7月20日

 9時、久しぶりでジョギングに出る。アプリによれば2ヶ月ぶりだ。今朝も少し雨が降ったせいか蒸し暑く、すぐに汗が噴き出す。これまでとは少し違うルートをと、330号線から路地を入り、古波蔵あたりをぐるり。少し入ると古い建物が多く、「鰹節店」という看板もいくつか見かけた。電柱という電柱に参院選にポスターが貼られてある。出馬している自民党候補の名前と、「喜劇の女王」とキャッチコピーのついた仲田幸子の名前と、それにふたりの写真が印刷されている。オール沖縄が応援する候補のポスターは見当たらないなあと思って走っていると、ある一角から先は、そのポスターにことごとく警告のシール――この広告物は那覇市屋外広告物条例に違反しています。5日以内に除却してください」と書かれた那覇市道路管理課・警察署長によるシール――が貼られている。

 帰りにセブンイレブンに立ち寄り、コクと旨味のカレーパンとアイスコーヒーを購入する。おにぎりを買うと「温めますか?」と聞かれるのは慣れているけれど、パンでも「温めますか」と言われるとは知らなかった(思えば、沖縄滞在中、コンビニでサンドイッチを買うことはあっても惣菜パンを買うことはなかった)。さきほどは青空も見えていたので、今日のうちに洗濯をしておこう。そう思って洗濯機を回し始めたところで、雨の音が聴こえてくる。先月沖縄を訪れたとき、Uさんと話していて「橋本さんは天気予報を見るのは得意ですか?」と聞かれたことを思い出す。天気予報を見るのに得意とか不得意とかあるんですかと聞き返すと、沖縄の天気はすごく移り変わりやすくて、天気予報のとおりにならないことも多いけど、沖縄の人は自分で情報を得たりしながら天気を探っているのだ、と。そのことを思い出しながら、洗濯物を乾燥機にかける。

 宿を出て、仮設市場を眺めたのち、Uさんのお店に立ち寄る。近々ワークショップがあり、そのために向かいにあった鰹節店から古い写真を借りたそうで、その写真を見せてくださる。昔はほんとうにずらりと鰹節屋さんが並んでいたのだとわかる。きっと70年代に撮影された写真なのだろう。それとは別に、1982年に撮影されたという写真を見せていただく。まだアーケードがつく前の市場界隈の姿がそこにある。ただ、アーケードはなくても、白い布を渡して日避けにしてある。写真を眺めていて思うのは、路上販売をする人の姿が今より格段に多いことと、もうすでにムームーを売っている店が並んでいて、それは水上店舗側だけでなく、公設市場の外小間にも衣料品が並べられていること。雑貨部や衣料部もあるのに、第一牧志公設市場に衣料品が並んでいたというのはとても不思議だ。立ち話のなかで、これから三年間の取材のことも少し話す。その取材は、刻一刻と移り変わる様子や、その時々に起こっていることを取り上げつつ取材したいという気持ちがある。ただ、そこに大きな見取り図も必要だろう。そのことも踏まえて、タイトルの一部に「普請中」というフレーズを入れたいと思っている。まだ森鴎外の「普請中」を読んだことはないけれど、今回の滞在はどんな見取り図がありうるのかと考えながら過ごそうと思ってますと伝えると、まずは「普請中」を読んでみるといいんじゃないですかと、とても真っ当なアドバイスをしてくれる。

 13時半、「喫茶スワン」に入り、カツサンドを注文。こんなのが配られてるのよ、とビラを見せてくれる。近くにオープンしたばかりのタピオカかき氷屋で賃金の未払いがあったのだと書かれている。一ヶ月分の賃金がまったく支払われておらず、働いていた大学生は店のシャッターに支払いを求める貼り紙をしたところ、「世間知らずのクソ田舎モンが」「調子にのるな」とメールを送られたのだという。事実だとしたら酷い話だ。そこはしばらく前に閉店したベルト専門店の跡地にできた店だ。5月にオープンしたらしいのだけれど、僕が6月に那覇を訪れたときにはあまり賑わっている様子はなかった。いつ通りかかっても同じ女の子が働いているので、その子が自分で立ち上げた店なのかと思っていたけれど、そうではなかったようだ。昨日、常連のお客さんがビラを手に入っていて、酷いねえと話していると、テーブル席にいたうちのひとりが「それ、私です」と言い、この店にもビラを置いていったそうだ。

