6月12日

 この日の日記を書いておいたはずなのに、どういうわけか消えてしまった。『BGK』の構成、昨日のうちに、おおむね仕上がっていた。対談や座談会の構成をするときは、最初にざっくりと(順序の並べ替えが必要な場合は)順序を並べ替えて、しゃべり言葉から活字に書き換えてゆく。ところどころ繋がりが悪いところが出てくるけれど、そこは数行空白を挟んでおいて、順序のことは一度気にせず、まずは言葉を整えておく。ここのところまで、昨日のうちに終えられていた。今日はまず、そのテキストをプリントアウトして、どんなふうに並べ替えて、どことどこを繋げれば一つの読み物になるかを考える。いつもはこの作業にそこそこ時間がかかるのだけど、考え始めるとあっという間に整理がつき、午前中のうちにメールで送信した。昼はパスタを茹で、たらこソースを絡めて平らげる。午後は『AMKR手帖』の原稿を考える。ここ最近はずっと、頭の片隅でうっすら考え続けていたこともあり、夕方までには書き終える。夜、晩酌をしながら映画を観始めると、知人がずっとケータイをいじっているので喧嘩になり、停止ボタンを押してふて寝する。

6月11日

 今日から梅雨入り。しかし、朝はまだ晴れているので、洗濯機をまわしておく。洗濯できるうちにしておかないと大変だ。しかも来週から知人ひとりを残して沖縄に出かけるので、余計に不安だ。ぼくがいれば、雨の合間にコインランドリーまで自転車を走らせることもできるけど、知人はそうもいかないだろう。部屋にいてもびゅうびゅう風の音が聞こえてくるので、飛ばされないようにしっかり洗濯バサミで留めておく。午前中は先週土曜日に収録した『BGK』の鼎談の構成に取りかかる。正午頃にはもう洗濯物は乾いていた。昼、カレーライス。13時、Hの雑誌社のTさんがやってきて、ダイニングで打ち合わせ。喫茶店だと不安が残るので、Hの雑誌社フェアが開催中の「往来堂書店」に立ち寄るついでに、うちまで足を運んでもらった。1時間半ほど話しているうちに、頭の中が少し整理されて、今後の連載の方向性が固まってくる。気づけば雨が降り始めている。小走りで近所の肉屋に出かけ、牛タンとハラミを買っておく。日が暮れるまで、構成の続きを進める。知人が帰宅する時間に合わせて、コールスローを作っておく。二日続けて焼き肉だ。

6月10日

 7時過ぎに目を覚ます。「明日から梅雨入り」とテレビが報じている。朝から洗濯機をまわし、掛け布団を干す。あっという間にお昼になってしまう。昼は冷凍しておいたカレーライスを解凍し、平らげる。食後、寝転がりながらケータイをいじっていると、毎日の楽しみである「平民新聞」が非公開設定になっており、動揺する。そこにはメルカリのリンクが貼られていて、アクセスしてみるも日記が売られているわけではなく、あたふたしながら何度もクリックしてしまう。しばらく経って、「日記はそのうちメルカリで販売します」という一文が追加されていたのでホッとするも、日々の楽しみがなくなって寂しくなる。しかし、文章をタダで読めてしまえていたのが贅沢だったのだろう。

 午後、神保町の「スヰートポーヅ」が閉店すると知る。『路上』で「スヰートポーヅ」の前を通りかかったのは4月21日のことで、そのときは「4月27日まで休業させて頂きます」と張り紙が出ていた。でも、5月下旬に神保町に出かけたときも、「スヰートポーヅ」は閉まったままだった。あの日、すずらん通りを歩いていると、「キッチン南海」の前に車椅子に乗った老人がいて、店員さんがその老人に話しかけているところに出くわした。会話の内容は聞き取れなかったけれど、「暖簾分け」「神保町シアター」という単語だけ聞こえてきて、てっきり「キッチン南海」とはまったく別の店がそこに暖簾分けの店を出すのだろうと思い込んでいた。こうして神保町の風景が解体されていく様子を、坪内さんはどう語っただろう。坪内さんはマスクをしただろうか?

