朝5時に起きる。無事に起きることができてホッとする。シャワーを浴びて身支度を済ませ、6時にアパートを出る。上野駅のe-cuteでおにぎり2個購入して、6時38分発の東北新幹線に乗る。これが始発だ。なぜかe-cuteのこだわりおにぎりの店で購入してしまったけれど、コンビニで買えばよかったなと反省しながら、鮭にぎりを食す。ほろほろに握ってあるので、一口食べると崩れそうになり、そのまま一口で頬張る。ふと、青春18きっぷを忘れてきたことを思い出す。4月10日が有効期限で、ちょうどあと2回分残っているから今日を選んで出かけたのに、何をやっているのだろう。

 9時21分、八戸駅に到着。去年の秋に十和田にある「わかばドライブイン」を取材して以来だ。なるべく暖かい格好でやってきたのだが、4月の八戸はまだ寒かった。コートが欲しいくらいだ。ドトールでコーヒーを飲んで、コインロッカーに荷物を預けたのち、八戸線で南を目指す。海を眺めながら、取っておいた蛸飯おにぎりを食す。2時間弱で久慈駅に到着。ここを訪れるのは5年ぶりだ。2013年の秋、『あまちゃんモリーズ』というムックで『あまちゃん』のロケ地をルポする企画で、ここを訪れた。放送終了から5年経った今でも、駅舎に、町に、『あまちゃん』のイラストがある。駅前デパートもまだ健在だが、ロータリーは大規模な工事が行われている。三陸鉄道の立ち食いそば屋さんでは、今日もうに弁当が販売されていた。

 12時7分発の三陸鉄道に乗り、さらに南を目指す。5年前のことが思い出される。白地に青と赤が映える車両の姿を、テレビで毎日のように眺めていた。5年前の秋には実際にこの目で見た。あの車両基地の中も取材させてもらった。話を聞かせてくれた駅長さんは元気だろうか。車窓の景色を眺めていると、「ああ、あそこに立っていたことがある」と記憶が鮮明に甦る。走っている三陸鉄道の姿を、田んぼの真ん中から撮影したのだ。そんなふうに風景のことは思い出せるのだが、そのとき自分が何を感じていたのか、まったく思い出すことはできなかった。まるで他人の記憶みたいに思えてくる。

 席は埋まっていたので、僕は車両の一番後ろに立っていた。三陸鉄道は単線なので、一本のレールがずうっとまっすぐ続いている。電車が走ると風が起こり、巻き上げられた落ち葉が舞いながら遠ざかっていく。あの頃の自分が何を考えていたかはわからないけれど、今の自分よりはきっと拙い取材だっただろう。ただ、5年前は依頼を受けて取材に訪れていたのに、今は依頼があるわけでもなく、自腹で取材にきている。そのことを考えると暗澹たる気持ちになる。この5年で自分は何か積み重ねることができたのだろうか。この人に原稿を書かせたいと思ってもらえるように過ごしてきたのだろうか。そんなことを考えていると、次は十府ヶ浦海岸というアナウンスが流れた。海辺には堤防が建設されているところで、海はまったく見えなかった。

 堀内駅三陸鉄道を降りた。能年玲奈演じるアキの家の最寄駅として、何度も『あまちゃん』に登場した駅だ。そこから徒歩でドライブインを目指す。途中で小雨が降ってきたが、本降りになることはなくてホッとする。15分ほどで、今回取材する「レストハウスうしお」が見えてくる。取材をお願いしていたのは14時からだったけれど、今はまだ13時だ。話を伺う前に、ご挨拶だけしておいて、食事をいただくことにする。夏であれば生うに丼があるのだが、今は漁が行われていない時期なので、もう一つの看板メニューである磯ラーメンをいただくことにする。ウマイ。塩ラーメンに海藻が載っているのだが、本当に磯の良い香りがする。今日はもうお客さんも落ち着いたから、もうお話できますよと言ってくださったので、13時半に取材を始める。『月刊ドライブイン』で取材をするときは、ある程度下調べをして、原稿の構成もぼんやり考えてから行くのだが、思ってもみなかった話が聞けて嬉しかった。

