4月14日

 布団の中でケータイをぽちぽちしていると、リバティアイランドに騎乗していた川田将雅騎手が、ジョッキーカメラについてインタビューに答えている。こないだの桜花賞川田将雅騎手視点のジョッキーカメラの映像がYouTubeで公開されていて、その視点や音の臨場感に加えて、レース後の声も含めて、とても面白く視聴していた。あれは今回が初めての試みだったのだと、そのインタビューで知る。競馬のみえかたが豊かになるから、今後もぜひいろんなレースで観てみたい。

 『c』のドキュメントをどう書き進めるか、少しだけ行き詰まった感じがあるので、久しぶりに風呂に湯を張り、iPadでテープおこしのデータを眺めながら風呂につかる。1時間半ほど浸かっているうちに、アイディアがまとまってくる。昼は肉野菜炒めを平らげたのち、国会図書館へ。今日は白いヘルメットをつけている警官もいて、何かあるのだろうかと物々しさを感じる。ちょうど「金帰火来」の金曜だからか、高級そうな車が次々出ていく。国会図書館に行き、来週出かける取材に向けて、あれこれ資料を探す。今日は2000年ごろからの「食」に関連する資料を漁っていることもあり、デジタル資料ではなく、紙の雑誌や書籍がほとんどで、少しやりとりに時間がかかる。前に足を運んだときよりも、マスクをつけている人の割合が1割ぐらい下がって、今は6〜7割くらいだ。早めに終われば飯田橋に出て写真展を見るつもりでいたけれど、最後の複写が終わる頃には17時をまわっていた。

 千駄木まで引き返し、スーパーで買い物をしたのち、「青山餃子房」で惣菜を買って帰途につく。録り溜めていたドラマを観る。一番面白かった(違和感なく見れた)のは波瑠が主演のドラマだった。波瑠が演じてきた「働く女性」の姿は、誰かがまとめて論じるべきではという気がする(とっくに論じられているのかもしれないけれど)。いくつか見たドラマのどれかに、自転車で警ら中の警察官がヘルメットをかぶっていて、ああ! そういうことか!と腑に落ちる。自転車に乗るときにヘルメット着用が「努力義務」となったことで、警察官も着用しなければならなくなったのか。だから国会の近くにいた警察官がヘルメットをつけていたり、フィクションの中の警察官の姿まで変わったのかと、今更気づく。

4月13日

 昨日の夜中のうちに黄砂が飛来していたはずだ。おそるおそるベランダの扉を開け、手すりを指で撫でてみたけれど、特に汚れは見られなかった。ただ、花粉症は先月末あたりで落ち着いていたはずだが、今日は目の痒みがある。朝から『c』のドキュメントを書く。現状では「上下二巻」と伝えてあるが、ちょっとそれにはおさまらなさそうな気配があり、どうしたものかとひとり考える。おととい告知を始めた灘でのトークイベント、Uさんの希望もあって事前申し込みを受け付けているのだけれど、もう10人近く申し込みがあり、Uさんが積み重ねてきた時間のことを思う。同じ場所で平民さんと「ぽつぽつ語る会」を開催したのは4月30日だから、もう1年経つのか。来年もまたと言っておきながら、その言葉をそのままにしてしまっている。

 お昼に肉野菜炒めを平らげたのち、黄砂が過ぎ去ったことを確認して散歩に出て、千代田線に乗る。途中ではじっこの席が空いたので、パソコンを広げて原稿を書いていた。代々木上原で乗り換えて、下北沢に出る。「乗り換え」とはいえ、同じホームにやってくる電車に乗り換えるだけなので、楽なものだ。時間こそそれなりにかかるが、昼間は電車も空いているので、楽だ。何度足を運んでも「ずいぶん変わったなあ」と感じる駅前を通り過ぎ、オオゼキの姿を写真に収め、「古書ビビビ」へ。何冊か本を買って、ビビビさんにご挨拶。三本線がラスタカラーになっているアディダスのジャージを着ていたせいか、「橋本さんに似てる人だなと思ったんですけど、こんな色の服着てたかなと思って」と、ビビビさんが言う。番組で紹介してくださったお礼を伝えて、近所の果物屋で売っていた蒲郡デコポンをプレゼントすると、「この、葉っぱのついたデコポンっていうのはオオゼキでも売っていないです」と、ビビビさんならではの着眼点だ。

