3月20日

 早起きをして、東京駅へと向かう。ハイウェイバスのりばにはもう、青柳さんと荻原さんの姿があった。2人ともバックパックを背負っている。今日はこれから、いわきへと向かう。いよいよツアーが始まる。

 いわきは、東京からクルマで3時間の場所にある。遠くもないが近くもない、微妙な距離だ。いや、高速バスに乗っていると「もう着いたのか」というくらい近くに感じるのだけれども、どこか川があるような、「近い」と言ってしまうのはおこがましいような、何とも言えない思いがある。

 10時ちょうどにいわきに着いた。小雨がぱらついている。会場のMUSIC & Bar「Queen」は、いわき駅のすぐ近くに建っているホテルの地下にあった。フロアには大きなテーブルとイスが並べられている。ライブハウスというよりも、ジャズバーのような落ち着いた佇まいだ。ステージには大きなピアノやドラムセット、ギターが置かれている。ライブで使うこともあれば、酒が進んで興が乗った客が「一曲弾かせてくれ」と演奏を始めることもあるという。ステージに向かって右側にバーカウンターがある。黒御影石のカウンターの向こうに、常連さんたちのキープボトルが並んでいる。マスターは慌ただしそうに支度をしていた。

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「今日の夜はね、忙しくなると思うんですよ。というのも、役所の移動が決まって、最初の週末だから。街は……すごいよ。酔っ払いがね」と、マスターが教えてくれた。

「これ、メモしといたほうがいいんじゃない?」

と、会場を見渡していた青柳さんが言った。近づいてみると、一枚の手拭が掲げてある。ドサ回りの心得十箇条、とある。竹原ピストルのツアーグッズのようだ。「店に入ったらまず元気に挨拶すべし」とあるのを見て、さっきの僕の挨拶は少し声が小さかったかなと少し反省する。

 会場の下見をしたあとは皆で海に行く予定だったけれど、雨だったので中止になってしまった。僕は一旦皆と別れて、寿司を食べるべく高速バスで仙台へと向かった。福島松川パーキングエリアで一度休憩を挟んだあと、しばらく走ると雪がチラつき始めた。三月というのは、東北ではまだ雪の降る時期なのだな。北に向かうにつれて雪は激しくなり、東北自動車道には50キロ規制が敷かれ、バスは大幅に遅れてしまって、寿司を食べ終えていわきに戻る頃には23時近くになっていた。

 足は自然とMUSIC & Bar「Queen」に向いた。テーブル席では、二次会、あるいは三次会だろうか、グループ客で賑わっている。僕はカウンター席に座って、メニューを眺める。これから3泊もするのだからと、思い切ってボトルを入れることにした。

「ボトルだと、今ならフォア・ローゼスがキャンペーンで安くなってるよ」と、マスターが優しく教えてくれたので、それを注文する。お通しと一緒に、いちごが運ばれてきた。宮城と福島の県境あたりで獲れたいちごなのだという。へえー、という僕の相槌が妙によそよそしい響きになってしまったのか、マスターが優しく説明を加える。うちで出しているものは、全部しっかり検査してあるものだから、大丈夫ですよ、と。

 その言葉に、何だろう、すごくショックを受けてしまった。僕は、その言葉を聞くまで、そんなことはまったく気にかけてもいなかったのである。あれから3年が経って――別に、そのことをすっかり過去のことにしたつもりもないはずなのに、3年前は線量のことを気にかけたりもしていたはずなのに、今ではもう、そういうことが頭をかすめることもなくなっている自分に気づいたのだ。これは翌日気づいたことだけれども、この土地では、今も天気予報の中で放射線量が報じられている。

 この「Queen」が創業されたのは1959年のことだ。最初はわずか5坪の店だった。当時経営していたのは、今のマスターのおばさまである。最初は、名前の通り“クイーン”のたくさんいる店だった。今のマスターは昔、東京で料理人をしていた。何軒かで働いていたが、一番嬉しかったのは横浜で働いたときのこと。横浜は、マスターが大ファンであるザ・ゴールデン・カップスが結成された土地だ。

「横浜の中華街に、エディさんのやってる店があったんですよ。そこに行ったときはもう、嬉しくて――。当時はお金がなくてチャーハンしか頼めなかったんですけど、それでも嬉しかったですね」

 マスターが「Queen」を継いだのは、1979年のことだ。せっかく自分が継ぐのなら、シャレたツマミを出すミュージック・バーにしようと決めた。本格的な洋食になじみのある人も少なく、マナー教室を開いて「ナイフとフォークは外側から使うんだ」なんて教えることもあったという。ちょうどレーザーディスクのカラオケが流行り始めた頃だったけれど、「Queen」はカラオケを置かず、落ち着いて飲める本格的なバーとして営業してきた。

 本格的にライブを開催するようになったのは2002年、建物の老朽化で店を移転したときだ。念願叶って、ザ・ゴールデン・カップスの再結成ライブもこの店で開催された。デイヴ平尾さんも時々店を訪れてくれるという。デイヴさんはいつも、シーバスリーガルのボトルを注文する。飲み方はロックだ。最初に店を訪れてくれたとき、普通の量――ロックグラスに半分くらいを注いで提供すると、マスターはデイヴさんに怒られたそうである。「けちくさい! ロックはお前、もっきりで飲むんだ!」と。

 なみなみと注がれたシーバスリーガルを、デイヴさんは一滴もこぼさずに飲み干す。どんなに酔っ払っていても、一滴たりともこぼさない。そしてちょうど一本飲みきるとホテルに戻るという。

 感化されやすい僕は、1杯目はソーダ割りにしてもらっていたウィスキーを、2杯目からはロックで作ってもらった。僕も1本飲みきってやる――そう意気込んで飲み始めたものの、半分も飲むことができなかった。