10月16日から31日

10月16日(水)

 8時過ぎに起きて、ぽちぽちと『S!』誌のテープ起こし。まだ時間はあると思っているせいか、いつもの3倍近い時間がかかってしまった。夕焼けのあとの青々とした空を眺めたのち、缶ビールを開ける。15時から煮込んでいた大根とネギと鶏肉の煮物をツマミつつ、『faifai ZINE』のテキストに細かい修正を加える。快快の「6畳間ソーキュート社会」、もう本番の前々日である。皆に修正した箇所を再チェックしてもらう余裕はないので、慎重に赤を入れていく。21時頃に終了し、スキャンしたデータをデザイナーの小林Pに送信した。

 22時過ぎ、新宿5丁目「N」に入ってみると、どこかドンヨリした空気が流れている。お店のKさんも同じことを2回僕に言ったりする。どうもおかしい。しばらく経ってわかったことだが、この店のお客さんでもある作家が自殺したらしかった。カウンターに並ぶ人たちも溜め息をついている。隣りの隣りに座っている男性は「あーあ」と28回くらい溜め息をついた。「無駄に生きてほしかったよ。どーせ無駄なんだから」。

 しばらくすると、僕以外のお客さんはいなくなった。Kさんは音楽を変えた。その音楽は、たしか『ダージリン急行』のサウンドトラックだ。Kさんは夏にも親しい人を亡くしたらしく、「これからこういうことが増えていくんだよね」と口にした。「人が死んだときにどういう反応をするかに、人って出るわよね」。5分もするとまた次々にお客さんがやってきた。いつもなら0時を過ぎたあたりで帰るところだけど、ぼんやり考え事をしているうちに1時近くになっていた。誰かが死んだときに、「あーあ」と何度も溜め息をつくことがあるだろうか?


10月17日(木)

 朝から近くのデニーズに出かけて『S!』誌の構成を進める。昼はアパートに戻ってマルちゃん正麺(醤油)のもやしのせを食べた。

 夕方になっても終わらず、パソコンを持って銀座に出かける。「椿屋珈琲店」に入って構成を続けて、9割ほど完成したところで時計を見ると17時50分だ。すぐ近くの「よし田」の2階席に上がるとほぼ全員揃っている。一番手前に座っていた編集のYさんが「今、はっちゃんの話で持ちきりですよ」と言う。一体何の話だろうとキョトンとしていると、「はっちゃん、日焼けはもう大丈夫?」と坪内さん。前回の収録は日焼けが原因で大変なことになってしまい、収録に同席できなかったのだ。

 18 時、ビールで乾杯して『S!』誌収録スタート。何本か瓶ビールが空いたところで焼酎のそば湯割りに切り替わった。空になった瓶、食べ終わった皿、用済みになったビールグラスはちゃっちゃっちゃっちゃっと店員さんが片づけてくれる。僕はグラスに残ったビールをチビチビ飲んだ。僕はまだ原稿を書かなければならないから、編集のYさんも気を遣ってお酒を追加しないようにしてくれた。ビールをチビチビ舐めていると、日焼けなんかで収録に出れなくなったことに対する申し訳なさが膨らんでくる。2時間強で対談は終了。近くにある「R」に流れる皆と別れて、スターバックスコーヒーに入って原稿を完成させた。

 せっかくだからと僕も「R」に行ってみる。同じビルにお店がオープンしたのか、ビルの前にはガールズバーの客引きをしている女の子が2人いた。はたして僕は銀座にいるのだろうか。「R」に入ってみると、「よし田」を出てから1時間ほど経っていたこともあり皆の姿はなかった。この「R」、バーテンダーはMさんとHさんの2人だったが、いつのまにか新しい店員さんが入っていた。30そこそこの僕が言うのもどうかと思うけれど、初々しい顔をしている。きっと働いているうちに顔つきが変わっていくのだろうな。

 お店はほぼ満席だったのでハイボール1杯で切り上げ、「よし田」に戻って牡蠣そばを食べた。今年初となる牡蠣そばは関西風を選んだ。今年の値段は1350円である。そばを食べて、熱燗を一本飲んで店を出た。通りを歩いていると、あちこちのビルの目の前に高級そうなクルマが停まっている。そのぴかぴかに磨かれたボディを眺めながら駅まで歩き、地下鉄を乗り継いでアパートに帰った。


10月18日(金)

 朝8時に起きて、昨日知人が印刷してきた『faifai ZINE』を折り始める。A4 サイズに出力された4枚の紙を山折りにすれば、全16ページの冊子になる。お昼頃までかけて248部ほど折った。知人が昨晩102部折っていたので、トータル350部ということになる。「6畳間ソーキュート社会」の客席は80弱だから、80部×6公演で480部あれば十分だ。あと130部なら、明日と明後日とで楽々折れる。

 昼過ぎ、折った『faifai ZINE』を持って渋谷に出かける。平日の昼間とあって、さすがに歩いている人は少ない。地方都市に出かけると「地方だと平日からプラプラしている人が少ないよなあ」なんて思ってしまうけれど、地方だろうが東京だろうが変わらないなと思う。さて、今日は「6畳間ソーキュート社会」東京公演の初日だ。入ってみて、まず客席に驚く。四方にぐるりと客席が設置されていて、真ん中に畳が6枚、それにベッドとテーブルが置かれている。見覚えのあるそれは、トーキョーワンダーサイトのレジデンス用の部屋に置かれているベッドとテーブルだ。それを囲む客席は、舞台よりグッと高い位置に設置されている。これから私たちは、この客席から、この「6畳間」で繰り広げられる何かを見下ろすわけだ(覗き見でもするように)。

 席を確保しておいて、建物内にあるカフェでコーヒーを飲んで開演を待った。コーヒーを飲んでいるあいだ、ずっとドキドキしていた。別に僕が出るわけでも、僕が制作に携わったわけでもないというのに。上演前に緊張するというのは久しぶりの感覚だと思った。15時より少しだけ遅れて、「6畳間ソーキュート社会」開演。客席には友人の姿も見える。僕はただの観客に過ぎないが、友人が楽しんでくれるかどうか気にしながら作品を観た。観ていると、「それを台詞で言わせてしまうのか」と気になる点や、「そのネタ、何なの」と言いたくなる点が多々あった。でも、不思議なことに、そういったシーンが悪かったのかというとそんなことはなく、むしろ愛おしく思えたのである。

