2月2日

 7時50分に目を覚ます。「MOCO’Sキッチン」が始まる時刻に知人を起こして、朝食の準備をする。最近は毎日、トーストにハムをのっけて、知人が淹れるコーヒーを飲んでいる。最近はミルの留め具が馬鹿になりつつあるのか薄味だ。昨晩、知人が夜更かししていたせいで4時頃まで寝られず、コーヒーを飲んでも眠気がさめない。そのことをひとしきり当たり散らして食器を片づけ、知人を見送り、テープ起こしに取りかかる。12時、昼食。スーパーで買ってきたシャケ弁当。2日に一度はこの弁当を食べている気がする。ごはんの上にシャケがのっかっていて、おかずは筑前煮と海老フライ、それにほうれん草のおひたしが入っている。

 食後、国枝昌樹『イスラム国の正体』(朝日新書)と池内恵イスラームの衝撃』(文春新書)を、それぞれkindle版で購入する。Kindleで漫画以外を購入するのは初めてで、どこか悪いことをしているような気持ちになるのはなぜだろう。まずは前者から読み始める。教科書のように平易に書かれていて、読書に時間のかかる僕でもすらすら読み進められる。とはいえ、「誰かに説明できるようにならないと」と思って振り返りつつ読むので、それでも時間がかかるのだが。

 17時、ビールを飲みながら夕食の支度に取りかかる。昨日と同じくトマトクリームパスタを作って食す。150グラム茹でたせいかすっかり満腹になって、すぐに眠ってしまった。20時半、知人が鳴らすチャイムで目を覚ます。1時間ほどかけてテープ起こしを終わらせて、しそ昆布をアテに晩酌しつつ、録画しておいた『デート〜恋とはどんなものかしら〜』(フジ)を観る。長谷川博己が演じる主人公は、出版社勤務を騙っていたが実際のところは一度も働いたことがなく、ニートの35歳だ。そのことが杏にバレて交際の契約を解消されそうになり、杏に密かに思いを寄せる男からも「寄生しようとしてるだけだ」と批判されるが、彼は「自分は高等遊民だ」と主張する。

「君たちの言ってることは何もかも正論だよ。理屈ではね。僕はたしかに、負け犬で駄目人間かもしれない。でも、負け犬の何がいけないって言うんだ。君たちの言ってる事は全部理屈だ。社会に貢献しなくたって、親孝行しなくたって別にいいじゃないか。僕に言わせればな、君たちこそ現代の貧相な価値観に凝り固まった哀れな人種だよ。人間はな、いろんな生き方があっていいんだ。明治から昭和初期にかけて、働かずに教養を磨く高等遊民という生き方が認められていたんだよ。(…)人の生き方にエラーなんてものはないんだ。幸せは人の基準で決めるもんじゃないんだ。君たちがな、善だの正義だのと言ってる事は、所詮世間が作った倫理観の受け売りに過ぎないんだよ。『善とは家畜の群れのような人間と去就を同じうする道にすぎない』、バーイ森!鴎!外!」

 こうして文字に起こしてみると、ただの言い訳に過ぎない台詞だ。でも、この言葉が刺さるように脚本を書くというのは、さすが古沢良太だ――日本酒を継ぎ足しつつそんなことを口にしていると、「第1話を観て、何て言ってたか覚えてる?」と知人が呆れ顔でこちらを見る。「先々週は『くっそつまんねえ』『え、こんなもんが面白いとか言ってるわけ?』って言ってたんだよ」。まさに“高等遊民”のように生活する主人公の暮らしぶりが映るたびに、「もふとまったく同じ生活だけど」と知人が言う(だから刺さっただけかもしれない)。上に引用した長谷川博己の台詞が登場するのは第2話だが、続く第3話では長谷川博己と杏が偶然(?)婚活パーティーで再会する。その風景を眺めながら、「私も行ってみようかな」と知人がつぶやく。「そうすれば私もキャリアアップできるかもしれない。だって、27から付き合い始めたのに、もう今年で33だよ」と。僕はそそくさと徳利とお猪口を片づけて、寝る支度を始める。今日は徒歩1分の場所にあるスーパーより先には出かけなかった。