10月1日から15日

10月1日(火)

 8時過ぎに起きる。急いでホテルをチェックアウトし泊港へと向かった。待ち合わせ時間に遅れそうなのでタクシーを拾うと、「お客さん、どちらの島まで?」と訊ねられる。渡航先によってのりばが微妙に異なるし、普通のフェリーか高速船かによってものりばが違うようだ。座間味島まで高速船でと伝えると、高速船の目の前に向けて走り出してくれる。皆はターミナルの入口で待ってくれていたので、慌てて「すみません、ターミナルじゃなくて船の前まで来ちゃいました」と電話をかける。

 今日はマーム女子4人と一緒に座間味島に出かける。向こうから小走りにやってくる4人を見ていると、やっぱり「僕はいいや」と断ればよかったかもしれないと少し思う。

 思えば昨日の夜から少し「いていいのか」感をおぼえていた。喜屋武岬で日没を見届け、飛行機の時間が迫った2人を送り届けてから那覇市内まで戻ったのだが、皆で2軒目に入ったのはカフェだった。僕以外の7人は皆女性で、ケーキを食べたりなんかしていて、紛れ込んでる感は強かった(そこはビールも飲める店で、僕は酒飲みながら甘い物を食べるのも好きなので、さほど困らなかったのだが)。そこまではともかく、今日は離島への女子旅なので場違い感がどうしても増してくる。「2年前は橋本さんと島に行くなんて思いもしませんでしたね」と一人が言った。まったくその通りだ。2年前どころか、半年前くらいまで役者の人たちと話したこともほとんどなかったのである。ちょっと緊張するので朝からオリオンビールを飲んだ。

 これでもかと揺れる高速船に50分ほど乗っていると、座間味島が見えてくる。まずは平和の塔まで歩く。座間味島は最初に米軍が上陸した場所である。少し山を上がったところに平和の塔はある。途中に小学校があって、子供たちがリレーの練習をしているのが見えた。この島に暮らすのも楽しいだろうなと思うのと同時に、実際に住むとなると「楽しい」だけでは済まないだろうなとも思う。座間味島には、少しひらけた場所にある平和の塔とは別に、山に上がる道の途中にも碑があった。その場所で自決した人たちがいるのだという。それは本当に道端のふとした場所にある碑だった。山の上まで駆け上がってでもなく、身を潜められそうな場所ででもなく、こんな道端の場所で自決を強いられるというのはどういう状況なのか。

 2つの碑に手を合わせると、ビーチに向かって歩き始めた。歩いていると一台のバンが止まった。どうやらビーチで浮き輪やパラソルのレンタルをしているらしい。「ビーチに行くなら乗せてくよ」とドライバーのおじさんが声をかけてくれた。「うちの店で何かレンタルしてくれたら、帰りも駅まで送っていくから」と。ビーチに行くとはいえ、僕は海には入らず、パラソルでも借りて読書したりかかえている原稿を考えたりするつもりでいた。でも、座間味のビーチがあんまり美しいので、売店で中学生みたいな海パンを急遽購入し泳ぐことにした。

 思えば海で泳ぐなんて小学生以来だ。ぽっこりした腹をさらすのは恥ずかしいので、Tシャツを来たまま海に入ろうかとも考えた。でも、もうすぐ31になるという男が、「ぽっこりした腹を見られるのが恥ずかしい」なんて思っているのはいかがなものか。そんな自意識を抱えているほうがみっともない――きれいなビーチを眺めているとそんな気分になったので、Tシャツを脱いで身(と浮き輪)一つで海に入ることにした。しばらくぷかぷか浮かんでいると、引き潮なのか、少しずつ沖に運ばれていく。そこから浜までバタ足で戻るのが案外大変で、レンタルショップまで戻ってシュノーケルと足びれを装着し、万全の態勢で海に戻った。おそるおそる海に顔をつけてみると、波打ち際のあたりでも色とりどりの魚が泳いでいて、3時間近く、ずっと夢中で眺め続けていた。シュノーケルは最後までうまく使えなかった。

 16時の高速船に乗って那覇市内まで戻る。行きよりも帰りのほうが揺れは激しかった。船酔いしないように、最初から最後までデッキに立っていたが、手すりに掴まっていないと海に放り出されそうになる。おまけに時々波しぶきが飛んでくる。しばらく波に当てられているうち、「そろそろしぶきがきそうだな」というタイミングが掴めてくる。「今なら大丈夫だ」というタイミングを見計らってカメラを取り出し、一緒にデッキに佇んでいる青柳さんや実子さんの姿を写真に収めようとした。と、まさにその瞬間、ひときわ大きな波が飛んできて僕やカメラにかかり、全身ずぶ濡れになってしまった。濡れて嫌だったかというとそんなことはなく、むしろ清々しい気持ち。

 泊港に戻って服を着替えて、皆で桜坂へと向かった。桜坂劇場の2階で陶器を物色し、牧志公設市場で少しお土産を購入し、少し早い飛行機で戻る青柳さんと分かれて4人で居酒屋に入った。「もう最後だから!」と気前よくじゃんじゃか注文してじゃんじゃか飲み食いし、東京行きの最終便に乗り込んだ。この5日間、本当に楽しい旅だったし、自分も島に行くと言ってよかったとしみじみ思いながら眠りについた。


10月2日(水)

 11時、トーキョーワンダーサイト青山の前で待ち合わせ……だったのだが、直前で思い出したことがありタクシーを拾って南平台の交差点に移動する。ランチ営業もしているオイスター・バーに入り、絹代さんにインタビューする。このインタビューは、今月18日からトーキョーワンダーサイト渋谷で上演される快快の新作公演「6畳間ソーキュート社会」の会場で、公演を予約したお客さんに特典として配布するZINEだ(それを「ZINE」と呼ぶことにしたのは僕ではない)。『faifai ZINE』。これから稽古がある人の前で申し訳ないが、口の回りをよくするために僕はビールを注文した。1時間ほど話を聞いたところで店が混雑してきたので青山に戻り、もう30分ほど話を聞いた。

 14時頃にアパートに戻って、北三陸でインタビューした音源のテープ起こしに取りかかる。17時過ぎ、再び同じ装備で渋谷に戻った。昨日、夢中になって海の中を眺めていたせいで背中がボロボロに日焼けしてしまったようで、リュックを背負ってられないほど痛む。「ぽっこりした腹を見られたくないなんて自意識はみっともない」なんて服を脱いだ自分がバカだった。そんな意識すらつまらないことで、何より日焼けに弱い肌を守ることを考えるべきだった。17時半、ハチ公前の喫煙所でこーじさんと待ち合わせ、「Tabela」で3時間ほどインタビューをした。取れ高が多くて嬉しい悲鳴をあげている。


10月3日(木)

