11月1日から15日

11月1日(金)

 今日から11月だ。今年もあと2ヵ月しか残っていない。レギュラーの仕事、明日からの出張仕事、それからもう1件スケジュールを調整中の大事な仕事が一つ決まっているけれど、それ以外の時間は『hb paper』の次号の制作に専念しなければ(それは本当は『hb paper』ではないのだが、説明するのも手間だからもう『hb paper』ということにする)。

 朝9時に起きる。とりあえず昨日の日記を書き始めてみたものの、どうにも書きあぐねる。昼、マルちゃん正麺カレーうどん)もやしのせ。これを作るときは鍋にごま油を引いて炒めて、それから水を入れて湯を沸かして麺を茹でていた。そのせいでカロリーが高くなっているのだということにようやく気づき、今日からはもやしを炒めるのではなく、麺と一緒に茹でることにした。

 昼食を終えると、スーパーで買ってきた鶏ガラを取り出し、鍋に沸かした湯にくぐらせて霜降りにする――こんなことを急に始めたのは、妙な形で「ごちそうさん」効果が出ているからだ。今朝放送された第29話のラストで、主人公の父であり「開明軒」の主人でもある卯野大五(原田泰造)は主人公・め以子(杏)を厨房に呼びつける。め以子が「何やってるの?」と訊ねると、大五は「鶏のフォンだ」と答える。「もう見習いのコックを帰しちまったから」と理由をつけてめ以子に手伝わせようとしているのだ。そして大五は「鶏ガラを熱湯にくぐらせて霜降りにする」とあえて声に出して手順を説明する。そして「大きめのボールに入れて熱湯をかけるって方法もある」「家庭ではその方がやりやすいかもしれないな」と付け加えるのだ。つまり、花嫁修業のつもりで手伝わせているわけで、これまでめ以子の結婚に反対していた大五が少しそれを許したシーンなのである。

 でも、僕は「そうか、家庭でも鶏ガラからスープを取れるのか」と、妙にそのことに反応してしまった。それで鶏ガラを買ってきたのだ。大五の言っていたように熱湯にくぐらせ霜降りにする。そして血合いを取るのだが、血合いや内臓を取るべく鶏ガラを触っていると、死んだものを触っているのだという感触が急に沸いてくる。甘っちょろいことを言っているのは自覚しているけれど、僕は鶏ガラというのを触るのは初めてだったので少し気まずい感じがした。それから、ダシが出るように骨を切っていくのだが、骨なので当然簡単には切れない。包丁の刃が少しこぼれてしまった。これも当たり前のことだろうが、やってみて初めて気づいた。うちには砥石がないのに、どうしよう。それでも何とかぶつ切りにして鍋に放り込んだが、なるほど、この手間を考えると鶏ガラスープの素の何と便利なことか。

 鶏ガラを煮込んだあと、15時過ぎにジムに出かけて3キロほど走った。3キロくらいなら途中で歩くこともなくなってきた。アパートに戻ってみると美味しそうな鶏ガラの匂いが部屋に充満している。ラーメンが食べたくなる匂いだなあ。シャワーを浴びて、そのスープをベースに鍋を作る。さて、今日の夜はどうしようか。晩ご飯は鍋として、そのあとは部屋で飲むか、外に出かけようか――。少し迷ったけれど、明日からしばらく東京を離れる予定なので、友人のUさんに電話をかけてみた。Uさんは仕事中だったけれど、20時以降ならだいじょうぶとのことだった。むしろそれぐらいからのほうが都合がいいですと伝えて、発泡酒を1本だけ飲みながら鍋を食べた。

 知人のぶんの鍋も作っておいて、20時過ぎにアパートを出た。Uさんが店番をしていた「ブックギャラリー・ポポタム」を訪ねると、ちょうど店を閉めて外に出てくるところだった。そこには女性もいて、ひょっとして今展示している作家さんだろうか、だとしたら展示を観ずに飲みにだけきたことが申し訳ないなと思っていたのだが、やはりその女性は作家さんで、Uさんが「いつかそれぞれのことを紹介したい」と言ってくれていたみやこしさんだった。

 Uさんと二人、池袋西口「F」の2階に上がる。店員さんが「今日は東口店が半額の日だったのに」と教えてくれる。僕は東口店には1度か2度しか行ったことがないけれど、そちらは1のつく日(いや1日だけかもしれない)が食べ物半額の日らしかった。「1日は東口に行って、あとの日はこっちに来てね」と笑う。たぶん1日もこちらの店に来るだろう。いつも通りUさんはレモンセット、僕はホッピーセットを注文した。

 どういうきっかけだったのか、飲んでいるうちにグルメの話になった。「橋本さんは、変な言い方だけどグルメじゃないよね」とUさんは言った。これは決して批判として言われているわけではないし、僕も自分でそうだと思っている。僕は「うまい!」と思ったものがあるとそればかり食べるほうではあるけれど、その味について言葉を並べ立てられるタイプではない。ひと口食べただけでも何文字でも書ける人はいるだろうし、そういう人こそライターに向いているのだと思う。でも、そうじゃない語り口だってあるはずだ。最近、そんなことばかり考えている。

 たとえば、一ヵ月前のこと。「あまちゃん」の最終回の放送が終わると、画面は久慈市からの中継に切り替わった。どこかの建物の中で、パブリックビューイングのようにして「あまちゃん」最終回を観る集いが開かれているらしかった。インタビューされている人たちは最終回に感動したことを語っていたが、その奥のほうに老人たちが座っているのが見えた。最終回が終わったということがわかっているのかどうか、少し気になってしまうくらいボンヤリと座っているおじいちゃんの姿もあった。その様子を見ているうちに思い出したのは、久慈に出かけたとき、多くの人は「あまちゃん」を観ていると答えていたけれど、「好きなエピソードはありますか」とか「好きなキャラクターは」といった質問をぶつけると「いや、そういうのはないけど」と言う人が案外多かったことだ。そのことは、ツイッターでは多くの人がそうした話をしていたのととても対照的だった。

 これは別に、どちらが良いとか悪いとか言っているわけではない。ただ、言葉になりやすいのは後者だけど、好きなエピソードはと言われても特にないけど楽しく観ているという層がそこにいて、そういう時間の過ごしかたがそこにあるということだ。グルメやドラマにかぎらず、そういったことは世の中にたくさんあると思う。少し前に「月曜から夜ふかし」で取り上げられていた、北欧の国で暖炉が燃えているだけの映像や北極へと向かうクルーズの様子を定点カメラ(?)で100時間以上にわたって流すだけの番組が高視聴率を獲ったという話も、どこかそれに近いものがあると思う。

 話を池袋「F」に戻す。Uさんはツマミに生野菜盛り合わせと里芋を、僕は韓国海苔を選んだ。Uさんに、自宅でごはんを食べるときによく作るものは何かと訊ねてみると、最近ハマっているのはかちゅーゆーと教えてくれた。沖縄料理で、鰹節の入った味噌汁なのだという。最近、寝る前に動画をちょくちょく見ていて、その中で土居善晴の動画を見つけてそこで知ったようだ。そこで土居善晴が「鰹節は日本のインスタントみたいなもの」「わざわざ買わなくても、もともとがインスタント」と言っていたという。な、なるほど。そんな話を聞いているうち、削っていない鰹節と鰹節を削る器械を買おうかななんて考え始めている。ちなみに、これもまた「ごちそうさん」の影響である。


11月2日(土)

 9時過ぎに起きる。午前中、ジムに出かけて5キロほどジョギングした。のそのそしたスピードではあるが、5キロでも途中で歩くことなく完走できる。昼、昨日の鍋の残りにマルちゃん正麺カレーうどん)を入れて食べてアパートを出、羽田空港へと向かった。今日は『e』誌の企画――連載ではないけれど毎号掲載されている、Nさんによる対談企画で佐賀出張である。僕は『e』誌の企画で出張するのは4年振りくらいなので少し浮かれている。

 佐賀、何度か通りかかったことはあるが、ここを目的地にやってくるのは今回が初めてのことだ。佐賀空港でタクシーに乗り込んで走り出すと、道路の両脇はずうっと真っ暗だ。おそらく田んぼなのだろう、Googleマップを開いて現在位置を見ると青くて細い筋が何本も走っている。10分か15分ほどその景色が続いたあと、今度は郊外型のドラッグストアがポツンとあり、それからまた少し先に広大なイオンがぼうっと現れる。これはさすがにファスト風土的と言うべき風景かもしれない。でも、地方に出かけたときに「ファスト風土的」と言いたくなるような景色というのはもう少しゴチャゴチャしていて色々隣接していたりするのだが、ここのジャスコは周りが真っ暗で何もないところにぼうっと現れるので、少しゾクゾクする。アメリカみたいだ。

 佐賀県庁、つまりかつてお城だった場所に近づいても辺りは暗いままだったが、そこを過ぎると少し町になってくる。路面店が並んでいたり、公園のような場所に屋台村があるのも見えた。そうした景色の中にポール・スミスの看板が見えた。地方都市にポール・スミスがあったって驚くほどではないけれど、それは大抵ファッションビルや駅ビル、デパートなんかに入っていることが多く、路面店を見たことがなかったので少し新鮮な気持ちになる。別に一ヵ所にきらびやかに集まっているわけではないが、こうして路面店のある通りがあるということは、案外悪くない街かもしれない。シブそうな食堂をちらほら見かけた。

 タクシーの中で、このあとの行動について少し相談していた。時刻はもうすぐ19時といったところなので、ホテルにチェックインしたらご飯を食べに行こうかという話になった。対談があるのは明日で、対談のお相手は焼き鳥屋さんをやっている。Tさんが「そこへ行ってみましょうか」と提案したが、Nさんは少し乗り気ではないようだった。しばらくしてNさんは「あの――わがままを言ってもいいですか」と言った。「できれば、まずはちょっと一人で行ってみたいんです」と。こんな言い方をするのはおこがましいかもしれないけれど、その気持ちは少しわかる気がした。

 今週末、佐賀ではイベントや学会が重なっているらしく、ホテルはどこも満室らしかった。そのため、僕とTさんは禁煙の別のホテル、Nさんは喫煙可の別のホテルに分かれて泊まることになっていた。禁煙のホテルって何だろうと思っていると、それは結婚式場に使われるホテルで、その1フロアだけが客室になっているのだった。なるほど、だから喫煙可の部屋がほとんどないのか。部屋に荷物を置くと、Tさんと飲みに出かけた。駅前にはSEIYUと学習塾、それに飲み屋がほんのわずかあるくらいで、そこを離れるとすぐに暗くなる。ところどころ、妙に煌々とイルミネーションが光っている。しばらく歩いていると少しずつ明るくなって、ポツポツと飲み屋が見えてくる。そのなかにTさんが食べログで見つけてくれた「福太郎」という店があった。

 「福太郎」は思いのほか大きな居酒屋で、会社の飲み会なんかもきっとここでやるのだろうなといった感じの佇まい。2階席に案内されて、ビールとハイボール、それに何と言っても呼子イカ刺しを注文する。1階の生け簀に何匹もイカが泳いでいたが、それを捌いたのだろう、運ばれてきたイカはまだ動いていた。そして表面が不思議な色に輝いている(ただし1分もしないうちにその輝きは消えてしまった)。すぐに口に運んでみると、甘味と粘り気があって何ともうまい。他にもムツゴロウの刺身やミドリ色をした小さな貝を食べたが、その味はあまり覚えていない。イカ刺し、残った部分は塩焼きか天ぷらかにしてもらえるというので天ぷらにしてもらった。これがまたうまかった。それから、最後にウニ丼(1200円)も食べた。そういえば夏に放送された「食彩の王国」でこのあたりで獲れるウニのことを取り上げていた。ここで食べたウニは甘味が強く、風味が少し違っている。

 どういうわけだか、21時半を過ぎると店内にはぱたっとお客さんがいなくなった。ひょっとしてもう閉店時間なのかと思ったが、2時まで営業しているという。この店を出たのが何時だったのかは記憶がおぼろげだけど、23時くらいだったのではないか。店を出て帰ろうとしたところで、「よかったらどこかで飲んで行ったら」とTさんは気を遣ってくれた。それならばとTさんと別れて、一人でもう少し歩いてみることにする。少し奥に行くと客引きの並ぶ通りへ出た。メートルの上がった人たちの姿も見える。僕はそのあたりを2往復したものの特に客引きもされなかったので、客引きの一人に「地酒飲めるとこないですか、地酒」と声をかけると、近くの店に連れて行かれた。

 案内された店に入ってみると、普通のロックバーといった佇まいだ。しかもかなり賑わっている。ここで地酒を飲むのも似合わないので、ハイボールを注文した。カウンターをはさんだ向かいには女の子の店員がいる。あまり細かいところは覚えてないが、好きな映画は何ですかと聞かれた僕は「ゆれる」と答えた。言ったあとになって「観たらどういう気持ちになるだろう」と不安になったけれど、まあ酔っ払った客の言っていた好きな映画を借りて観ることもないだろう。3杯飲んだところで「私も何か飲んでいいですか」とその子は言った。どうぞどうぞと言いながらも、僕はその3杯目を飲み干すとお勘定をしてもらった。勘定を書いた紙には「5000円」とあった。ひょっとしたらここはロックバーではなくガールズバーだったのだろうか?


11月3日(日)

 9時過ぎに起きる。もう少し早起きできれば知らない街をジョギングしてみるつもりだったが諦めた。10時過ぎにホテルをチェックアウト。霧のような雨が降っている。いつかのライブで聴いた前野健太「こどもの日」が急に思い浮かんだ。駅前では音楽イベントがあるようで、ステージを組んでセッティングが勧められている。駅前広場に、ではなく、駅の出口のすぐ目の前に組まれている。駅の構内に入ってみると、田舎出身の僕としてこんなこと書くのもどうかと思うけど、やはりヤンキー感が溢れている。僕はミスタードーナツに入ってカフェオレを飲みつつ日記を書いた。

 12時、Nさんの泊まっているホテルのロビーで待ち合わせ。全員揃ったところで「行きましょうか」となると、「約束の時間はたしか12時半でしたよね。昨日一人で行ってみたんですが、タクシーで10分もあれば着いちゃうんで、早く着き過ぎるかもしれませんね」とNさん。15分ほど駅前で時間を潰してからタクシーに乗車した。12時25分にお店に到着し、12時29分、対談のお相手が経営されている焼き鳥屋さんに入った。ご挨拶をして、カウンターでお話を伺えないかとお願いする。カウンターの椅子の上に暖簾が置かれていて、Tさんがそれを少し奥にどかす。それを見たNさんは咄嗟に「ああ――すみません、お店の物を勝手に触って」と代わりに詫びた。昨日「まずは一人で行ってみたい」と言ったところを含めて、僕ごときがそんなことを言うのも非常に失礼ではあるけれど、Nさん、やはりスタイリッシュな方だ。

 対談のお相手も、イニシャルで言えばNさんだ(NBさんとする)。NBさんは元プロ野球選手で、Nさんが少年時代に応援していたチームに所属していた選手だ。対談をしていると、「うわあ」「いやあ」と、Nさんが思わず声を漏らす瞬間が多々あった。この日、僕は撮影係もおおせつかっていたが、写真を見返してみるとまるで少年のような目をしたNさんが写っている。

 飛行機で東京に戻るNさん、Tさんとは店の前で別れて佐賀駅に戻った。駅の売店有明海苔とはがくれ漬というのを買った。そういえば僕が泊まったホテルにも「はがくれ」という名前がついていたし、これまで気にしたことはなかったけれどナンバーガールの歌詞にも「はがくれ」というフレーズが何度か登場していた。佐賀と「はがくれ」に何か関係があるのか――と、今調べてみたらすぐにわかった。「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」で有名な『葉隠』を書いたのは鍋島藩士だったのか。いや、知らなかった。

 僕は佐賀駅から特急で博多に出て、そこから実家のある広島に戻った。実家に着いたのは18時頃で、母はすぐに夕食を用意してくれた。ごはん、ハンバーグ(小)2個、大きなオムレツ。今日はまだおにぎり1個しか食べてなかったからいいけれど、明日からもこの献立だと痩せるどころか太ってしまいそうだ。夕食後は湯につかり、実家の本棚に並んでいる『en-taxi』のバックナンバーを少しめくってみた。


11月4日(祝)

 朝、誰かの話し声で目が覚めた。今日は10時半から13時頃まで集まりがあると母から聞かされてはいたが時計を見るとまだ9時半だ。朝食は食べなくても平気だけど、喉が渇いた……。別にリビングに降りていったっていいのだけど、どうにもそこで挨拶するのが億劫だ(まったく知らない人たちなら別だけど、母親の知り合いとなると億劫に感じてしまう)。13時、母親が昼食をお盆に載せて上がってきて、僕の部屋の前に置いた。何だかひきこもっているみたいだ。いい年して「母親の知り合いに挨拶するのが……」とか言っているんだから、当たらずとも遠からずではあるが。

 15時過ぎになって、リビングにいた人たちは全員帰ったらしかった。僕はようやく階段を降りていき、隣町にあるスポーツクラブへと出かけた。いつのまにか地元にもスポーツクラブができていて、それは僕が東京で入っているのと同じクラブだった。少し料金を払えば他店舗も利用できるというので、ジョギングしにきたのである。こちらのジムのほうが新しくて広くて、おまけに営業時間も長い。使い慣れないマシンで5キロほど走った。実家に戻って体重を測ってみると、先週の月曜日に比べて2キロ減っていた。効果が出ると楽しくなってくる。5キロくらいなら休みなく走れるようにもなってきた。

 19時、夕食。ごはん、牛肉とレンコンの煮物、牛ヒレ肉のソテー、ケチャップスパゲティ、手羽元のカレー煮、ベーコンとじゃがいものスープ――これがメニューだと母親は言っていたが、さすがにボリューミー過ぎるので、ごはん、手羽元は削ってもらって、スパゲティも少しだけにしてもらった。食後、クルマで隣町の書店に出かけた。何軒かまわってみたが、『あまちゃんモリーズ』を探したが見当たらない。「あまちゃん」、西では数字が振るわなかったというし、入荷されなかったのかもしれない。最後に立ち寄ったツタヤで店員さんに確認してみると、31日に入荷したが売り切れてしまい、追加の注文をしたそうだ。結局僕は『ナイン・ストーリーズ』(新潮文庫)だけ購入した。評伝を読んでいるうちにサリンジャーを再読したくなったのだ。

 深夜になって昨日の取材のテープ起こしを完成させた。そのあとで『ナイン・ストーリーズ』を開き、「バナナフィッシュにうってつけの日」を何度も読んだ。昨日も今日もお酒を一滴も飲んでいない。


11月5日(火)

 9時過ぎに起きて、朝からジョギングに出かけた(知人にそのことをメールすると「金持ちの生活だね」と返ってきた)。走るのは小中学生のときに何度となく歩いた通学路だ。その通学路は細く、大人になってからはほとんど歩いたことがない道だ。昔とは少し風景が変わっている。学校を通り過ぎると、今度は前に住んでいた家のある方向に走っていく。平日の昼間だけど、人の姿をそこそこ見かける。走っているうちに、何度か遊びに行ったことのある同級生の家の前に出た。それまでその同級生の家に遊びに行ったことがあることも忘れていた。彼は今、どうしているのだろう。同級生に一人ずつインタビューしていくリトルマガジンなんかを作ってみたらどうなるだろう?

 昼、お好み焼き。これまではダブル(そばが2玉入ってる)を注文していたが、今回はシングルにしてもらった。午後、3日に収録のあった『e』誌の対談構成を進める。15時過ぎ、母親に最寄り駅まで送ってもらい、広島市内に出た。広島駅を出るとすぐに「ジュンク堂書店」(広島駅前店)に走り、柴田元幸訳の『ナイン・ストーリーズ』を買った。昨日買ったのは野崎孝訳で、どうもよくわからない箇所がいくつかあったので柴田元幸訳で読みたくなったのだ(ちなみに地元の書店では野崎訳しか手に入らなかった――うちのあたりだと海外文学なんて本当にわずかしか取り扱いがない)。それを購入するとすぐに電車に乗って引き返した。最寄り駅から広島までは片道30分ほどかかるが、そのあいだもずっとパソコンを広げて構成を進めていた。

 編集長のTさんからは「水曜日までにお願いできますか?」と言われていて、「いやいや、火曜の夕方までには送りますよ」なんて答えていたのに、夕方になっても一向に終わらない。夕食を食べながら気分転換でもと思っていたのだが、母親の教え子だった子――「子」と言ってももう大人だが――が突然訪ねてきたようで、夕食の時間は繰り下げになった。20時過ぎ、夕食。鮭のちゃんちゃん焼き。ちゃんちゃん焼きだけでは満腹にならず、かといって米を食べるわけにもいかないので、コンビニに出かけておでんの大根を3つ買って食べた。

 肝心の『e』誌の構成は、0時過ぎになってようやく完成した。ホッとした。ベッドに転がって、『ナイン・ストーリーズ』の「コネチカットのアンクル・ウィギリー」をじっくり読んで眠りについた。


11月6日(水)

 朝7時に起きる。今週から「ごちそうさん」は大阪篇で、嫁いだ先のいけずなお姉さんに杏がずっといびられている。観ていてツラくもあるが、僕の中にもそういうところがあるのか、お姉さんの口ぶりはすぐに再現できそうだ。6キロほどジョギングしたのち、『S!』誌のテープ起こしに取りかかる。12時、昼食。テーブルにはざるそばと鮭のちゃんちゃん焼きが並んでいる。そこにごはんも加わりそうだったので「要らない」と伝えてそばを啜った。

 昨日、広島に出かけた際に『あまちゃんモリーズ』を買ってきて両親に渡していたのだが、父はずっとそれを読んでいる(「あまちゃん」を観ていなかったはずなのに)。そして「この本はすごい」と言っている。僕の原稿も読んで、「ワシはよう書かんわ」と褒めていたらしいと母から聞いた。

 夕方、テープ起こしを中断して隣町に出かける。家電量販店「エディオン」に入り、小さい体重計を買った。こないだ佐賀に出かけてきづいたのだけど、旅先だと体重をはかれないから「まあいいか」と気持ちが緩んでつい食べ過ぎてしまうのである。これで旅先でも安心(?)だ――しかし、こんなことばかり書いていると、自分がずいぶんつまらない人間に思えてくる。それから、電気シェーバーも買った。人生初の電気シェーバーである。なんとなく、これからは毎日髭を剃ろうと思い立ったのだ。

 19時、夕食。僕が食材を買ってきて水炊きを作った。実家のキッチンは広くて調理しやすい。こんなふうに生活していると、ずっとこの場所にいるような気になってくる。母に「いつまでおれるん?」と訊ねられて、そうだ、明日帰るつもりだったんだと思い出す。そのことを伝えると両親とも寂しそうにしていた。この日はビールを買ってきていて、まあ父は毎日飲んでいるのだが、母にも分けて3人で少しだけ飲んだ。今回の帰省で酒を飲んだのはこのときだけだった。夕食後、『S!』誌のテープ起こしを再開し、日付が変わる頃になってようやく完成させた。


11月7日(木)

 8時過ぎに起きてジョギングに出る。時間がないので今日は4キロにしておいた。シャワーを浴びるとすぐに『S!』誌の構成に取りかかる。11時半、仕事を中断して昼食。昨晩の鍋の残りを食べた。

 午後、広島駅から新幹線に乗車。車内でも気合いを入れて構成を進めたおかげで、新大阪に着く頃には完成させることができた。ホッとする。いつもは夜になって完成させているが、今日はこれから京都に途中下車したくって、そのためにも早めに原稿を完成させておきたかったのだ。

 京都で新幹線を降りて歩いていると、さっそく編集部のMさんから電話。修正箇所について話していると、「たぶん、この痴漢に間違われたエピソードは入れたかったんじゃないですか?」と言われる。僕が「そうなんですよ、痴漢のところ、面白くって」と電話に向かって話していると、前を歩いていた女性が怪訝そうな顔をして振り返った。駅前からバスに乗って出町柳に向かい、そこから17分ほど叡山電鉄に揺られていると京都精華大学前に着く。これから今日さんの講演会「水面を写し取る」があって、せっかく京都を通過する日なのだからと途中下車してやってきたのである。

 講演会のある建物(駅から一番近くにある建物)に入ってみると、教室の前には長い列ができていた。16時20分、満員になった大教室で、講演会が始まった。聞き手は京都精華大学の教員である蘆田裕史さん。京都精華大学は芸大だったらしく(恥ずかしながら知らなかった)、自分もクリエイターになりたいという若者たちに向かって語られるところもあった。以下、僕がメモした話をここに書き写す。文脈が曖昧なところは省いたものの、これはあくまでメモでしかありません

影響を受けた作家、好きな作家の名前としてよく名前を挙げられる都築響一さん、辛酸なめ子さんについて

 都築さんはこういう(講演会のような)形で自分が通っていた学校にいらっしゃっる機会があった。私は都築さんのファンだったので、都築さんに会えるのは今しかないと思って「一ヵ月だけでいいからスタッフにしてください」と押し掛けて、それでインターンをした。

 辛酸なめ子さんは、プロフィールを見ると自分と同じ中学出身で、マンガを読む限り部活の先輩だということがわかった。そこでなんとかして会えないかとお願いしたら、一緒に母校の文化祭に行こうという話になった。(結構好きな人のところにはガンガン行く感じだった?)そうですね、「当たって砕けろ」みたいなところはありました。

 辛酸さんは、どんなにおちゃらけたものでも、キチンと取材して自分の意見を描くということを徹底されている。だから説得力がある――それを学生時代に学んだ。だから私が学生時代に描いていた『ジューシィ・フルーツ』も、おちゃらけて描いてはいるけれど、対象をバカにし過ぎることなく真面目に描いているとは思います。

ジューシィ・フルーツ』と『センネン画報』が対照的な作風であることについて

 でも、Webで遡ってもらえればわかるように、『センネン画報』も一回目はギャグマンガのノリで描いている。皆さんが“センネン画報的”と思うものにたどり着いたのは3年経った頃。段々ギャグをやっているのがつらくなって、いわゆる叙情派的な文学や昔の近代詩を読みあさった時期があり、そこからこの作風になった。別に「これがウケるから」ではなく、当時の自分がそういう気分だったんだと思う。自分が描くものはいつも、世界観としては昭和ぽいものが多い。女の子も流行から一歩遅れている子が多いかもしれない。

COCOON』、そして『アノネ、』について

 私は戦争をわかりやすく描いてはいけないといつも思っている。それは、戦争について自分が何か明確な答えを出せていないのに、作品の中で何かを言い切ってしまうのは違うんじゃないかと思っているから。自分が色々考えているけれど答えを出せない――その今の状態をうまく落とし込めればと思って描いている。だから、これを読んでいると、誰が正しいのか、誰が悪かったのか、何が原因でこうなったのかもわからないけれど、それは私がまだ何も答えを見いだせてないということでもある。

mina-mo-no-gram』での共作について

 藤田さんが原作を書いて私がマンガに起こしたというわけではなく、一つの机に向かい合って一コマ一コマ話し合いながら作った完全なる共作で、私にとっては発見の連続だった。物語を作るとき、藤田さんは「誰が演じるか」を考えて動かす人。だから、『mina-mo』に登場する主人公・いづみさんも、実在する青柳いづみさんに当てはめてようやく動き出したところはあるし、物語を作るときも「青柳さん本人はこんなことしない」ということ話なって、マンガ的には都合よく動かせるはずの人間が都合よく動いてくれないという不思議な事態に発展した。でも、私は「コマ割りはリズムだ」と思っているけれど、その問題を藤田さんも非常によく理解してくれていて、行間にうまく言葉を当てはめてくれた。私が今まで排除していた言葉というものをうまく使えるようになった画期的な出来事だった。

これからのこと

 私は去年、あまりにも忙し過ぎて入院したこともあって、それ以降は「がむしゃらにやる」というより、ちゃんと自分が生きる方向を選ぼうと反省した。皆さんはまだ若いからがむしゃらに楽しく突っ走れると思うけど、基本的にはマンガではなく人生が先にあると思ったほうがいいかなとは思います。

質疑応答(1)マンガやイラストはふとしたときに思いつくのか、考えて思いつくのか

 始まって数回は何も考えずに描けるけど、ストックが切れる瞬間がある。そこを乗り越えるために必死で考えていくと、トレーニングとして思いつけるようになる。「今から思いつくぞ!」って思えば思いつくようになるんです。すごい精神論ではあるけど、回数を重ねるのは大事だと思う。天才でない限り、回数を重ねることが一番近道じゃないかと思います。

質疑応答(2)大学時代は雑誌編集者なりたくて言語を中心としたミニコミを作っていたのが、視覚情報の強いマンガに変わったのはなぜ?

 絵を描くのはもともと好きだったけど、ライターの仕事をしていたとき、「自分はライターであって小説家ではない」と思った。ライターをしていればいつかは小説のような美しい芸術にたどり着けるんじゃないかと思っていたんですけど、ライターはやはり方向が違っていて、わかりやすく物事を伝える方向。そこで自分が持っている文才に見切りをつけたというのはあります。

質疑応答(3)僕もマンガを描いていて、今感じたことをすぐに伝えたくてマンガを描いている。やはり年齢を重ねるごとに伝えたいことや感じたいことは増えていく?