 終演後、観にきていた友人のひとり・Uさんと飲みに出かけることにした。夜の部も観るつもりだけど、上演時間は60分ほどだからお酒を飲んでも平気だろう。「魚や」に入り、ビールで乾杯。Uさんにおそるおそる感想を訊ねてみると「すごいよかった」と返ってきて、(繰り返しになるが、制作に携わっていたわけでもないのに)ホッとする。前に観たときは詩みたいな印象があったけど、今回はもっと物語を感じたとUさんは言った。「映像でもう一回観てみたい」とも言っていた。ほくほくした気持ちで僕は熱燗を注文し、ポテトサラダやあじフライをツマミに酒を飲んだ。

 Uさんは、今日は御会式だからよかったら橋本さんもと誘ってくれた。昨日と今日、雑司ヶ谷では御会式をやっているのだ。毎年、御会式がある頃から肌寒くなってくる。そういえば熱燗を注文したのは今シーズン初めてのことだ。僕はUさんに「行けたら行きます」と返事をしたけど、結局御会式には行かなかった。

 19時半から、「6畳間ソーキュート社会」夜公演観る。昼は(平日だから当たり前だが)少し余裕があったけれど、夜はほぼ満席だ。酔っ払った頭で観ていると、昼に「何なのと言いたくなる」と思ったことを撤回したくなってくる。「何なの」というツッコミ(?)は作品のなかにすべて含まれている。夜の回で印象に残るのは、ツッコミどころがあるという点ではなく、ツッコミどころがあると自覚していながらもそれを言葉にする彼ら――彼らというよりは、脚本を書いている北川さんの決意のようなものである。

 終演後はちょっとしたレセプションパーティーがあった。僕は気分よく赤ワインを飲みながら見知った顔と話をした。北川さんに聞きたかったことがあるけれど、その前にお開きになってしまった。パーティーのあとはスタッフチーム5人と一緒にすぐ近くの「鳥貴族」(渋谷神南店)に入り、日付が変わる頃まで大ジョッキの発泡酒を飲んだ。


10月19日(土)

 朝9時に起きて、一昨日のテープ起こしを進める。

 15時、トーキョーワンダーサイト渋谷にて、快快「6畳間ソーキュート社会」2日目。お客さんも大入りで、室温が高く感じるほど。客ウケもよく、相乗効果でこーじさんもきぬよさんもキレッキレだ。この回を観ているとき、少し「あまちゃん」のことを思い出していた。あのドラマは、少し残念とも思える人や町や名産品が愛おしく思えてくるよう仕掛けられたドラマでもあったが、そういえば「6畳間ソーキュート社会」もそうした作品である。あらためて最後のダンスの素晴らしさを思う。

 さて、夜公演までは3時間ほどある。どこにしようかとしばらく迷ったのち、結局「フライデーズ」に入ってビールを飲んだ。ツマミはハンバーガーと揚げ物ばかりで、その中からバッファローウィングとフィッシュ&チップスを選んで食べる。19時半、トーキョーワンダーサイト渋谷に戻って再び「6畳間ソーキュート社会」を観た。

 終演後、センター街にある「魚や」へ。奥から順に知人、危口さん、僕、文美さん、北川さん、セバという並びで座り、ビールで乾杯。飲んでいると当然作品の話になった。昨日と今日の変更点の一つに、舞台の終盤、思いっきりビンタをした絹代さんが「来年にはもう産まれてるから」というシーンがある。未来の話がどんどん広がっていき、“くだらない”ことが膨張していった舞台をぴしゃりと6畳間へと引き戻す場面だ。

 ビンタをしただけでも舞台はもとの6畳間に戻って来れるは来れるということもあって、今日の舞台ではその台詞は削られていた(そして、その代わりに「お前、ふざけんなよ」という台詞が入っていた)。北川さんに「もふ、どっちがいいと思う?」と言われて、少し言葉に詰まる。昨日、誰かが「あの台詞がなくてもわかるから、ないほうがいい」と言っているのを耳にしていたからだ。しばらく唸ったあとで、「なくてもわかる人にはわかるし、作品のことを考えればなくてもいいものではあるけど、あったほうが伝わる」と答えた。北川さんは「危口だったらどうする?」とも訊ねていた。危口さんは「オレだったらのろ君をもう一回出すかな」と言っていた。

 僕はビールを1杯飲んだあと、熱燗に切り替えた。店員さんが運んできた大徳利を渡されたのは北川さんで、「ありがとうございます」と北川さんから受け取ろうとしたのだが、北川さんは徳利を持ったままでいる。うん? と数秒考えたのち、「あ!」とお猪口を手にしてお酌をしてもらった。帰り道、「ちょっともふ、よんちゃんにお酌させてたでしょ?! あれだけで1万円は取られるからね」と知人は言っていた。「よんちゃん、普段はそんなことしないよ。あれはもふに感謝の気持ちを表したかったんだと思うよ」。


10月20日(日)

 朝9時に起きて、『faifai ZINE』を追加で80部ほど折る。お昼になってアパートを出た。コンビニに寄っておにぎりを買っていると、レジ前におせちの見本が並んでいた。もうそんな季節なのか。いつかは自分でこれを注文する日が来るのだろうか。

 雨の降る渋谷の街を歩いていると、靴がどんどん濡れていく。13時、トーキョーワンダーサイト渋谷で「6畳間ソーキュート社会」。ビンタのあとの台詞は元に戻っていた。昨日より2時間早い開演だからか、思っていたより強く雨が降っているせいか、客席は少し空いていた。そして客席の反応も重めだった。今日は撮影も入っているのだし、「昨日の昼公演がベストだったな」と思いながら終わってしまうと少し寂しいな。最後の公演が始まるまで、今日も「フライデーズ」に入った。「ひょっとして、メニューにフライばかりあるから『フライデーズ』にしたのかな」と考えていたけれど、店内に「In Here, It's always Friday」とあるのを見るに、やはりそんなダジャレから決めた店名ではなさそうだ。

 「フライデーズ」では今日もハーフ&ハーフとフィッシュ&チップスを注文した。まだ少し食べられそうだったので他に何か注文しようかとメニューをめくってみたものの、フライかステーキかハンバーガーしか見当たらない。フライ以外はそこそこの値段がする。それならばと店を出て、渋谷駅前にある「餃子の王将」へと向かった。「6畳間ソーキュート社会」の冒頭、絹代さん演じる「外タレ」がそのハケぎわ、「オスシ 食ベヨウカナー」「デモ オカネナイカラ 餃子ノ王将デ餃子定食食ベヨカナー」「ユーリンチーモオイシインダヨナー」と語るのだ。そのフレーズを聞くたび、「久しぶりに王将に行こうかな」なんて考えていたのである。