 晩ごはんは何にしよう。毎日そのことばかり考えて過ごしているように思えてくる。知人にLINEで尋ねてみると、「はしもと」と帰ってくる。そうか、焼き肉か。夕方になって買い物に出て、まずは「往来堂書店」に立ち寄る。何冊か手に取り、会計を済ませる。ちょうど店主のOさんがレジに立っていて、髪型に驚かれる。レジ前には今日が発売日の『文藝春秋』が積み上がっていて、やっぱり売れるんだなあと漠然と思っていたけれど、そういえば今月号にはOさんが寄稿しているんだったと思い出し、引き返してそれも買う。普段なら混雑している時間帯なのに、スーパーは空いていた。580円の「焼肉セット」を2パックと、ナムルのセットを買う。焼肉セットは300グラムだ。なんとなく2パック買ってしまったけれど、これは適量なのだろうか。団子坂をあがりながら、ケータイで「焼肉 自宅 一人前」と検索する。大体300グラムがひとりぶんだと出てくる。だからこれで十分なのだけれども、とびきり美味しい肉を付け足そうと肉屋にも立ち寄り、100グラム880円のミスジを100グラムだけ購入しておく。

 知人の帰りを待って、19時半、コンロの前で立ち食い焼き肉を始める。まずは塩胡椒を振ったミスジを焼き、そのまま食べてみる。ウマイ。ミスジがどこの肉だかもわかっていないけれど、あんまり美味しくて、それを食べてしまったあとはほとんど余韻のようになってしまう。2パック買っておいた焼肉セット、1パックだけで満腹になってしまって、残りは明日食べることにした。「これはもう、少なくとも牛角に行くことはないやろね」と、焼き肉の余韻にひたりながら知人が言う。今日食べた肉は、ふたりで1460円だ。ビールとナムルを足したところで、ふたりで3000円程度。それで満足できるのだから、よっぽどめでたいことがあって「今日は上等な肉を食べに行こう」と思わない限り、焼き肉はこれから家で済ませてしまうだろう。それは近所の肉屋の売り上げには貢献するものの、牛角の売り上げは落としてしまう。そうした積み重ねが街の風景を変えていく。食器を洗いながら、なぜか後ろめたさをおぼえる。

 5月7日深夜に放送された『岡村隆史オールナイトニッポン』の録音を聴く。発言が問題視された放送の翌々週の回で、スタジオには矢部浩之もいる。放送の中で、ふたりが高校時代を振り返る。初めてサッカー部で出会ったときのことを矢部が語る。部活の先輩である岡村が、グラウンドを走っている姿を最初に目にしたとき、矢部は「笑った」のだと言う。当時の岡村はロン毛で、ぱっと見は小汚い印象であるのに、(毛深いのがコンプレックスだから)腕と腿の毛を脱色しており、そこがきらきら光っていたのだ、と。岡村はサッカーがうまくなかったのに、部活の中で目立つ存在で、皆から「踊れ!」と言われてクルクル踊ったり――「あなたの嫌いな、たぶん、矢部に笑われてんねん。たぶんそうやねんけど、それがものすごいおもろかった」。その言葉に、ナインティナインというコンビの姿がはっきり見えたような気がした。高校生の頃からテレビの中で観てきた彼らは、ずっとその姿のままだったのだと、ふたりの会話を聴きながら思い返す。

6月9日

 7時過ぎに目を覚ます。ワイヤレスイヤホンでラジオ(録音した『オードリーのオールナイトニッポン』)を聴きながら、コーヒーを淹れていると、ポットが一杯になっているのに気づかなくて溢れさせてしまう。ラジオに夢中になって、ときどきやってしまう。たまごかけごはんを平らげて、10時半、ジョギングに出る。最近サボりがちだから、今日は長い距離を走ろう。せっかくだから走ったことのない道をと、綾瀬を目指して走ることにする。まずは西日暮里に出て、そこから尾竹橋通りを北東に進んでゆく。山手線、舎人ライナー、京成本線とガードを3つくぐると、途端に風景が変わる。建物の背が低く、坂がなくて平らだ。「ファミリー」という、古ぼけた看板。すぐ下には「弁当」「24時間営業」と書き添えられている。お弁当屋さんが「ファミリー」と名づけるというのはいいなあ、ちょっと時代も感じさせる。少し先にはぽつんと看板建築も見かけた。しかし、「ファミリー」も、看板建築の不動産屋も、現在では営業しておらず、看板や建物だけが残っているのだった。その姿を写真に収めておく。普段は街並みに対して「いいなあ」と思わないようにしているのに、なぜだか今日は素朴にそんな感想を浮かべてしまっている。