 その年齢ならではの感じ方というのが絶対にある。それは年齢によって劣化するわけでもないので、常に新しい発見はあると思います。たとえば、高校生が初めて彼女と付き合ったときの感情もあれば、大学生になって彼女と別れたときの感情もあるし、そのときどきの感情がある。むしろそういう一つ一つの感情を忘れたくなくて毎日『センネン画報』を続けていたところもあります。

 講演が終わると、再び叡山電鉄に揺られて出町柳まで戻った。「ジュンク堂書店」(京都朝日会館店)で、先日『S!』誌の対談でボブ・ディランの話題になって以来「あの本を買って読もう」と考えていた『ボブ・ディラン自伝』を買い求めて、少し歩いて三条にある酒場「赤垣屋」を訪ねた。まずは瓶ビールと小芋煮を注文する。店員さんの動きを見ていると気分が良い。ビールを飲み終わったところで熱燗と鯛の刺身を頼んだ。鯛の刺身、甘エビなんじゃないかというくらい甘味がある。しかし、こういうときに「甘エビなんじゃないか」と感じてしまう自分の舌の稚拙さに少し寂しくなる。

 それも食べ終えたところで、さあ、おでんだ。カウンターの内側ではおでんが炊かれていて、どれを注文しようかとずっと考えていた。大根とたこはぜひとも食べたいところ。他には何があるのか、僕の席からだともう一つよく見えない。近くに立っている店員さんに訊ねようか。訊ねるにしても、「おでんって何があるんですか」と訊ねるんじゃなくて、「おでんって何があるんでしたっけ」と訊ねてみようか――浅はかなことを考えながら「あの、おでん……」と話しかけると、考えを見透かされていたわけではないだろうが、店員さんは「はい、こちらになります」とお品書きを渡してくれた。もう一品はじゃがいもを選んだ。

 最後に一つ、食べておきたいメニューがあった。湯豆腐だ。関西風の湯豆腐を食べてみたいと思って新幹線の時間が迫っているなか注文したのだが、よく考えたらつけダレにつけて食べるのだからあまり違いは感じられなかった。僕の舌が鈍いせいもあるのかな。それを急いで食べ終えると会計をしてもらって京都駅に出て、おみやげに知人からリクエストされていた千枚漬けをいくつか購入して東京へと向かった。


11月8日(金)

 朝9時に起きる。まずはジムに出かけて、12月に発売予定のとあるミュージシャンの音源を聴きながら、歌詞カードを眺めながら6キロほどジョギングする。隣りのマシンでは、おばさんが大声で会話しながら時速3キロで歩いている。歩くカロリーよりもしゃべるカロリーのほうが高いのではないか。うるせえなあと思うが、黙々と走っている人間より、溜まり場として使っている人たちのほうがジムにとっては良いお客さんであるはずだ。人間というのはコミュニケーションが好きなのだと改めて感じる。

 アパートに戻ると、1件のメールが届いていた。リトルマガジン『N』の編集長・Mさんからで、ずっと前から話のあったインタビューのスケジュールがついに決まったという報せだった。月曜日の16時半から19時――撮影込みで2時間半だ。これならしっかりと話を聞くことができそうだ。何を聞こうかと考えながら、『ボブ・ディラン自伝』を読んで過ごす。

 夜、水炊きを作って食べる。21時、自転車こいで中目黒に出て、リトルマガジン『TO』(目黒区特集号)の打ち上げに。知り合いも少なそうなので出席するかどうか迷ったが、せっかく誘ってもらっていたので参加することにしたのだ。中目黒にある「オランチョ」という店へと階段を上がると、入口のところに『TO』を作っているKさんが立っている。会費として1500円ほど支払って、ドリンクチケットを受け取る。カウンターには次々とおいしそうな料理が運ばれてくる。2杯目以降のドリンクはキャッシュ・オン制だ。

 僕が人見知りしながらチビチビ飲んでいると、Kさんが気を遣って何人かに紹介してくれた。そうしてガチャポンなどの造形師をやっていたという人と話す機会を得た。今は造形ではなく企画などに携わっているという。自分が知らない世界の話を聞かせてもらえるのはとても楽しい。その方が持っていたサンプルもいくつか見せてもらったが、とても楽しそうだ。今度どこかで探してガチャポンをまわしてみようと思う。日付が変わる頃になって、久しぶりに会った東京ピストルのKさんに『faifai ZINE』を手渡して店を出た。


11月9日(土)

 朝6時、チャイムの音で目が覚めた。昨晩、知人は関ジャニ∞の東京ドーム公演を観に行き、そのままジャニ友と飲みに出かけてこの時間になったのだ。「気がついたら水道橋の路上で寝てた」という。何をやっているのか。しかし、僕もちょっとだけライブを観てみたかった気もする。特に「takoyaki in my heart」を生で聴いてみたかった。酒くさい寝息を吐いて横になっている知人は放ったらかしにして、ジムに出かけて4キロほど走った。

 15時、自転車で西新宿へ。リトルマガジン『N』のMさん、それにフォトグラファーの方と待ち合わせ。地下にある「ルノアール」(小田急ハルク横店)に入り、ブレンドコーヒーを飲みながら、月曜日のインタビューに向けて打ち合わせをする。以前に一度打ち合わせをしていたけれど、それからしばらくあいだが空いてしまったので、企画の意図やMさんが考えていること、なぜ僕に依頼をしたのかを確認しておく。それが終わると、3人で当日のロケハンに出かけた。これは僕がいる必要はないのだけれど、イメージを掴んでおくためにも僕も同席することにしたのである。

 19時、アパートに戻って知人の作った鍋を食べる。今日は牡蠣を入れてみた。食後、あるミュージシャンの映像作品を観たり、音源を聴き返したり。


11月10日(日)

 朝9時に起きる。今日もジムに出かけるつもりでいたけれど、どうも腰が痛いので今日は休むことにした。毎日走るというのは無謀かもしれないから、日曜日は休みにすることに決める。その代わりというわけでは全然ないけれど、「芳林堂書店」(高田馬場店)に出かけてお買い物。『新潮』、『文藝春秋』、柚木麻子『伊藤君AtoB』、沢木耕太郎『流星ひとつ』、それに目当ての本である『ボブ・ディランという男』と『完全保存版 ボブ・ディラン全年代インタヴュー集』を購入した。

 昼、昨晩の鍋の残りにマルちゃん正麺カレーうどん)を投入して食べる。午後は買ってきた本を読みあさり、明日インタビューするミュージシャンの映像作品を見返し、音源を聴きながら歌詞カードを何度も読み返し、過去のインタビュー記事を再読し、ウェブサイトに掲載されている日記のようなテキストを読んで、過去のライブスケジュールをすべて確認し、僕がこの1年で観たことのあるライブのことを思い返しながら質問リストを作った。しかし、そうして質問リストを作っているだけではどうもこじんまりしてしまう気がする。そこで21時過ぎ、「コットンクラブ」に出かけ、ビールを飲みながらこのインタビューで一番聞くべきことは何なのかを考えた。


11月11日(月)

 朝9時に起きる。月曜はジムが定休日なので、神田川沿いを6キロほどジョギングした。体重を測ってみると、2週間前に比べて4.4キロ減っていた。こうして効果が現われてくると、走るのも食事のカロリーを記録するのも、ゲームみたいで楽しくなってくる。昼、マルちゃん正麺カレーうどん)もやしのせ。食後はインタビューの質問リストの順番をああでもない、こうでもないと考えていた。

 15時45分、西新宿で待ち合わせ。今日の取材は、まず西新宿の街を歩きながら写真撮影をして、そのあと喫茶店でインタビューという流れである。最初の撮影スポットはとある店で、そこに一人で座ってもらった姿を店の外から撮りたいのだが、その店は予約ができないというので僕が場所を取っておくことにした。編集長のMさんとフォトグラファーのYさんは別の場所で取材相手であるミュージシャンの方と待ち合わせて、そこで今日の流れを説明したのち、一人で僕の待つ店に入ってきてもらう。その方の飲み物が来たあたりで僕は「トイレに」と席を立ち、一人佇む姿を写真に撮る――そんな段取りだ。

 喫茶店で待っていると、鼓動が速くなっているのがわかる。緊張が高まってくる。その方とは何度か話したことがあるけれど、取材で会うのは初めてだ。しかも、今回のインタビューはQ&A形式ではなく地の文ありでまとめてほしいと言われている。つまり、それが僕なりの“論”になっていてほしいということだ。そのためには、インタビューの時点で僕が地の文に書こうとしていることをある程度ぶつけなければならない(そうでなければ、発言が、本人が意図していなかった文脈で掲載されることになってしまう)。普通のインタビューなら楽しく会話できると思うけど、論をある程度ぶつけてみたとき、空回りしてしまったり、噛み合なかったりする恐れもある。

 はたしてインタビューとして成立させられるだろうか――。緊張しながら質問リストを見返す。外を見ると、次第に空が暗くなって街灯やビルの灯りが目立ち始める。さっき降った雨でアスファルトは光を反射している。それに見惚れていると、店員が「いらっしゃいませ」という声が聴こえた。顔を上げると、ツイードのジャケットを着た男が少し恥ずかしそうに歩いてきた――待ち合わせをしていたことも忘れて少し驚いてしまう。僕の向かいに座ると、その方は「びっくりしましたよ。今日のインタビュー、橋本さんだったんですね」と口を開いた。

 外に出てみると、すっかり冷たい風が吹いている。僕が喫茶店で待っているあいだにずいぶん気温が下がっていたようだ。街を歩きながら45分ほど写真撮影をして、19時、インタビューが始まった。あれだけ心配していたけれど、スムーズに会話は進んだ(と思う)。その方は答えづらい質問にも考え込みながら言葉にしてくれた。しばらく言葉に詰まるときもあった。考えてくれているのだから、この間には耐えなければならないとしばらく沈黙が続いたりもした(そして沈黙のあとに言葉を捻り出してくれた)。19時50分頃になってインタビューは終わった。

 編集長のMさんとフォトグラファーのYさんは写真に関して打ち合わせがあるという。「橋本さんもよかったら」と誘ってもらえたので、僕も一緒に「さくら水産」(新宿甲州街道店)に入り、緊張を解きほぐすようにホッピーを飲んだ。22時、二人と別れて新宿3丁目「F」にハシゴ。他にお客さんがいなくなったところで、今日取材したその方のデモ音源を聴かせてもらいながら焼酎の水割りを何杯か飲んだ。


11月12日(火)

 10時過ぎに起きる。昨日のインタビューで、今年の仕事は(レギュラーのものをのぞけば)ほとんど終わったような気持ちになっている。ボンヤリしながらもジムに出かけ、4キロほど走った。

 昼、マルちゃん正麺カレーうどん)もやしのせ。午後は昨日発売の『スピリッツ』と『ヤンマガ』を読んだ。『ヤンマガ』、先日亡くなった風間やんわり「食べれません」最終回が掲載されている。最初の1篇のタイトルは「墓参り」で、最後の1篇は「六文銭」だ。本人はもう、わかっていたのだろうか。最終巻が発売されるとき、ページ数が足りないなんてことがもしあるのなら、歴代担当編集による座談会をつけてほしいなあ。しんみり話すのではなく、バカ話として。

 それを読み終えると、いつのまにか眠ってしまっていた。夜、白菜、大根、長ねぎ、ホウレンソウ、それに鶏肉(ささみ)を買ってきて鍋を作って食べた。22時、仕事帰りの知人とスーパーで待ち合わせる。ワインと刺身、それに総菜を買ってアパートに戻り、日付が変わる頃までたっぷり飲んだ。丸一日経ってようやく緊張がほぐれてきたという気がする。


11月13日(水)

  朝9時に起きる。ジムで7キロほどジョギング。昼、マルちゃん正麺(豚骨)もやしのせ。午後は溜まった日記を書いていた。夜、『faifai ZINE』をセブンイレブンネットプリントで印刷できるようにしておいて(予約番号は92991888)、出かける。久しぶりで高円寺「コクテイル」へ。別にそう決めているわけではないのだけども、2010年から毎年、誕生日の夜はこのお店で飲んでいる。今年も飲めたらいいのだけど、僕の誕生日は今年は火曜日で、お店の定休日なのだ。お店のKさんは昨年、「言ってくれたら定休日でも開けますから」と言ってくれていたので、お願いできないかとやってきたものの、そんなに頻繁にくるわけでもない僕がそんなことを言い出すのは図々しいような気もして、結局言い出せなかった。

 「コクテイル」ではまずハートランドを1本飲んで、あとは熱燗を飲んでいた。2杯目を頼んだあたりで、同世代の編集者から電話があった。会社を辞めるという。自分と同世代で就職した人は、そうした決断をする年なのだなあ。僕はあいかわらず飲んだくれている。21時過ぎに帰宅。昨日届いていた『SPA!』、まずは自分が構成した対談「これでいいのだ!」を確認する(どこに赤が入ったのか)。今回は“坪内ナイト”と題して、ゲストを招いた特別篇だ。今回のゲストは杉作J太郎さんで、「『いずれ死ぬ、とわかったら楽になった』と杉作さんは言う」とタイトルがついている。このタイトルからして、文学的とでも言うしかないんじゃないか。他にも、このカップヌードルの話など。

杉作 (略)僕はね、神宮へ行くとカップヌードルを食べるのが好きなんですよ。お湯を入れられるカップヌードル自動販売機が、日本中の観光地にあるじゃないですか。もうね、あのカップヌードルを食べるのがすごい好きなんですよ。
 
坪内 それは何、温度が絶妙ってこと?
 
杉作 いや、ちょっと信じられない感じがするんですよね。こないだも(略)しまなみ海道を走って夜明けに今治に着いたんです。サービスエリアに入ったら、そんな時間だから無人なんですけど、カップヌードルの機会があった。そこでカップヌードルを買って食べたんですけど、綺麗な自然だけが広がる無人お場所で、温かいものを食べられるわけですよね。それがちょっと信じられない感じがするんですよね。しかも、誰かが調理したわけでもなければ、普段から食べてるものだから決して旅情が豊かなわけでもないのに、どういうわけだかおいしいんですよ。

 
 こうしたやりとりが他にもたくさん溢れている。「朝ごはんは何時ぐらいに食べるの?」なんて切り出す坪内さんもさすがだ(そこからの話の展開がまた素晴らしい)。これらは別に役に立つ情報でもなければ知識が身につくわけでもないのに、何か豊かになる感覚がある。この連載のレギュラー回にもそうした感覚がたくさんあるけれど、こうした言葉はとても好きだし、もっと読みたいと思う。そのページを読み終えると、リリーさんとみうらさんの対談ページを開く。面白い箇所を音読すると、知人が隣りで迷惑そうな顔をしている。


11月14日(木)

 11時近くまで寝ていた。起きてすぐにジムに出かけ、7キロ走る。昼、マルちゃん正麺カレーうどん)もやしのせ。午後はイタリアの写真を引っ張り出して、思い出したことをメモに書き出していた。当分この時間が必要になる。夕方、スーパーに買い出し。白菜(1/4)、大根(1/2)、長ネギ、ホウレンソウ、それに鶏肉(ささみ)を買ってきて鍋を作る。いつもはこれをほぼ一食で食べているけれど、それだとお腹がパンパンになるし食欲が刺激されてしまうので、白菜と大根はその半分だけ使うことにした。

 食後、パソコンを開くとメールが届いている。同世代の友人からで、会社を辞めることになったという。21時過ぎ、そろそろ飲みに出かけようかと考えていたところで電話が鳴った。同世代の編集者・M田さんだ。久しぶりに軽く一杯という話になり、高田馬場「みつぼ」で待ち合わせ。お店に行ってみると、22時だというのに混み合っている。モツ煮込みとマカロニサラダを注文し、僕はホッピー、Mさんはレモンサワーで乾杯。「最近どうしてるの? 結構忙しそうだけど」「いや、全然そんなことないです。そんなに仕事もせずにふらふら……」「橋本君、会うといつもそう言うじゃない」。た、たしかにそんな気がする。本当にふらふら生活しているのだけど、いつまでもそんなこと言っていても仕方がないのだ。

 「橋本君、気になっている同世代のライターっている?」とM田さんは言った。そう言われてみると、僕が意識しているのは上の世代ばかりだなと気づかされる。「逆に誰かいますか?」と訊ねてみると、僕の名前を挙げてくれた上で(おあいそだとしても嬉しい)、M田さんは二人の名前を挙げた。M田さんとは六平さんの話もした。僕は六平さんとそんなに何度も会ったことがあるわけではないけれど、ときどき六平さんは僕の話をしてくれていたらしかった。「アイツは何であんな髭の写真を使ってるんだ」とも言っていたという。僕のツイッターのアイコンのことだろう。その話が妙におかしい。

 「橋本君は今、単著を出すとしたらテーマは何?」――そう言われて思い浮かぶのはやはりドライブインのことだ。「ふらふらしてます」なんて言ってないで、キチンと仕事をしないとなあ。M田さんは「橋本君には東京論を書いてほしい」と言っていた。東京論か。論はたぶん書けないけれど、M田さんに言われているうち、何か書けることがあるんじゃないかという気がしてくる。


11月15日(金)

 9時過ぎに起きる。毎日走るよりも一日置きに走ったほうがいいと知ったので、今日はジョギングは休みにする。一日中、イタリアのことに思いを馳せていた。到着した翌日、現地のスタッフと一緒にレストランに出かけたのだが、そのとき、食後に飲んだドリンクがとても美味しかったことを思い出した。ただ、それは一体何という飲み物だったのかわからない。どうしてもそのことが気になったので、Facebookでフレンド申請をしてくれていた現地スタッフに、辞書を引きつつメールを書いて質問をする。グラッピーノと言うらしい。

 19時、夕食。いつも同じ食材で鍋を作ってしまうので、昨日の残りの白菜と大根に、ニンジンとたまねぎを追加してコンソメスープにした。22時を過ぎたあたりで身支度をして、厚着をして酉の市に出かけた。今晩は二の酉があるのだ。

10月16日から31日

10月16日(水)

 8時過ぎに起きて、ぽちぽちと『S!』誌のテープ起こし。まだ時間はあると思っているせいか、いつもの3倍近い時間がかかってしまった。夕焼けのあとの青々とした空を眺めたのち、缶ビールを開ける。15時から煮込んでいた大根とネギと鶏肉の煮物をツマミつつ、『faifai ZINE』のテキストに細かい修正を加える。快快の「6畳間ソーキュート社会」、もう本番の前々日である。皆に修正した箇所を再チェックしてもらう余裕はないので、慎重に赤を入れていく。21時頃に終了し、スキャンしたデータをデザイナーの小林Pに送信した。

 22時過ぎ、新宿5丁目「N」に入ってみると、どこかドンヨリした空気が流れている。お店のKさんも同じことを2回僕に言ったりする。どうもおかしい。しばらく経ってわかったことだが、この店のお客さんでもある作家が自殺したらしかった。カウンターに並ぶ人たちも溜め息をついている。隣りの隣りに座っている男性は「あーあ」と28回くらい溜め息をついた。「無駄に生きてほしかったよ。どーせ無駄なんだから」。

 しばらくすると、僕以外のお客さんはいなくなった。Kさんは音楽を変えた。その音楽は、たしか『ダージリン急行』のサウンドトラックだ。Kさんは夏にも親しい人を亡くしたらしく、「これからこういうことが増えていくんだよね」と口にした。「人が死んだときにどういう反応をするかに、人って出るわよね」。5分もするとまた次々にお客さんがやってきた。いつもなら0時を過ぎたあたりで帰るところだけど、ぼんやり考え事をしているうちに1時近くになっていた。誰かが死んだときに、「あーあ」と何度も溜め息をつくことがあるだろうか?


10月17日(木)

 朝から近くのデニーズに出かけて『S!』誌の構成を進める。昼はアパートに戻ってマルちゃん正麺(醤油)のもやしのせを食べた。

 夕方になっても終わらず、パソコンを持って銀座に出かける。「椿屋珈琲店」に入って構成を続けて、9割ほど完成したところで時計を見ると17時50分だ。すぐ近くの「よし田」の2階席に上がるとほぼ全員揃っている。一番手前に座っていた編集のYさんが「今、はっちゃんの話で持ちきりですよ」と言う。一体何の話だろうとキョトンとしていると、「はっちゃん、日焼けはもう大丈夫?」と坪内さん。前回の収録は日焼けが原因で大変なことになってしまい、収録に同席できなかったのだ。

 18 時、ビールで乾杯して『S!』誌収録スタート。何本か瓶ビールが空いたところで焼酎のそば湯割りに切り替わった。空になった瓶、食べ終わった皿、用済みになったビールグラスはちゃっちゃっちゃっちゃっと店員さんが片づけてくれる。僕はグラスに残ったビールをチビチビ飲んだ。僕はまだ原稿を書かなければならないから、編集のYさんも気を遣ってお酒を追加しないようにしてくれた。ビールをチビチビ舐めていると、日焼けなんかで収録に出れなくなったことに対する申し訳なさが膨らんでくる。2時間強で対談は終了。近くにある「R」に流れる皆と別れて、スターバックスコーヒーに入って原稿を完成させた。

 せっかくだからと僕も「R」に行ってみる。同じビルにお店がオープンしたのか、ビルの前にはガールズバーの客引きをしている女の子が2人いた。はたして僕は銀座にいるのだろうか。「R」に入ってみると、「よし田」を出てから1時間ほど経っていたこともあり皆の姿はなかった。この「R」、バーテンダーはMさんとHさんの2人だったが、いつのまにか新しい店員さんが入っていた。30そこそこの僕が言うのもどうかと思うけれど、初々しい顔をしている。きっと働いているうちに顔つきが変わっていくのだろうな。

 お店はほぼ満席だったのでハイボール1杯で切り上げ、「よし田」に戻って牡蠣そばを食べた。今年初となる牡蠣そばは関西風を選んだ。今年の値段は1350円である。そばを食べて、熱燗を一本飲んで店を出た。通りを歩いていると、あちこちのビルの目の前に高級そうなクルマが停まっている。そのぴかぴかに磨かれたボディを眺めながら駅まで歩き、地下鉄を乗り継いでアパートに帰った。


10月18日(金)

 朝8時に起きて、昨日知人が印刷してきた『faifai ZINE』を折り始める。A4 サイズに出力された4枚の紙を山折りにすれば、全16ページの冊子になる。お昼頃までかけて248部ほど折った。知人が昨晩102部折っていたので、トータル350部ということになる。「6畳間ソーキュート社会」の客席は80弱だから、80部×6公演で480部あれば十分だ。あと130部なら、明日と明後日とで楽々折れる。

 昼過ぎ、折った『faifai ZINE』を持って渋谷に出かける。平日の昼間とあって、さすがに歩いている人は少ない。地方都市に出かけると「地方だと平日からプラプラしている人が少ないよなあ」なんて思ってしまうけれど、地方だろうが東京だろうが変わらないなと思う。さて、今日は「6畳間ソーキュート社会」東京公演の初日だ。入ってみて、まず客席に驚く。四方にぐるりと客席が設置されていて、真ん中に畳が6枚、それにベッドとテーブルが置かれている。見覚えのあるそれは、トーキョーワンダーサイトのレジデンス用の部屋に置かれているベッドとテーブルだ。それを囲む客席は、舞台よりグッと高い位置に設置されている。これから私たちは、この客席から、この「6畳間」で繰り広げられる何かを見下ろすわけだ(覗き見でもするように)。

 席を確保しておいて、建物内にあるカフェでコーヒーを飲んで開演を待った。コーヒーを飲んでいるあいだ、ずっとドキドキしていた。別に僕が出るわけでも、僕が制作に携わったわけでもないというのに。上演前に緊張するというのは久しぶりの感覚だと思った。15時より少しだけ遅れて、「6畳間ソーキュート社会」開演。客席には友人の姿も見える。僕はただの観客に過ぎないが、友人が楽しんでくれるかどうか気にしながら作品を観た。観ていると、「それを台詞で言わせてしまうのか」と気になる点や、「そのネタ、何なの」と言いたくなる点が多々あった。でも、不思議なことに、そういったシーンが悪かったのかというとそんなことはなく、むしろ愛おしく思えたのである。

 終演後、観にきていた友人のひとり・Uさんと飲みに出かけることにした。夜の部も観るつもりだけど、上演時間は60分ほどだからお酒を飲んでも平気だろう。「魚や」に入り、ビールで乾杯。Uさんにおそるおそる感想を訊ねてみると「すごいよかった」と返ってきて、(繰り返しになるが、制作に携わっていたわけでもないのに)ホッとする。前に観たときは詩みたいな印象があったけど、今回はもっと物語を感じたとUさんは言った。「映像でもう一回観てみたい」とも言っていた。ほくほくした気持ちで僕は熱燗を注文し、ポテトサラダやあじフライをツマミに酒を飲んだ。

 Uさんは、今日は御会式だからよかったら橋本さんもと誘ってくれた。昨日と今日、雑司ヶ谷では御会式をやっているのだ。毎年、御会式がある頃から肌寒くなってくる。そういえば熱燗を注文したのは今シーズン初めてのことだ。僕はUさんに「行けたら行きます」と返事をしたけど、結局御会式には行かなかった。

 19時半から、「6畳間ソーキュート社会」夜公演観る。昼は(平日だから当たり前だが)少し余裕があったけれど、夜はほぼ満席だ。酔っ払った頭で観ていると、昼に「何なのと言いたくなる」と思ったことを撤回したくなってくる。「何なの」というツッコミ(?)は作品のなかにすべて含まれている。夜の回で印象に残るのは、ツッコミどころがあるという点ではなく、ツッコミどころがあると自覚していながらもそれを言葉にする彼ら――彼らというよりは、脚本を書いている北川さんの決意のようなものである。

 終演後はちょっとしたレセプションパーティーがあった。僕は気分よく赤ワインを飲みながら見知った顔と話をした。北川さんに聞きたかったことがあるけれど、その前にお開きになってしまった。パーティーのあとはスタッフチーム5人と一緒にすぐ近くの「鳥貴族」(渋谷神南店)に入り、日付が変わる頃まで大ジョッキの発泡酒を飲んだ。


10月19日(土)

 朝9時に起きて、一昨日のテープ起こしを進める。

 15時、トーキョーワンダーサイト渋谷にて、快快「6畳間ソーキュート社会」2日目。お客さんも大入りで、室温が高く感じるほど。客ウケもよく、相乗効果でこーじさんもきぬよさんもキレッキレだ。この回を観ているとき、少し「あまちゃん」のことを思い出していた。あのドラマは、少し残念とも思える人や町や名産品が愛おしく思えてくるよう仕掛けられたドラマでもあったが、そういえば「6畳間ソーキュート社会」もそうした作品である。あらためて最後のダンスの素晴らしさを思う。

 さて、夜公演までは3時間ほどある。どこにしようかとしばらく迷ったのち、結局「フライデーズ」に入ってビールを飲んだ。ツマミはハンバーガーと揚げ物ばかりで、その中からバッファローウィングとフィッシュ&チップスを選んで食べる。19時半、トーキョーワンダーサイト渋谷に戻って再び「6畳間ソーキュート社会」を観た。

 終演後、センター街にある「魚や」へ。奥から順に知人、危口さん、僕、文美さん、北川さん、セバという並びで座り、ビールで乾杯。飲んでいると当然作品の話になった。昨日と今日の変更点の一つに、舞台の終盤、思いっきりビンタをした絹代さんが「来年にはもう産まれてるから」というシーンがある。未来の話がどんどん広がっていき、“くだらない”ことが膨張していった舞台をぴしゃりと6畳間へと引き戻す場面だ。

 ビンタをしただけでも舞台はもとの6畳間に戻って来れるは来れるということもあって、今日の舞台ではその台詞は削られていた(そして、その代わりに「お前、ふざけんなよ」という台詞が入っていた)。北川さんに「もふ、どっちがいいと思う?」と言われて、少し言葉に詰まる。昨日、誰かが「あの台詞がなくてもわかるから、ないほうがいい」と言っているのを耳にしていたからだ。しばらく唸ったあとで、「なくてもわかる人にはわかるし、作品のことを考えればなくてもいいものではあるけど、あったほうが伝わる」と答えた。北川さんは「危口だったらどうする?」とも訊ねていた。危口さんは「オレだったらのろ君をもう一回出すかな」と言っていた。

 僕はビールを1杯飲んだあと、熱燗に切り替えた。店員さんが運んできた大徳利を渡されたのは北川さんで、「ありがとうございます」と北川さんから受け取ろうとしたのだが、北川さんは徳利を持ったままでいる。うん? と数秒考えたのち、「あ!」とお猪口を手にしてお酌をしてもらった。帰り道、「ちょっともふ、よんちゃんにお酌させてたでしょ?! あれだけで1万円は取られるからね」と知人は言っていた。「よんちゃん、普段はそんなことしないよ。あれはもふに感謝の気持ちを表したかったんだと思うよ」。


10月20日(日)

 朝9時に起きて、『faifai ZINE』を追加で80部ほど折る。お昼になってアパートを出た。コンビニに寄っておにぎりを買っていると、レジ前におせちの見本が並んでいた。もうそんな季節なのか。いつかは自分でこれを注文する日が来るのだろうか。

 雨の降る渋谷の街を歩いていると、靴がどんどん濡れていく。13時、トーキョーワンダーサイト渋谷で「6畳間ソーキュート社会」。ビンタのあとの台詞は元に戻っていた。昨日より2時間早い開演だからか、思っていたより強く雨が降っているせいか、客席は少し空いていた。そして客席の反応も重めだった。今日は撮影も入っているのだし、「昨日の昼公演がベストだったな」と思いながら終わってしまうと少し寂しいな。最後の公演が始まるまで、今日も「フライデーズ」に入った。「ひょっとして、メニューにフライばかりあるから『フライデーズ』にしたのかな」と考えていたけれど、店内に「In Here, It's always Friday」とあるのを見るに、やはりそんなダジャレから決めた店名ではなさそうだ。

 「フライデーズ」では今日もハーフ&ハーフとフィッシュ&チップスを注文した。まだ少し食べられそうだったので他に何か注文しようかとメニューをめくってみたものの、フライかステーキかハンバーガーしか見当たらない。フライ以外はそこそこの値段がする。それならばと店を出て、渋谷駅前にある「餃子の王将」へと向かった。「6畳間ソーキュート社会」の冒頭、絹代さん演じる「外タレ」がそのハケぎわ、「オスシ 食ベヨウカナー」「デモ オカネナイカラ 餃子ノ王将デ餃子定食食ベヨカナー」「ユーリンチーモオイシインダヨナー」と語るのだ。そのフレーズを聞くたび、「久しぶりに王将に行こうかな」なんて考えていたのである。

 外タレの影響なのか、16時だというのに「餃子の王将」(渋谷ハチ公口店)には行列ができていた。5分ほど待って店内に入り、餃子ごはんセット、油淋鶏、生ビールを注文した。外タレが「ユーリンチー」と口にするたび、「ところで『ユーリンチー』って何だっけ?」と思っていたけれど、唐揚げにタレのかかった料理が運ばれてきて動揺する。また揚げ物を食べることになってしまった……。パンパンに膨らんだ腹を抱えてワンダーサイトに戻り、17時半、「6畳間ソーキュート社会」最終公演観る。昼とは違って満員御礼で、会場の熱気を感じる。こーじさんと絹代さんのパフォーマンスも、6公演観てきたなかでベストアクトだった。特に最後のダンス(?)は抜群によかった。

 打ち上げは20時からあるらしかった。まだ時刻は18時半で、それまで一人で飲むには微妙な時間だ。会場ではさっそくバラシが始まっていたので、出来る範囲でそれを手伝うことにする。慣れた手つきでバラシを進めていく人たちに混じって、僕はチマチマと抜かれたネジを拾い集めたり、荷物を運んだりした。途中から「こうして体を動かしていれば打ち上げのビールがうまくなるに違いない」なんて考えていた。

 20時近くまで手伝ったのち会場をあとにして、打ち上げ会場の近くにある「LUMINE MAN」に入った。ふらりと歩いていると靴屋があった。先日山形で観たドキュメンタリー「ジプシー・バルセロナ」には、フラメンコのダンサーにあこがれる小さい男の子が出てくる。その男の子が初めて革靴を買ってもらうシーンを観ているうち、「僕も革靴が欲しい」と感じるようになっていた。それに加えて、舞台を観ていると新しい靴が買いたくなってくることがたまにある(役者の履いているピカピカの靴を目にするせいだろうか?)。

 この数日、渋谷をぷらぷらしながら何軒かのぞいてみたのだが、良い色をした革靴は5万円を超えているし、安い革靴を見ているとやはり色が今一つだ。それでほとんど諦めかけていたのだが、この「LUMINE MAN」に入っている靴屋を見ると、良い色の靴が2万円以下で並んでいる。それを眺めていると、「この靴なら丈夫に作ってあるんで、ほんと10年は履けると思いますよ」とアルバイト店員が話しかけてくる。色も悪くないし、2万円以下だし、丈夫なら革靴1足目に買ってみるにはちょうどいいかもしれない。店員が「ぜひジーンズに合わせてみてください」と言っているのが少し引っ掛かったけど(僕はジーンズを1本も持っていない)、思い切って購入することにした。

 引き渡す前に、店員が手入れをしてくれることになった。僕が革靴を買うのは初めてだと伝えると、工程を説明しながら手入れをしてくれる。ジャルジャルの福徳に少し似た、関西訛りの残る店員さんは「人間で言うたら洗顔ですね」「これはまあ、言うてみたら化粧水ですね」と、その都度喩えながら教えてくれる。30分近くかかってすべて終わり、買ったばかりの靴を持って打ち上げ会場である「海峡」(渋谷公園通り店)へと向かった。僕が「舞台を見てると靴が買いたくなって、いま買ってきたんです」と出ていた本人に伝えると、「今回の舞台、裸足だったんだけどね」と返ってきた。た、たしかに……。どうして僕は靴が買いたくなったのだろう?

