11月1日から15日

11月1日(金)

 今日から11月だ。今年もあと2ヵ月しか残っていない。レギュラーの仕事、明日からの出張仕事、それからもう1件スケジュールを調整中の大事な仕事が一つ決まっているけれど、それ以外の時間は『hb paper』の次号の制作に専念しなければ(それは本当は『hb paper』ではないのだが、説明するのも手間だからもう『hb paper』ということにする)。

 朝9時に起きる。とりあえず昨日の日記を書き始めてみたものの、どうにも書きあぐねる。昼、マルちゃん正麺カレーうどん)もやしのせ。これを作るときは鍋にごま油を引いて炒めて、それから水を入れて湯を沸かして麺を茹でていた。そのせいでカロリーが高くなっているのだということにようやく気づき、今日からはもやしを炒めるのではなく、麺と一緒に茹でることにした。

 昼食を終えると、スーパーで買ってきた鶏ガラを取り出し、鍋に沸かした湯にくぐらせて霜降りにする――こんなことを急に始めたのは、妙な形で「ごちそうさん」効果が出ているからだ。今朝放送された第29話のラストで、主人公の父であり「開明軒」の主人でもある卯野大五(原田泰造)は主人公・め以子(杏)を厨房に呼びつける。め以子が「何やってるの?」と訊ねると、大五は「鶏のフォンだ」と答える。「もう見習いのコックを帰しちまったから」と理由をつけてめ以子に手伝わせようとしているのだ。そして大五は「鶏ガラを熱湯にくぐらせて霜降りにする」とあえて声に出して手順を説明する。そして「大きめのボールに入れて熱湯をかけるって方法もある」「家庭ではその方がやりやすいかもしれないな」と付け加えるのだ。つまり、花嫁修業のつもりで手伝わせているわけで、これまでめ以子の結婚に反対していた大五が少しそれを許したシーンなのである。

 でも、僕は「そうか、家庭でも鶏ガラからスープを取れるのか」と、妙にそのことに反応してしまった。それで鶏ガラを買ってきたのだ。大五の言っていたように熱湯にくぐらせ霜降りにする。そして血合いを取るのだが、血合いや内臓を取るべく鶏ガラを触っていると、死んだものを触っているのだという感触が急に沸いてくる。甘っちょろいことを言っているのは自覚しているけれど、僕は鶏ガラというのを触るのは初めてだったので少し気まずい感じがした。それから、ダシが出るように骨を切っていくのだが、骨なので当然簡単には切れない。包丁の刃が少しこぼれてしまった。これも当たり前のことだろうが、やってみて初めて気づいた。うちには砥石がないのに、どうしよう。それでも何とかぶつ切りにして鍋に放り込んだが、なるほど、この手間を考えると鶏ガラスープの素の何と便利なことか。

 鶏ガラを煮込んだあと、15時過ぎにジムに出かけて3キロほど走った。3キロくらいなら途中で歩くこともなくなってきた。アパートに戻ってみると美味しそうな鶏ガラの匂いが部屋に充満している。ラーメンが食べたくなる匂いだなあ。シャワーを浴びて、そのスープをベースに鍋を作る。さて、今日の夜はどうしようか。晩ご飯は鍋として、そのあとは部屋で飲むか、外に出かけようか――。少し迷ったけれど、明日からしばらく東京を離れる予定なので、友人のUさんに電話をかけてみた。Uさんは仕事中だったけれど、20時以降ならだいじょうぶとのことだった。むしろそれぐらいからのほうが都合がいいですと伝えて、発泡酒を1本だけ飲みながら鍋を食べた。

 知人のぶんの鍋も作っておいて、20時過ぎにアパートを出た。Uさんが店番をしていた「ブックギャラリー・ポポタム」を訪ねると、ちょうど店を閉めて外に出てくるところだった。そこには女性もいて、ひょっとして今展示している作家さんだろうか、だとしたら展示を観ずに飲みにだけきたことが申し訳ないなと思っていたのだが、やはりその女性は作家さんで、Uさんが「いつかそれぞれのことを紹介したい」と言ってくれていたみやこしさんだった。

 Uさんと二人、池袋西口「F」の2階に上がる。店員さんが「今日は東口店が半額の日だったのに」と教えてくれる。僕は東口店には1度か2度しか行ったことがないけれど、そちらは1のつく日(いや1日だけかもしれない)が食べ物半額の日らしかった。「1日は東口に行って、あとの日はこっちに来てね」と笑う。たぶん1日もこちらの店に来るだろう。いつも通りUさんはレモンセット、僕はホッピーセットを注文した。

 どういうきっかけだったのか、飲んでいるうちにグルメの話になった。「橋本さんは、変な言い方だけどグルメじゃないよね」とUさんは言った。これは決して批判として言われているわけではないし、僕も自分でそうだと思っている。僕は「うまい!」と思ったものがあるとそればかり食べるほうではあるけれど、その味について言葉を並べ立てられるタイプではない。ひと口食べただけでも何文字でも書ける人はいるだろうし、そういう人こそライターに向いているのだと思う。でも、そうじゃない語り口だってあるはずだ。最近、そんなことばかり考えている。

 たとえば、一ヵ月前のこと。「あまちゃん」の最終回の放送が終わると、画面は久慈市からの中継に切り替わった。どこかの建物の中で、パブリックビューイングのようにして「あまちゃん」最終回を観る集いが開かれているらしかった。インタビューされている人たちは最終回に感動したことを語っていたが、その奥のほうに老人たちが座っているのが見えた。最終回が終わったということがわかっているのかどうか、少し気になってしまうくらいボンヤリと座っているおじいちゃんの姿もあった。その様子を見ているうちに思い出したのは、久慈に出かけたとき、多くの人は「あまちゃん」を観ていると答えていたけれど、「好きなエピソードはありますか」とか「好きなキャラクターは」といった質問をぶつけると「いや、そういうのはないけど」と言う人が案外多かったことだ。そのことは、ツイッターでは多くの人がそうした話をしていたのととても対照的だった。