 久しぶりに下北沢にきたのだからと、「B&B」へ。そういえば移転したんだよなと地図で検索すると、下北沢というより世田谷代田のあたりだ。そこまでぶらりと歩いてみると、すっかり街が生まれ変わっている。しばらく前に有吉弘行がラジオで語っていたのはこれか、と思う(俺らが20代の頃は、世田谷代田から下北沢なんて何にもなかったけど、今はもう、普通に歩いて楽しい場所になっている、というような話をしていたおぼえがある)。線路が地下になったところに、おしゃれな空間ができている。つるんとしていて、立ち寄る、という感じにならないまま歩いていると、「本屋」という文字が見えた。「B&B」の新店舗は2階にあるようなので、階段をのぼって棚を眺める。旅に関する棚の前に立っていると、これから取材に出かけようと考えている場所の本やムックがあり、あれこれ買う。僕の本がすべて揃っていて嬉しくなり、お店の方にお礼を言って外に出る。

 世田谷代田駅前はちょっとした庭園のようになっていた。そこから小田急に乗って経堂へ。北口に出た瞬間に、暮らしやすそうな街だなと感じる。いろんなお店が揃っているわりに、駅前がこぢんまりした感じだ。少し歩いて「ゆうらん古書店」へ。以前、『東京の古本屋』の取材で市場に入ったとき、声をかけてくださった方がいた。その方は音羽館で修業をされていて、たしか「いつか独立して自分の店を」と言っていたように記憶している。経堂に「ゆうらん古書店」がオープンしたとSNSで知ったとき、あ、それはきっと、あのとき声をかけてくださった方のお店ではないかと思って気になっていた。

 お店に立ち寄り、棚を眺めていると、写真に関する本に手が伸びる。何冊か手に取って帳場に向かい、会計をする。僕のトートバッグがわりと膨らんでいるのをさりげなく感じ取って、「袋をおつけしますね」と言ってくださる。間違っていたらどうしようと思いながらも、あの、ライターの橋本ですと挨拶をすると、「ああ! いつも読んでます!」と言ってくださり、「これ、棚に並べちゃってますけど、すごく好きな本です」といって、マームの10周年本を見せてくれる。古書店主の方で、「ドライブインの人」でも「『東京の古本屋』の人」でもなく、マームのドキュメントを書いている人と認識してくれているのは、とても珍しいのではないか。せっかく経堂にこられたのだから、どこかおすすめのお店をと思案してくださって、農大通りを抜けた先にある「onkä」というパン屋さんはわざわざ行く価値があるお店だと思います、とおすすめしてくれる。

 駅前まで引き返し、植草甚一の日記にも登場していたOXのところには新たにオープンした商業施設がある(「新たに」と言っても、調べてみると2011年開業だから、全然新しくないのだが、2006年あたりに『植草甚一日記』を読んで経堂を歩いたときで記憶が止まってしまっている)。無印良品で、化粧水のボトルにとりつけて、スプレーのように化粧水を出せるヘッドを買う。これは、「化粧水をスプレー状にふきつけたい」と思って買ったわけではない。大きいボトルの化粧水、使っていると毎回フタが馬鹿になってしまって閉まらなくなり、蓋が開きっぱなしの状態で洗面台に並べておくのは不衛生だなあと気になっていたのだ。無印良品のあとで三省堂書店に立ち寄ると、店頭には村上春樹の新刊と、本屋大賞を受賞した本が隣り合わせに並んでいる。わざわざ本屋大賞発表のタイミングにぶつけるのか、という声もSNSで見かけたが、同じ面積の面陳になっていた。

 「経堂とか、暮らしやすそうだなあ」と知人にLINEをすると、知人の中の勝手な偏見(?)があり、小田急線沿線と世田谷には住みたくない、と返ってくる。僕が中央線沿線を敬遠してしまうのと同じようなものだろう。たしかに、農大通りを歩いていると、ちょうど4限終わりぐらいの大学生が大勢歩いてきて、高田馬場に暮らしていたころのことを少し思い出した。ただ、農大通りにはチェーン店もあれば個人経営のお店もあり、(今住んでいるあたりだとちょっと手薄な)エスニック料理店も数軒ある。

