2月1日

 7時過ぎに起きる。布団の中でツイッターを眺めていると、「Readin’ Writin’ BOOKSTORE」のアカウントで、トークイベントのゲストが向井さんである旨を告知してくださっている。慌てて体を起こし、自分のアカウントでも告知をする。ストレッチをして、ジョギングに出る。近くにある学校で、大人たちが学生を出迎えている。今日が中学受験なのだと後で知る。今日は録音した深夜ラジオではなく、安室奈美恵を聴きながら走る。いつもより明らかにタイムがよく、音楽の力というのはすごいものだなあと思う。帰りにセブンイレブンに寄り、トマトとチーズのもっちりピザパンを買って帰る。コーヒーを淹れ、ピザパンを温めて食す。

 やたらとツイッターで『ドライブイン探訪』と検索したり、Amazonのランキングを確認したりしてしまう。昼近くになって筑摩書房から荷物が届く。著者買い上げという形で送ってもらった『ドライブイン探訪』だ。取材させてもらったお店に献本したこともあり、「この人に届けたい」という相手に渡すぶんがなくなったので、8掛けにしてもらって15冊購入したのだ。昼、マルちゃん正麺(味噌)に、挽き肉ともやしとニラをのっけて食す。午後は添え状を書き、郵便局からスマートレターで『ドライブイン探訪』を発送する。

  16時半にアパートを出て、地下鉄で田原町へ。「Readin’ Writin’ BOOKSTORE」に入り、ご挨拶。イベント当日、楽屋として滞在できる場所がないこともあり、開演前に向井さんと一杯やるのにふさわしそうな近くの酒場を探索しておく。セブンイレブンでしおむすびを買い食いしたのち、歩いて浅草公会堂。今日は青葉市子さんのワンマンライブだ。関係者受付に進もうとすると、警備員の方に止められる。関係者には見えなかったのだろう(それはそうだ)。受付で、リボンにくるまれた紙を手渡される。12月21日、福島のあんざい果樹園で市子さんにインタビューした言葉たちが印刷された紙だ。12月中旬に盛岡と塩竈でライブを観て、終演後に市子さんと言葉を交わしたときに、市子さんの中に語られるべき言葉があるように感じた。語られるべき、というと少し違っている。市子さんの中に、外に出たがっている言葉があるように感じたのだ。

  市子さんは10月からqpツアーを巡っていて、比較的小さな会場で公演を重ねてきたけれど、12月21日の福島公演から2月1日の浅草までしばらく間が空いてしまうこと、急に大きな規模での公演になることもあって、当日パンフレットのように手渡されるインタビューがあるとよいのではと提案し、市子さんも「私も橋本さんに話を聞いてもらいたいと思っていた」と言ってくれて、福島でインタビューを行って、それがこうして紙に印刷されて手渡されたという次第。お客さんにどんなふうに届いているだろうかとそわそわしてしまって、自分の席がある3階ではなく、客席を見渡しやすい2階で過ごす。紙は筒状に丸められ、リボンで綺麗に結ばれていることもあり、ほとんどのお客さんはリボンを解くことなく、ケータイを眺めて開演を待っている。「そこにインタビューが載ってるんやで」と念を送っていると、友人のA.Iさんが席を探しながら通りかかる。チケットを見せてもらって、「多分もう一つ上のフロアだと思います」と伝えて、客席を眺め続ける。