 これは別に、どちらが良いとか悪いとか言っているわけではない。ただ、言葉になりやすいのは後者だけど、好きなエピソードはと言われても特にないけど楽しく観ているという層がそこにいて、そういう時間の過ごしかたがそこにあるということだ。グルメやドラマにかぎらず、そういったことは世の中にたくさんあると思う。少し前に「月曜から夜ふかし」で取り上げられていた、北欧の国で暖炉が燃えているだけの映像や北極へと向かうクルーズの様子を定点カメラ(?)で100時間以上にわたって流すだけの番組が高視聴率を獲ったという話も、どこかそれに近いものがあると思う。

 話を池袋「F」に戻す。Uさんはツマミに生野菜盛り合わせと里芋を、僕は韓国海苔を選んだ。Uさんに、自宅でごはんを食べるときによく作るものは何かと訊ねてみると、最近ハマっているのはかちゅーゆーと教えてくれた。沖縄料理で、鰹節の入った味噌汁なのだという。最近、寝る前に動画をちょくちょく見ていて、その中で土居善晴の動画を見つけてそこで知ったようだ。そこで土居善晴が「鰹節は日本のインスタントみたいなもの」「わざわざ買わなくても、もともとがインスタント」と言っていたという。な、なるほど。そんな話を聞いているうち、削っていない鰹節と鰹節を削る器械を買おうかななんて考え始めている。ちなみに、これもまた「ごちそうさん」の影響である。


11月2日(土)

 9時過ぎに起きる。午前中、ジムに出かけて5キロほどジョギングした。のそのそしたスピードではあるが、5キロでも途中で歩くことなく完走できる。昼、昨日の鍋の残りにマルちゃん正麺カレーうどん)を入れて食べてアパートを出、羽田空港へと向かった。今日は『e』誌の企画――連載ではないけれど毎号掲載されている、Nさんによる対談企画で佐賀出張である。僕は『e』誌の企画で出張するのは4年振りくらいなので少し浮かれている。

 佐賀、何度か通りかかったことはあるが、ここを目的地にやってくるのは今回が初めてのことだ。佐賀空港でタクシーに乗り込んで走り出すと、道路の両脇はずうっと真っ暗だ。おそらく田んぼなのだろう、Googleマップを開いて現在位置を見ると青くて細い筋が何本も走っている。10分か15分ほどその景色が続いたあと、今度は郊外型のドラッグストアがポツンとあり、それからまた少し先に広大なイオンがぼうっと現れる。これはさすがにファスト風土的と言うべき風景かもしれない。でも、地方に出かけたときに「ファスト風土的」と言いたくなるような景色というのはもう少しゴチャゴチャしていて色々隣接していたりするのだが、ここのジャスコは周りが真っ暗で何もないところにぼうっと現れるので、少しゾクゾクする。アメリカみたいだ。

 佐賀県庁、つまりかつてお城だった場所に近づいても辺りは暗いままだったが、そこを過ぎると少し町になってくる。路面店が並んでいたり、公園のような場所に屋台村があるのも見えた。そうした景色の中にポール・スミスの看板が見えた。地方都市にポール・スミスがあったって驚くほどではないけれど、それは大抵ファッションビルや駅ビル、デパートなんかに入っていることが多く、路面店を見たことがなかったので少し新鮮な気持ちになる。別に一ヵ所にきらびやかに集まっているわけではないが、こうして路面店のある通りがあるということは、案外悪くない街かもしれない。シブそうな食堂をちらほら見かけた。

 タクシーの中で、このあとの行動について少し相談していた。時刻はもうすぐ19時といったところなので、ホテルにチェックインしたらご飯を食べに行こうかという話になった。対談があるのは明日で、対談のお相手は焼き鳥屋さんをやっている。Tさんが「そこへ行ってみましょうか」と提案したが、Nさんは少し乗り気ではないようだった。しばらくしてNさんは「あの――わがままを言ってもいいですか」と言った。「できれば、まずはちょっと一人で行ってみたいんです」と。こんな言い方をするのはおこがましいかもしれないけれど、その気持ちは少しわかる気がした。

 今週末、佐賀ではイベントや学会が重なっているらしく、ホテルはどこも満室らしかった。そのため、僕とTさんは禁煙の別のホテル、Nさんは喫煙可の別のホテルに分かれて泊まることになっていた。禁煙のホテルって何だろうと思っていると、それは結婚式場に使われるホテルで、その1フロアだけが客室になっているのだった。なるほど、だから喫煙可の部屋がほとんどないのか。部屋に荷物を置くと、Tさんと飲みに出かけた。駅前にはSEIYUと学習塾、それに飲み屋がほんのわずかあるくらいで、そこを離れるとすぐに暗くなる。ところどころ、妙に煌々とイルミネーションが光っている。しばらく歩いていると少しずつ明るくなって、ポツポツと飲み屋が見えてくる。そのなかにTさんが食べログで見つけてくれた「福太郎」という店があった。

 「福太郎」は思いのほか大きな居酒屋で、会社の飲み会なんかもきっとここでやるのだろうなといった感じの佇まい。2階席に案内されて、ビールとハイボール、それに何と言っても呼子イカ刺しを注文する。1階の生け簀に何匹もイカが泳いでいたが、それを捌いたのだろう、運ばれてきたイカはまだ動いていた。そして表面が不思議な色に輝いている(ただし1分もしないうちにその輝きは消えてしまった)。すぐに口に運んでみると、甘味と粘り気があって何ともうまい。他にもムツゴロウの刺身やミドリ色をした小さな貝を食べたが、その味はあまり覚えていない。イカ刺し、残った部分は塩焼きか天ぷらかにしてもらえるというので天ぷらにしてもらった。これがまたうまかった。それから、最後にウニ丼(1200円)も食べた。そういえば夏に放送された「食彩の王国」でこのあたりで獲れるウニのことを取り上げていた。ここで食べたウニは甘味が強く、風味が少し違っている。