 農大通りを抜け、パンを買って駅に引き返す。前を歩いているのは、大学に入学したばかりの若者なのだろう。そして、たぶんきっと、まだ知り合ってまもないのだろう。単位の履修についてあれこれ話しながら歩いている。「あ、吉野家もある」「ほんとだ。ごはんには困らないね。とんこつラーメンのお店もあったよね?」「え?――私、とんこつラーメンは無理かも」「え、とんこつラーメン、美味しいよ?」なんてやりとりが聞こえてきて、初々しい。時刻はもう17時近くで、たくさん本を買ってしまったので、もうまっすぐ帰宅することに決めて、駅前のOXで惣菜を買うことにする。家中や千駄木のスーパーに比べると規模が大きくて、惣菜コーナーも手厚く、街の規模が大きいとこういうところに差が出るのだなあと思う。近所だとなかなか出会えない惣菜(特に気になったのはスコッチエッグ)を買って、千代田線の直通電車に乗り込んで、パソコンで原稿を書きながら千駄木まで帰ってくる。

4月12日

 8時過ぎに目を覚ます。コーヒーを淹れて水筒に入れ、マイボトルに水を入れ、9時20分に家を出る。京浜東北線で城南地区に向かい、森山邸へ。数日前からY Fの新作セーターのお披露目会が開催されている。今日はその様子を原稿に書くべく、朝から森山邸へ。お披露目会は、オーダー会のように時間を区切ってお客さんから予約を受け付けて、新作のセーターをオーダーできる会だ。お客さんがやってくるのは午後からだけど、今日は午前中に、森山邸で撮影会がある。到着してみると、モデルの方がメイクを施されているところだ。新作ニットをまとい、展示も開催されている森山邸を舞台に、撮影が進む。撮影自体はあまり言葉にできる要素もないかもなと思った上に、近くにいたらカメラのフレームに入り込んだりして邪魔になりそうなので、建物の中には入らず、庭やまわりの住宅街を眺めて歩く。

 ふらふらしていると、森山さんから「ビール飲みますか」と声をかけてもらったものの、「お昼になるまで我慢しておきます」と答える。お披露目会が始まってから怒涛の毎日が続いているようで、Yさんの頭から湯気が出ているように錯視する。12時になると、最初のお客さんがやってくる。ただ、お客さんとのやりとりを記事に書けるわけでもないし、記事を書く人間がそばにいたら落ち着かないだろうなと思って、離れの縁側のような場所に腰掛けて庭を眺めて、お客様がいなくなったタイミングで展示を眺めていた。13時頃からは、森山さんに進められるままにビールを飲んで過ごしていた。途中でニットを試着させてもらう。今年の「新作」は3種類あって、編み上げるのに200時間かかるカーディガン(24万円)と、プルオーバーのセーター(14万円)と、カーディガン(9万円)と3種類だ。値段のことを差し引いて考えれば、編み上げるのに200時間かかるカーディガンを買いたいような気持ちもあるのだけれども、膨大な技術が注ぎ込まれたそのカーディガンを僕が着ると、ちょっと服にかなわない感じが出てしまうように思う。だとしたら、プルオーバーにするか、手頃な値段のカーディガンにするか。カーディガンはシンプルで、僕にも着やすそうではあるけれど、せっかくなら装飾の施されたプルオーバーを記念に買っておきたいような気もする。

 16時過ぎに会場をあとにして、新宿を目指す。17時ちょうどに思い出横丁「T」に到着すると、今日はもう暖簾が出ていて、「おすしから聞いてるよ」とマスターが言う。今日は見汐さんと飲む約束をしている。というのも、見汐さんについて書く、という依頼をいただいて原稿を書いたこともあって、「一度飲みましょう」という話になっていたのだ。見汐さんのライブには何度となく足を運んできたけれど、じっくり話したことは『ドライブイン探訪』の刊行記念トークを福岡で開催したときくらいしかなく、緊張する。緊張するというと不正確かもしれないけれど(そしてそのあたりのことは原稿に書いたのだけれど)、この人にはかなわない、という感じがあるのだ。

