7時半に起きて、1枚のトーストを知人と分けて食す。11時半、開店と同時に「コットンクラブ」。開店前には少し列ができていて驚いた。日替わりプレートランチ(今日はチキンソテー)とビールを注文する。この店、ランチのときはスープやソフトドリンクが飲み放題だ。先に並んでいた客が、汁は最小限にして、具をゴッソリよそっている。

 順番がまわってきて鍋をのぞくと、チンゲン菜ときのこ、たまねぎとベーコンの入ったスープである。ここのスープにチンゲン菜が入っているのは初めて見た。普段「コットンクラブ」でランチをするときは混雑時を避けて13時過ぎに訪れているが、その時間になるとチンゲン菜は残っていないのだろう。

 知人と分かれ、小田急線に乗車する。隣の席では、赤ちゃんを抱えた女性がずっと優しくあやしている。赤ちゃんはあらゆることを泣いて伝達するしかないのだなあ。そんなことをぼんやり考えているあいだも、女性はずっと優しくあやしている。「ありがとう」という言葉が聴こえてハッとする。泣いている赤ん坊に対して、その女性は「ありがとう」と言ったのである。

 子どもがいない僕がいくら想像しても仕方のないことだが、電車の中で泣き止まない子どもに「ありがとう」と言えるのはすごいことだと思った。この母親と赤ん坊の首を絞めるような振る舞いだけはしないようにしようと思って、ずっと寝たふりをしていた。子どもに微笑みかけようかとも思ったが、たぶん逆効果だっただろう。

 座間という駅で降りる。初めて降りる駅だ。今日は座間市図書館で穂村弘さんの講演会があると知ってやってきたのである。お客さんは比較的年配の方が多いようだ。僕は一番後ろの席に座って、ノートパソコンを広げてメモの準備をして待機。図書館の方の挨拶に続いて、14時、穂村さんの講演会が始まる。穂村さんは昔、相模原に住んでいたことがあって、座間には英語を習いに来ていたのだという。その町並みは「驚くほど変わっていない」のだと穂村さんは言う。

 今日の講演のタイトルは「言葉の不思議」だ。事前に配られた資料には、「夫」あるいは「妻」という言葉が、様々なバリエーションで列挙されている。日本語は不思議な言語で、配偶者をあらわす言葉が無数にある。だが、そんなに候補があるのにどれも気に入らない。それは不思議なことで、どれかを選んで口にした瞬間に何かがバレてしまう。言葉というのは、その人が所属している世界像や価値観をあらわしてしまうのだ――と。

 言葉というのは不思議なもので、言葉が合わない人と一緒にいると心を削られもする。年齢差のあるカップルが、ある日突然別れてしまった。そのきっかけは、年上の男性が「がんばってネ」とメールを送ったことだ。その語尾の「ネ」は、世代差を決定的に露呈させてしまう(この話はよくわかる。世代差にかぎらず、言葉はいろんなことを露呈させる。やたらと横文字を多用する人と話していると「異世界の人だ」と思うし、心が削られることもある)。

 反対に、自分が許容する言葉の幅を広げると、すごく楽にもなる。穂村さんは、ヒールを履いた女性がエスカレーターを歩いてくるのが嫌だったという。ガン! ガン! ガン!と響くヒールの音がおそろしかったのだ、と。でも、あるとき、一緒にいた人がそれを「あ、カスタネットガール」と形容した瞬間に平気になった。言葉を一個覚えただけで、不快に感じていた音をユーモアで緩和することができる。だとすれば、言葉をどこまでも増やしていけば、自分が持っている世界像をどこまでも柔軟にすることが可能だということになる。ただ、人間というのは自分の言葉を自由にコントロールすることが許されない面があるのだが(それも不思議なことだ。言葉というのは人間がつくったツールであるはずなのに)。

