3月14日

 6時に目を覚ます。ずいぶん肌寒く感じる。雨が降っている。セブンイレブンに出かけ、なんだったかチーズがトッピングされて焦がしてあるパンと、R-1と、ホットコーヒーを買ってくる。宿でメールを返し、テープ起こしを進める。今日のどこかの時間帯にと取材をお願いしていたOさんに電話をかけると、13時半に、という話にまとまる。昼、赤いきつねの特盛とじゅーしーおにぎり。テレビでは「Aランチ」という番組が放送されている。100回目の放送を記念して、ズバリAランチ特集を組んでおり、『月刊ドライブイン』で取材させてもらった「ドライブインレストランハワイ」も映る。

 13時15分に宿を出て、開南からバスに乗り、13時31分にOさんの自宅兼仕事場にたどり着く。少し離れたところからも、軒先にOさんが立っておられるのが見えたので、久しぶりに全力で走る。ちょっと私が内装をやっている現場を使わせてもらえることになったから、そこに行こうね。そう言ってOさんの運転する軽自動車に乗せてもらって、たどり着いたのは僕の宿から歩いて10数秒の場所だった。何か飲み物をご馳走しますよとOさんが言うので、いやいやいやいや、僕が払いますと自動販売機の前で言い合う。取材させてもらうのに、僕がご馳走になるわけにはと伝えると、そうかね、じゃあ、私はこれと、一番安いミネラルウォーターをOさんは選んだ。

 1時間近く、話を聞かせてもらう。Oさんに最初に取材を依頼したのは11月のことだ。だが、わたしはそんなに歴史のことはわからないからと断られてしまっていた。でも、その後であらためて手紙を書き、那覇の歴史に語って欲しいのではなく、あくまでこの界隈に携わってこられたOさんご自身のことをお聞きしたいのだと伝えた。Oさんはアーケードのメンテナンスをずっと引き受けてこられた方で、今年1月に始まったアーケードの撤去にも携わっていた。朝早くに、アーケードの撤去の仕事を終えられたOさんにご挨拶して、今は撤去でお忙しいと思うので、それがひと段落された時期にでも聞かせてもらえませんかとお願いしたところ、そうね、これがひと段落したらね、とOさんが言ってくれて、ようやく話を聞かせてもらえたのだった。

 お礼を言って、そのまま界隈をぶらつく。取材させてもらった市場中央通りのお店の前を通りかかると、あるお店の方がゴーグルをつけている。花粉症ですかと尋ねてみると、いやいや、向かいから粉塵が飛んでくるから、と教えてくれた。真向かいで公設市場の解体工事をやっているから、風が吹くと防塵壁を越えて粉塵が飛んできて、家に帰ってみると目やににセメントが混じっているのだという。こっちだとね、意外なところにコロナの影響が出ているんですよ。お店の方はそう前置きして、こんな話を聞かせてくれた。泉崎にあるいくつかのホテルは、ランチビュッフェを行っている。そこを普段利用するのはお年寄りで、模合の場として賑わっているのだという。でも、この騒動で学校が休みになり、お年寄りは孫の世話をしなければならなくなって、家から出られなくなり、ランチビュッフェが閑散としているのだ、と。

 界隈をぐるりと歩いたのち、宿に引き返す。午前中からやっていたテープ起こしを勧めて、18時になってようやく完成する。これで追悼文を考える準備は整った。コンビニで紙に出力して、「足立屋」でせんべろセットを注文し、ビールを飲みながら原稿を練る。せんべろセットの3杯のうち、最初の2杯はビール、最後の1杯はホッピーセットにして、あとで中を追加する。19時に「信」に移動して、信さんにご挨拶。お通しに佐賀のようかんを出してくれた。きっと温泉旅行で佐賀に行かれていたのだろう。無観客配信が始まる時間が近づいていたので、今日はビール1杯だけで店をあとにする。帰り際、「新報、読んでますよ」と信さんが言ってくれた。

 コンビニで残波の2合瓶とさきいかを買ってきて、宿のリビングで酒を飲みながら無観客配信を見ながら、原稿のことを考える。いつもだったらリビングには誰かしらいて、あまり「同じ宿に泊まっているのも何かの縁だ!」ということで誰かと言葉を交わすつもりがない僕は、そこで過ごすことは滅多にないのだが、貸し切りなのでゆったり過ごす。配信が始まって1時間29分くらい経ったところで、「友達」問題がたちのぼる。

「君たちも、いつメンっていうなら責任をとってもらわな。こんな時代じゃなければ、指切って、押してるで、自分」。僕も、いつだってそれぐらいの気持ちでいる。だから世間で言う「友達」という言葉にびっくりしてしまうときがある。ただ、そういう気持ちを、自分は口に出して語ることがないので、画面越しに耳にするその言葉の強さに驚く。だが、その言葉が真正面から受け止められることなく、話が流れてゆく。話が再び友達問題に向かい、友達になれるかな、と声がする。「なれますよ」と返事がある。しかし、それに続けて語られた、せっかくだから、もしそれでいいならという返事に、強く反応してしまう。「こんな時代じゃなかったら、抱きしめてんで」という言葉も、「そうっすね、なにもかもコロナのせいですよ」と、やはり流れてゆく。僕だったらここで席を立って帰っただろう。

 最後まで配信を見届けたのち、コンビニで缶ビールを買って「桜坂セントラル」に行ってみる。当然あかりは灯っていなかった。今日はここでライブを観るはずだった。そのためにこのタイミングで航空券を手配していたのだが、ライブは延期になってしまった。変わり続ける那覇の街並みを眺めながら、何度となく「とがる」という曲を聴いてきたけれど、それをここで、ライブで観るはずだったのだ。いつかきっとここで聴けますようにと祈りを込めながら、ビールを飲み干す。今日はもう栄町市場まで歩く元気はないので、どこかで1杯だけと歩いているうちに、「末廣ブルース」のネオンに吸い寄せられる。もう閉店作業が始まっていたけれど、どうぞどうぞという言葉に甘えて、1杯だけみかんサワーをいただく。おでんを片づける様子を眺めていると、よかったら大根とこんにゃくだけでも食べます?と、器に盛ってくださる。何気なくこんにゃくを食べて、ぎょっとする。こんなこんにゃく、食べたことないと思わず顔をあげると、ヒデキさんがにやりと笑い、「美味しいでしょ。八王子から取り寄せたんです」と教えてくれる。