朝8時に起きる。シャワーを浴びて、荷造りを始める。今日は京都に出かける予定だ。ここ最近、ずっと『手紙』というドキュメントを書き続けている。川上未映子さんの詩をマームとジプシーが上演するツアーに同行し、そこで見聞きしたものをドキュメントとして書き記す。それを印刷会社に入稿し、A5サイズのポストカードに仕上げてもらう。届いたポストカードに切手とラベルを貼り、その手紙を書き記した土地の郵便局に発送し、風景印を押して投函してもらう――そんな作業をすでに33通ぶん繰り返してきた。手紙は全部で36通を予定していて、最後の1通は3月31日までに届けたいと思っているのだが、ここにきて問題が生じてしまった。

 34通目の『手紙』を入稿したのは3日前のこと。最短納期で発注しているので、昨日の午前中には届くはずだった。でも、待てど暮らせど『手紙』は届かなかった。おかしいと思って確認すると、入稿する際に日程を指定しそびれていて、最長の5日納期で申し込んでしまっていたのだ。5日納期だと、納品されるのは26日になってしまう。それではかなりきわどい日程になる。最後の3通は沖縄の消印で送るのだが、切手を貼り終えた『手紙』を沖縄の郵便局までゆうパックで届けるのに2日かかり、沖縄の郵便局から東京まで郵便物を届けるのにも2日かかる。

そうすると、

・34通目
26日に東京から発送→28日に郵便局に到着→30日に東京に届く

・35通目
27日に東京から発送→29日に郵便局に到着→31日に東京に届く

・36通目
28日に東京から発送→30日に郵便局に到着→1日に東京に届く

となり、最後の1通は4月なってから届くことになってしまう。それは避けたい。もちろん34通目から36通目までをまとめて沖縄に向けて発送すれば3月中に届く可能性は高いけれど、できることなら1通ごとに違う日付の消印が押されていて欲しい。それに、26日に東京から発送したとしても、3月中に届かない可能性だってある。上の日程は、あくまで「郵便局員さんがその日のうちに段ボールを開封して、その日のうちに風景印を押して発送してくれた場合」のものだ。それに、「沖縄の郵便局から東京あてに発送された郵便物は2日で届く」というのも、最短の日程である。通常サイズのハガキであれば機械で処理されるので、滞りなく郵送されてゆくのだが、A5サイズは機械で判別できないらしく、届くまで少し時間がかかってしまうこともある。それでは34通目さえ3月中に届かない可能性もある。

 最初に思いついた解決方法は、沖縄に行くということだった。26日の午前に届くであろう『手紙』を持って沖縄に飛び、機内で切手とラベル貼りを済ませ、沖縄の郵便局に「風景印を押して投函してください」とお願いする。そうすれば最短で28日には東京に届く計算になる。その案を思いついて、すぐに沖縄行きの格安航空券を探し始めたのだが、スカイマークは26日の便はすべて売り切れていて、航空券の価格比較サイトで調べてみても往復で5万円以上する。お盆でもないのになぜ。と数分考えて気づいたのは、卒業旅行の大学生で賑わっているのだろう。さすがに5万円を費やすのは現実的ではなく、別の方法を考えることにする。そこで京都行きを思い立ったのだ。

 『手紙』の印刷をお願いしている会社は京都にある。この印刷会社の最短仕上げは「翌日渡し」だ。僕がいつも申し込んでいるのは「1日納期」で、これは入稿した翌日に京都から発送されて、次の日に東京に届く。つまり入稿の翌々日に手元に届くことになる。でも、「翌日渡し」を選ぶと、郵送ではなく、店頭で直接受け取れる。これなら1日縮めることができる。そうすれば23日に受け取って、すぐに発送し、25日には沖縄の郵便局に届けることが可能だ。その案を思いつくと、すぐに「翌日渡し」で『手紙』を注文し直していた。それが昨日のことだ。

 「翌日渡し」の場合、翌日の朝9時から受け取りが可能だ。それなら朝イチの新幹線で京都に向かってもよかったのだが、午前中に届く予定の荷物があった。「翌日渡し」で再度注文したのは34通目だが、35通目と36通目の『手紙』は今日の午前に届くように注文してあったのだ。それを受け取ってから京都に向かうつもりで、のんびり荷造りをする。せっかくだから一泊していくつもりだ。今日は大阪で気になっていたライヴもあるから、大阪に泊まることにしよう。大阪に泊まるのであれば、マームのツアーのときにも宿泊した西成の格安のホテルにしよう――そう思って、じゃらんで予約手続きを進めていたときにチャイムがなった。