 朝8時に起きる。あまり深く眠れなかった。からだのあちこちが痛くて動けない。午後になると次第に我慢できる痛さではなくなり、気合いを入れてマツモトキヨシに出かけて日焼けの痛みを和らげるアロエの成分の入ったジェルを買ってきて、アパートに戻って塗りたくる。すると、10分も経たないうちに痛みが激しくなる。たまらず「痛い痛い痛い痛い!!」「あだだだだだ!!」と声が出る。あまりにも大声が出るので慌てて窓を閉めた。あまりにも痛いので病院に行こうかと思ったが、まず叫び声がおさまらない。とりあえずジェルを流したほうがいいんじゃないかと思って冷たいシャワーで洗い流していると少し沈静化する。そろそろ大丈夫かと思って風呂から上がり、からだを拭いているとすぐにまた痛み出し、またシャワーを浴びる――この繰り返しだ。

 1時間ほど繰り返しているうちに「水で濡らしたタオルを当てていれば落ち着く」ということがわかり、タオルを背中にかけた状態で、その上にパーカーを着て病院に行ってみる。日焼けというかもうやけどというレベルまで焼けてしまっているらしく(いや、そもそも日焼けはやけどの一種なのだが)、紫外線を受け過ぎたストレスなのか、それとも痛みによるものなのか、蕁麻疹亞で出ているらしかった。紫外線に弱い体質だと思うから今後は気をつけるようにと注意を受ける。本当に、お腹のことなど気にしている場合ではなかった。

 タオルをあてがっていれば落ち着くとはいえ、そんなスタイルで行くわけにもいかないし、途中でまた痛み出したら収録に差し支えがあるので、夕方から予定されていた『S!』誌の収録は欠席させていただくことにする。電話をかけてその旨伝えたのだが、なぜ蕁麻疹が出るような自体に至ったのか、あんまりみっともないので口にできなかった。そんなことが原因で仕事に支障をきたすなんて、情けない。心配した知人も、馬油を買って早めに帰ってきてくれた。アロエジェルを見つけた知人は、「塗ってみる?」「うおおおって言ってみる?」と、好奇心たっぷりに言った。


10月4日(金)

 朝8時に起きて、届いていた昨晩の収録のテープ起こしに取りかかる。それが終わるとすぐに構成。16時半に完成しメールで送信。すぐに連絡があり、指摘を受けた箇所を修正して再度送信する。今週はタイトなスケジュールなので少し不安もあったが、無事まとめられてホッとした。

 20時、歌舞伎町でよんちゃんと待ち合わせ、3時間ほどインタビューをした。僕が快快のメンバーの中で一番オソロシイと感じるのがリーダーのよんちゃんだ。それは本人にも伝えた。「怖くないわ!」とよんちゃんは笑っていたが、そのおそろしさというのは怒りっぽいとか、カリカリしてるとか、礼儀に厳しいだとか、そういうタイプのものではない。そうではなく、捉えどころのないところがおそろしいのである。そのせいか、僕はこれまで3年くらい快快の近くにいるけれど、そんなにしっかり話をしたことがなかった。そのぶんまで――というわけではないけれど、ワインを開けながら3時間近く話を聞かせてもらった。


10月5日(土)

 北三陸に出かけてから、あっという間に2週間経ってしまった。締め切りが迫っているので、ぐるぐる考えていたことをいい加減原稿にしなければ。北三陸でメモしたこと、現地で話を聞かせてもらったテープの起こし、東京に戻ってきてから思い浮かんだことのメモを見比べながら、原稿にしていく。見開きが6つあるので、6本の原稿を書くような気持ちで力を注ぐ。あれこれ設計図を考えて、午後には実際に原稿を書き始めた。

 2本(2見開きぶん)ほど書いたところで16時だ。今日は観に行きたいライブがあって、チケットも買っていたのだけど、今日は原稿に集中しなければと泣く泣く諦める。ツイッターに「泣く泣く諦める」と書こうかと思ったが、やめた。よほど忙しい人ならともかく、僕の場合は自分が怠惰なせいでしかないのだ。いや、どんなに忙しくても、本当に心の底から観たいものであればどうにか時間が作れるはずだ。それこそ地球の裏側にだって出かけていける。いろんな取捨選択の結果、行かなかったというだけの話に過ぎない。

 原稿に入れたいエピソードは山ほどあるが、それを詰め込んだだけではメモにしかならない。いや、正確に言えばメモだって文学性は宿ると思っているが、今回の仕事はそういうものを提示することが目的ではないのだ。もっと高いところに飛ぶにはどうすればいいのか――それを考えるべく、16時に「ニュー浅草」に入り、ビールにハムカツを食べながら原稿のことを考えた。17時半にはアパートに戻り、さっき書いた2本に手を加え、さらにもう1本原稿を書いた。これでページ数的には半分だ。

 21時、買い出しに出かける。まずはスーパーでシャンパンを選ぶ。去年はこのスーパーの中で一番値の張るシャンパンを買ったのに、今年はお金がないのでそれより一つ下の値段のスパークリングワインになってしまった。少し申し訳ない気持ちになる。知人の好きな島らっきょうもソーセージ(沖縄土産のアグー豚のソーセージ)もあるから、成城石井で辛そうな麻婆豆腐だけ選んだ。駅前のコージーコーナーで小さなケーキを買って、ホフブロイハウス、ヒューガルデンモレッティと外国の瓶ビールも3本買い求めて、知人の帰りを待ってオクトーバーフェストを開催する。


10月6日(土)

 今日は知人の31歳の誕生日だ。寝るのが大好きな知人はそっとしておくことにして、僕はパソコン片手に近所のデニーズに出かけ、スクランブルエッグのモーニングを食べながら原稿書き。6本のうち4本までは書けた。昼前にアパートに戻り、知人を起こして風呂に入らせたところで花が届く。知人の幼なじみで、僕と住み始めるまでは一緒に住んでいたミカりんから花が届いた。花屋で働く彼女は、去年も花を送ってくれていた。

 見晴らしのいいとこでごはんが食べたいというので、13時半、「コットンクラブ」で昼食。うまい具合に2回のテラス席(の近く)に座れた。どうしてここで開催されているのかはさっぱり分からないが、早稲田通りの端のレーンを封鎖し、機関車トーマスが走っていた。駅前から明治通りのあたりまでを往復しているらしい。トーマスの他にも緑とオレンジが走っていたが、名前を知らない。15時に帰宅し、2時間かけて5本目の原稿を書いた。そのあいだ知人は部屋の大掃除をしていた。

 18時、渋谷に出かけて「ビックカメラ」(渋谷東口店)へ。知人はずっと、充電のできなくなったノートパソコンを使っていた。電源に接続しなければ使えず、ずっと不便そうだった。それを誕生日プレゼントに買ってあげる――と言えればいいのだが、そこまでの余裕もなく、知人がMacBook Airを買うところに付き合うだけ付き合う。店を出たところでタクシーを拾い、「高樹町まで」と伝える。そんな場所、初めて口にした。少し前、知人が気になる店リストを送ってきていて、その中で唯一日曜日も営業している店が、高樹町交差点の近くにある「Y」という店だった。