 どういうわけだか、21時半を過ぎると店内にはぱたっとお客さんがいなくなった。ひょっとしてもう閉店時間なのかと思ったが、2時まで営業しているという。この店を出たのが何時だったのかは記憶がおぼろげだけど、23時くらいだったのではないか。店を出て帰ろうとしたところで、「よかったらどこかで飲んで行ったら」とTさんは気を遣ってくれた。それならばとTさんと別れて、一人でもう少し歩いてみることにする。少し奥に行くと客引きの並ぶ通りへ出た。メートルの上がった人たちの姿も見える。僕はそのあたりを2往復したものの特に客引きもされなかったので、客引きの一人に「地酒飲めるとこないですか、地酒」と声をかけると、近くの店に連れて行かれた。

 案内された店に入ってみると、普通のロックバーといった佇まいだ。しかもかなり賑わっている。ここで地酒を飲むのも似合わないので、ハイボールを注文した。カウンターをはさんだ向かいには女の子の店員がいる。あまり細かいところは覚えてないが、好きな映画は何ですかと聞かれた僕は「ゆれる」と答えた。言ったあとになって「観たらどういう気持ちになるだろう」と不安になったけれど、まあ酔っ払った客の言っていた好きな映画を借りて観ることもないだろう。3杯飲んだところで「私も何か飲んでいいですか」とその子は言った。どうぞどうぞと言いながらも、僕はその3杯目を飲み干すとお勘定をしてもらった。勘定を書いた紙には「5000円」とあった。ひょっとしたらここはロックバーではなくガールズバーだったのだろうか?


11月3日(日)

 9時過ぎに起きる。もう少し早起きできれば知らない街をジョギングしてみるつもりだったが諦めた。10時過ぎにホテルをチェックアウト。霧のような雨が降っている。いつかのライブで聴いた前野健太「こどもの日」が急に思い浮かんだ。駅前では音楽イベントがあるようで、ステージを組んでセッティングが勧められている。駅前広場に、ではなく、駅の出口のすぐ目の前に組まれている。駅の構内に入ってみると、田舎出身の僕としてこんなこと書くのもどうかと思うけど、やはりヤンキー感が溢れている。僕はミスタードーナツに入ってカフェオレを飲みつつ日記を書いた。

 12時、Nさんの泊まっているホテルのロビーで待ち合わせ。全員揃ったところで「行きましょうか」となると、「約束の時間はたしか12時半でしたよね。昨日一人で行ってみたんですが、タクシーで10分もあれば着いちゃうんで、早く着き過ぎるかもしれませんね」とNさん。15分ほど駅前で時間を潰してからタクシーに乗車した。12時25分にお店に到着し、12時29分、対談のお相手が経営されている焼き鳥屋さんに入った。ご挨拶をして、カウンターでお話を伺えないかとお願いする。カウンターの椅子の上に暖簾が置かれていて、Tさんがそれを少し奥にどかす。それを見たNさんは咄嗟に「ああ――すみません、お店の物を勝手に触って」と代わりに詫びた。昨日「まずは一人で行ってみたい」と言ったところを含めて、僕ごときがそんなことを言うのも非常に失礼ではあるけれど、Nさん、やはりスタイリッシュな方だ。

 対談のお相手も、イニシャルで言えばNさんだ(NBさんとする)。NBさんは元プロ野球選手で、Nさんが少年時代に応援していたチームに所属していた選手だ。対談をしていると、「うわあ」「いやあ」と、Nさんが思わず声を漏らす瞬間が多々あった。この日、僕は撮影係もおおせつかっていたが、写真を見返してみるとまるで少年のような目をしたNさんが写っている。

 飛行機で東京に戻るNさん、Tさんとは店の前で別れて佐賀駅に戻った。駅の売店有明海苔とはがくれ漬というのを買った。そういえば僕が泊まったホテルにも「はがくれ」という名前がついていたし、これまで気にしたことはなかったけれどナンバーガールの歌詞にも「はがくれ」というフレーズが何度か登場していた。佐賀と「はがくれ」に何か関係があるのか――と、今調べてみたらすぐにわかった。「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」で有名な『葉隠』を書いたのは鍋島藩士だったのか。いや、知らなかった。

 僕は佐賀駅から特急で博多に出て、そこから実家のある広島に戻った。実家に着いたのは18時頃で、母はすぐに夕食を用意してくれた。ごはん、ハンバーグ(小)2個、大きなオムレツ。今日はまだおにぎり1個しか食べてなかったからいいけれど、明日からもこの献立だと痩せるどころか太ってしまいそうだ。夕食後は湯につかり、実家の本棚に並んでいる『en-taxi』のバックナンバーを少しめくってみた。


11月4日(祝)

 朝、誰かの話し声で目が覚めた。今日は10時半から13時頃まで集まりがあると母から聞かされてはいたが時計を見るとまだ9時半だ。朝食は食べなくても平気だけど、喉が渇いた……。別にリビングに降りていったっていいのだけど、どうにもそこで挨拶するのが億劫だ(まったく知らない人たちなら別だけど、母親の知り合いとなると億劫に感じてしまう)。13時、母親が昼食をお盆に載せて上がってきて、僕の部屋の前に置いた。何だかひきこもっているみたいだ。いい年して「母親の知り合いに挨拶するのが……」とか言っているんだから、当たらずとも遠からずではあるが。

 15時過ぎになって、リビングにいた人たちは全員帰ったらしかった。僕はようやく階段を降りていき、隣町にあるスポーツクラブへと出かけた。いつのまにか地元にもスポーツクラブができていて、それは僕が東京で入っているのと同じクラブだった。少し料金を払えば他店舗も利用できるというので、ジョギングしにきたのである。こちらのジムのほうが新しくて広くて、おまけに営業時間も長い。使い慣れないマシンで5キロほど走った。実家に戻って体重を測ってみると、先週の月曜日に比べて2キロ減っていた。効果が出ると楽しくなってくる。5キロくらいなら休みなく走れるようにもなってきた。