 ちょうど同じタイミングで常連のIさんも入店し、お互い赤星を注文する。Iさんがキャベツのなんだか焼いたやつを注文し、それも美味しそうだなあ、ツマミは何にしようかと迷っているところに、見汐さんがやってくる。「間、ごめんなさい、ちょっと今日は、両手に花で」と笑いながら、僕とIさんのあいだに腰かける。瓶ビールで乾杯して、あれこれ話しながら酒を飲んだ。見汐さんもここのお店でよくお酒を飲んでいることは知っていたけれど(いちどだけ、入れ違いになったことはあるものの)こうやって並んで酒を飲むのは初めてだ。一緒に飲んでいると、小学生くらいの女の子のようなまっすぐさを感じる瞬間がある一方で、しばらく自分の話をしてしまったなという時間があると、「はい、私の話は終わり」と締めくくる感じが、不思議なバランスを保っている。普段だと1時間くらいで帰ってしまうのだけれども、こんなふうに見汐さんと飲めるのが嬉しく、ビールを延々おかわりしていた。

 途中でやってきた女性が「あ、見汐さんだ!」と嬉しそうに声をあげ、少し離れた席に座りながらも「見汐さーん!」とひとなつっこく話しかけている。埋火のときにPAをやってくれてた人なのだと、見汐さんが教えてくれる。あれ、ということは、と名前を確認するとやはり知っている方だ。ライブの現場で姿を目にしたこともあるし、1月の終わりにウェブ配信用の対談を御茶ノ水の地下にあるスタジオで収録したとき、PAをしてくださっていた方だ。仕事中と酒場なのだから、当たり前と言えば当たり前ではあるのだけど、そのときとはまるで雰囲気が違っていておかしかった。見汐さんが帰るまでお酒を飲んで、追加でもう1杯だけ酒を飲んで、思い出横丁をあとにする。酔っ払っているせいか一つ手前の駅で地下鉄を降りてしまい、ピノを買って家まで歩くうちに、アイスは溶けてしまった。

4月11日

 目を覚ますと、深夜に編集者のMさんからメールが届いていた。先週の沖縄滞在は、自分から取材に出かけたわけではなく、本のPRで番組に出演するために沖縄に出かけたものだった。宣伝効果がかなり大きそうだし、版元経由で連絡のあった件だということもあり、航空券代だけ経費として処理してもらえないかと相談していた(前著を出した際に、出版直前に最後の取材で沖縄に出かけたとき、取材費として少しお金を融通してもらえた記憶もあったので)。ただ、返答としては「渡航費は支払えない」とのことだった。Mさんのメールはとても申し訳なさそうな内容で、「会社からは払えないけど、せめて半額だけでも自分に負担させてほしい」と言ってくれたけど、それはさすがに申し訳ないので、自分で負担することにする。

 お昼近くになって横手の協会の方から電話があり、「取材の日時はこの時間帯でどうか?」と提案をいただく。協会の方の他に、老舗のお店にも取材依頼を送っていたので、返事を保留させてもらって、取材依頼を送っていたお店に電話をかける。メディアの取材を受けられているようだったので、ここはきっと話を聞かせてもらえるに違いないと思っていたのだけれども、「結構もう、テレビや本でも取材してもらってるんで……」と、乗り気ではない言葉が返ってくる。もちろん、メディアに露出することでお店が忙しくなり、常連の方が入れなくなる――なんてことも過去にあったのだろうから、取材を無理強いすることはもちろんできないのだけれども、どうしても聞いておきたかったのは、その「グルメ」を考案された方――そのお店を創業された方の話だ。生前の創業者の方をご存知であるはずなので、お店の名前は出さないとしても、その方のお話だけでも聞かせていただけないかとお願いしてみたものの、「これまで取材で話したものがあるので、それをもとに書いてもらっていいですから」と、断られてしまう。運気がどうとか、信じているわけでもないのだけれど、今日は朝から運気が下がっている気がする。