 「海峡」では日付が変わる頃まで飲んだくれていた。前の席に座っていたこーじさんが(『faifai ZINE』のインタビューを通じて)「やっともふさんと仲良くなれた気がする」と言ってくれた。こーじさんは直感的にズバッとしたことを言ってくれる(皆から「ドキュメントをしてくれないか」と頼まれた夜も、こーじさんから唐突に「これ、今までもふさんとちゃんと飲んで話したことがないって場だからね」と言われていた)。快快の皆と知り合って3年経った今、ようやく快快の皆とちゃんと話ができた気がしている。

 終電を逃した人もいたので、8人でマークシティのそばにある「魚民」(渋谷南口駅前店)に移動し(どうして少し離れた場所にあるその店に移動したのかはまったく記憶にない)、カラオケつきの座敷で歌いながらビールを飲んだ。今日も2ステージやっていたはずなのに、全力でサービス精神旺盛にチャゲアスを歌う絹代さんの姿に圧倒される。いつもなら途中で帰っていたかもしれないけれど、今日は途中で帰るわけにはいかないと思って、朝5時までビールを飲み続けていた。


10月21日(月)

 終日グッタリ。何もできず。


10月22日(火)

  ようやく動けるようになってきた。日中は『S!』誌のテープ起こしをしていた。

 夜、武蔵小山「STUDIO 4」にて悪魔のしるし報告会「搬入プロジェクト ソウル市庁舎計画を振り返って」という、名前の通りの報告会に出かける。受付で500円支払うと、麦とホップジンジャーエール(瓶入り)がもらえる。19時半を少し過ぎたところで報告会スタート。メモに残っていることは、搬入プロジェクトのことよりも(いや、その映像も面白かったのだけど)、危口さんの見た韓国についてばかりだ。

  • 韓国では野外フェスティバルを持っている自治体が多くある。文化事業を持っているとステータスになるという意識があるためだ。昔から市民祭のようなものはあったが、それではちょっとダサいということで、野外フェスが最近増えている。搬入プロジェクトを行った、ソウルで開催されているハイ・ソウル・フェスティバルには10年強(?)の歴史があるが、これも最初は市民祭だった。危口さん曰く、「フェスティバルになった今でもまだ市民祭の雰囲気が残っているところがよかった」。
  • 搬入プロジェクトは、当初は荷揚げをするプロの動きをアートの俎上に載せたものだった(報告会でこんな言い方はされなかったと思うけれど)。危口さんもかつて荷揚げをしていたわけだが、それを「搬入プロジェクト」というパフォーマンスとしてお客さんに見せているうちに、次第に何か搾取しているような感覚が生まれてきた(荷揚げをする人たちの身体はあくまで荷揚げをするために鍛えられたものであって、搬入プロジェクトのためのものではない)。その居心地の悪さを突き詰めてもっとえげつない方向に進めばサンティアゴ・シエラのようなやり方もある。サンティアゴ・シエラSantiago Sierraの作品には一般参加型のものも多々あって、危口さんが痛快だなと思ったのは、ヴェネツィアビエンナーレの時期に街から排除される乞食やジプシーといった人たちを自分のスタッフとして雇って自分の展示スペースに取り入れる作品(?)だという。サンティアゴ・シエラの作品として他に紹介されたのは「250 cm Line Tattooed on Paid People」。これは、仕事のない若者を6人ほど集めて、わずかなお金を対価として支払う代わりに背中に有刺鉄線の入れ墨をいれさせるというもの。つまり、そうでもしないと食っていけない状況に追いやられている人たちがいるということをえげつないやり方で示した作品なのだろう。
  • ソウルの「乙支路」(うるちろ)というエリアにはマーケットがある。「このブロックは木材のマーケット」といったように分かれているのだが、それぞれの店が本当に専門に特化していて、キャスター(車輪)の専門店では本当にもうキャスターしか扱っていない(逆に言うと、ここに来れば何でもある)。自分の店で扱っている商品やジャンルが生産中止になったり用済みになったりしてしまうと店も潰れてしまうわけだが、そこに清々しさも感じる。木材のマーケットの雰囲気は、自分の実家の蔵の雰囲気に似ていて懐かしかったと危口さんは言っていた。それから、「こういう店があるっていうのは本当に素晴らしいし、完成品を買いにくる人より材料を買いにくる人のほうが多い社会というのは生き生きしている。これは綺麗事だと思うけど、そういった社会であってほしいと思うし、壊れたら直せるものしか使わない、もしくは壊れたら直せる知識を勉強する人が増えるといいなと思う」とも。
  • ソウルの街中には運河のような小川が流れていて、その両岸は緑地帯のようになっている。ここは「清渓川」と言うらしい。少し調べてみると、清渓川ははもともと下水道として利用されていた川でもあり、また朝鮮戦争の川岸に避難民がいついてスラムを形成していた場所でもあるらしい。そのため、60年代に大規模な工事が行われて川は暗渠となった。蓋をした上には屋台を出して商売をしている人たちがいたそうだが、李明博がソウル市長を務めた時に「都市に自然を取り戻そう」と掘り返し、緑地帯になったのだという。韓国はよくも悪くも政治の力が強く、またトップダウンであり、何かが決定されるとそこからの動きはとてつもなく早いが、反対に、アートプロジェクトなどでも、どんなに準備を進めていても「やっぱりダメ」と政治的に言われるとすべてがポシャってしまうそうだ。
  • ソウルの旧市街には古い煉瓦作りの建物が並んでいるが、その一部は若いアーティストのためのレジデンス施設として使われているという。旧市街にお金のない若者が流れ込んで何かの拠点になっていく――そういう話は海外ではよく聞くけれど、日本ではなかなか起こらない。危口さんが「日本には敷金・礼金という問題があるけど、韓国にはそういうのはあるのか」と訊ねると、プロデューサーとして「搬入プロジェクト」をハイ・ソウル・フェスティバルに招聘したコ・ジュヨンさんは「韓国には敷金とか礼金はないけど、その代わり保証金というシステムがある」と説明した。この保証金が高ければ高いほど家賃は安くなるし、退去するときにその保証金は返ってくるのだという。

 スライドに映し出されるソウルの街並みを眺めていると、これまで韓国なんてほとんど興味がなかったのに「行ってみたい」という気持ちが大きくなってくる。特に路地の雰囲気が素晴らしい。22時過ぎに報告会は終了。ツマミを買ってアパートに戻り、知人と一緒に酒を飲んだ。飲んだのは「会津中将」という酒の冷やおろしだ。先日、会津で飲んだ酒の中で一番美味しかったこの会津中将を、ネット通販で注文していたのである。届いた段ボールを開けてみると、中に紙が入っているのを見つけた。

 ご注文誠にありがとうございます。
 心から心から感謝申し上げます。
 心やさしい人々と母なる大地の恵みに支えられている事に日々感謝しております。
 会津のお酒で笑顔が増える事を祈っております。
 ご注文本当にありがとうございます。

 僕はたかだか一升瓶一本買っただけだというのに、わざわざ手紙が添えられているとは。しかも手書きである。なんだかもったいない気がして、いつもよりチビチビと酒を飲んだ。


10月23日(水)

この日の日記は後日書く。


10月24日(木)

 10時頃起きて、『S!』誌の構成を。話題が少なくても大変だが、話題が多くても構成が難しい。足の早い話は先に出る号に持ってくるべきだけど、とはいえ、時事ネタはすべて先に出る号に集めるというのではバランスが悪くなってしまう。あれこれ悩みながらやっていると、結局2週ぶんまとめて構成するような感じになってくる。部屋にいては効率が悪いので小雨の降るなかアパートを出て、ドトール(かつてはエクセルシオールで、勝手に「仕事場」呼ばわりしていた場所)に入り、夕方まで仕事を続けた。

 夜になっておおむね構成を終えた。湯につかりながら、プリントアウトした紙に赤字を入れていく。21時になってようやくメールで送信した。仕事帰りの知人と「芳林堂書店」で待ち合わせて、『小説現代』や新刊台をチェック(昨日、坪内さんに「えっ、映画『酒中日記』の脚本の第1稿、もう上がってるんですか」なんて言ってしまったけど、間抜けな質問だったな)。ノーベル文学賞を受賞したアリス・マンローの作品も収録されている『恋しくて』という恋愛にまつわる短篇小説集や、まだ買えていない『胞子文学名作選』、それに四方田さんの新刊本の質感(装丁)も気になるけれど、ここで本を買ってしまうと飲みに行くお金がなくなってしまうので、次にお金が入ったとき買うことにする。

 知人は生牡蠣が食べたいという。高田馬場にはいくつか生牡蠣が食べられる店があるが、それを売りにしている店にはほとんど入ったことがなかった。そのうちの1軒を選んで入ると、知人はさっそく生牡蠣を注文する。僕は生牡蠣が苦手なので焼き牡蠣を注文した。コエドビールで乾杯して話したことは、快快「6畳間ソーキュート社会」のことだ。今週末までにレビューを書かなければならないのである。あの作品は一体何がよかったのか――いや、何がよかったのかはわかっているのだが、短い文字数でそれを切り出すにはどうすればいいのか、知人を話し相手に立てることで試行錯誤しながら考える。

 知人はあの作品はポップだと言った。僕が「いや、ポップでは全然ないでしょ、ポップさで言えば『SHBAHAMA』とかじゃないの」と反論すると、「あの作品はうちらの作品の中でも一番ポップじゃない」と返ってきた。もちろん、ポップかどうかというのが作品の善し悪しをはかる尺度ではないが、そんなにはっきり言われると、自分の感覚がとても頼りなく感じられる。


10月25日(金)

 昼過ぎ、水曜日の取材のテープ起こしに取りかかっていると、ある人からメールが届く。「ごちそうさん面白いよ」「これぞ朝ドラって感じで」とある。その人とは少し前に「ごちそうさん」の話をしていたのだが、そのときはまだ「面白いかどうかわからない」と話していたのである。ただ、「朝ドラはしばらく観てみないとわからない」とも言っていたのだけど、しばらく経った結果として「面白いよ」とメールを送ってくれたのである。彼女がそんなふうに言うなら観ないわけにいかない(単純にわざわざメールを送ってくれたのが嬉しいというのもあるけれど)。

ごちそうさん」、ずっと録画してあったのだが、第1話を観たときに「いかにも」な朝ドラっぽさを感じて、2話以降をまったく観ないままになっていた。「朝ドラっぽさ」も何も、朝ドラなのだから当たり前なのだが……。僕は民放のドラマはたくさん観ているけれど、「あまちゃん」で初めて朝ドラを観たので、その王道間に慣れそうになくて放ったらかしていたのだ。録画だけしてあった2話以降を観始めてみても、やはりもったりした印象を受けてしまう。それでも「面白いと言うなら」と観ているうち、段々とそのリズムに馴染んできて、案外悪くないかもと思えてくる。うまそうな音が鳴っているのがいい。

 水曜日のテープは1時間程度の長さしかないが、これは細部の細部まで起こしたいのでどうしても時間がかかる。20時半、今日はもうおしまいにして飲みに出かけることにする。自転車で池袋まで出るつもりでいたが、外に出ると少し雨が降っている。どうしようか少し躊躇したが、山手線で池袋に出て「F」の2階を覗いてみるとほぼ満席だ。しまった、ここに入れないとなると、他に行くあてがない。高田馬場にとんぼ返りして「米とサーカス」を覗いてみるとここも一杯。「鳥やす」も、アパートの最寄りの酒場(「近所」と呼んでいる店)も一杯だ。カレンダーを見てみると、そうだ、今日は金曜日なのだと気づく。

 月曜も金曜も何もない生活をしていて少し損だと感じるのはこういうときだ(自分でその生活を選んでおいて、本当は「損」も何もないのだが)。皆はワイワイ飲んでいるが、僕はワイワイ飲みたいわけでもないし、「仕事終わりに1杯!」と飲みに行く相手もいない。かといって、新宿だとか別の街へ出かけたときならともかく、町内で飲むのに「バーでシッポリ」というのもしっくりこない。30分ほど駅周辺をうろついたものの、結局外で飲むのは諦めることにした。

 それならばと「成城石井」でツマミでも買って帰ろうかと思ったが、最近妙に「成城石井」でツマミを買っている。こんなに「成城石井」に行っていると、「成城石井」でツマミを買って飲む生活が自分の中で最高級であるかのような気分になってくる。そんな生活に落ち着く将来が頭をよぎると、自分の行く末が見えたような気がして妙に不安になる。自宅で酒を飲もうとすると、いつもスーパーでツマミを買うことになるのだが、頻繁に通っているといつも同じものを選んでいることに気づかされる。それで「成城石井」を利用するようになったのだけれども、ちょっと変わったものを扱ってはいるけれど、そんなに広い店でもないので、結局買う物はいつも同じということになる(麻婆豆腐かエビと卵の炒め物、ミモレットのチーズ、カルメネーレのチリワイン)。その狭さに、不安になるのかもしれない。

 結局「成城石井」に入るのはやめにして、アパートのすぐ近くにある普通のスーパーで500円のワインと500円ぶんの総菜を買い求め、ドラマ「クロコーチ」を眺めながら晩酌をしていると、ツイッターであるニュースが流れてくる。風間やんわり死去。まさかその名前の訃報を目にするとは思っていなかったので、スコンと打たれたような感覚になる。風間やんわりと言えば、『ヤンマガ』でずっと「食べれません」を連載していた漫画家だ。僕は今でも『ヤンマガ』を買っているけれど、僕が読み始めた頃からずっと「食べれません」は続いていた。驚いたのはその年齢が36歳だったということ。そんなに若い人だったのか――。「食べれません」は18年続いていたというから、18歳の頃から連載していたということになる。

 このマンガには「板橋区赤塚系ギャグ」というキャッチフレーズがついているが、僕が飲ん兵衛のイメージやスナックのイメージに最初に触れたのは風間やんわりだったような気もする。別に酒のことを描いたマンガというわけでもないのだが、ヨッパライの発するあの匂いがそのマンガから漂っていた。僕はその匂いが嫌いではなかった。『ヤンマガ』、最近始まった「FRINGE-MAN」も「ヤンキー塾へ行く」も「ミュージアム」も面白くて、いくつか買っている雑誌の中でも『ヤンマガ』を楽しみにしている度合いが上がってきているところだった。でも、雑誌で読んだ上で単行本まで買っているのは『食べれません』だけだった。

 はあ、本当に死んでしまったのか。そう思うと、一度も会ったことがない人だというのに妙に寂しくて涙が出てきた。寂しいので最新号の『ヤンマガ』を開いてみると、「台風の目ってあるじゃん」「あるね」「アレ二重にしたら超カワイくない?」と、こっちのしんみりした気持ちとは当然無関係にいつも通りくだらなくて笑える4コマが載っている。最初に読んだときは気づかなかったが、最初のページにあるハシラ文には「連載八八八回です。おめでとうございます。末広がり×3で、パッと見、縁起がいいですね。心からお祝い申し上げます。」という担当のコメントが描かれている。最後のページにあるハシラ文で「ありがとう。それで何か特別企画とかないんですか。あるいは僕を慰労してくれるとか。歴代担当者全員集合願います」とやんわり氏が応えている(さらに巻末ページの作者コメントには「眠くて眠くてしょうがない。」とある)。もう慰労はできないけれど、歴代担当者が全員集合する企画をどこかで本当にやってくれないだろうか。ストーリーマンガのことは誰かが調べたりするだろうけれど、こういうマンガのことこそ、誰かがやらなければ記録されないままになってしまう。


10月26日(土)

 朝9時に起きて、水曜日のテープ起こしをひたすら続ける。知人は「今日は寝る日だって決めたの」と言って、本当に一日中寝ていた。夜、クリーニングに出していた黒のジャケットを着て、自転車に乗って新宿5丁目「N」に出かける。今日は「N」でペーソスのライブがあり、お店のKさんにその撮影係を仰せつかったのである。19時45分頃に演奏会は始まった。邪魔にならない範囲で撮影しながら演奏を聴く。失礼ながらこれまで聴いたことがなかったのだが、とても良い。特に「Bar バッカスにて」が沁みた。

 「バッカス」という店は高田馬場・さかえ通りを少し入った路地にあった店で、「Bar バッカスにて」はその店のことを歌った曲である。僕は上京してからずっと高田馬場に(しかも最初の4年はさかえ通りの先あたりに)住んでいるけれど、その店に入ったことはなかった。少し前にさかえ通りで火事があったことは知っていて、その日はヘリコプターが上空を旋回していた。しばらく経って焼跡に通りかかったこともあったが、まだ焼けた匂いが残っていた。僕がいつも通り過ぎていたあの場所に、こんな風景があったのだなあとしみじみ聴いた。その曲の入ったアルバムと、先行販売されていた末井さんの新刊『自殺』(朝日出版社)を買った。

 演奏会が終わると「N」は通常営業に切り替わる。「はっちゃんも飲んで行ってね」と言ってもらったけれど、ライブを観ていたお客さんだけでも席が埋まってしまいそうだし、知人と約束があったので僕は帰ることにした。通りには酉の市のポスターが出ている。アパートに戻り、知人と豚バラ肉と白菜の重ね鍋を食べる。ほんだしのCMでやっているレシビで、去年も何度となくこの鍋を食べた。食べていると、今年も冬がやってきたという気がする。白菜は4分の1にカットされたものを選んだが、2人で食べるには物足りない量だった。次からは半分にカットされたものを選ぼうと思う。


10月27日(日)

 9時過ぎに起きる。知人は「稽古がある」と9時半には出かけて行った。僕は今日が締め切りの『TB』誌の原稿を考えていた。この一週間ずっと考えていたことを、どうすれば短い原稿に落とし込めるか。湯につかったり、ソファに転がったりしながら考えてみるが、どうにも頭の中でうまく繋がらない。部屋ではうまく考えがまとまりそうもないので、昼過ぎ、パソコンを持ってアパートを出た。近くのファミレスやカフェ、駅前の喫茶店をまわってみたがどこも混んでいる。

 パソコンを抱えたまましばらく徘徊したのち、「コットンクラブ」に入ってビールを飲みながら原稿を書く。書きたいことが多く、どのアプローチをしたものか悩む。結局、3パターンほど原稿を書いてみた。17時半になって店を出ると、外はもうすっかり暗くなっている。日が暮れるのが早くなったなあ。スーパーで食材を買って帰り、稽古帰りの知人に今日も豚バラ肉と白菜の重ね鍋を作ってもらう。今日はちゃんと半分にカットされた白菜を選んだ。食後、3パターンの原稿を知人に見せて、どれが一番面白いか選んでもらい、それをメールで送信した。

 テレビをつけると日本シリーズをやっていた。何か不思議な感じがすると思ったら、楽天スタジアムは鳴り物が禁止されているのだな。2対0で楽天がリードしていたが、ホームランで1点を返されて以降、マー君がずっと険しい顔(ほとんどふてくされたような顔)でボールを投げているのを、日本酒を飲みながら眺めていた。


10月28日(月)

 9時過ぎに起きて、テープ起こしに取りかかる。昼過ぎになってようやく、先週水曜のテープ起こしをようやく完成させた。それがひと段落したところで、テープ起こし用とは別のパソコンを開く。今日付けでクレジットカードの引き落としがあって、つまりクレジットの利用可能残高が増えたので、この先1ヶ月のあいだに観たい演劇のチケットを手配する。来月はフェスティバル/トーキョーもあって盛りだくさんだが、『hb paper』の新しい号(?)を出したいと思っているので、お金を貯めておく必要がある。どのチケットを取るか、シビアに考えなければならない。そういえば11月はあの団体の公演もあるはずだ、ほら、あの――と、ラッパー風の動きをすると、知人はすぐに「ああ、東葛スポーツ?」と答えてくれる。

 知人はどうにも元気がでない様子で、「今日は家で仕事をする」と言っている。それならばと15時過ぎにアパートを出た。かつて「エクセルシオール」だった「ドトール」に入り、今度は『c』誌のテープ起こし。こちらは現場に同席できなかったのだが、それでもと仕事を振ってくれたのである。期待に応えられるよう、頑張ってテープ起こしを進めた。最近、この「ドトール」は案外空いていて、しばらく隣りの席は空席のままだった。僕が2杯目のコーヒーをする頃になってようやく隣りの席に客が座った。高校1年生らしき4人組だった。どうやら皆で勉強しようと決めて「ドトール」に来たらしいのだが、ずっとiPhoneをいじっていた。高校生らしいなあ――なんて先輩ぶったことを思い浮かべてしまう。先輩ぶったも何も、もう僕は彼らの倍生きてしまっているのだけど。

 19時過ぎにドトールを出て、「芳林堂書店」で1万6千円ぶんの買い物をしてアパートに戻った。夕食は知人に水炊きを作ってもらった。小さい頃、冬になるとよく父親が適当に作った水炊きを食べていた。僕はその水炊きがあまり好きではなかった。ポン酢の味も、僕の箸づかいでは取り分けづらいマロニーも(ただ、ポン酢を垂らした残り汁を白飯にかけて食べるのは好きだった)。でも、こうして酒を飲みながらだととても素晴らしいツマミになる。味覚が変わったのかもしれない。

 鍋をつつきながら、録り溜めていた「ちりとてちん」(1週目)を観た。今のところは鯖江という街が舞台になっている。ドラマの中で焼きさばが登場する。観ているうちにその焼きさばを食べたくなってきて、iPhoneを取り出して「鯖江市」でGoogleマップを検索していると、隣りで知人が「すぐドラマのロケ地に行こうとする」と嘆いている。たしかに、今年は「八重の桜」の放送開始直後に会津を訪ねているし、岩手県久慈市も(仕事ではあるが)訪ねている。鯖江福井県にある街だった。福井には友人もいるので、ぜひ近いうちに訪ねてみたい。再生をストップしてみると、NHKの臨時ニュースが流れていた。阪急阪神ホテルズの社長が辞任するというニュースだった。その問題についてはある程度知っているものの、わざわざ臨時ニュースで流す必要があるものなのか、よくわからない。

 鍋を食べ終えてからも少し仕事をして、日付が変わったあとで、今日買ってきた『サリンジャー 生涯91年の真実』を最初の1章だけ読んだ。相変わらず読むのは遅いが、本を読むのが楽しい。前はもう少し教養として読書しようとしていた気がするけれど、今はもう少し、自分のために読んでいる気がする。これからまた10歳ぐらい年を取ったらどう感じるようになるのだろう。そう考えると、年を取るのが少し楽しみにもなってくる。



10月29日(火)

 たまには目覚ましを掛けてみるかと7時半にセットしていたが、起きたのはやはり9時を過ぎてからだ。朝食として昨日の鍋の残りを食べて、先週水曜の取材の構成に取りかかる。昼食は相変わらずマルちゃん正麺(味噌)のもやしのせを食べた。食べているところへ、B社のTさんから電話がかかってくる。今日配本予定の文藝春秋×PLANETS『あまちゃんモリーズ』に僕が寄稿した原稿を読んでくれたらしく、「久慈駅の話なんか、知らない話もあったし、生き生きしていて面白かった」と言ってくれる。書きたいことがたくさんあり過ぎてきゅうきゅうしながら書いた原稿で、読んだ人がどう思うのかとソワソワしていたので、褒めてもらえてとても嬉しい。

 昼過ぎ、Amazonで注文した品物が届く。今やテープ起こし専用機として使っているVAIOのtype Pだが、バッテリーが寿命を迎えてしまったのか、電源に接続していないと使用できなくなっていた。それは不便なので、昨日、Amazonで(クレジットカード決済で)替えのバッテリーを注文していたのである。

 さっそく開封して取り替えようとしてみたのだが……ううむ、どういうわけだか形が違っている。僕が持っているtype Pは2世代目のものなのだが、注文したバッテリーは1世代目のものにだけ適応したものだったようである。とはいえ、1世代目と2代目の発売時期は1年ほどしか離れていないし、そもそもtype Pは(おそらくだが)その2世代しか販売されていないはずである。それなのに、その2世代のあいだでバッテリーの仕様が変わっているというのは、あまりにも不親切ではないか。

 しかし、いくらボヤいたってどうにもならない。バッテリーが消耗品である以上、開封したあとで何を言ったって仕方があるまい。細かい点を調べもせず注文した僕がアホだっただけの話である。

 午後、知人からLINEでスタンプが送られてくる。でっぷりとしたクマのキャラクターがそこにいて、「もふにソックリ」と添えてある。たしかに、最近(特に沖縄のあたりから)思う存分飲み食いしていて、完全に体が樽化している。少し前に、久しぶりに鏡の前に立って自分の体を眺めて愕然としてもいた。これはダメだ。寒くなってきたことだし、『ポパイ』の特集「大人になるには?」にそそのかされて良いジャケットでも(クレジット分割払いで)買いに行こうかなんて考えていたけれど、この体型ではダメだ。久しぶりに(僕の日記には本当にこの「久しぶりに」という言葉ばかり出てくるが)体重計に乗ってみると、去年の夏に少しダイエットを試みた時期に比べて8キロも増えている。これは……ダメだ!

 そんなわけで、小雨の中をジムに出かけて5キロほど軽くジョギングをした。アパートに戻ってキュウリをかじり、18時過ぎ、僕が勝手に「仕事場2」と読んでいる近所のカフェに出かけた。電源とWi-Fiが完備されているものの、「テラスハウス」みたいなノリで大学生ふうのアルバイト店員同士がしゃべっている店。その会話についてはもう諦めているのだが、今日は夜の時間のせいかずっと揚げ物を揚げている音が響いている。もちろんフライの匂いもずっと立ちこめている。この環境では食欲を刺激されて仕方がないので、「仕事場」(と勝手に呼んでいるドトール)に移動し、21時頃まで構成を続けた。

 外に出ると、一度は止んでいた雨がまた降り始めていた。雨に濡れながら歩いているうちにパソコンのバッテリーのことを思い出し、段々腹立たしくなってくる。おい、何でまた雨降り始めてるんだよ――そう当たり散らしたいくらいの気分だが、当たり散らすべき相手もいない。駅前を歩いているとバッドマンのジョーカーの格好をした男が地下鉄の出口に一人佇んでいた。ギョッとしてそこを通り過ぎて、しばらく経ってから「ああ、ハロウィンだったのかな」と思ったが、通報されてもおかしくない佇まいだった。

 スーパーで知人と合流し、今日もまた水炊きを作ってもらう。深夜、知人が寝たあとになって『サリンジャー 生涯91年の真実』の第2章を読んだ。


10月30日

 先週水曜日に収録した『e』誌の原稿は、昨日のうちにほとんど完成させていたが、プリントアウトして細かい箇所に赤を入れていく。11時には完成させてメールで送信した。さて、ジムにでも出かけるかと思って支度していると、12月に発売予定のある音源が送られてくる。取材資料として送ってもらったのだ。さっそくiPhoneにデータを入れて、それを聴きながら3.5キロほど走った。走りながら聴いていると色々なことが頭に浮かぶが、メモができなくて困った。良いアルバムだ。冬によく似合うアルバムだと思う。

 昼、マルちゃん生麺(豚骨)のもやしのせ。洗い物や洗濯をしているうちに14時を過ぎている。急いで支度をしてアパートを出て、三鷹市芸術文化センターにて鳥公園「カンロ」観る。ときどき妙な言葉の固さがあって(こういった台詞が登場するわけではないが、「嫌い」とか「イヤ」とか言うのではなく「嫌悪」と言う――みたいな意味での固さ)、その固さは何のために用意されたものなのだろうかとずっと考えていた。1万年後の人間について思いを馳せるというシーンがあったが、10日前にやっていた快快「6畳間ソーキュート社会」でも未来について思いを馳せるシーンがあった。

 たとえば、快快の「6畳間ソーキュート社会」では「遺伝情報の売買が盛んになり、手軽に自分の思い通りにデザインした子供を産むようになるだろう」という言葉が舞台にのせられていた。これを会話として「100年後には遺伝子情報の売買が盛んになってさ、手軽に自分の思い通りにデザインした子供を産むようになってるらしいよ」と言われると、それを聞かされているほうは「うん? 急にどうした?」となる。だから――なのかどうかはわからないけれど、快快の舞台でそれを語るのは人間ではなくSiriの役割になっていた。Siriが滔々と「未来年表」に記載されている200億年後までの未来予測を読み上げているのを聞いているとき、客席にいる私たちと一緒に舞台上の役者もまた「ついてけないなあ」と少し引いていたし、iPhoneさえあればアクセスできてしまう200億年後の未来と、6畳間にいる私たちの小さな世界(とその中にある小さな未来)とを役者たちに行き来させることで、それを観ている私(たち)にはある感慨が生まれた。

 鳥公園の「カンロ」は何に向かっている舞台なのだろうかとずっと考えていたけれど、最後まで僕にはよくわからなかった。これは別に、わからないからダメだと言っているわけではなく、誰かとそのことについて話したいというだけの話。僕は最前列で観た。女性の役者さんがカップヌードルをすするシーンが2度あった。彼女がすすっているのは見慣れたあの麺ではなく、透明な春雨のようなヌードルだった。パッケージは普通のカップヌードルだったから、おそらく中身だけ変えたのだろう。そういうところばかりを気にしてしまう。わざわざ中身だけ入れ替えるに至った経緯ややりとりや配慮を勝手に想像し、勝手に愛おしく感じてしまう。

 三鷹から新宿に出て、渋谷で東急田園都市線に乗り換えて三軒茶屋に出る。今日は構成を担当している『S!』誌の対談の収録がある。スタートまではまだ1時間ほどあるので「サブウェイ」に入り、えびアボカドのサンドを食べた。もちろん収録中にも食事は出てくるのだけど、空腹で出席すると食べ物のほうにばかり気がいってしまうし、えびアボカドサンドならヘルシーだ。45分ほど時間をつぶして「味とめ」に向かい、18時過ぎ、対談スタート。マグロとアボカド、クジラの竜田揚げ、なめろう味噌カツ……。美味しそうな料理が運ばれてくる。刺身だけにしておこうと思っていたのに、つい竜田揚げと味噌カツも一切れずつ食べてしまった。最後に坪内さんは闇鍋カレー(?)を注文した。この上カレーまで食べると――と、一回取り分けたあとはそのカレーのことを見ないようにして過ごした。

 3時間ほどで対談は終了し、皆で「ルースター」というお店に流れてハーパーのソーダ割りを飲んだ。テレビではまだ日本シリーズをやっている。ところで、今日の収録はレギュラー回ではなくゲストを招いた特別回だったのだが、ゲストの方のサービス精神に圧倒されていた。話の最後には皆がどっと笑えるオチが必ずついている。話をしながら笑いながら、自然とその場にいる全員を見て気を遣っている。それでいて、僕がこんなことを言うのもおこがましいけれど、やはり「文学的」と言うしかないところもある。ある出来事を語るときのディティールが何とも鮮やかで、思わず聴き入ってしまう。そしてふとした瞬間に冷静な目をしている。そうしたこととは関係なく、僕の容姿はわりとその方に似ているという気がした。

 23時過ぎにお開きとなった。乗り換えるついでに渋谷の駅前に出てみると、コスプレをした人たちであふれ返っていた。そうか、ハロウィンか。しかし、世の中はこんなことになっていたのか――。僕は渋谷には馴染みがなく、新宿や池袋でしか飲んだくれていないが、そのあたりではコスプレをしている人なんてほとんど見かけたことがない。しかし、ここではそこら中にコスプレをした人たちがいて、ナースやメイド、警察官、何かのキャラクターと様々だが、駅前でよく見かけたのはゾンビだった。ちぇっと舌打ちして山手線に乗り込んだのだが、たしかハロウィンは日本で言うところのお盆のような行事で、死者の霊が家族のもとを訪ねてくるわけだから、ゾンビが街を徘徊しているというのは案外正統なのかもしれない。そう思うとなんだかおかしくて、満員の山手線の中でひとりニヤついていた。


10月31日(木)

 9時過ぎに起きて『c』誌の構成に取りかかる。昼、マルちゃん正麺カレーうどん)もやしのせ。カレーうどん、生麺ぽさはそんなにないけれど、ツルツルしたのどごしでおいしい。味噌や醤油は液体スープがついているけれど、豚骨やカレーうどんは粉末スープだ。カレーうどん味、唯一の欠点は茹でかたが面倒くさいところ。他のは決まった時間茹でるだけなのに、カレーうどんの場合はまず麺を3分茹でたあと、粉末スープを鍋に入れてさらに2分煮込む必要がある。この2段階というのが少し手間だ。タイマーを2度セットしなければならない。しかし、味はなかなかいける。

 午後、お昼のピークを過ぎたあたりで近くのデニーズに出かけた。ドリップ珈琲を注文し、『c』誌の構成。2時間ほど進めたところでジムに移動して、5キロほどジョギングする。まだ疲れが残っているせいか途中で何度か歩いた。アパートに戻り、ひとりで水炊きを作って食べる。食後、「仕事場2」へ。23時近くになってようやく『c』誌の構成を完成させた。今回はあまりに話題が豊富で、あと一息のところが削りきれず、判断を仰ぐためにも少しオーバーしたまま送信してしまったから、「完成」というのは正しい言い方ではないかもしれない。

 アパートに戻ってパソコンを置くと、すぐに自転車をこいで新宿へと向かった。今日は会いたい人たちに会える気がする――息を切らせて階段を降りていくと、ボックス席に坪内さん、亀和田さん、Iさんがこの順番で座っている。編集者のOさんもいる。いきなりそこへ座るのも失礼かと思ってまずはカウンターに座り、ウィスキーのソーダ割りを飲みつつ息を整える。1杯目を飲み干したところでボックス席に移動すると、僕がそこに腰掛ける前にIさんは「3年振りぐらいじゃないの」と言った。僕のオジキと言うべき存在は他でもないIさんなのに、すっかり間が空いてしまった。恐縮しつつ「いや、2年振りぐらいだと思います」と答えると、それをほぐすように亀和田さんが「はっちゃん、俺は1年振りぐらいだよね」と声をかけてくれる。

 おそるおそる席に座ろうとすると、「あなた、ひょっとして怒ってる?」とIさんは言った。「坪内さんの誕生日を祝う会で、あなたが欠席したとき、俺がそそのかしてあなたの悪口大会になったんだけど、ひょっとして怒ってる? 言っとくけど、自分がいないところで話題に出るってのは怒るようなことじゃなくて嬉しいことだからね」と。Iさんがそそのかしてたのかーと思いつつも、もちろん僕はそのことでIさんに対して怒ってなんかいない。Iさんが話題にしてくれるのであれば、どんなに批判されていたとしても喜ばしいことだ。

 この日はいろんなスペクタルが目の前で繰り広げられた。それを書き始めたら、一週間ぶんの日記と同じぐらいのボリュームになってしまう。最後は亀和田さんと二人になって、ここ数年のドラマのことをたくさん話した。亀和田さんと二人で話ができるのは初めてのことで、時間も忘れて話しているうちに、午前3時になっていた。

10月23日

 午後、久しぶりにジャケット着用で部屋を出る。待ち合わせの10分前にと赤坂エクセルホテル東急へと向かった。ホテルの向かいの建物は全フロア(?)ビックカメラだ。赤坂見附の駅前にビックカメラ、か。入口に迷いながらも待ち合わせ場所のホテルのロビーに行ってみると、既に坪内さんが座っていた。坪内さんが買っていた『立ち食いそば図鑑』を見せてもらっているうちに16時過ぎ、全員揃う。

 取材まではまだ時間がある。ホテルのある建物の2階には「フーターズ」が入っているということなので、せっかくだからと4人で入ってみることにした。時間のせいかガラガラで、そのせいか店員さんの格好もセクシーというより寒そうに思えてくる。そこで30分ほど過ごしてから、タクシーで衆議院第二議員会館へと向かった。議員会館が近づいてくるとドガンとした建物がぽつぽつとある。建蔽率が低くて余白があるせいか、東京ではなくどこか地方の広大な場所を走っているような気分になってくる。

 議員会館はぴかぴかの建物だった。最近建て替えられたらしい。中に入るとまず空港のような手荷物検査を受ける。えらく厳重だなと思うが、すぐに「そりゃそうだ」と思い直した。ここには国会議員がいるのだ。検査が終わると、入館の申込証に記入する。議員事務室を訪ねる人と事務局などを訪れる人とで記入する用紙が(色も含めて)別になっていた。代表者だけが記入するので、何を記入するのか、僕はわからない。行き交う人を見ていると、皆黒のジャケットを着ている。他に着られるジャケットがなかったので、僕はブルーのジャケットを着てきてしまった。新しいのを買ってでも黒にするべきだったかもしれない。

 受付で衆議院通行証をもらって中に入り、17時、「生前、うちの親父が迷惑かけませんでした?」という言葉から、坪内さんによる石原慎太郎さんへのインタビューが始まった。坪内さんと石原さんは初対面だったそうなのだが、次第に石原さんも楽しそうに話し始める。「しかし――あなたもいろんなこと知ってるね」と石原さんは口にしていた。

 1時間ほどで取材は終わった。丸ノ内線新宿御苑に出て新宿1丁目「N」に入ると、卵とメンマが盛られた皿が運ばれてくる。この店で「先生」と呼ばれている坪内さんは、お店に入るとこのセットを出してもらえるのだという。まずは餃子とレバニラ、それに焼ぶたを注文する。餃子は酢と胡椒でいただく。うまい。焼ぶたはボリュームたっぷりで、1切れでごはん1杯食べられそうなほどだ。うまい。しかし何より美味かったのはレバニラだ。スペシャルな一手間を加えてあるというレバニラは本当にうまい。タレが……また、たまらない。最後、皿に残っていたのを「はっちゃん、食べちゃって」と皿を渡されて食べたのだが、できることなら皿に残った汁をゴクッと飲み干したかったのだが、さすがに堪えた。

