5月22日

 8時に起きて、コーヒーを淹れ、たまごかけごはん。納豆と青ネギも混ぜているのを見て、「朝から贅沢なもん食いよるのう」と知人が言う。スピーカーから何か放送しながら走る車が近づいてくる。コロナのことだとばかり思っていると、「まだまだまだまだ発生中! オレオレ詐欺!」と、この状況になる前によく耳にした音声だ。そういえばここ三日ほど、迷惑メールが頻繁に届くようになった。そのどれもが「無料提供」「低金利融資」といった書き出しで始まっていたことを思い出す。隣の酒屋さんはゴールデンウィーク明けに閉店してしまったのだが、業者を呼んで裏庭にある倉庫から荷物を運び出している。このお店にも取材したいと思っていて、閉店すると聞いたときに「お店の来歴を時間のあるときにでも聞かせてもらえませんか」と尋ねていたのだが、やんわりと断られていた。遠くまで取材に出て話を聞かせてもらっているのに、隣にある店のことを聞くこともできなかった。

 昼、冷凍してあったカレーライスを解凍して平らげる。郵便受けを覗くと、あー、となる。差出人として記されていたのは、那覇で会ったことのある男性だ。その男性と会ったのは、昨年6月16日、第一牧志公設市場が一時閉場を迎えた日だ。市場を取材してきた研究者ふたりに誘われ、市場の近くで飲んでいたとき、途中から合流してきたのがその男性だった。第一印象からがさつだった。その男性は、さっきまでうりずんで飲んでたけどさ、あそこのカウンターに無愛想な女いるだろ、あの女、あいつが「今日で市場が最終日だからきたんですか?」って言うんだよ、聞いたら今日で閉まるっていうから、こっちにきたんだよ――その言葉にむくむくと嫌悪感が膨らんだ。ぼくは「うりずん」が好きだ。いつもカウンターに立っている店員さんのことも好きだ。たしかに愛想が良いわけではないけれど、淡々と仕事をしているその姿を眺めながら泡盛を飲むのが好きだ。それを「あの女」と呼ぶのは、どんな付き合いがあるにしろ、とても好ましい印象は持てなかった。

 こんな日に、その男性のいる場で飲んでいるのは嫌になり、僕はその場から離れた。その日の夜には公設市場の閉場セレモニーがあり、人混みに紛れてぼくも様子を見守っていた。その日はエイサーも披露され、最後にはカチャーシーとなった。ぼくはエイサーの太鼓の音と、カチャーシーの姿とに、反射的に涙ぐんでしまう。旧盆の時期には「道じゅねー」という、エイサーを舞いながら町を練り歩く行事もおこなわれる。大きな太鼓の音を響かせながら、道を練り歩き、近所の人たちも軒先に出てきてエイサーを見送る。その様子を眺めていると、スコールのような雨が降り、街を洗い流していく風景が浮かんでくる。雨がいろんなものを洗い流していくように、抗えない大きな波があって、人もやがて死んでいく。そのことに納得はいかないけれど、納得がいかなくても飲み込むしかなくて、そんな何かがエイサーの太鼓の音の響きに詰まっているように感じてしまう。これはぼくが勝手に想像力を膨らませているだけだが、そんなことを思い浮かべてしまって、涙が出そうになる。

 その日、ぼくは朝から市場で過ごしていた。そこに大勢のお客さんがやってきて、久しぶりの再会を喜ぶ声もあれば、これを機に引退する店主の労をねぎらう声も聴かれた。頭ではわかっていたことだけれども、この場所に大勢の人の思いが詰まっているのだと思った。今日この場所に足を運べた人たちだけでなく、ここにくることができなかった人にも思いがあるのだと、カチャーシーで舞い踊る人たちの姿を眺めながら考えていた。そうやって何杯目かのビールを飲んでいるうちに涙があふれてきた。ぬぐってしまうと周りの人たちに「泣いている」と気取られてしまうので、涙を拭かず、その場に立ち尽くしてカチャーシーを見物していた。そこに、その男性がやってきたのだった。えっ、橋本さん泣いてんじゃんと笑い話のように言う男性に、まともに言い返す気も起きず、いや、そういうことじゃないからとだけ言い残し、ぼくは場所を移動したのだった。

 あの夜のことを思い出しながら、レターパック開封する。そこにはその男性が制作している冊子が3冊収められており、プレスリリースも同封されている。余白の多いそのプレスリリースに、「永田橋/末広/両市場を/ナントカ/シマセンカ」と手書きで書き添えられていた。送られてきた冊子は、そのふたつの市場を取材したものだった。それは奄美にある市場であるらしかった。ぼくは奄美大島を訪れたことがない。いつか行ってみたいと思っているけれど、一体いつになるだろう。しかし、「なんとかする」という気持ちでひとつの場所に触れたことは一度もなかったなと思いながらページを繰っていると、ふいに嫌な予感がした。ごく簡単に拾い読みしていただけだったのだが、牧志公設市場の話が出てきそうな予感があった。すると、こんな発言に行き当たる。