 ただ、編集者のMさんからのメールには、嬉しい知らせも綴られていた。それは、今夜日付が変わるころに放送されるバラエティ番組で二度目の古本屋特集が組まれることになり、僕の『東京の古本屋』を「番組内で紹介させていただく可能性があるのですが、テロップの内容は以下で間違いないでしょうか?」と問い合わせがあったというのだ。その番組では、3月中旬に古本屋特集が放送されたばかりだ(その番組は毎週録画予約をして身ている)。そのときは、吉祥寺と、早稲田と、経堂の古本屋さんが登場し、それぞれ数冊ずつおすすめの本を用意してスタジオに登場し、その中から出演者のふたりが手に取った本を軸にトークをする、という内容だった。

 そのときの傾向からして、写真集や作品集などの美術書であるとか、あるいはいかにも古めかしい本が手に取られる傾向にあった。だから、僕の本が手に取られる可能性はそんなに高くないような気がする。それに、過度に期待してしまうと、紹介されなかったときの落胆も激しくなってしまうから、あまり期待しすぎないようにしなければと、自分に言い聞かせる。ふと、タイムラインを眺めると、ビビビさんが「『東京の古本屋』をようやく読んだ」と書かれていた。他の古本屋さんの働きぶりを読んでしまうと、自分が怠けていることを直視することになりそうで、今まで読めずにいた――と。お、これは、もしかして、と直感する。第二弾を放送するなら、きっと前回とは違うお店が選ばれるのではないかと思う。そのうちの一軒がビビビさんなのでは、と。

 ほどなくしてリプライに返事があったのち、実は、とダイレクトメッセージが届く。そのメッセージに、率直な気持ちを返信する。実は『水納島再訪』と『そして市場は続く』は、ラジオ宛に献本をお送りしていて、その理由というのは、昔からラジオを聴いていることもあるし、ZAZRNBOYSが好きだとラジオで発言していたことがあって勝手に親近感を覚えている上に、最近の番組では「沖縄によく出かけている」と話していたこともあって、その2冊は献本してあって、『東京の古本屋』に関しても、たとえば先日、渋谷のジュンクが閉店する日にお店に出かけた話もされていて、本屋という場所に思い入れがある人だというのは知っているので、番組で紹介されるかどうかはともかく、MCのWさんに、これをきっかけに読んでもらえたら嬉しい――と。

 いつものように18時や19時から飲み始めてしまうと、番組が始まる前に眠ってしまうので、20時近くまで仕事をしてから晩酌をする。知人の作る麻婆豆腐をツマミながら、WOWOWのドラマ『フェンス』を観る。しっかり作られてあるドラマだが、あまりにも沖縄の文脈が見事に配置されている、という感じがする。ビールを3本飲んだあとは、白ワインをロックで飲んで、どうにか日付が変わるごろまで粘る。そうして番組の放送開始時刻を迎えたものの、しばらく経ったところでうたた寝してしまい、「ちょっと!」と興奮気味に語る知人の声で目を覚ます。ちょうどスタジオにビビビさんが登場したところで、はじっこに『東京の古本屋』が置かれている。どうかなあ、手に取ってもらえるかなあとそわそわしていたら、「どれかおすすめの本はありますか?」と振られたビビビさんが、まっさきに『東京の古本屋』を手に取ってくださって、感動する。「古書ビビビ」は、前の場所に店舗があった時代に、初めて「展示」というものをさせてもらったお店だ。『HB』を扱ってくださっていて、最後の『HB』を出したときにはお店でミニ写真展も開催させてもらったのだ。

 そんなことを思い出しながら画面を見つめていると、「店主の話だけでなくて、そのときの街とか、東京の空気までも一緒に記録してあるので、読んでるとあの頃の空気が思い出されて、本当に良いルポです」と、馬場さんがおすすめしてくれている。そこに又吉さんも加わり、「橋本さんは一日で行って、話聞いて終わりじゃなくて、ちゃんと関係性作ってからやるっていう、取材の仕方が素晴らしいです」と言葉を添えてくださる。嬉しいなあと思いながら、そのあとに続けて紹介される本の話に耳を傾けていると、高田文夫さんのところで「ラジオ」というキーワードが出たところで、「あ、そうだ」とビビビさんがふたたび『東京の古本屋』を手に取り、「そういえば、僕のインタビューで、オードリーのラジオを聴いてるって書いてるんです」と、MCのWさんに本を手渡す。ビビビさんが開店準備をしながらラジオを聴いている話の箇所を、Wさんが笑いながら読み上げている。自分の本がテレビ画面の中で読み上げられるだなんて、夢みたいな一日だなと思いながら眠りについた。