 最後にタンメンを注文した。普通盛りでもかなり盛りがいいが、4人でシェアするので大盛りを選んだ。運ばれてきたタンメンには、きれいに野菜が盛られている。最初に手をつけるのもはしたないかと遠慮していると、坪内さんが「これは誰かが崩さなきゃな」と口にした。なるほど、そういうこともあるのかと思う。このタンメンたしかに相当ボリュームがあるのだが、食べてみるとこれがまた美味く、一人でも食べられそうな気がしてくる。

 20時過ぎに店を出て、靖国通りの歩道橋から厚生年金会館跡の広大な更地を眺めたあと(本当にサッカーコートがすっぽり入りそうな広さだ)、3人で新宿5丁目「N」。ウィスキーのソーダ割りを何杯か飲んだところで、「今日はね、はっちゃんに文学者は対等なんだってことを見せたかったの」と坪内さんは言った。たしかに、「文学」というものを介して二人は対等に語り合っているように見えた。「文学っていうのは強いんだよ」とも坪内さんは言った。しかし――と僕は少し寂しくなる。石原さんは文学者であり政治家でもある人だ。しかし、これから先の時代にそんなコミュニケーションが、いやそもそも文学者というものが成立しうるのだろうかとボンヤリ考えながら、僕はソーダ割りを飲んだ。

10月1日から15日

10月1日(火)

 8時過ぎに起きる。急いでホテルをチェックアウトし泊港へと向かった。待ち合わせ時間に遅れそうなのでタクシーを拾うと、「お客さん、どちらの島まで?」と訊ねられる。渡航先によってのりばが微妙に異なるし、普通のフェリーか高速船かによってものりばが違うようだ。座間味島まで高速船でと伝えると、高速船の目の前に向けて走り出してくれる。皆はターミナルの入口で待ってくれていたので、慌てて「すみません、ターミナルじゃなくて船の前まで来ちゃいました」と電話をかける。

 今日はマーム女子4人と一緒に座間味島に出かける。向こうから小走りにやってくる4人を見ていると、やっぱり「僕はいいや」と断ればよかったかもしれないと少し思う。

 思えば昨日の夜から少し「いていいのか」感をおぼえていた。喜屋武岬で日没を見届け、飛行機の時間が迫った2人を送り届けてから那覇市内まで戻ったのだが、皆で2軒目に入ったのはカフェだった。僕以外の7人は皆女性で、ケーキを食べたりなんかしていて、紛れ込んでる感は強かった(そこはビールも飲める店で、僕は酒飲みながら甘い物を食べるのも好きなので、さほど困らなかったのだが)。そこまではともかく、今日は離島への女子旅なので場違い感がどうしても増してくる。「2年前は橋本さんと島に行くなんて思いもしませんでしたね」と一人が言った。まったくその通りだ。2年前どころか、半年前くらいまで役者の人たちと話したこともほとんどなかったのである。ちょっと緊張するので朝からオリオンビールを飲んだ。

 これでもかと揺れる高速船に50分ほど乗っていると、座間味島が見えてくる。まずは平和の塔まで歩く。座間味島は最初に米軍が上陸した場所である。少し山を上がったところに平和の塔はある。途中に小学校があって、子供たちがリレーの練習をしているのが見えた。この島に暮らすのも楽しいだろうなと思うのと同時に、実際に住むとなると「楽しい」だけでは済まないだろうなとも思う。座間味島には、少しひらけた場所にある平和の塔とは別に、山に上がる道の途中にも碑があった。その場所で自決した人たちがいるのだという。それは本当に道端のふとした場所にある碑だった。山の上まで駆け上がってでもなく、身を潜められそうな場所ででもなく、こんな道端の場所で自決を強いられるというのはどういう状況なのか。

 2つの碑に手を合わせると、ビーチに向かって歩き始めた。歩いていると一台のバンが止まった。どうやらビーチで浮き輪やパラソルのレンタルをしているらしい。「ビーチに行くなら乗せてくよ」とドライバーのおじさんが声をかけてくれた。「うちの店で何かレンタルしてくれたら、帰りも駅まで送っていくから」と。ビーチに行くとはいえ、僕は海には入らず、パラソルでも借りて読書したりかかえている原稿を考えたりするつもりでいた。でも、座間味のビーチがあんまり美しいので、売店で中学生みたいな海パンを急遽購入し泳ぐことにした。

 思えば海で泳ぐなんて小学生以来だ。ぽっこりした腹をさらすのは恥ずかしいので、Tシャツを来たまま海に入ろうかとも考えた。でも、もうすぐ31になるという男が、「ぽっこりした腹を見られるのが恥ずかしい」なんて思っているのはいかがなものか。そんな自意識を抱えているほうがみっともない――きれいなビーチを眺めているとそんな気分になったので、Tシャツを脱いで身(と浮き輪)一つで海に入ることにした。しばらくぷかぷか浮かんでいると、引き潮なのか、少しずつ沖に運ばれていく。そこから浜までバタ足で戻るのが案外大変で、レンタルショップまで戻ってシュノーケルと足びれを装着し、万全の態勢で海に戻った。おそるおそる海に顔をつけてみると、波打ち際のあたりでも色とりどりの魚が泳いでいて、3時間近く、ずっと夢中で眺め続けていた。シュノーケルは最後までうまく使えなかった。

 16時の高速船に乗って那覇市内まで戻る。行きよりも帰りのほうが揺れは激しかった。船酔いしないように、最初から最後までデッキに立っていたが、手すりに掴まっていないと海に放り出されそうになる。おまけに時々波しぶきが飛んでくる。しばらく波に当てられているうち、「そろそろしぶきがきそうだな」というタイミングが掴めてくる。「今なら大丈夫だ」というタイミングを見計らってカメラを取り出し、一緒にデッキに佇んでいる青柳さんや実子さんの姿を写真に収めようとした。と、まさにその瞬間、ひときわ大きな波が飛んできて僕やカメラにかかり、全身ずぶ濡れになってしまった。濡れて嫌だったかというとそんなことはなく、むしろ清々しい気持ち。

 泊港に戻って服を着替えて、皆で桜坂へと向かった。桜坂劇場の2階で陶器を物色し、牧志公設市場で少しお土産を購入し、少し早い飛行機で戻る青柳さんと分かれて4人で居酒屋に入った。「もう最後だから!」と気前よくじゃんじゃか注文してじゃんじゃか飲み食いし、東京行きの最終便に乗り込んだ。この5日間、本当に楽しい旅だったし、自分も島に行くと言ってよかったとしみじみ思いながら眠りについた。


10月2日(水)

 11時、トーキョーワンダーサイト青山の前で待ち合わせ……だったのだが、直前で思い出したことがありタクシーを拾って南平台の交差点に移動する。ランチ営業もしているオイスター・バーに入り、絹代さんにインタビューする。このインタビューは、今月18日からトーキョーワンダーサイト渋谷で上演される快快の新作公演「6畳間ソーキュート社会」の会場で、公演を予約したお客さんに特典として配布するZINEだ(それを「ZINE」と呼ぶことにしたのは僕ではない)。『faifai ZINE』。これから稽古がある人の前で申し訳ないが、口の回りをよくするために僕はビールを注文した。1時間ほど話を聞いたところで店が混雑してきたので青山に戻り、もう30分ほど話を聞いた。

 14時頃にアパートに戻って、北三陸でインタビューした音源のテープ起こしに取りかかる。17時過ぎ、再び同じ装備で渋谷に戻った。昨日、夢中になって海の中を眺めていたせいで背中がボロボロに日焼けしてしまったようで、リュックを背負ってられないほど痛む。「ぽっこりした腹を見られたくないなんて自意識はみっともない」なんて服を脱いだ自分がバカだった。そんな意識すらつまらないことで、何より日焼けに弱い肌を守ることを考えるべきだった。17時半、ハチ公前の喫煙所でこーじさんと待ち合わせ、「Tabela」で3時間ほどインタビューをした。取れ高が多くて嬉しい悲鳴をあげている。


10月3日(木)

 朝8時に起きる。あまり深く眠れなかった。からだのあちこちが痛くて動けない。午後になると次第に我慢できる痛さではなくなり、気合いを入れてマツモトキヨシに出かけて日焼けの痛みを和らげるアロエの成分の入ったジェルを買ってきて、アパートに戻って塗りたくる。すると、10分も経たないうちに痛みが激しくなる。たまらず「痛い痛い痛い痛い!!」「あだだだだだ!!」と声が出る。あまりにも大声が出るので慌てて窓を閉めた。あまりにも痛いので病院に行こうかと思ったが、まず叫び声がおさまらない。とりあえずジェルを流したほうがいいんじゃないかと思って冷たいシャワーで洗い流していると少し沈静化する。そろそろ大丈夫かと思って風呂から上がり、からだを拭いているとすぐにまた痛み出し、またシャワーを浴びる――この繰り返しだ。

 1時間ほど繰り返しているうちに「水で濡らしたタオルを当てていれば落ち着く」ということがわかり、タオルを背中にかけた状態で、その上にパーカーを着て病院に行ってみる。日焼けというかもうやけどというレベルまで焼けてしまっているらしく(いや、そもそも日焼けはやけどの一種なのだが)、紫外線を受け過ぎたストレスなのか、それとも痛みによるものなのか、蕁麻疹亞で出ているらしかった。紫外線に弱い体質だと思うから今後は気をつけるようにと注意を受ける。本当に、お腹のことなど気にしている場合ではなかった。

 タオルをあてがっていれば落ち着くとはいえ、そんなスタイルで行くわけにもいかないし、途中でまた痛み出したら収録に差し支えがあるので、夕方から予定されていた『S!』誌の収録は欠席させていただくことにする。電話をかけてその旨伝えたのだが、なぜ蕁麻疹が出るような自体に至ったのか、あんまりみっともないので口にできなかった。そんなことが原因で仕事に支障をきたすなんて、情けない。心配した知人も、馬油を買って早めに帰ってきてくれた。アロエジェルを見つけた知人は、「塗ってみる?」「うおおおって言ってみる?」と、好奇心たっぷりに言った。


10月4日(金)

 朝8時に起きて、届いていた昨晩の収録のテープ起こしに取りかかる。それが終わるとすぐに構成。16時半に完成しメールで送信。すぐに連絡があり、指摘を受けた箇所を修正して再度送信する。今週はタイトなスケジュールなので少し不安もあったが、無事まとめられてホッとした。

 20時、歌舞伎町でよんちゃんと待ち合わせ、3時間ほどインタビューをした。僕が快快のメンバーの中で一番オソロシイと感じるのがリーダーのよんちゃんだ。それは本人にも伝えた。「怖くないわ!」とよんちゃんは笑っていたが、そのおそろしさというのは怒りっぽいとか、カリカリしてるとか、礼儀に厳しいだとか、そういうタイプのものではない。そうではなく、捉えどころのないところがおそろしいのである。そのせいか、僕はこれまで3年くらい快快の近くにいるけれど、そんなにしっかり話をしたことがなかった。そのぶんまで――というわけではないけれど、ワインを開けながら3時間近く話を聞かせてもらった。


10月5日(土)

 北三陸に出かけてから、あっという間に2週間経ってしまった。締め切りが迫っているので、ぐるぐる考えていたことをいい加減原稿にしなければ。北三陸でメモしたこと、現地で話を聞かせてもらったテープの起こし、東京に戻ってきてから思い浮かんだことのメモを見比べながら、原稿にしていく。見開きが6つあるので、6本の原稿を書くような気持ちで力を注ぐ。あれこれ設計図を考えて、午後には実際に原稿を書き始めた。

 2本(2見開きぶん)ほど書いたところで16時だ。今日は観に行きたいライブがあって、チケットも買っていたのだけど、今日は原稿に集中しなければと泣く泣く諦める。ツイッターに「泣く泣く諦める」と書こうかと思ったが、やめた。よほど忙しい人ならともかく、僕の場合は自分が怠惰なせいでしかないのだ。いや、どんなに忙しくても、本当に心の底から観たいものであればどうにか時間が作れるはずだ。それこそ地球の裏側にだって出かけていける。いろんな取捨選択の結果、行かなかったというだけの話に過ぎない。

 原稿に入れたいエピソードは山ほどあるが、それを詰め込んだだけではメモにしかならない。いや、正確に言えばメモだって文学性は宿ると思っているが、今回の仕事はそういうものを提示することが目的ではないのだ。もっと高いところに飛ぶにはどうすればいいのか――それを考えるべく、16時に「ニュー浅草」に入り、ビールにハムカツを食べながら原稿のことを考えた。17時半にはアパートに戻り、さっき書いた2本に手を加え、さらにもう1本原稿を書いた。これでページ数的には半分だ。

 21時、買い出しに出かける。まずはスーパーでシャンパンを選ぶ。去年はこのスーパーの中で一番値の張るシャンパンを買ったのに、今年はお金がないのでそれより一つ下の値段のスパークリングワインになってしまった。少し申し訳ない気持ちになる。知人の好きな島らっきょうもソーセージ(沖縄土産のアグー豚のソーセージ)もあるから、成城石井で辛そうな麻婆豆腐だけ選んだ。駅前のコージーコーナーで小さなケーキを買って、ホフブロイハウス、ヒューガルデンモレッティと外国の瓶ビールも3本買い求めて、知人の帰りを待ってオクトーバーフェストを開催する。


10月6日(土)

 今日は知人の31歳の誕生日だ。寝るのが大好きな知人はそっとしておくことにして、僕はパソコン片手に近所のデニーズに出かけ、スクランブルエッグのモーニングを食べながら原稿書き。6本のうち4本までは書けた。昼前にアパートに戻り、知人を起こして風呂に入らせたところで花が届く。知人の幼なじみで、僕と住み始めるまでは一緒に住んでいたミカりんから花が届いた。花屋で働く彼女は、去年も花を送ってくれていた。

 見晴らしのいいとこでごはんが食べたいというので、13時半、「コットンクラブ」で昼食。うまい具合に2回のテラス席(の近く)に座れた。どうしてここで開催されているのかはさっぱり分からないが、早稲田通りの端のレーンを封鎖し、機関車トーマスが走っていた。駅前から明治通りのあたりまでを往復しているらしい。トーマスの他にも緑とオレンジが走っていたが、名前を知らない。15時に帰宅し、2時間かけて5本目の原稿を書いた。そのあいだ知人は部屋の大掃除をしていた。

 18時、渋谷に出かけて「ビックカメラ」(渋谷東口店)へ。知人はずっと、充電のできなくなったノートパソコンを使っていた。電源に接続しなければ使えず、ずっと不便そうだった。それを誕生日プレゼントに買ってあげる――と言えればいいのだが、そこまでの余裕もなく、知人がMacBook Airを買うところに付き合うだけ付き合う。店を出たところでタクシーを拾い、「高樹町まで」と伝える。そんな場所、初めて口にした。少し前、知人が気になる店リストを送ってきていて、その中で唯一日曜日も営業している店が、高樹町交差点の近くにある「Y」という店だった。

 Googleマップに従ってひと気のない路地を入ると、料亭のような看板が出ている。階段を降りていくと、予約で一杯だったのか、ホスト風の2人組がブツブツ言いながら上がってくるのとすれ違った。降りきったところには妙なうなり声をあげる自動扉。店名などは書いていない。おそるおそるボタン(?)を押すと、そこには焼肉店が広がっていた。「えっ、ここって焼き肉の店だったの?」と知人に訊ねると、「えっ、知ってて予約したんじゃないの?」と知人が言う。入口には黒服の店員が5、6人わしゃわしゃしていた。アリの巣みたいだなと思った。そんなに店員がいるということは広い店なのかと思ったが、席に案内されてみるとそんなふうでもない。それではなぜそんなに店員がいるのかと言えば、注文した肉をいちいち店員が焼いてくれるからだった。

 まずは生ビールと、コースを注文する。焼き肉屋でコースのある店なんてあるのだなあ。7000円と9000円のコースがあるが、様子を見ようと7000円のコースを選んだ。運ばれてきた肉はたしかにどれもうまかった。普段は焼き肉を食う機会すら少ないが、「ちょっと贅沢をして今日は牛角」というのがせいぜいである。牛角に2人で行くと狭い席に通されていつも少し窮屈な思いをすることになるが、この「Y」、2人客でもファミレスくらいのサイズのテーブルなのでゆったりと過ごすことはできる。

 でも、周りを見ていると、どうにもさもしい気持ちになってくる。隣りのカップルの女は15分置きにポーチを手にトイレに立つ。反対側のてーブルにひとりで座っている男は、待ち合わせをしているのか、ビールを1杯だけ注文して、あとはずっとジャンプを読んでいる。足もとはビーサンで、30分ほどして現われた連れの男もビーサン姿で、つくなり大声で会話を始める。おそらくテレビに携わる仕事をしているのだろう。彼らはこの店に通い慣れた様子で、あれこれ注文していく。

 その横で、せっかくだからと着慣れないジャケットなんか羽織ってきた僕は、どうにもさもしい気持ちになった。どうやら知人も同じ気持ちだったようだ。この日知人は、僕がチリでおみやげに買ってきた服をきていた。チリみやげと言っても民族的な衣装ではなく、おしゃれなエリアに買い物に出かけたとき、マームの何人かに見立ててもらいながら選んだ服だ。そういえばあのときお金が足りず、藤田さんにお金を借りたままになっている。話がそれたが、店員さんたちも、大学生のアルバイトだろうか、美人を揃えているという感じはするのだけど、次の肉を持ってくるペースも業務的だし、こちらが追加で酒を注文しようと思っても誰もフロアにいなかったり、いたとしても誰も客席のほうを向いていなかったりする。それに、2時間制なのはまだいいとしても、ラストオーダーを1時間前に取りにこられたのには参ってしまった。彼らの、決して安くはないであろうアルバイト代が料金に上乗せされているのかと思うと、少し腹立たしくもなってくる。

 知人とふたり、「すごかったね」と言い合いながら高田馬場まで戻ってくる。飲み直そうと「米とサーカス」に入った。ここにくると、もちろんごはんも美味しいのだけれども、店員さんの愛想が良くてホッとする。最初からこの店に来ればよかったのだと反省しながら、杯を重ねた。


10月7日(月)

 さて、締め切りである。朝7時に起きてデニーズで最後の1本(1見開き)を完成させ、アパートに戻って知人に読ませる。「うーん」としか言わない。何で唸っているのか問いつめると、「私、ロケ地のこととかそんなに興味がないかも」と言われる。なんてことだ。しかし、興味がない人の興味を惹ける文章になっていないということなんじゃないかと思い直し、近くのカフェに出かけ、プリントアウトした原稿にあれこれ赤を入れていく。

 16時過ぎ、「現状ではこれがベストだ」と思えるところにまで達したので、メールで送信。これでオーケーをもらえるかどうかはわからないが、とりあえず肩の荷が下りた。沖縄から戻ってきてから1週間、僕にしてはバタバタしていたほうだ。久しぶりに早い時間からお酒で飲むかとUさんを誘い、「古書往来座」で待ち合わせ。まずは池袋北口の地下にある「D」でタイムサービス中のため1杯150円のビールを数杯飲んでから「ふくろ」(2階)へ。途中から知人も合流して酒を飲んだ。閉店時間の23時半まで飲んでいたように思う。軒先で少し立ち話をしていると、2階の窓ががらっと開いた。「たばこ忘れてるよ!」と店員さんが上から声をかけてくれる。お母さんがぽいっと放り投げたライターそしてタバコを、Uさんはこともなげにキャッチした。その姿が印象深くて、何を話しながら飲んだのかは忘れてしまった。


10月8日(火)

 朝起きるとケータイが見当たらない。昨晩は「ふくろ」で飲んで、すぐ近くからタクシーを拾って帰ったので、失くしたとすれば店か車内だ。それなら大丈夫だろうと別段焦ることもなく「iPhoneを探す」で検索してみると、現在位置は池袋警察署のあたりになっている。ほら、やっぱり大丈夫だ。安心しながら、北三陸ルポについて指摘をもらった箇所を直していく。

 昼頃になって「そろそろ取りに行ってやるか」ぐらいの気持ちで池袋警察署に行ってみると、「携帯電話の場合は直接受け渡しができない」「拾得した場合は警察から電話会社に連絡が行き、そこから持ち主に『見つかりました』という連絡がハガキで行く」「急ぎの場合は電話会社のほうに電話して届け出の番号を聞くように」と指示を受け、キャリアごとの連絡先の書かれた紙を渡される。やれやれ、そこに電話をかけてみるかと思ったが、その電話がないのである。

 公衆電話を探すのも面倒なので、SoftBankの店に出かける。これは何度も経験済みなのだが、ショップ窓口では紛失などの手続きはやってもらえない。番号札を引いて順番を待って、事情を話すとコールセンターに電話を繋いでくれるので、自分でコールセンターとやりとりをする。調べてもらったが、「まだこちらにはお客様の携帯電話が届いたという連絡が上がってきていない」とのことだった。

 朝の時点ではたしかに池袋警察署周辺にあるとGPSが表示したのに――。今度は自分の携帯電話にかけてみるが、電池がなくなってしまっているのか綱がならない。一体どういうことなのか。少し考えをめぐらせていると、別の可能性に思い当たる。GPSは必ずしもぴったり正確な表示が出るとは限らない。もしかしたら「ふくろ」の店員さんが保管してくれているのかもしれない。「ふくろ」、1階はたしか朝から営業していたはずだと足を運んでみると、まだ12時だというのに飲んだくれているお客さんでいっぱいだ。今日が食べ物半額の日というのもあるのかもしれない。忘れ物がなかったか訊ねるだけで済ませるつもりだったのだが、店員さんが「こちらにどうぞ」と誘導してくれたので、とりあえず瓶ビールを注文し、それが運ばれてきたところで訊ねてみる。

「あの、昨日の夜に2階で飲んでたんですけど、忘れ物がなかったかなと思って」

「2階はちょっと別だから、今はまだわからないんですよ。ごめんなさい。メモとかがあればわかるんだけど、ないからね。2階は3時に開くから、そこでまた聞いて見てくれる? ……あ、もしかして飲むつもりはなかった? ごめんね」

「いやいや、飲むつもりでした。食べ物――揚げシュウマイもらえますか?」

 2階が開くまであと3時間弱ある。昼からそんなに飲んでいてはまずいことになるので、一旦アパートに戻る。さきほどSoftBankでもらった書類を眺める。コールセンターに電話をかけているあいだ、「もしかしたら出てこないかも」と感じ始めていたので、過去に買ったiPhoneの分割金がどれくらい残っているのかをプリントしてもらっていたのである。分割金は3通り残っていた。どれも24回払いにした分割金だから、この2年のあいだに僕は3度iPhoneを失くしたということになる(そして今回で4度目になるかもしれない)。なにより興味深いのはその日付けだ。1台目から順に、2012年5月15日、2012年10月20日、2013年5月14日に失くしている。今回は10月8日だから、5月と10月がくるたびケータイを失くしているということになる。書類には分割の支払がいつ終わるかも記載されていて、そこにある「2015」という数字に少し未来を感じる。

 iPhoneのことは忘れて、近所のカフェに出かけ、『faifai ZINE』のためにインタビューのテープ起こしを進める。トータルで12時間以上ある。長い道のりだ。外で作業をしていると、ふと「あ、パズドラのゲリラダンジョンの時間かも」とか、「ちょっと息抜きにツイッターでも」とか、ふとした瞬間に手がiPhoneを探してしまう。そのたび「あ、ないんだ」と思う。不便ではあるが、中学生の頃はiPhoneどころかケータイすらなかったんだけどなと不思議な気持ちになってくる。結局、「ふくろ」の2階にもiPhoneは届いていなかった。


10月9日(水)

 9時に起きて、アパートの近くにある公衆電話からSoftBankのコールセンターに電話をかける。何度もかけたので、何番のダイヤルコードを押していけばスムーズにオペレーターに繋がるのか覚えてしまった。これで4度目の問い合わせだが、ようやく「届いてます」との返事。ホッとする。「それで、お住まいは高田馬場ということなんですけども、届いているのが池袋警察署というところで……」と言われ、「知っとるわ!」とツッコみそうになるのを堪える。紛失して迷惑かけておいて「堪える」も何もないのだけれど。

 昼、池袋警察署でケータイを受け取ったのち、高田馬場ドトールに入ってひたすら『faifai ZINE』のテープ起こしを進める。日が暮れる頃になってようやく終わりが見えてきた。久しぶりで「古書現世」をのぞき、少し雑談する。『サブ』(5号)があったので購入。ずっと置いてあったらしいのだけど、気づかなかった。近くの「ティーヌン」でAセット(ミニガパオ+生春巻き+バミーへン)を食べてからアパートに戻り、知人にテープ起こしを送付。高樹町で焼き肉を食べているとき、知人にもインタビューをしていたのだ。話を聞きながら「そんなこと、載せられないけどなあ」と思っていたのだが、テープ起こしを見た知人から「これ、出しちゃダメなやつだけど」とメールが届く。それなら追加収録しようと思い、22時過ぎ、仕事帰りの知人と駅前の「マルハチ」に入り、ホッピーを飲みながら1時間だけ追加で話を聞いた。


10月10日(木)

 7時に起きる。体をしゃっきりさせるべく朝から湯につかる。風呂から上がるとデニーズに出かけて、『faifai ZINE』のインタビュー構成に取りかかる。この『faifai ZINE』、無料で配るということもあって、コストの問題から「トータル8ページで」ということになっていたのだが、7人にインタビューしたので1人1ページということになる。A5サイズだと、写真を入れるとせいぜい1000文字くらいだ。2時間のインタビューを1000文字にするというのはなかなか難しいものがある。もちろんそういう仕事も全然あり得ることだけど、何のためにこのZINEを作るのかと考えると、ひとり1000文字ではまったく足りない。

 それで、よんちゃんや制作担当の知人、それにデザインを担当するPに相談してみる。最初はどこかの印刷所にお願いするつもりだったが、どうやら知り合い(?)の輪転機を借りて刷ることになったらしく、ページが増えるのは全然問題がないという。確認のために、同じ人のインタビューを短くまとめたものと長めにまとめたものとを送ってみると、「これは短くしないほうがいい」という話になった。これでたっぷり話が載せられる。

 ファミレスや喫茶店などをハシゴしつつ、がりがりと構成を進めていく。本当は今日が締め切りだったのだけど、間に合いそうにない。もう日も暮れてしまった。ガソリンを追加しようと、20時頃からは「コットンクラブ」に出かけてビールを飲みながら構成を続けた。大変だけど、楽しくもある。隣りには早い時間から飲んでいたのか、すっかり出来上がった人たちがいた。男性が1人、女性が2人のグループだが、バブルの頃の羽振りのよかった話をしている。

 途中、酔っ払ったおじさんがこちらを見ているのが気になった。パソコンを広げていることにケチでもつけられるのだろうか。でも、パブや居酒屋やバーならともかく、ここはカフェなのだから、仕事したっていいだろう――そう心の中で思って、おじさんの視線を無視して仕事を続ける。3分ほど経ったところで、おじさんは僕の肩をちょんちょんと叩き、「あの、ガイジンさんですか」と言った。外国の人に「ガイジンさんですか」と言ったって伝わらないし、だとしたら何なのか。面倒だったので一瞥だけくれて仕事を続けた。


10月11日(金)

 朝8時に起きる。知人は先に起きていた。「スッキリ」に亀梨和也が出演し、KAT-TUNからメンバーが脱退したことの報告とお詫びをしている。「亀梨君、高貴だわー。高貴」と知人はしきりに感心している。本来は謝罪のためにブッキングされたのではなく、今日から始まるドラマ「東京バンドワゴン」の番宣をするはずだったのだろうな。「はなまるマーケット」にチャンネルを変えると長瀬君が出ていた。こちらは「クロコーチ」の番宣だ。姪っ子とのメールのやりとりを公開していたのだが、その時間が24時53分であることに現代を感じる。

 昼過ぎになってようやく『faifai ZINE』のインタビュー構成が全員ぶん完成した。すぐにメールで送信する。ひと段落したところで録り溜めていた番組を消化したり、雑誌を読んだりする。買うだけ買っていた『POPEYE』、今号の特集は「大人になるには?」。大人らしい服装がいくつも載っている。次にまとまったお金が入ることがあったらたまには上等な服でも買おうか。でも、そこに掲載されている色々の服をいざ自分が着ているところを想像すると、途端にコスプレくさくなる。それに、一体どこで上等な服を着るというのか。

 知人に「帰りにスーパーで割引になってる刺身を買ってきて」とお願いする。でも、他にも欲しい物もあったので結局僕もスーパーに出かけると、知人はちょうど刺身を選んでいるところだ。すっと真横に立ってみたが、知人はこちらには気づかず刺身をカゴに入れて別の商品を探しに行ってしまった。後ろからわざとらしくビーサンの足音を鳴らしながら後ろを随いて行ってみたが、知人がこちらに振り返ることはない。野菜ジュースの棚の前で知人が立ち止まると、僕も立ち止まる。びくっとした知人はそそくさと売り場を離れながらようやくこちらを振り返り、ホッとした様子で「なんか変な人がいると思った」「怖かった」と言う。「狙ってた刺身を私が取っちゃって、怒って随いてきてるのかと思った」。

 深夜、知人にインタビューの構成を見せると、「やっぱ私の載せなくていいと思う」と言い出す。一体何のためにテープ起こしをして構成したというのか。いや、別にそれに払った労力のことはどうでもいい。「6畳間ソーキュート社会」という作品に向けたZINEを出すのだから、ここにはとても小さな話が必要だ。小さな誰かの生活の話が。「でも、これは私ともふの関係があった上での話じゃん」。いやいや、だからさ、関係があった上で僕に依頼してるんじゃないのか。外側から書くのではなく、半ばメンバーのようにして内側から書くために僕に依頼したんじゃないのか。そうした関係性を持って書く以上、そこをナシにするのはおかしいだろう。「だって、インタビューとかすると『アイツ、制作のくせにインタビューとか受けてる』と思われるかもしれないじゃん」。それはもちろん、まだ仕事を始めて3年くらいしか経っていない知人に「制作の仕事とは」みたいなインタビューをするのであればそう思われるかもしれないが、でも、今回のインタビューは“僕が一緒に暮らしている(そしてたまたま制作の仕事をしている)快快のメンバー”として話を聞いているのだ。そんな人はいないだろうが、このインタビューを読んで「制作のくせに目立ってどうするんだ」なんて言う人間がいるとしたら、それはよほど見る目のない人間なんだから気にすることはないだろう。

 そんな話を、こんな冷静な言葉ではなく激しい言葉で2時間ぐらい言い合い、3時になってようやく追加収録を少しだけした。


10月12日(土)

 朝9時に起きる。昼前に「芳林堂書店」に出かけて、『文藝春秋』と『本の雑誌』をパラパラめくり、『文學界』と『新潮』を買い求める。それから伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』、常盤新平『銀座旅日記』、深沢七郎『言わなければよかったのに日記』を購入する。書いていてようやく気づいたけど全部タイトルに「日記」と入っているな。この3冊は『POPEYE』に出てきたものだ。特集「大人になるには?」の中で、たとえば「女性について」といったテーマで大人な“文豪”の意見を紹介しているのだが、どのテーマでも基本的に伊丹十三山口瞳深沢七郎田中小実昌常盤新平辻まことといった人が取り上げられていた。なぜどのテーマも同じようなラインナップなのかと少し不思議に思いながらも、久しぶりに読んでみようと思って買ったのである。どれも持っているはずだが、おそらく実家に送ってしまっている。

 アパートに戻って知人と昼食。僕はマルちゃん正麺(醤油)のもやしのせ、知人はスチーム野菜である。食後、『言わなければよかったのに日記』を読み始める。

 ボクは文壇事情を知らないから時々失敗してしまうのだ。
 「知らないといっても、アナタは常識程度のことさえ知らないからダメだよ」
 と、よくヒトに云われる程知らないのだ。(早く一人前にならなければ)と思って、一人前になるまでは、あまりモノを云わないことにしているが、相手が親切に話をしてくれると、後で冷汗をかくような失敗をしてしまって、そのたびに云わなければよかったのにと後悔するのだ。

 という書き出しに続いて、文壇の様々な「先生」とのエピソードが綴られていくのだが、軽やかな語り口で、様々の出来事や「先生」の人柄がすいすい伝わってくる。「云わなければよかった」という串を一つ通すことで楽しく読み進められる。エンターテイメントになっている。今、自分の中に書こうとしているテーマがあって、どうすればそれをうまく伝えられるかということをずっと考えているので、そういうところが気になってしまう。串というより、文体といったほうが正確なのかもしれないが。

 自分の文体はどこにあるのだろうかとボンヤリ考えながら支度をして、知人と一緒に渋谷に出かけた。16時、トーキョーワンダーサイト渋谷にて「6畳間ソーキュート社会」の通し稽古を観る。マームとジプシーと一緒に海外に行ったときも稽古の様子を見せてもらったけれど、発表前の作品の稽古を観るのは初めてかもしれない。そう聞いてはいたけれど、日田とはずいぶんバージョンが変わっていた。そして、そこで演じられている物語は僕自身の物語であるように思えて仕方がなかった。快快の作品でそう感じたのは初めてかもしれない。知人もそう感じたのか、ときどき僕のほうをチラ見していた。