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 水色の橋が見えてくる。あれがきっと、通りの名前の由来となった尾竹橋なのだろう。隅田川を渡り、せっかくだから河川敷に下りてみる。モニュメントが目に留まり――正確にはその横に設置された案内板に写真が掲載されているのが目に留まり――近づいてみると、それはここにお化け煙突があったことを示すモニュメントだった。いつだか『こち亀』で読んだあのお化け煙突だろうか。『こち亀』を通じて得た知識はたくさんあるなと思いながらジョギングに戻る。少し先に、アウトドア用のリクライニングチェアを広げ、日光浴をしている二人組が見えた。走っているうちに、その姿がはっきり見えてくる。夫婦だろうか、ぼくより少し若いくらいだ。男性は上裸になっていて、きっと肌を焼いているのだろう。びっくりしたのは、リクライニングチェアの近くにあれこれ荷物を広げてあるのに、二人とも熟睡していたこと。ほとんど人が通りかからないのだろう。

 Googleマップを確認すると、このまま河川敷を進んでしまうと綾瀬にたどり着けないようなので、土手に上がって方向転換する。住所表示に「千住桜木」とあり、「上野桜木」だけでなく「千住桜木」もあるのか。通りには「墨堤通り」と看板が出ていた。あまりにも下町らしい名前にくらくらする。さっきのお化け煙突もそうだけど、「下町」の世界というのは漫画や活字を通じて触れるものだったので、そこを自分がジョギングしているというのは不思議なことだ。「モカ」という、あまりにも渋い佇まいの喫茶店を見かけた。二つの川に挟まれたこの場所に、どんな時間が流れてきたのだろう。千住桜木町の交差点に出ると、正面に西新井橋がドーンと見えた。尾竹橋に比べると、圧倒的に大きく見える。風景がひらけている。対岸に高速道路の高架があって、その先には背の高い建物が見当たらず、高架がまるで地平線のようだ。河川敷には野球場が何個も連なっている。さきほどの隅田川沿いと違って、こちらはジョギングしている人の姿を見かけたものの、それもごく数人だ。こんな広々とした場所で、ほとんど貸し切り状態で過ごせるなんて、とても贅沢だ。徒歩圏内にこの風景があったら、どれだけ楽しく過ごせるだろう――そんなふうに思ったことは確かなのに、ぼくはきっとここに住むことはないのだろう。荒川の河川敷を東に進んで、千代田線の高架をくぐり、つくばエクスプレスの高架をくぐる。高架にわざわざ何の線路か書いてくれている。

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 高架を過ぎたところで土手に上がり、土手をくだる。なるほど、土手だ。こんなふうに晴れ渡った日には河原を見渡す道にしか見えないけれど、これは堤防として築かれたものなのだなと思いながら、階段を駆け下りる。その先にある信号には「東京拘置所前」と書かれていて、近くの建物に「保釈保証金/立替えいたします」と看板が出ている。走っていくと東京拘置所の建物が見えてきた。敷地を囲うフェンスには「撮影禁止」と張り紙が出ていた。少し先にセブンイレブンがあり、もしかしたらここにも地域性があるのではと立ち寄ってみたけれど、こども向けのおもちゃが多いのと、在庫処分の棚に鬼の面と豆のセットがいまだに残っているだけで、特に変わったところは見当たらなかった。学校は短縮授業になっているのか、小学生たちが下校している。しばらく進むと、今度は綾瀬川に行き当たり、そこにも高速道路が架けられている。川べりには団地が建ち並び、あちこちに布団が干してある。その隙間から拘置所の姿が見えた。川を越えて、今日の目的地である綾瀬にたどり着く。いつだか『QJ』で、木村カエラが表紙を飾った号がある。彼女は巻頭インタビューの中で地元・綾瀬のことを語っていて、巻末に掲載された坪内さんの連載では綾瀬の記憶が綴られていた。綾瀬という地名を見るたびに、そのことを思い出す。初めて訪れた綾瀬で、何をするでもなく改札をくぐり、千代田線に乗って千駄木まで引き返す。