4月10日

 今月後半からゴールデンウィークにかけて、石垣、やんばる、那覇、東京、那覇、広島、倉敷、神戸と移動する予定を立てている。その前に、横手に滞在する予定もある。しばらく前に取材依頼の手紙やメールを送っておいたものの、すぐに読んでもらえるとは限らないので、しばらくそのままにしておいたのだが、そろそろ旅程を確定させなければと、まずは尾道のお店2軒に電話をかける。どちらも快諾してくださって、ホッとする。続けて、問い合わせフォームからメッセージを送っておいた横手の或る協会宛に電話をかける。取材をさせていただけないかとメッセージをお送りしていた者なんですけれども、と尋ねると、メールの行き違いで先方が違うアドレス宛に送ってしまっていたことがわかり、よかった、取材が断られたわけではなかったんだとほっとする。

 今日は知人も在宅で仕事をしていた。早めに仕事が切り上げられそうだというので、17時の開店時刻を目指して根津のバー「H」へ。境内には入らなかったが、神社のつつじがきれいに咲いているのが見えた。道路沿いにもつつじが植えられていて、つぼみが大きく膨らんでいる様子を見て、知人が頭の上でつぼみのように手を膨らませながら、「僕たち、頑張ってます! もうすぐ咲きます!」と、つつじのモノマネをしている。バー「H」でハイボール2杯と、ジントニックを1杯。帰りに「青山餃子房」で惣菜をテイクアウトして、家に帰って晩酌。

4月9日

 朝から『c』のドキュメントを書く。昼は知人の作るサバ缶とトマト缶のパスタ。ビール1本だけ。15時からは競馬中継。15時過ぎの段階で、リバティアイランドは1.8倍と圧倒的な1番人気だ。ただ、昨日今日と前残りのレースが多い上に、枠順的にも最後の直線で大外にまわさなければならなそうなこともあり、1着は別の馬になるはずだと予想を立てた。直線に向いた段階ではほぼ最後方にいたはずのリバティアイランドは、一気に差し切って優勝して、「いや、強すぎるわ」と思わずテレビの前で声をあげてしまう。

 本当であれば、今日は確定申告をやってもらったお礼に知人に高級な天ぷらをご馳走する予定だったのだけれども、行くつもりだったお店がかなり高級なお店だったこと、よくよく考えれば普段から家事は僕が担っていることが多いのだから確定申告ぐらい代行してくれてもいいのではないかという気持ちになったことなどあり、高級な天ぷらはとりやめることになった。ただ、せっかくだから久しぶりに外食がしたいと知人が言うので、そうだ、あそこにと思い立ち、夕方になって知人と一緒に西荻窪に向かった。

 まずは「盛林堂書房」に立ち寄り、何冊か本を買って、ご無沙汰してますとご挨拶。いつもTwitterを見て、「ああ、いろんなとこに行ってるな」と思ってますよとOさんが言う。「もしまた古本屋を取材することがあれば、僕に協力できることがあればお手伝いしますので」と言ってくださる。お店を出て、南口にある「戎」へ。「盛林堂書房」の取材をしていた3日間、毎日ここで飲んでいた。

「ああ、そうだ」と思い出したのは、しばらく前に、SNSの投稿を目にしたからだ。マスク着用は「個人の判断」という政府の発表があったころに、ここのお店は「これからも、来店する際にはマスクの着用をお願いします」とツイートされていた。マスクをせずに来店された場合、入店をお断りします、と。コロナがなくなったわけではないのだから、そこに対する配慮を残しているお店のことは応援したいと、その投稿を見たときから思っていた。

