7月9日

 朝、琉球新報にじっくり目を通す。一面トップに「コロナ 県内2人感染」の見出しが打たれ、「県外に渡航した人や、県外からの来訪者に対して、外出を控えるよう要請した」という知事のコメントが掲載されている。これからしばらくは「取材で沖縄に」とは言いづらくなるのだろう。2面では普天間基地から感染者が出たことに触れ、米軍関係者の場合は情報が小出しになり、県民が実態を検証できない状態に陥っていると指摘がある。7月4日の独立記念日には「県内で大規模なバーベキューパーティーが催された」ということもあり、不安が高まっている、と。その不安はわかるけれど、23面にある「ビーチや繁華街/外国人が密状態」という見出しは新聞に掲載されるべき言葉ではないと思う。そのようなまなざしの持ち方に、言葉を扱う人はもっと敏感であるべきだし、それを言葉にすることがどういう影響を与えるかに意識的であるべきだと思う。もしも海の向こうに渡った日系人が、お盆に墓参りをしている姿を見られて、「外国人が密状態」と書かれたらどんな気分がするだろう。問題は国籍ではなく、あくまで「感染拡大を防ぐ対策が施されているか」だけだ。

 正午が近づいたころから、何度か郵便受けを覗きに行く。今日は在宅で仕事をしている知人が、「何をそんなに楽しみにしとんや」と怪訝な顔をする。12時20分に「日記」が届き、すぐに読む。途中で『月刊ドライブイン』(5号)の記述が登場し、あ、あれ、一昨日5号を送ってしまった気がすると不安になる。午後、東京都の新規感染者数が「200人超え」と流れてくる。昨日は沖縄で感染者が出て、今日は東京でこの数字となれば、いよいよ取材に行きづらくなるだろう。知人は19時からオンライン会議を始めるという。21時くらいまでかかるというので、こんにゃくの麺つゆ煮と、ししとうの煮浸しを作っておき、ひとりで飲み始める。オンライン会議は結局21時半過ぎまで続き、空腹でふてくされる。知人に551の豚まんを温めてもらって、バラエティ番組を観ながら飲んだ。初めて食べた551の豚まんは、どうしてあんなに大勢の人が新大阪駅で袋を提げているのか、不思議になる。

 もしかしたら、大阪の人たちにとってソウルフードになっていて、うまいかどうかとは別の基準で求められているのかもしれない。でも、他の地域に生まれ育ったぼくからすると、コンビニでほかほかの肉まんが食べられる時代に、どうしてもレトルト感が出てしまうお土産肉まんが人気だというのが、どうも不思議だ――そう感じる一方で、肉まんにあこがれていた記憶もよみがえってくる。まだ町内にコンビニがなかったころ、肉まんという食べ物には縁がなかった。あるとき、母と一緒にスーパーマーケットに出かけたとき、ヤマザキの肉まんが売られていた。それはチンして食べるやつだったが、うちには電子レンジがなく、保温中の炊飯器にのっけて温めたことを思い出す。ごはんは肉まんくさくなり、肉まんにもコメの香りが移っていて、「ほんものはこんな味じゃないんだろうな」と思っていた。あの頃の自分なら、こうしてチンした豚まんを、もっと喜んで食べただろう。