 19時、夕食。ごはん、牛肉とレンコンの煮物、牛ヒレ肉のソテー、ケチャップスパゲティ、手羽元のカレー煮、ベーコンとじゃがいものスープ――これがメニューだと母親は言っていたが、さすがにボリューミー過ぎるので、ごはん、手羽元は削ってもらって、スパゲティも少しだけにしてもらった。食後、クルマで隣町の書店に出かけた。何軒かまわってみたが、『あまちゃんモリーズ』を探したが見当たらない。「あまちゃん」、西では数字が振るわなかったというし、入荷されなかったのかもしれない。最後に立ち寄ったツタヤで店員さんに確認してみると、31日に入荷したが売り切れてしまい、追加の注文をしたそうだ。結局僕は『ナイン・ストーリーズ』(新潮文庫)だけ購入した。評伝を読んでいるうちにサリンジャーを再読したくなったのだ。

 深夜になって昨日の取材のテープ起こしを完成させた。そのあとで『ナイン・ストーリーズ』を開き、「バナナフィッシュにうってつけの日」を何度も読んだ。昨日も今日もお酒を一滴も飲んでいない。


11月5日(火)

 9時過ぎに起きて、朝からジョギングに出かけた(知人にそのことをメールすると「金持ちの生活だね」と返ってきた)。走るのは小中学生のときに何度となく歩いた通学路だ。その通学路は細く、大人になってからはほとんど歩いたことがない道だ。昔とは少し風景が変わっている。学校を通り過ぎると、今度は前に住んでいた家のある方向に走っていく。平日の昼間だけど、人の姿をそこそこ見かける。走っているうちに、何度か遊びに行ったことのある同級生の家の前に出た。それまでその同級生の家に遊びに行ったことがあることも忘れていた。彼は今、どうしているのだろう。同級生に一人ずつインタビューしていくリトルマガジンなんかを作ってみたらどうなるだろう?

 昼、お好み焼き。これまではダブル(そばが2玉入ってる)を注文していたが、今回はシングルにしてもらった。午後、3日に収録のあった『e』誌の対談構成を進める。15時過ぎ、母親に最寄り駅まで送ってもらい、広島市内に出た。広島駅を出るとすぐに「ジュンク堂書店」(広島駅前店)に走り、柴田元幸訳の『ナイン・ストーリーズ』を買った。昨日買ったのは野崎孝訳で、どうもよくわからない箇所がいくつかあったので柴田元幸訳で読みたくなったのだ(ちなみに地元の書店では野崎訳しか手に入らなかった――うちのあたりだと海外文学なんて本当にわずかしか取り扱いがない)。それを購入するとすぐに電車に乗って引き返した。最寄り駅から広島までは片道30分ほどかかるが、そのあいだもずっとパソコンを広げて構成を進めていた。

 編集長のTさんからは「水曜日までにお願いできますか?」と言われていて、「いやいや、火曜の夕方までには送りますよ」なんて答えていたのに、夕方になっても一向に終わらない。夕食を食べながら気分転換でもと思っていたのだが、母親の教え子だった子――「子」と言ってももう大人だが――が突然訪ねてきたようで、夕食の時間は繰り下げになった。20時過ぎ、夕食。鮭のちゃんちゃん焼き。ちゃんちゃん焼きだけでは満腹にならず、かといって米を食べるわけにもいかないので、コンビニに出かけておでんの大根を3つ買って食べた。

 肝心の『e』誌の構成は、0時過ぎになってようやく完成した。ホッとした。ベッドに転がって、『ナイン・ストーリーズ』の「コネチカットのアンクル・ウィギリー」をじっくり読んで眠りについた。


11月6日(水)

 朝7時に起きる。今週から「ごちそうさん」は大阪篇で、嫁いだ先のいけずなお姉さんに杏がずっといびられている。観ていてツラくもあるが、僕の中にもそういうところがあるのか、お姉さんの口ぶりはすぐに再現できそうだ。6キロほどジョギングしたのち、『S!』誌のテープ起こしに取りかかる。12時、昼食。テーブルにはざるそばと鮭のちゃんちゃん焼きが並んでいる。そこにごはんも加わりそうだったので「要らない」と伝えてそばを啜った。

 昨日、広島に出かけた際に『あまちゃんモリーズ』を買ってきて両親に渡していたのだが、父はずっとそれを読んでいる(「あまちゃん」を観ていなかったはずなのに)。そして「この本はすごい」と言っている。僕の原稿も読んで、「ワシはよう書かんわ」と褒めていたらしいと母から聞いた。

 夕方、テープ起こしを中断して隣町に出かける。家電量販店「エディオン」に入り、小さい体重計を買った。こないだ佐賀に出かけてきづいたのだけど、旅先だと体重をはかれないから「まあいいか」と気持ちが緩んでつい食べ過ぎてしまうのである。これで旅先でも安心(?)だ――しかし、こんなことばかり書いていると、自分がずいぶんつまらない人間に思えてくる。それから、電気シェーバーも買った。人生初の電気シェーバーである。なんとなく、これからは毎日髭を剃ろうと思い立ったのだ。

 19時、夕食。僕が食材を買ってきて水炊きを作った。実家のキッチンは広くて調理しやすい。こんなふうに生活していると、ずっとこの場所にいるような気になってくる。母に「いつまでおれるん?」と訊ねられて、そうだ、明日帰るつもりだったんだと思い出す。そのことを伝えると両親とも寂しそうにしていた。この日はビールを買ってきていて、まあ父は毎日飲んでいるのだが、母にも分けて3人で少しだけ飲んだ。今回の帰省で酒を飲んだのはこのときだけだった。夕食後、『S!』誌のテープ起こしを再開し、日付が変わる頃になってようやく完成させた。


11月7日(木)

 8時過ぎに起きてジョギングに出る。時間がないので今日は4キロにしておいた。シャワーを浴びるとすぐに『S!』誌の構成に取りかかる。11時半、仕事を中断して昼食。昨晩の鍋の残りを食べた。

 午後、広島駅から新幹線に乗車。車内でも気合いを入れて構成を進めたおかげで、新大阪に着く頃には完成させることができた。ホッとする。いつもは夜になって完成させているが、今日はこれから京都に途中下車したくって、そのためにも早めに原稿を完成させておきたかったのだ。

