8月6日

 5時過ぎに目を覚ます。昨日から、NHKが8月6日にヒロシマに関する特集番組を放送しないことに対して、批判的な声が巻き起こっている。特集番組が放送されないのは、1978年以来だという。数日前に、向こう1週間のドキュメンタリー番組を予約しようとしたときに、「あれ、6日に放送されないんだ?」とは思っていた(6日深夜[日付が変わって7日]に放送される番組は2つあるけれど、いずれも再放送だ)。NHKがオリンピック一色に塗りつぶされていることは本当にどうかと思うけれど、ただ、ヒロシマだけがクローズアップされることに、広島出身で、祖母が被爆者である人間として、居心地の悪さもおぼえる。NHKの「番組タイムマシーン」で2005年まで遡ってみても、8月6日には2020年まで毎年ヒロシマもしくは核をテーマとする「NHKスペシャル」が放送されているのに対し、8月9日に長崎もしくは核をテーマとする「NHKスペシャル」が放送されたのは戦後60年と70年を迎える2回だけだ。

 8時、広島からの中継を観る。総理大臣が参列していて、あれ、今ほど感染が拡大していなかったタイミングでの沖縄の慰霊の日には参列しなかったのに、この状況下で広島の式典には参列するのだなと思う。広島市長の挨拶で、日本政府に対して批判的なことが語られているとき、NHKはすぐには総理大臣の姿を映さなかった。総理大臣の挨拶は、以前にもまして言葉が崩壊している。そして、こどもたちによる、「平和への誓い」。こういう式典のとき、いつもこどもたちによる朗読に敏感に反応してしまう。「本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと」という一文や、誰もが幸せに暮らせる世の中にすることを、私たちは絶対に諦めたくありません」という一文に、君はほんとうに「別れ」ということについてそこまで言い切れるほど考えたことがあるのか、「私たち」とは誰のつもりで言っているのかと、大人気なくつっかかってしまう。

 ごはんを炊き、たまごかけごはんを平げ、原稿を練る。昼はレトルトカレー中村屋のスパイシーチキン)を食べて、引き続き原稿を書く。16時過ぎ、集中力が途切れたところで散歩に出て、「ベーカリーミウラ」でパンをいくつか購入し、「往来堂書店」で『新潮』と『文學界』を買い求める。さっそく平民金子による連載「めしとまち」を読みながら歩く。読み終える前にスーパーマーケットにたどり着いてしまいそうだったので、路上に立ち尽くして読んでから、スーパーで買い物をする。帰宅後、ビールを飲みながら原稿を練る。つけっぱなしのテレビで、サッカー日本代表が3位決定戦に敗れる。その瞬間、ぼろぼろ泣き始める選手の姿に驚く。自分はこんなふうにぼろぼろ泣いてしまうほどの感情に至ったことがあっただろうか。今日の昼間に、どこかの時間帯で競歩の映像を目にして、路上で吐き出してしまう選手の姿を見たような気がするのだけれども、あれが何時のことだったのか、番組表を見返しても判然としない。