 アパートにたどり着く頃には12時半になっていた。今日の夜は読書委員会があるので、途中でお腹が減ってしまわないようにと、14時まで我慢してからお昼を食べた。昨日のカレーの残り。16時過ぎにアパートを出て、千代田線で大手町に向かい、YMUR新聞社へ。10週間ぶりの委員会だ。ただ、書評したいと思える本は見当たらず。18時半、本の“セリ”が始まる。この委員会は、本の山の中から気になるものを取り出し、書評検討本として委員全員で回覧し、それが書評に値するかどうかをチェックするという仕組みになっている。そして“セリ”の時間になると、その本を回した委員が取り上げたい理由を説明し、その本に問題があるのであれば他の委員からコメントが挟まれたり、「その本は自分が書評したい」と手をあげたり、そんな手続きを経て、書評検討本が決まる。回覧された本の中に清原和博の著書があった。気になって最初のほうに目を通すと、執行猶予があけるのが怖い、自分は何も変わっていないという声があり、いたたまれない気持ちになる。その本の”セリ“がおこなわれたとき、その本を回覧させた方は、「また手を出すと思いますけど」だったか、言いまわしは忘れてしまったけれど、そんなマクラから本の説明を始めた。そして会議室に笑いが起こる。まえがきに書かれていた声を思い出して、いやな感じをおぼえながらも、ただ座っていることしかできなかった。

 会場の隅っこには缶ビールが何本か用意されていたのだが、時節柄お弁当の提供が見送られていることもあり、ビールを飲む人はほとんどいなかった。委員会が終わったあと、会議室ですぐに1本飲み干して、新しい缶を手にビルの外に出る。せっかくだから歩いて帰ることにする。大手町から御茶ノ水に出て、坂を上がっていると、「ニコライ堂前」という看板に出くわす。このタイプの看板、かつて都電が走っていた場所に設置されているものではないかとボンヤリ認識してきたけれど、実際のところどうなのだろう。歩きながらあれこれ検索してみると、やはり都電の停車場の名残りであるらしく、「電停標識」と呼ばれるものだと知る。湯島から根津へと歩く。企画「R」で歩いた道だが、昼と夜とではまったく雰囲気が違っている。21時過ぎ、根津の「バーH」の引き戸を開くと、マスターのHさんがグレーのマスクをつけている。

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6月8日

 7時過ぎに目を覚ます。コーヒーを淹れ、たまごかけごはんを食す。ジョギングに出るつもりでストレッチをしてみたものの、外がどんより曇っていると気が乗らず、布団にもどってケータイを眺める。ふと思い立って石井妙子『女帝 小池百合子』を電子書籍で購入し、読み始める。これは本当に2020年に出版されたノンフィクションなのかと思いたくなる言葉が繰り返されるので、カイロ留学時代の途中で読むのをやめてしまった。カレーライスを作り、在宅で仕事をしていた知人と一緒に平らげる。午後は永井均『これがニーチェだ』を読んだ。夕方になって給付金のことを思い出し、書類に記入する。「受給を希望されない方はチェック欄に×印を」という謎の欄があると聞いていたのだが、文京区の書類にはチェック欄は存在しなかった。ただし、「給付を希望される方は要、希望されない方は不要欄に『○』を入れてください」というフォームがあり、希望でいいんだよな、と何度も確認して○を書く。調べてみると、「チェック方式だと紛らわしいのでは」と判断し、文京区は独自のフォーマットを作成したらしかった。しかし、どうして「そもそも不要なら返送しないだろう」と考えなかったのだろう(もしかしたら「この人からは不要だという回答を得られた」と確定させることで、そのお金を他のことに回せるのかもしれないけれど)。封筒についていたシールをぺろっと剥がして封を閉じ、郵便ポストに投函しにいく。朝は曇っていたのに、今は完璧に晴れている。ついでに図書館まで出かけ、本を返却する。本当は4月が返却期限だったのだが、図書館が休館となり、今日まで期限が延長されていたのだ。夜になって『これがニーチェだ』を読み終える。今日は休肝日のつもりでいたけれど、知人が「明日は飲まないから、今日は飲みたい」と知人が言う。さっき青空を見ているうちに、ぼくも飲みたい気持ちになっていた。ただ、今日はビールを冷やしていなかったので、「ビールを買ってきてくれるなら」と、体よく知人を利用する。じゃがいもとソーセージの炒め物、それにザーサイ豆腐を作ってもらって、晩酌。通販で購入した『その男、凶暴につき』を観る。時代の空気が詰まっている。こんな路地、今はもうなくなってるやろうね。ああ、この煙草屋の感じ。ファンタのこの缶、よく飲んでたわ。映画から感じた「時代の空気」というのは、そういうことだけではないのだが、そうした細部にも反応してしまう。ほんとそういうとこばっか観るよねと知人が言う。ビールを飲み終えるとチューハイに切り替えた。昨日まではポッカレモンを混ぜていたけれど、今日は入れるのをやめてみた。ここ最近はビールを飲み終えてしまうと、なんだかつまらない気持ちになることが増えていた。昔はそんなことなかったのに、どうしてだろう。考えてみると、チューハイをさほど美味しく感じていなかったからだ。外で飲むとき、レモンサワーを注文することは滅多にない。酸味が苦手だからだ。だから、レモンサワーのほうがゆっくり飲むだろうと思って、自宅で飲むときにポッカレモンを混ぜるようになった。今日、久しぶりでキンミヤを炭酸で割っただけのチューハイを飲んでみると、あんまり美味しいのでびっくりした。