 京都で新幹線を降りて歩いていると、さっそく編集部のMさんから電話。修正箇所について話していると、「たぶん、この痴漢に間違われたエピソードは入れたかったんじゃないですか?」と言われる。僕が「そうなんですよ、痴漢のところ、面白くって」と電話に向かって話していると、前を歩いていた女性が怪訝そうな顔をして振り返った。駅前からバスに乗って出町柳に向かい、そこから17分ほど叡山電鉄に揺られていると京都精華大学前に着く。これから今日さんの講演会「水面を写し取る」があって、せっかく京都を通過する日なのだからと途中下車してやってきたのである。

 講演会のある建物(駅から一番近くにある建物)に入ってみると、教室の前には長い列ができていた。16時20分、満員になった大教室で、講演会が始まった。聞き手は京都精華大学の教員である蘆田裕史さん。京都精華大学は芸大だったらしく(恥ずかしながら知らなかった)、自分もクリエイターになりたいという若者たちに向かって語られるところもあった。以下、僕がメモした話をここに書き写す。文脈が曖昧なところは省いたものの、これはあくまでメモでしかありません

影響を受けた作家、好きな作家の名前としてよく名前を挙げられる都築響一さん、辛酸なめ子さんについて

 都築さんはこういう(講演会のような)形で自分が通っていた学校にいらっしゃっる機会があった。私は都築さんのファンだったので、都築さんに会えるのは今しかないと思って「一ヵ月だけでいいからスタッフにしてください」と押し掛けて、それでインターンをした。

 辛酸なめ子さんは、プロフィールを見ると自分と同じ中学出身で、マンガを読む限り部活の先輩だということがわかった。そこでなんとかして会えないかとお願いしたら、一緒に母校の文化祭に行こうという話になった。(結構好きな人のところにはガンガン行く感じだった?)そうですね、「当たって砕けろ」みたいなところはありました。

 辛酸さんは、どんなにおちゃらけたものでも、キチンと取材して自分の意見を描くということを徹底されている。だから説得力がある――それを学生時代に学んだ。だから私が学生時代に描いていた『ジューシィ・フルーツ』も、おちゃらけて描いてはいるけれど、対象をバカにし過ぎることなく真面目に描いているとは思います。

ジューシィ・フルーツ』と『センネン画報』が対照的な作風であることについて

 でも、Webで遡ってもらえればわかるように、『センネン画報』も一回目はギャグマンガのノリで描いている。皆さんが“センネン画報的”と思うものにたどり着いたのは3年経った頃。段々ギャグをやっているのがつらくなって、いわゆる叙情派的な文学や昔の近代詩を読みあさった時期があり、そこからこの作風になった。別に「これがウケるから」ではなく、当時の自分がそういう気分だったんだと思う。自分が描くものはいつも、世界観としては昭和ぽいものが多い。女の子も流行から一歩遅れている子が多いかもしれない。

COCOON』、そして『アノネ、』について

 私は戦争をわかりやすく描いてはいけないといつも思っている。それは、戦争について自分が何か明確な答えを出せていないのに、作品の中で何かを言い切ってしまうのは違うんじゃないかと思っているから。自分が色々考えているけれど答えを出せない――その今の状態をうまく落とし込めればと思って描いている。だから、これを読んでいると、誰が正しいのか、誰が悪かったのか、何が原因でこうなったのかもわからないけれど、それは私がまだ何も答えを見いだせてないということでもある。

mina-mo-no-gram』での共作について

 藤田さんが原作を書いて私がマンガに起こしたというわけではなく、一つの机に向かい合って一コマ一コマ話し合いながら作った完全なる共作で、私にとっては発見の連続だった。物語を作るとき、藤田さんは「誰が演じるか」を考えて動かす人。だから、『mina-mo』に登場する主人公・いづみさんも、実在する青柳いづみさんに当てはめてようやく動き出したところはあるし、物語を作るときも「青柳さん本人はこんなことしない」ということ話なって、マンガ的には都合よく動かせるはずの人間が都合よく動いてくれないという不思議な事態に発展した。でも、私は「コマ割りはリズムだ」と思っているけれど、その問題を藤田さんも非常によく理解してくれていて、行間にうまく言葉を当てはめてくれた。私が今まで排除していた言葉というものをうまく使えるようになった画期的な出来事だった。

これからのこと

 私は去年、あまりにも忙し過ぎて入院したこともあって、それ以降は「がむしゃらにやる」というより、ちゃんと自分が生きる方向を選ぼうと反省した。皆さんはまだ若いからがむしゃらに楽しく突っ走れると思うけど、基本的にはマンガではなく人生が先にあると思ったほうがいいかなとは思います。

質疑応答(1)マンガやイラストはふとしたときに思いつくのか、考えて思いつくのか

 始まって数回は何も考えずに描けるけど、ストックが切れる瞬間がある。そこを乗り越えるために必死で考えていくと、トレーニングとして思いつけるようになる。「今から思いつくぞ!」って思えば思いつくようになるんです。すごい精神論ではあるけど、回数を重ねるのは大事だと思う。天才でない限り、回数を重ねることが一番近道じゃないかと思います。

質疑応答(2)大学時代は雑誌編集者なりたくて言語を中心としたミニコミを作っていたのが、視覚情報の強いマンガに変わったのはなぜ?

 絵を描くのはもともと好きだったけど、ライターの仕事をしていたとき、「自分はライターであって小説家ではない」と思った。ライターをしていればいつかは小説のような美しい芸術にたどり着けるんじゃないかと思っていたんですけど、ライターはやはり方向が違っていて、わかりやすく物事を伝える方向。そこで自分が持っている文才に見切りをつけたというのはあります。

質疑応答(3)僕もマンガを描いていて、今感じたことをすぐに伝えたくてマンガを描いている。やはり年齢を重ねるごとに伝えたいことや感じたいことは増えていく?