 ただ、気になったことが一点ある。8月31日と9月1日に上演された日田バージョンの「6畳間ソーキュート社会」も悪くはなかったのだが、あまりにもきれいにまとまり過ぎていたところはある。後半は少し台詞が上滑りしているところもあった。それを踏まえて、9月23日に吉祥寺のOngoingで行われた彼らのパフォーマンスは、くだらない(と思われるかもしれない)ネタの部分だけを抽出して、寄席のようにめくりを使ってネタを次々に披露するというオムニバス形式を取った。それはたぶん、一度そちらに振り切ってみることで、渋谷バージョンの「6畳間ソーキュート社会」の着地点を模索していたのではないかと思う。でも、今日の通し稽古を観ていると、少しネタ/オムニバス側により過ぎているような気がした。これでは「ああ、快快ってまだやってるんだね」「人数減っちゃったみたいだけど、まあ快快らしい作品だよね」という言葉で片付けられかねないという気がした。その話は、夜になってメールで送信した。

 19時にトーキョーワンダーサイトをあとにして、センター街にある「魚や」という酒場に入った。「ととや」と読むらしい。生ビールで乾杯し、さんまの刺身、タコの唐揚げ、さばの味噌煮などを注文する。うまい。どの食材にも付け合わせとしてわかめが出てくる。唐揚げの下にもわかめが敷かれていた。20時半に店を出て渋谷駅で知人と分かれ、僕は新宿三丁目へと急ぐ。今日はK’s cinemaで「こっぴどい猫」の凱旋上映があるのだ。マームとジプシー「cocoon」にも出ていた小宮一葉さんが出演していて、「よかったら観にきてください」とDMをくれたのである。

 21時の上演時刻にギリギリ間に合い、自販機でお茶を買ってから席につく。僕が何より印象的だったのは最後の10分ほどだ。自分の娘ほどの年齢の女(小宮さん)と出会った作家(モト冬樹)は、彼女に惹かれ、彼女が思いを馳せている相手というのは自分に違いないと思うようになる。無理もない、初対面だというのに部屋に誘われ、「先にシャワー浴びてください」などと言われたり、結局何もしなかったものの一緒にベッドで寝たり何度も部屋に誘われたりするのだから。還暦祝いの席で、モト冬樹は彼女に思いを伝えようとする。彼の中では完璧な瞬間だった。が、彼女が思いを馳せているのは、モト冬樹の後輩作家だった。完璧と思えたすべてが砕け散ったとき、彼は自分の旨のうちにあったすべてをぶちまけ、そして再び小説を書く決意をする。その、すべてをぶちまけているあいだ、会場は笑いに包まれていたが、僕はそれを笑うことができず、しみじみ見入った。

 終演後は舞台挨拶があった。映画の中で一番気になったのは若くしてガンだと告知された男で、彼はモト冬樹の書いた作品のファンとして病院で彼に語りかける役を演じているのだが、その佇まいがとても印象に残った。あの人は一体誰なのだろうと思った。そして舞台挨拶で登壇した面々の中にその顔はあった。その人は、この作品を監督した今泉力哉さんその人だった。

 舞台挨拶が終わってフロアに出てみると、小宮さんが立っていた。こちらに気づき、「橋本さん、ありがとうございます」と声を掛けてくれたが、「わー、さっきスクリーンに映し出されていた人だ」と思うと気恥ずかしくてそそくさとエレベーターに乗り込んでしまった。感じが悪く見えたかもしれないと、今は反省している。僕は単純に、わざわざ案内のメールをくれたことが嬉しかった。「cocoon」はほぼ毎日観に出かけたし、たしか小宮さんも皆で沖縄を訪れたときにいたはずだが、ほとんど言葉を交わしたことはない。それでも誘ってくれるというのなら、僕は“観る”ということくらいしかできないのだから、出来うる限り足を運んで観たいと思っている。


10月13日(日)

 8時半に起きる。ゆったりと身支度をしてアパートを出た。今日から2泊3日で会津若松に出かける。池袋から埼京線、大宮から東北新幹線、郡山から磐越西線と乗り換える。磐梯山を眺めるのは今年で3度目だ。会津若松に着くとまず、古本市をやっている会場を目指して歩く。キャリーバッグをゴロゴロ引きずって歩くこと10数分、駐車場にあるプレハブのような建物の脇に「古本市」と書かれたノボリが立っているのが見えた。立ち止まって見ると、ちょうど前から仙台「火星の庭」の前野さんが歩いてくるところだ。手を振って通り過ぎ、まずは中町フジグランドホテルに荷物を預けにいく。

 古本市に戻り、北杜夫『親不孝旅日記』と中川六平『ほびっと 戦争をとめた喫茶店』を買い求める。すっかりお腹が減っていたので、近くにあるソースカツ丼の店を検索して「ハトヤ」というお店に入った。昔ながらの食堂といった佇まいだ。

「すいません、ソースカツ丼と瓶ビールください」
ソースカツ丼とミニラーメンですか?」
「いや、あの、瓶ビールです」

 ソーツカツ丼だけ食べるつもりだったのだけれども、そうか、ミニラーメンというのもあるのか。こういう佇まいの店のラーメンもぜひ食べておきたいと思って、結局ミニラーメンも追加で注文した。とてもシンプルで澄んだ味のするラーメンだった。ちなみに、「ミニラーメン」とはいえ、器のサイズはソースカツ丼より大きい。店を出て、コンビニで缶ビールを買って街をぶらつく。通りには万国旗が出ていて祝祭感がある。ビールがいつもより美味く感じられる。古書市の会場まで戻ってみると、店番が「古書現世」の向井さんとUさんに交代していた。うっかり中に入りそうになったが、缶ビール片手に歩いていることを思い出し、外から手を振るだけにした。

 一旦ホテルに戻ってチェックインの手続きを済ませ、少しベッドに横になっているうちに眠ってしまった。ハッと気がついた頃には外はもう暗くなっている。よろよろと古本市の会場に行ってみたが既に灯りは消えていた。会津若松の街を一人でぶらつく。何のあてもなくしばらくぶらついてみたが、とても静かで、自分の実家のあるあたりの風景を思い出す。しばらくぶらついたのち、結局また「鶴我」に入った。この店も今年3度目だ。3連休の中日とあって、前回や前々回より混雑しているらしかった。店員さんも前回に比べてたくさんいる。僕は4席しかないカウンターの端に滑り込んで、1杯目から日本酒(榮川)を注文した。

 お酒をくいッと飲んで、くぅ〜っと顔をしわくちゃにしていると、板前さんがその顔に反応した。何か記憶を辿っているらしかった。ややあって「ひょっとしてお客さん、前に一度うちの店に来てくださってますか」と板前さんは言った。僕は「はい、3度目です」と答えたが、彼の記憶は結構正確である。1度目のときも2度目のときも彼はお店にいたが、6月に知人と来店したときはカウンターではなく、暖簾で仕切られたテーブル席に座ったのである。彼が僕が酒を飲んでいる姿を見て「前に1度、この顔を見たことある」と思ったのは、そういう意味では正確な記憶なのだ。

 今日は単品で馬刺を注文して2杯くらい飲んで別の店にハシゴするつもりでいたが、嬉しくなったので結局今日もまた板前おまかせコースを注文した。このコース、たっぷり出てきて3000円なのである。何より美味いのは馬刺だ。後から入店したカップルは一度来たことがあるらしく、いきなりユッケを注文していた。店員さんから「刺身はよろしいですか?」と訊ねられ、「いや、注文したつもりなんだけど」と言っていて、まず店員さんにそういう語り口の人からして好きではないのだがそれは置いておくとして、「いやいやいや、絶対まず刺身を注文したほうがいいって!」と勝手に割って入りたくなってくる。そのくらい僕はこの店の馬刺が好きだ(もともと馬刺が好きかというと、そんなことはまったくないのだが)。

 もう一つこの店(のおまかせコース)が好きなのは、チビチビといろんなものがテーブルいっぱいに並べられることだ。これがお客さんに対する会津のもてなしかたなのだろうか。テーブルがいっぱいになっていると豪勢な気分になってくる。次から次に少しずつ運ばれてくる料理がまたどれも酒に合うのだ。僕は酒飲みだが甘党でもあるので、味付けが甘めのものが多いのも嬉しい。特にまんじゅうの天ぷらなんて、もうたまらない。甘いものはうまいものである。そのことに由来するのかどうかはわからないが(もしかしたら単純にこの店の味付けなのかもしれないが)、会津のツマミは甘い味付けが多いようにも感じる。

 最初に榮川を頼んだのはそれが一番安い酒(380円)だからなのだが、うまいメシが次々に運ばれてきて、さらに板前さんから「ひやおろし、入ってますよ」なんて言われた日にはもう、それを注文せずにはいられない。甘口、辛口、超辛口の3種類があると言われ、超辛口のものを注文しようとしたところ、「まずは辛口からのほうが」と勧められて会津中将のひやおろしを飲んだ。このあと残りの2つも飲んだが、結局僕が一番好きだと思ったのは会津中将のひやおろしだ。どれも会津の酒なのにこんなことを言うのもどうかとは思うが、今年3度訪れて、僕の中にある会津という街の手触りに近いのはこの酒だと思った。今度通販か何かで注文することにしよう。

 コースを食べ終わる頃には満腹になっていた。昼もしっかり食べたせいかもしれない。そろそろ会計をしてもらおうかと思ったところで、板前さんが「お客さん、お腹はもう一杯ですか」と声をかけてくれる。そう言われたら「いや、まだ少し余裕があります」と言いたくなる性分である。実際その通りに答えてみると、「よかったらおそばもサービスで出しますよ」と言ってくれる。たぶん団体客用に多く茹でてしまったのだろうが、会津はそばも有名なので、食べておきたいという気持ちになる。運ばれてきたのは真っ白なそばだ。細く白いそのそばは、僕の箸遣いではぷつぷつ切れてしまうのだが、それがまた酒のツマミに最適である。サービスしてもらって気分が良くなったこともあり、最後に(高いから今日は注文しないつもりでいた)飛露喜を1合注文した。

 すっかり気分を良くして会計をしてもらう。8千円を超えていたが、その値段以上に堪能した。あんまりお腹が一杯でいつもの10分の1くらいのスピードで歩きながら、何で俺は会津でひとり酒を飲んでいるのだろうかと考える。ぶつぶつ考え事をしながら歩いていると、ホテルの近くでわめぞの何人かと出くわした。僕を観るなり、ムトーさんは「やっぱり。絶対いると思ったんだよ」と口にした。なんだかストーカーみたいな言われようだなあ(わめぞが出るブックイベントがあるからというだけで会津に来ているのだから、別に否定のしようもないが)。どうやら半分くらいの人は僕と同じ中町フジグランドホテルに泊まっているらしい。これから皆で大富豪をするというので僕も混ざり、7人で大富豪をして、7人でUNOをやった。UNOはルールがおぼつかなかったが、いずれにせよこういうゲームは人間性が出るものだとしみじみ思った。


10月14日(月)

 朝8時に起きる。しばらくボンヤリしていると、インスタグラムで皆が喫茶店鶴ヶ城に出かけている写真が流れてくる。朝から皆活動的だ。ふとツイッターを見ると、Aさんが「橋本さん、チロルで待ってるよ」とつぶやいている。「チロル」というのは山形にあるレストランで、4年前に一緒に訪れた店だ。そして4年前と同じく、今もまた山形で国際ドキュメンタリー映画祭が開催されているのだ。「待ってるよ」と誘われて行かないわけには行かない。2泊予約してしまっているが、11時にホテルをチェックアウトして駅に向かい、満席の磐越西線で郡山に出て、満席の山形新幹線に立ったまま1時間半ほど揺られていると山形に到着する。

 ホテルに荷物を置くとすぐに山形市中央公民館へと向かった。Aさん、ドド子さん夫妻と合流すると、Aさんの後輩で今は名古屋在住のSさんの姿があった。会場の前で偶然出くわしたらしい。15時30分から「蜘蛛の地」観る。4年前に観た「アメリカ通り」の監督も参加した作品で、「アメリカ通り」同様、基地村がその舞台だ。そこで売春婦として働いていた3人の女性の今と記憶とが断片的に映し出されていく。パンフレットを読んでそれが基地村であり3人の元売春婦をめぐる話だとわかるが、それは明示的には語られない。言葉で形容される前の、名付けえぬもの、存在そのものようなものが、とても美しい映像として映し出される。特に2人目の女性が、飴や酒(?)をまき散らしながら森を歩く映像を観ていると、本当に、森の中で未知の生命体に出会ってしまったような気分になる。ただ、観ているあいだずっとあれこれ検索したい衝動に駆られていた。映し出されているその世界がどこにあるどんな世界なのか、言葉で知りたくなってくる。その欲求は、この映画では満たされない。

 150分という上演時間が長く感じられた。Sさんとは会場の前で別れ、3人で近くの「シベール」に入った。次の映画が終わるのは21時近くになるので、コーヒーだけでなくピザトーストも注文した。食後、再び中央公民館に戻って19時15分から「ジプシー・バルセロナ」観る。ジプシー社会の中でとても重要な意味を持つフラメンコ(とその伝承)がテーマだが、ジプシーとフラメンコの結びつきについて僕は何も知らなかった。そもそもジプシーのことも詳しくない。もっと本を読んで勉強しなければという気になる。しかし、それより何より、ドキュメンタリーの中心となる女性――伝説的なダンサーを叔母に持つカリメ・アマヤという女性の踊りの足さばきに驚愕する。マシンガンを乱射しているようなスピードだ。あまりにすごくて、観ていて思わず笑ってしまった。スペインでフラメンコを観ながらワインなんか飲んだらさぞ楽しいだろうなあ。それから、ダンサーにあこがれる男の子がフラメンコ用の靴を仕立ててもらうシーンもよかった。親子の会話もよかったし、赤い革靴が作られていく過程を見ていると、僕も革靴を仕立ててもらいたくなってくる。

 会場を出るとまず、自分の足をタップさせてみる。当たり前だが映画の中の女性のように動かすことはできない。夜、しばらく街を彷徨って、磯丸水産のような佇まいの店に入った。ビールで乾杯し、いも煮やだし豆腐、甘エビの唐揚げなどを注文した。甘エビの唐揚げというメニューは初めて見た。川エビの唐揚げの歯ごたえを増した感じ。そして山形のいも煮は醤油ベースで牛肉が入っている。2時間ほど飲んでから店を出て、どこかバーにでも流れようかと再び街をぶらつく。駅のすぐ近くにある一帯が歓楽街になっていて、ホテルの地下にスナックが数件入っていたりする。どこか良い店はないかと探していると、Aさんのケータイが鳴った。どうやら予約したホテルのチェックインの期限が迫っているらしい。それならもうお開きにしましょうかという話になり、Aさん・ドド子さんと別れ、スナックの前を何往復かしたのち、缶ビールを1本買ってホテルに戻った。


10月15日(火)

 朝8時に起きる。チェックアウトの時間ぎりぎりまでホテルで仕事をしていた。11時半、「略称・連続射殺魔」を観終えたAさん、ドド子さん夫妻と合流し、近くのそば屋に入った。メニューを眺めていると、後からひとりで入ってきたお客さんがこちらの様子を伺っているのが目の縁に見える。気にせずそばを注文し、「あ、それと瓶ビールもください」とお願いすると、そのお客さんは席を立って「橋本さん?」と話しかけてくる。えっ、と顔を上げてみると、せんだいメディアテークの小川さんだ。山形国際ドキュメンタリー映画祭のプログラム「ともにある2013」のコーディネーターを務めていたのだという。知らなかった。そしてそのプログラムブックをプレゼントしてくれた。小川さんは「似てる人がいるなと思って」と言っていたけれど、たぶん小川さんが「似てる人」ではなく本人だと気づいたのは、昼間っからビールを飲んでいるなんて橋本さん本人に違いないと思ったからではないかと勝手に考えている。

 鳥そばを食べたのち、少し休憩するというドド子さんと別れ、Aさんと2人で「我々のものではない世界」観る。パレスチナの話と聞いて、或る型にはまった作品だったらどうしようかと心配していたが、それは杞憂に過ぎなかった。レバノンにあるパレスチナ人の難民キャンプに生まれた監督は、今もその難民キャンプに暮らす祖父や友人に会うために定期的に難民キャンプを訪ねている。

 まとめるのに時間がかかるから、気になったことを箇条書きにする。

  • 難民キャンプでは4年に1度“お祭り”がある。それはワールドカップのときだ。それぞれが自分のひいきとする国を応援する。通りにはイタリアやドイツの国旗を掲げた人の姿も多々見える。監督の祖父はそれを嘆く。「あんなイスラエルを支援する欧州を応援する何て馬鹿げてる」と。こんなふうに難民キャンプの内側の様子が感じられるのは楽しい。
  • 冒頭のほうで、祖父の家を訪ねると、ゴキブリが現われる。それを祖父は素足で踏みつぶす。「ほら、あそこにもいる。お前も踏みつぶせ」。言われた監督は「殺したくない」と口にして、ただゴキブリをカメラで撮る。そこへちょうどご近所さんがやってくる。「なんだ、ゴキブリを撮ってるのか? 外の人間はイカレてるな」。
  • 監督が仲良くなったアブ・イヤドという男は、監督から(?)音楽をプレゼントされる。その一つはニール・ヤング「ハート・オブ・ゴールド」だ。隣りにいたAさんが僕のほうをちらりと見る。アブ・イヤドは「パレスチナ人にはどんな音楽も合うんだ」と口にしていた。「歌詞が分からない曲のほうがいい」とも。「ハート・オブ・ゴールド」を聴いたアブ・イヤドは「これはいい」と言った。「こういうメランコリックな曲はいい」「悲しい曲は好みだ」と。
  • アブ・イヤドはファタハに属している。こういう映像作品の中で「ファタハ」という言葉が出てくると、それは新聞やテレビで見知った名前であるのだが、近所の町内会のように響いてくるから不思議だ。それから、彼がよく着ているTシャツがあり、そのシャツには「ウルトラマン7」とプリントされている。その文字をある人は「ヘブライ語じゃないのか」と指摘する。ヘブライ語は彼らにとって敵国語だ。「これを着てたら、イスラエルの選手のユニフォームじゃないかと言われたんだ」とアブ・イヤドは言う。たしかに「ウルトラマン」の文字は選手名のような位置に入り、「7」は背番号のように大きくプリントされているが、私たち日本人からするとこのやりとりはとても滑稽だ(ちなみに監督も「中国語じゃないか?」と曖昧なことしか口にしない)。それが「ウルトラセブン」ではなく「ウルトラマン7」とパチもんであることもまた滑稽さを増している。その滑稽さと、周りの人間が銃を手にしていて、次第に思い詰めて行くアブ・イヤドの状況をアンバランスに映し出す。
  • アブ・イヤドたちのすることと言えば、市場と家とを往復するだけだ。あとは部屋でマリファナを吸ったりしてウダウダすることぐらい。テレビには殺された人の姿が映し出されている。アブ・イヤドは「俺は自爆テロができる」と語る。「未来への夢も知識もない、からっぽさ。だからあいつらは自爆テロを選んだんだ。パレスチナを理由にして命を絶ったんだ」。また別の日に彼は語る。「たとえ大学を卒業しても仕事に就けないんだ。この絶望がわかるか?」――外から銃声が2発聴こえる。「なのに連中はこの国を民主国家と言うんだ」。
  • 次第にアブ・イヤドの目に虚無感と焦燥感が宿っていく。監督はナレーションで「彼の焦燥感の原因は僕の取材かもしれない」と語る。「僕の取材かもしれない」じゃないだろう、と思った。外の世界とこちら側とを自由に行き来して取材をする監督の姿は、そして自分が映し出されていることを意識した彼の胸の内は、一体どんなものだったのか――。次第に彼は「パレスチナなんて滅びてしまえ」「イスラエルに虐殺されればいいんだ」というようなことを口にし始め、ファタハを批判し、「これを世界中に放送してくれて構わない」と言う。そして実際にファタハを辞めて、難民キャンプを抜け出す決意をする。「俺たちは難民だ。ここが祖国ならどんな苦境も受け入れられる。でも、ここは祖国じゃない」と言い、シリアからトルコを経由してギリシャに向かった。だが、彼は結局路上生活を強いられることになる。あれはギリシャだったか、監督は街頭でアブ・イヤドと再会する。そこで「これからどうするんだ?」と訊ねられたときの、虚無というほかないアブ・イヤドの目が忘れられない。彼は何も答えなかった。

 「この2日後、アブ・イヤドは難民キャンプに送還された」という字幕が出て、映画は終わった。監督によって映し出された風景は印象的なものが多かったが(きりがないので書かないが、叔父のサイードもとても印象深い人だったし、監督の祖父もまた印象深かった。コーヒーだか何かを入れるとき、監督は「(砂糖は)1杯でいいよ」というのに2杯入れ、自分のには4杯も砂糖を入れていた。そして監督に「どうだ? ちゃんと甘いか?」と訊ねている姿がなぜか頭から離れない)、ドキュメンタリーによって生まれた現実に対する態度には少し疑問が残る。

 15時15分からは「家族のかけら」というドキュメンタリーを観た。パンフレットを読んだときは「面白そうだ」と思っていた映画で、メキシコ郊外で悠々自適の生活(余生)を送っている両親を映した作品だ。両親はもうずっとすれ違いの生活を送っていて、そのことをテーマにしているのだが……パーソナルな主題なのに、テーマへの踏み込みが浅いように感じた。波打ち際でちゃぷちゃぷやっているようにしか感じられなかった。もっといくらでも掘り下げようはあるだろう。しかし、自分としてはイマイチだと感じる作品であっても、「なぜ自分はそれをイマイチと感じるのか」を考えると興味深い。そこで考えたことはそのまま自分の原稿に返ってくる話だ。

 16時38分に上映終了。駅前の酒場に入り、この2日で観た作品を振り返りながら3人で少しだけ酒を飲んだ。これはおそらく僕が観たタイミングが偏っていただけだとは思うけれど、4本中3本がパーソナルなテーマを扱った作品だった。店内を見渡すと仙台四郎の写真が飾られている。この「甚兵衛」というお店、なかなかいい店だ。メニューに漬け物や山菜がいくつもあって楽しい。今日は茄子のぺそら漬けというのとみずの実という山菜を食べた。こういうのがあればいくらでも酒を飲んでいられる。帰るのが惜しく、新幹線の時間ギリギリまで日本酒を飲んでいた。

9月16日から9月30日

9月16日(月)

 2時半に目が覚めた。台風の進路を確認するとお昼頃に関東を通過するようだ。またしても新幹線が止まってしまうかもしれない。多少遅れるくらいなら観光していればいいけれど、今日は三連休の最終日で、指定席しか存在しない「はやぶさ」に乗車するのは大変かもしれない。せっかく早起きしたのだからと5時にホテルをチェックアウトし、タクシーを呼んでもらって駅へと向かった。

 駅までの道路では1台もクルマを見かけなかったし、歩いている人も見かけなかったのに、駅に着いてみると人がチラホラいた。それも若い女の子たちばかりで、フェス帰りみたいな格好をしている。会話を聞く限り、どうやらクラブ帰りのようだ。どこにあるのだろう。昨日は早々に酔っ払っていたからムリだったけど、弘前のカルチャーを知るためにも、行ってみたら面白かったかもしれない。女の子3人組は、クロスシートの座席に向かい合うように座っている。ケータイが鳴ると、「ちょっと、怒られるよ」なんて話している。いい子たちだ。

 新青森駅津軽雪国海鮮ずし(1100円)を購入。他にもサンドウィッチ、チップスター、それにペットボトルのお茶を2本購入した。これは新幹線が止まったときの備え。それにしても東北新幹線(特に仙台以北?)は、新神戸以西の山陽新幹線と同じくらいトンネルの連続だ。トンネルを抜けるたび、少しずつ空模様が荒れていく。それでも何とか通常運転していたが、宇都宮に差し掛かったあたりで徐行運転を始めた。強い風が吹いているらしかった。

 定刻よりやや遅れて大宮に到着し、埼京線に乗り換える。快速は運転を中止していたので鈍行に乗った。浮間舟渡あたり、おそらく荒川のあたりで突風が吹いているようで、5分ほど運転を見合わせ、そのあとでそろりそろりと鉄橋を渡る。10時過ぎ、何とか目白まで戻り椿坂を下っていると、葉っぱや小枝が道中に散らばっている。台風はこれから関東を通過すると聞いていたけれど、ひょっとしたらもう通過してしまったのだろうか。

 台風に備えて、スーパーであれこれ買い物をしてから帰宅する。テレビでは京都の様子が映し出されていて、嵐山の渡月橋が大変なことになっている。もちろんそれは大変な災害であるのだが、旅館の宿泊客がボートで避難したり(旅館の従業員がボートを手で押して運んでいる)、ボートに乗せられた乗客がiPhoneで動画を撮影しているのが見えたり、何より茶色い濁流が荒々しく流れていく様子を見ていると、少し興奮してしまう。

 知人を起こし、昨晩の「半沢直樹」観る。顔芸大会である。他にも「八重の桜」や「リミット」、「なるようになるさ」などを観ているうちに眠ってしまった。14時過ぎに目を覚ますと雨は止んでいる。台風はどこに行ったのだろう。食材を買いだめる必要なんてなかったなと反省しつつ、大根とねぎと鶏肉の煮物を作った。冬になるとよく作るざっくりしたメニューだ。眠ってばかりいる知人に「何か本でも読みなよ」と漠然と怒ると、宮藤官九郎みうらじゅん『どうして人はキスをしたくなるんだろう』を読み始めた。「一個も役に立つ話出てこないけど」と知人は嬉しそうだ。

 夜、キュウリをかじりつつ「夫婦善哉」観る。夫婦の「婦」のほうを演じる尾野真千子、相変わらず素敵だ。今日観た最終話だと、ラーメンを食べたり、ラストにぜんざいを食べたりする様子が何とも可愛らしく見える。口のもにょもにょした動きが可愛く見えるのかな。そういえば『最高の離婚』のときも尾野真千子の食べっぷりに惚れ惚れしていた。

 今日放送された最終話は、数年前に発見された「夫婦善哉」の続編をもとにした話だ。最初は別府行きを渋っていた尾野真千子が、別府に着くなり「へ〜え!」「湯気出てるわ」と嬉しそうにあたりをきょろきょろしながら歩く姿は、子犬みたいで可愛らしかった。ただ、冒頭の別府港門司港ばりにモダン(今から見ればレトロ)な石造りの建物が並んでいて驚いた。外国人の姿もたくさん見える。

 僕は何度か別府を訪れたことはある。その町並みを歩いていると、まあ観光地であるのだから、モダンな文化がそこにあったことは伺える。ドラマでもちらりとバスガイドの姿が映るが、そういえば日本初の女性バスガイドは別府の地獄めぐりのガイドさんとして誕生したのだった。それを考えると、ダンスホールが登場するあたりまでは想像がつくのだが、あんなふうに洋風な建物が並び、外国人で溢れている様子というのは、自分の訪ねたことのある別府の風景の記憶とどうも噛み合ない。とはいえ、NHKのドラマなのだから、しっかり時代考証をしているのだろうから、僕が行ったことのない場所にああいう建物が並んでいるのかもしれないし、それとも戦争で焼けてしまったのかもしれない。

 僕はそんなことを考えながら映像を観ていたのだが、知人は森山未來演じる主人公の男を見て、「そっくりだけど」と僕に言う。もちろん外見の話ではなく、性根の話である。僕は勘当されてもいないし、知人の金を勝手に使い込んでいるわけでもないけれど、病気にもかかわらず酒を飲んでぐでんとなっている男の姿を見ていると、特に否定する気にもならなかった。

 遅くになって、部屋着のままアパートを出た。食器を洗う洗剤が切れたので買いに出たのだが、外の風は冷たかった。9月に入って、「涼しい」と感じたことは何度かあったけど、「冷たい」と感じたのは今日が初めてだ。昨晩、遠くの街で聴いた前野健太さんの新曲「夏が洗い流したらまた」を思い出す。ほんとうに、台風が夏を洗い流していった。


9月17日(火)

 8時半に起きる。知人はキチンとした時間に出かけて行った。昼間は『神的批評』を読んでいた。これが刊行されたのは3年も前だけど、買うだけ買って読めずにいた。言い訳めいてしまうが、僕は本当に読むのが遅いのだ。今日だって冒頭の「宮澤賢治の暴力」しか読めなかった。読むのが遅いというよりも、途中で本を置いてあれこれ考えてしまうせいだけれども。

 日没後、新宿へ。紀伊國屋書店の脇にある「鳥源」にて『S!』誌収録。2階にある座敷には石がいくつも並べられていて、妙な存在感を背後に感じつつ、話を伺う。批評をめぐる話に刺激を受ける。勝手に励まされる。いわゆる“批評”が書ける人間ではないけれども、僕は僕の批評をキチンと形にしよう。最近こんなことばかり日記に書いているなあ。そんなことを繰り返し書くことで、自分にハッパをかけているのだろうな。
 
 この日は鶏の刺身や焼き鳥、それに唐揚げがテーブルに並んでいた。唐揚げは一つの皿に3個のっかっていて、それが2皿運ばれてきた。僕は目の前にある皿を眺めながら、一番上にある大きな唐揚げがずっと気になっていた。おいしそうだなあ。でも、話をしているお二方がまだ手をつけていないのに、しかも一番大きな唐揚げを食べるのもなあ。そう15分ぐらい躊躇していたけれど、我慢できずにそそくさと大きな唐揚げを自分の皿に取り分けた。猫舌の僕にちょうどいい温度になっていたその唐揚げは美味かった。後になって見れば、お二方とも唐揚げには手をつけなかったのだから、何も気にすることはなかったのだけれども。

 この日の反省。お店のお母さんが1杯目のビールを運んできてくれたとき、「奥の方に回していただけますか」と言われたのだけれども、僕は1番端に座っている人から順番に届けようと、ベルトコンベアのような動きをしてしまった。すぐに「あ」と反省した。友人同士の飲み会ではないのだから、まずは対談をするお二方に置くべきである。頭ではわかっているのに、つい反射的にこういう動きをしてしまう。

 21時半に収録終わる。2軒目に流れるようだったけれど、ケータイを確認するとUさんから「飲みませんか」とメールが届いている。収録中に「大人になってからの友人は大事にしたほうがいい」という話も出たが、Uさんは、20歳を過ぎてから出来た数少ない友人の一人だ。もちろん、友人と呼ぶべき人はたくさんいるとは思うが、頻繁に酒を飲んだり話をしたりする、そういう友人は本当に数えるほどしかいない。新宿から自転車をかっ飛ばして池袋へと向かった。

 Uさんは、以前よく一緒に飲みに出かけた「F」というお店で待っていた。2階に上がってみると、カウンターにはもう他にお客さんの姿はなく、Uさんだけがそこに座っていた。22時半には食べ物がラストオーダーとなる店ではあるが、最近はお客さんが帰るのが早くなったように思うのは気のせいだろうか? 僕はホッピーセットとやりいかの煮付けを注文した。Uさんも追加で何か注文しようとしてメニューを眺めていたが、「あれ? コロッケ変わってる?」とUさんは言った。Uさんはよくコロッケを注文していた。そのコロッケをたまに僕も分けてもらっていて、美味しかったのを覚えている。先週の金曜日に一人で来たときにそれを注文しようとしたのだが、「コーンコロッケ」と札が出ていて、何か違和感を覚えて注文せずにいた。あれはやはり、メニューが変わっていたのだ。以前は「肉じゃがコロッケ」だった。

 ふと気づいたのだが、「コーンコロッケの中身をください」と注文すると、ポテトサラダに近いものが食べられるんじゃないか。この店にはポテトサラダというメニューが存在しないのである。

 ホッピーをワンセット飲み終えたところで閉店時間となった。「もしよかったら、もう1軒行きませんか」とUさんが言ってくれたので、「D」という店にハシゴした。この店は食券制である。それぞれ別の券売機に向かい、僕はハイボール(いつでも200円!)とキャベツとコンビーフの炒め物(350円)の食券を買った。席に戻ってみると、Uさんも同じ食券を買っていた。一つを価格の同じ刺身2点盛りに変更してもらう。

 この日もいろんな話をしていたのだが、ふとした瞬間に、ある編集者から「橋本さんは何があったら一番悲しいですか」と言われたことを思い出した。僕は何かを悲しめるだろうかと思って、その質問には答えられなかったのを覚えている。今になってその質問を反芻してみると、たとえば頭に浮かんだのは近しい人が死んだときのことだ。こういうことを口にするのは……と一瞬ためらいながら、「たとえばアニーさんが死んだとき、死んだということを知った瞬間に『悲しい』と思えるかどうか、ちょっとわからない」という話を僕はした。話しながら、ちょっとまずい話をしているなと思ったが、急に口ごもるわけにもいかなかった。

 後ろでは店員さんにクレームをつけている男がいた。彼女らしき女性が「もう帰ろうよ」となだめていたが、「いいから、お前は外出てろよ」と男はさらにヒートアップしているようだった。なんだか自分の姿を見せられているようで、やるせない気持ちになる。店を出たあとで、Uさんは「橋本さん、最初にカメラを持ったのいつ?」と僕に訊ねた。僕は自分の記憶を遡ってUさんの質問に答えつつ、どうしてUさんはそれを訊いてみようと思ったんだろうなんてことを考えていた。そのことをUさんに聞き返したような気もするし、聞き返していないような気もする。


9月18日(水)

 10時過ぎに起きて、テープ起こしをぼちぼち進める。家にいるとどうしても効率が悪いので、近くのカフェに出かけた。電源・Wi-Fiともに完備されていてバッチリな店なのだが、お店で働いている店員さんはおそらくほとんど大学生なのだろう、勤務中ではない店員もいて席で何か作業をしていたり、カウンターの中に入って談笑していたりする。こういうことにジトッとした目線を向けてしまうのは、自分にそういう時代がなかったからなのだろうか?

