐めていると思われるだろうか。あれこれ考えて、取材に備えてスーツケースに入れておいたスニーカーに長ズボン、半袖のTシャツという出で立ちで長屋を出発する。11時58分、山陽電鉄須磨浦公園駅に出て、H.Kさんと待ち合わせ。さっそく山道に向かって歩き出しながら、ジョギング用のシューズがスーツケースの中にあるのだから、それでくればよかったのだと気づく。これから歩くルートは、あっという間に山頂にたどり着けるようだ。駅からすぐに登山道になっていて、梅雨時期だからかあちこちにキノコが生えている。すぐに息が切れる。やっぱり自分は体力がないのかと不安になりながら登ってゆくと、少し開けた場所でHさんが立ち止まり、「あーしんど」と漏らしたのでほっとする。

 Hさんはここを毎日登っていた時期があるという。摩耶山のほうがゆるやかだから、気軽にハイキングという登山客にはそちらのほうが人気だけど、こちらは駅からすぐに山道が始まり、傾斜がキツイけれどあっという間に山上にたどり着けるから、トレーニングにはこちらのほうが向いているのだ、と。「橋本さんも、こっち住んでたら毎日登るでしょ」と言われ、しばし考える。これまでぼくは、体を鍛えるために山に登るということを考えたことがなかった。山登りということが発想に浮かばなかったから――というより、気軽にアクセスできる場所に山がなかったから――だろう。ぼくの実家の裏にも山があるけれど、そこはたまに石仏めぐりの高齢者が通る程度で、ぼくはその山に一度も登ってみたことがなかった。昔は皆、その山で柴刈りをしていたはずだけれども、ぼくが生まれた頃にはもう、地元の人でもほとんどその山に立ち入ることはなくなっていた。この場所のように、人が行き交う山と、そうでない山の差は何によって生まれるのだろう。都市か否か、という差だろうか。

 登山道にはずっと石段が積み上げられている。この石段はいつ造られたのだろう。誰かがここまで石を運んできたのかと思うと、途方もないなと思う。そうして石段が造られるよりまえに、ここがまだ獣道だったころから、「山に登ろう」と思い立った誰かがいて、そこが道となって石段が造られる――そこまで広げてしまうともう、想像することさえおぼつかなくなるけれど、Hさんが毎日のようにここを歩いていた時間があるのだなと思いながら石段をあがる。登山道が合流するところにたどり着くと、ちょっと寄り道、とHさんは道を逸れてゆく。しばらく進んでいくと、下ってゆく道に木漏れ日が射し込んで、その向こうに海と空とが見渡せる場所にたどり着き、ここが絶景ポイント、とHさんが教えてくれた。ここがええかも、という石段に座らせてもらって、しばらく風景を眺める。ぼくにはこんなふうに案内できる風景があるだろうか。単なる絶景ならどこにでもあるけれど、日々の生活の中で「お、絶景」と気づく――そういう生活の中にある美しさを、ぼくはどこに見出しているだろう。

 よいしょ、よいしょと小さくつぶやきながら進んでゆくと、30分ちょっとで開けた場所に出た。そこには展望台があり、正面には樹々と海と空だけが見えた。こうして展望すると、なるほどかなりの傾斜だ。右手には明石大橋が、左手には須磨の海と、その向こうに神戸の街並みが見渡せる。Hさんはリュックから日本酒の五合瓶を取り出し、好きなだけどうぞ、と差し出してくれる。ありがたく頂戴し、日本酒をちびりと舐めながら風景を眺める。何日か前までは雨の予報だったのに、すっかり晴れている。しかし、だからといって暑いわけでもなく、風が心地よく、ずっと風景を眺めていたくなる。長屋を借りてみたらとHさんに提案され、もしも本当に住むことがあるとすれば、天気が良い日は毎日ここにきてしまうだろうなと想像する。船がゆっくり、ゆっくり横切ってゆく。その風景をぼんやり眺めているだけで、きっと一日過ごせてしまうだろう。でも、そうなってしまうと、何も書けることがなくなってしまいそうで不安だ。