 Googleマップに従ってひと気のない路地を入ると、料亭のような看板が出ている。階段を降りていくと、予約で一杯だったのか、ホスト風の2人組がブツブツ言いながら上がってくるのとすれ違った。降りきったところには妙なうなり声をあげる自動扉。店名などは書いていない。おそるおそるボタン(?)を押すと、そこには焼肉店が広がっていた。「えっ、ここって焼き肉の店だったの?」と知人に訊ねると、「えっ、知ってて予約したんじゃないの?」と知人が言う。入口には黒服の店員が5、6人わしゃわしゃしていた。アリの巣みたいだなと思った。そんなに店員がいるということは広い店なのかと思ったが、席に案内されてみるとそんなふうでもない。それではなぜそんなに店員がいるのかと言えば、注文した肉をいちいち店員が焼いてくれるからだった。

 まずは生ビールと、コースを注文する。焼き肉屋でコースのある店なんてあるのだなあ。7000円と9000円のコースがあるが、様子を見ようと7000円のコースを選んだ。運ばれてきた肉はたしかにどれもうまかった。普段は焼き肉を食う機会すら少ないが、「ちょっと贅沢をして今日は牛角」というのがせいぜいである。牛角に2人で行くと狭い席に通されていつも少し窮屈な思いをすることになるが、この「Y」、2人客でもファミレスくらいのサイズのテーブルなのでゆったりと過ごすことはできる。

 でも、周りを見ていると、どうにもさもしい気持ちになってくる。隣りのカップルの女は15分置きにポーチを手にトイレに立つ。反対側のてーブルにひとりで座っている男は、待ち合わせをしているのか、ビールを1杯だけ注文して、あとはずっとジャンプを読んでいる。足もとはビーサンで、30分ほどして現われた連れの男もビーサン姿で、つくなり大声で会話を始める。おそらくテレビに携わる仕事をしているのだろう。彼らはこの店に通い慣れた様子で、あれこれ注文していく。

 その横で、せっかくだからと着慣れないジャケットなんか羽織ってきた僕は、どうにもさもしい気持ちになった。どうやら知人も同じ気持ちだったようだ。この日知人は、僕がチリでおみやげに買ってきた服をきていた。チリみやげと言っても民族的な衣装ではなく、おしゃれなエリアに買い物に出かけたとき、マームの何人かに見立ててもらいながら選んだ服だ。そういえばあのときお金が足りず、藤田さんにお金を借りたままになっている。話がそれたが、店員さんたちも、大学生のアルバイトだろうか、美人を揃えているという感じはするのだけど、次の肉を持ってくるペースも業務的だし、こちらが追加で酒を注文しようと思っても誰もフロアにいなかったり、いたとしても誰も客席のほうを向いていなかったりする。それに、2時間制なのはまだいいとしても、ラストオーダーを1時間前に取りにこられたのには参ってしまった。彼らの、決して安くはないであろうアルバイト代が料金に上乗せされているのかと思うと、少し腹立たしくもなってくる。

 知人とふたり、「すごかったね」と言い合いながら高田馬場まで戻ってくる。飲み直そうと「米とサーカス」に入った。ここにくると、もちろんごはんも美味しいのだけれども、店員さんの愛想が良くてホッとする。最初からこの店に来ればよかったのだと反省しながら、杯を重ねた。


10月7日(月)

 さて、締め切りである。朝7時に起きてデニーズで最後の1本(1見開き)を完成させ、アパートに戻って知人に読ませる。「うーん」としか言わない。何で唸っているのか問いつめると、「私、ロケ地のこととかそんなに興味がないかも」と言われる。なんてことだ。しかし、興味がない人の興味を惹ける文章になっていないということなんじゃないかと思い直し、近くのカフェに出かけ、プリントアウトした原稿にあれこれ赤を入れていく。

 16時過ぎ、「現状ではこれがベストだ」と思えるところにまで達したので、メールで送信。これでオーケーをもらえるかどうかはわからないが、とりあえず肩の荷が下りた。沖縄から戻ってきてから1週間、僕にしてはバタバタしていたほうだ。久しぶりに早い時間からお酒で飲むかとUさんを誘い、「古書往来座」で待ち合わせ。まずは池袋北口の地下にある「D」でタイムサービス中のため1杯150円のビールを数杯飲んでから「ふくろ」(2階)へ。途中から知人も合流して酒を飲んだ。閉店時間の23時半まで飲んでいたように思う。軒先で少し立ち話をしていると、2階の窓ががらっと開いた。「たばこ忘れてるよ!」と店員さんが上から声をかけてくれる。お母さんがぽいっと放り投げたライターそしてタバコを、Uさんはこともなげにキャッチした。その姿が印象深くて、何を話しながら飲んだのかは忘れてしまった。


10月8日(火)

 朝起きるとケータイが見当たらない。昨晩は「ふくろ」で飲んで、すぐ近くからタクシーを拾って帰ったので、失くしたとすれば店か車内だ。それなら大丈夫だろうと別段焦ることもなく「iPhoneを探す」で検索してみると、現在位置は池袋警察署のあたりになっている。ほら、やっぱり大丈夫だ。安心しながら、北三陸ルポについて指摘をもらった箇所を直していく。

 昼頃になって「そろそろ取りに行ってやるか」ぐらいの気持ちで池袋警察署に行ってみると、「携帯電話の場合は直接受け渡しができない」「拾得した場合は警察から電話会社に連絡が行き、そこから持ち主に『見つかりました』という連絡がハガキで行く」「急ぎの場合は電話会社のほうに電話して届け出の番号を聞くように」と指示を受け、キャリアごとの連絡先の書かれた紙を渡される。やれやれ、そこに電話をかけてみるかと思ったが、その電話がないのである。

 公衆電話を探すのも面倒なので、SoftBankの店に出かける。これは何度も経験済みなのだが、ショップ窓口では紛失などの手続きはやってもらえない。番号札を引いて順番を待って、事情を話すとコールセンターに電話を繋いでくれるので、自分でコールセンターとやりとりをする。調べてもらったが、「まだこちらにはお客様の携帯電話が届いたという連絡が上がってきていない」とのことだった。

 朝の時点ではたしかに池袋警察署周辺にあるとGPSが表示したのに――。今度は自分の携帯電話にかけてみるが、電池がなくなってしまっているのか綱がならない。一体どういうことなのか。少し考えをめぐらせていると、別の可能性に思い当たる。GPSは必ずしもぴったり正確な表示が出るとは限らない。もしかしたら「ふくろ」の店員さんが保管してくれているのかもしれない。「ふくろ」、1階はたしか朝から営業していたはずだと足を運んでみると、まだ12時だというのに飲んだくれているお客さんでいっぱいだ。今日が食べ物半額の日というのもあるのかもしれない。忘れ物がなかったか訊ねるだけで済ませるつもりだったのだが、店員さんが「こちらにどうぞ」と誘導してくれたので、とりあえず瓶ビールを注文し、それが運ばれてきたところで訊ねてみる。