6月7日

 7時過ぎに目を覚ます。今朝の読売新聞には、ぼくの書いた書評が掲載されているはず。この仕事に限らず、校閲からの指摘はそのまま反映させることが多いけれど、今日掲載された原稿は「できればそのままで」とお願いした箇所がある。「緊急事態宣言が取り下げられた今」という一文に、「解除された」と修正できないかと指摘が入ったのだ。申し訳ないけれど「解除」という表記に納得が行っていないので、ここは現状のまま進めてもらうか、そうでなければ書き直す旨を伝えたところ、そのまま掲載してもらえた(はず)。朝は食パンを焼いて食べて、昼は迷った挙句にパスタを茹で、いつだか買いおきしてあったパスタソースをかけて食べた。

 知人は午前中からずっと、通販で買ったばかりのワイヤレスイヤホンを触っている。こういう耳にねじ込むタイプのイヤホンが苦手なんよねと言いながら、スペアキャップと取り替えながら耳のフィット感を確かめて、首を振ってみたりしている。ぼくは福田和也乃木希典』を読んでいた。14時過ぎに中断して、昨日買ってあったスポーツ新聞を引っ張り出す。一面には横田滋さんの写真が掲載されている。小一時間ほど出馬表を吟味して、15時から競馬中継を観た。きっと波乱があるだろうと、インディチャンプを軸に4点買い(400円)。波乱は生まれたものの、予想は外れた。17時過ぎに買い物に出て、「越後屋本店」でアサヒスーパードライを注文。谷中銀座は今日も盛況で、最初は立ち飲みしていくつもりだったけれど、カップを手にしたまま路地に入り、いくぶん人通りの少ない道を歩きながら飲んだ。

 帰りにコンビニに立ち寄り、給付金の申請に必要だというので、免許証と通帳を複写する。ぼくの直後に入店したお客さんも同じ目的であったらしく、通帳を複写していた。しかし、この複写に何の意味があるというのだろう。夜になって、タイムラインで取り沙汰されていた内田樹による書評を読んだ。たしかに優れた書評とは言い難いと思う。しかし、この書評を批判するために「自分語り」という言葉が用いられることには違和感をおぼえる(そもそもぼくは「自分語り」という言葉が嫌いだ、語って何が悪いというのか、問われるべきは語られるタイミングと語り口である)。最初の段落は、最初の一文をのぞけば丸ごと不必要な言葉であり、これは担当記者が修正を求めるべきものだろう。もしも交友関係を前提として「ヨイショする書評をどうか一つ」と依頼されたのであれば、その経緯を批判するために書かれても意味がある内容かもしれないが、そうでなければまったく意味をなさない。ただし、この観点からすれば、異議申し立てをした担当編集者が「また、コロナ禍の大変な時期に書評掲載にご尽力いただいたすべての皆様への感謝の気持ちを片時も忘れたことはありません」と冒頭に書き綴ったことは、問題だと思う。ある一冊を書評の対象に選定するという行為は、関係者の「ご尽力」などによってなされるべきものではなく、評者が「今このタイミングで紙面を与えられるのであれば、わたしが書評するべきはこの一冊以外にあり得ない」という信念によってなされるべきものだ。

