昼、最後の『手紙』に切手とラベルを貼る。本当は36通目で終わるつもりだったが、もう1通だけ送りたくなったので、37通目の『手紙』を送ることになった。丁寧に貼り終えると、都営三田線御成門に出て、芝郵便局へ。37通目は東京タワーで書いたので、芝郵便局の風景印で発送することにした。手紙を出し終えると、歩いて銀座へ。ロックフィッシュでハイボールを2杯飲んで、日比谷。今日は「日比谷コテージ」で川上未映子さんと名久井直子さんのトークイベントが開催される。トークよりずいぶん早くたどり着いてしまったので、じっくり棚を眺めて、2冊購入する。

 18時過ぎ、トークイベント開始。今日のトークは新刊『ウィステリアと三人の女たち』の刊行記念でもあるのだが、この小説は自分の中で静かな組み替えがある作品でもあるのだという。言葉が言葉を連れてくる運動に甘えてはいけないという気持ちが強く、それを検閲してコントロールしてこの10年やってきたけれど、『ウィステリア』を書いているときはあまりそれを考えず、言葉が連れてくるものを受け入れて書いたのだという。

 そして、「とにかく人が死ぬ」というのもこれまでの小説と異なるところだ。いよいよ人がたくさん亡くなるとなったときに、フィクションにどういう仕事ができるのか、小説家は考える。こどもを産んでしばらくは「せめてフィクションでは」という気持ちでケアの方向に向かっていて、その当時に書いていたのが『あこがれ』という小説だったけれど、「あれは例外的な光の加減で、私があの仕事を続けていってはいけないと思っていた」と語っていたことが一番印象に残る。読んだ人が勇気をもらったり励まされる物語を書いてはいけないと確信した、と。

 名久井さんが話していたことで一番印象的だったのは、自分が想定した本というのは出来上がると過去になり、次に装丁する本のことに向かってしまうので読み返すことはないのだけれど、数少ない例外が未映子さんの小説だと言っていたこと。未映子さんの小説に関しては、読み返すと結末が変わってるかもしれないから、たまに「確認しなきゃ」と思って本を手に取る。自分自身が物質化してるから、小人が書き換えない限り変わってるはずはないんだけど、未映子さんの本はそんなふうに移ろうイメージがあるのだという。

 トークが終わると、今日が発売日の『ウィステリアと三人の女たち』が手渡される(事前に「日比谷コテージ」に足を運んで、先に書籍代を支払うことでトークイベントに予約することができた)。本を開くと、サインがしたためられている。おふたりにご挨拶したのち、同じくトークを聴きにきていた友人のA.Iさんと「オーバカナル」で乾杯。