7月11日

 6時に目を覚ます。腹の具合が悪く、今日の散策に不安をおぼえる。数日前から天気予報を頻繁に確認し、「土曜日は雨が降らない」と思い込んでいたのと、腹の具合が悪かったのとで、最新の天気予報をチェックしないまま洗濯機をまわす。外がどんよりしていることに気づき、天気予報を確認すると、8時と10時と12時は曇り、7時と9時と11時は雨マークが出ている。嫌がらせのような天気だ。ここ数日はずっと、「今なら洗濯物が干せそうだ」と踏んで洗濯機をまわすと、途端に天気予報が変わり、雨が降り始めて部屋干しにして、こまめに外の様子を伺い、雨が上がればベランダに干し、再び降り始めるとすぐに取り込む――と繰り返してきた。今日の午前は洗濯物を干せそうになく、午後に洗い直すことにして、洗濯機が止まる前にアパートを出た。すると、どういうわけだか空は晴れていて、天気予報をもう一度確認すると傘マークは消えていた。まだ眠っていた知人を電話で起こし、「様子見ながら干しといて」とお願いする。

 8時50分に馬喰横山に出て、地下道を歩き、待ち合わせ場所である東日本橋駅へ。二日続けて企画「R」だ。地図でルートを考えていたとき、東京都復興記念館という施設があることに気づき、立ち寄ることにした。これまでその存在すら知らなかった。記念館は公園の敷地内にあった。公園の入り口からは正面に「慰霊堂」があり、それを何気なく眺めながら記念館に足を運んだのだが、どうしてその場所に慰霊堂があるのか、展示を見ていて初めて知る。知らないことだらけだ。12時近くまで歩き、駅で別れる。ぼくはバスでアパートの目の前まで帰れるので、バス停に向かう。バスに乗るのは電車よりも抵抗があるんだよなあと思いながらも、バスに乗り込んだ。バスはさほど混んでおらず、少し安心していたところで、優先席に座っていた老人が大きく二度、くしゃみをした。老人はマスクをしておらず、指を開いた状態の手で口元を軽く覆うだけだった。衝撃を受けた。優先席の正面には、別の乗客が座っていた。

 どうしてマスクをせずにバスに乗ったのだろう。もちろん「マスクをしなければ人にあらず」と思っているわけではないけれど、マスクをしないのであれば、こうした突発的な状況に対応できなければ駄目だ。老人はしばらくすると降車ボタンを押し、バスを降りてゆく。文句を言ってやればよかったと思ったが、もう遅かった。くしゃみを覆った手を、特にぬぐうでもなく、その手でボタンを押した。外の世界にはあんなふうに触れられた場所があふれているのだと、潔癖が疼く。あの老人は、ここ数日の高い数字をどう感じているのだろう?――疑問形で書くまでもなく、他人事だと思っているのだろう。「なにを考えてるんだ」と声をかけたとしても、きっと「俺がコロナなんかにかかっているわけないだろ!」と言い返されて、そこで話は終わってしまう。「俺がかかっているわけないだろ」と誰もが思っているから、東京は今のような状態になっているのだろう。そしてきっと、僕も「かかっていない」と思ってしまっている瞬間がある。