9月7日

 目を覚ますと8時40分で、慌ててスーツケースから礼服を取り出し、クリーニング店へ。9時にお店にたどり着く。「今日要ります?」と店員さんに尋ねられ、はい、と答えると、「それやったら、13時過ぎには仕上がりますんでね、取りに来てくださいね。17時半にはもうおりませんのでね」と言われる。宿に戻り、シャワーを浴びて、歯を磨く。気づけば10分くらい磨いている。10時にホテルをチェックアウト。ケータイを充電せずに眠ってしまったので、ロビーにあるカウンターでケータイを充電しながら、3日に収録したインタビューの構成に取りかかる。

 13時に充電が完了し、新京極の「スタンド」へ。まずは瓶ビールを注文して、きずし、きずしと口の中で練習して、きずしを注文する。だいぶうまいこと発音できるようになってきた。ただ、沖縄のアンアンスーはまだうまく発音できないなと思い出す。最後の「スー」のところが、うまいイントネーションで言えない。ビールを飲み干したところで、樽酒とビフカツを注文し、平らげる。14時過ぎに店を出て、バスで「ホホホ座」。新入荷のお知らせで案内されていた『島根のOL』という本が気になっていたのだが品切れだという。何冊か購入し、京都国立近代美術館に移動して「ドレス・コード」展。マームとジプシーによる展示があるので、観にこなければと思ったのだ。

 その展示は、想像した以上に印象深く、驚かされる。そこには、おそらく“ひび”のメンバーに対していくつかの質問を投げかけ、そこで返ってきた答えを編集し、写真とともに展示されてる。そこで語られていることは、朝と夜にかかわる事柄で、それぞれのルーティンとも言える。その言葉を追いながら、藤田貴大という作家が描くのはいつも朝と夜だなと思う。世の中を動かしているのは昼だけれども、彼はいつも朝と夜を描く。朝と夜の世界というものを、わたしたちは基本的に、目にすることができずにいる。親しい友人であっても、基本的には相手が家を出るまでの時間に触れることはないし、家に帰ったあとの時間に触れることもない。その、ほんとうはみることのできないはずの時間を、藤田貴大はみようとする。彼自身は、ほんとうに多忙を極めていて、自分自身の生活というものは線が薄くなっているのかもしれないけれど、各地でワークショップ公演も重ねている。そうして膨大なサンプリングを重ねたさきに、どんな風景を描くのか、楽しみになる。

 そこに書かれたテキストを手元に追いておくためにも、展覧会の図録を購入し、再びバスで移動する。「フランソア」でお茶をしようかと思ったが満席で、それならばと10分近く歩き、「六曜社」でホットコーヒーとドーナツ。普段はそんなに食べないのに、ここにくるとドーナツが食べたくなる。17時に喫茶店を出て、時間ギリギリにクリーニング店にたどり着き、仕上がったスーツを受け取る。エクセルシオールに入り、仕事を進める。隣に女性の3人組がいて、会話が聴こえてくる。デブの少食ってマジで嫌い、どうやってその見た目になったのかってこっちは想像してるんやから、期待を裏切らんで欲しいわ、何があったんか知らんけど、痩せてるお前に興味はないわ、と散々な言葉を口にしており、思わず凝視する。

 夜、湖西線に乗り、敦賀に出る。この街を訪れるのは2度目で、ホテルにチェックインしたのち、前回も訪れた「まごころ」という居酒屋に入る。カウンターだけの小さなお店で、こんなに旅情にあふれた店もなかなか出会えないだろう。まずは瓶ビールと蛍いかの沖漬けを注文して、メニューを吟味する。ここでおでんの店でもあるので、おでんを注文することにする。大根と豆腐は好きだから決まりとして、あとは何にしよう。迷った挙句、昨日「赤垣屋」で食べられなかったロールキャベツと、おでんとしては珍しい手羽先を頼んだ。とても澄んだ出汁で、上品である。せっかく福井に来たのだからへしこやサバも食べたいけれど、それは前回注文したので、今回は僕の好きな食材であり、あまり東京の酒場では見かけない山芋の唐揚げを注文する。ビールを飲んだあとはぬる燗を飲んだ。気分が良くなって5杯もおかわりしたのだが、会計をお願いすると3300円で、信じられないような気持ちでホテルに帰った。