 「でも、他にもどきどきすることがあってね」とママは切り出す。東京から定期的にきてくれる若いお客さんがある日、「近くにスワンって看板が出てるけど、あれ、関係ある店?」と尋ねてきたのだという。もちろん「スワン」という名前の店を誰だって出していいのだけれど、あまりにも近い場所にある。しかも、しばらくすると「スワン」の近くに「じゃありません」と書き加えられていて、ママは「どきどきして、私はまだ見に行けてないの」と言う。場所を教えてもらって、代わりに(?)観に行く。歩いて110歩の場所に、その店はあった。その店はたしかこの1年のあいだにオープンした店で、大胆なことするなあと思っていたことを思い出す。

 宿に戻り、15時、パソコンの画面で宮迫博之田村亮による記者会見を観る。ところどころ言葉に詰まりながら語る姿に、驚く。そのふたりは、軽やかにトークする姿や、楽しそうに振舞う姿でしか見たことがなかった。表舞台から姿を消した芸能人が、しばらく時間が経ってすっかり様変わりしている――そんなことはよくあることだ。でも、このふたりの姿は、つい2ヶ月前までは毎週目にしていたのだ。宮迫は、保身のために嘘をついてしまったと、ゆっくり語る。たまらないものがある。清廉潔白を貫ける人は素晴らしいけれど、道を踏み外してしまった人が、それを開き直るのではなく、真摯に振り返って語る言葉というのは、重い。咄嗟に保身を考えてしまってから、こうして肚を決めて記者会見を開くまでに、どんな時間が流れたのだろう。

 まず驚いたのは、相手が反社会的勢力だと知っていたのかという話の流れで、入江君に確認したところ、吉本を通したイベントでも関わってくれた人だからと言われたと言及したこと。つまり、自分たちが反社会的勢力と付き合いがあったとされるのであれば、吉本興業も反社会勢力と繋がりがあると指摘したことになる。もう一つ、今日の会見に至るまでに吉本興業とどんなやりとりがあったのかということを、かなり具体的に語られている。「お前らテープ回してないやろな」という言葉のインパクトや、「引退会見か、契約解除か選べ」と、「引退会見をする場合はこちらでQ&Aを用意する」というやりとりは、いかにもではあるけれど、本当にえげつないなあと思わされる。第二弾として、週刊誌に金塊強盗グループとの写真が掲載されたことについて、トイレから出たところで記念写真を求められただけだと宮迫はきっぱり否定する。それに対して、だとすると、二日前に吉本興業から宮迫の契約解除が発表されたとき、「弊社といたしましては、諸般の事情を考慮し、今後の宮迫博之とのマネジメントの継続に重大な支障が生じたと判断し、上記決定に至りました」という文面と齟齬があるのではという指摘が記者から入る。しかし、この記者会見を聞いていると、「重大な支障が生じた」というのは記事が出たことではなく、会社側に対して宮迫と亮が弁護士を立てたことを指すのだろう。亮からの説明で、最初に弁護士を立てようと思うと伝えたときは社長は「おっ、ええやん」と言っていたのに、そこから直接話をすることができなくなったと語られていたけれど、その「おっ、ええやん」を翻訳すれば、「ええやんけ、そっちがそのつもりやったらとことんやったるど」だろう。