6月6日

 7時過ぎに目を覚して、YouTubeを再生しながらストレッチをする。昨日の午後に、急に思い立ってストレッチを始めた。2ヶ月ぐらい遅れて芸人のラジオの録音を聞いていて、数日前に『ハライチのターン』を聴き、澤部が「YouTubeを観ながら筋トレをしている」と話していたのを聞いて、「そうか、YouTubeという手があるのか」と今更ながら気づいた。これは効いていると思うものもあれば、「これ、どっか伸びてます?」と疑問に感じるものもあるけれど、30秒なら30秒をカウントダウンしてくれるのがありがたい。これまで自分でストレッチをするときは、「5回深呼吸をする」と区切ってやっていても、「あれ、今何回だっけ?」とわからなくなり、いい加減に終わらせてしまっていた。YouTubeなら、10分なら10分、いろんなストレッチをひと通り済ませられる。

 午前中は『フーコー入門』を斜めに読んだ。ほんとうはじっくり読みたいところだけど、時間は限られている。途中で読書をやめて、今日の取材の流れを考え、メモを作成する。昼は知人にサバ缶とトマト缶のパスタを作ってもらう。当たり前のように作ってもらっている感じにならないように、運ばれてきたフライパン(ボリュームが多いのでフライパンごと卓袱台に置き、取り分けて食べている)を前に、いつもより汁気が多いね、コショウも多めやね、と感想を述べていると、「そんな文句言うなら食わんでええけど」と怒られる。

 シャワーを浴びて、地下鉄を乗り継ぎ、14時ちょうどに麹町のBGSJ社にたどり着く。スカイプ経由で那覇のUさんに話を聞かせてもらったり、「東京の古本屋」でセトさんに取材させてもらったりしたけれど、出版社の応接室で、写真部の方が撮影のために照明をセッティングした環境で取材をするというのはずいぶん久しぶりだ。ほどなくして全員揃って、鼎談の収録が始まる。途中でF.Tさんが、「なんか、こうやってしゃべるのが久しぶり過ぎて、ちょっとキョドってる」と笑う。鼎談や座談会は、進行役があまりしゃべらないほうがよいのだろうけれど、どうしてもひとりずつに「××さんはどうですか?」みたいに話を向ける格好になる。3人とも、何度も顔を合わせてきた相手ではあるだけに、ちゃんとバランスよく話を聞けているだろうかと紙面にまとまったときのボリュームを想像しながら、話を聞く。

 1時間半ほどで取材を終える。皆がなんとなしに帰り支度をしているあいだ、H.Iさんが話しかけてくれて、「橋本さんがいてくれてよかった」と言ってくれる。先日の QJWebの記事を読んでくださったらしく、わたしはその場にいられなかったことも、橋本さんの言葉を通じて知ることができる、と。鼎談を見学に来ていたA.Iさんとも話す。沖縄行きの航空券を予約したとき、F.TさんとA.Iさんにはそれを伝えていたのだが、Aさんからは「わたしも同じ期間に行っていいですか?」と返事がきていた。ただ、沖縄に行っても向こうの人に会うのはまだ難しいだろうから、Aさんはまだ迷っているようで、「7月にするかも」と話していた。

 17時過ぎに帰宅すると、郵便受けに同じ色をした封筒が2枚投函されていた。それを目にした瞬間に、やっと届いたか、と思う。給付金の申請書だ。もう6月6日である。これから申請書を出して、それが処理され振り込まれる頃には6月も終わりを迎えるだろう。一体何が理由で給付されたのか、わからなくなってしまいそうだ。オンラインで申請済みの知人は、封筒をゴミ箱に捨てて、早々にビールを飲み始める。日が暮れる頃には、冷やしてあったぶんを飲み干している(ひとり2本ずつ冷やしてある)。今日の夜は見返したい映画があった。ただ、いきなりお願いすると断られそうで、「今日は何観ながら晩酌する?」と探りを入れる。うーん、別に、なんでもええけど、と知人が言う。これなら行けそうな気がすると判断し、「今からビールを買ってきてあげるから、ちょっと前に観たばかりの映画をもう一度観てもよいか」と相談すると、喜んで引き受けてくれたので、小雨が降り始めたなかをセブンイレブンまで走り、ビールを4本買ってきて、『仁義なき戦い』を再生する。