9月6日

 8時に起きて、昨日コーヒーをこぼしてしまったトートバッグを洗っておく(横浜まで出かけるとき、魔法瓶にコーヒーを入れて出かけていたのだが、蓋が緩んでいたのか少しこぼれていた)。昨日演奏されたなかには「車窓より」といううたがあって、「新幹線から見える/過ぎてく景色好きなんだ」という歌詞があり、本当は青春18きっぷで出かけるつもりでいたけれど、それを耳にした瞬間から「明日は新幹線に乗ろう」と決めていた。なので、ゆっくりと身支度をして、11時過ぎにアパートを出る。

 千代田線で二重橋前に出て、東京駅まで地下通路を歩き、自由席の切符を購入する。シウマイ弁当を買おうと、いつもの売店――山陽新幹線の改札の近く――に行く。レジが3台あり、店員さんはふたりいて、ひとりがレジで対応を、もうひとりは商品を整理しているところだ。会計をしているほうのレジに並んでいると、別のお客さんがやってきて、商品を整理していた店員さんはそのお客さんに対応している。僕の前にいたお客さんはクレジットカードで決済していたので、時間がかかり、僕よりあとにやってきたお客さんのほうが先に会計を済ませ、去ってゆく。店員さんが「お待ちのお客様、こちらのレジにどうぞ」と言ってきたけれど、さっきの客より先に待ってたけどな、という小さな気持ちが消えず、移動せずに順番がやってくるのを待つ。

 無事にE席に座ることができたので、車窓の景色を眺めながらシウマイ弁当を平らげ、缶ビールを2本飲み、RKSP社の原稿に取り掛かる。名古屋に到着する頃には書き上がり、満員の地下鉄に乗り換え、愛知芸術文化センターにたどり着き、あいちトリエンナーレを観る。展示を眺めているあいだ、ほーん、という気持ち。「人間の認識能力はこのように働く」という理論があり、それを「やってみた」という感じのものが多く、ほーん、という気持ちで留まってしまう。それと同時に、やっぱりテレビはすごいメディアだなと思う。言語や文化の翻訳をテーマにしたという映像作品があったのだが、境界線を越えて移動するとき、わたしたちは言語の壁と食べ物の壁を感じ、つまりまずは舌でその摩擦に触れると説明がなされる。そして、自分たちのコミュニティで食べていた料理を作るために、現地の食材で代用し、置き換えると説明がなされるのだが、数年前に放送された『妄想ニホン料理』がそれに近いコンセプトのことをエンターテイメントとして実現させていたことを思うと、テレビはすごいという気持ちになる。

 ほーん、ではなく、ほー!となれた作品もいくつかあるが、気になる作品は展示が中止となっていた。また足を運ぶことはあるだろうか。名護駅まで引き返し、鈍行に乗って京都へ。Suicaで改札を出ようとするとエラーになり、一体何事かと思っていると、名古屋はJR東海で、京都はJR西日本であるので、そのまま出られないのだという。いつまでこんなことが続くのだろう。前にインターネットから新幹線の切符を手配したときも、「この窓口だと発券できません」と言われたことを思い出す。地下鉄で四条に出て、ザ・ポケットホテルにチェックイン。昨年オープンしたばかりの格安ホテルだ。これまで京都で何軒かこういった宿に泊まってきたけれど、どこもチェックインに時間がかかりストレスを感じていたけれど、ここは手続きもスムーズで、エントランスも開放感がある。シャワールームとトイレは共同だけれども、部屋は個室になっている。ベッドが部屋を埋め尽くしており、スーツケースを広げるともう余白なないけれど、寝るだけならこれで十分だ。安く泊まれるといえばドヤ街の簡易宿泊所が古くからあり、そこから70年代に都市生活者の――そしてサラリーマンの――簡易宿泊所としてカプセルホテルが新たに登場したのだろうけれど、一つ前の時代に戻りつつあるのだろうか。ドヤ街の安宿に外国人のバックパッカーがやってくるようになったというところから着想を得ているのかもしれないけれど、今後カプセルホテルはどうなっていくのだろう。