 その年齢ならではの感じ方というのが絶対にある。それは年齢によって劣化するわけでもないので、常に新しい発見はあると思います。たとえば、高校生が初めて彼女と付き合ったときの感情もあれば、大学生になって彼女と別れたときの感情もあるし、そのときどきの感情がある。むしろそういう一つ一つの感情を忘れたくなくて毎日『センネン画報』を続けていたところもあります。

 講演が終わると、再び叡山電鉄に揺られて出町柳まで戻った。「ジュンク堂書店」(京都朝日会館店)で、先日『S!』誌の対談でボブ・ディランの話題になって以来「あの本を買って読もう」と考えていた『ボブ・ディラン自伝』を買い求めて、少し歩いて三条にある酒場「赤垣屋」を訪ねた。まずは瓶ビールと小芋煮を注文する。店員さんの動きを見ていると気分が良い。ビールを飲み終わったところで熱燗と鯛の刺身を頼んだ。鯛の刺身、甘エビなんじゃないかというくらい甘味がある。しかし、こういうときに「甘エビなんじゃないか」と感じてしまう自分の舌の稚拙さに少し寂しくなる。

 それも食べ終えたところで、さあ、おでんだ。カウンターの内側ではおでんが炊かれていて、どれを注文しようかとずっと考えていた。大根とたこはぜひとも食べたいところ。他には何があるのか、僕の席からだともう一つよく見えない。近くに立っている店員さんに訊ねようか。訊ねるにしても、「おでんって何があるんですか」と訊ねるんじゃなくて、「おでんって何があるんでしたっけ」と訊ねてみようか――浅はかなことを考えながら「あの、おでん……」と話しかけると、考えを見透かされていたわけではないだろうが、店員さんは「はい、こちらになります」とお品書きを渡してくれた。もう一品はじゃがいもを選んだ。

 最後に一つ、食べておきたいメニューがあった。湯豆腐だ。関西風の湯豆腐を食べてみたいと思って新幹線の時間が迫っているなか注文したのだが、よく考えたらつけダレにつけて食べるのだからあまり違いは感じられなかった。僕の舌が鈍いせいもあるのかな。それを急いで食べ終えると会計をしてもらって京都駅に出て、おみやげに知人からリクエストされていた千枚漬けをいくつか購入して東京へと向かった。


11月8日(金)

 朝9時に起きる。まずはジムに出かけて、12月に発売予定のとあるミュージシャンの音源を聴きながら、歌詞カードを眺めながら6キロほどジョギングする。隣りのマシンでは、おばさんが大声で会話しながら時速3キロで歩いている。歩くカロリーよりもしゃべるカロリーのほうが高いのではないか。うるせえなあと思うが、黙々と走っている人間より、溜まり場として使っている人たちのほうがジムにとっては良いお客さんであるはずだ。人間というのはコミュニケーションが好きなのだと改めて感じる。

 アパートに戻ると、1件のメールが届いていた。リトルマガジン『N』の編集長・Mさんからで、ずっと前から話のあったインタビューのスケジュールがついに決まったという報せだった。月曜日の16時半から19時――撮影込みで2時間半だ。これならしっかりと話を聞くことができそうだ。何を聞こうかと考えながら、『ボブ・ディラン自伝』を読んで過ごす。

 夜、水炊きを作って食べる。21時、自転車こいで中目黒に出て、リトルマガジン『TO』(目黒区特集号)の打ち上げに。知り合いも少なそうなので出席するかどうか迷ったが、せっかく誘ってもらっていたので参加することにしたのだ。中目黒にある「オランチョ」という店へと階段を上がると、入口のところに『TO』を作っているKさんが立っている。会費として1500円ほど支払って、ドリンクチケットを受け取る。カウンターには次々とおいしそうな料理が運ばれてくる。2杯目以降のドリンクはキャッシュ・オン制だ。

 僕が人見知りしながらチビチビ飲んでいると、Kさんが気を遣って何人かに紹介してくれた。そうしてガチャポンなどの造形師をやっていたという人と話す機会を得た。今は造形ではなく企画などに携わっているという。自分が知らない世界の話を聞かせてもらえるのはとても楽しい。その方が持っていたサンプルもいくつか見せてもらったが、とても楽しそうだ。今度どこかで探してガチャポンをまわしてみようと思う。日付が変わる頃になって、久しぶりに会った東京ピストルのKさんに『faifai ZINE』を手渡して店を出た。


11月9日(土)

 朝6時、チャイムの音で目が覚めた。昨晩、知人は関ジャニ∞の東京ドーム公演を観に行き、そのままジャニ友と飲みに出かけてこの時間になったのだ。「気がついたら水道橋の路上で寝てた」という。何をやっているのか。しかし、僕もちょっとだけライブを観てみたかった気もする。特に「takoyaki in my heart」を生で聴いてみたかった。酒くさい寝息を吐いて横になっている知人は放ったらかしにして、ジムに出かけて4キロほど走った。

 15時、自転車で西新宿へ。リトルマガジン『N』のMさん、それにフォトグラファーの方と待ち合わせ。地下にある「ルノアール」(小田急ハルク横店)に入り、ブレンドコーヒーを飲みながら、月曜日のインタビューに向けて打ち合わせをする。以前に一度打ち合わせをしていたけれど、それからしばらくあいだが空いてしまったので、企画の意図やMさんが考えていること、なぜ僕に依頼をしたのかを確認しておく。それが終わると、3人で当日のロケハンに出かけた。これは僕がいる必要はないのだけれど、イメージを掴んでおくためにも僕も同席することにしたのである。

 19時、アパートに戻って知人の作った鍋を食べる。今日は牡蠣を入れてみた。食後、あるミュージシャンの映像作品を観たり、音源を聴き返したり。


11月10日(日)

 朝9時に起きる。今日もジムに出かけるつもりでいたけれど、どうも腰が痛いので今日は休むことにした。毎日走るというのは無謀かもしれないから、日曜日は休みにすることに決める。その代わりというわけでは全然ないけれど、「芳林堂書店」(高田馬場店)に出かけてお買い物。『新潮』、『文藝春秋』、柚木麻子『伊藤君AtoB』、沢木耕太郎『流星ひとつ』、それに目当ての本である『ボブ・ディランという男』と『完全保存版 ボブ・ディラン全年代インタヴュー集』を購入した。