 軒先のテーブル先に案内され、まずは筍刺しと、旬の刺身を注文し、瓶ビールで乾杯する。2本目のビールを注文しようとしたとき、ある店員さんが「この瓶、引っ掛けて倒しちゃうと危ないから、こっち(店員さんが行き交う通路とは反対側)においてもらえますか」と言う。「あの、これもう空き瓶で、おかわりを頼もうと思って――」と知人が言ったものの、「こっちにおいてくださいね」と動かされる。その店員さんが僕の肩にぶつかるようにして通り過ぎていったことも気になったが(通路にはみだすように座っていたわけでもない(、まあ、あまり深く考えないようにした。僕からしたら「ガサツな対応だな」と思わずにはいられないけれど、じゃあ、「そんな人は接客をするべきではない」なんて言う権利が僕にあるわけではないし、そういう人をどこかに追いやってしまうと、社会はよくない方向に向かってしまう。それに、他の店員さんはぶつかることもなく、普通にナイスに接客してくれるので、楽しく飲んだ。

 驚いたのは、マスクを外した状態で来店したお客さんが「2名、入れますか?」とやってきた場合、「あー、すいません、今うちの店マスクのこと厳しくやってまして、来店された時点でマスクをされていないとお断りしてるんです」と、ほんとうにお客さんを断っていたこと。断られているお客さんは1組や2組ではなかった。店内が半分ぐらいの入りだから、売り上げのことを考えれば入店させたいところだろう。それに、そうやって入店を断ることで、軋轢が生じることもあるだろう(お店のアカウントで「来店時にマスクをつけていない場合は」と投稿したツイートには、ションベンをひっかけるようなリプライがいくつもついていた)。それでも「場」をどう守るのかと考えたすえに、そうして入店を断っているのだなと思うと、せめてたくさん飲み食いしようと、あれこれ頼んだ。

 コロナに対する態度に関して、自分は過激派なのはわかっているし、他人に何かを押しつける気はないけれど、なんとなく、「マスクは個人の判断になったとはいえ、まだウイルスが消えたわけではないから、対策は施しておきたい」とマスクをつけて過ごしているお客さんしか店内にいないせいか、ほとんどのお客さんは小声で会話していた。ただ、そんなふうに入店を断り続けるのは、現場で働く店員さんたちの心情を考えても、いつまでも続くものではないのかもしれないなと思う。会計を済ませて駅に向かうと、界隈にある立ち飲み屋にはぎゅうぎゅうにお客さんが入り、大賑わいだった。

4月8日

 8時過ぎ、シャワーを浴びて荷造りを済ませたのち、市場界隈を散策する。朝ごはんを買おうと「上原パーラー」に立ち寄ると、まだジューシーおにぎりは並んでいなかった。迷っていると、「ソーミンがいいんじゃない?――勝手に選んじゃいけないね」とお店の方が笑う。昨日に続いてソーミンチャンプルーを買うと、これ、おまけと寿司を2個つけてくれる。道路を渡って「プレタポルテ」にも立ち寄り、晩酌用にバゲットを買う。9時過ぎにホテルに戻り、チェックアウトして那覇空港へ。到着してみると、東京行きの飛行機は到着が遅れているようで、フライトの時刻も30分遅れていた。それならもうちょっとゆっくり市場界隈をぶらついてくればよかったなと思いつつ、手続きを済ませ、空港内の本屋さんへ。ポスターをスーツケースとともに預けてしまっていたけれど、せっかくなのでご挨拶する。店頭には僕の新刊は並んでいなかったけれど、『水納島再訪』は並んでいたので、あの本を並べていただいている橋本です、実はこういう本を出版しまして、とパソコンでポスターを表示しながらご挨拶しておく。

 フライトは1時間近く遅れることになった。腹が減ってしまったので、機内食で注文できるカレーメシを注文して、機内で平らげる。今日は上野までスカイライナーに乗り、上野の成城石井で惣菜を買い求めてから帰途に着く。夜は録画しておいた番組を観ながら晩酌をした。楽しみにしておいた新番組のバラエティがことごとくつまらなく、あれこれツイートしてしまう。ふとタイムラインを眺めると、知り合いが公設市場界隈の写真とともに「那覇の飲み屋街なう」と投稿していた。市場は飲み屋街ではないし、飲み屋が増えていることが大きな軋轢を生んでいるというのに、とケチをつけそうになったが、市場を「飲み屋街」と書く人と同じ土俵に乗ることもないよなと思い直し、ケータイを置いてテレビを眺め続けた。