「あの、昨日の夜に2階で飲んでたんですけど、忘れ物がなかったかなと思って」

「2階はちょっと別だから、今はまだわからないんですよ。ごめんなさい。メモとかがあればわかるんだけど、ないからね。2階は3時に開くから、そこでまた聞いて見てくれる? ……あ、もしかして飲むつもりはなかった? ごめんね」

「いやいや、飲むつもりでした。食べ物――揚げシュウマイもらえますか?」

 2階が開くまであと3時間弱ある。昼からそんなに飲んでいてはまずいことになるので、一旦アパートに戻る。さきほどSoftBankでもらった書類を眺める。コールセンターに電話をかけているあいだ、「もしかしたら出てこないかも」と感じ始めていたので、過去に買ったiPhoneの分割金がどれくらい残っているのかをプリントしてもらっていたのである。分割金は3通り残っていた。どれも24回払いにした分割金だから、この2年のあいだに僕は3度iPhoneを失くしたということになる(そして今回で4度目になるかもしれない)。なにより興味深いのはその日付けだ。1台目から順に、2012年5月15日、2012年10月20日、2013年5月14日に失くしている。今回は10月8日だから、5月と10月がくるたびケータイを失くしているということになる。書類には分割の支払がいつ終わるかも記載されていて、そこにある「2015」という数字に少し未来を感じる。

 iPhoneのことは忘れて、近所のカフェに出かけ、『faifai ZINE』のためにインタビューのテープ起こしを進める。トータルで12時間以上ある。長い道のりだ。外で作業をしていると、ふと「あ、パズドラのゲリラダンジョンの時間かも」とか、「ちょっと息抜きにツイッターでも」とか、ふとした瞬間に手がiPhoneを探してしまう。そのたび「あ、ないんだ」と思う。不便ではあるが、中学生の頃はiPhoneどころかケータイすらなかったんだけどなと不思議な気持ちになってくる。結局、「ふくろ」の2階にもiPhoneは届いていなかった。


10月9日(水)

 9時に起きて、アパートの近くにある公衆電話からSoftBankのコールセンターに電話をかける。何度もかけたので、何番のダイヤルコードを押していけばスムーズにオペレーターに繋がるのか覚えてしまった。これで4度目の問い合わせだが、ようやく「届いてます」との返事。ホッとする。「それで、お住まいは高田馬場ということなんですけども、届いているのが池袋警察署というところで……」と言われ、「知っとるわ!」とツッコみそうになるのを堪える。紛失して迷惑かけておいて「堪える」も何もないのだけれど。

 昼、池袋警察署でケータイを受け取ったのち、高田馬場ドトールに入ってひたすら『faifai ZINE』のテープ起こしを進める。日が暮れる頃になってようやく終わりが見えてきた。久しぶりで「古書現世」をのぞき、少し雑談する。『サブ』(5号)があったので購入。ずっと置いてあったらしいのだけど、気づかなかった。近くの「ティーヌン」でAセット(ミニガパオ+生春巻き+バミーへン)を食べてからアパートに戻り、知人にテープ起こしを送付。高樹町で焼き肉を食べているとき、知人にもインタビューをしていたのだ。話を聞きながら「そんなこと、載せられないけどなあ」と思っていたのだが、テープ起こしを見た知人から「これ、出しちゃダメなやつだけど」とメールが届く。それなら追加収録しようと思い、22時過ぎ、仕事帰りの知人と駅前の「マルハチ」に入り、ホッピーを飲みながら1時間だけ追加で話を聞いた。


10月10日(木)

 7時に起きる。体をしゃっきりさせるべく朝から湯につかる。風呂から上がるとデニーズに出かけて、『faifai ZINE』のインタビュー構成に取りかかる。この『faifai ZINE』、無料で配るということもあって、コストの問題から「トータル8ページで」ということになっていたのだが、7人にインタビューしたので1人1ページということになる。A5サイズだと、写真を入れるとせいぜい1000文字くらいだ。2時間のインタビューを1000文字にするというのはなかなか難しいものがある。もちろんそういう仕事も全然あり得ることだけど、何のためにこのZINEを作るのかと考えると、ひとり1000文字ではまったく足りない。

 それで、よんちゃんや制作担当の知人、それにデザインを担当するPに相談してみる。最初はどこかの印刷所にお願いするつもりだったが、どうやら知り合い(?)の輪転機を借りて刷ることになったらしく、ページが増えるのは全然問題がないという。確認のために、同じ人のインタビューを短くまとめたものと長めにまとめたものとを送ってみると、「これは短くしないほうがいい」という話になった。これでたっぷり話が載せられる。

 ファミレスや喫茶店などをハシゴしつつ、がりがりと構成を進めていく。本当は今日が締め切りだったのだけど、間に合いそうにない。もう日も暮れてしまった。ガソリンを追加しようと、20時頃からは「コットンクラブ」に出かけてビールを飲みながら構成を続けた。大変だけど、楽しくもある。隣りには早い時間から飲んでいたのか、すっかり出来上がった人たちがいた。男性が1人、女性が2人のグループだが、バブルの頃の羽振りのよかった話をしている。

 途中、酔っ払ったおじさんがこちらを見ているのが気になった。パソコンを広げていることにケチでもつけられるのだろうか。でも、パブや居酒屋やバーならともかく、ここはカフェなのだから、仕事したっていいだろう――そう心の中で思って、おじさんの視線を無視して仕事を続ける。3分ほど経ったところで、おじさんは僕の肩をちょんちょんと叩き、「あの、ガイジンさんですか」と言った。外国の人に「ガイジンさんですか」と言ったって伝わらないし、だとしたら何なのか。面倒だったので一瞥だけくれて仕事を続けた。


10月11日(金)

 朝8時に起きる。知人は先に起きていた。「スッキリ」に亀梨和也が出演し、KAT-TUNからメンバーが脱退したことの報告とお詫びをしている。「亀梨君、高貴だわー。高貴」と知人はしきりに感心している。本来は謝罪のためにブッキングされたのではなく、今日から始まるドラマ「東京バンドワゴン」の番宣をするはずだったのだろうな。「はなまるマーケット」にチャンネルを変えると長瀬君が出ていた。こちらは「クロコーチ」の番宣だ。姪っ子とのメールのやりとりを公開していたのだが、その時間が24時53分であることに現代を感じる。

 昼過ぎになってようやく『faifai ZINE』のインタビュー構成が全員ぶん完成した。すぐにメールで送信する。ひと段落したところで録り溜めていた番組を消化したり、雑誌を読んだりする。買うだけ買っていた『POPEYE』、今号の特集は「大人になるには?」。大人らしい服装がいくつも載っている。次にまとまったお金が入ることがあったらたまには上等な服でも買おうか。でも、そこに掲載されている色々の服をいざ自分が着ているところを想像すると、途端にコスプレくさくなる。それに、一体どこで上等な服を着るというのか。

