4時50分にアパートを出て、青春18きっぷに二つスタンプを押してもらって改札をくぐる。今日は知人と一緒に京都まで出かける。本当はひとりで出かける予定だったが、特に予定がない知人も一緒に出かけることになった。山手線では知人の隣に座っていた若い酔っ払いがゲボを吐き、東海道線では箱根登山をするちびっこたちで車両が一杯になり、三島駅では急に「狭い!」と憤って席を立つ中年男性に遭遇するなど(ちなみにその男性の両脇には誰も座っていなかった)、いろんな出来事が巻き起こりながらも、西へ西へと進んでゆく。

 次は富士駅だとアナウンスがある。振り返ると霞んだ富士山が見えた。知人は富士山とは反対側に広がる製紙工場に夢中だ。浜松で4度目の乗り換えをすると、座席タイプがロングシートからクロスシートに切り替わる。二人で並んで座るとちょっとした個室気分で気が楽だ。窓の外を新幹線が走っている。無言のまま知人のほうに振り返ると、「はやいねえ」と知人が言う。

 早朝の青春18きっぷの旅と言えば、乗り換えるたびに電車が混んでゆく印象がある。大学生の頃はよく青春18きっぷで広島まで帰省していたが、米原あたりまでは混んでいて憂鬱だった記憶がある。今回は5時29分に品川を出る東海道線に乗ってみたところ、沼津から静岡、静岡から浜松の区間は混雑していたが、あとは比較的ラクだった。大垣から米原は車両数が少ない印象があったが、この時間帯だと4両編成で、あまり苦にならなかった。

 米原に到着したのは12時46分だ。ここから12時50分発の新快速に乗るつもりだったが、お腹が減ってきたので1本見送ることにする。ホームの売店で、缶ビールと井筒屋の幕の内弁当を購入する。米原駅は地元の弁当屋の駅弁があるので嬉しい。ここの幕の内弁当には牛肉が入っている。少し前まで何とも思っていなかったが、幕の内に牛肉が入っているのは珍しい。そう気づいたのは、『日本の路地を旅する』を読んで、「江戸時代、彦根藩だけが牛の屠殺を許されていた」という記述に触れたからだ。

 14時過ぎに京都駅に到着する。駅のキオスクがすべてセブンイレブンに変わっている。地下鉄を乗り継いで東山駅を出ると、京都らしい風景があらわれる。「なんか、京都だね」とアホみたいな感想を漏らす。路地にある団子屋が目に留まっては草餅を買い、小川を見つければカメラを構えながら、ロームシアター京都を目指す。道草を食ったせいで、到着したのは15時ギリギリになってしまった。

 このロームシアター京都を中心として、今日から「京都国際舞台芸術祭」という国際舞台芸術フェスティバルが開幕する。英語の名前はKYOTO EXPERIMENTで、皆「KEX」(ケックス)と呼んでいるらしい。今日はその提携プログラムとして、悪魔のしるしによる『搬入プロジェクト』が行われると聞き、知人と一緒に京都にやってきたのだ。

 会場となるロームシアター京都は、前川國男が設計した京都会館に改修工事を加え、今年1月にリニューアルオープンしたばかり建物である(今回の「搬入プロジェクト」はそのオープニング事業も兼ねているという)。到着してみてまず驚いたのは建物のモダンさだ。中にはスタバと蔦屋書店が入っている。こういう建物がリニューアルされると、やはりこの二つが入るのだなあ。劇場の中庭のような場所には大勢の人が集まっていて賑わっている。皆が囲んでいるのが、今回搬入する物体である。

 搬入プロジェクトというのは、その名の通り物体を搬入するプロジェクトだ。開催する会場にあわせて、入るか入らないかギリギリの物体を設計し、それを搬入するのである。この企画は、危口さんが荷揚げのアルバイトをしていたことに端を発する。演劇においては役者の身体に蓄積された演技の能力が舞台に上げられ、ダンスにおいてはダンサーの身体に蓄積された舞踏の能力が舞台に上げられる。それと同じように、荷揚げ屋の身体に蓄積された能力を舞台に上げられないかと企画されたものだ。