 外タレの影響なのか、16時だというのに「餃子の王将」(渋谷ハチ公口店)には行列ができていた。5分ほど待って店内に入り、餃子ごはんセット、油淋鶏、生ビールを注文した。外タレが「ユーリンチー」と口にするたび、「ところで『ユーリンチー』って何だっけ?」と思っていたけれど、唐揚げにタレのかかった料理が運ばれてきて動揺する。また揚げ物を食べることになってしまった……。パンパンに膨らんだ腹を抱えてワンダーサイトに戻り、17時半、「6畳間ソーキュート社会」最終公演観る。昼とは違って満員御礼で、会場の熱気を感じる。こーじさんと絹代さんのパフォーマンスも、6公演観てきたなかでベストアクトだった。特に最後のダンス(?)は抜群によかった。

 打ち上げは20時からあるらしかった。まだ時刻は18時半で、それまで一人で飲むには微妙な時間だ。会場ではさっそくバラシが始まっていたので、出来る範囲でそれを手伝うことにする。慣れた手つきでバラシを進めていく人たちに混じって、僕はチマチマと抜かれたネジを拾い集めたり、荷物を運んだりした。途中から「こうして体を動かしていれば打ち上げのビールがうまくなるに違いない」なんて考えていた。

 20時近くまで手伝ったのち会場をあとにして、打ち上げ会場の近くにある「LUMINE MAN」に入った。ふらりと歩いていると靴屋があった。先日山形で観たドキュメンタリー「ジプシー・バルセロナ」には、フラメンコのダンサーにあこがれる小さい男の子が出てくる。その男の子が初めて革靴を買ってもらうシーンを観ているうち、「僕も革靴が欲しい」と感じるようになっていた。それに加えて、舞台を観ていると新しい靴が買いたくなってくることがたまにある(役者の履いているピカピカの靴を目にするせいだろうか?)。

 この数日、渋谷をぷらぷらしながら何軒かのぞいてみたのだが、良い色をした革靴は5万円を超えているし、安い革靴を見ているとやはり色が今一つだ。それでほとんど諦めかけていたのだが、この「LUMINE MAN」に入っている靴屋を見ると、良い色の靴が2万円以下で並んでいる。それを眺めていると、「この靴なら丈夫に作ってあるんで、ほんと10年は履けると思いますよ」とアルバイト店員が話しかけてくる。色も悪くないし、2万円以下だし、丈夫なら革靴1足目に買ってみるにはちょうどいいかもしれない。店員が「ぜひジーンズに合わせてみてください」と言っているのが少し引っ掛かったけど(僕はジーンズを1本も持っていない)、思い切って購入することにした。

 引き渡す前に、店員が手入れをしてくれることになった。僕が革靴を買うのは初めてだと伝えると、工程を説明しながら手入れをしてくれる。ジャルジャルの福徳に少し似た、関西訛りの残る店員さんは「人間で言うたら洗顔ですね」「これはまあ、言うてみたら化粧水ですね」と、その都度喩えながら教えてくれる。30分近くかかってすべて終わり、買ったばかりの靴を持って打ち上げ会場である「海峡」(渋谷公園通り店)へと向かった。僕が「舞台を見てると靴が買いたくなって、いま買ってきたんです」と出ていた本人に伝えると、「今回の舞台、裸足だったんだけどね」と返ってきた。た、たしかに……。どうして僕は靴が買いたくなったのだろう?

 「海峡」では日付が変わる頃まで飲んだくれていた。前の席に座っていたこーじさんが(『faifai ZINE』のインタビューを通じて)「やっともふさんと仲良くなれた気がする」と言ってくれた。こーじさんは直感的にズバッとしたことを言ってくれる(皆から「ドキュメントをしてくれないか」と頼まれた夜も、こーじさんから唐突に「これ、今までもふさんとちゃんと飲んで話したことがないって場だからね」と言われていた)。快快の皆と知り合って3年経った今、ようやく快快の皆とちゃんと話ができた気がしている。

 終電を逃した人もいたので、8人でマークシティのそばにある「魚民」(渋谷南口駅前店)に移動し(どうして少し離れた場所にあるその店に移動したのかはまったく記憶にない)、カラオケつきの座敷で歌いながらビールを飲んだ。今日も2ステージやっていたはずなのに、全力でサービス精神旺盛にチャゲアスを歌う絹代さんの姿に圧倒される。いつもなら途中で帰っていたかもしれないけれど、今日は途中で帰るわけにはいかないと思って、朝5時までビールを飲み続けていた。


10月21日(月)

 終日グッタリ。何もできず。


10月22日(火)

  ようやく動けるようになってきた。日中は『S!』誌のテープ起こしをしていた。

 夜、武蔵小山「STUDIO 4」にて悪魔のしるし報告会「搬入プロジェクト ソウル市庁舎計画を振り返って」という、名前の通りの報告会に出かける。受付で500円支払うと、麦とホップジンジャーエール(瓶入り)がもらえる。19時半を少し過ぎたところで報告会スタート。メモに残っていることは、搬入プロジェクトのことよりも(いや、その映像も面白かったのだけど)、危口さんの見た韓国についてばかりだ。