 たとえば、中年男性が住宅街でしゃがんでいたとする。お巡りさんに話しかけられたときに、「コンタクトレンズを落としちゃって」と答えれば許容される。だが、「蟻を観てたんです」と答えれば、雲行きは怪しくなる。小学生男子であればともかく、中年男性でその答えは許されないだろう。それはなぜか。私たちが生活している“社会”を構成するメンバーは、生きている人間だけだからである。その“社会”においては、構成員である生きている人間が安全・快適に暮らしていくためのルールが共有されている。お巡りさんというのはそのルールの番人であり、住宅街でしゃがんでいる私が社会のルールに適応していれば警戒は解かれるし、そうでなければ解かれることはないわけだ。

 この「社会のルール」が要求する水準は、年々上がっている。具体的に言うと、昔は町に野良犬がいた。だが、今はもう野良犬を見かけることはなくなった。それは、野良犬が自然にいなくなったのではなく、いなくならせられたのである。社会の構成員である人間が安全・快適に生きていくことを阻害しかねないので、“社会”から排除されてしまったというわけだ。

 ただ、“社会”が生きている人間だけで構成されているとしても、その外側というものが存在する。“社会”の外側には、蟻や蝉やカモシカや松やたんぽぽや死者や妖怪や妖精や、そういったものがすべて構成員となっている“世界”というものがある。

 穂村さんが小さい頃には、ダーダーおじさんと呼ばれる人と、ボブと呼ばれるおじさんがいたそうだ。ボブというのは、そのおじさんの髪型がボブカットであったことに由来する(僕は小さい頃――というよりも数年前まで――「ボブ」という言葉を知らなかったが、それは穂村さんが暮らしていた町のこどもたちが進んでいたのか、僕がぽやぽやしていたのか)。

 子どもたちが野球をやっていると、ダーダーおじさんやボブがやってきて「俺にも打たせろ」と言ってきた。「俺は巨人の二軍にいたんだ」と。そこで「二軍」というのがミソだと穂村さんは言う。一軍だと言えばすぐにバレるが、二軍だとバレないというわけだ。子どもたちは「一緒にやるのは嫌だな」と思いながらもバットを渡していた。おじさんたちは必ず三振していた。

 それから数十年経った今はもう、彼らにバットを渡すことはできなくなった。見知らぬおじさんにバットを渡すという行為は、リスクが高過ぎる。というか、そもそも今、ダーダーおじさんやボブはいなくなってしまった。彼らは住宅街でしゃがんでいたときに、素直に「蟻を見てました」と答えるだろう。そう答える人は、現在の“社会”からは排除される。その意味では、彼らは野良猫よりNGな存在だったということになる。

 穂村さんは、ある短歌を紹介した。中村清女の短歌である。と同時に、改悪例も紹介される。

ネズミ捕り四ヶを置くもひとつだにかかつてゐないかしこいネズミ 中村清女
ネズミ捕り四ヶを置くもひとつだにかかつてゐないむかつくネズミ  改悪例

 さきほどの分類で言えば、この「改悪例」のほうが“社会”の言葉だと言える。だが、短歌として面白いのは中村清女の短歌である。言い方を変えれば、どちらの作者の友達になってみたいかと言えば中村清女のほうだと穂村さんは言う。それはなぜか。私たちは“社会”の中に生きているが、それと同時に“世界”の中に生きているという感受性を持っているからである。

 言葉に対する感受性というのは、どれだけ社会の真ん中にいるかによって変わってくる。穂村さんのもとには、たくさんの短歌が送られてくる。一般的な話として、男か女であれば女、中年と老人であれば老人、金持ちと貧乏人であれば必ず貧乏人の短歌の方が面白いのだと穂村さんは言う。それは、後者のほうが“世界”の近くにいるからである。「だから、魂の柔らかさみたいなことだよね」と穂村さん。「ネズミに対してむかつく人の魂は固いんだけど、この人はもうおばあさんだから、魂が柔らかいんだよね」。