 昼、昨晩の鍋の残りにマルちゃん正麺カレーうどん)を投入して食べる。午後は買ってきた本を読みあさり、明日インタビューするミュージシャンの映像作品を見返し、音源を聴きながら歌詞カードを何度も読み返し、過去のインタビュー記事を再読し、ウェブサイトに掲載されている日記のようなテキストを読んで、過去のライブスケジュールをすべて確認し、僕がこの1年で観たことのあるライブのことを思い返しながら質問リストを作った。しかし、そうして質問リストを作っているだけではどうもこじんまりしてしまう気がする。そこで21時過ぎ、「コットンクラブ」に出かけ、ビールを飲みながらこのインタビューで一番聞くべきことは何なのかを考えた。


11月11日(月)

 朝9時に起きる。月曜はジムが定休日なので、神田川沿いを6キロほどジョギングした。体重を測ってみると、2週間前に比べて4.4キロ減っていた。こうして効果が現われてくると、走るのも食事のカロリーを記録するのも、ゲームみたいで楽しくなってくる。昼、マルちゃん正麺カレーうどん)もやしのせ。食後はインタビューの質問リストの順番をああでもない、こうでもないと考えていた。

 15時45分、西新宿で待ち合わせ。今日の取材は、まず西新宿の街を歩きながら写真撮影をして、そのあと喫茶店でインタビューという流れである。最初の撮影スポットはとある店で、そこに一人で座ってもらった姿を店の外から撮りたいのだが、その店は予約ができないというので僕が場所を取っておくことにした。編集長のMさんとフォトグラファーのYさんは別の場所で取材相手であるミュージシャンの方と待ち合わせて、そこで今日の流れを説明したのち、一人で僕の待つ店に入ってきてもらう。その方の飲み物が来たあたりで僕は「トイレに」と席を立ち、一人佇む姿を写真に撮る――そんな段取りだ。

 喫茶店で待っていると、鼓動が速くなっているのがわかる。緊張が高まってくる。その方とは何度か話したことがあるけれど、取材で会うのは初めてだ。しかも、今回のインタビューはQ&A形式ではなく地の文ありでまとめてほしいと言われている。つまり、それが僕なりの“論”になっていてほしいということだ。そのためには、インタビューの時点で僕が地の文に書こうとしていることをある程度ぶつけなければならない(そうでなければ、発言が、本人が意図していなかった文脈で掲載されることになってしまう)。普通のインタビューなら楽しく会話できると思うけど、論をある程度ぶつけてみたとき、空回りしてしまったり、噛み合なかったりする恐れもある。

 はたしてインタビューとして成立させられるだろうか――。緊張しながら質問リストを見返す。外を見ると、次第に空が暗くなって街灯やビルの灯りが目立ち始める。さっき降った雨でアスファルトは光を反射している。それに見惚れていると、店員が「いらっしゃいませ」という声が聴こえた。顔を上げると、ツイードのジャケットを着た男が少し恥ずかしそうに歩いてきた――待ち合わせをしていたことも忘れて少し驚いてしまう。僕の向かいに座ると、その方は「びっくりしましたよ。今日のインタビュー、橋本さんだったんですね」と口を開いた。

 外に出てみると、すっかり冷たい風が吹いている。僕が喫茶店で待っているあいだにずいぶん気温が下がっていたようだ。街を歩きながら45分ほど写真撮影をして、19時、インタビューが始まった。あれだけ心配していたけれど、スムーズに会話は進んだ(と思う)。その方は答えづらい質問にも考え込みながら言葉にしてくれた。しばらく言葉に詰まるときもあった。考えてくれているのだから、この間には耐えなければならないとしばらく沈黙が続いたりもした(そして沈黙のあとに言葉を捻り出してくれた)。19時50分頃になってインタビューは終わった。

 編集長のMさんとフォトグラファーのYさんは写真に関して打ち合わせがあるという。「橋本さんもよかったら」と誘ってもらえたので、僕も一緒に「さくら水産」(新宿甲州街道店)に入り、緊張を解きほぐすようにホッピーを飲んだ。22時、二人と別れて新宿3丁目「F」にハシゴ。他にお客さんがいなくなったところで、今日取材したその方のデモ音源を聴かせてもらいながら焼酎の水割りを何杯か飲んだ。


11月12日(火)

 10時過ぎに起きる。昨日のインタビューで、今年の仕事は(レギュラーのものをのぞけば)ほとんど終わったような気持ちになっている。ボンヤリしながらもジムに出かけ、4キロほど走った。

 昼、マルちゃん正麺カレーうどん)もやしのせ。午後は昨日発売の『スピリッツ』と『ヤンマガ』を読んだ。『ヤンマガ』、先日亡くなった風間やんわり「食べれません」最終回が掲載されている。最初の1篇のタイトルは「墓参り」で、最後の1篇は「六文銭」だ。本人はもう、わかっていたのだろうか。最終巻が発売されるとき、ページ数が足りないなんてことがもしあるのなら、歴代担当編集による座談会をつけてほしいなあ。しんみり話すのではなく、バカ話として。

 それを読み終えると、いつのまにか眠ってしまっていた。夜、白菜、大根、長ねぎ、ホウレンソウ、それに鶏肉(ささみ)を買ってきて鍋を作って食べた。22時、仕事帰りの知人とスーパーで待ち合わせる。ワインと刺身、それに総菜を買ってアパートに戻り、日付が変わる頃までたっぷり飲んだ。丸一日経ってようやく緊張がほぐれてきたという気がする。


11月13日(水)

  朝9時に起きる。ジムで7キロほどジョギング。昼、マルちゃん正麺(豚骨)もやしのせ。午後は溜まった日記を書いていた。夜、『faifai ZINE』をセブンイレブンネットプリントで印刷できるようにしておいて(予約番号は92991888)、出かける。久しぶりで高円寺「コクテイル」へ。別にそう決めているわけではないのだけども、2010年から毎年、誕生日の夜はこのお店で飲んでいる。今年も飲めたらいいのだけど、僕の誕生日は今年は火曜日で、お店の定休日なのだ。お店のKさんは昨年、「言ってくれたら定休日でも開けますから」と言ってくれていたので、お願いできないかとやってきたものの、そんなに頻繁にくるわけでもない僕がそんなことを言い出すのは図々しいような気もして、結局言い出せなかった。