  • 韓国では野外フェスティバルを持っている自治体が多くある。文化事業を持っているとステータスになるという意識があるためだ。昔から市民祭のようなものはあったが、それではちょっとダサいということで、野外フェスが最近増えている。搬入プロジェクトを行った、ソウルで開催されているハイ・ソウル・フェスティバルには10年強(?)の歴史があるが、これも最初は市民祭だった。危口さん曰く、「フェスティバルになった今でもまだ市民祭の雰囲気が残っているところがよかった」。
  • 搬入プロジェクトは、当初は荷揚げをするプロの動きをアートの俎上に載せたものだった(報告会でこんな言い方はされなかったと思うけれど)。危口さんもかつて荷揚げをしていたわけだが、それを「搬入プロジェクト」というパフォーマンスとしてお客さんに見せているうちに、次第に何か搾取しているような感覚が生まれてきた(荷揚げをする人たちの身体はあくまで荷揚げをするために鍛えられたものであって、搬入プロジェクトのためのものではない)。その居心地の悪さを突き詰めてもっとえげつない方向に進めばサンティアゴ・シエラのようなやり方もある。サンティアゴ・シエラSantiago Sierraの作品には一般参加型のものも多々あって、危口さんが痛快だなと思ったのは、ヴェネツィアビエンナーレの時期に街から排除される乞食やジプシーといった人たちを自分のスタッフとして雇って自分の展示スペースに取り入れる作品(?)だという。サンティアゴ・シエラの作品として他に紹介されたのは「250 cm Line Tattooed on Paid People」。これは、仕事のない若者を6人ほど集めて、わずかなお金を対価として支払う代わりに背中に有刺鉄線の入れ墨をいれさせるというもの。つまり、そうでもしないと食っていけない状況に追いやられている人たちがいるということをえげつないやり方で示した作品なのだろう。
  • ソウルの「乙支路」(うるちろ)というエリアにはマーケットがある。「このブロックは木材のマーケット」といったように分かれているのだが、それぞれの店が本当に専門に特化していて、キャスター(車輪)の専門店では本当にもうキャスターしか扱っていない(逆に言うと、ここに来れば何でもある)。自分の店で扱っている商品やジャンルが生産中止になったり用済みになったりしてしまうと店も潰れてしまうわけだが、そこに清々しさも感じる。木材のマーケットの雰囲気は、自分の実家の蔵の雰囲気に似ていて懐かしかったと危口さんは言っていた。それから、「こういう店があるっていうのは本当に素晴らしいし、完成品を買いにくる人より材料を買いにくる人のほうが多い社会というのは生き生きしている。これは綺麗事だと思うけど、そういった社会であってほしいと思うし、壊れたら直せるものしか使わない、もしくは壊れたら直せる知識を勉強する人が増えるといいなと思う」とも。
  • ソウルの街中には運河のような小川が流れていて、その両岸は緑地帯のようになっている。ここは「清渓川」と言うらしい。少し調べてみると、清渓川ははもともと下水道として利用されていた川でもあり、また朝鮮戦争の川岸に避難民がいついてスラムを形成していた場所でもあるらしい。そのため、60年代に大規模な工事が行われて川は暗渠となった。蓋をした上には屋台を出して商売をしている人たちがいたそうだが、李明博がソウル市長を務めた時に「都市に自然を取り戻そう」と掘り返し、緑地帯になったのだという。韓国はよくも悪くも政治の力が強く、またトップダウンであり、何かが決定されるとそこからの動きはとてつもなく早いが、反対に、アートプロジェクトなどでも、どんなに準備を進めていても「やっぱりダメ」と政治的に言われるとすべてがポシャってしまうそうだ。
  • ソウルの旧市街には古い煉瓦作りの建物が並んでいるが、その一部は若いアーティストのためのレジデンス施設として使われているという。旧市街にお金のない若者が流れ込んで何かの拠点になっていく――そういう話は海外ではよく聞くけれど、日本ではなかなか起こらない。危口さんが「日本には敷金・礼金という問題があるけど、韓国にはそういうのはあるのか」と訊ねると、プロデューサーとして「搬入プロジェクト」をハイ・ソウル・フェスティバルに招聘したコ・ジュヨンさんは「韓国には敷金とか礼金はないけど、その代わり保証金というシステムがある」と説明した。この保証金が高ければ高いほど家賃は安くなるし、退去するときにその保証金は返ってくるのだという。

 スライドに映し出されるソウルの街並みを眺めていると、これまで韓国なんてほとんど興味がなかったのに「行ってみたい」という気持ちが大きくなってくる。特に路地の雰囲気が素晴らしい。22時過ぎに報告会は終了。ツマミを買ってアパートに戻り、知人と一緒に酒を飲んだ。飲んだのは「会津中将」という酒の冷やおろしだ。先日、会津で飲んだ酒の中で一番美味しかったこの会津中将を、ネット通販で注文していたのである。届いた段ボールを開けてみると、中に紙が入っているのを見つけた。

 ご注文誠にありがとうございます。
 心から心から感謝申し上げます。
 心やさしい人々と母なる大地の恵みに支えられている事に日々感謝しております。
 会津のお酒で笑顔が増える事を祈っております。
 ご注文本当にありがとうございます。

 僕はたかだか一升瓶一本買っただけだというのに、わざわざ手紙が添えられているとは。しかも手書きである。なんだかもったいない気がして、いつもよりチビチビと酒を飲んだ。


10月23日(水)

この日の日記は後日書く。


10月24日(木)

 10時頃起きて、『S!』誌の構成を。話題が少なくても大変だが、話題が多くても構成が難しい。足の早い話は先に出る号に持ってくるべきだけど、とはいえ、時事ネタはすべて先に出る号に集めるというのではバランスが悪くなってしまう。あれこれ悩みながらやっていると、結局2週ぶんまとめて構成するような感じになってくる。部屋にいては効率が悪いので小雨の降るなかアパートを出て、ドトール(かつてはエクセルシオールで、勝手に「仕事場」呼ばわりしていた場所)に入り、夕方まで仕事を続けた。

 夜になっておおむね構成を終えた。湯につかりながら、プリントアウトした紙に赤字を入れていく。21時になってようやくメールで送信した。仕事帰りの知人と「芳林堂書店」で待ち合わせて、『小説現代』や新刊台をチェック(昨日、坪内さんに「えっ、映画『酒中日記』の脚本の第1稿、もう上がってるんですか」なんて言ってしまったけど、間抜けな質問だったな)。ノーベル文学賞を受賞したアリス・マンローの作品も収録されている『恋しくて』という恋愛にまつわる短篇小説集や、まだ買えていない『胞子文学名作選』、それに四方田さんの新刊本の質感(装丁)も気になるけれど、ここで本を買ってしまうと飲みに行くお金がなくなってしまうので、次にお金が入ったとき買うことにする。

 知人は生牡蠣が食べたいという。高田馬場にはいくつか生牡蠣が食べられる店があるが、それを売りにしている店にはほとんど入ったことがなかった。そのうちの1軒を選んで入ると、知人はさっそく生牡蠣を注文する。僕は生牡蠣が苦手なので焼き牡蠣を注文した。コエドビールで乾杯して話したことは、快快「6畳間ソーキュート社会」のことだ。今週末までにレビューを書かなければならないのである。あの作品は一体何がよかったのか――いや、何がよかったのかはわかっているのだが、短い文字数でそれを切り出すにはどうすればいいのか、知人を話し相手に立てることで試行錯誤しながら考える。

 知人はあの作品はポップだと言った。僕が「いや、ポップでは全然ないでしょ、ポップさで言えば『SHBAHAMA』とかじゃないの」と反論すると、「あの作品はうちらの作品の中でも一番ポップじゃない」と返ってきた。もちろん、ポップかどうかというのが作品の善し悪しをはかる尺度ではないが、そんなにはっきり言われると、自分の感覚がとても頼りなく感じられる。