 と、ここで終わるのであれば、よく耳にする話だとも言える。“社会”の言葉に対して、“世界”の言葉を――つまりは文学を擁護しなければならないという話は、しばしば語られる。だが、ここで話が終わらないのが穂村さんならではだ。穂村さんは、「ただ、どんな詩人にも営業部長の部分がある」と語る。営業部長というのは、“社会”の中心に近い場所に生きている。だが、営業部長は生まれたときから営業部長だったわけでなく、生きてきた中で営業部長になったのだ。

 それに、“社会”の言葉が必要な場面も多々ある。たとえば、田中有芽子の短歌に、「私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない」というものがある。これは“世界”を捉えた言葉であり、素晴らしい短歌だ。だが、これから手術を受けるとき、執刀医が「私は日本アレルギーかもしれないんですよね」と言い出したら、ちょっと執刀医を変えてくれと言いたくなる。それは「生存に関わる部分だから」だと穂村さんは言う。逆に言えば、営業部長的な要素の少ない詩人であればあるほど、生存に対する意識が少なく、短命である。

 私たちは“社会”と“世界”の両方を生きていて、二種類の言葉を同時に扱っている。音楽や絵画であれば、ギターや筆や絵の具など、それを表現する専用の道具がある。だが、言葉だけは兼用の道具だ。言葉は“世界”を表現するツールである一方で、その何倍もの量で“社会”のコミュニケーションの道具である。どちらが正しいということではなく、“社会”と“世界”を二重に生きているから、言葉も二重になる。

 ここまでが僕のメモだ。

 講演を聞いていて改めて感じたのは、穂村さんの異質さだ。たしかに、私たちは二重の世界に生きている。誰もが心の中にダーダーおじさんと営業部長を抱えている。しかし、普通の人であれば、営業部長的な要素が強ければダーダーおじさん的な要素が弱くなり、ダーダーおじさん的な要素が強ければ営業部長的な要素が弱くなるものだ。

 だが、穂村さんは二つの世界を往復する。それも、大きな振れ幅で行き来する。穂村さんに対するありきたりな批判として、「世界音痴とか言っておきながら、普通に就職してたじゃないか」というものがあるが、そこがおそろしいところだ。会社で仕事をする私と、どこまでも純粋に世界を見つめ、“世界”の言葉を綴る私が同居している。その二つをパチンと往復できるはなぜだろう。

 講演が終わると駅へと急いだ。アップダウンの激しい道が続く。ちょっとした高台からはずっと広がる住宅街が見渡せる。郊外的な風景を眺めていると、少年時代の気持ちがよみがえってくる。実家に暮らしていた頃、僕は郊外にあこがれを抱いていた。父親に連れられて東京に出かけたこともあるし、都会の風景は見たことがあった。自分が暮らしているところはいわゆる農村だ。都会と田舎は見たことがあるが、郊外と呼ばれるような風景は見たことがなかった。

 中学2年生のとき、同い年の少年が事件を起こしたことがきっかけで、郊外と呼ばれる場所の問題点が語られるようになった。でも、僕は郊外に暮らすこどもたちがうらやましかった。僕も学校帰りにジャスコに寄って、マクドナルドで駄弁ってみたかった。ありふれた青春を送ってみたかった。ジャスコマクドナルドも僕の町にはなかった。僕の町で団地と言えば、戸建ての住宅が並ぶ新興住宅地のことを指した。マンモス団地を眺めてみたかった。農村という場所は「透明な存在」だなんて言いようのない環境だった。

 長い時間電車に揺られて、八丁堀に出た。今日は「七針」で見汐麻衣と曽我部恵一による弾き語りライブがある。会場の近くにある立ち飲み屋でNさんと待ち合わせて、ホッピーで乾杯。チケットを2枚予約していたことを思い出したので、Nさんを誘っていたのだ。ホッピーを1セット飲んだところで会場に向かうと、「持ち込み自由」とある。何て素晴らしい会場だろう。ライブは本当に素晴らしく、ワンカップをクイクイ飲んでしまった。終演する頃にはすっかり出来上がってしまって、本当ならNさんと飲んで帰るつもりでいたのに、それも叶わなかった。