朝7時に起きて、ジョギングに出る。不忍池を眺めて引き返す。小学校に通りかかると、運動会の練習をしているのが見えた。豆腐とネギの味噌汁で朝食。包丁を研ぎ屋に出すまでは、スパッと切れないこともあり、長ネギは一番外側の皮を剥いていた。研いでもらったおかげで、そんなことをしなくてもスムーズに切れるようになったのだが、味噌汁の具として食べると外側の皮の硬さが気になるので、今日からは剥いて食べることにする。

 午前中は『月刊ドライブイン』の原稿を書く。11時半にアパートを出て、13時に横浜・中華街へたどり着く。高田馬場に住んでいた頃は副都心線で一本だったから、まだ近場という感じがあったけれど、千駄木からだともはや旅だ。まずは「山東」に入り、水餃子(10個)とビール。いつも半分食べたところで満腹になる。「山東」はランチセットもあり、水餃子(5個)のセットもあるので、今度からはランチセットのごはん抜きで注文しよう。

 14時、KAATにてサンプル『グッド・デス・バイブレーション考』観る。当日パンフレットにはこんなふうにあらすじが記されている。

時は近未来。ツルオと娘のヌルミ、孫のバイパスは、谷間にある集落の片隅の小さな家に暮らしている。ツルオは65歳の元ポップスター。自由恋愛や歌が禁じられたことで都市を追われ、ここに流れついた。バイパスは、ヌルミと国が選んだマッチングパートナーとの間に生まれた子。14歳だが、クスリで膨らませた身体は28歳だ。この世界では、貧困家庭の65歳以上の者は、谷を降りた入江から「船出」と称する安楽死を迎えることになっている。時折この家に顔を出す隣人・クッコの母親も、つい最近船出した。今は船出に最適な台風の季節。山の向こうからバイパスのもとに嫁のザラメがやってくる。そのザラメを訪ねてくる謎の男。身を寄せ合って暮らしてきた家族の日常が揺らぎ始める――。

 観劇から一晩明けて、こうしてあらすじを書き写してみると、ここに書かれていることが目の前で繰り広げられた。これ以上でもこれ以下でもない。あらすじから想像される展開が巻き起こるだけで、あらすじから想像される感情が描かれるだけだ。俳優の台詞まわしもシアトリカルで、いかにも演劇を観ているという感じだ。いかにも演劇を観ている。演劇なのだからそれで問題ないのだと言える。でも、それを観て過ごすのは僕の仕事なのだろうかと、上演されているあいだずっと考えていた。僕はもう演劇を観ないだろう。僕は演劇について書く仕事をしているわけでもなく、劇作家に取材する仕事をしているわけでもないのだ。

 この物語は「近未来」として書かれているけれど、これははたして近未来だろうかということも考えた。SF的な要素は別として、人間のありかたとしては、今現在もどこかにこういう世界は存在している。先日観た『プラスチック・チャイナ』というドキュメンタリーもこれに近いディストピアを感じたし、無職の子や孫が、親や祖父母を殺す事件にもこれと近いものを感じる。あるいは親が死んだことを隠して年金を受給し続けていた事件にも。現実的な問題として、片道1時間半かけて劇場に行き、2時間にわたって舞台を見つめて、電車代を合わせれば6千円近いお金を費やしてこうした感覚になるのであれば、僕はもっと本を読んだり、ドキュメンタリーを観たりして過ごそうと思う。

 観劇後はすぐに新宿三丁目に引き返し、喫茶店「L」。ブレンドコーヒーを注文したのだが、店員さんは運んできたコーヒーをテーブルにひっくり返してしまう。こんなドラマみたいなことが本当に起きるのだなと思いつつ、足元に置いていたリュックを瞬時にどかす。改めて運ばれてきたコーヒーを飲みつつ、『月刊ドライブイン』の原稿を書く。1時間ほど経ったところで、アパートに置いてきた資料が必要になってしまい、今日はもう飲むことにする。思い出横丁「T」に入り、ホッピーと焼き鳥。1時間ほど過ごしたところで会計をお願いする。「2250円」と言われたのを「1250円」と聞き違えてしまい、2千円渡してお釣りを待ってしまう。よく考えれば1250円なわけがないのだけれど、最近は「安く飲まなければ」という思いに駆られているせいで聞き間違えてしまった。

 ほろ酔いで「紀伊国屋書店」(新宿本店)。もっと書店をのぞかなければ。2階の棚をじっくり眺める。気になる本はたくさんあるけれど、これは図書館で借りようという本はメモをしておき、手元に残しておきたい本を厳選してレジに向かう。それでも7千円近く散財してしまった。新宿3丁目「F」にも顔を出すつもりでいたが、今日はお金を遣い過ぎている気がして帰途につく。買ったばかりの『貧乏まんが』(ちくま文庫)を読んだ。僕は自分にとってリアルタイムと言える漫画家以外はほとんど読んでこなかったが、面白い。つげ義春永島慎二は改めて読んでみよう。社会の影。これを読んでいると、自分が書かなければならない風景が思い浮かんでくるような気がする。