 「コクテイル」ではまずハートランドを1本飲んで、あとは熱燗を飲んでいた。2杯目を頼んだあたりで、同世代の編集者から電話があった。会社を辞めるという。自分と同世代で就職した人は、そうした決断をする年なのだなあ。僕はあいかわらず飲んだくれている。21時過ぎに帰宅。昨日届いていた『SPA!』、まずは自分が構成した対談「これでいいのだ!」を確認する(どこに赤が入ったのか)。今回は“坪内ナイト”と題して、ゲストを招いた特別篇だ。今回のゲストは杉作J太郎さんで、「『いずれ死ぬ、とわかったら楽になった』と杉作さんは言う」とタイトルがついている。このタイトルからして、文学的とでも言うしかないんじゃないか。他にも、このカップヌードルの話など。

杉作 (略)僕はね、神宮へ行くとカップヌードルを食べるのが好きなんですよ。お湯を入れられるカップヌードル自動販売機が、日本中の観光地にあるじゃないですか。もうね、あのカップヌードルを食べるのがすごい好きなんですよ。
 
坪内 それは何、温度が絶妙ってこと?
 
杉作 いや、ちょっと信じられない感じがするんですよね。こないだも(略)しまなみ海道を走って夜明けに今治に着いたんです。サービスエリアに入ったら、そんな時間だから無人なんですけど、カップヌードルの機会があった。そこでカップヌードルを買って食べたんですけど、綺麗な自然だけが広がる無人お場所で、温かいものを食べられるわけですよね。それがちょっと信じられない感じがするんですよね。しかも、誰かが調理したわけでもなければ、普段から食べてるものだから決して旅情が豊かなわけでもないのに、どういうわけだかおいしいんですよ。

 
 こうしたやりとりが他にもたくさん溢れている。「朝ごはんは何時ぐらいに食べるの?」なんて切り出す坪内さんもさすがだ(そこからの話の展開がまた素晴らしい)。これらは別に役に立つ情報でもなければ知識が身につくわけでもないのに、何か豊かになる感覚がある。この連載のレギュラー回にもそうした感覚がたくさんあるけれど、こうした言葉はとても好きだし、もっと読みたいと思う。そのページを読み終えると、リリーさんとみうらさんの対談ページを開く。面白い箇所を音読すると、知人が隣りで迷惑そうな顔をしている。


11月14日(木)

 11時近くまで寝ていた。起きてすぐにジムに出かけ、7キロ走る。昼、マルちゃん正麺カレーうどん)もやしのせ。午後はイタリアの写真を引っ張り出して、思い出したことをメモに書き出していた。当分この時間が必要になる。夕方、スーパーに買い出し。白菜(1/4)、大根(1/2)、長ネギ、ホウレンソウ、それに鶏肉(ささみ)を買ってきて鍋を作る。いつもはこれをほぼ一食で食べているけれど、それだとお腹がパンパンになるし食欲が刺激されてしまうので、白菜と大根はその半分だけ使うことにした。

 食後、パソコンを開くとメールが届いている。同世代の友人からで、会社を辞めることになったという。21時過ぎ、そろそろ飲みに出かけようかと考えていたところで電話が鳴った。同世代の編集者・M田さんだ。久しぶりに軽く一杯という話になり、高田馬場「みつぼ」で待ち合わせ。お店に行ってみると、22時だというのに混み合っている。モツ煮込みとマカロニサラダを注文し、僕はホッピー、Mさんはレモンサワーで乾杯。「最近どうしてるの? 結構忙しそうだけど」「いや、全然そんなことないです。そんなに仕事もせずにふらふら……」「橋本君、会うといつもそう言うじゃない」。た、たしかにそんな気がする。本当にふらふら生活しているのだけど、いつまでもそんなこと言っていても仕方がないのだ。

 「橋本君、気になっている同世代のライターっている?」とM田さんは言った。そう言われてみると、僕が意識しているのは上の世代ばかりだなと気づかされる。「逆に誰かいますか?」と訊ねてみると、僕の名前を挙げてくれた上で(おあいそだとしても嬉しい)、M田さんは二人の名前を挙げた。M田さんとは六平さんの話もした。僕は六平さんとそんなに何度も会ったことがあるわけではないけれど、ときどき六平さんは僕の話をしてくれていたらしかった。「アイツは何であんな髭の写真を使ってるんだ」とも言っていたという。僕のツイッターのアイコンのことだろう。その話が妙におかしい。

 「橋本君は今、単著を出すとしたらテーマは何?」――そう言われて思い浮かぶのはやはりドライブインのことだ。「ふらふらしてます」なんて言ってないで、キチンと仕事をしないとなあ。M田さんは「橋本君には東京論を書いてほしい」と言っていた。東京論か。論はたぶん書けないけれど、M田さんに言われているうち、何か書けることがあるんじゃないかという気がしてくる。


11月15日(金)

 9時過ぎに起きる。毎日走るよりも一日置きに走ったほうがいいと知ったので、今日はジョギングは休みにする。一日中、イタリアのことに思いを馳せていた。到着した翌日、現地のスタッフと一緒にレストランに出かけたのだが、そのとき、食後に飲んだドリンクがとても美味しかったことを思い出した。ただ、それは一体何という飲み物だったのかわからない。どうしてもそのことが気になったので、Facebookでフレンド申請をしてくれていた現地スタッフに、辞書を引きつつメールを書いて質問をする。グラッピーノと言うらしい。

 19時、夕食。いつも同じ食材で鍋を作ってしまうので、昨日の残りの白菜と大根に、ニンジンとたまねぎを追加してコンソメスープにした。22時を過ぎたあたりで身支度をして、厚着をして酉の市に出かけた。今晩は二の酉があるのだ。