 それにしても、なぜ質問を投げかけるのが芸能レポーターばかりなのだろう。途中で、「千原ジュニアさんと一緒に番組を作っているんですけど」と前置きして質問を始めたのは特にひどかったけれど、とにかくふたりを泣かせようとしたり、ワイドショー的なフレーズを引き出そうとする質問があまりにも多くてうんざりする。二人が肚をくくって切り込んだ話をしようとしているのに、それをなかったことにしようとする記者ばかりだ。芸人と会社との圧倒的に不平等な関係をどうにか改善しようと踏み込んだ話をしてるのに、どうしてこんなことになるのだろう。眺めているうちに、それにしても、今日に至るまで急転直下だったのだなと思う。7月18日に「引退会見か契約解除か」と問われ、それならば会社を辞めてでも自分たちでと判断し、7月19日に契約解除が発表され、そして今日、自分たちで緊急会見を行っている。これだけの記者会見が開催されたとなれば、今日と明日は話題をかっさらって、そして週明けの情報番組も大々的にこの件を取り上げるだろう。明日が投開票日なのに、どこか霞んでしまうのではないか。それを考えると、「せめて記者会見で謝罪させてくれ」と言い続けていたふたりをこのように追い込めば、弁護士まで立ててきたくらいだから、すぐにでも自分たちで緊急会見を開くだろうと踏んでいたのではないかと思ってしまう。すべての政治日程には意図があるのだと、学生時代に聞いたことを思い出す。

 途中で視聴を切り上げて、シャワーを浴びて外に出る。25分ほど歩いて、那覇メインプレイスへ。今日は17時半からまず自民党候補の演説があり、18時からはオール沖縄が推す候補のラストスパート大集会が開催されることになっている。17時半ちょうどに那覇メインプレイスにたどり着くと、おもろまち駅側の交差点に、自民党候補の幟を持っている人が20人ぐらい立っている。聴衆の姿は見えず、本当にここで開催されるのだろうかと幟を持つ人に尋ねてみると、「タカラ? タカラはあっち」と言われる。いえ、あさとさんはと尋ね直すと、ああ、ここここ、と答えてくれる。10分ほど待っていると街宣車がやってきて、街頭演説が始まる。「令和元年、最初の国政選挙にのぞむにあたって、私が実現したい社会があります。沖縄の選挙で、イデオロギーをもう終わらせたいと思っているんです。もう右だ、左だ、この対立を、いまだに続けて選挙をしているのは沖縄だけなんですよ皆さん。もう右だろうが左だろうが、両方に正義があるとするなら、真ん中に新しい活路を見出していくのが、責任を果たしていく政治家の役割だと思いますが、皆さんいかがでしょうか」。街頭から「そうだ!」という声が一つ上がり、拍手が起こるが、そもそも聴衆があまり集まっていないのだった。

 「保守中道」を訴える街頭演説を聴き終えて、那覇メインプレイスの反対側まで歩く。こちらは100人以上の人が集まり、幟もたくさん掲げられている。野党が統一候補を出している一人区の終盤情勢で、「先行」や「リード」ではなく「優勢」と出ていた唯一の選挙区がここ沖縄であることを思い出す。

糸まずは応援演説から集会がスタートする。何人目かにマイクを握ったのは、現職の糸数慶子だ。3期12年を努めてきたけれど、「安倍政権は、国会に行って感じるのは、完全に沖縄を切り捨てています」と語る。この沖縄選挙区から、平和の一議席を占めるのにふさわしいのは、そして憲法を改正して再び戦争ができる国にしようとしている安倍政権に待ったをかけられるのはタカラ鉄美さんだ、と。タカラさんに投票することは、消費税引き上げへのNOであり、辺野古新基地建設へのNOであり、「戦争につながるすべてのものに反対する、大事な大事な一議席、タカラ鉄美さんにバトンを渡したい」と締めくくられる。

 候補者本人の演説は、「主権者の皆様、県民の皆様!」との呼びかけから始まる。憲法学者らしい語りだしとも言える。今の憲法ができたとき、沖縄はまだアメリカの統治下にあった、四半世紀遅れてようやく復帰を果たしたけれど、「まだ憲法が適用されていないようなもの」だと語る。だから自分は国政の場から玉城デニー県政を支えつつ、国が取り組まなければならない問題にしっかり取り組んでまいります、と。いくつか政策を訴える流れで、「お年寄りが安心して暮らしてもらうための年金問題」と切り出され、それはあまりにも大きなズレでは、と思う。もちろん年金支給開始年齢の引き上げという話もあり、お年寄りだって心配しているのだろうけれど、もっと深刻なのは若い世代で、これからどうやって支えるのか、そして自分たちが年をとったとき本当にもらうことが可能なのかを心配しているはずだ。