 昼過ぎにはテープ起こしを一区切りさせてアパートを出た。明日からの取材旅行に備えて、東京でまわっておきたい場所をもう一度まわる。そして千円カットの店で頭を6ミリに整える。これで準備はバッチリ。新宿に出て、伊勢丹のデパ地下でお菓子を物色。明日以降にお世話になる人たちに渡すお菓子をいくつか選んだ。それとは別に、悪魔のしるしへの差し入れも探す。今週末に悪魔のしるしの公演「悪魔としるし」があり、僕はチケットを予約していた。その特典として、クリアファイルを送ってもらっていた。結局、その日に取材が入って観に行けなくなってしまったのだけれども、クリアファイルは素敵な仕上がりだったので返却したくない。かといって「観れないけどチケット代払います」というのも無粋な気がしたので、受付の手伝いをするという知人に差し入れを持って行ってもらうことにしたのである。

 アパートに戻り、支度をしているうちに22時をまわっている。仕事帰りの知人と待ち合わせ、まずは本屋で『もっと!』(vol.04)購入。さっそくぱらぱらめくりながら歩いていると、ある店の前に、飲み会が終わったばかりらしい大学生たちが溢れていた。まだ2次会の話がまとまっていないのか、その場でうだうだたむろしている。と、一番端にいた男の子と女の子が酔ってよろめいたふりをしてその場を抜け出し、駅に向かって歩き始めた。女の子は、何かこう、噛み締めるような表情をしていた。「あの2人、セックスするのかな」と僕が言うと、知人は嬉しそうに「ひゅーひゅー!」と言っていた。

 酒場に入り、『もっと!』で自分の書いた原稿を確認する。結構赤が入ってるかなと緊張しつつ読んだが、ほとんど直しは入っていなかった。嬉しい。僕が熟読しているあいだ、知人は不満そうに今年初のさんまをつついていた。すべて確認し終えたところで、構成の仕事の話をした。何を思って『S!』誌の連載の構成をしているのかと知人が訊ねるので、素直に答える。知人はさらに「あの二人のことをどう思ってるの?」と言うので、これも素直に答える。僕が一番気になっていて、一番(同席することで)学ばせてもらっているのは、知識というより態度や姿勢だと思っている。

 しかし、そう考えると、『V』誌で別の連載の構成をさせてもらっていたときは、もっとちゃんと深く関わるべきだったかもしれないと今になって反省している。知人は「もふはさぁ、仕事としてこなしちゃうところがあるよね」と言っていたが、耳が痛い話だ。そんなにたくさん仕事をしていないせいなのか、仕事となると、「滞りなくやらないと」ということで頭が一杯になってしまうことがある。

 早めにアパートに戻り、明日の支度をして眠りにつく。


9月19日(木)

 朝5時に起きて、山手線、埼京線東北新幹線八戸線と乗り継ぎ、東京からやく6時間かけて岩手県久慈市に到着した。『P』誌の取材で「あまちゃん」のロケ地ルポ。取材は明日からなのだが、せっかくなので1泊ぶんは自腹ということにして前乗りしたのである。現地で見聞きしたことはすべてルポに書く。


9月20日(金)

 久慈滞在2日目。ロケは今日からが本番である。天気にも恵まれてロケ日和であった。朝、レンタカーを(借りに行っているときにドライブインを見かけた。取材したい気持ちで一杯だが抑える。夜には能年玲奈さんの姿を見た。


9月21日(土)

 久慈滞在3日目、北三陸ルポ2日目。この日は少し雨が降った。ほんの10分ほどの通り雨だが、三陸鉄道の職員さんは「ああ、やっぱり降ったか」と言っていた。天気予報通りという意味ではない。今、久慈では秋祭りをやっているが、その中日には毎年雨が降るのだという。夜、3日連続で同じスナックに出かけ、初日に入れたボトルを飲み干す。


9月22日(日)

 久慈滞在4日目、北三陸ルポ最終日。18時6分発の終電が出るギリギリの時間までたっぷり各所をまわった。新幹線に乗って、ビールで乾杯。お疲れ様でした。撮影を担当していた写真家の方と話していて、あれこれ興味を持つ。写真というのはすごいなあ。ある相手と向き合ったとき、「この相手ならこちらのカメラだ」というふうに具体的に手となる道具が変わるというのが不思議だ。


9月23日(月)

 東京を離れているあいだに、気になっていた公演がいくつかあった。その一つはドリフターズ・サマースクール2013の発表会で、その一つは悪魔のしるしの公演「悪魔としるし」で、その一つは下北沢「B&B」での又吉直樹さんのトークイベントだ。もちろん北三陸ルポのおかげで貴重な経験ができたというのは大前提なのだが、この三つを観に行けなかったのは残念だ。そんなことを知人に伝えると、「え、悪魔は今日が楽日だけど」と教えてもらったので、昼過ぎに横浜に出かけ、14時05分、相鉄本多劇場にて「悪魔としるし」観る。良かった。何が良かったのか言葉にしたいけれど、それには時間がかかりそうだ。それにしても、心霊写真ってニセモノだったのか(この公演を見たあとに「ニセモノ」なんて書くのもどうかとは思うけども)。「アンビリーバボー」とか、わりと素直に観ていたタイプの人間が僕です。

 考え事をしながら電車に乗ると、うっかり逗子方面に向かっていた。そのせいで17時から吉祥寺「ONGOING」で行われていた快快のパフォーマンスに遅刻してしまった。20分ほどは見逃してしまったが、残りの40分はしっかり観る。同じように遅れて会場に到着した篠田さんが誰より彼らのパフォーマンスを楽しんでいるように見えた。昼の悪魔のしるしの公演を観ていても、あるシーンでは、会場のどこかで、他の誰よりも危口さんが楽しんで観ているんじゃないかということが頭に浮かんでいた(これはどちらも批判的な意味で言っているのではない)。終演後は大勢で「ハモニカキッチン」に流れてビールを飲んだ。


9 月24日(火)

 アパートで終日仕事。今日が締め切りの仕事が2つあったのに、2つとも終わらせることができなかった。少しリズムが乱れている。今日発売の『SPA!』を確認する。今週号の「これでいいのだ!」は“福田ナイト”と題し、批評家の大澤信亮さんをゲストに招いている。掲載された原稿を確認すると、2ヵ所ほど、決定的に固有名詞を間違えていたのを(そしてそれを直してもらっているのを)確認し、恥ずかしいやら申し訳ないやら。精進しなければ。


9月25日(水)

 終日、『S!』誌の構成を。夕方には母校の図書館に出かけて、いくつかチェック。18時にようやく完成してメールで送信した。ホッとしたところで、昨晩ツイッターで話題(?)になっていた近所の店に出かけてみる。秋刀魚の炊き込みご飯の焼きおにぎりの出汁茶漬けがあるのだという。食べてみるとこれがなかなかウマイ。店主に訊ねると、「この食材はこの料理しかないだろう」と思えた料理はこれで3つめだそうである。他には鴨鍋なんかも自信作だと言っていた。いつかまた知人と食べに行ってみよう。夜、『P』編集部にてルポ記事のページ構成を相談する。23時過ぎまで。


9月26日(木)

 朝9時に起きて、頼まれていた仕事の構成を進める。昼、自宅でもやしのせマルちゃん正麺(味噌)。15時過ぎにようやく完成し、締め切りを過ぎてしまって申し訳ない気持ちを添えつつ、メールで送信。普段はあまり縁のない建築というテーマの話で、色々刺激を受けた。

 夕方になって渋谷に出て、缶ビール2本携えて宮益坂を上がる。台風でも近づいているのか、急に強い風が吹き始めていた。18時、青山にあるトーキョーワンダーサイトへ。明後日までここにレジデンスしているあやみさんにインタビュー。缶ビールを飲みながら、パッタイをいただきながら、たっぷり90分話を聞いた。いくらレジデンス施設とはいえ、あやみさんはここに住んでいるわけだから、そんな部屋でインタビューさせてもらうというのはよく考えれば図々しい話だ。

 20時、表参道でのろさんと待ち合わせ、「ティーヌン」でホタテと野菜の炒め物、空心菜炒めなどをツマミにビールを飲みながら90分ほどインタビュー。早稲田の「ティーヌン」は、何も言わなくてもオーダーが通るほど通っていたこともあるが、早稲田と表参道では全然雰囲気が違っている。表参道駅でのろさんと分かれ、ふじたにさんと待ち合わせ。シブいお蕎麦屋さんに入り、塩そばや板わさをツマミに日本酒を飲みながらインタビューをしているうち、時計は0時をまわっている。

 今日インタビューした3人は皆、快快のメンバーだ。来月18日からトーキョーワンダーサイトで上演される彼らの新作に向けて「何かドキュメントして欲しい」と話があったのは初夏のこと。ただ、僕の視点から(つまり半歩外側から)ドキュメントするというよりも、もっと内側に入りたいと思ってインタビューという形式を選んだ(僕は自分でもインタビューがヘタだと思っているというのに)。しかも、わざわざ一人ずつインタビューさせてもらうという、面倒くさい方法を選んだ。

 快快は集団制作というスタイルで作品を作っていて、チームという印象が強い。これまで彼らが受けるインタビューも、戯曲を書いているリーダーの北川陽子さんや演出家の篠田千明さんがインタビューを受けるか、あるいは「皆」で取材を受けるということが多かったように思う。快快は昨秋の「りんご」の上演をもってメンバーが減った。今度の「6畳間ソーキュート社会」は新生快快として第1作目となる。その「今」と捉えるためには、まず一人一人と、一人一人の「今」と向き合う必要があると思ったのだ。

 そうしてインタビューする以上、あまり当たり障りのない話だけしていても仕方があるまいと覚悟を決めて、あれこれ立ち入って話を聞いた。皆それにしっかりと答えてくれた。こうして時間を取ってもらってしっかり話を聞かせてもらえるというのはありがたいことだなと、終電に揺られながらしみじみ思った。


9月27日(金)

 昼、羽田空港へ。味噌カツ丼を食べたのち飛行機に搭乗し、昼下がりに那覇に到着した。アパホテルにチェックインする際、「4泊でよろしいですか?」と言われて、ああそうだ、オレは4泊もするのだと思う。アパホテルを選んだのにはいくつか理由があるのだが、その1つは大浴場があることである。せっかく4泊もするのだから、ゆっくり風呂にでも浸かってノンビリしたいと思ったのだ。

 部屋に荷物を置いて、しばらく昨晩のテープ起こしを進める。改めて、とても個人的なインタビューだと思う(だからこそこれが記録を前提としていることが嬉しい)。18時過ぎにホテルを出て、街をぶらつく。そろそろ何人か那覇に到着する頃だけど、それまで一人で飲んでいようか。いや、一人で飲んだくれるには何か読むものが欲しい。そう思ってジュンク堂書店那覇店まで歩き、(当然アパートに戻ればあるのだけど)文庫本を2冊購入した。

 そうこうしているうち、「よね屋ってとこにはいってます!」とメールが届いた。ケータイで検索して行ってみるとずいぶんシブい店だ。扉を開けてみると小上がりに皆がいた。ホッとした気分。テーブルには沖縄おでんとラフテーが並んでいる、おでんにはテビチが入っている。どちらも美味しそうだったけれど、箸の持ちかたが悪い僕はうまく自分の取り皿にとりわけられる気がしなくて、あまり箸を伸ばせなかった。もう30も過ぎたというのに、自分のみっともなさを受け入れないでどうするのかと思う。

 本当にシブい佇まいの店なのだけれども(?)、『hanako.』でも取り上げられているのだという。途中から郁子さんも合流し、泡盛を何合か飲んだ。帰り際に、入口近くにあるジュークボックスをまじまじと眺めていると、お店のお父さんが「聞いてみる?」と話しかけてくれた。たしか「お父さんのお薦めをかけましょう!」とコインを投入したのだが、それが何の曲だったのか、すっかり忘れてしまった。夜が更けた頃、皆(6人だ)でタクシーに分乗し「インターリュード」へと向かった。3ヵ月前と違って、今日は与世山さんもお店にいたけれど、ライブの時間はもう終わってしまっていた。「21時くらいならやってますから」と帰り際に教えてもらったとき、(たぶん今回の旅行では来れないだろうな)と思っていたが、その通りになってしまった。また近々訪ねてみたいと思う。


9月28日(土)

 朝7時に起きる。8時、心を整えて「あまちゃん」最終話観る。このドラマに堆積している時間、そしてその時間の堆積を感じさせている人と人との営みに涙が溢れる。最後のトンネルのシーンの美しさ。しかし、僕は“あまロス”とは無縁に過ごせそうだとも思う。僕にはドラマがいくつもある。もちろん、自分が今(生活圏を離れて)沖縄にいるというのも大きいのかもしれないが。

 昼、「88」というステーキハウスで昼食。昨日、クラムボンのmitoさんが定休日(だったっけ)で入れなかったとつぶやいていた店だ。少し行列に並んで、4000円弱する伊勢エビとステーキのプレートを注文する。ビールも一緒に注文した。注文の際に「焼き加減はどうなさいますか」と訊ねられ、たじろぐ。もちろん「レア」「ミディアム」「ウェルダン」があることくらい知っているはずなのに、普段ステーキなんて食べることがないからすっかり忘れていた。「焼きかたって何があるんでしたっけ」と間抜けな質問をしたのち、ミディアムに焼かれたステーキと伊勢エビとが運ばれてきた。一口、あまりの柔らかさにたじろぐ。


 食後、時間はあるので国際通りをぶらつく。早めにお土産でも買っておこうかと思ったが、似たような店が並んでいて、どこに入ったものだか判断に迷う。結局どこにも入らなかった。危口さんがかつて言っていた「観光地とは土地の演技である」という言葉を思い出す(最近その言葉ばかり思い出している)。今回はシャツを2着しか持ってきていないので、もう少し着替えを用意しようかとSTUSSYにも入ったが、こちらも何も買わずじまいだった。

 近くにある牧志公設市場へ。沖縄に出かける機会があれば覗こうと思っていた「市場の古本屋 ウララ」を目指して歩く。なかなか出くわさないなあとiPhoneで地図を確認してみると、既に通り過ぎてしまっていた。音楽を聴きながら歩いていると見逃してしまう広さだ。引き返して棚を眺め、ウララさんの本を含めて数冊購入する。購入するタイミングで挨拶できればと思っていたけれど、結局挨拶できずにお店を後にしてしまった。

 15時過ぎ、僕より少しあとに「88」でステーキを食べていた皆と合流する。4人はバスで、僕を含めた4人はタクシーを拾ってガンガラーの谷へと向かった。タクシーの中で缶ビールを飲んだ。運転手さんには伝わりやすいように「玉泉洞までお願いします」とお願いしたのだが、もう70は過ぎているであろう運転手さんは「はて?」という顔をしていた。沖縄でタクシーの運転手をやっていて玉泉洞がわからないというのは結構致命的ではないか。途中で何度か道を間違えてもいたけれど、その年齢の運転手さんにあまりキツいことを言うわけにもいかず、そっと「次で右に曲ったほうがいいんじゃないですかね」と伝えるのが精一杯だった。ただ、30分くらい乗車していたのに、料金は3000円ほどだった。沖縄のタクシーは古い型の車両が多いけれど、料金はとても安い。

 ガンガラーの谷にて、クラムボンの「ドコガイイデスカツアー2013」。10分ほど押して客電が消えると、ステージ後方、谷のほうから3人が降りてくる。1曲目の「サマーヌード」を聴いた瞬間、どういうわけだか涙が溢れて止まらなくなってしまった。僕はクラムボンの音楽を音源としてずっと聴いていたのに、ライブでその歌声を聴くのはこの日が初めてだった。何て素晴らしい歌声なのだろう。本当に、心を掴まれるというのはこういうことを言うのだな。あんまり楽しいので、ライブ中に7杯もお酒を飲んでしまった。

 終演後、タクシーで那覇市内まで戻り、まずは皆で「東大」というお店へと向かった。mitoさんも紹介していた店で、ガイドブックにも掲載されている居酒屋らしいのだが、開店時間はなんと21時半である。少し早めに到着して店の前に並ぶと、あっという間に行列ができた。皆で並んでいるあいだに辺りをぷらついてみたのだが、何とも言えない空間が広がっている。開店と同時に中に入り、焼きてびちなど数品を注文する。この焼きてびち、どういう料理なのか詳しいことはわからないけれど、あぶらのかたまりのような料理だ。一人で食べきれるヴォリュームではないが(8人で2皿頼んだがそれでも満腹になる量だ)、これを1品頼んでしまえば、ちびちび食べながら何時間でもお酒を飲んでいられそうな味だった。

 その後、再びタクシーに乗車して別の酒場に移動した。もうすっかり酔っ払っていたので、そこがどこだったのかわからないけれど、クラムボンの打ち上げも同じ店で行われていた。濃い会話に圧倒されていると、途中で合流した郁子さんが「あれ、今日まだひとこともしゃべってないよね?」と僕に言った。「今日のライブがあまりにも良かったので、もう何も言えないんです」と言いたかったのだけれども、そんなことを言ってもちょっとおべんちゃらみたいになってしまうと思って、「飲み過ぎちゃって」としか返せなかった。でも、本当に今日のライブは素晴らしかった。聴いていると、もう言葉なんて要らないんじゃないかという気になってくる。雄弁に語れば語るほど、何か遠ざかってしまうような気がする。とにかく、良かったのだ。僕がライブを観に行くのが好きなのは、結局のところ、自分が口を開くことなく音と直接繋がれるからではないか。そんなことを考えていた。もちろん、「口を開く必要がない」というのと「筆をとる必要がない」というのは別の話だと思っているのだけれど。


9月29日(日)

 7時半に起きる。8時40分、僕の泊まっているアパホテルで待ち合わせ、3人でレンタカーを借りに出かける。ハイエースに乗ってみるとさすがに大きい。いや、大きさよりもまず運転席の高さに戸惑う。戸惑いつつも県庁前に向かい、4人をピックアップしてまずは「A&W」という店を目指した。1963年に1号店がオープンしたという、沖縄に数店舗展開しているアメリカのチェーン店だ。ドライバーの特権として、僕の研究に皆を付き合わせた格好になる。

 この日訊ねた牧港店はドライブイン型の店舗。「A&W」のドライブインアメリカ式で、他の地域のようにクルマを降りて利用するタイプの店ではなく、クルマに乗ったまま注文するとそこまで料理を運んできてくれるタイプである。でも、僕らはせっかくなのでクルマを降りてみることにした。敷地内にはパラソルの並ぶ庭もあった。友人のドド子さんから、Coccoが「完璧な休日」のコースにこの「A&W」を含めていたと聞いていたが、たしかに、小さい頃にこんな店に出かけたら相当楽しいだろうなと思う。店内の雰囲気もアットホームで良かった。ルートビアというのも初めて飲んだ。風邪を引いたときに飲むクスリのような味をしていた。あんまり嬉しいもんだから、プレートに敷いてあった紙を持ち帰ってしまった。

 満足したところでハイウェイに乗り、12時前には美ら海水族館に到着した。3ヵ月前にも来た場所だけど、やはり大きな水槽を眺めるのは楽しい。小さな魚の入った水槽を眺めていると、どうしても「寿司が食べたい」と思ってしまう。水槽を一通り眺めると、皆はイルカショーに出かけた。僕も最初の数分は眺めていたけれど、調教されたイルカを眺めているうち妙に寂しい気持ちになって、3ヵ月前にも訪れたちょっとした砂浜に向かった。その砂浜の一部には「立ち入り禁止」と書かれたロープが張られていた。3ヵ月前に4人でこの砂浜を訪れた際、そのロープの向こう側にある岩陰に立ち入り、海にも足をつけていたのだけれども、そのときに「遊泳禁止です!」と注意されていたのだ。ひょっとしたら僕らのせいでこんなロープが張られてしまったのだろうか。

 30分ほど、ただただ砂浜と海を眺めていた。静かな波の音が規則的に響いている。波打ち際をじっと眺めていると、小さなヤドカリが何匹も歩いているのが見えた。皆同じ方向に向かって歩いていた。何か規則性があるのだろうか。1年くらい、ただただ海を眺めて過ごしてみたら何か見えてくるものがあるのかもしれない。15時過ぎに美ら海水族館を出発し、皆を桜坂劇場の近くで降ろしたのち、ホテルにクルマを駐車する。そのあとで再び皆と合流し、今晩の便で帰る2人を見送ったのち、ガンガラーの谷にてクラムボン「ドコガイイデスカツアー2013」ファイナル。今日は酒を控えめに聴いているつもりだったのに、結局この日もたくさん飲んでしまった。最後の曲は「ナイトクルージング」だった。

 何にしても今日も酔っ払ってしまった。終演後、タクシーで那覇市内まで戻ったところで限界を感じ、皆と別れてホテルに戻った。


9月30日(月)

 朝8時過ぎ、ホテルのすぐ近くにある定食屋「三笠」に入ってみると、もう既に3人は朝ごはんを食べ始めているところだ。それぞれポークたまご、ちゃんぽん(という名前だけどチャーハンのような料理)、とうふちゃんぷるーを注文している。どれも美味しそうだ。メニューに牛肉のショウガ炒めというのを見つけて、牛肉というのは珍しいなと思って注文した。お母さんたちがやっている、ほどよくくたびれた定食屋だが、ここは24時間営業なのだという。こういう店がある街に暮すというのは楽しいだろうな。

 食事を終えるとクルマを取りに行き、県庁前で皆をピックアップして、朝9時、定刻通りに出発。ひめゆりの塔平和祈念公園摩文仁の海、山の茶屋、新原ビーチ、糸数アブチラガマ、飯上げの道と、6月にまわった場所を中心にして各所で手を合わせてまわる。陸軍壕の近くにある鐘を鳴らしたところで16時半、最後の目的地は喜屋武岬だ。まだ日没までは時間があるということで、近くにある荒崎海岸に行ってみようという話になった。聞けば、青柳さんが一人で沖縄を訪ねた際、タクシーの運転手に「もう1つのひめゆりの塔がある」と連れてきてもらった場所だという。追いつめられたひめゆり学徒隊の子供たちの数名はこの荒崎海岸で射殺され、数名は手榴弾で集団自決した。

 海岸への入口あたりでは、泳いだりマリンスポーツを楽しむ人たちのクルマが何台か停めてあった。僕もそこに駐車しようかと思ってスピードを緩めていると、「もうちょっとまっすぐ行けるはず」と声がする。その「まっすぐ」の方向には轍が続いてはいるが、両脇には雑草がクルマと同じくらいの高さまで伸びている。柔らかい草だけでなく、硬そうな木の枝も伸びている。クルマのボディからはきぃーと嫌な音が小さく聴こえてくる、轍はでこぼこで、スピードを落として走っても車体は上下に大きく揺れる。ボロボロの気持ちでクルマを走らせていると、カーステレオからは「青い闇」が流れ始めた。あの瞬間に沸き起こった感情が、今回の旅で一番印象に残っている。

 荒崎海岸を眺めたあと、日没前に到着できるようにとクルマを飛ばして喜屋武岬へと向かった。18時過ぎには到着し、少しずつ色が変わっていく空と海を皆で眺めていた。

9月1日か15日

9月1日(日)

 朝8時に起きて、昨晩の日記を書き始める。11時過ぎ、部屋の清掃が入るので外へ出た。台風は熱帯低気圧に変わったはずだが、依然として激しい雨が降っている。地元の喫茶店でパソコンを広げるのは忍びなく、駅前のスーパー「サンリブ」の1階(のオープンエアーなスペースにある)出店に腰を落ち着ける。

 ウーロン茶と今川焼きを注文。今川焼きつぶあんにしようかクリームにしようか迷っていると、店員のおばさんが「おすすめはオランダ焼きです」というのでそれを選んだ。オランダ焼き、今川焼きにキャベツとベーコンとマヨネーズが入っている。ほとんどお好み焼きのような味だ。いちおう屋根はあるのだが、今日は雨も風も強いので、ノートパソコンのディスプレイに時々雨粒がつく。

 13時過ぎまでかかって原稿を書いたのち、昨晩行きそびれた日田まぶしの店「千屋」へ。日田まぶしと瓶ビール(サッポロ)を注文する。日田まぶし、要はひつまぶしである。薬味として用意されているのが唯一違うところで、この店では青ネギとわさび、それに柚子胡椒と大根おろしのセットが用意されている。注文するとすぐに運ばれてくる日田まぶし、うまいのはうまいが、タレと薬味がうまいとも言える。やはり鰻はひつまぶしより鰻丼なり鰻重なりで食べたいところだ。日田は水郷として有名で、川魚がうまい街だ。

 食後、パトリア日田へ。喫茶スペースで仕事したのち、17時、快快「6畳間ソーキュート社会」観る。今日は最前列正面の席で、昨日と違ってメモも取らず、その代わりたまに写真を撮りながら自由に観た(撮影可の公演だったのだ)。

 夜は打ち上げがあるらしかった。もちろん自分から訊ねれば済む話ではあるのだが、誘われてもいないのに「何時から?」と聞くのは悲しい。それを悲しいと思うのが僕の了見の狭いところだとは思うが、ひとりで飲みに出かけることにする。


9月2日(月)

 朝7時に起きる。心を落ち着かせて、8時、「あまちゃん」。地震が、やってきた。静かに見守る。9時過ぎにホテルをチェックアウトし、実家のある広島を目指した。広島駅に到着すると、例によって駅ビルにある「麗ちゃん」でお好み焼きを食べる。この駅ビル「ASSE」には「麗ちゃん」が2つ入っている。改札に近いほうの「麗ちゃん」にはいつも行列ができているが、一回り小さい「第2麗ちゃん」なら、大抵の場合すぐに入れる。どうして皆あちらに並ぶのか、謎である。10メートルくらいしか離れてないのに。

 食べ終えるとすぐに山陽本線に乗り、地元の駅へ。母親に電話しても繋がらないので、小雨の中歩いて帰ることにする。途中にあるセブンイレブンでビールでも帰っていくか――そう思って顔を上げると、そこにあるはずの看板が見当たらない。近づいてみると、建物こそ残っているものの電飾は外され、すっかり廃墟になっていた。

 このセブンイレブンが出来たのは僕が小学生の頃だ。それまでは酒屋で、僕の同級生の親がやっている店だった。だからセブンイレブンになってからも「その家の店」という印象が残っていて、雨で遠足が中止になって授業になった日、給食がないということを思い出して祖母がセブンイレブンで弁当を買ってきてくれたのだが、その茶色いビニル袋は、なんだか他人の家のごはんを恵んでもらっているようで気まずかったのを覚えている。

 店頭にはいつもその家のお母さんの姿があった。大人になって地元を離れてからも、帰省して店に立ち寄るたび、おばさんは「あら、休みが取れたん?」「先生(僕の祖母は地元の小学校の先生をやっていたり、短歌の会の講師のようなことをやっていたりしたので「先生」と呼ばれることがある)は元気?」と声を掛けられることが多かった。そうした風景が、突然消えてしまった。

 僕はこういうことに寂しさを覚えるのだなと改めて思う。あとで親に聞いた話だと、先週の金曜日までは普通に営業していたという。お店は比較的賑わっていたから、経営が急に傾いたとは思えない。何にせよ引っ掛かるのは、金曜まで営業していたという店が、その2日後に電飾や看板まで撤去されているということだ。

 ショックを引きずりつつ実家に戻り、祖母のところにも顔を出しにいく。母が冗談まじりに「誰かわかる?」と口にすると、祖母は不審そうにこちらを見て、「……誰?」と言った。これもショックだった。「誰?」という言葉より、祖母から向けられた目と数秒の間が、何よりショックだった。祖母はたしか、今年で86歳になる。

 部屋で落ち込んでいると、メールが届く。昨日18時頃に『もっと!』編集部のKさんに送っていたインタビュー原稿、オーケーの返事。たくさん話を聞かせてもらったインタビューだっただけに、「構成し直してほしい」と言われるかもしれないと思っていたので、オーケーをもらえてホッとした。

 今これを書いていて思ったが、こうして一喜一憂しながら死んでいくのだろうな。

 18時、夕食。ごはん、カレーコロッケ、肉じゃが、焼きそば。炭水化物と芋による献立である。焼きそばにはシイタケとしめじが入っていた。焼きそばにきのこを入れるだろうか? きのこぐらいしか特産品のない町がB級グルメで町おこしを考えればそんなメニューが生まれるかもしれないが……。僕がきのこを好きじゃないとわかっていて、なぜあえて入れるのか、謎だ。ひょい、ひょいっと丁寧に選り分けて食べた。


9月3日(火)

 昨晩は酒も飲まず8時頃眠ってしまった。そのせいで2時半には目が覚める。寝たり、原稿を考えたり、本棚に揃っている『稲中』を読み返したり、パズドラやったり、原稿考えたり。書いては消しを繰り返していた原稿、5時過ぎにとりあえず最後まで書ききることができた。まだ書きたいことはあるけれど、ちょうど『TV Bros.』編集部のMさんからメールが届いたこともあり、メールで送信してみる。

 1時間ほどで返信があり、「率直に言ってすごくいいです」とメールをもらえたので、それで完成とする。ホッとひと安心。Mさんはツイッターで「届いたテキストがすごくよかったのだが、こういうの読むと俺はまだまだ文章へたくそなんだなと痛感する」ともつぶやいていた。もしこれが僕のことだとすれば嬉しくもあるが、僕は原稿用紙で3枚ほどのそのテキストに2日くらい費やしている。いや、『cocoon』を観ていた時間などを含めるともっと長い時間が掛かっていることになる。それではダメだという気持ちと、それでいいじゃないかという気持ち、両方あるが、今はまだ後者のほうが大きい。

 窓の外を見ると朝焼け。気分が良いので散歩に出て、ちょっと高台になった場所から町を見渡す。部屋に戻り、ウトウトしながらパズドラをやったのち、8時、朝食とともに「あまちゃん」。冒頭、暗闇の中線路を歩くユイちゃんの姿に涙が出そうになる。アキは「(ライブは)『中止』じゃなくて『延期』だから、また来てけろ」と朗らかに言うが、ユイちゃんは「『中止』だよ。延期じゃなくて中止だよ」と口にする。「道がね、なくなってたんだよ」と。あれだけ東京に出たいと願っていたユイちゃんの道が塞がれるのは、これで一体何度目だろう。大丈夫だよユイちゃん、君の前にはちゃんと道はあるんだよ。そんな言葉が頭に浮かぶと、本当に涙がこぼれてしまいそうになったので、ごはんを食べることに集中した。

 さて、今日は何をしようか。締め切りのある原稿も終わったことだしどこかに出かけたいけれど、雨だからドライブに出かけても楽しくないだろう。野球でも観に行ってみようかと新聞を広げてみると、今日はマツダスタジアムで試合があるようだ。先発はマエケンだ。これは観に行くしかあるまいと、ぴあでチケットを購入した。これまで何度かマツダスタジアムに試合を観に出かけたが、いつもチケット完売で入れなかったので、今日はその反省を活かしてぴあでチケットを取ったのである。取った瞬間に、今日が雨であることを思い出す。

 18時、夕食。かぼちゃの煮物。チキンソテー。ハヤシライス。肉々しい夕食である。

 ローカル局のニュースでは、在宅医療が取り上げられていた。患者は膵臓がんで余命2週間を宣告された87歳の女性だ。明るく話しかけるドクターが、「広島カープの試合、観に行きましょうか」と提案する。彼女はカープファンなのだという。女性自身には余命宣告をされていないのか、余命を知った上で言っているのか、女性は「いいです、いいです」と遠慮する。周囲に迷惑をかけたくないのだろう、「元気になったら娘と生きますから」と言う。これ以上元気になることは、おそらくない。

 数日後、再びドクターが訪ねると、「やっぱり行きたいです」と女性はお願いをした。そして実際にマツダスタジアムカープの試合を観戦した。試合はカープが快勝し、女性の嬉しそうな姿がカメラに映し出される。彼女はその1週間後、静かに息を引き取った。最後に野球観戦をして愉しかった記憶を胸に亡くなったのだろう。僕は最後にどんな記憶を胸に死にたいだろう。


9月4日(水)

 9時過ぎに起きた。朝食、ハヤシライス(小)、トマト、ウィンナー、玉子焼き。今日は倉敷の「蟲文庫」を覗いてから東京に戻るつもりでいたけれど、この時間だとバタバタしてしまいそうだ。その予定は取りやめにして、少しノンビリしてから実家を出た。今思えば、これがまずかった。

 まずは広島に出てお土産を購入する。夜の打ち合わせ先に渡すもみじ饅頭と、もう1つ別のお土産と、あとは自宅用にアレコレ。前回帰省したときには(少なくとも目立つ形では)ディスプレイされていなかった、レモンを使ったお土産たちが目につく。気になるので、尾道檸檬ラーメン、広島レモンラスク、ウキウキレモン酒を購入。他にも何種類かレモン物が並んでいた。

 夫婦あなご弁当を購入し、11時37分発ののぞみ22号に乗車した。自由席はほどほどの乗車率だ。僕は1号車のE席に座る。これで電源は確保した。お弁当を食べたのち、パソコンを広げて日記を書き、『S!』誌の構成に取りかかった。ぼちぼち混雑してきたけれど、大阪、京都に至っても僕の隣りは空席のままだ。名古屋を過ぎてもこのままだといいんだけど――そんなことを考えていた13時半頃、新幹線が停車した。