 クロネコヤマトのお兄さんが抱えていた荷物は2個あった。その時点で嫌な予感がしたのだが、開封してみると、片方の段ボールには35通目と36通目が、もう片方の段ボールには34通目が収められていた。5日納期だと26日にしか届かないはずだが、どういうわけだか早く届いたようだ。昨日、あんなにあれこれ考えたのは一体何だったのだろう……。そして、34通目が届いてしまった今、京都にまで出かける理由はなくなってしまった。「翌日渡し」で注文してしまった分をどうするかは後々考えることにして、急いで34通目に切手とラベルを貼り、午前中のうちにゆうパックで発送した。

 昼、キャベツと酒盗のパスタを作って食す。午後は瀬戸大橋関連の資料を読み始める。『手紙』を最後まで書き終えたので、今日からは『月刊ドライブイン』のことを考えて過ごす。ここまではほぼ月刊を保ってきたけど、ここ2ヶ月はすべての時間を『手紙』に注いできたので、まったくドライブインのことを進められていなかった。16時過ぎ、気分転換もかねて散歩に出る。谷中銀座は平日でも賑わっている。「古書信天翁」で文庫本を2冊買って、向かいの酒屋でアサヒスーパードライを購入し、ぼんやりしながら飲み干す。缶を捨てて再び谷中銀座を歩き、ドラッグストアで買い物をして、アパートに戻る。知人が帰ってくるまで、ハイボールを飲みつつ資料を読み続ける。この時間には大阪にいるはずだったのに、アパートにいる。考えてみれば、自宅近辺を出ずに過ごすのはずいぶん久しぶりのことだ。この2ヶ月は全国を転々としていたし、東京に戻ってきてからも電車に乗って別の街まで飲みに出かけてきた。これまでは旅に出てばかりいたけれど、もうすぐ連載も終わってしまうから、そんなふうに過ごすことはできなくなるのだろう。そう考えると、こんなふうに好き勝手に移動してきた最後の旅の記録が『手紙』でもあるわけで、センチメンタルな気持ちになってしまう。

 知人の帰宅時間にあわせてツマミを作る。そらまめの素焼きと、鶏モツ煮と、トマトと卵の炒め物。鶏モツ煮とトマトと卵の炒め物は土井先生のレシピ本に載っていて、簡単な上においしいのでよく作る。22時頃に帰宅した知人と乾杯。知人は最近疲れているようなので、録画したバラエティ番組を観る。『さんまのお笑い向上委員会』、オラキオが活躍しているのを嬉しく見る。オラキオは「『とんねるずのみなさんのおかげでした』と『めちゃイケ』が終わると困る、さんまよ俺を何かの番組のレギュラーにしてくれ!」と言っていて、ああそうだ、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の最終回も録画していたんだったと思い出して観る。最後にとんねるずが「情けねえ」を熱唱している。知人は「この曲、好きだったわー」とビールを煽っている。小学生の頃はテレビを見せてもらえなかったので、この曲に対する思い入れは僕にはない。でも、「この世のすべてはパロディなのか?」という歌詞を、この年になったとんねるずが熱唱している姿には何か感じ入ってしまう。最後の「この国をおちょくるな」を「フジテレビをおちょくるな」に変えて歌ったところにも。

 この10年、ことあるごとにフジテレビは叩かれてきた。おちょくられてきた。そのことに彼らは言葉で語ることはなく、舞台にたち続けてきた。さきほど書いた通り、僕は小さい頃からとんねるずを観て育ったというわけではないけれど、この10年はそれなりの頻度で『とんねるずのみなさんのおかげでした』を観ていた。特にここ数年はかなりの頻度で観ていた。「全落」や「細かすぎて」や「きたなトラン」はもちろん面白く観ていたけれど、最近のただ時間を埋めるような企画もよく観ていた。それはなんとなくテレビをつけていたい時間にぴったりくる番組だった。もちろん、そこにはとんねるずのかつての過剰さは何一つないのだろうけれど、それが悪いことだとも僕は思わなかった。テレビは常に放送されているもので、枠は埋められなければならない。その埋め草的な世界というのは、言われているほど醜悪なものだとは思わなかった。