1月14日

 8時過ぎに起きる。ジョギングに出ると、少し先にタクシーが停まっている。ずいぶん長い時間停まっているなと思っていると、晴れ着姿の女性がそろそろと降りてくる。その後も晴れ着姿の女性を3人ほど見かけた。不忍池をぐるりと走る。一昨日は白い鳥がものすごい数飛び交っていて、巨大な望遠レンズを構える人をたくさん見かけた。ああ、渡り鳥の季節なのかと思っていたけれど、今日は白い鳥も、カメラを構える人もほとんど見かけなかった。アパートに戻り、「ベーカリーミウラ」の食パンを焼いて食す。今回は初めて4枚切りにしてもらったが、食いでがあってウマイ。はぐはぐ食べていると、知人が面白そうに眺めてくる。

 昼、知人と一緒にアパートを出る。東京メトロを乗り継いで新宿三丁目に出て、「アカシア」へ。4組待ちだと言われたが、すぐに入店できた。知人はロールキャベツシチューのセット、僕はロールキャベツシチューとポークカレーのセットを注文。もちろんビールも頼んだ。周りの客は、「お済みのお皿、お下げしますね」と下げられている。その客が帰ったあとで、「ほんとに信じられん、食べ終わってゆっくりするところじゃないやろ」と不満げに言う。何でそんなに文句を言うのかと尋ねると、僕と一緒に過ごしているせいだと知人は語る。「環境が人を変えるって実例がここにあるんよ」と開き直っている。

 僕が「アカシア」を訪れるのは2度目だが、知人は初めてだという。ロールキャベツも美味しいけれど、かために炊いたごはんが何よりうまいと満足げだ。半分ぐらい食べたところでお腹が満ちてきたが、なんとか完食して店を出る。そういえば先日、バナナマンの設楽さんがラジオで「最近メシがあんまし食えなくなってきた」と語っていたが、これからどんどん食べられなくなっていくのだと思うと切ない気持ちになる。学生時代の友人であるA.Tさんとよく二人で飲んでいた頃は「我々は底なしですからね」なんて言いながらぱくぱく食べていたのに。そんな話をすると、「どこが底なしじゃあ、しょべえ食欲やのう」と知人が言う。

 一旦知人と別れて、13時、「タイムス」という喫茶店に入る。来月のイタリア行きに向けた打ち合わせ。1時間ほどで終わり、知人とフラッグスで合流する。GAPがセールをやっていたので(ここを訪れるといつもセールをやっているように錯覚する)、何気なく入ってみると、セーターが1990円に値下がりしている上に、さらに30パーセントオフだという。一体何がどうなっているのだ。派手な色が気に入ったセーターと、同じ値段で販売されていたパーカーを購入する。冬が近づくたび、「ああ、防寒具を買わなければ」と思って服屋に出かけ、「暖をとるのにこんなにお金がかかるのか」という気持ちになっていたので、とてもよい買い物ができたという気持ちになる。服にだって作っている人がいて、安価で買えるということは安い賃金で働かされている人がいるのだと言われればその通りだが、今の僕には服にたくさんお金を注げる余裕はないのだ。

 伊勢丹を冷やかしたのち、歩行者天国の真ん中を突っ切って新宿駅に出る。三連休だというのに、人出が少ないように感じる。山手線で日暮里まで戻ってきて、谷中ぎんざに出てみると、こちらは大賑わいだ。「越後屋本店」でアサヒスーパードライを1杯飲んで、買い物をしてアパートにたどり着く。気づけば沖縄に出かける日が迫っているので、滞在中のスケジュールを立てる。あっという間に夜だ。昼ごはんがまだお腹に残っている感じがすることもあり、いつもより遅く、20時に晩酌を始める。知人が作ったラム肉とセロリの水餃子(セロリを入れたのは「エイト」でいつもセロリの水餃子を注文するから)。

 

 黒霧島のお湯割を飲みながら、録画しておいた『いだてん』(第1話)、ようやく観る。いや、すごいドラマだ。作業をしながら観るつもりだったのに、とてもながら見ができるドラマではなかった。キャストもスタッフも、資料映像も、本当に贅沢なドラマだ。細かなところまで手が込んでいる。何より、ただ1964年を描くだけでなく、明治との往復があるところに感服する。こうして時代を提示されると、たった100年ちょっと前でも現在とはまったく違う東京がそこにあったのだなと痛感する。つまり、私たちの今の生活というのは、ずっとこうあり続けるものではなく、今はたまたまこの生活だということを意識させられる。そして、明治の時点ではさまざまな未来の可能性があり、破天荒な人たちが思い思いの未来像を描いていたのだと思わされる。それに比べては今の時代はと思ってしまうところもあるけれど、今だって、どんな未来を思い描いてもいいのだ。