 知人に「帰りにスーパーで割引になってる刺身を買ってきて」とお願いする。でも、他にも欲しい物もあったので結局僕もスーパーに出かけると、知人はちょうど刺身を選んでいるところだ。すっと真横に立ってみたが、知人はこちらには気づかず刺身をカゴに入れて別の商品を探しに行ってしまった。後ろからわざとらしくビーサンの足音を鳴らしながら後ろを随いて行ってみたが、知人がこちらに振り返ることはない。野菜ジュースの棚の前で知人が立ち止まると、僕も立ち止まる。びくっとした知人はそそくさと売り場を離れながらようやくこちらを振り返り、ホッとした様子で「なんか変な人がいると思った」「怖かった」と言う。「狙ってた刺身を私が取っちゃって、怒って随いてきてるのかと思った」。

 深夜、知人にインタビューの構成を見せると、「やっぱ私の載せなくていいと思う」と言い出す。一体何のためにテープ起こしをして構成したというのか。いや、別にそれに払った労力のことはどうでもいい。「6畳間ソーキュート社会」という作品に向けたZINEを出すのだから、ここにはとても小さな話が必要だ。小さな誰かの生活の話が。「でも、これは私ともふの関係があった上での話じゃん」。いやいや、だからさ、関係があった上で僕に依頼してるんじゃないのか。外側から書くのではなく、半ばメンバーのようにして内側から書くために僕に依頼したんじゃないのか。そうした関係性を持って書く以上、そこをナシにするのはおかしいだろう。「だって、インタビューとかすると『アイツ、制作のくせにインタビューとか受けてる』と思われるかもしれないじゃん」。それはもちろん、まだ仕事を始めて3年くらいしか経っていない知人に「制作の仕事とは」みたいなインタビューをするのであればそう思われるかもしれないが、でも、今回のインタビューは“僕が一緒に暮らしている(そしてたまたま制作の仕事をしている)快快のメンバー”として話を聞いているのだ。そんな人はいないだろうが、このインタビューを読んで「制作のくせに目立ってどうするんだ」なんて言う人間がいるとしたら、それはよほど見る目のない人間なんだから気にすることはないだろう。

 そんな話を、こんな冷静な言葉ではなく激しい言葉で2時間ぐらい言い合い、3時になってようやく追加収録を少しだけした。


10月12日(土)

 朝9時に起きる。昼前に「芳林堂書店」に出かけて、『文藝春秋』と『本の雑誌』をパラパラめくり、『文學界』と『新潮』を買い求める。それから伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』、常盤新平『銀座旅日記』、深沢七郎『言わなければよかったのに日記』を購入する。書いていてようやく気づいたけど全部タイトルに「日記」と入っているな。この3冊は『POPEYE』に出てきたものだ。特集「大人になるには?」の中で、たとえば「女性について」といったテーマで大人な“文豪”の意見を紹介しているのだが、どのテーマでも基本的に伊丹十三山口瞳深沢七郎田中小実昌常盤新平辻まことといった人が取り上げられていた。なぜどのテーマも同じようなラインナップなのかと少し不思議に思いながらも、久しぶりに読んでみようと思って買ったのである。どれも持っているはずだが、おそらく実家に送ってしまっている。

 アパートに戻って知人と昼食。僕はマルちゃん正麺(醤油)のもやしのせ、知人はスチーム野菜である。食後、『言わなければよかったのに日記』を読み始める。

 ボクは文壇事情を知らないから時々失敗してしまうのだ。
 「知らないといっても、アナタは常識程度のことさえ知らないからダメだよ」
 と、よくヒトに云われる程知らないのだ。(早く一人前にならなければ)と思って、一人前になるまでは、あまりモノを云わないことにしているが、相手が親切に話をしてくれると、後で冷汗をかくような失敗をしてしまって、そのたびに云わなければよかったのにと後悔するのだ。

 という書き出しに続いて、文壇の様々な「先生」とのエピソードが綴られていくのだが、軽やかな語り口で、様々の出来事や「先生」の人柄がすいすい伝わってくる。「云わなければよかった」という串を一つ通すことで楽しく読み進められる。エンターテイメントになっている。今、自分の中に書こうとしているテーマがあって、どうすればそれをうまく伝えられるかということをずっと考えているので、そういうところが気になってしまう。串というより、文体といったほうが正確なのかもしれないが。

 自分の文体はどこにあるのだろうかとボンヤリ考えながら支度をして、知人と一緒に渋谷に出かけた。16時、トーキョーワンダーサイト渋谷にて「6畳間ソーキュート社会」の通し稽古を観る。マームとジプシーと一緒に海外に行ったときも稽古の様子を見せてもらったけれど、発表前の作品の稽古を観るのは初めてかもしれない。そう聞いてはいたけれど、日田とはずいぶんバージョンが変わっていた。そして、そこで演じられている物語は僕自身の物語であるように思えて仕方がなかった。快快の作品でそう感じたのは初めてかもしれない。知人もそう感じたのか、ときどき僕のほうをチラ見していた。

 ただ、気になったことが一点ある。8月31日と9月1日に上演された日田バージョンの「6畳間ソーキュート社会」も悪くはなかったのだが、あまりにもきれいにまとまり過ぎていたところはある。後半は少し台詞が上滑りしているところもあった。それを踏まえて、9月23日に吉祥寺のOngoingで行われた彼らのパフォーマンスは、くだらない(と思われるかもしれない)ネタの部分だけを抽出して、寄席のようにめくりを使ってネタを次々に披露するというオムニバス形式を取った。それはたぶん、一度そちらに振り切ってみることで、渋谷バージョンの「6畳間ソーキュート社会」の着地点を模索していたのではないかと思う。でも、今日の通し稽古を観ていると、少しネタ/オムニバス側により過ぎているような気がした。これでは「ああ、快快ってまだやってるんだね」「人数減っちゃったみたいだけど、まあ快快らしい作品だよね」という言葉で片付けられかねないという気がした。その話は、夜になってメールで送信した。

 19時にトーキョーワンダーサイトをあとにして、センター街にある「魚や」という酒場に入った。「ととや」と読むらしい。生ビールで乾杯し、さんまの刺身、タコの唐揚げ、さばの味噌煮などを注文する。うまい。どの食材にも付け合わせとしてわかめが出てくる。唐揚げの下にもわかめが敷かれていた。20時半に店を出て渋谷駅で知人と分かれ、僕は新宿三丁目へと急ぐ。今日はK’s cinemaで「こっぴどい猫」の凱旋上映があるのだ。マームとジプシー「cocoon」にも出ていた小宮一葉さんが出演していて、「よかったら観にきてください」とDMをくれたのである。