 ケータイを充電しながら、原稿を読み返し、推敲を加え、メールで送信。20時にホテルを出て、缶ビール片手に街を歩く。鴨川沿いはすごい人出で、川べりに腰掛ける人がずうっと連なっており、団体客のように見えてくる。「赤垣屋」をのぞくと、ちょうど席が開いたところで入ることができた。初めて一番奥のカウンターに案内される。瓶ビールとしめさば、それにイワシ煮を注文。お店のお父さんの姿は見えず、前にきたときは若手のひとりという感じだった人がカウンターの中に立っていて、若い店員さんたちに指示を飛ばしている。その、飛ばしているというところに若々しさを感じる。ロールキャベツは品切れになってしまっていたけれど、おでんも何品かつまんで会計を済ませ、「大砲ラーメン」。お腹はほとんど満腹だけれども、京都にきたからには食べておかなければならない。そうやっていつまでも記憶を食べている。

9月5日

 8時過ぎに起きる。明日から数日東京を離れるので、今日のうちにあれこれやっておかなければ。9時半、京都のクリーニング店に電話をかける。当日仕上げを引き受けてもらえるかどうか、確認するためだ。そちらのお店で当日仕上げはされてますかと尋ねると、「ああ、今日の便はもう出てしまいましたわ」と言われる。当日仕上げはやっているが、9時過ぎには工場への便が出てしまうらしかった。僕は今日お願いしたいわけではなく、今度の土曜日にお願いしたいと思っているのだが、何度か話しても「今日いりはるんやったら、もっと早うに持ってきてもらわんと」と繰り返し、「いや、ですから!」と強めに否定してしまう。結局土曜日も当日仕上げのサービスはあるとわかり、電話を切る。きっと「はあ、よその人は嫌やわあ」と話しているのだろうなと想像する。

 今日のうちに散髪をしておきたかったけれど、いつも切ってくれている人は今日予約が埋まっているようなので諦める。知人とLINEでやりとりしていると、コンタクトの液を入れた化粧ポーチを忘れたという。それがないと困るというので、横浜にある劇場まで届けにいく。千代田線と東急東横線を乗り継ぎながら、ひたすらテープ起こしをする。先月末に石垣島で取材したときのテープを起こしているうちに中華街にたどり着く。観光地なのだから当たり前なのだけれども、ぼんやり歩いている人ばかりでカリカリしてしまう。

 到着してポーチを渡し、楽屋でパソコンを充電させてもらいながら、テープ起こしを続ける。今度はRKSP社で始める連載に向けた取材のテープを起こす。カタカタとタイピングしていると、F.Yさんからメッセージが届き、今日の夜にカネコアヤノさんの単独演奏会があり、マネージャーさんから「橋本さんもお誘いいただけたら」とお電話いただいたので、ごしもご都合つきましたら、とある。なんと嬉しい連絡だろう。今日のコンサートは先行予約に落選し、ぽやぽやしているうちに一般発売も売り切れになっていたのである。今日の午前中に「カネコアヤノの冬の単独ライブ、3回続けて先行予約に落ちている……。」とつぶやいたのが検索に引っかかり、誘ってくださったのかもしれない。

 RKSP社の連載に向けたテープ起こしを終えたところで、17時半、劇場をあとにする。近くのローソンで、今起こしたばかりのテキストを出力して、どこを原稿に生かそうかと考えながら電車に揺られる。そっちのほうが空いているだろうと思って鈍行を選んだのだが、渋谷に到着する頃にはライブの開演時間が迫っている。明日からの旅のため、チケットショップに駆け込み、青春18きっぷの余りがないか尋ねる。残り1回のチケットだけ売られていて、4500円だ。1回かー3回ぶんくらい欲しいんだけどなーでもないんだもんなーライブの時間も迫っているしじゃあこれで!と勢いで購入を決める。

 約束の時間に5分遅れながらも、渋谷のさくらホールに到着する。ロビーでYさんと待ち合わせ、受付でチケットをいただき、中に入る。チケットに記載された席に行ってみると、2階席の最前列、それもど真ん中で恐縮してしまう。とても天井の高いホールだ。19時過ぎ、ホールが一瞬暗転すると、舞台上手にある扉が開き、そこから光が射し込んでくる。そうしてカネコアヤノが舞台に登場し、演奏会が始まる。今日はもうすぐ発売される新譜『燦々』の発売を記念したもので、アルバムに収録される曲が順番に演奏される。