 この日いちばん印象的だったのは、候補者の長女による演説だった。彼女は他の弁士と違って政治家ではないので、何度も言葉につまりながらも聴衆に訴えかけていた。父は穏やかな人で、シングルファーザーとして自分を育ててくれたけれど、その父が立候補してここまで声をあげて訴えているというのは、民主主義が危機にあるということだと思うと、長女は語る。民主主義とは、うんうんと何でも受け入れることではなくて、やってはいけないことにはNOと言うことだとした上で、こう語る。「たとえば家庭においても、会社においても、何かが、全体が間違った方向に進もうというときには、こんな道でいいのか、もっとこういう道があるじゃないのかとちゃんと、議論をできるのが、良い家庭と、良い会社を作っていくことであります。だから、国もそうだと思います」

 演説が終わると、街宣車から降りて、本人と長女は集まった支援者のもとをまわり、握手を交わす。僕は握手できないので、輪の一番外側まで移動する。そこで「あれ、橋本さんですか」と声をかけられる。『市場界隈』を読んでくださって、トークイベントも聴きにきてくださったという。「やっぱり、関心ありますか」と言われて、モニョモニョした答えをしてしまう。自分の目で見ておきたいという気持ちがあるだけで、僕は特定の候補を支持しているわけではないので、どこか申し訳なくなる。握手をしてまわる方向から逃れるようにしていると、候補者たちは交差点を渡って向こう岸に移動していく。四つ角それぞれに支援者が集まっていて、ひとりひとり握手を交わしている。さきほどまで登壇していた政治家の方達も、いやあ、よかったといった調子で和やかに談笑している。県知事の姿もあり、こんなふうにごく普通に話しかけられる場所に佇んでいるものなのだなと不思議に思う。候補者はもとの角に戻ってくると、車に乗り込んで、最後の遊説に出かけてゆく。いつのまにか街頭にいた人たちも帰途についていて、閑散とし始めている。集まっている人たちの多くは、これは自民党候補の演説に集まっていた人たちにも共通することだけれども、その大半が支援者だった。お揃いのTシャツを着ていたり、チームカラーのはちまきを巻いていたりする人がほとんどで、たまたま通りかかった人が足を止めるということはほとんど見受けられなかった。これは今日に限らず、先週の日曜日に東京選挙区の街頭演説を見てまわったときにも感じたことだった。選挙が、政治が、ほとんど趣味の世界になりつつあるように思えてくる。

 歩いて栄町に移動して、19時半に「うりずん」。今日はお腹が空いているから、ツマミも何品か注文しよう。メニューを熟読していると、カウンターの中に立つHさんが「飲み物は白百合にしますか?」と声をかけてくれる。はい、お願いしますと答えて、運ばれてきたグラスに氷を入れて泡盛を注いで、一口飲んだ。それを飲んだ瞬間に、ああ、今日はまだ一杯も飲んでいなかったんだと思い出し、グラスビールを追加で注文する。喉が渇いてたのを忘れてましたと伝えると、忘れないでーとHさんが笑う。今日は何十年とここに通っているお客さんがひとり、またひとりとやってきて、「濃い並びになってきましたね」と店長さんがつぶやく。隣に座った男性が「観光ですか」と話しかけてくださり、少し話をする。その男性は本部の出身だが、ずっと東京に住んでいるという。そしてここの初代社長とは同郷なんだと教えてくれて、ああ、本部の方が作った店だったのかと初めて知る。21時に店を出て、「東大」に並ぶ。今日は3組目で入店し、ゴーヤの黒糖酢漬けとおでんを平らげ、今日こそはとサインを書く。酔っ払っていたのでヨレヨレになってしまったけれど、東大の列に並びながら、東大のおでんをいただきながら構想を練った一冊ですと書き記す。