 初期の搬入プロジェクトは、荷揚げ屋というプロフェッショナルの身体性を翻案して提示するものだったという。それが地域のアートフェスティバルに招聘されてゆくうちに、搬入する物体を地元の人たちと一緒に製作し、搬入自体も地元の人たちと一緒に行うようになる。そうするうちに、搬入プロジェクトは“偽祭”のテイストを帯びてゆく。巨大な物体を街の人々が運ぶ風景は、昔ながらの奇祭のようだが、そこには何の伝統もないのだ。

 ここには危口さんの自己(?)批判がある(自己批判というと言葉が強いが、自分がやっていることにツッコミを入れてしまうというのは危口さんの一つの特徴ではないかという気がする)。地域のアートフェスティバルにアーティストが招聘されたとき、「地域住民との交流」や「その土地にある地域性や伝統との交流」がしばしば求められる。そのことに対する違和が、“地域の伝統行事や歴史を取り込んだものとしての搬入プロジェクト”ではなく、“上演という行為=フィクション=捏造=偽祭としての搬入プロジェクト”という思考に行き着いたのだろう(しかし、以前搬入プロジェクト報告会でそんな話を聞いた気がするが、その偽祭が誤配され、本当の伝統行事になったら面白いと思う)。

 今回製作された物体は黒く塗られ、所々に紅白の綱や鈴が結びつけられている。その姿は、昨日危口さんがアップした写真で目にしていた。誰もいないガランとした中庭に、物体だけが存在している。その姿は、禍々しい異界の何かが現世に姿をあらわしてしまったかのように見えた。だが、今日は搬入当日の賑わいもあってか、ホノボノした空気が流れている。こどもたちは皆、物体に乗っかって遊んでいた。

 この2日後、危口さんがまた別の写真を掲載していた。こどもたちが物体に群がっている写真だ。搬入を終えた物体は再び中庭に展示されていたのだが、特に賑わっているわけでもないのに、こどもたちは物体に群がっていた。その写真を眺めた時、子どもの――あるいは人間の?――力というものに思いを巡らせる。どんなに異形の物体が目の前に置かれていても、それを「遊具」という俗なものと見做して飼いならす力。

 15時になると、まずは拡声器で危口さんが挨拶を始める。搬入ルートや注意事項の説明が終わると、ラジオ体操で体をほぐす。平安神宮を訪れたのであろう外国人観光客も一緒になってラジオ体操をやっている。搬入プロジェクトを実際に目撃するのは今回が初めてだが、人を巻き込む力に驚かされる。偶然その場に居合わせた人も混ざって物体を持ち上げて、搬入が始まる。遠巻きに眺めているだけの人も当然いる。

 ビールを手にしている僕も遠巻きに眺めていた。2階のテラスから3階のテラスに強引に運び上げる際、しばらく搬入が滞ると、「やっぱりねえ、3Dかなんかでシミュレーションはしてはるんやろうけど、実際にはそううまくいかんわなあ」と笑っている中高年のグループが出てくる。一組だけではなく、遠巻きに眺めているグループからはチラホラそんな会話が聞こえてくる(が、搬入する側だって「ギリギリの場所を搬入する」ということは織り込み済みである)。そんな会話をしている人たちも、ガタンと物体がずり落ちたり、一段持ち上がったりするたびに「おお」と声を漏らしていたのが印象的だ。

 搬入プロジェクトを見届けたのち、「ホホホ座」を訪ねる。「ガケ書房」が移転し「ホホホ座」になってからは初めてだ。「ホホ座」は言いやすいが、「ホホホ座」と“ほ”が三つ重なると言いづらくなる。バスに揺られているあいだ、何度も「ホホホ」と口に出して確かめていた(こうして振り返ってみると完全に不審者だ)。前より少しコンパクトになっていたので、棚の隅々まで眺める。売れ残った『hb paper』が棚を占めていて少し申し訳ない気持ち。『なnD4』など数冊購入する。