 広い空間に音が満ちてゆく。2曲目に演奏された「かみつきたい」に、帰らなきゃいけない、という言葉が登場する。カネコアヤノのうたには、時間が有限であることの影をいつも感じる。そして、終わってしまうことに対する納得のいかなさ、執着を感じる(それは5曲目の「りぼんのてほどき」を聴いているときに改めて感じた)。そして、「かみつきたい」と「りぼんのてほどき」には、街を歩いているふとした瞬間も切り取られている。僕がそういううたが好きだ。一緒くたにするというわけでは決してないけれど、前野健太のうたを聴くのが好きだというのも、そういうところにあるのだろうなと思った。

 なにより印象的だったのは、ラストに演奏された「燦々」という曲だ。この日は全編にわたり照明が素晴らしく、しっかり演出されていたのだが、ラストには何かから反射したような光が無数に、後方のスクリーンに映し出されていた。それは様々な方向から反射しているようで、それが街に溢れているひとりひとりの生活の輝きであるようにも見えた。その曲のラストは、美しいから ぼくらは、と締めくくられる。このシンガーソングライターにとっての美しさとは、そして光とは何を意味するのだろうと、いつか話をしてみたいなと思う。

 「燦々」という曲を演奏し終えるまぎわ、彼女は「うああ!」と呻き声を挙げた。そして「終わり、ありがとう!」ときっぱりと言うと、舞台から去ってゆく。アンコールを求める拍手が起こる。しかし、非常灯と客電がともり、今日はもう終わりだろうと思っていると、カネコアヤノが再び姿を現す。やる予定はなかったけど、最後のとこで間違えたのでもう一回やりますと語り、「このまま、全体が見える明るさのままでいいです」とスタッフに伝え、もう一度「燦々」を演奏し始める。「うああ!」というのは、終わってしまうことに対する呻きかと思っていたけれど、間違えたことに対する呻きだったらしかった。アルバムはまだ発売されておらず、客は間違えに気づきようもないけれど、もう一度演奏される。あれはどの曲だったか、また別の曲をやっているときも途中で「間違えた」と演奏を止めて、その曲も最初から演奏し直していた。

 もう一度演奏された「燦々」は、照明が違っているせいだけではないだろう、まったく違う響きを帯びているように感じられた。それがとても印象的であるとともに、うたを歌うということが持つ意味についても考えさせられる。同じうたを反復しているようではあるけれど、それは決して反復ではなく、その都度違う場所にたどり着くもので、それを求めて彼女はうたを歌っているのではないかと思えた。

 終演後、ロビーに出る。一階席を見下ろすと、転落してしまいそうで少し怖くなる。「橋本さん、何か恐怖症はありますか?」とYさんが言う。Yさんは閉所恐怖症で、押入れには入れないと言う。僕は特にないけれど、地に足がついていないように感じる場所は苦手だ。飛行機に乗っているときも地に足はついていないけれど、地に足がついているように錯覚していられるあいだはまったく平気だ。でも、がくんと揺れるのは苦手だし、船も、船酔いはしないけれど揺れるのが苦手だ。同じ理由でジェットコースターには乗りたいと思わない。そんな話をしながら、物販の列に並ぶ。今日はLPが先行発売されており、うちに聴く手段はないけれど、どこかで聴けるかもしれないし、早く歌詞を見たいので買い求める。物販にはマネージャーの方がおり、プレゼントしますと言ってくださったけれど、急遽見せてもらった上にLPまでもらうわけにはいかず、きちんと購入する。

 Yさんと一緒に楽屋に案内してもらう。Yさんは今日の衣装を手がけてもいるので、そこにいるのは当然だけれども、僕が楽屋挨拶に行くにいるのは申し訳ない気がする。そわそわしていると、サウンドエンジニアのTさんが通りかかる。今日のライブはTさんが音響を担当されていたらしかった。お互いに「色々繋がるものですね」と話し、少し落ち着く。最後の曲をミスしてしまったことを、「何をやっても私は私かよ」と語っているのが聴こえてきて、うたと反復について、僕がなんとなく思い浮かべたことは結構正しかったのではないかと思う。Yさんが挨拶しているのを、遠巻きに眺めていると、Yさんが僕のことも紹介してくださる。いい大人なのに、我ながら情けない。そして、以前ご挨拶したのをおぼえてくださっていて、今後なにかやりましょう、と言ってくださる。