 21時の上演時刻にギリギリ間に合い、自販機でお茶を買ってから席につく。僕が何より印象的だったのは最後の10分ほどだ。自分の娘ほどの年齢の女(小宮さん)と出会った作家(モト冬樹)は、彼女に惹かれ、彼女が思いを馳せている相手というのは自分に違いないと思うようになる。無理もない、初対面だというのに部屋に誘われ、「先にシャワー浴びてください」などと言われたり、結局何もしなかったものの一緒にベッドで寝たり何度も部屋に誘われたりするのだから。還暦祝いの席で、モト冬樹は彼女に思いを伝えようとする。彼の中では完璧な瞬間だった。が、彼女が思いを馳せているのは、モト冬樹の後輩作家だった。完璧と思えたすべてが砕け散ったとき、彼は自分の旨のうちにあったすべてをぶちまけ、そして再び小説を書く決意をする。その、すべてをぶちまけているあいだ、会場は笑いに包まれていたが、僕はそれを笑うことができず、しみじみ見入った。

 終演後は舞台挨拶があった。映画の中で一番気になったのは若くしてガンだと告知された男で、彼はモト冬樹の書いた作品のファンとして病院で彼に語りかける役を演じているのだが、その佇まいがとても印象に残った。あの人は一体誰なのだろうと思った。そして舞台挨拶で登壇した面々の中にその顔はあった。その人は、この作品を監督した今泉力哉さんその人だった。

 舞台挨拶が終わってフロアに出てみると、小宮さんが立っていた。こちらに気づき、「橋本さん、ありがとうございます」と声を掛けてくれたが、「わー、さっきスクリーンに映し出されていた人だ」と思うと気恥ずかしくてそそくさとエレベーターに乗り込んでしまった。感じが悪く見えたかもしれないと、今は反省している。僕は単純に、わざわざ案内のメールをくれたことが嬉しかった。「cocoon」はほぼ毎日観に出かけたし、たしか小宮さんも皆で沖縄を訪れたときにいたはずだが、ほとんど言葉を交わしたことはない。それでも誘ってくれるというのなら、僕は“観る”ということくらいしかできないのだから、出来うる限り足を運んで観たいと思っている。


10月13日(日)

 8時半に起きる。ゆったりと身支度をしてアパートを出た。今日から2泊3日で会津若松に出かける。池袋から埼京線、大宮から東北新幹線、郡山から磐越西線と乗り換える。磐梯山を眺めるのは今年で3度目だ。会津若松に着くとまず、古本市をやっている会場を目指して歩く。キャリーバッグをゴロゴロ引きずって歩くこと10数分、駐車場にあるプレハブのような建物の脇に「古本市」と書かれたノボリが立っているのが見えた。立ち止まって見ると、ちょうど前から仙台「火星の庭」の前野さんが歩いてくるところだ。手を振って通り過ぎ、まずは中町フジグランドホテルに荷物を預けにいく。

 古本市に戻り、北杜夫『親不孝旅日記』と中川六平『ほびっと 戦争をとめた喫茶店』を買い求める。すっかりお腹が減っていたので、近くにあるソースカツ丼の店を検索して「ハトヤ」というお店に入った。昔ながらの食堂といった佇まいだ。

「すいません、ソースカツ丼と瓶ビールください」
ソースカツ丼とミニラーメンですか?」
「いや、あの、瓶ビールです」

 ソーツカツ丼だけ食べるつもりだったのだけれども、そうか、ミニラーメンというのもあるのか。こういう佇まいの店のラーメンもぜひ食べておきたいと思って、結局ミニラーメンも追加で注文した。とてもシンプルで澄んだ味のするラーメンだった。ちなみに、「ミニラーメン」とはいえ、器のサイズはソースカツ丼より大きい。店を出て、コンビニで缶ビールを買って街をぶらつく。通りには万国旗が出ていて祝祭感がある。ビールがいつもより美味く感じられる。古書市の会場まで戻ってみると、店番が「古書現世」の向井さんとUさんに交代していた。うっかり中に入りそうになったが、缶ビール片手に歩いていることを思い出し、外から手を振るだけにした。

 一旦ホテルに戻ってチェックインの手続きを済ませ、少しベッドに横になっているうちに眠ってしまった。ハッと気がついた頃には外はもう暗くなっている。よろよろと古本市の会場に行ってみたが既に灯りは消えていた。会津若松の街を一人でぶらつく。何のあてもなくしばらくぶらついてみたが、とても静かで、自分の実家のあるあたりの風景を思い出す。しばらくぶらついたのち、結局また「鶴我」に入った。この店も今年3度目だ。3連休の中日とあって、前回や前々回より混雑しているらしかった。店員さんも前回に比べてたくさんいる。僕は4席しかないカウンターの端に滑り込んで、1杯目から日本酒(榮川)を注文した。

 お酒をくいッと飲んで、くぅ〜っと顔をしわくちゃにしていると、板前さんがその顔に反応した。何か記憶を辿っているらしかった。ややあって「ひょっとしてお客さん、前に一度うちの店に来てくださってますか」と板前さんは言った。僕は「はい、3度目です」と答えたが、彼の記憶は結構正確である。1度目のときも2度目のときも彼はお店にいたが、6月に知人と来店したときはカウンターではなく、暖簾で仕切られたテーブル席に座ったのである。彼が僕が酒を飲んでいる姿を見て「前に1度、この顔を見たことある」と思ったのは、そういう意味では正確な記憶なのだ。

 今日は単品で馬刺を注文して2杯くらい飲んで別の店にハシゴするつもりでいたが、嬉しくなったので結局今日もまた板前おまかせコースを注文した。このコース、たっぷり出てきて3000円なのである。何より美味いのは馬刺だ。後から入店したカップルは一度来たことがあるらしく、いきなりユッケを注文していた。店員さんから「刺身はよろしいですか?」と訊ねられ、「いや、注文したつもりなんだけど」と言っていて、まず店員さんにそういう語り口の人からして好きではないのだがそれは置いておくとして、「いやいやいや、絶対まず刺身を注文したほうがいいって!」と勝手に割って入りたくなってくる。そのくらい僕はこの店の馬刺が好きだ(もともと馬刺が好きかというと、そんなことはまったくないのだが)。

 もう一つこの店(のおまかせコース)が好きなのは、チビチビといろんなものがテーブルいっぱいに並べられることだ。これがお客さんに対する会津のもてなしかたなのだろうか。テーブルがいっぱいになっていると豪勢な気分になってくる。次から次に少しずつ運ばれてくる料理がまたどれも酒に合うのだ。僕は酒飲みだが甘党でもあるので、味付けが甘めのものが多いのも嬉しい。特にまんじゅうの天ぷらなんて、もうたまらない。甘いものはうまいものである。そのことに由来するのかどうかはわからないが(もしかしたら単純にこの店の味付けなのかもしれないが)、会津のツマミは甘い味付けが多いようにも感じる。

 最初に榮川を頼んだのはそれが一番安い酒(380円)だからなのだが、うまいメシが次々に運ばれてきて、さらに板前さんから「ひやおろし、入ってますよ」なんて言われた日にはもう、それを注文せずにはいられない。甘口、辛口、超辛口の3種類があると言われ、超辛口のものを注文しようとしたところ、「まずは辛口からのほうが」と勧められて会津中将のひやおろしを飲んだ。このあと残りの2つも飲んだが、結局僕が一番好きだと思ったのは会津中将のひやおろしだ。どれも会津の酒なのにこんなことを言うのもどうかとは思うが、今年3度訪れて、僕の中にある会津という街の手触りに近いのはこの酒だと思った。今度通販か何かで注文することにしよう。