 車内アナウンスが流れる。「ただいま、米原-岐阜羽島間で激しい雨が降っています。そのため、この電車は運転を一時見合わせます」。まあすぐに動くだろうと思っていたが、30分近く経っても運転は再開しない。特にアナウンスもないので、パソコンで雨雲レーダーを確認してみると、おお、大垣のあたりが真っ赤になっている。レーダーの予測を見てみると、激しい雨を降らせる雲は南北に細長く広がっていて、それがゆっくりと北に移動するようだ。これは長期戦になるかもなあ。ちょうど車内販売がやってきたので、ホットコーヒー(2杯目)、それから念のためにじゃがりこを買っておいた。

 まあ、僕としては電源さえあればゲームもできるし音楽も聴けるし、パソコンで仕事もできる、Wi-Fiも繋がるから特に困る環境にもない。時計を確認すると、止まってから既に1時間45分ほど経過しているが、他の乗客も特に慌てる様子はない。こうして「新幹線に乗客が閉じ込められた」というニュースを見るたび、車内はさぞ殺伐とした空気になっているのだろうなと思っていたけれど、僕の乗った車両にはまったりとした時間が流れていた。日本人はすっかり災害慣れしたのかもしれない。あるいは、ここ数日は各地で豪雨が続いていたから、新幹線が止まることを皆見越していたのかもしれない。ときどきデッキに電話をかけに立つ人はいるが、それも、普段の新幹線でデッキに立つ頻度と同程度だった。

 新幹線は17時過ぎになってようやく動き始めた。米原駅を通過し、皆がホッとしたところで再び新幹線は止まった。米原-岐阜羽島の雨は収まったが、今度は三河安城までの区間が集中豪雨に見舞われているらしかった。2度目の停車に、さすがに車内もざわつき始める。皆デッキに立って電話をかけたり、車掌さんに話しかけたり。車掌さんは走っていた。ツイッターで情報を検索すると、名古屋が水没しつつあるらしく、名古屋市全域が避難準備区域に指定されたという。これはひょっとしたら夜の打ち合わせに間に合わないかもしれないと、僕も席を立って連絡を入れた。

 今度は40分ほどで運転は再開された。僕の恐怖は、電車が再び止まることより、次の名古屋駅で大量の乗客が入ってくることに変わりつつあった。東海道新幹線が運転を見合わせているあいだに、その間の新幹線に乗車するつもりでいた人たちが一挙にこの電車に乗ってくるだろう。そうすると、車内の空気は重くなるだろうなあ。18時12分、名古屋駅に入線すると、ホームには人が溢れ返っているのが見えた。「名古屋駅、4時間23分遅れでの到着となります」との車内アナウンスに少し笑ってしまう。新幹線はあっという間にぎゅうぎゅうになった。ホームでは「後続の電車をご利用ください!」と何度も何度もアナウンスされていた。

 4分ほど停車し、東京へと出発する。名古屋を出てからは、さっきまでのことが嘘のように快調に走り、品川に到着する頃には遅れたぶんを3分ほど取り戻していた。品川駅の改札内には座り込んでいる乗客がたくさんいて、改札の前も掲示板を眺める人や駅員に絡んでいる人がたくさんいた。振り返って掲示板を見ると、そこにはまだ「15:47」という時刻が表示されていた。この日僕は8時間10分ほど新幹線に乗車していたことになる。

 高田馬場に戻り、打ち合わせ。連絡していたとはいえ、20分も遅れてしまって申し訳ない。1時間ほど打ち合わせをしたのち、スーパーで割引されたパック寿司とソーセージ、それにビール(麒麟「秋味」)を2本を買ってアパートに帰った。ドラマ「Woman」をオンタイムで観つつ晩酌。知人は体調を崩しているらしく横になっていた。ディスコミュニケーションという形のコミュニケーション。

 
9月5日(木)
 
 朝9時に起きる。朝食にバナナを食べつつ「あまちゃん」観る。懸命に玉子焼きを作る種市先輩を見て、初めて「格好良い」と思った。

 昼、もやし入りのマルちゃん正麺(醤油味)。『S!』誌の構成をじっくり完成させたのち、アパートを出る。さきほど、支度をしていて気づかなかったが、坪内さんから電話がかかってきていた。留守電が入っているようだったので、歩きながら聞くと、明日か明後日に出る『文學界』で、高橋源一郎さんが僕の『沖縄観劇日記』について触れているから、読んでみて、と録音されていた。とても嬉しいことだ。

 『沖縄観劇日記』、劇場で300冊近く売れたけれど、皆買うだけ買って読まないのではないかと思っていた。読んだとしても、その感想に触れることはほとんどない。ひょっとしたら誰も読んでないのではないかという気持ちにも時々なる。だから、読んで、それについて書いてくれる人がいるというのは嬉しいことだ。『沖縄観劇日記』は、もちろんマームとジプシー「cocoon」のサブテキストでもあるのだが、ちょっと、まだ観ぬ舞台と勝負するくらいの気持ちで書いた部分もある。

 坪内さんからの電話は『文學界』の件についての電話だったので、留守電を聞いてしまったからには電話を返さなくても済むといえば済む。もちろん、「留守電、聞きました」と電話を返したほうが丁寧ではあるけれど、ちょっと大げさかもしれない。少し迷ったけれど、今日は電話をかけたいという気持ちになってリダイヤルした。坪内さんはその件についてだけ話し、「またね」と言って電話を切った。

 坂を上がり、明治通りをぷらぷら歩いていると、Uさんの姿があった。これから「古書往来座」の店番らしい。お店に行って広島のおみやげを渡し、中沢新一細野晴臣『観光 日本霊地巡礼』(ちくま文庫)、『細野晴臣インタビュー』(平凡社ライブラリー)、大竹伸朗『ネオンと絵具箱』(ちくま文庫)、それに、あ、と思って坪内さんの『古くさいぞ私は』(晶文社)を買った。

 池袋に出て、「ジュンク堂書店」。東京に戻ったら買おうと思っていた松尾スズキ『人生に座右の銘はいらない』、それに内堀さんの『古本の時間』が目当て。他にも又吉さんの『東京百景』、宮藤官九郎みうらじゅんの対談本『どうして人はキスをしたくなるんだろう?』、それに大竹伸朗『ビ』を買った。

 近くの「みつぼ」に入り、モツ焼きとポテトサラダ、それにビールを注文。今日は蒸し暑くて腕に汗が滲む。こんな日はやはりビールがうまい。買ったばかりの『古本の時間』を開き、ぱらぱらめくってみる。7月26日に東京堂書店で開催された坪内さんの「辻説法」の打ち上げ、近くの「揚子江菜館」で行われた。2つのテーブルに分かれてお酒を飲んだのだが、僕の隣りに座ったのが中川六平さんだった。

 六平さんは僕のほうに向くと、開口一番、「今度内堀の本が出るんだけどよ、橋本さん、君の名前が4回くらい出てくるんだよ」と言った。六平さんと会うのはたぶん4度目くらいで、少なくともこの3年くらいはお会いしていなかったが、僕のことを覚えてくれているとは思わなかったので驚いた。『古本の時間』、をめくっていると、たしかに4度くらい出てくるけど、『HB』創刊号について内堀さんが書いてくれた原稿(初出で読んで喜んだのを覚えている)の中に僕の名前が4度くらい出てくるのだった。

 運ばれてきたポテトサラダには、ポテトの他にキュウリとニンジン、それにタマネギが入っていた。ゆるめのポテサラで、タマネギの辛さが際立つ味だ。ビールよりチューハイのほうが合いそう。六平さんがゆるゆると酒を飲んでいた姿を思い出す。7月、中川さんは「最近よぉ、肩が痛いんだよな」と言っていた。周りの人は酒を飲まないようにと止めていたが、こっそりお酒を飲んでいた。僕が自分のグラスに焼酎を注ぐと、「俺にも入れてくれ」とそっと頼まれたので、薄めに焼酎を入れた。六平さんは、くるくる回るテーブルから自分の小皿に料理を取り分けるとき、がさっと僕の小皿にも放り込んでくれた。放り込んだあとになって「食べてる?」と言った。

 六平さんには昔、「コクテイル」でばったりお会いしたことがあった。あれは『HB』を出して間もない頃だったと思う。そのときは「橋本さん」などと呼ばれなかった。「お前もよぉ、ちゃんと作品出さなきゃダメだよ」と六平さんは言った。いや、いま一応『HB』って雑誌を作っていて――そう言い返すと、「そういうじゃなくて、自分のだよ」と六平さんは言った。「そうだな、200枚ぐらい、評論でも何でもいいから、一回書いちゃえばいいんだよ。それぐらいの量があれば本にできるんだから。書いて、坪内んところでも、俺んところでもいいから、送ればいいんだから。坪内も喜ぶと思うよ」。六平さんはそう言っていた。そのことを、今日になって思い出した。そのとき、『HB』を出したばかりの僕は正直ムッとしていたけれど、今では六平さんが言っていたことが、少しくらいはわかる。

 19時、渋谷「WWW」。今日は豊田道倫&HEADZ presents「umtv」というイベントがある。

 この調子で書いていくと長くなりそうなのでざっくり書く。1組目のOptrum、初めて観た。あれはどういう仕組みになっているのか、蛍光灯が楽器になっていて、それを操作すると爆音でノイズが流れる。その音とドラムのサウンドが絡んでいく。まず画としての格好良さに惚れ惚れする。圧倒される。何だこの人たちは、何で蛍光灯で音を出してるんだ! と。外国人か、あるいは田舎から上京したばかりの人のような気持ちで、「東京にはすげえ人がいるもんだな」なんてことを思う。

 Optrumの演奏が終わり、転換のあいだに2杯目のビールを購入する。フロアに戻ると、快快の衣装担当・きょんちゃんに声を掛けられた。少し話していると、九龍ジョーさんの姿があった。「橋本君、細かいところまで見てるね」と九龍さんは言った。僕がツイッターで、『モーニング』の後ろのほうに掲載されていた活字ページで九龍さんが構成をしていた仕事についてつぶやいていたからだ。その話をひとしきりしたあと、「中川六平さん、亡くなったね」と九龍さんは言った。

 次のバンドは空間現代だった。僕はもう、空間現代を観るたびどんどん好きになっている。バキバキしたサウンドも、声の入り方も、好みだ。ザゼンを聴いているときの快感に近いものある。一見、地下室にこもっているようなサウンドだが、ずーっとリフを聴いているうち、ふとした瞬間に開放感が広がり、楽しくてついニヤけてしまう。彼らの演奏を朝まで聴けるバーがあったら通ってしまうだろう。

 30分ほど演奏したところで音がストップし、すたすたと古川日出男と蓮沼さんがステージに現れる。ううむ。それが終わると、豊田道倫&『MTV』バンド。最初は豊田さんが一人で現れて歌い始める。豊田さんの歌う姿を観るのは初めてで、ひょっとしたら聴くのも初めてかもしれない。聴いているうちに少しずつその歌声に引き込まれていく。ノレるとか、刺さるとか、そういうのとはちょっと違うけれど、妙に何か心に引っ掛かる。


9月6日(金)

 朝9時に起きて、日記を書く。書きながら、知人とOptrumの話もした。あの蛍光灯の人は伊東篤宏さんと言うらしい。伊東さんはもともと美術家としてインスタレーション作品を作っていて、その中で蛍光灯から音の出るものを作り、ライブ活動をするようになったのだという。美術や音楽界隈では、「伊東さん」と言えばどこに行っても「ああ蛍光灯の」と話が通じるらしい。知らないことばかりで、まったく、恥ずかしくなる。

 僕が「ああいう人って不思議だよね。もう蛍光灯以外なかったんだろうね。そういうところに目がいく人って何なんだろう?――毛利悠子さんとかも、地下鉄の水漏れフィールドワークをしてるじゃん。そういう、あえてそれを取り上げるとかじゃなくて、そこにしか目がいかないという人たちについて、誰か一冊にまとめてくれたらいいのに」なんて僕が話すと、「そういえば毛利さんも伊東さんも、あとコア・オブ・ベルズのメンバーも皆藤沢出身だよ」と知人は言った。藤沢って東京が普通に行けるくらいの距離にあって、でも別に藤沢の中で完結できるから、何かあるのかもしれないね、と。

「でも、何で今になって(空間現代とかOptrumとか、HEADZまわりの)あの辺に興味持ち出したの」と知人は言っていた。たしかに、今更かもしれない。でも、「今更」と言われる人たちのことがどれだけ記録されているのかはまた別の話だ。

 僕が日記を書いているうちに知人は二度寝してしまった。僕は自転車を漕いで「芳林堂書店」に急ぎ、『文學界』(10月号)を買い求める。店員さんに「同じ号を2冊でお間違いないですか」と訊ねられてしまった。帰りに「すき家」でねぎ玉牛丼(大盛り)とわさび山かけ牛丼(並盛り)を購入し、アパートに戻って『文學界』に掲載された高橋源一郎「ニッポンの小説 第三部」を読む。第18回となる今回のタイトルは「一九八五年に生まれて」で、マームとジプシー「cocoon」と古市憲寿『誰も戦争を教えてくれなかった』が論じられている(マームの藤田さん、そして古市さんは1985年生まれ)。

 その中で、昨日も書いた通り、僕の『沖縄観劇日記』も引用されている。「藤田貴大と『cocoon』の出演者たちの、沖縄取材旅行に同行した橋本倫史は、その取材ノートにこんなことを書きつけている」と。「取材ノート」、と思いつつ引用箇所を読んでみると、「話を聞きながら、僕はまた同じ泡盛を注文した」という、別段引用する必要のない箇所まで引用されていてちょっと嬉しい。その一文は、僕にとっては必要な一文でもあるから。

 14時過ぎ、知人と一緒にアパートを出た。原宿駅で知人と別れ、「VACANT」ヘ。今日からここでユリイカ×マームとジプシー×川上未映子「初秋のサプライズ」というリーディング公演があるのだ。制作のはやしさんから急遽撮影を頼まれたのである。僕はこの人たちに頼まれたことは(出来うる限り)何でも応えようと決めているので、すぐに「撮ります!」と返信をしていた。

 マームとジプシーは、去年の夏にもリーディング公演を行っていた。そのときは本当に「リーディング」だった。だから、そんなには撮りようがないかもしれないと思っていた。だが、「VACANT」の2階に上がってみて驚く。そこにはしっかりと舞台美術が用意されていて、zAkも、チリやイタリアで音響を担当していた角田さんもいる。照明もかなり作り込んである。

 呆気にとられていると、青柳さんが近づいてきて「急なお願いですいません。よろしくお願いします」とお辞儀をした。これは気合いを入れて撮らなければと心を新たにする。今日は標準レンズしか用意してこなかったけれど、この景色は広角レンズで収めたいと思い立ち、「(通し稽古の始まる)16時までには戻ります」と言い残してタクシーを拾い、渋谷のビックカメラで4万円の広角レンズをクレジット払いで購入し、再びタクシーで「VACANT」に戻った(この間15分ほど)。

 16時、通し稽古が始まった。客席が結構縦長に用意されていて、藤田さんやzAkさん、角田さんはその後ろにいるので、ステージの近くには僕しかおらず、一人で青柳さんに対峙させられているような気持ちになってくる。圧倒されつつ、踏ん張って写真を撮った。

 通し稽古の途中で、『ユリイカ』編集長のYさんと、それに川上未映子さんがやってきていた。僕がカメラを片付けつつ、藤田さんと少し話をしていると、川上さんが近づいてきて藤田さんに「ご挨拶させていただいてもよろしいですか?」と言っている。そこは音響卓のすぐ近くだったから、ああ、音響の角田さんに挨拶するのかなと思い、その場所から離れようとした。藤田さんが「ああ、もちろんもちろん」と言うと、川上さんは僕のほうに向き直り、「初めまして、私、今回のテキストを書かせていただいております川上未映子と申します」と言った。

 僕は動揺して、アワアワしながら「も、ぞ、もちろん存じ上げてます」と答え、「ライターの橋本と申します」と挨拶した。「私、いつも日記読んでました。イタリアとチリで、皆さんが素敵な時間を過ごされているのを真夜中に、読んでたんです」。こうして文字にすると慇懃無礼に見えてしまうかもしれないが、まったくそんな感じはなく、とても柔らかな人だと思った。そしてとてもまっすぐな人だとも思った。

 開演を待つあいだ、どこかで酒でも飲もうと通りに出る。明治通りに出て店を探すか。そう思っていたが、「VACANT」があるのとは一本違う筋に赤提灯があるのが見えた。近づいてみると「ふくや」というおでん屋で、晩酌セット(ビールとおでん3品盛り)が580円だ。店に入ってそれを注文し、ビールを飲み始めていると、外国人のカップルがやってくる。店員は店長ひとりだけで、英語は得意ではないようだ。僕も説明してあげたいが、「おでん」を何と説明すればいのかわからない。店長は現物を見せて説明していた。僕は「あなたが食べているミートボールは何なのか」と訊ねられた。魚のミンチで……と説明すると、日本語で何と言うのかと男性が言う。TSUMIRE、と教えてあげる。

 お店にはポテトサラダもあったので注文する。いくらだったか、メモしなかったので忘れた。ハムが添えてある。ポテト、ニンジン、それに瓜のような野菜が入っている。ポテトサラダというより、乱切りした野菜にマヨネーズベースのソースを絡めたサラダといった趣き。甘めの味付けだ。このポテサラは何が合うだろうか、やっぱり焼酎の水割りかな。追加で里芋の煮物を注文しつつ、カメラで撮ったばかりの写真を確認する。青柳さん、改めて、すごい役者だなと思う。「cocoon」が終わって3週間だが、しっかりとそれを更新している。

 大将に話を聞くと、このおでん屋、7月22日にオープンしたばかりだという。「普段はこのあたりのお店の店員さんなんかが、お店(の従業員)ごと来てくれることが多いですね。原宿でおでん屋なんてっていうんで、面白がって冷やかしにくるお客さんも多いですけど。まあ、私としても半分ギャグを込めてこんな場所でおでん屋始めたんですけどね」と大将は笑っていた。


9月7日(土)

 朝9時に起きて「あまちゃん」。次週予告を見ると、いよいよ物語を閉じにかかっているなと感じる。もう今月で終わってしまうのだなあ。ニュースを見ていると、2020年のオリンピック開催地がもうすぐ決まると伝えている。ふうん。猪瀬知事がブエノスアイレスで記者会見している、右隣にはフェンシングの太田雄貴、左隣には滝川クリステルが座っている。滝川クリステル……?

 今日も「すき家」でねぎ玉牛丼(中盛り)を食らい、上野へ。3ヵ所ほど回りつつ仕事。16時45分にすべて終了し、急いでアパートに戻る。昨日の写真をCD-Rに焼き、今日も原宿へ出かけた。休日はさすがに混み合っている。ラフォーレでは誰かがDJをやっているのが見える、「VOGUE girl × Laforet HARAJUKU」と書いてあるのが見える。明治通りを挟んだ向かい側でも、新しい店のオープニングだろうか、人だかりが出来ている。少し離れたところには法被を着た人たち、地元のお祭りもやっているのか。カオスだ。

 開場時間まで入り口にあるチラシを物色し、「こちらから2列で並んでください」と店員さんが言った瞬間にスッと先頭で並んだ。今日も川上未映子×マームとジプシー「初秋のサプライズ」を観にきた。本当は昨日のぶんしか予約してなかったが、知人にも見せよう(そして自分ももう一度観よう)と制作・はやしさんに無理言ってお願いしたのである。

 舞台の下手側にあるベンチを選んで座った。ドリンクチケットをビールに交換し、ぼんやり過ごす。蝉の音が流れている。あそこにあの人がいる、あそこにはあの人がいる。他愛もない話をするフリをしながら、知人にこっそりしゃべっていた。ミーハーだし嫌な客だなと自分でも思う。

 トイレに立ったついでに、受付でビールを4本追加購入する。受付の人は(今「4本」って聴こえたけど、私の耳、おかしくなっちゃったのかな?)と、しばらくキョトンとしていた。1本が知人のぶん、残りの3本は僕のぶんである。

 19時過ぎ、開演。今日も「冬の扉」からリーディング公演は始まった。タイトルにある「冬」を思わせる、シンとした始まり。だが、次第にリーディングはグルーヴを帯びてくる。2本目の「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」でそのグルーヴは爆発する。同作は関西弁で綴られた作品だが、青柳いづみの関西弁が意外としっくりくる。これはこの日のアフタートークで語られていたことだが、川上未映子さんも「イントネーションにはこだわらなくてもいい」と了承し、藤田さんも「青柳弁でいいよ」と言っていたらしいのだが、しっかりしている。もちろん細かいことを言えばいくらでも言えるだろうが、捲し立てられる言葉によって表される衝動がそこにある。まさに「青柳弁」と言うほかない。

 終演後にはアフタートークがあった。その間に僕は赤ワインを追加で買い求めた。トーク、あれこれメモしたことはあるが、一番印象に残っているのは、「エモい」と言われることについてどう思うかという山本さんの質問だった。藤田さんは「エモーショナルであることを隠すことはすごくダサいと思っている」と答えていた。トークが終わったあとで、2冊買っていた『文學界』のうち1冊を藤田さんに渡し、CD-Rをはやしさんに渡し、知人とふたり「VACANT」を出た。竹下通りでクレープを(僕だけ)食べたのち、高田馬場に戻って酒を飲んだ。


9月8日(日)

 昨晩は「VACANT」の時点で結構なお酒を飲んでいたので、アパートに帰る頃にはすっかり酔っ払っていた。テレビをつけると、どのチャンネルもオリンピックがどうたらと言っている。どうやら最初の投票でマドリードが落選したらしかった。どの局も特番をやるほど盛り上がってたっけ、と少し不思議な気持ちになった。テレビをつけたまま眠ってしまい、明け方に何やら騒がしく、目を開けると「東京開催決定」という文字を見てテレビを消したような気もするが、きっと気のせいだろう――。朝8時に目を覚まし、テレビを付けてみると、本当に2020年のオリンピック開催地は東京に決まったらしかった。

 ツイッターを開くと、やはりネガティブなことを言っている人を多く見かけた。反対する理由は様々あるだろう。何にせよ、僕としては、「オリンピックがくるのって、僕が住んでる、この東京ですよね?」というくらいの感覚だった。「東京オリンピック」と言われてもどこか他人事に感じてしまうくらい、「東京」という規模に対して何か思うことは難しくなっているのではないか。

 何にせよ、最近引っ越し先を考えていた僕としては、一つの指針が出来たようにも思う。僕がその規模にリアリティを持とうが持つまいが、「東京」という場所は変わっていくだろう。ぼんやりしていたら何が変わったのかもわからないくらいぬるりと変わっていくだろう。だから僕は、この7年の変化に目を光らせて、この都市に居続けたいと思う。大きな変化は誰かが書いてくれるから、小さな変化に目を光らせたい。そのためには、どこに住んだらいいだろうか。そして、東京オリンピックの期間中の風景を記録するためには、どこに住んだら面白いだろうか。

 何にせよ、もっともっと目を養いたい。

 午後、知人と一緒に出かけて「ザ・ハンバーグ」で昼食。僕は250グラムのハンバーグ、知人は200グラムのヘルシーハンバーグ。知人は「ちょっとちょうだい」と言ったが、僕は何かを混ぜたハンバーグ(に模した食べ物)なんて食べたくないから断った。が、おそらく無意識なのだろうが、知人がチラチラと僕のハンバーグを見てくるので、ふた口ぶんだけ交換した。ヘルシーハンバーグ、意外とうまい。次からはあれを注文しよう。

 新宿のLUMINEを冷やかしたのち、知人と別れて吉祥寺へ。バサラブックスを覗き、最近創刊された双子のカルチャー誌『ニニフニ』、それに勝新太郎若山富三郎の文庫本を購入する。少し歩いて「MANDA-RA2」の場所を確認し、すぐ隣りの酒場に入った。ビールを飲みつつ松尾スズキ『人生に座右の銘はいらない』を読んで、背筋をしゃんとさせる。

 今日は「MANDA-RA2」にて前野健太さんのライブ「夏が洗い流したらまた」がある。前野さんは、ときどきこうして季節を見送るようなタイトルのライブを行う。このライブハウスは初めてだが、椅子がたくさん用意してある、もっと早く列に並べばよかったかもしれない。

 僕は最後方にまわり、何杯もお代わりをしながらノリノリでライブを聞いた。前野さんはときどき、びりびりと感電したように強く歌う。そのびりびりが、鋭く刺さる。最近始まったドラマ「夫婦善哉」にも登場する「俺と共鳴せえへんか」というフレーズを思い出した。昨日や一昨日にも思ったことだけど、こうしてエモーショナルなパフォーマンスに共鳴し酒を飲む時間が、僕は大好きだ。

 終演後、今日のライブに誘ってくれた『なんとなく、クリティック』のMさんと2人、ハモニカ横丁へ。「ハモニカキッチン」(2階)に入り、Mさんはビール、僕はホッピーを注文して乾杯。何年も前に友人のAさん、N村さんと3人で来たのをこの店に来たときのことを、今でもはっきり覚えている。あの日はほぼ貸切状態だったが、今日は4人組の男女のお客さんが2セットいて、2組とも大いに盛り上がっている。僕も、そしてMさんも声が小さいので会話に少し手こずった。

 ライブの感想などを話しているうち、ケーキを持った店員さんが上がってきた。片方のグループの中に、誕生日の女性がいるらしかった。26歳になるのだという。お愛想程度に手拍子をしていたのだが、お裾分けにと僕たちのテーブルにもケーキを切り分けてくれた。既に注文していたタクアンの玉子焼き、それにポテトサラダと一緒に並ぶ、桃のケーキ。ポテトサラダは、マッシュポテトっぽさの強い味だったような気がするが、そのあとに食べた桃の甘さばかりが印象に残っている。


9月9日(月)

 17時過ぎ、或る街に飲みに出かけた。ガード下にて、どの店に入るか考える。17時半の時点で看板が灯っているのは3軒ほど。その中でも一番敷居の低そうな店(つまり明るくて一番綺麗な店)に狙いを定める。勇気を出して、引き戸を開く。L字型のカウンターにはお客さんが3人ほど座っている。そのうち1人はさっきすれ違った40歳くらいの女性。それに50代くらいの亀和田武さんに似た男性と、60代くらいの男性がそれぞれ座っている。

「1人なんですけど、いいですか」と店主の女性に声を掛けると「どうぞどうぞ。何かをご覧になっていらしたんですか」と声をかけられた。「いえ、この辺りを散歩していて――」と、咄嗟に嘘をついてしまう。まずはビールを注文する。カウンターはぎりぎり6人座れるくらいの狭さだ。シュウマイ、小松菜のおひたし、鶏肉と里芋の煮物、枝豆などが大皿に盛られている。僕の左隣にいる男性が「今日は3杯くらいで帰ろうかな」と言うと、右隣の女性が「ええ? 具合が悪くなっちゃいますよ」なんて笑っている。

 僕がビールを飲み干すと、女性のお客さんが「勝手にお勧めしちゃいますけど」と声をかけてくれる。常連さんがよく飲むのは抹茶割り。お湯割りと水割りとがあるんですけどね。ママのお手前があるんですよ」。

 亀和田さんに似た男性が「抹茶割りはね、たしかに皆飲むし、一見すると見大人しいけど」と言葉を添えようとすると、ママが「お強いほうですか?」と僕に訊ねた。

「はい」と僕。

「『はい』って言っちゃうと――ああ、そんなにじゃぶじゃぶいっちゃう!?」と亀和田さんはカウンターを覗き込んでいる。僕も一緒になって腰を上げてみると、チューハイグラスには半分以上が焼酎で満たされている。氷は入れていない段階で、だ。隣りの女性客は「もう気に入られてますよ」なんて言っている。

 お客さん同士は皆知り合いらしかった。亀和田さんはママの息子の歴代の彼女を2人も知っているらしい。当時はギリギリ10代だったその息子さんも、今や30代だという。亀和田さんはママさんの娘のことも知っているらしかった。「まだ独身の頃に来られてて、僕が娘さんに『お酒継いでくれ』って言ったの。そしたら渡し、頭をバチーンと叩かれました。『私は従業員じゃない』って」

 亀和田さんはほどなくして帰って行った。外で飲むのは1日2合までと決めているらしい。他のお客さんも1日の酒量をキチンと決めていて、毎日の日課をこなすようにしてここで飲んでいるようだった。それをもう10年以上続けているのだろう。

 僕よりあとにやってきたお客さんが言う。「この路地はねえ、昔は15、6軒くらい店があったんだよ」

「そうそう。××の人がよく来てて。今はお店も少なくなっちゃったけど、JRとしてはもう店をやらせたくないんだろうねえ」

 NHKでは東京オリンピック関連のニュースを伝えていた。「オリンピックをやるんだったら、こういう路地もアピールしたらいいと思うんですけどね」。僕がそうボヤくと、「そうそう。まあ、あんまりたくさん来てもらっても困っちゃうけどね」と別の常連さんが言った。

「こんなところで言ってないでさあ、もっとちゃんと声挙げなきゃ」と、さっきとは別の女性の常連さんが言った。「さ、もう酔っ払ってきたことだし、じゃあ行きますか」――さっき来たばかりなのに、もう帰っちゃうのかなと思って様子を伺っていると、お店のママさんは女性にマイクを手渡した。そろそろ帰るということではなく、そろそろ歌をうたおうか、ということらしい。

 1曲目に入れられたのは五木ひろし「そんな夕子にほれました」だった。「知ってます?」と女性に尋ねられたが、僕は古い歌をちっとも知らない。その女性は「お兄さんも何か歌ってよ!」としきりに言っていたけれど、古い歌も知らないし、何よりその女性と、その連れの男性の歌があまりに上手く、畏れ多くて歌うことができなかった。2曲目も五木ひろしで「夜明けのブルース」だった。他のお客さんも「松山〜♪」と合いの手を入れている。やはり昔の歌はこうして皆が知っているんだななんて思っていたが、曲のラストに「2012年」と出ていた。「レーモンド松屋はやっぱりいいねえ」などと皆で言い合っている。

 しばらく歌うと、皆それぞれのタイミングで帰って行った。20時の段階で、お客さんは僕ひとりになってしまった。ここでようやく、なぜこの店を訪れたのか、ママにきちんと話をする。

 ママさんはこの路地が出来た頃からお店をやっているわけではなく、何代目かとしてこの場所で店を開いたのだという。でも、いまだに最初のママさんを知るお客さんが昔を懐かしんでやってくるらしい。最初のママさんは、2階でこどもを育てながら店をやっていた。お店が休みの日でも、下からお客さんに呼ばれたらお酒を飲ませていた。この狭い店でもこどもを育てて生きていけたのは、常連さんで賑わっていたからではないかと今のママさんは語る。

「その頃は一見さんお断りだったんでしょうね。私がここに来た頃にも、そう銘打ってる店がまだありましたよ。この広さで2人でやってるとこだってありましたからね。鍵が閉まってて、窓から顔をのぞかせてトントンって叩いたら、顔を見て入れる。そういう店もありましたよ」

 今のママさんが店を始めたのは1990年頃だという。つまり、昭和が終わる頃だ。その頃まではまだ、こうした路地は賑わいを見せていたのだろう。一見さんお断りのガード下の店でお酒を飲むサラリーマンがたくさんいて商売が成り立っていたのが、昭和という時代ということなのだろうか。


9月10日(火)

 9時に起きる。日記を書くなど。知人が「最近、思いのままに食べてるよね」と言う通り、すっかり体重が増えてしまった。夕方、チマチマと40分かけて5キロ走った。今日は何もしていないけれど、久しぶりに身体を動かしたので妙な達成感がある。19時、早稲田「あゆみブックス」でAさんと待ち合わせ。久田将義関東連合 六本木アウトローの正体』、『釜ヶ崎語彙集1972-1973』など買い求める。

 今日の目当ての酒場は「大勇」である。先日、Aさんから届いたメールを読んで、学生時代に「大勇」を訪れたことを思い出した。坪内さんの授業後のあと、いつものように「金城庵」で飲んで、坪内さんから1万円を渡されて学生で飲みに出かけたのである。僕は「お金を預かっている」ということばかりに気を取られていたのか記憶が薄いのだけれど、その席に中川六平さんもいたはずなのだ。「大勇」に行ってみれば当時のことを思い出すかもしれないと思ってAさんと約束をしたのだが、店には臨時休業の看板が出ていた。

 すっかりあてが外れてしまった。高田馬場まで戻り、Aさんのリクエストで「れもん屋」へ。僕が日記に書いているのを読んで以来、お好み焼きが食べたくて仕方がなかったという。瓶ビールで乾杯し、広島菜、イカのげそ焼きをつまむ。2杯目はホッピーセットを注文し、塩ホルモンを追加したのち、お好み焼き(エビ入り)を1枚だけ注文した。Aさんは紅ショウガをたっぷりのせて食べていた。それにマヨネーズもかけていた気がする(Aさんはマヨネーズが苦手だったような気がするのだけど……記憶違いだろうか)。

 Aさんとは東京オリンピックの話をした。日記にも書いたように、これから7年の変化に目をこらしたい――僕がそう言うと、「7年って言ったら、我々が(大学を)卒業した頃ですよね」と言った。そうか、今から7年遡ると2006年か。あっという間のようにも感じるし、つい最近のようにも感じる。いずれにしても、ボンヤリしていたらあっという間に過ぎてしまうだろうな。

 お好み焼きを食べ終わったところで店を出た。N村さんも合流し別の店にハシゴし、オープンエアーな席で飲み始める。まずはポテトサラダと水なすを注文。ここのポテトサラダは胡椒が効いていて酒に合う。楽しく飲んでいると、僕のすぐ右隣にあるノボリがはためいているのが視界に入った。端っこがほつれているのか、糸のようなものがひらりと翻ったのが見えて、ノボリを確認したのだが、どこもほつれてなどいない。まさか!と足を踏み鳴らすとカサカサと物音がした。ネズミだ。