 渋谷駅でYさんと別れて、新宿に出る。まずは思い出横丁「T」へ。おっ、久しぶりとマスターに言われて、少し申し訳ない気持ち。最近は東京を離れる頻度も多く、また東京にいるあいだは「旅先で使ったぶん、節約しなければ」と飲みに出る頻度が減ってしまったので、「T」を訪れる頻度も下がってしまっている。秋鮭のバター焼き、それに焼き鳥のぼんじりとせせりをツマミに、ホッピーセットを飲んだ。21時半に新宿3丁目「F」に流れ、キープしてある麦焼酎の水割りを飲む。ここはレコードプレーヤーがあるので、お客さんが途切れたタイミングがあれば、買ったばかりのLPを聴かせてもらえないかという魂胆だ。お客さんが少なくなってきた頃になってグループ客がやってきて、1杯だけ注文し、お代わりもせずに粘っている。別に自分の店でも何でもないのだから、自分の思い通りにいくわけなんてもちろんないのだけれど、あーあと思いながら帰途につく。

9月4日

 8時に起きる。知人は先に起きていて、身支度をして出かけてゆく。お昼、納豆を切らしていたので、オクラ豆腐そばを作って平らげる。今日は稽古場で通し稽古があるらしく、知人から「観にきて欲しい」と言われていた。まだチケットの売れ行きが芳しくないらしく、稽古場レポートを書いて欲しいと言われていたのだが、ある日突然お邪魔して、数時間滞在しただけでは、「現場はこんなムードでーす、初日はもうすぐ!」みたいなざっくりしたテキストにしかならないことは目に見えている。宣伝につながる企画の案は前から出していて、公演を間近に控えての、ドキュメント感のある座談会をと言ってあるのだが、そういう時間を取るのは難しそうだという。「通し稽古を観てもらって、客観的な感想を聞きたい」とも言われていたけれど、客演の出演者もいる現場で僕が感想を言い出してしまうと、バランスがおかしくなってしまうだろうから、今日は結局、稽古場に行かないことにする。

 進めなければいけない仕事が溜まっているけれど、コーヒーを飲んでいないせいでぼんやり過ごしてしまう。晩御飯の買い出しもかねて、「やなか珈琲」に出かけ、100グラムだけコーヒー豆を買う。コーヒーを淹れて、ひたすらテープ起こしをする。昨日の取材のテープ起こしを終える頃にはすっかり日が暮れている。ツマミを作り、チューハイを飲みながら、RKSP社のFさんが送ってくださった過去の記事を読み進める。社内のデータベースでは、より正確に過去の記事を検索できるというので、照会してもらったのである。いくつかのキーワードでお願いしておいたのだが、そのひとつは、1960年代、市場の建て替えに向けてどんな出来事が積み重ねられたのかということだ。

 地主から土地の返還を求める声が挙がり、別の場所に建て替える案が浮上したものの、それに反対する声が強く、市場事業者も賛成派と反対派に分断され、反対派の事業者が議会に乗り込む事態にまで至り、不審火で市場が燃えてしまう――そうした流れのことはもちろん知っていたけれど、どうしてそこまでの事態に至ったのか、なぜそこまで反対したのか、細かいことは把握できていなかった(当時のことは苦い記憶であることはあきらかなので、そこに深入りした質問はできずにいた)。送ってもらった記事を読みながら、そうだったのかと腑に落ちる。めからうろことはこのことか。今さら知るというのは『市場界隈』を書いた人間として恥じるべきことかもしれないけれど、納得すると同時に、あらたな疑問も浮かび上がり、それを連載の中で書き継いでいけたらと、部屋でひとり決意する。