10月25日(金)

 昼過ぎ、水曜日の取材のテープ起こしに取りかかっていると、ある人からメールが届く。「ごちそうさん面白いよ」「これぞ朝ドラって感じで」とある。その人とは少し前に「ごちそうさん」の話をしていたのだが、そのときはまだ「面白いかどうかわからない」と話していたのである。ただ、「朝ドラはしばらく観てみないとわからない」とも言っていたのだけど、しばらく経った結果として「面白いよ」とメールを送ってくれたのである。彼女がそんなふうに言うなら観ないわけにいかない(単純にわざわざメールを送ってくれたのが嬉しいというのもあるけれど)。

ごちそうさん」、ずっと録画してあったのだが、第1話を観たときに「いかにも」な朝ドラっぽさを感じて、2話以降をまったく観ないままになっていた。「朝ドラっぽさ」も何も、朝ドラなのだから当たり前なのだが……。僕は民放のドラマはたくさん観ているけれど、「あまちゃん」で初めて朝ドラを観たので、その王道間に慣れそうになくて放ったらかしていたのだ。録画だけしてあった2話以降を観始めてみても、やはりもったりした印象を受けてしまう。それでも「面白いと言うなら」と観ているうち、段々とそのリズムに馴染んできて、案外悪くないかもと思えてくる。うまそうな音が鳴っているのがいい。

 水曜日のテープは1時間程度の長さしかないが、これは細部の細部まで起こしたいのでどうしても時間がかかる。20時半、今日はもうおしまいにして飲みに出かけることにする。自転車で池袋まで出るつもりでいたが、外に出ると少し雨が降っている。どうしようか少し躊躇したが、山手線で池袋に出て「F」の2階を覗いてみるとほぼ満席だ。しまった、ここに入れないとなると、他に行くあてがない。高田馬場にとんぼ返りして「米とサーカス」を覗いてみるとここも一杯。「鳥やす」も、アパートの最寄りの酒場(「近所」と呼んでいる店)も一杯だ。カレンダーを見てみると、そうだ、今日は金曜日なのだと気づく。

 月曜も金曜も何もない生活をしていて少し損だと感じるのはこういうときだ(自分でその生活を選んでおいて、本当は「損」も何もないのだが)。皆はワイワイ飲んでいるが、僕はワイワイ飲みたいわけでもないし、「仕事終わりに1杯!」と飲みに行く相手もいない。かといって、新宿だとか別の街へ出かけたときならともかく、町内で飲むのに「バーでシッポリ」というのもしっくりこない。30分ほど駅周辺をうろついたものの、結局外で飲むのは諦めることにした。

 それならばと「成城石井」でツマミでも買って帰ろうかと思ったが、最近妙に「成城石井」でツマミを買っている。こんなに「成城石井」に行っていると、「成城石井」でツマミを買って飲む生活が自分の中で最高級であるかのような気分になってくる。そんな生活に落ち着く将来が頭をよぎると、自分の行く末が見えたような気がして妙に不安になる。自宅で酒を飲もうとすると、いつもスーパーでツマミを買うことになるのだが、頻繁に通っているといつも同じものを選んでいることに気づかされる。それで「成城石井」を利用するようになったのだけれども、ちょっと変わったものを扱ってはいるけれど、そんなに広い店でもないので、結局買う物はいつも同じということになる(麻婆豆腐かエビと卵の炒め物、ミモレットのチーズ、カルメネーレのチリワイン)。その狭さに、不安になるのかもしれない。

 結局「成城石井」に入るのはやめにして、アパートのすぐ近くにある普通のスーパーで500円のワインと500円ぶんの総菜を買い求め、ドラマ「クロコーチ」を眺めながら晩酌をしていると、ツイッターであるニュースが流れてくる。風間やんわり死去。まさかその名前の訃報を目にするとは思っていなかったので、スコンと打たれたような感覚になる。風間やんわりと言えば、『ヤンマガ』でずっと「食べれません」を連載していた漫画家だ。僕は今でも『ヤンマガ』を買っているけれど、僕が読み始めた頃からずっと「食べれません」は続いていた。驚いたのはその年齢が36歳だったということ。そんなに若い人だったのか――。「食べれません」は18年続いていたというから、18歳の頃から連載していたということになる。

 このマンガには「板橋区赤塚系ギャグ」というキャッチフレーズがついているが、僕が飲ん兵衛のイメージやスナックのイメージに最初に触れたのは風間やんわりだったような気もする。別に酒のことを描いたマンガというわけでもないのだが、ヨッパライの発するあの匂いがそのマンガから漂っていた。僕はその匂いが嫌いではなかった。『ヤンマガ』、最近始まった「FRINGE-MAN」も「ヤンキー塾へ行く」も「ミュージアム」も面白くて、いくつか買っている雑誌の中でも『ヤンマガ』を楽しみにしている度合いが上がってきているところだった。でも、雑誌で読んだ上で単行本まで買っているのは『食べれません』だけだった。

 はあ、本当に死んでしまったのか。そう思うと、一度も会ったことがない人だというのに妙に寂しくて涙が出てきた。寂しいので最新号の『ヤンマガ』を開いてみると、「台風の目ってあるじゃん」「あるね」「アレ二重にしたら超カワイくない?」と、こっちのしんみりした気持ちとは当然無関係にいつも通りくだらなくて笑える4コマが載っている。最初に読んだときは気づかなかったが、最初のページにあるハシラ文には「連載八八八回です。おめでとうございます。末広がり×3で、パッと見、縁起がいいですね。心からお祝い申し上げます。」という担当のコメントが描かれている。最後のページにあるハシラ文で「ありがとう。それで何か特別企画とかないんですか。あるいは僕を慰労してくれるとか。歴代担当者全員集合願います」とやんわり氏が応えている(さらに巻末ページの作者コメントには「眠くて眠くてしょうがない。」とある)。もう慰労はできないけれど、歴代担当者が全員集合する企画をどこかで本当にやってくれないだろうか。ストーリーマンガのことは誰かが調べたりするだろうけれど、こういうマンガのことこそ、誰かがやらなければ記録されないままになってしまう。


10月26日(土)

 朝9時に起きて、水曜日のテープ起こしをひたすら続ける。知人は「今日は寝る日だって決めたの」と言って、本当に一日中寝ていた。夜、クリーニングに出していた黒のジャケットを着て、自転車に乗って新宿5丁目「N」に出かける。今日は「N」でペーソスのライブがあり、お店のKさんにその撮影係を仰せつかったのである。19時45分頃に演奏会は始まった。邪魔にならない範囲で撮影しながら演奏を聴く。失礼ながらこれまで聴いたことがなかったのだが、とても良い。特に「Bar バッカスにて」が沁みた。