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 がたがたと音が響いている。ベンチに腰掛けてみると、音だけでなく振動も伝わってくる。この展望台の下から、カーレーターが走っているらしかった。『ごろごろ、神戸。』を読んでからというもの、いつか乗ってみたいと思っていた乗り物だ。カーレーターとは、「カー」(車)と、エスカレーターの「レーター」をかけあわせた造語だという。看板には「坂を雨風の心配なく座ったまま上る施設「動く登山道」として昭和41年3月18日に営業を開始」したのだと書かれている。ここまでのルートを、ぼくたちは歩いて登ってきたけれど、ここまでのルートにはロープウェイもあり、歩かなくても山頂までたどり着ける仕組みになっている。山頂まで一気にロープウェイを通すのではなく、そこから山の上までのわずかなコースにもカーレーターという乗り物を別個設けてあるところに、時代を感じる。レジャーの時代。カーレーターは、展望台で振動を感じていたときから何となく想像はついていたけれど、文字面から想像したよりもずっと激しい乗り物だった。激しいといっても、ジェットコースターのようになっているわけではなく、屋根で覆われたルートをゴンドラのように運ばれていくだけなのだが、「はい、乗って!」と急かされるように乗り込んで(なかなか小さい乗り物だから、うまく乗れるだろうかと不安になる)、座ってみるとかなりの振動があり、2分ほどで坂の上にたどり着くと、えいやっと降りる。ただそれだけなのに楽しかったのはなぜだろう。

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 カーレーターを降りた先には須磨浦展望閣があった。3月に須磨の海岸を歩いたときにも、昨日の夕方に塩屋を散策したときにもここが見えていた。1階は封鎖されていたけれど、ジュークボックスだけが入り口のところに設置されていて、音楽が聴けるようになっていた。Hさんが入れてくれた100円で、アリスの「チャンピオン」を再生し、黙ったまま最後まで聴ききる。3階の回転展望室は営業していたので、そこから風景を眺める。持ち込み禁止とあちこちに貼り紙が出ているのと、重い日本酒を運んできてもらったせめてものお礼にと、売店でビールを2缶買って、席に座って飲んだ。座ってみると、想像したよりも回転のスピードが早く感じる。回転するたびに微妙な振動がある。最初は正面に明石大橋が見えていた。展望台は時計まわりに回転してゆく。高速道路だろうか、ゆるやかな曲線を描く道路のあたりを境に、かなりのどかな風景が広がっている。あのあたりを境に、風景が全然変わるんですねと感想を漏らすと、くにざかい、くにざかいとHさんが教えてくれる。しばらく座っているうちに、地動説のように自分たちがまわっているのに、風景のほうが天動説のように動いているかのような錯覚に陥る。

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 ほとんど一回転したところで展望台をあとにし、須磨浦観光リフトに乗り込んだ。リフトに「とびおりダメ」という文字があり、その文字を目にして急激に怖くなる。小さい頃、親に勧められるままにスキー合宿に参加したときのことを思い出す。スキーもどちらかと言えば苦手だったけれど、それ以上にリフトが苦手だった。うまくタイミングを合わせて乗り込まなければならず、乗り込んだあとは「ここから落ちたら」という恐怖に怯えていた。あの、流れに乗らなければならない(そしてそれに失敗すると機械に押し潰されてしまうのでは)という恐怖心がよみがえりつつも、なんとかリフトに乗り込んだ。乗ってしまえば、大人になった今ではほとんど恐怖を感じることはなかった。リフトの支柱には「昭和三十四年七月/山陽電気鉄道株式会社」と書かれていた。途中で「せっつのくに|はりまのくに」という文字があり、リフトはくにざかいを越えて、「せっつリフトのりば」から「はりまリフトのりば」たどり着く。