  開演5分前になったところで、自分の席に向かった。3階席の最後列――つまり客席のいちばん後ろ――で、通路側の席だ。僕にとっては一番嬉しい席でもある。舞台を見つめながら待っていると、俳優のK.Yさんを見かけた。おお、と手を挙げると、Kさんの席は僕のとなりだった。ライブはとても贅沢な時間だった。この日印象的だったのは「マホロボシヤ」だ。この曲をライブで歌っているところを何度も聴いてきたけれど、輪郭が強く、太くなっているように感じられた。市子さんの中で何が起きているのだろう。市子さんはこの日、こんな話をしていた。こうして歌をうたうのは、限られた時間だけれども、それ以前から歌の蒸気のような時間があって、それが集まって歌になり、こうして歌っている時間があるのだ、と。蒸気が結集して歌となり、それがライブという時間に披露されるのと同じように、そこでうたわれた歌というのは観客の中に溶け込んでゆき、それを受け取った観客たちがまた街の中に還ってゆく。この日は大きな会場だということもあり、粒子となった歌がどこまでも遠くに広がってゆくところを想像する。「マホロボシヤ」のラストにある、「わたしをとおくに連れておゆき/見知らぬ 都市へ 堕としておゆき」という歌詞がより一層響いてくる。

  それにしても、1000人を超える観客を前にして、ギターと歌だけで対峙するというのはすごいことだ。市子さんはMCで、舞台に立っているのは私ひとりじゃなくて、衣装や音響や照明、それに舞台美術となった瓶を貸してくれた人、たくさんの人たちが舞台上にいますと語っていたけれど、最終的にひとりで観客と対峙するというのはすごいことだと思う。そこに大勢の人が足を運んで、その時間に酔い、帰っていくのだ。終演後は関係者の挨拶があるということで、いつもなら帰ってしまうところだけど、今日はAさんやデザイナーのFさん、Kさんもいるので残ることにする。Kさんが「そっか、この3人は沖縄で一緒だったんだ」と言う。ロビーのような場所で、しばし待機。やはりこういう時間は苦手だ。心を無にして待ち、挨拶。さっきまであんなふうに舞台で歌っていたのに、いつも通りの市子さんで不思議な感じがする。『ドライブイン探訪』を手渡す。「またどこかで話しましょう」と言ってもらって、ひとりで会場をあとにする。

  ホッピー通りを歩き、よく行く酒場に入り、ホッピーと煮込み、それにポテトサラダを注文した。店内はほとんど大学生で、隣のグループは就職活動の話で盛り上がっている。自分がまったく通り過ぎることがなかった時間の話で、遠い世界のように感じる。今日のライブを反芻する。市子さんが「誰かの世界」をうたう前に語っていた言葉を思い出す。この曲は2011年に書かれたものだけれど、しばらくうたうことができず、それが2018年になって「今ならうたえる」という感覚があってライブでうたうようになったものだ。そのことに言及したあとで、書かれた言葉というものは、言葉なんですけど、それが時代や人々に寄り添ってくれることがある、と市子さんは語っていた。ホッピーを1セット飲んだところで、お会計をしてもらおうと店員さんを探すと、大声で店員さんを呼ぶ人がいる。さっきからその客は何度も大声で店員さんを呼んでいて、そのたび少し気になっていた。あの客のあとで店員さんを呼ぼう――そう思っていると、店員さんが僕のもとにやってきて、「何か注文されますか?」と言う。どうやら大声の客が、僕が店内を見渡したのを見て、店員さんを呼んだらしかった。

 何だろう、とてもモヤモヤした気持ちになる。気遣ってくれた――とはどうしても思えなかった。もう一杯飲もうかとも思っていたのだが、さっきから大声でうるさい客がいるから帰ろうと思っていたこともある。気を利かせているつもりなのだろうが、その大声は迷惑だし、いかにも常連といった態度で店員を名前で呼びつけているのが腹立たしくなってくる。むっとした目を向けて、店を出る。地下鉄を乗り継ぎ、根津のバー「H」に入り、ハイボールをいただく。入店してほどなくしてカウンターのお客さんが皆帰ったので、鞄から『ドライブイン探訪』を取り出し、渡す。喜んでもらえて嬉しくなる。せっかくだから、サインをもらってもいいですかと言われ、喜んでサインを入れる。ハイボールを2杯ほど飲んだところで店を出て、浮かれた気持ちで帰途につく。