 「バッカス」という店は高田馬場・さかえ通りを少し入った路地にあった店で、「Bar バッカスにて」はその店のことを歌った曲である。僕は上京してからずっと高田馬場に(しかも最初の4年はさかえ通りの先あたりに)住んでいるけれど、その店に入ったことはなかった。少し前にさかえ通りで火事があったことは知っていて、その日はヘリコプターが上空を旋回していた。しばらく経って焼跡に通りかかったこともあったが、まだ焼けた匂いが残っていた。僕がいつも通り過ぎていたあの場所に、こんな風景があったのだなあとしみじみ聴いた。その曲の入ったアルバムと、先行販売されていた末井さんの新刊『自殺』(朝日出版社)を買った。

 演奏会が終わると「N」は通常営業に切り替わる。「はっちゃんも飲んで行ってね」と言ってもらったけれど、ライブを観ていたお客さんだけでも席が埋まってしまいそうだし、知人と約束があったので僕は帰ることにした。通りには酉の市のポスターが出ている。アパートに戻り、知人と豚バラ肉と白菜の重ね鍋を食べる。ほんだしのCMでやっているレシビで、去年も何度となくこの鍋を食べた。食べていると、今年も冬がやってきたという気がする。白菜は4分の1にカットされたものを選んだが、2人で食べるには物足りない量だった。次からは半分にカットされたものを選ぼうと思う。


10月27日(日)

 9時過ぎに起きる。知人は「稽古がある」と9時半には出かけて行った。僕は今日が締め切りの『TB』誌の原稿を考えていた。この一週間ずっと考えていたことを、どうすれば短い原稿に落とし込めるか。湯につかったり、ソファに転がったりしながら考えてみるが、どうにも頭の中でうまく繋がらない。部屋ではうまく考えがまとまりそうもないので、昼過ぎ、パソコンを持ってアパートを出た。近くのファミレスやカフェ、駅前の喫茶店をまわってみたがどこも混んでいる。

 パソコンを抱えたまましばらく徘徊したのち、「コットンクラブ」に入ってビールを飲みながら原稿を書く。書きたいことが多く、どのアプローチをしたものか悩む。結局、3パターンほど原稿を書いてみた。17時半になって店を出ると、外はもうすっかり暗くなっている。日が暮れるのが早くなったなあ。スーパーで食材を買って帰り、稽古帰りの知人に今日も豚バラ肉と白菜の重ね鍋を作ってもらう。今日はちゃんと半分にカットされた白菜を選んだ。食後、3パターンの原稿を知人に見せて、どれが一番面白いか選んでもらい、それをメールで送信した。

 テレビをつけると日本シリーズをやっていた。何か不思議な感じがすると思ったら、楽天スタジアムは鳴り物が禁止されているのだな。2対0で楽天がリードしていたが、ホームランで1点を返されて以降、マー君がずっと険しい顔(ほとんどふてくされたような顔)でボールを投げているのを、日本酒を飲みながら眺めていた。


10月28日(月)

 9時過ぎに起きて、テープ起こしに取りかかる。昼過ぎになってようやく、先週水曜のテープ起こしをようやく完成させた。それがひと段落したところで、テープ起こし用とは別のパソコンを開く。今日付けでクレジットカードの引き落としがあって、つまりクレジットの利用可能残高が増えたので、この先1ヶ月のあいだに観たい演劇のチケットを手配する。来月はフェスティバル/トーキョーもあって盛りだくさんだが、『hb paper』の新しい号(?)を出したいと思っているので、お金を貯めておく必要がある。どのチケットを取るか、シビアに考えなければならない。そういえば11月はあの団体の公演もあるはずだ、ほら、あの――と、ラッパー風の動きをすると、知人はすぐに「ああ、東葛スポーツ?」と答えてくれる。

 知人はどうにも元気がでない様子で、「今日は家で仕事をする」と言っている。それならばと15時過ぎにアパートを出た。かつて「エクセルシオール」だった「ドトール」に入り、今度は『c』誌のテープ起こし。こちらは現場に同席できなかったのだが、それでもと仕事を振ってくれたのである。期待に応えられるよう、頑張ってテープ起こしを進めた。最近、この「ドトール」は案外空いていて、しばらく隣りの席は空席のままだった。僕が2杯目のコーヒーをする頃になってようやく隣りの席に客が座った。高校1年生らしき4人組だった。どうやら皆で勉強しようと決めて「ドトール」に来たらしいのだが、ずっとiPhoneをいじっていた。高校生らしいなあ――なんて先輩ぶったことを思い浮かべてしまう。先輩ぶったも何も、もう僕は彼らの倍生きてしまっているのだけど。

 19時過ぎにドトールを出て、「芳林堂書店」で1万6千円ぶんの買い物をしてアパートに戻った。夕食は知人に水炊きを作ってもらった。小さい頃、冬になるとよく父親が適当に作った水炊きを食べていた。僕はその水炊きがあまり好きではなかった。ポン酢の味も、僕の箸づかいでは取り分けづらいマロニーも(ただ、ポン酢を垂らした残り汁を白飯にかけて食べるのは好きだった)。でも、こうして酒を飲みながらだととても素晴らしいツマミになる。味覚が変わったのかもしれない。

 鍋をつつきながら、録り溜めていた「ちりとてちん」(1週目)を観た。今のところは鯖江という街が舞台になっている。ドラマの中で焼きさばが登場する。観ているうちにその焼きさばを食べたくなってきて、iPhoneを取り出して「鯖江市」でGoogleマップを検索していると、隣りで知人が「すぐドラマのロケ地に行こうとする」と嘆いている。たしかに、今年は「八重の桜」の放送開始直後に会津を訪ねているし、岩手県久慈市も(仕事ではあるが)訪ねている。鯖江福井県にある街だった。福井には友人もいるので、ぜひ近いうちに訪ねてみたい。再生をストップしてみると、NHKの臨時ニュースが流れていた。阪急阪神ホテルズの社長が辞任するというニュースだった。その問題についてはある程度知っているものの、わざわざ臨時ニュースで流す必要があるものなのか、よくわからない。

 鍋を食べ終えてからも少し仕事をして、日付が変わったあとで、今日買ってきた『サリンジャー 生涯91年の真実』を最初の1章だけ読んだ。相変わらず読むのは遅いが、本を読むのが楽しい。前はもう少し教養として読書しようとしていた気がするけれど、今はもう少し、自分のために読んでいる気がする。これからまた10歳ぐらい年を取ったらどう感じるようになるのだろう。そう考えると、年を取るのが少し楽しみにもなってくる。