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 こうして観光リフトで渡った先に、ハマナス園があり、サイクルモノレールがあり、藤棚があり、チビッコ広場があり、ふんすいランドがあった。この、ふんすいランドのすみっこに座り込んで、Hさんが買ってきてくれた“のりまき”をツマミに、日本酒を飲んだ。すぐ目の前にパラボラアンテナのような形をした遊具がある。向かい合うようにもう一台のパラボラアンテナがあり、パラボナが音を伝播させるので、小声で話しても向こう側に声が届く――そんな遊具だ。ちびっこがそこに駆け寄ってきて、話している声がこちらにまで伝わってくる。「パプリカ」の替え歌で、コロナでみんな死ぬ、と小さなこどもが歌っている。この子たちはきっと、この状況をはじめての社会的な記憶として思い出すのだろう。「まもなく噴水が上がります、水しぶきにご注意ください」とアナウンスが流れる。しばらく経ってから、噴水が上がり始める。ごく控えめに、噴水があがりだす。ふんすいランドにはちらほら家族連れの姿があった。最初のうちははしゃいでいたこどもたちも、次第に飽きてしまって、ひと組、またひと組と去ってゆく。ほとんど誰もいなくなったところで、噴水は大きく噴き上がった。

 ほとんど貸し切りのようにして、Hさんとふたり、ふんすいランドで過ごす。なんと贅沢な空間だろう。こんなふうに座り込んで日本酒を飲んでいても、誰からも注意されることなく過ごせる場所なんて、東京だとどこにあるだろう。こんな空間が残っていたとしたら、再開発の手が伸びそうな気がする(としまえんのことを少し思い出す)。こんな場所にあるから、再開発の手が伸びづらいのでは、とHさんは言っていた。たしかに、ここにアクセスするためには、ロープウェイ・カーレーター・リフトと、3つの乗り物を乗り継がなければならない。このふんすいランドを再開発するにしても、ここに至る道路はないのだから、機材を運び込むだけでも大変だろう。そもそも、このふんすいランドの建設工事、どうやって進めたのだろう。ただ山だった場所に、こうしていくつも乗り物を繋ぎ、遊園地を立ち上げる――そんな想像力を働かせた誰かがいたのだということに、ちょっと信じられないような気持ちになる。ここを開発するにはきっと、相当のお金がかかっただろう。そして、お金をかけても「客がやってくる」という勝算があったから開発に乗り出し、ある時期までは賑わっていたから、今でもこの場所が残っているのだろう。ある時代の遺産を今、こうして贅沢に味わっている。今の時代から、未来のいつかに向けて、こんな空間を残すのはもう無理だろう。

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 ぽっかりした場所に迷い込んだような感覚にとらわれながら、日本酒をちびちび飲んで、Hさんと話をした。書くことについて、ぽつり、ぽつりと話すことができて嬉しかった。この場所にくるまでのあいだに、「住みたくなったでしょ」と言われたことを思い出していると、園内に蛍の光が流れ出す。さっきまで晴れていたのに、霧がかってきて、天気が崩れそうだった。お互いコケんように気をつけて、と山道を下り、塩屋に出る。旧グッゲンハイム邸でスーツケースを取り出し、ちょうど庭にいたEさんも一緒に塩屋駅まで歩く。電車を待つあいだに沖縄のお土産を渡し、途中の駅でHさんと別れ、大阪を目指す。なんとか雨に降られる前にホテルにたどり着き、20時、楽しみにしていたライブ配信を観始める。生でライブを観ているときに感じる、あの刺すような感覚は得られなかった。バンドに馴染みのあるスタジオからの配信なのだから、「ライブ」ではなく、スタジオでの「セッション」という気楽さの配信にすればよかったのに。途中で観るのをやめてしまう。まあでも、今日は楽しい一日だったなと振り返りながら、ビールを2缶飲んで眠りにつく。