4月13日

 昨日の夜中のうちに黄砂が飛来していたはずだ。おそるおそるベランダの扉を開け、手すりを指で撫でてみたけれど、特に汚れは見られなかった。ただ、花粉症は先月末あたりで落ち着いていたはずだが、今日は目の痒みがある。朝から『c』のドキュメントを書く。現状では「上下二巻」と伝えてあるが、ちょっとそれにはおさまらなさそうな気配があり、どうしたものかとひとり考える。おととい告知を始めた灘でのトークイベント、Uさんの希望もあって事前申し込みを受け付けているのだけれど、もう10人近く申し込みがあり、Uさんが積み重ねてきた時間のことを思う。同じ場所で平民さんと「ぽつぽつ語る会」を開催したのは4月30日だから、もう1年経つのか。来年もまたと言っておきながら、その言葉をそのままにしてしまっている。

 お昼に肉野菜炒めを平らげたのち、黄砂が過ぎ去ったことを確認して散歩に出て、千代田線に乗る。途中ではじっこの席が空いたので、パソコンを広げて原稿を書いていた。代々木上原で乗り換えて、下北沢に出る。「乗り換え」とはいえ、同じホームにやってくる電車に乗り換えるだけなので、楽なものだ。時間こそそれなりにかかるが、昼間は電車も空いているので、楽だ。何度足を運んでも「ずいぶん変わったなあ」と感じる駅前を通り過ぎ、オオゼキの姿を写真に収め、「古書ビビビ」へ。何冊か本を買って、ビビビさんにご挨拶。三本線がラスタカラーになっているアディダスのジャージを着ていたせいか、「橋本さんに似てる人だなと思ったんですけど、こんな色の服着てたかなと思って」と、ビビビさんが言う。番組で紹介してくださったお礼を伝えて、近所の果物屋で売っていた蒲郡デコポンをプレゼントすると、「この、葉っぱのついたデコポンっていうのはオオゼキでも売っていないです」と、ビビビさんならではの着眼点だ。

 久しぶりに下北沢にきたのだからと、「B&B」へ。そういえば移転したんだよなと地図で検索すると、下北沢というより世田谷代田のあたりだ。そこまでぶらりと歩いてみると、すっかり街が生まれ変わっている。しばらく前に有吉弘行がラジオで語っていたのはこれか、と思う(俺らが20代の頃は、世田谷代田から下北沢なんて何にもなかったけど、今はもう、普通に歩いて楽しい場所になっている、というような話をしていたおぼえがある)。線路が地下になったところに、おしゃれな空間ができている。つるんとしていて、立ち寄る、という感じにならないまま歩いていると、「本屋」という文字が見えた。「B&B」の新店舗は2階にあるようなので、階段をのぼって棚を眺める。旅に関する棚の前に立っていると、これから取材に出かけようと考えている場所の本やムックがあり、あれこれ買う。僕の本がすべて揃っていて嬉しくなり、お店の方にお礼を言って外に出る。

 世田谷代田駅前はちょっとした庭園のようになっていた。そこから小田急に乗って経堂へ。北口に出た瞬間に、暮らしやすそうな街だなと感じる。いろんなお店が揃っているわりに、駅前がこぢんまりした感じだ。少し歩いて「ゆうらん古書店」へ。以前、『東京の古本屋』の取材で市場に入ったとき、声をかけてくださった方がいた。その方は音羽館で修業をされていて、たしか「いつか独立して自分の店を」と言っていたように記憶している。経堂に「ゆうらん古書店」がオープンしたとSNSで知ったとき、あ、それはきっと、あのとき声をかけてくださった方のお店ではないかと思って気になっていた。

 お店に立ち寄り、棚を眺めていると、写真に関する本に手が伸びる。何冊か手に取って帳場に向かい、会計をする。僕のトートバッグがわりと膨らんでいるのをさりげなく感じ取って、「袋をおつけしますね」と言ってくださる。間違っていたらどうしようと思いながらも、あの、ライターの橋本ですと挨拶をすると、「ああ! いつも読んでます!」と言ってくださり、「これ、棚に並べちゃってますけど、すごく好きな本です」といって、マームの10周年本を見せてくれる。古書店主の方で、「ドライブインの人」でも「『東京の古本屋』の人」でもなく、マームのドキュメントを書いている人と認識してくれているのは、とても珍しいのではないか。せっかく経堂にこられたのだから、どこかおすすめのお店をと思案してくださって、農大通りを抜けた先にある「onkä」というパン屋さんはわざわざ行く価値があるお店だと思います、とおすすめしてくれる。

 駅前まで引き返し、植草甚一の日記にも登場していたOXのところには新たにオープンした商業施設がある(「新たに」と言っても、調べてみると2011年開業だから、全然新しくないのだが、2006年あたりに『植草甚一日記』を読んで経堂を歩いたときで記憶が止まってしまっている)。無印良品で、化粧水のボトルにとりつけて、スプレーのように化粧水を出せるヘッドを買う。これは、「化粧水をスプレー状にふきつけたい」と思って買ったわけではない。大きいボトルの化粧水、使っていると毎回フタが馬鹿になってしまって閉まらなくなり、蓋が開きっぱなしの状態で洗面台に並べておくのは不衛生だなあと気になっていたのだ。無印良品のあとで三省堂書店に立ち寄ると、店頭には村上春樹の新刊と、本屋大賞を受賞した本が隣り合わせに並んでいる。わざわざ本屋大賞発表のタイミングにぶつけるのか、という声もSNSで見かけたが、同じ面積の面陳になっていた。

 「経堂とか、暮らしやすそうだなあ」と知人にLINEをすると、知人の中の勝手な偏見(?)があり、小田急線沿線と世田谷には住みたくない、と返ってくる。僕が中央線沿線を敬遠してしまうのと同じようなものだろう。たしかに、農大通りを歩いていると、ちょうど4限終わりぐらいの大学生が大勢歩いてきて、高田馬場に暮らしていたころのことを少し思い出した。ただ、農大通りにはチェーン店もあれば個人経営のお店もあり、(今住んでいるあたりだとちょっと手薄な)エスニック料理店も数軒ある。

 農大通りを抜け、パンを買って駅に引き返す。前を歩いているのは、大学に入学したばかりの若者なのだろう。そして、たぶんきっと、まだ知り合ってまもないのだろう。単位の履修についてあれこれ話しながら歩いている。「あ、吉野家もある」「ほんとだ。ごはんには困らないね。とんこつラーメンのお店もあったよね?」「え?――私、とんこつラーメンは無理かも」「え、とんこつラーメン、美味しいよ?」なんてやりとりが聞こえてきて、初々しい。時刻はもう17時近くで、たくさん本を買ってしまったので、もうまっすぐ帰宅することに決めて、駅前のOXで惣菜を買うことにする。家中や千駄木のスーパーに比べると規模が大きくて、惣菜コーナーも手厚く、街の規模が大きいとこういうところに差が出るのだなあと思う。近所だとなかなか出会えない惣菜(特に気になったのはスコッチエッグ)を買って、千代田線の直通電車に乗り込んで、パソコンで原稿を書きながら千駄木まで帰ってくる。