 ホテルにチェックインして、ミナペルホネンに行ってみる。素敵なシャツがあれば買おうと思っていたが、メンズの取り扱いはなかった(探せばあったのかもしれないが、ユニクロのピンクのジャンパーで長居するのはいたたまれなかった)。鴨川沿いを上り、「赤垣屋」をのぞいてみたが満席だ。同じ道を引き返し、木屋町にある沖縄料理店「赤ひげ」へ。『まえのひ』ツアーのときに訪れた店である。

 カウンターに座り、オリオンビールで乾杯。ゴーヤチャンプルーラフテー石垣牛のたたきに島らっきょうなどを食す(2週間後には沖縄を訪れる用事があるのに、どうして沖縄料理を食べているのだろう)。隣には白人の男性と日本人の女性が座っていて、お店のことを「ハートウォーミング」だと褒めている。つい会話が耳に入ってしまうのだが、白人の彼はおすすめの日本の音楽を訊ねている。女性が最初に挙げた名前が「ザゼンボーイズ」で、驚いて泡盛を吹きそうになる。

 それにしても、今日は花粉にやられている。過去にこんなに痒くなったことがあるだろうか。今年は飛散量が多いほうではないそうだが、辛くて仕方がない。目を開けているだけでつらいので、目を閉じたまま酒を飲んで会話する。

「やっぱりさ、これって国がどうにかすべきだよね」と僕。「だって、春になるたびに国民の何割かが『目がかゆい』ってことしか考えられなくなるんだよ。え、いる?」

「いる」と知人の返事が聞こえる。

「なんでこんなことになったかっていうと、戦後、大量に杉を植えたせいだよね」

「うん」

「だとしたら、政治が解決するべきだよね。これだって公害だよ。今なら里山がどうとか地方創生だとか散々言われてるわけだから、選挙の争点の一つにしたら支持する人いると思うんだけど。え、いる?」

「いる」

 この店にいるあいだは目を閉じていたので、少しラクになった。1時間半ほどで店を出る。昼過ぎから飲んでいるので、「フランソア喫茶室」でコーヒーを飲んで少しクールダウンする。レトロで素敵な喫茶室だ。しかし、こういうお店には自分は似合わないだろう――そんなことを漏らすと、「そう? 少なくともスタバよりは似合うと思うけど」と言われる。意外だ。レトロな雰囲気のある店は、もっと繊細で文化系の人が集う場所であって、僕が入るのは申し訳ないような気持ちにいつもなる。ただ、この「フランソア喫茶室」はおじいさんたちがビールを飲んで賑わっていたりして、居心地が悪くない。

 22時過ぎ、「木屋町サンボア」へ。他の「サンボア」を訪れたことはないが、この店は京都に来るたび訪れている。知人も僕もハイボールを注文する。しばらく飲んでいると、ずっと鼻をすすっている知人を見かねて、「花粉ですか?」とマスターが箱ティッシュを出してくれる。しゅんしゅんうるさかったのだろうが、それがいわゆる“いけず”に聞こえないから不思議だ。

 知人が鼻をかんでいると、マスターから「ご主人は平気ですか?」と尋ねられる。「ご主人」と言われたのは生まれて初めてだ。33歳だからそう呼ばれても不思議ではない年齢なのだが、「ご主人」という言葉がふさわしいほどの貫禄も甲斐性も持ち合わせていない。

 2杯だけ飲んで店を出て、「大豊ラーメン」へ。ここも『まえのひ』ツアーのとき、紹介してもらって訪れた店。〆にこのラーメンを食べるつもりだったので、「赤ひげ」でソーキそばを食べるのを我慢していた。まずは餃子とキムチ、それに瓶ビールを注文する。この時間に食べると太るからとミニラーメンを食べるつもりでいたのだが、「チャーシュー麺にする」と言う知人に触発され、僕もチャーシュー麺を食べることにする。行列もできるほどの店なので、瓶ビール3本をちゃちゃっと空け、ホテルへと歩く。夜になるとずいぶん寒く感じるが、スーパードライを飲みながら帰った。