10月29日(火)

 たまには目覚ましを掛けてみるかと7時半にセットしていたが、起きたのはやはり9時を過ぎてからだ。朝食として昨日の鍋の残りを食べて、先週水曜の取材の構成に取りかかる。昼食は相変わらずマルちゃん正麺(味噌)のもやしのせを食べた。食べているところへ、B社のTさんから電話がかかってくる。今日配本予定の文藝春秋×PLANETS『あまちゃんモリーズ』に僕が寄稿した原稿を読んでくれたらしく、「久慈駅の話なんか、知らない話もあったし、生き生きしていて面白かった」と言ってくれる。書きたいことがたくさんあり過ぎてきゅうきゅうしながら書いた原稿で、読んだ人がどう思うのかとソワソワしていたので、褒めてもらえてとても嬉しい。

 昼過ぎ、Amazonで注文した品物が届く。今やテープ起こし専用機として使っているVAIOのtype Pだが、バッテリーが寿命を迎えてしまったのか、電源に接続していないと使用できなくなっていた。それは不便なので、昨日、Amazonで(クレジットカード決済で)替えのバッテリーを注文していたのである。

 さっそく開封して取り替えようとしてみたのだが……ううむ、どういうわけだか形が違っている。僕が持っているtype Pは2世代目のものなのだが、注文したバッテリーは1世代目のものにだけ適応したものだったようである。とはいえ、1世代目と2代目の発売時期は1年ほどしか離れていないし、そもそもtype Pは(おそらくだが)その2世代しか販売されていないはずである。それなのに、その2世代のあいだでバッテリーの仕様が変わっているというのは、あまりにも不親切ではないか。

 しかし、いくらボヤいたってどうにもならない。バッテリーが消耗品である以上、開封したあとで何を言ったって仕方があるまい。細かい点を調べもせず注文した僕がアホだっただけの話である。

 午後、知人からLINEでスタンプが送られてくる。でっぷりとしたクマのキャラクターがそこにいて、「もふにソックリ」と添えてある。たしかに、最近(特に沖縄のあたりから)思う存分飲み食いしていて、完全に体が樽化している。少し前に、久しぶりに鏡の前に立って自分の体を眺めて愕然としてもいた。これはダメだ。寒くなってきたことだし、『ポパイ』の特集「大人になるには?」にそそのかされて良いジャケットでも(クレジット分割払いで)買いに行こうかなんて考えていたけれど、この体型ではダメだ。久しぶりに(僕の日記には本当にこの「久しぶりに」という言葉ばかり出てくるが)体重計に乗ってみると、去年の夏に少しダイエットを試みた時期に比べて8キロも増えている。これは……ダメだ!

 そんなわけで、小雨の中をジムに出かけて5キロほど軽くジョギングをした。アパートに戻ってキュウリをかじり、18時過ぎ、僕が勝手に「仕事場2」と読んでいる近所のカフェに出かけた。電源とWi-Fiが完備されているものの、「テラスハウス」みたいなノリで大学生ふうのアルバイト店員同士がしゃべっている店。その会話についてはもう諦めているのだが、今日は夜の時間のせいかずっと揚げ物を揚げている音が響いている。もちろんフライの匂いもずっと立ちこめている。この環境では食欲を刺激されて仕方がないので、「仕事場」(と勝手に呼んでいるドトール)に移動し、21時頃まで構成を続けた。

 外に出ると、一度は止んでいた雨がまた降り始めていた。雨に濡れながら歩いているうちにパソコンのバッテリーのことを思い出し、段々腹立たしくなってくる。おい、何でまた雨降り始めてるんだよ――そう当たり散らしたいくらいの気分だが、当たり散らすべき相手もいない。駅前を歩いているとバッドマンのジョーカーの格好をした男が地下鉄の出口に一人佇んでいた。ギョッとしてそこを通り過ぎて、しばらく経ってから「ああ、ハロウィンだったのかな」と思ったが、通報されてもおかしくない佇まいだった。

 スーパーで知人と合流し、今日もまた水炊きを作ってもらう。深夜、知人が寝たあとになって『サリンジャー 生涯91年の真実』の第2章を読んだ。


10月30日

 先週水曜日に収録した『e』誌の原稿は、昨日のうちにほとんど完成させていたが、プリントアウトして細かい箇所に赤を入れていく。11時には完成させてメールで送信した。さて、ジムにでも出かけるかと思って支度していると、12月に発売予定のある音源が送られてくる。取材資料として送ってもらったのだ。さっそくiPhoneにデータを入れて、それを聴きながら3.5キロほど走った。走りながら聴いていると色々なことが頭に浮かぶが、メモができなくて困った。良いアルバムだ。冬によく似合うアルバムだと思う。

 昼、マルちゃん生麺(豚骨)のもやしのせ。洗い物や洗濯をしているうちに14時を過ぎている。急いで支度をしてアパートを出て、三鷹市芸術文化センターにて鳥公園「カンロ」観る。ときどき妙な言葉の固さがあって(こういった台詞が登場するわけではないが、「嫌い」とか「イヤ」とか言うのではなく「嫌悪」と言う――みたいな意味での固さ)、その固さは何のために用意されたものなのだろうかとずっと考えていた。1万年後の人間について思いを馳せるというシーンがあったが、10日前にやっていた快快「6畳間ソーキュート社会」でも未来について思いを馳せるシーンがあった。

 たとえば、快快の「6畳間ソーキュート社会」では「遺伝情報の売買が盛んになり、手軽に自分の思い通りにデザインした子供を産むようになるだろう」という言葉が舞台にのせられていた。これを会話として「100年後には遺伝子情報の売買が盛んになってさ、手軽に自分の思い通りにデザインした子供を産むようになってるらしいよ」と言われると、それを聞かされているほうは「うん? 急にどうした?」となる。だから――なのかどうかはわからないけれど、快快の舞台でそれを語るのは人間ではなくSiriの役割になっていた。Siriが滔々と「未来年表」に記載されている200億年後までの未来予測を読み上げているのを聞いているとき、客席にいる私たちと一緒に舞台上の役者もまた「ついてけないなあ」と少し引いていたし、iPhoneさえあればアクセスできてしまう200億年後の未来と、6畳間にいる私たちの小さな世界(とその中にある小さな未来)とを役者たちに行き来させることで、それを観ている私(たち)にはある感慨が生まれた。