 15時過ぎ、お礼を言って店をあとにする。歩いていると小さな商店が見えた。ビールが飲みたかったのだが、店頭には見当たらなかった。お店のお母さんも一緒に探してくれたのだが、店頭にはチューハイしかなく、諦め掛けていたところに奥から第3のビールを持ってきてくれた。これはいくらぐらいのもんだろうね、今は番頭さんがいないからわかんないんだけど、とお母さんは言う。これは番頭さんが自分で飲むつもりのビールではないだろうかと思いつつも、250円で購入する。電車がくるまで時間があるので、海に出る。そこは漁港になっていて、水揚げされたばかりのワカメが運ばれているところだ。

 八戸まで帰ってくる頃にはすっかり日が暮れていた。コインロッカーから荷物を取り出し、宿のある本八戸駅へ。僕が泊まるホテルも繁華街も駅から離れているので、暗い道を15分ほど歩く。ホテルにチェックインして、さて、どこに飲みに出よう。まずはホテルのすぐそばにある屋台村「みろく横丁」を流す。ずいぶん昔――あれは10年近く前だったような気もする――に訪れたときは活気があったように記憶しているのだが、今日はそれほどでもなかった。町にはスナックもたくさんあるけれど、そこで交わせる言葉があるとも思えない。では黙って静かに飲みたいのかと言えば、誰かとふれあいたいと思っているのだから、我ながらわがままだ。

 路地をぐるぐる歩いていると、シブい看板を見つけた。ただ渋いというのではなく、どこかハイカラな電飾だ。メニューも何も出ていないけれど、勇気を出して入ってみる。5人掛けのカウンターがあり、小上がりには3つテーブルが並んでいる。テーブルはすべて埋まっていて、2階からは宴会の賑やかな声が聴こえる。カウンターには誰もいなかったので、そこに座り、ビールを注文する。メニューはないらしく、どんなものが食べたいかと尋ねられたので、お刺身を、と答える。ママさんと数人のスタッフがカウンターの向こうで忙しく働いているようだ。ようだ、というのは、カウンターにはあれこれ荷物が積まれているので、隙間からしか様子を伺うことができないのだ。

 ビールを飲み干したあたりで、店の扉が開いた。男性客がケータイで話しながら入ってきた。中年のサラリーマンだ。その時点で僕は眉間に皺を寄せてしまっていたのだが、男は電話越しに「えー、でももう店に入っちゃったよ」「席に座っちゃった」「もうビール頼んじゃった」と実況している。相手は仕事関係の女性であるらしかったが、ずっと「えー、来てほしいっていうんだったら行くけどね。来て欲しいっていうんだったらね?」と繰り返している。10分ほど経ってようやく電話を切ると、「ママー、呼ばれちゃったからいくわ」と言い出す。どうやら常連客であるらしかった。ママは嫌な顔をするでもなく、じゃあお会計は次のときに一緒でいいわよと言っている。だが、男は「いや、もうここに置いてくね。お釣りがあったら次のぶんにまわして」と言い、財布から取り出したお札をテーブルに置くのが目の縁に見えた。男は帰り際にもう一度お札を手に取り、「ここ置いとくからね。とられないようにね」と言った。今思えば、飲んでいた日本酒をかけてやればよかったと思う。誰を泥棒扱いしてんだ。そんな高額紙幣なら手渡していけよと思って男のほうに目をやると、そこに置かれていたのは千円札だった。

 こんな男が常連客だなんて、入る店を間違えた――。暗い気持ちでいたところにお刺身が運ばれてきた。それはとても豪華な刺し盛りで、食べてみるとどれもうまかった。良い店だ。刺身がうまいので酒が進み、日本酒を4合飲んだ。こうなってくると心配なのはお会計だ。ビールと一緒に、魚介の入ったあら汁のようなお椀が付き出しで出てきていたこともあり、もしかしたら7千円くらい取られるかもなと心配していたのだが、会計はとても良心的な値段で、何か間違えているのではと心配になるほどだ。すっかり満足してホテルに戻り、すぐに眠りにつく。