5年目の週刊誌

 dマガジンに登録したので、普段手に取らない雑誌もあれこれ開いてみるようになった。震災から5年目を迎える今週発売された週刊誌は、各誌でその特集が組まれていた。ぱらぱらめくっているうちに、態度がずいぶん違っているように感じられたので、ここにメモを記しておくことにする。

 

 巻頭グラビアは「水中カメラマン・鍵井靖章が撮り続けた「あれから」 5年目の海」。海に飲み込まれた家電や家具が腐食してゆく様子が掲載されている。また、5年前に報じた子ども――「ぼうはてい下にしずむ80点の答あんの持ち主です」と編集部に手紙を送ってきた女の子――を紹介していたり、「写真家が撮り続けた被災地 今を生きる」というグラビアもある。グラビア記事はあるが、特集というほどの厚さはなかった。テイストとしては、明日に向かって歩き出している被災地といった印象を受ける。

 

「3.11を忘れない 時を経て、残ったものと消えたもの」と題した巻頭グラビア記事がある。また、青沼陽一郎氏による「終わりなき3.11 調査船同行ルポ 放射能と格闘する漁師たち 福島沖『還らざる海』と『除染のウソ』」と題したルポルタージュも掲載されている。震災で受けた傷を風化させずまた現在も山積されたままになっている問題に警鐘を鳴らす。

 

 『週刊朝日』はぐっと重い。グラビアの巻頭はモノクロで、目頭を抑える男性の写真が印刷されている。「3・11から5年――写真家・大石芳野が撮り続けた『フクシマ』の表情」。「生きる原点の田畑は耕せず子どもも孫も村には戻れない」「避難からほどなくして畑も、満面の笑みも失った」「原発の再稼動はフクシマの切り捨てにほかならない」といったキャプションがつく。

 連載陣では田原総一朗が「事故から5年後の原発で触れた現場作業員の『心』」と題したコラムを書いている。また、「ルポ 3・11 あの日から5年 置き去りの被災地」として、まだ十分に除染されていないのに避難指示を解除する政府を批判し、高齢の被災者がアルコール依存をきっかけに衰弱し、復興住宅で孤独死が増えている問題などを紹介している。いかにも新聞社系の週刊誌という印象を受ける。“ジャーナリズム精神”にあふれる構成だ。

 

 女性週刊誌は『週刊女性』だけ読んだ。グラビアページでは、「3.11 東日本大震災から5年」と題し、ピンク色を基調にしたレイアウトになっている。ヒーリング感の強い構成だ。釜石市の漁師や県職員、仮設住宅自治会長や水産食品加工会社の社長、南三陸町でイベントを開催している飲食店組合の組合長が紹介されており、復興に向けて活動を続ける人を取り上げている。

 そのあと、モノクロページに「5年たってもやっとここまで……まだ見えぬまちの風景」という記事がある。がれきの撤去はひと段落したものの、「復興」とは程遠い街の様子を、2011年、2013年、現在の写真を並べて紹介する。紹介されているのは陸前高田と女川の二つの街だ。

 印象的だったのは「ねえ、空から見てる? 大切なあなたへ 明日も頑張って生きていくよ」という記事で、生き残った人たちの思いを伝えてい る。語られている思いはともかく、タイトルのつけかたがどうしてこんなにスピリチュアルなのだろう。女性週刊誌だからだろうか。それから、少し前に話題になった、タクシー運転手に幽霊の目撃談をヒアリングして卒論にまとめた東北学院大学の工藤優花さんのインタビューもある。

 また、『週刊女性』もまた、「本誌が見守ってきた子どもたち」と題して過去に取材した子どもに再び取材している。長年取材を続けてきた記者の思いが溢れ出してしまったのか、ある記事は「『食後のコーヒーをどうぞ』/と、今年の君は言った。」と、とても“文学的”に書き出している。

 

  • AERA』(2016年3月14日号)

 ここには記事が載っていないかなと思っていたが、ページを繰っていくと、「3・11が僕らを変えた 何もしないほうがつらい」という記事があり、震災を境に生き方が変わった4人の若者を紹介している。

 浪江町出身の若者は、東京電力が「エリートコースだと思っ」ていた。「東電に就職できれば、親の負担を減らせる」し、「地元にいれば、両親を安心させられる」と。だが、「2011年3月11日。自宅前に延びる国道114号戦が車で埋まった。放射性物質から逃れようとする人々の車列だった」。そこで彼は「東電には行けない」と思い、「東電で働くという重しは消え、抑えていた思いが膨らみ」、今は東京の大学で環境について学んでいる。

 

 巻頭グラビアはやはり「渡辺さん」。特集記事はないが、巻末に「あれから5年――海岸線で見つけた不思議な光景 被災地にそびえる『巨大防潮堤』」と題したグラビアが掲載されている。岩手・山田町の7.5メートルの防潮堤、気仙沼の7.2メートルの防潮堤とぽっかり空いた窓、釜石の6.1メートルの防潮堤と窓。他に現在建設中の防潮堤も紹介されている。この防潮堤だけに絞って報じるというスタンスは印象的だ。

 