 コースを食べ終わる頃には満腹になっていた。昼もしっかり食べたせいかもしれない。そろそろ会計をしてもらおうかと思ったところで、板前さんが「お客さん、お腹はもう一杯ですか」と声をかけてくれる。そう言われたら「いや、まだ少し余裕があります」と言いたくなる性分である。実際その通りに答えてみると、「よかったらおそばもサービスで出しますよ」と言ってくれる。たぶん団体客用に多く茹でてしまったのだろうが、会津はそばも有名なので、食べておきたいという気持ちになる。運ばれてきたのは真っ白なそばだ。細く白いそのそばは、僕の箸遣いではぷつぷつ切れてしまうのだが、それがまた酒のツマミに最適である。サービスしてもらって気分が良くなったこともあり、最後に(高いから今日は注文しないつもりでいた)飛露喜を1合注文した。

 すっかり気分を良くして会計をしてもらう。8千円を超えていたが、その値段以上に堪能した。あんまりお腹が一杯でいつもの10分の1くらいのスピードで歩きながら、何で俺は会津でひとり酒を飲んでいるのだろうかと考える。ぶつぶつ考え事をしながら歩いていると、ホテルの近くでわめぞの何人かと出くわした。僕を観るなり、ムトーさんは「やっぱり。絶対いると思ったんだよ」と口にした。なんだかストーカーみたいな言われようだなあ(わめぞが出るブックイベントがあるからというだけで会津に来ているのだから、別に否定のしようもないが)。どうやら半分くらいの人は僕と同じ中町フジグランドホテルに泊まっているらしい。これから皆で大富豪をするというので僕も混ざり、7人で大富豪をして、7人でUNOをやった。UNOはルールがおぼつかなかったが、いずれにせよこういうゲームは人間性が出るものだとしみじみ思った。


10月14日(月)

 朝8時に起きる。しばらくボンヤリしていると、インスタグラムで皆が喫茶店鶴ヶ城に出かけている写真が流れてくる。朝から皆活動的だ。ふとツイッターを見ると、Aさんが「橋本さん、チロルで待ってるよ」とつぶやいている。「チロル」というのは山形にあるレストランで、4年前に一緒に訪れた店だ。そして4年前と同じく、今もまた山形で国際ドキュメンタリー映画祭が開催されているのだ。「待ってるよ」と誘われて行かないわけには行かない。2泊予約してしまっているが、11時にホテルをチェックアウトして駅に向かい、満席の磐越西線で郡山に出て、満席の山形新幹線に立ったまま1時間半ほど揺られていると山形に到着する。

 ホテルに荷物を置くとすぐに山形市中央公民館へと向かった。Aさん、ドド子さん夫妻と合流すると、Aさんの後輩で今は名古屋在住のSさんの姿があった。会場の前で偶然出くわしたらしい。15時30分から「蜘蛛の地」観る。4年前に観た「アメリカ通り」の監督も参加した作品で、「アメリカ通り」同様、基地村がその舞台だ。そこで売春婦として働いていた3人の女性の今と記憶とが断片的に映し出されていく。パンフレットを読んでそれが基地村であり3人の元売春婦をめぐる話だとわかるが、それは明示的には語られない。言葉で形容される前の、名付けえぬもの、存在そのものようなものが、とても美しい映像として映し出される。特に2人目の女性が、飴や酒(?)をまき散らしながら森を歩く映像を観ていると、本当に、森の中で未知の生命体に出会ってしまったような気分になる。ただ、観ているあいだずっとあれこれ検索したい衝動に駆られていた。映し出されているその世界がどこにあるどんな世界なのか、言葉で知りたくなってくる。その欲求は、この映画では満たされない。

 150分という上演時間が長く感じられた。Sさんとは会場の前で別れ、3人で近くの「シベール」に入った。次の映画が終わるのは21時近くになるので、コーヒーだけでなくピザトーストも注文した。食後、再び中央公民館に戻って19時15分から「ジプシー・バルセロナ」観る。ジプシー社会の中でとても重要な意味を持つフラメンコ(とその伝承)がテーマだが、ジプシーとフラメンコの結びつきについて僕は何も知らなかった。そもそもジプシーのことも詳しくない。もっと本を読んで勉強しなければという気になる。しかし、それより何より、ドキュメンタリーの中心となる女性――伝説的なダンサーを叔母に持つカリメ・アマヤという女性の踊りの足さばきに驚愕する。マシンガンを乱射しているようなスピードだ。あまりにすごくて、観ていて思わず笑ってしまった。スペインでフラメンコを観ながらワインなんか飲んだらさぞ楽しいだろうなあ。それから、ダンサーにあこがれる男の子がフラメンコ用の靴を仕立ててもらうシーンもよかった。親子の会話もよかったし、赤い革靴が作られていく過程を見ていると、僕も革靴を仕立ててもらいたくなってくる。

 会場を出るとまず、自分の足をタップさせてみる。当たり前だが映画の中の女性のように動かすことはできない。夜、しばらく街を彷徨って、磯丸水産のような佇まいの店に入った。ビールで乾杯し、いも煮やだし豆腐、甘エビの唐揚げなどを注文した。甘エビの唐揚げというメニューは初めて見た。川エビの唐揚げの歯ごたえを増した感じ。そして山形のいも煮は醤油ベースで牛肉が入っている。2時間ほど飲んでから店を出て、どこかバーにでも流れようかと再び街をぶらつく。駅のすぐ近くにある一帯が歓楽街になっていて、ホテルの地下にスナックが数件入っていたりする。どこか良い店はないかと探していると、Aさんのケータイが鳴った。どうやら予約したホテルのチェックインの期限が迫っているらしい。それならもうお開きにしましょうかという話になり、Aさん・ドド子さんと別れ、スナックの前を何往復かしたのち、缶ビールを1本買ってホテルに戻った。


10月15日(火)

 朝8時に起きる。チェックアウトの時間ぎりぎりまでホテルで仕事をしていた。11時半、「略称・連続射殺魔」を観終えたAさん、ドド子さん夫妻と合流し、近くのそば屋に入った。メニューを眺めていると、後からひとりで入ってきたお客さんがこちらの様子を伺っているのが目の縁に見える。気にせずそばを注文し、「あ、それと瓶ビールもください」とお願いすると、そのお客さんは席を立って「橋本さん?」と話しかけてくる。えっ、と顔を上げてみると、せんだいメディアテークの小川さんだ。山形国際ドキュメンタリー映画祭のプログラム「ともにある2013」のコーディネーターを務めていたのだという。知らなかった。そしてそのプログラムブックをプレゼントしてくれた。小川さんは「似てる人がいるなと思って」と言っていたけれど、たぶん小川さんが「似てる人」ではなく本人だと気づいたのは、昼間っからビールを飲んでいるなんて橋本さん本人に違いないと思ったからではないかと勝手に考えている。

