4月4日

 8時に起きて、ケータイを触る。セトさんやムトーさんが日記をつけ始めている(セトさんはずっと書いているけれど、タイムラグが広がっていたところを、飛ばして今の日記を書いている)。数日前に平民金子さんが「こんな時だからこそ多くの人に日記を書いてほしい……ウェブ日記に日々の淡々とした記録を、言葉を残すんや……今はSNSとちゃう、インターネット日記の言葉が状況に合うんや……ほんまやで……」と書いていて、心底同意していたところだったので、読める日記が増えて嬉しくなる。

https://twitter.com/toyamakoichi/status/1245325494762926081?s=20

 布団の中で、外山恒一さんのツイートを見つめる。

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補償しなくても自粛してくれるFラン人民なんぞナメられて当然である。人の命なんぞより自らの地位や利権が大事な奴らに“云うこと聞かせる”には、こっちも死ぬ気・殺す気になって、「頼むから、カネを出すから家でじっとしててくれ」と奴らが懇願し始めるまで街に繰り出し続けるべきなのだ。https:/

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 眼から鱗が落ちる思いがする。それと同時に、「人民」の闘士として生きることは僕にはできないなと思う。ある立場からはぬるいと言われようと、まだ死にたくないなと思う。そこまで覚悟を持った人がコロナで斃れても「戦死」になるだろうけれど、僕の場合、ほっつき歩いていた人間が死んだというだけになる。自分の思想と行動とはどんなふうに繋がっていて、その核にあるものは何だろう。それを言葉として突き詰めて考えるつもりはないけれど、そんなことが一瞬だけ頭を通り過ぎてゆく。

 テレビでは『旅サラダ』が放送されている。つけっぱなしになっているのを、観るでもなくほったらかしていたが、ずっとテロップが表示されていることに気づく。「この番組は2019年4月20日に放送されたものです」とある。チャンネルを『王様のブランチ』に変えると、こちらは数人を覗いてリモート出演中だ。そこまでして生放送を続ける必要がある番組なのだろうかとも思うけれど、いつもの流れで『王様のブランチ』にチャンネルを合わせたままにしておく。

 たまごかけごはんを食べて、コーヒーを淹れる。まだコーヒーの匂いは感じられる。布団に寝転がり、『わが荷風』をようやく読み終える。午前中は他にも数冊、資料を斜め読みしておく。昼、納豆オクラ豆腐そばを食べて、いよいよ「OTS」の原稿を書き始める。パソコンに向かっていても書き出しの言葉が浮かんでこなくて、キッチンにあるメトードの上に真っ白な紙を広げ、書き始める。窓の外には公園が見えている。公園というよりちょっとした空き地くらいのスペースだ。中学生くらいの子供たちが3人で集まり、サッカーをしたり一緒にケータイを見入ったりしている。道ゆく人の数が普段より多いように見受けられる。

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 日が暮れるまで原稿を考える。2400文字ほど。そのうち4割ほどは引用だから、あまり捗らなかったとも言える。ただ、これはとても大事な原稿だし、締め切りがあるわけではないから慎重に書く。仕事のあいまに、今日もジェットスターの運賃を調べた。夜の1便しか表示されなくなり、一体どうしたことだろうと思って調べてみると、成田―那覇航路は1日1便に減らされていたのだった。15時36分にもLINEニュースで琉球新報の速報が届き、「沖縄の3人は市中感染か/知事「局面が変わった」」という文字を目にしていたところだ。その速報に、これは沖縄に渡航しづらくなってきたなと感じる。

 18時過ぎ、近所の八百屋に出かける。いつもより少しだけ人が多くて、入店するのを躊躇う。知人に頼まれていたニンニクとソーセージ、それに切れていたコショウを買う。これまではちょっと上等なコショウを選んでいたけれど、その半額くらいで変えるS&Bの「キッチンコショー」を買い求める。帰宅後、「うちは裕福じゃないので、今日は安いコショーにしましたので」と知人に伝える。僕は30万円の給付が受けられる対象に含まれそうである。その言葉に、「うちは裕福です」と知人が言う。「こんなおうちがあって、部屋でころころして過ごせますので」と。知人は今日、一日中眠っていた。ロックダウンになっても、知人は「外に出たい」と言い出さず、喜んで眠って過ごすだろう。

 僕はコールスローを作り、知人はじゃがいもとソーセージの炒め物を作って、晩酌。テレビでは志村けんを追悼する『天才!志村どうぶつ園』が放送されている。志村けんは年下であろうとゲストに敬語で話しかけていたとして、過去の映像が映し出される。ほんとうだ。これまで一度もそんなことを気にかけたことがなかった。この番組では、収録前に前室に出演者全員が集まり、テーブルを囲んで、皆で大笑いしてから収録に臨んでいたという。自分が偉い人になってしまってはおしまいだと悟り、そう振る舞っていたのだろう。

 番組を眺めていると、再びLINEニュースの速報が届く。牧志の仮設市場で感染者が発生し、2週間は市場が閉鎖されるとある。なんということだ。昨年7月1日から仮設市場での営業が始まり、最初のうちはそれなりに賑わいを見せていたけれど、秋頃からは少しずつ客足が遠のいているように感じていた。今年2月以降は海外からの観光客が途絶え、一帯が沈み始めているように見えた。そこにきて、界隈の中心である市場で感染者が出て、閉鎖される――これが界隈に与えるインパクトは計り知れないだろう。それは、ここ数ヶ月の経済に与える影響という意味ではなく、まちぐゎーと呼ばれるエリアがどう移り変わってゆくかの分岐点になりかねないことだと思う。

 そして、これはもう、このタイミングで「東京から那覇へ取材に出かける」ということは無理だと断念する。僕にできることがあるとすれば、連載の枠で、組合長の言葉を広く届けることくらいだろう。組合長とはちょこちょこやりとりしているから、電話でも取材することはできる。もちろん対面で取材したほうが楽な部分は多いけれど、僕の仕事は相手から受け取った言葉を「配置」するところにあると思っているので、初対面でなければ電話でも可能な部分はある。その方向で取材を検討してもよいかと、すぐに担当記者にメールを送る。