朝起きると、フローリングの上で眠っていた。知人はソファで眠っている。何で俺は床で寝ているのだろうかと知人を起こす。

「あれ、布団は?」
「『布団は?』じゃないよ。おぼえてないの?」
「覚えてるわけないじゃん」
「いや、びっくりしたけど。昨日も酔っ払って帰ってきて。何とか布団に寝かせて、はあやっと静かになったと思って私も寝ようと思ってたら、じょぼ、じょぼぼぼって聞こえてきて。『あれ? じょぼ? じょぼって何だろう、おかしいな。え、まさか』と思って起きてみたら、しっこしてんだもん」

 まさか自分が酔っ払って寝小便をすることになるとは思ってもみなかった。キレはどうだったのかと聞いてみると、「こんなにキレが悪いことってあるのかってくらい悪かった」という。今日はこどもの日だ。少年時代におねしょをしたおぼえはないのだが、大人になって経験することになるとは思わなかった。

 昼、知人と一緒に出かける。街はいつも子供が溢れているような気がする。自転車に腰掛けたまま、街角でゲームに興じている。「コットンクラブ」でパスタとビールを飲んだあと、新宿に出る。「LUMINE0」に足を踏み入れると、昨日までの『あっこのはなし』のセットはバラされており、『てんとてん、をむすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』の舞台が出来上がっている。イタリア、チリ、ボスニア、イタリア、ドイツと旅をしてきた作品が、今年は東京に置かれている。

 15時、テクニカル・リハーサルが始まる。もちろんゲネプロだってそうだけれども、テクニカル・リハーサルというのはテクニカル・スタッフの作業の時間だ。ところどころ稽古を中断しながら、照明や音響に修正を加えていく。スズキタカユキさんも客席にいて、衣装をどう調整するかを考えている。『てんとてん』はゲネプロをやらないことになっていたので、僕はこの時間に撮影係としての任務をこなすことになったのだが、とても気を遣う撮影だ。僕のカメラにはさしたる静音モードが付いておらず、シャッターを切るたび妨げになるし、ちょこちょこ動いているだけでも邪魔になりかねない。しかし、写真を撮らねばならない。汗を書きながら3時間ほど撮影をする。

 19時、NEWoManで知人と待ち合わせ。舞台を観ているせいか新しい服が買いたい欲が高まっているので、知人と一緒に探して歩く。「もふが好きそうなシャツが売っていた」というので、その店に行ってみる。バンドカラーシャツで、青のストライプだ。先日、「アメトーーク!」で千鳥がバンドカラーシャツを着ているのを観て以来(ケンコバが「なんや、千鳥は襟なしのシャツを着るルールでもあるんか」とツッコんでいた回)、バンドカラーシャツを買いたいと思っていた。これはたしかに好みだと試着をしてみる。ディスプレイされていたときはおしゃれだったのに、僕が着ると寝巻き感が強く、なおかつローソンの店員にしか見えなかったので、そっと棚に戻す。

 試着するとドッと疲れたので、結局服は買わず、飲みに出かけることにする。今日はあそこだなと思っていたら、知人も「日本再生酒場がいい」と言う。今日の新宿は少し静かだ。昼にJRミライナタワー改札を歩いている時も、NEWoManを歩いた時も、いつもは妙な場所で立ち止まる人が多くて歩きづらかったのに、今日は比較的空いていた。そういえば明日は平日になるので、そこを有給で潰さない人にとっては今日が連休最終日なのだ。

 日本再生酒場に入り、酎ハイで乾杯する。店員さんが必要最低限の言葉だけで接客しているので清潔な感じがする。何杯か飲んでいるうちに、いつも知人と言い合いになる話題になった。最近書いていた原稿について、知人は「どこかに持ち込んだりとか、どうしてそういう営業をしないのか」と言う。書くだけ買いて、どうして届けるってことを考えないのか、それは結局、「俺のことに気づかないヤツはバカだ」と見下してるってことじゃないのか、と。

 知人の言うことは否定しないけれど、話せば話すほど知人が携わる仕事との溝を感じる。舞台における制作という役職は、出版における編集者と近い仕事だ。売り上げによって採算を取ることが厳しい演劇というジャンルでは、助成金を申請するために制作は様々なプレゼンを行う。その仕事に携わる知人からすれば、書くだけ買いて終わっている僕のことが信じられないのだろう。もっと言えば、その溝は演劇と文章の溝であるとも思う。演劇というのは、今生きている人が、今生きている観客に向けてしか上演することができないものだ。でも、文字というのはそれとは異質なものだということを、これだけ一つの集団を追いかけているせいか、いつも感じている。