 鳥そばを食べたのち、少し休憩するというドド子さんと別れ、Aさんと2人で「我々のものではない世界」観る。パレスチナの話と聞いて、或る型にはまった作品だったらどうしようかと心配していたが、それは杞憂に過ぎなかった。レバノンにあるパレスチナ人の難民キャンプに生まれた監督は、今もその難民キャンプに暮らす祖父や友人に会うために定期的に難民キャンプを訪ねている。

 まとめるのに時間がかかるから、気になったことを箇条書きにする。

  • 難民キャンプでは4年に1度“お祭り”がある。それはワールドカップのときだ。それぞれが自分のひいきとする国を応援する。通りにはイタリアやドイツの国旗を掲げた人の姿も多々見える。監督の祖父はそれを嘆く。「あんなイスラエルを支援する欧州を応援する何て馬鹿げてる」と。こんなふうに難民キャンプの内側の様子が感じられるのは楽しい。
  • 冒頭のほうで、祖父の家を訪ねると、ゴキブリが現われる。それを祖父は素足で踏みつぶす。「ほら、あそこにもいる。お前も踏みつぶせ」。言われた監督は「殺したくない」と口にして、ただゴキブリをカメラで撮る。そこへちょうどご近所さんがやってくる。「なんだ、ゴキブリを撮ってるのか? 外の人間はイカレてるな」。
  • 監督が仲良くなったアブ・イヤドという男は、監督から(?)音楽をプレゼントされる。その一つはニール・ヤング「ハート・オブ・ゴールド」だ。隣りにいたAさんが僕のほうをちらりと見る。アブ・イヤドは「パレスチナ人にはどんな音楽も合うんだ」と口にしていた。「歌詞が分からない曲のほうがいい」とも。「ハート・オブ・ゴールド」を聴いたアブ・イヤドは「これはいい」と言った。「こういうメランコリックな曲はいい」「悲しい曲は好みだ」と。
  • アブ・イヤドはファタハに属している。こういう映像作品の中で「ファタハ」という言葉が出てくると、それは新聞やテレビで見知った名前であるのだが、近所の町内会のように響いてくるから不思議だ。それから、彼がよく着ているTシャツがあり、そのシャツには「ウルトラマン7」とプリントされている。その文字をある人は「ヘブライ語じゃないのか」と指摘する。ヘブライ語は彼らにとって敵国語だ。「これを着てたら、イスラエルの選手のユニフォームじゃないかと言われたんだ」とアブ・イヤドは言う。たしかに「ウルトラマン」の文字は選手名のような位置に入り、「7」は背番号のように大きくプリントされているが、私たち日本人からするとこのやりとりはとても滑稽だ(ちなみに監督も「中国語じゃないか?」と曖昧なことしか口にしない)。それが「ウルトラセブン」ではなく「ウルトラマン7」とパチもんであることもまた滑稽さを増している。その滑稽さと、周りの人間が銃を手にしていて、次第に思い詰めて行くアブ・イヤドの状況をアンバランスに映し出す。
  • アブ・イヤドたちのすることと言えば、市場と家とを往復するだけだ。あとは部屋でマリファナを吸ったりしてウダウダすることぐらい。テレビには殺された人の姿が映し出されている。アブ・イヤドは「俺は自爆テロができる」と語る。「未来への夢も知識もない、からっぽさ。だからあいつらは自爆テロを選んだんだ。パレスチナを理由にして命を絶ったんだ」。また別の日に彼は語る。「たとえ大学を卒業しても仕事に就けないんだ。この絶望がわかるか?」――外から銃声が2発聴こえる。「なのに連中はこの国を民主国家と言うんだ」。
  • 次第にアブ・イヤドの目に虚無感と焦燥感が宿っていく。監督はナレーションで「彼の焦燥感の原因は僕の取材かもしれない」と語る。「僕の取材かもしれない」じゃないだろう、と思った。外の世界とこちら側とを自由に行き来して取材をする監督の姿は、そして自分が映し出されていることを意識した彼の胸の内は、一体どんなものだったのか――。次第に彼は「パレスチナなんて滅びてしまえ」「イスラエルに虐殺されればいいんだ」というようなことを口にし始め、ファタハを批判し、「これを世界中に放送してくれて構わない」と言う。そして実際にファタハを辞めて、難民キャンプを抜け出す決意をする。「俺たちは難民だ。ここが祖国ならどんな苦境も受け入れられる。でも、ここは祖国じゃない」と言い、シリアからトルコを経由してギリシャに向かった。だが、彼は結局路上生活を強いられることになる。あれはギリシャだったか、監督は街頭でアブ・イヤドと再会する。そこで「これからどうするんだ?」と訊ねられたときの、虚無というほかないアブ・イヤドの目が忘れられない。彼は何も答えなかった。

 「この2日後、アブ・イヤドは難民キャンプに送還された」という字幕が出て、映画は終わった。監督によって映し出された風景は印象的なものが多かったが(きりがないので書かないが、叔父のサイードもとても印象深い人だったし、監督の祖父もまた印象深かった。コーヒーだか何かを入れるとき、監督は「(砂糖は)1杯でいいよ」というのに2杯入れ、自分のには4杯も砂糖を入れていた。そして監督に「どうだ? ちゃんと甘いか?」と訊ねている姿がなぜか頭から離れない)、ドキュメンタリーによって生まれた現実に対する態度には少し疑問が残る。

 15時15分からは「家族のかけら」というドキュメンタリーを観た。パンフレットを読んだときは「面白そうだ」と思っていた映画で、メキシコ郊外で悠々自適の生活(余生)を送っている両親を映した作品だ。両親はもうずっとすれ違いの生活を送っていて、そのことをテーマにしているのだが……パーソナルな主題なのに、テーマへの踏み込みが浅いように感じた。波打ち際でちゃぷちゃぷやっているようにしか感じられなかった。もっといくらでも掘り下げようはあるだろう。しかし、自分としてはイマイチだと感じる作品であっても、「なぜ自分はそれをイマイチと感じるのか」を考えると興味深い。そこで考えたことはそのまま自分の原稿に返ってくる話だ。

 16時38分に上映終了。駅前の酒場に入り、この2日で観た作品を振り返りながら3人で少しだけ酒を飲んだ。これはおそらく僕が観たタイミングが偏っていただけだとは思うけれど、4本中3本がパーソナルなテーマを扱った作品だった。店内を見渡すと仙台四郎の写真が飾られている。この「甚兵衛」というお店、なかなかいい店だ。メニューに漬け物や山菜がいくつもあって楽しい。今日は茄子のぺそら漬けというのとみずの実という山菜を食べた。こういうのがあればいくらでも酒を飲んでいられる。帰るのが惜しく、新幹線の時間ギリギリまで日本酒を飲んでいた。