 僕がビクビクしていると「さっき、店の手前の道端でも走ってましたヨ」とAさんは平気そうだ。僕はもう気が気じゃないので、Aさんがトイレに立った隙に席を交換した。Aさんは「ドブネズミならともかく、かわいいもんですよ」と言っていた。「ハムスターだってネズミでしょ」とも言っていたが、何が嫌って、あのカサカサコソコソとした動きが嫌なのだ。じっくり、のそのそと動いてくれたら気にならないものを。そうボヤくと、「しょうがないですよ、心拍数だって速いんだから」とAさん。

 席を移動したところで知人もやってきた。飲んでいるうち、再び東京オリンピックの話題になった。7年先のことを考えているうち、ふと、AさんとN村さんに聞きたいことが思い浮かんだ。それは、何歳まで生きたいと思うか、だ。Aさんは80くらい、N村さんは75歳だと答えた。僕は90くらいまで生きていたい。この話をするたび、「こんな生活してて長生きできるわけないじゃん」と知人に言われてしまう。でも、できることなら、今から100年後の風景も見てみたいと本気で思っている。


9月11日(水)

 10時過ぎまで寝ていた。起きて「あまちゃん」、録画しておいた「リミット」や「スターマン・この星の恋」観る。「スターマン」、久々の広末涼子主演ドラマ、脚本は岡田惠和、演出は堤幸彦と万全の布陣であるにもかかわらず、最後まで何が描きたかったのかちっともわからないドラマだった。最後まで観れば何かわかるかとも思ったが……。

 昼過ぎ、知人と「コットンクラブ」でランチセット(千円)。知人はボンゴレ・ビアンコ(100グラム)、僕はイカと明太子のパスタ(140グラム)。注文するとサラダが運ばれてくる。通路にジュースやコーヒー、スープやデザートが並んでいてお代わり自由だ。スープ、セロリが入っていておいしい。

 もろもろ業務連絡を終えたあたりで夕方のニュースが始まった。テレ朝はトップで「みのもんた次男 逮捕」と報じている。えっ、今日ってそんなことがトップニュースになる日なのかとチャンネルを回すと、日テレは「“汚染水”遠のく漁業復興」、TBSは「大震災から2年半」、フジは「現地の市民も『こめんなさい」』とトルコの事件を報じていた。テレ朝は、震災当日の報道にも感じたことだが、ちょっと下品だ。

 夜、知人は今日も遅くなりそうなので一人で飲みに出かける。こうして早い時間から飲みに出かける店がちっとも思い浮かばず、何となしに新宿に出て「しょんべん横丁」へ。カメラを持っている人をよく見かける。4、5人の老人グループが観光しているのも見かける。賑わっている店も多く、若い客もたくさん見かける。

 そこそこ空いている店を選んで入った。入口近くには外国人のカップルが座っていて、隣りにいる女性客が流暢な英語でメニューを説明したり、日本語の特異性について説明していた。7年後、東京オリンピックに向けて来日した人たちとコミュニケーションを取りたいとボンヤリ考えていたけれど、こうして英語ができないと話にならないよなあ。7年あれば少しは話せるようになるだろうかと考えつつ、ポテトサラダとビールを注文した。ほどなくして運ばれてきたツキダシを見るとマカロニサラダだ。サラダがかぶってしまった……。

 ほどなくしてポテトサラダも運ばれてくる。玉子が入っているのか、ほんのり黄色いポテトサラダ。厚めのベーコン、ニンジン、キュウリが入っている。玉子の黄身とベーコンの持つ甘みは、ビールの進む味だ。これにもう少し胡椒を振ってくれたら最高なのに。あるいは、キュウリを抜いてくれたら甘みに集中できるんだけど――そう思いつつポリ、ポリ、ポリといつまでもキュウリを噛んでいる僕は、何だかんだでこのポテサラを楽しんでいる。

 腹を満たしたところで、久々の新宿3丁目「F」。1時間ほど積もる話をしたのち、新宿5丁目「N」に移動すると、Oさんの姿があった。今週末、僕は弘前に出かける予定がある。Oさんは弘前出身なので、おすすめの店をいくつか教えてもらった。マエケンのライブを観に行くだけのつもりだったが、話を聞いているうち、楽しみが増えていく。


9月12日(木)

 昼近くまで寝ていた。こんなことではダメだ。

 メールの返信や請求書の発行など、諸々作業をしているうちに夕方だ。新宿北郵便局に出かけたのち、「古書現世」で少し雑談。夜、池袋・東京芸術劇場にて「God save the Queen」。若い、5人の女性劇作家によるショーケースである。入口のところに今回のコーディネーターを務めている徳永京子さんが立っていた。「橋本さーん!」と、徳永さんはいつも笑顔で手を振ってくれる。徳永さんに会うたび、こういう大人になりたいと心のどこかで思っている。

 今回はうさぎストライプ、タカハ劇団、鳥公園、ワワフラミンゴ、Qの5団体が参加していて、僕にとって印象深かったのは鳥公園とQだ。

○鳥公園「蒸発」

 毎日、隣人「ひろき」の生活を覗き続ける女・森すみれ。ひろきと彼女は知り合いでも何でもなく、「ひろき」という名前も勝手につけたものである。ひろきがオナニーをしている描写。その描写や、カップヌードルをその道具にすると云々という話は書き割り感があるが、ひろきがコンビニで売られている冷やし中華を作っている工場でアルバイトをしている最中、思わず(流れ作業を続けたまま)冷やし中華でオナニーしてしまうという描写(もちろんこれも覗きをしている女の妄想だと思うが)は中々面白いと思った。そういう、粛々とした「作業」みたいなところはあるよね、と。

 森すみれには同居人の女性がいる。その二人の会話や、突然飼っているニワトリとセックスを始めるひろきの話などを聞いていると、隣人、というもののわけのわからなさについて思う。この「何言ってんだコイツ」感はすごいと思う。

 この作品を観ながら、僕は1年前の快快「りんご」のプレ公演を思い出していた。そこで読まれていたテキストの一つを。

 私はあと3時間で死ぬらしい。
 今日はよく晴れた冬の日曜日で、死ぬのには申し分ないお日和です。
 死神さまありがとう。
 一文字でいうと「凛」
 みたいな
 美しくて強い生き物のことが閃いた。むかしの、記憶なんだろか。
 44歳。
 同居人はいるが、子供は作らなかった。貧しい生活は人間の根性を腐らせる性質がある。家庭とは金持ちだけの持ち物なのだ。
 仕事は適当にしている。清掃バイトなど。そのときどきによって違うが、ほとんどその日暮らしだ。テレビと酒、あと昼寝が楽しみで生きている。だれにもいちゃもんつけられることのない毎日はとても居心地がいい。
 同居人は出会ってから15年、ずっと本の自炊をしてる。
 本をバラバラに切り離して、専用のスキャナーで読み込んでデータ化する。
 新刊をいち早く、狂いなく、安価で配布しているためファンが多い。どんな世界にもプロはいる。
 部屋はいつも、内蔵を取り出され、皮を引きはがされたように背表紙や細い紙くずが散らばっていて、屠殺場のように思うことがあった。
 私は着の身着のままでF市に向かう。
 嫌われないように歯磨きだけは済ませた。
 同居人には、「ありがとう。またね。」と短い書き置きをした。
 大観衆の中、レースは始まり私はビールを飲みながら結果を待つ。
 由緒正しい両親から生まれ、負け知らずのサラブレッドのウィニングラン
 その大きくて、しなやかで、つるつるで、さらさらで、強くやさしく美しい馬にふらふらと歩み寄った。
 サラブレッドはそこにいて、大きくて澄んだ目で私を一瞥した。
 後ろに回り込み「お願いします」と頭を下げると、彼は鼻息まじりに私の脳天をスコンと蹴り上げ、私はスコンと死んだ。
 こんなに理想的な死はなかった。
 あー今度生まれてくるときはなんでもいいからプロになりたいなー。

 ラスト。タイトルの「蒸発」の通り、舞台が暗転すると、そっと役者たちはハケていき、明転したときにはセットだけが残されていた。カーテンコール的に役者たちが出てくることもなかった。この掴みどころのない、モヤモヤとした手触りは何だろう。僕はたぶん、鳥公園の芝居を観るのは今回が初めてだが、もっと何度も観たくなる芝居だと思った。

○Q「しーすーQ」
 父親の経営する寿司屋「シスロー」を継いだ女・ヒトミ。ヒトミの幼馴染で、友達のよしみで「シスロー」でバイトしている遠藤エイコ。舞台に登場したときから彼女はスルメの足をかじっている。それからもう一人、お父さんがどこかから連れてきたというイカちゃんもまた、この店で働いている。エイコはエイと人間のハーフ(エイの性器が人間の女性器に似ている〔この話が本当かどうかはしらない〕ことから、昔の漁師がメスのエイが上がると云々という伝説をもとにした話だろう)。イカちゃんは、イカとのハーフ(だっけ? ぶっ飛び過ぎてあまり細かいところを覚えていない)で、ヒトミちゃんとはタネ違いの姉妹である。一見するとやぶれかぶれで、実際破綻している――というか、まとめる、というようなことは目指してもいないのだろう。この芝居でも笑いが起こるけれど、底知れぬ異様さがあって震える。

 こんな話だから、「海」というモチーフも登場する。話というか、発想のスケールがあまりに大きく、海に飲み込まれているかのような感覚に陥る。この「Q」を主宰する市原佐都子さんが面白いのは、扱う対象やモチーフに対して何一つ仮託していないように感じること。具体的に言うと、前回観た作品では、淡々とアルバイト生活を送る女が唯一の楽しみとしているのが関ジャニのひなちゃん(村上信五)の出たテレビ番組を観ることという設定になっていた。今、そうした設定でひなちゃんを持ってくるのは絶妙なテレビ的感受性だと僕は思っていたのだが、知人が市原さんに会ったとき、「ひなちゃんの話が出てくるらしいですね」と話しかけると、「はあ……(?)」と、何の話をしているんだろうという反応されたのだという。こういう、「私」の輪郭の見えない作家は、僕からするとつかみどころがない。このつかみどころのなさというのも、ある意味、今回「God save the Queen」で提示されようとした新しい感性でもあるのかもしれないな。

 それから、うさぎストライプの「メトロ」という作品も気になった。

 ステージには向きを互い違いにしたイスが並んでいる。そこに役者がひとり、またひとりと現れて座っていく。タイトルも「メトロ」だし電車かな、と思っていると、最後(4人目)に入ってきた役者が吊り革を掴むような仕草を見せる。「その人は、いつも、千代田線の一番前の車両に乗っていて」と李そじんが語り始めて芝居が始まったのだが、ここで「千代田線」という名前をなぜ出したのだろうなと、僕はずっと考えていた。

 しばらくすると、役者がポツポツとイスを並び替え始める。イスを円形に並び替え、その周りをぐるぐるまわる役者たち。この循環はあきらかに繰り返される日々の営みを意識させる(し台詞もそういった内容を語らせている)けれど、だとしたらなぜ千代田線にしたのだろう。タイトルを変えなければならないけれど、それなら別に山手線でいいではないか――と、思っていたが、後半、地下鉄なのになぜか窓の外ばかり見ている男の話が登場した。地下鉄だと窓の外には壁しかないのに何を見ているのか。そう訊ねられた男は、地下から地上に出る瞬間が好きなんだよね、と答える。なるほど。

 でも、だとしてももうちょっと輪に近い路線(たとえば丸の内線とか)にすればいいのに、なんてことも思い浮かべた。千代田線だと地上に出るタイミングは綾瀬か代々木上原あたりの2箇所だけだ。丸ノ内線なら後楽園、御茶ノ水、四谷と3箇所あるし、しかも茗荷谷御茶ノ水はわりと隣接している。

 ……と書いていてもう一つ疑問が浮かんだが、千代田線の場合、綾瀬にせよ、代々木上原にせよ、都心から郊外へと向かっているときにだけ地下→地上という車窓の変化が見られる。が、その登場人物は自動車教習所に通っているのだ。もちろん代々木上原より西や、綾瀬より東にも教習所はある。でも、今調べてみると西日暮里や代々木にも教習所はある。都心から教習所に通う人間が、わざわざ地下から地上に出る風景が見られるところまで出かけるだろうか? いや、もしかしたら「地下から地上」を見るのは、ひょっとしたら帰りなのかもしれないが……。

 こういうとき、誰かと「ああでもない、こうでもない」と話ができればいいのだろうけれど。

 何にせよ、こういうショーケースが観られるのは嬉しいことだ。コーディネーターの徳永さんは、今から2年前の6月に「20年安泰。」と題したショーケースを開催した。そこに出ていたのは、ジエン社バナナ学園純情乙女組、範宙遊泳、マームとジプシー、ロロの5組だった。徳永さんとしてはこうしたショーケースを定期的に開催するつもりはなく、今、偶然にもこうして紹介したいという劇作家が現れたので続編のようなショーケースを開催したのだという。徳永さん、仕事しているなあと、アホの子のような感想を思い浮かべてしまう。僕は何の仕事ができるだろう。

 ロビーには見知った顔がいくつもあった。だが、やはり終演後のロビーという場所がどうしても苦手で、会釈しただけで劇場を出てしまった。入口を出てすぐの場所には、北九州芸術劇場プロデュース作品「LAND→SCAPE」に出演していた仲島広隆さんが居心地悪そうに佇んでいた。居心地悪そうに僕には見えた。まだ上京したばかりの彼は、僕以上に居心地が悪いのかもしれない。でも、マームの何人かが暮らすサボテン荘に暮しているため、一人だけ先に帰るわけにもいかず、そこに佇んでいたのだろう。勝手にシンパシーを感じて少しだけ立ち話をした。

 ひとりで芸劇をあとにし、ある酒場に入った。2階席に上がり、カウンターに座る。店員さんの姿は見えない。ちょうど店内の時計の秒針が一回りしたタイミングで店員さんがやってくる。今日は違う店員さんでホッとした。接客はそんなに悪くもないのだが、ある程度ちゃっちゃと作業をすると、奥に引っ込んで姿が見えなくなってしまう。これでは注文したいときに困ってしまう。ずっと奥に隠れているので、注文したければ大声を出すしかない。

 本当に、以前ここで働いていた店員さんの素晴らしさを思う。彼女ほど気分のいい接客をする人を僕は知らない。Rさんにとって、酒場で働くというのは天職だったのだろう。それに比べると、今の店員さんはただ作業をこなしているように思える。とはいえ、誰もが天職に付けるはずもなく、といって生きていくためにはとりあえず働かなければならないのだから、こんなことを書くのも酷いのかもしれないが……。

 気のせいか、店内の雰囲気も少し変わったように感じる。常連さんが盛り上がっている様子は以前からあったし、そのこと自体は決して悪いことでも何でもないのだが、今はケータイで野球中継を観たり、音楽を流したりしている。以前はイヤホンをつけて聴いていたような気がするのだが……。僕は早めに店を出て、スーパーで総菜を買ってアパートに戻った。昨日最終回を迎えたドラマ「Woman」、今日こそ観るつもりでいたのだが、いつまで経っても知人は帰ってこなかった。


9月13日(金)

 昨晩は4時過ぎまで眠れなかった。知人が帰ってきたのは2時半になってからだった。“打ち合わせ”で遅くなると聞いていたのだが、帰ってきた知人は酒くさかった。松尾スズキ『人生に座右の銘はいらない』を読み終えたばかりの僕は苛立っていた。まず、なぜそんな深夜に打ち合わせを入れられるのか。そんな時間に打ち合わせを入れられている時点で舐められているのではないか。そんなことが常態化していったら、どうやって生きていくのか。

 もちろん、本番が近づいたときに遅くなるのは仕方がない、徹夜するのも仕方がない、でも、本番数ヶ月前の打ち合わせで終電を逃すというのは、どうなのか。飲んで仲良くなることだって大事だ、大事だけど、知人がそうして「飲んで仲良くなる」以外の武器を身につけようとしない姿勢を見ていると、他人事とは思えず、大声で怒鳴ってしまった。

 10時過ぎに起きる。ぽやぽやしているうちに夕方だ。今日も40分かけてのんびり5キロ走った。スーパーで買い物をして帰り、キュウリを丸かじりしているうちに知人が帰ってくる。「Woman」(最終話)を観ながら夕食。丸美屋の麻婆豆腐(辛口)、もやしと舞茸の炒め物、かつおの刺身、それに昨日食べるつもりで買ってあった明太子など食べつつ、ビールを2人で3缶飲んだ。

 そうこうしているうち、パズドラ会が焼き肉屋で開催されると連絡が入り、21時過ぎに渋谷へと向かった。渋谷の「モクモク」というお店。僕を含め7人、主にパズドラの話をしつつレモンハイを飲んだ。Yさんがずっと肉を焼いてくれていて、「食べれますよー」と皆に教えてくれる。タンとハツ(だったかな)が特にうまかった。

 この日はパズドラ以外の話もたくさんした。話を聞いていて、とにかく僕は僕の仕事をしようと思った。


9月14日(土)

 11時頃になって起きる。知人はもう出かけていた。13時20分から、雑司ヶ谷地域文化創造館で夏葉社・島田さんと、ブログ「古本屋ツアー・イン・ジャパン」の小山力也さんによるトーク「本屋を旅する」聞く。夏葉社の新刊『本屋図鑑』で47都道府県の本屋さんに出かけた島田さんと、ブログで全国各所の古本屋をレポートしている小山さんの話を聞いていると、ぷらぷらしている人間として頷くことも多い。いくつかメモを取ったのだが、その一つは利尻島にウニやイクラやアワビが食べられる漁師の宿があるという情報だった。我ながら何をメモしてるんだか。

 島田さんが『本屋図鑑』を作ろうと思い立ったきっかけ(の一つ)は、東京と地方の書店が違うとよく言われることだったという。夏葉社の本も、「東京の書店だから売れる本」だと語られがちなのかもしれない。そんなに違いがあるのかどうか、現場を見てまわろうと思って、島田さんは全国津々浦々をまわった。飛び込みで「話を聞かせてもらえないか」と訪問することもあったそうだ。これまでに刊行した本を見せれば「布の本だ、懐かしい」と言われるかと思っていたが、そんな反応はなく、むしろ変な人間として見られたという。やたらと「布の本」という言葉を使う島田さんに、「よっぽど言われたんでしょうね」と小山さん。

 最後に、小山さんがある言葉を引用した。それは民族学者・宮本常一旅立ちの日に父から授けられた十か条のうち、最初の四か条だった。なるほどと思うところがあったので日記にも孫引きする。

1 汽車に乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよ く見ることだ。駅へ着いたら人の乗り降りに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置き場にどういう荷がおかれているのかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるのか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。
 
2 村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見下ろすような事があったら、お宮の森や目につく ものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目を引いたものがあったら、そこへは必ず行って見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。
 
3 金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。
 
4 時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。

 トークが終わるとアパートに戻った。そろそろイタリアとチリで見聞したことを書かなければ。そう思って、まあ思っただけで、ゴロリと横になって思いを巡らせていた。夜、会議を終えて帰宅した知人と池袋に出かけた。当初目当ての品は靴(ジョギングシューズとスニーカー)だったのだけど、何となしにマルイに入り、ユニクロを冷やかしているうち、あれこれ欲しくなってくる。七分丈のズボンとカーゴパンツを知人に強く勧められて、そんなに言うならと試着してみる。七分のはずなのに、僕が履くと九分になるのが悲しいところではあるが、知人がやたらと褒めるので買うことにする。他にも秋に着れそうなシャツを2枚買った。

 レジでバーコードが読み取られていくのを見ていると、シャツも七分丈も2千円以下であるのに、カーゴパンツだけ3990円と倍の値段だ。一度お金を支払い、通信機で裾直しの連絡をしてくれているのを待っていたのだが、その様子を眺めていると「あ、このズボン、そんな履かない気がする」と思った。安全ピンで仮留めしてあって穴が空いているので非常に申し訳ないけれど、もし可能なら、やっぱりそのズボンだけキャンセルできませんかとお願いして、料金を払い戻してもらった。

 それから、一つ上の階に上がってスニーカーを見る。ぐるりと見渡し、パッとニューバランスの靴が目に留まったので店員を呼び、「これください」と伝える。知人は「え、もう買うの」と驚いていた。なんだか「ニューバランスの靴を履いとけばオシャレ」みたいな風潮があることは僕でも風の噂に聞いていて、少し迷いはあったのだが、あまり「N」のマークも目立たないものがあったのでそれを選んだ。

 ホクホクした気持ちで、近くの「磯丸水産」に入った。そういえばここ、「cocoon」の楽日のあとに飲みにきた気がすると僕が言うと、知人は「うちらも芸劇でやったとき飲みにきたよ」と言う。まずはビールと刺身の四品盛り(タチウオ、えんざら、ブリ、まぐろで899円)、蟹味噌甲羅焼(499円)、それに「懐かしいポテトサラダ」(299円)を注文する。

 運ばれてきたポテトサラダを見て驚く。「懐かしい」という形容詞がメニューに入っていることや、「磯丸水産」という、漁師メシのような料理が味わえる店のコンセプトを考えるに、何だろう、もっとわざとらしいポテトサラダか、胡椒が振ってある荒々しいポテサラが出てくるかと思っていたが、入っているのはポテトとキュウリだけのポテトサラダだ。マヨネーズも過剰に入れたりしてないのだろう、白くてどこか上品なポテトサラダ。実際食べてみると、何とも控えめで上品な味である。これは山の手の味だねなんていい加減なことを言うと、すぐに知人に「そんなことないでしょ」と正される。

 刺身もたくさん運ばれてきて、知人は嬉しそうにビールをお代わりしている。いやにニコニコと僕を眺めているなと思ったら、「やっと私が『良い』って言う服買ってくれた」と知人は言った(ちなみに、僕はマルイのトイレで上から下まで着替えていた)。

 しばらく飲んでいると、店員さんがマイクを持って喋り始めた。「本日は磯丸水産、池袋・東京芸術劇場前店にお越しいただだき、誠にありがとございます」――そうか、この店舗は「芸劇前店」なのか。店員さんの説明によると金曜と土曜にはジャンケン大会があって、買った客は会計が半額になるのだという。20組近いお客さんがいるので、僕と知人は参加しなかった。店内には外国人のお客さんも2組くらいいて、彼らも不参加だった。旅行客らしく、まず日本語がそんなにわからないのだろうし、そもそも外国にジャンケンなどあるのか。「何、何?」ときょろきょろしていた。外国人観光客のことばかり気にしている。


9月15日(日)

 7時に起きるつもりだったのに、9時過ぎにしか起きられなかった……。しかも雨が降り始めている。昨日買った靴を履いて出かけるつもりだったけれど、いつもの靴を履くことにする。スーツケースに入れていた荷物をリュックに詰め替えたのち、大宮から東北新幹線で北上。今日は混雑しているらしく、昼過ぎの便まで満席だという。三連休とは言え、今日は連休の中日なのに、そんなに混んでいるものなのか。仙台までは立席券にして、そこから指定席ということで発券してもらった。実際、仙台以北、盛岡を過ぎてからは特に空いていた。

 それにしても、ここ数年、9月は東北にいる。一昨年の9月にはドライブインを探す旅で東北を巡り、昨年の9月にはZAZEN BOYSのツアーに同行して東北を巡り、そして今年の9月もまた東北を訪れている。ちなみに来週末にもまた東北を訊ねる予定だ。

 15時半に弘前に到着した。接続の悪い時間に出かけてしまったので、アパートを出てから5時間くらいかかった。弘前を訪れるのは初めてである。案外雨脚が強いので駅前でタクシーを拾い、ホテルへ。駅前にあるイトーヨーカドーにタクシーの列ができている。「空物件」の看板をいくつか見た。県庁所在地である青森市内を歩いていても寂しい感じなのだから、弘前はきっと――。

 看板を見ているうちにそんなことを考えていたが、ホテルにチェックインしたあとで街をぷらついてみると、思っていたよりずっと賑わっていた。街、という感じがする。青森よりもずっと街ではないか。こじんまりした若者向けの洋服屋が軒を連ねている。しかもこの日は「カルチュアロード」と名付けて歩行者天国を実施していた(ズドンとした道だし、何より雨だから歩いている人はあまり見かけなかったが)。大きなショッピングセンターもあって、ジュンク堂書店も入っているらしかった。少し歩けば横丁が現れる。大半の店はまだ営業していないが、少し歩いたところにある寿司屋には「営業中」の札が出ていた。ここはOさんに教えてもらった店の一つ。

 店内はまだお客さんがいなかった。カウンターに腰掛け、とりあえずビールを注文すると、一緒にツブ貝が出てきた。もう喜寿のお祝いは済ませたであろう大将が何か僕に声を掛けてくれる。何度か聞き返して、ようやく「握りの前に何かツマミを出しましょうか」という話をされているのだとわかった。訛りがキツいというより、僕の耳がうまく音を捉えられない。「お願いします」と伝えると、サンマの刺身がポンとカウンターに置かれる。回らない寿司屋にはさほどなじみがないから、「直に置くの?」と動揺してしまう。

 サンマに続けて、大将はイカのげそ、鯛、マグロの中落ちと、ポン、ポン、ポンと刺身を置いていく。どれもおいしそうで、握りにたどり着く前にお腹が一杯になってしまいそうだ。醤油の味が少し違う気がする。これは気がするだけかもしれないが、塩気を感じる。

 ビールは1杯だけにして、あとは日本酒を飲んでいた。「お酒を冷やでもらえますか」と、特に銘柄や味など指定せずに注文したのだが、大将は店員さんに「はい、ポンハイ!」と伝えている。このポンハイ、飲んでみるととても好みの味。お代わりをするときにラベルを確認すると「豊盃」と書いてあった。僕が飲んだくれている1時間のうちに2組ほどお客さんがやってきた。それとは別に、次々出前の注文が入り、大将やもう一人の店員さんはせっせと寿司を握り続けていた。

 食事はツマミだけにしておくという手もあったけど(他にも行っておきたい酒場があるし、1時間飲んでもまだ17時前である)、つい「握りもいただけますか。ちょっと少なめで」と口にしてしまう。最近気づいたけど、好きな食べ物は寿司かもしれない(嫌いな人もいないだろうが)。マグロ、ほたて、赤貝、鯛、エビ、しめ鯖がカウンターに並べられる。しめ鯖が特にウマイ。酢がよくきいている。思えば、これまでしめ鯖をウマイと思ったことがなかったかもしれない。

 握りの中にウニがなかったのが残念で、「ウニと、それともう一貫握ってください」とお願いする。「もう一貫」はイカだった。それを食べ終えたところでオアイソしてもらうと、「7140円です」と言われて固まる。ツマミ4品と、握り8貫とお酒4杯で、7140円……? ホームページを見ると上にぎり(ウニも入っている10貫セット)の価格は2100円だ。だとすれば、豊盃がよほど高級な酒だったのかもしれない。たしかにうまい酒だった。

 しかし、ここで7千円も使ってしまったとなると、今晩のライブのチケット代、それにライブ中に飲むであろう酒代を考えると、Oさんに教えてもらっていたもう1軒は諦めるしかないな。来週は取材で或る街に出かけて散々お酒を飲むつもりだから、もう少し始末して生活しなければ。

 18時過ぎ、「ASYLUM」へ。当日券を買い求めるべく店の前で待っていたが、誰もやってこず不安になり、「今日で合ってるよね?」と何度も入口にあるチラシを確認する。やはり合っている。開場時刻の5分前になってようやく他のお客さんがやってきてホッとした。やはりこれくらいの過ごしやすい規模の街でライブを観にくるお客さんとなると顔見知りが多いようで、皆声を掛け合っていた。

 19時過ぎ、前野健太のライブ「弘前の健太 珈琲の町で」開演。ここは普段ロックバーとして営業しているらしく、L字型のカウンターがある。カウンターは10人も入れば一杯になる程度の広さ。通路にもイスを並べて、トータルで30席ほど客席が用意されている。僕はお代わりを注文しやすいようにカウンター席を選んだ。何も遮るものがなく、目の前が前野さんという席。ちょっと照れそうになるくらいよく見える。

「今日は雨の中お集りいただき、ありがとうございます。前野健太です。よろしくお願いします」

 そう短く挨拶をしてライブは始まった。1曲目は「雨のふる街」だった。今日の天気を映すように、「ダンス」、「伊豆の踊り子」としっぽりした曲が続いていく。「今日は大体5時間ぐらいやろうと思ってるんで、他のことでも考えててください。株とか、アベノミクスとか」と前野さんが言うと、客席は少しほころぶ。それから、前野さんが「今日のライブのタイトル、『弘前の健太』、『ひろさきのけんた』、『ひろまえのけんた』……」と説明すると、客席から「あぁ〜」と声が漏れた。僕も声を漏らした。ご本人が言うまでちっとも気づかなかった。前野さんは「タイトルって、大事じゃないですか」と言っていた。

 印象的だったことをいくつかメモしておく。「こうして自分の住んでる街以外の街に出かけると歌いたくなる不思議な歌があって――」と前野さんは話し始めた。「今年まだやってない――いや、そんなことはないか。でも、最近歌ってなかった歌です」と前置きして歌い始めた曲は「看護婦たちは」だった。最初に音源を聴いたときから好きな曲だったが、僕の故郷である広島「横川シネマ」でライブを観たとき、その曲が「トーキョードリフター」公開時の舞台挨拶でその「横川シネマ」を訪れたときに作った曲だと知り、より一層好きになった歌だ。

 この日のライブでは、広島における「看護婦たちは」と同じような種類の歌も歌われていた。今から3年半ほど前、「ライブテープ」の公開にあわせた舞台挨拶で前野さんは弘前を訪れたという。そのとき、ある喫茶店に前野さんは入り、その店のことを歌にした。歌にしたものの、それをレコーディングすることも、ライブで披露することもないまま今日まで来てしまった。その曲――喫茶店の名前をタイトルに戴いた「ルビアン」を、この日のライブで初披露していた。ローカルな曲ではあるけれど、良い歌だなと思った。

 前野さんは他にも数曲、新曲を披露していた。「ジャングルはともだち」や「カフェオレ」、それに「夏が洗い流したらまた」など、先日の吉祥寺のライブでも披露されていた“新曲”ではなく、本当にできたてほやほやの新曲を2曲歌っていた。その曲を、前野さんは青森に来てから作ったのだという。ミュージシャンとって旅とは何だろう、と思う。松尾芭蕉が旅に出るのとはまた違ったものなのだろうか(と書けるほど松尾芭蕉のことを知っているわけではないが)。また、旅に出たくなるときというのは、どういうときなのだろう。

 ところで、この日のライブでも前野さんは「リクエストがあれば、今日は何でもやりますよ」と言っていた。僕はどうしてももう一度聴きたい曲があった。8日の吉祥寺でのライブで、前野さんは藤圭子の歌を歌っていた。僕は藤圭子のことは名前くらいしか知らなかったけれど、前野さんの歌う「新宿の女」がとてもよかった。ちょうど同じ時期にガード下の店に行き、「お兄さんも何かカラオケ歌いなよ」と言われたものの、その場に合った歌を何一つ歌えないことに困ったこともあって、最近はちょくちょくYouTubeで「新宿の女」を聴いていたのだ。

 1時間ほどで休憩時間が挟まれたタイミングで、お客さんは聴きたい曲を紙に書いてスタッフに渡しリクエストしていた。弘前でリクエストする曲ではないかもしれない――そう思って少し躊躇したけれど、僕はじゃんじゃかビールをお代わりして酔っ払っていたので、えいやっと「藤圭子 新宿の女」と書いてスタッフに手渡した。

 ライブを再開し、リクエストの紙を一枚一枚確認していた前野さんはその紙を見つけた。「こないだライブでやったんですけど、何で知ってるんだろう。これ、怪しいな。新宿から来たのかな」と前野さんは言った。たしかに、1週間前に東京のライブでやった曲をリクエストするというのは、ちょっと怪しいリクエストだったかもしれない。いつかまた聴ける日があるといいな。いや、もちろん前野さんの作った曲が聴きたくてライブを聴きに来ているというのは大前提だけれども。

 終盤、ギターのプラグを抜き、さらには会場の灯りも消した状態で前野さんは「ファックミー」を歌った。僕はただただその歌声に耳を澄ませていた。最後の1曲は「東京の空」だった。暗闇の中で、東京の空に思いを馳せたが、思い浮かんだのは少し前に地元で眺めた空だった。

 終演後、物販&サイン会になった。僕は『トーキョードリフター』のDVDを買ってサインをしてもらった。待っているあいだ、僕の前に並んでいる人が前野さんと話しているのを聴いていると、その言葉に強烈に聞き覚えがあった。ハッと顔を上げてみると、能町みね子さんらしき人がそこにいた。いつもラジオで声を聴いている人がそこに立っている。「いつもラジオ聴いてます」と話しかけようかと思ったが、そんなことを言われても困るかもしれないと妙に遠慮して、そそくさと会場をあとにした。

 缶ビールを6本くらい飲んでいたので、もうすっかりへろへろだ。酔っ払うと甘いジュースが飲みたくなる。どこかにコンビニはないかと歩き回っていると、「ルビアン」と看板の出ている店があった。とても雰囲気のいい店だが、今の具合ではコーヒーを楽しめそうにはない。15分ほど街をさまよってようやく喫茶店を見つけて、飲むヨーグルトとミックスジュースを買ってホテルに戻った。

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