 「総力スペシャル 『3・11』から5年 未来のために今、知りたいこと」と題して48ページの特集を組んでいる。連載陣への「あのとき、何をしていました?」というインタビューに始まるこの特集は、他の週刊誌とは少し趣が異なる。

 自衛隊の災害救助能力の進歩を紹介したり、「日本の地盤はどうなっているのか!!!」としてこの5年間の地殻変動を紹介したり。あるいは、郡山の街コンに潜入し、震災から5年経った今、福島の女性の恋愛や結婚観の変化を探っている。この特集はつまり、「未来」ということだけにフォーカスを当てている。

 

  • SPA!』(2016年3月15日号)

グラビアページに「3.11の今 写真家たちが撮り続けた東日本大震災『5年の記憶』」という記事が4ページほど掲載されていて、「震災から5年、被災地の“今”を直視するためにも、我われは再び時間を巻き戻す必要があるだろう」と締めくくられている。時間を巻き戻すという言葉が気になる。巻戻せるのであれば、5年と1日前まで巻き戻したいと誰もが思うだろう。

 

 巻頭グラビアは、「京都を走る 震災の記憶」と題し、「京都と東北被災地を結ぶ支援プロジェクト キミマツサクラ」という復興プログラムを紹介している。どうしてそれを取り上げたのだろうと読み進めると、震災の記憶を残す写真を掲げて走る嵐山電鉄の車両「キミマツサクラ号」に「本誌カメラマンの作品が登場」とある。

「つづく贖罪 フクシマの5年」というグラビアもある。東電の福島復興本社は避難区域の家屋の清掃など、様々な奉仕作業を行っているのだが、そこには東電の各事業所から志願して訪れるのだという。

それから、「福島第一原発を視察した『田原総一朗』」という記事が掲載されている(この企画で田原総一朗は福島を訪れたのか――その取材で体験したことを先に発売される『週刊朝日』の連載で書いたのか)。ただ、こちらは田原総一朗が執筆しているわけではなく、田原氏や東電の人々との会話を記者がまとめたもの。

 現在は徹底した管理を行っている東電を見学して、田原氏は「事故前からこれだけ気をつけていれば事故なんて起きなかった」という批判を二度繰り返し、東電は様々な取り組みをやっているが「一番無責任なのは政府」と怒る。田原氏を置く必要があったのかはともかく、従業員に矜持を持ってもらうためにカメラマンに写真を撮影してもらって、それをポスターとして貼り出しているという話が印象的だった。

あるいは、東電の福島復興本社代表の石崎氏の発言。「最初、社員はみな“このヤロウ”って言われるんじゃないかって、制服着るのを嫌がったんですよ。でも最近、住民の皆さんから“東電は絶対許さないけど、東電のあんたは来てくれ”と言われるようになってきました」。

 

 まず、仙台在住の伊集院静氏による「『復興』の空虚と北国の春」という記事が「被災地からの特別寄稿」として掲載されている。伊集院氏は2月下旬家族の希望もあって一家で被災地を、南三陸石巻、塩釜を見て回る。南三陸では、「周囲を見回す。瓦礫もないし、陸に乗り上げていた船影もない。ただ春の風が吹いているだけだ」と記す。その風が「北国の春」である。

 夜になって帰宅し、「仕事場で地図をひろげて、訪れた被災地のことを」思い出し、浮かんでくる様々な風景の「ひとつひとつを思い出しながら、美しいものとむごいものが隣り合わせているのが私たちの生きるこの国なのだろうと思った」とある。

 「文春図書館」の欄では、「震災はどのように描かれてきた」と題して、東えりかさんが14冊の書籍を取り上げている。また、文春から刊行された『つなみ 5年後の子どもたちの作文集』に寄稿している3人の子どもの座談会もある。「昔の閖上は好きです。でも、これから再建する住宅や商業地区は昔のようにはならないし、新たにできた町にわざわざ行く理由もありません」と語る子もいれば、「また津波が来るのは嫌ですけど、見慣れた土地にカフェを建てたい」と語る子もいる。

 巻末のグラビアには、「5年目の3.11 福島でクラス親子の情景――あの日、授かった命」と題した記事があり、2011年3月11日に生まれた子どもとその親に取材している。写真もいいが文章がよかった。ある子どもは、誕生日について尋ねられると、「恥ずかしそうに『グラグラ揺れた日』との答え」を返したという。

 そして、その後ろのカラーグラビアに、「再生を願い、人気の絶えたフクシマを歩く 花命を繋ぐ――華道家・片桐功敦」。震災のあと、南相馬の沿岸部には絶滅危惧種に認定されている水葵が咲き始めたと知り、片桐さんは南相馬を訪れるようになったといい、「僕ができるのは、花がそこに咲いているということを人に伝えること」と語っている。

 そこに掲載されているのは、被災してぼろぼろになった漁業組合の写真だ。窓(?)から船が突っ込んでいる。がらんとした部屋の中には錆びた椅子が置かれていて、そこに花が生けてある。これを「けしからん」と言う人もいるかもしれない。でも、僕はしばらくその写真から目が離せなかった。僕は一番強い印象を受けたのはこの『週刊文春』だ。