 鳥公園の「カンロ」は何に向かっている舞台なのだろうかとずっと考えていたけれど、最後まで僕にはよくわからなかった。これは別に、わからないからダメだと言っているわけではなく、誰かとそのことについて話したいというだけの話。僕は最前列で観た。女性の役者さんがカップヌードルをすするシーンが2度あった。彼女がすすっているのは見慣れたあの麺ではなく、透明な春雨のようなヌードルだった。パッケージは普通のカップヌードルだったから、おそらく中身だけ変えたのだろう。そういうところばかりを気にしてしまう。わざわざ中身だけ入れ替えるに至った経緯ややりとりや配慮を勝手に想像し、勝手に愛おしく感じてしまう。

 三鷹から新宿に出て、渋谷で東急田園都市線に乗り換えて三軒茶屋に出る。今日は構成を担当している『S!』誌の対談の収録がある。スタートまではまだ1時間ほどあるので「サブウェイ」に入り、えびアボカドのサンドを食べた。もちろん収録中にも食事は出てくるのだけど、空腹で出席すると食べ物のほうにばかり気がいってしまうし、えびアボカドサンドならヘルシーだ。45分ほど時間をつぶして「味とめ」に向かい、18時過ぎ、対談スタート。マグロとアボカド、クジラの竜田揚げ、なめろう味噌カツ……。美味しそうな料理が運ばれてくる。刺身だけにしておこうと思っていたのに、つい竜田揚げと味噌カツも一切れずつ食べてしまった。最後に坪内さんは闇鍋カレー(?)を注文した。この上カレーまで食べると――と、一回取り分けたあとはそのカレーのことを見ないようにして過ごした。

 3時間ほどで対談は終了し、皆で「ルースター」というお店に流れてハーパーのソーダ割りを飲んだ。テレビではまだ日本シリーズをやっている。ところで、今日の収録はレギュラー回ではなくゲストを招いた特別回だったのだが、ゲストの方のサービス精神に圧倒されていた。話の最後には皆がどっと笑えるオチが必ずついている。話をしながら笑いながら、自然とその場にいる全員を見て気を遣っている。それでいて、僕がこんなことを言うのもおこがましいけれど、やはり「文学的」と言うしかないところもある。ある出来事を語るときのディティールが何とも鮮やかで、思わず聴き入ってしまう。そしてふとした瞬間に冷静な目をしている。そうしたこととは関係なく、僕の容姿はわりとその方に似ているという気がした。

 23時過ぎにお開きとなった。乗り換えるついでに渋谷の駅前に出てみると、コスプレをした人たちであふれ返っていた。そうか、ハロウィンか。しかし、世の中はこんなことになっていたのか――。僕は渋谷には馴染みがなく、新宿や池袋でしか飲んだくれていないが、そのあたりではコスプレをしている人なんてほとんど見かけたことがない。しかし、ここではそこら中にコスプレをした人たちがいて、ナースやメイド、警察官、何かのキャラクターと様々だが、駅前でよく見かけたのはゾンビだった。ちぇっと舌打ちして山手線に乗り込んだのだが、たしかハロウィンは日本で言うところのお盆のような行事で、死者の霊が家族のもとを訪ねてくるわけだから、ゾンビが街を徘徊しているというのは案外正統なのかもしれない。そう思うとなんだかおかしくて、満員の山手線の中でひとりニヤついていた。


10月31日(木)

 9時過ぎに起きて『c』誌の構成に取りかかる。昼、マルちゃん正麺カレーうどん)もやしのせ。カレーうどん、生麺ぽさはそんなにないけれど、ツルツルしたのどごしでおいしい。味噌や醤油は液体スープがついているけれど、豚骨やカレーうどんは粉末スープだ。カレーうどん味、唯一の欠点は茹でかたが面倒くさいところ。他のは決まった時間茹でるだけなのに、カレーうどんの場合はまず麺を3分茹でたあと、粉末スープを鍋に入れてさらに2分煮込む必要がある。この2段階というのが少し手間だ。タイマーを2度セットしなければならない。しかし、味はなかなかいける。

 午後、お昼のピークを過ぎたあたりで近くのデニーズに出かけた。ドリップ珈琲を注文し、『c』誌の構成。2時間ほど進めたところでジムに移動して、5キロほどジョギングする。まだ疲れが残っているせいか途中で何度か歩いた。アパートに戻り、ひとりで水炊きを作って食べる。食後、「仕事場2」へ。23時近くになってようやく『c』誌の構成を完成させた。今回はあまりに話題が豊富で、あと一息のところが削りきれず、判断を仰ぐためにも少しオーバーしたまま送信してしまったから、「完成」というのは正しい言い方ではないかもしれない。

 アパートに戻ってパソコンを置くと、すぐに自転車をこいで新宿へと向かった。今日は会いたい人たちに会える気がする――息を切らせて階段を降りていくと、ボックス席に坪内さん、亀和田さん、Iさんがこの順番で座っている。編集者のOさんもいる。いきなりそこへ座るのも失礼かと思ってまずはカウンターに座り、ウィスキーのソーダ割りを飲みつつ息を整える。1杯目を飲み干したところでボックス席に移動すると、僕がそこに腰掛ける前にIさんは「3年振りぐらいじゃないの」と言った。僕のオジキと言うべき存在は他でもないIさんなのに、すっかり間が空いてしまった。恐縮しつつ「いや、2年振りぐらいだと思います」と答えると、それをほぐすように亀和田さんが「はっちゃん、俺は1年振りぐらいだよね」と声をかけてくれる。

 おそるおそる席に座ろうとすると、「あなた、ひょっとして怒ってる?」とIさんは言った。「坪内さんの誕生日を祝う会で、あなたが欠席したとき、俺がそそのかしてあなたの悪口大会になったんだけど、ひょっとして怒ってる? 言っとくけど、自分がいないところで話題に出るってのは怒るようなことじゃなくて嬉しいことだからね」と。Iさんがそそのかしてたのかーと思いつつも、もちろん僕はそのことでIさんに対して怒ってなんかいない。Iさんが話題にしてくれるのであれば、どんなに批判されていたとしても喜ばしいことだ。

 この日はいろんなスペクタルが目の前で繰り広げられた。それを書き始めたら、一週間ぶんの日記と同じぐらいのボリュームになってしまう。最後は亀和田さんと二人になって、ここ数年のドラマのことをたくさん話した。亀和田さんと二人で話ができるのは初めてのことで、時間も忘れて話しているうちに、午前3時になっていた。