9月3日

 7時に起きて、昨日送ってもらったプルーフをひたすら読み進める。新聞連載のときに読んでいたけれど、取材に向けて気になる箇所に付箋を貼ったり、紙にメモを記したりする。昼、セブンイレブンで味噌ラーメンを買ってきて食す。15時前にアパートを出て、まずは横浜に出かけ、対談の取材。取材させていただいた方ではないけれど、選手がトレーニングしていて、その動きに惚れ惚れする。対談が終わる頃には日が暮れていて、外に出ると土砂降りだ。靴を水没させつつ横浜駅に出て、東急東横線に乗り、九段下を目指す。なんとか座ることができて、パソコンを広げ、質問リストをまとめてゆく。

 19時50分に九段下に到着し、20時20分、『TB.』誌の取材が始まる。写真撮影ののち、M.Nさんに新作について話を伺う。いつまでも話していたいと思ってしまうけれど、時間は有限だ。インタビューの直前に、編集者のOさんはスマートフォンを見ながらメモを書き、「21:15まで」と書かれた紙を渡してくれたけど、どうも「21:15まで」という感じではなく、21時10分にはインタビューを終える。現場に同席していたUさんは、畏怖する気持ちを持っている編集者のひとりで、「良いインタビューでした」と言ってくれたけど、本当に大丈夫だっただろうかとそわそわした気持ちのままビルをあとにする。

 取材後、せっかくだからと、Oさんと飲みに出る。とりあえず飯田橋方面に向けて歩いていると、がらんとした居酒屋を見かける。扉は開け放たれており、入り口の近く、通路に椅子を置き、高齢の女性が店の外を眺めている。ふと目があって、はい、お兄ちゃんたち、どうぞ、と声をかけられる。そのまま少しだけ通り過ぎて、外に置かれた看板を確認すると、枝豆280円という文字が目に留まる。この値段なら手頃だろうと、入店を決める。

 店内は思ったよりも広く、30人以上は入れそうな広さだ。高齢の店主と、調理担当なのであろう男性とで切り盛りしているようだ。枝豆280円、冷奴180円と書かれてあり、全体的に低価格であるかのように錯覚していたけれど、焼き鳥(3本)690円と書かれている。ハイボールが300円であるのにコカコーラが340円であるなど、不思議な価格設定である。店主が何度も薦めてくるので、鶏の唐揚げを注文したのだが、運ばれてきた唐揚げを見て、マジかよ、冷凍食品じゃん、とOさんはうなだれている。

 この店で飲んだだけでは帰れないとOさんは残念そうだ。Oさんは神楽坂在住だという人と連絡をとって、合流し、1階には8人がけのカウンターがあるだけの中華料理店に流れる。チューハイで乾杯し、ライターとして、編集としてこれからどうするのかを語りつつ、杯を重ねる。Oさんから「橋本君は厭世的だけど」と言われ、意外に思う。他人からはそう見えているのか。その言葉があんまり意外だったので、後日辞書を引いた。そこには「人生に絶望し、世をはかなむ傾向にあるさま」と書かれていた。それはともかく、この日はテレビの話もたくさんできて楽しかった。終電で帰るつもりでいたけれど、途中で話を打ち切るのもためらわれて、1時半まで飲み続けた。会計は2軒ともOさんが払ってくれた。

 知人はもう眠ってしまっているだろう。そう思いながらもメッセージを送ると、まだ起きているらしかった。公演初日が近づいており、知人は明日から横浜に宿泊するので、しばらく会えなくなる。今日のうちに酒を飲んでおこうと、ビールを4本買ってタクシーに乗り、深夜2時に乾杯する。

9月2日

 8時過ぎに起きる。急いでシャワーを浴び、質問リストをまとめる。9時過ぎに鮮魚店に伺い、新しい連載に向けた取材。あれこれ楽しく話を聞かせていただく。1時間強で取材を終える。一度宿に戻ったのち、「ウララ」に立ち寄り、少し立ち話。この1週間のあいだにアーケードに関する条例に向けて急な動きがあったらしく、どこか慌ただしそうだ。しばらく界隈をぶらついたのち、11時55分に鮮魚店に戻り、食事をいただきつつ撮影をする。ここは七輪で魚を焼けるのだけれども、メニューに「もち」とあるのが気になっていて、今日は念願叶って七輪で餅を焼くことができた。七輪で餅が焼けるだなんて、こんなお正月みたいなことがあっていいのかと思うけれど、正月にだって七輪で餅を焼いたことはなかった。