「市場の話しで言うと、沖縄の牧志公設市場が移転するというちょうど最後の日に、理事長にインタビューしました。1年ちょっとしたら再建築して同じ場所に戻ってくるそうですけど、市場最後の日には、集まって歌ったり踊ったり、泣いている評論家もいました。熱いなっていう感じで、みんなすごく市場に愛着があるんですよね。」

 発言者はその男性(ここではインタビュアー)である。ぼくは「評論家」と名乗ったことは一度もないけれど、きっとぼくのことを指しているのだろう。泣いている姿を見られたのはやっぱり失敗だったなと思う。ぼくは愛着があるから泣いていたわけではなく、愛着を持っていた人たちのことを想像して泣いていただけだ。ぼくは「愛着がある」という理由で取材したことは、今思い浮かぶ範囲では、ないはずだ。むしろ「人は縁もゆかりもない場所のことを想像することができるはずだ」というところに賭けている部分もある。と、そんなことを言い出したって、「なんか細かいこと言ってるな」としか思われないのだろう。上に引いた発言箇所だけでも誤りがたくさんある。まず、市場が「1年ちょっとしたら再建築」というのは誤りで、新しい市場の完成まで3年かかると当初から発表されている。そして、インタビューしたと言っているのは「理事長」ではなく「組合長」である。

 そう、この冊子には組合長のインタビューも掲載されている。それをじっくり読んでいて再び驚く。そこで男性(ここでもインタビュアーを務めている)は「昨日、見ていて、愛されてるんだなって思ったのが、最近、本を書かれた橋本さん※1が、真ん中のところですごい踊りとかやってて」と発言している。すごい踊りって。特集を組むならカチャーシーのことくらい調べればよいのにと思うし、もちろん知らないことは悪いことではないけれど、しかし「すごい踊りとかやってて」というのは明白な嘘だ。そしてこの記事でも「橋本さんが涙して、市長が涙して」と書かれている。なんだかがっくりした気持ちになる。とはいえ、ぼくも文章を書いている以上、誰かにこんな気持ちを味合わせている可能性はあるのだ。先日書き終えた原稿で、数度だけ会ったことのある人たちの名前を出していることを思い出す。普段であれば本人に「名前を出してよいですか」と確認するところだけれども、その人たちに対しては「事前に確認を取る」という形以外の仁義のきりかたが必要であるような気がして、まだ連絡をするかどうか決めかねている。

 午後は5月15日に取材した原稿を書き進める。書き終えた頃には夕方になっていた。今日はまだシャワーを浴びていなかったので、急いでシャワーを浴びて、使い捨てマスクをつけて外に出る。千代田線の改札をくぐってみると、ちょうど電車が停まっていたが、発車する気配はなかった。北柏駅で人身事故があり、運行に影響が出ているらしかった。歩いて日暮里に出て、山手線で池袋。「古書往来座」の中には、セトさん、ムトーさん、それに先輩の3人の姿がある。3人ともNHKオンデマンドで『ちゅらさん』を観ているところで、ドラマの話題に花が咲く。番台に置かれていたオリオンビールをお裾分けでいただき、厳重に戸締りをして、雑司ヶ谷を歩く。『ちゅらさん』の主人公が上京して最初に暮らしたのが雑司ヶ谷であるらしく、画面をプリントアウトした紙を片手に、その場所を探して歩く。2001年に放送されたドラマだが、そこに映り込んでいたマンションや階段を、セトさんとムトーさんが案内してゆく。意外と残っているものだ。ただし、街の風景は様変わりしているはずで、都電荒川線もいつのまにかピンク色の看板に変わっているし、ずっと工事をしている都電の線路脇は地下深くえぐられていた。地下にトンネルができるのだという。そこから現在の豊島区役所――つまりかつて日の出小学校があった場所――に抜けていく。このあたりの路地はだいたい見覚えがあるつもりでいたけれど、この日歩いた場所は歩いた記憶がなく、あまりにも昔ながらの姿が残っていて驚いた。

 店に入る。客はほかに1組だけだ。生ビールは提供できないとのことで、宝焼酎をボトルで出してもらう。店主はそれをテーブルに置きながら、まだ5時半だからね、と言う。そうです、まだ5時半ですといいながら、それぞれがポットからお湯を注ぎ、お湯割を飲んだ。ここのテーブルだと、どうしても密な距離感になってしまうなと思う。まあでも、この場にいる3人にウイルスを移されたとしてもそれは受け入れられるだろうなと思う――と同時に、その境界線はどうやって引いているのかと自問自答する。こないだ居酒屋でテイクアウトするときに、何事もなかったかのように普通に飲んでいる人たちのことを不思議な気持ちで眺めていたのに、今は自分がそうなっている。ぼくは店主と顔なじみと言えるほどでもないので、あまり長時間飲んでしまうとお店にとって負担になってしまうのではないかと気になってしまって、ずっと腰が浮いているような心地がした。