10月2日

 ほとんど眠れず、3時過ぎに体温を測ると38.9℃だ。どうにもしんどく、しかしひどく空腹。知人はすやすや眠っていて、起こすのも気が引ける。それでもしんどいので、知人が寝返りを打ったタイミングで「しんどい」と伝えると、「ええ?」と言って、そのまま眠ってしまう。身体を起こしてコンビニに行き、ポカリ、山かけそば、フルーツ入りのヨーグルト、ハムサンドを買って帰る。山かけそばを啜り、布団に入るも眠れず、熱は39℃台にまで上がる。5時にヨーグルトを、8時にハムサンドを食べる。9時になって知人が起き出してきても熱は下がらず、飲み干してしまったポカリやお昼ごはんを買ってきてもらった。

 EVEをもらって飲んで、クーラーボックスに入れる冷やすやつを枕に敷いてもらう。知人が午前中に少し仕事に出かけてゆく。ちょっとだけ回復して,お昼はきつねうどんをチンして平らげる。午後は熱が上がったり上がったりを繰り返し、しんどい。しんどくて身体が縮みがちだ。もしも癌とかになったら、こんなふうにずっとうなされた状態が続くんだろうか。おそろしい。今のこの状況は副反応だから、そのうち改善するはずなのに,ずっとこのままなのではと思えてくる。熱がさがりきらず、15時にまたEVEを飲んだ。明日は長野に演劇を観に行く予定があり、夕方くらいまでに熱が下がればと思っていたけれど、これはどうにも厳しそうだ(会場まで4時間以上かかる)。会場は温泉郷にあり、演劇を観たあとはしっぽり和室で過ごしながらまえがきを書くつもりだったが、キャンセルする。

 14時からはずっとTBSにチャンネルを合わせていた。「お笑いの日」。日が暮れると、熱はまだ38度台だが少し落ち着いてきたので、布団をあげてちゃぶ台を出し、19時から「キングオブコント」を観る(これがあるから、熱はまだあるけど気が張っていて、体がおこせたのかもしれない)。トップバッターは蛙亭で、うわあ、タイプ的に不利だろうなあと思っていたら、最初のツカミで会場の空気を一気に引き込んでいて驚かされる。普通なら会場がドン引きになるところなのに、やっぱりあれは中野くんの力だ。途中から中野くんが格好良く見えるのがよかった。それに比べると、2番手のジェラードンは同級生の痛いカップルを笑うネタで、これはもう今の価値観では通用しないだろう。角刈りのおっさんが女子高校生を演じる、というところを、ただキモいものとして扱うまま終わっていて、さすがにこれはと思っていたら、あっさり蛙亭を上回る点数が出て、首をかしげる

 今年の出場者は、「自分たちは弱者だ」と口にするコンビが多かったのも印象的だった。コンビ紹介のVTRでもそうした言葉を口にするコンビがちらほらいた気がする。芸人仲間のあいだでも、自分たちは愚直にネタだけを作り続けてきたから、なかなか日の目を浴びてこれなかったという思いがそうさせるのだろう。ネタ自体も、社会の隅っこに置かれていて、ほとんどないもののように扱われている人たちが登場するネタが散見された。わかりやすいのはザ・マミィで、冒頭、社会に対する不満を路上で喚いているおじさん(酒井)が登場する。ひとりで喚いているおじさんを、街で実際に見かけることはある。コントの中で描かれるおじさんも、ああしたおじさんたちと同じように、通行人からは無視されているのだろう。そこに林田演じる若者が登場し、道を尋ねる。これまで世の中から無視され続けてきたおじさんは動揺して、若者を無視して、喚き続ける。だが若者は、おじさんにもう一度道を尋ねる――そこからコントは展開していく。こういう、世の中からほとんどないものにされているような人を描くコントとして印象に残っているのは、2010年のピースの化け物のコントや、2014年に優勝したシソンヌの「臭いラーメン」のネタだ。こういうネタが優勝にまでいくのかと印象的だったけれど、そういうネタが今のシーンでは増えているのだろうか(そして、やがてはまた別のタイプのネタに変わっていくのだろうか)。

 ちょっと話は逸れるけど、ザ・マミィのネタは設定としては面白かったし、ふたりのキャラクターにも抜群にあっているのだろうけれど、どうしてその若者がそんなにおじさんのことをイノセントに信じられるのか、ということが途中から引っかかってしまった。もちろんそんなふうに曇りがない目で相手を見られる人だっているだろう(ただ、途中から、財布を預けておいて、おじさんが中身を抜くかどうかを見ていたりと、相手を試すような動きがあったのは不可思議だ)。どうしてあの若者はあんなにピュアなのかという、ネタバラシをする必要はないにしても、あのピュアネスをもとにもう一展開あるといいのになと思って観た。

 そういう流れがあったので、途中からどぎまぎしていた。今年はもう、空気階段が大本命だと思っていた。ストーリーからすればマヂカルラブリーの3冠というのもあるけれど、オールナイトニッポンを聴いている限り、かなりの過密スケジュールを強いられているはずで、とても優勝するネタを2本作れる余裕はないだろうと思っていた(実際、彼らが披露したネタはM-1の焼き直しで、それでは点は伸びないだろうなという内容ではあったけれど、野田の表現力は素晴らしかった)。ただ、こういう社会の端っこにいる人を描いたネタが何本か出たあとだと――それもザ・マミィのネタが高得点をとった直後だと、ちょっと厳しいかもしれないなと思っているうちに紹介VTRが始まり、ネタが始まった。その内容は、そんな心配を吹き飛ばしてくれる素晴らしいもので、こんなものが成立するのかと、ただただ腹を抱えて笑った。設定がしっかりしているから「あえて裸になって笑いを誘う」みたいな感じにもならず、展開もあり、何よりコントをやっているふたりが本当に生き生きしていたのが素晴らしかった(何組かは、設定は面白くても、ちょっと演じている間を持て余しているような裂け目が見えるネタがあったけれど、本当にもう、演技を見ているとかではなく、それそのものを見ている、という感じがした)。

 結果は史上最高得点だった。2本目に披露されたネタは、単独ライブでも披露されたネタだ。個人的には心の叫びが根底に流れているようなネタが好きなので、うまくできたネタだけど、という印象が強く(それはその単独ライブ全般に感じていたことで、だから途中で配信を観るのをやめてしまった)、これではたして優勝できるだろうかとそわそわしていたけれど、優勝と決まり、嬉しかった。ただ、この「心の叫びが根底に流れているようなネタが好き」みたいなことを言う、僕のような視聴者は厄介な存在で、その叫びというのは売れない時代や、くすぶっている時代、若い時代の特権的なものだろう。心の叫びを捨てる必要はないにしても、ただやみくもに叫ぶというのとは違う、自分たちの家を作る作業がどこかのタイミングで必要になってくるのだろう。そういう意味では、今年の2本目のネタは(さらに言うと単独ライブの『アンナ』は)自分たちの家を作ろうとする第一歩だったのだろう。

 自分たちの家ということで言うと、妙に印象に残ったのはニッポンの社長だった。「キングオブコントで勝ち上がるにはどういう構成にすればいいか」だとか、「いかに新しいネタが作れるか」だとか、そういった観点からではなくって、実に我が道をいくネタだった。もちろん去年のネタだって、十分に我が道をいくネタだったけれど、「きっとこういうところを評価してくれるだろう」という視点は去年のほうが強くあった気がする。今年はもっと、こう、自分たちが作り上げたい世界を表現するという視点だけに支えられているネタで、なんと上品な映像だろうかと、こうして日記を書いている今も思い返している。