 ぽやぽやしているうちに時間がなくなり、宿で荷物をピックアップして、タクシーでRKSP社に向かう。朝の取材もそうだったけれど、沖縄にいると少し時間にルーズになってしまっていて反省する。来月――ではなくもう今月だ――から始まる連載に向けた打ち合わせをして、そのまま那覇空港に向かう。空港に向かうゆいレールの中で、『TB.』誌のOさんから電話があり、明日の取材をお願いできないかとのこと。それは僕がやるしかないのではと、すぐに引き受ける。いつのまにか空港が広くなっていて、少し戸惑う。安室奈美恵のパネルがあり、引退から1年経つのだなと思う。お昼はさしみセットと餅(とビール)しか食べてなかったので、搭乗ゲート近くの売店でソーキそば(とビール)を平らげてから、飛行機に乗り込んだ。

 20時45分にアパートにたどり着くと、ちょうどバイク便がチャイムを押すところだ。明日の取材に向けて、新刊のプルーフを配達してもらっていた。それを少し読み始めながらチューハイを飲んでいるうちに、夜が更けてゆく。

9月1日

 7時に目を覚ます。この二日間の取材でずいぶん汗をかいたので、まずはズボンを選択したいところ。宿に設置されている洗濯機が使えるのは9時からなので、それまで待って、洗濯する。洗濯物が乾くのを待って、昼過ぎに外に出る。まずは界隈の様子を観察しつつ、仮設市場を眺めにいく。ちびっこ3人組が目の前を歩いている。森永のミルクココアを飲んでいる。こういう暑い日に飲む冷えたココア、喉越しは悪いのに飲みたくなるんだよなあ。でも、500ミリの紙パックのココアを飲もうとすると、健康のことを考えてしまって、あんなふうに無邪気に飲めなくなってしまった。

 呉屋てんぷら店でさかなのてんぷらを買い食いしながら、サンライズ那覇通りに抜ける。このアーケード街の一角は「アジア人街」と看板を掲げるお店が数軒だけあって、そのうちの1軒である台湾料理「楊の店」の前を通りかかると、ゴミ袋がたくさん出されている。よく見るとフライパンなども混じっている。えっ、と中を覗くと、閉店してしまったのか片づけられつつある。そこから少し歩き、「赤とんぼ」でタコライス(中)を買い求めて、軒先のテーブルでいただく。

 開南のバス停からバスに乗り、琉球新報社へ。1階ではピンクドット沖縄というイベントが開催されている。LGBTのアライズを募るイベントだ。泡盛の酒造所はアライ企業として屋台を出していて、チューハイを出していたけれど、生ビールを買うことはできなかった。しばらく佇んで、「リブロ」に立ち寄ってから引き返す。宿の近くのファミリーマートに立ち寄ると、ネームプレートに「店長」と書かれた方を見かけたので、ご挨拶。ここは『市場界隈』を並べてくださっているのだ。ここでアイスコーヒーとアイスほうじ茶ラテを買って、14時、RKSP紙で始める連載に向けた取材。お店の方に飲んでいただくつもりだったけど、お二人ともカフェインが苦手だというので、飲み物は自分で飲んだ。

 取材を終えて、宿に戻り、少し仕事。シャワーを浴びて、19時に飲みに出る。まずは「足立屋」に向かうと、今日も大繁盛だ。なんとかスペースを作ってもらって、せんべろセットを注文し、外でビールを立ち飲みする。店員さんが「そういえばこないだテレビに出てましたね」と言ってくれる。そうだ、NHK沖縄放送局の夕方の番組に出演したのだった。一体どんな放送だったのだろう。

 ビールを3杯飲んで、安室奈美恵を聴きながら栄町市場まで歩き、「うりずん」へ。白百合を飲みながら、池原酒造で買ったタオルを自慢してしまって、すぐに「なんで自慢してしまったのだろう」と後悔しながら白百合を飲んだ。1時間半ほどで店を出て、宿に引き返していると、顔見知りの犬は今日もATMの前に佇んでいる。酔っ払って名前を呼びかけ続けていると、面倒くさそうに伏せていたけれど、しばらくすると立ち上がり、ATMの中に入ってしまう。おい、そっち入ったら出れんようになるでと呼びかけながら、しばらく缶ビールを飲んだ。